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'''国'''(くに、こく)は、一般的に、[[住民]]・[[領土]]・[[主権]]及び外交能力(他国からの承認)を備えた[[地球]]上の地域のこと<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/9353650/ 新たな「国」を造るには、何が必要?]</ref><ref>[http://www.huffingtonpost.jp/triport/niue_b_7498510.html 新たな国「ニウエ」とは?世界最小レベルの島国を独り占め!(HUFFPOSTブログ)]</ref>。ほとんどの国が[[憲法]]を[[成文法]]で作成し<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000089341 世界の国の中で憲法を持たない国がどのくらいあるのか知りたい。表になっているようなものがあれば見たい(レファレンス協同データベースHP)]</ref>、自国の権利や能力を他国に表明している。新しい国を作ることに関し、すでに在る国が[[憲法改正]]や[[革命]]など「新憲法制定」によって生まれ変わる場合もある。
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'''国'''(くに、こく)
  
== 「国」の多義性 ==
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一定区域をなす土地を表わす言葉で,現在では,土地,人民,政府をもつ[[国家]]のこと。
'''国'''(くに、こく)は、「邦」「州」などとも表される多義的な語であるが、現在では「[[モンテビデオ条約 (1933年)|国家の権利及び義務に関する条約]]」に基づいた、主に大きさと独立性([[統治機構]]や[[担税力]]など)を備えた[[国家]](独立国)を意味し、以下のような地域を表す。
 
  
# '''[[国家]]、中央[[政府]]'''
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歴史的には,さまざまの範囲を呼ぶのに用いられた。日本に農耕生活が始り,人々が政治生活を営むようになると,従来の「むら」が「くに」と呼ばれるようになった。
#: [[政治]]的な[[国家]] (state/état) が支配する一定の領域や住民・[[共同体]]・[[制度]]・[[文化]]などの総体。新興国においては、国家の統治機構となる'''中央[[政府]]'''を指す場合もある。
 
# '''[[令制国]]'''
 
#: 古代の[[日本]]での、[[律令制]]下の行政単位。律令制が崩壊した後も、[[受領]]の支配区分や[[守護]]の軍事警察管区として、また地域区分の単位として[[明治]]時代初期まで用いられた。現在でも「'''旧国名'''」として、[[都道府県]]の別名や、都道府県内の地域名として用いられることがある。
 
# '''[[故郷]]、[[地方]]'''
 
#: 生まれ故郷や出身地。また、国家に対して、地方を指すこともある。英語の「country」も、国家を指す場合と、地方を指す場合の2つの意味を持つ。
 
# '''[[地|大地]]'''
 
#: 例:<!-- [[国つ罪]]、 -->天に対する地の意をもって国とし、[[国津神]]というように用いられる。「地」の字が充てられることが多い。
 
# 「国」の原義(古代中国)は、諸侯が統治する都市を指した。
 
  
== ヨーロッパの「国」 ==
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『後漢書』に,1世紀の倭国に百余国があったというのは,このような「くに」の分立状態を示している。
国と訳される[[英語]]には、state、nation、countryがある。
 
  
* countryは、[[ラテン語]]のcontrata terra(向こう側の土地)が語源で、地理的な国土を意味する。政体の性質を問題にしないため、日本での「国と地域」に相当する使われ方もする。
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大和朝廷の頃は,こうした「くに」がさらに拡大して,国造 (くにのみやつこ) の管轄区域となったが,同じ言葉は,「豊葦原の中つ国」 ([[葦原中国]] ) といった国土の総称にも用いられていた。
* nationは、ラテン語のnatalis(出生)が語源で、土地の住民の総体を意味する。国家の場合は国民のことだが、国家に結びつかない、[[少数民族]]・分断民族・流浪民族などにもnationはある。
 
* stateは、ラテン語のstatus(土地とその住民への支配権)が語源で、土地とその住民に対する統治権・統治機構を意味する。
 
  
いずれも、明確に国家の意味はなく、文脈によっては国家未満、超国家の意味でも使われる。また、具体的な行政区画の名称としてこれらの語を使うこともある。
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律令制のもとでは,中央集権国家の地方制度としての国,郡,里が確定し,国の行政裁判を司る国司が任命されて国府 (国庁,国衙ともいう) に在勤するようになった。当初は改廃があり,奈良時代には 58国3島を数えたが,平安時代初期の天長1 (824) 年以来 66国2島 (壱岐,対馬) に固定した。
  
* countryは、[[イギリス|イギリス連合王国]]を構成する[[イングランド]]、[[スコットランド]]、[[ウェールズ]]、[[北アイルランド]](かつては[[アイルランド島|アイルランド]])を意味する。その場合も、国と訳されることがある。
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平安時代後期には,国司制度がくずれ,国司の遙任 (ようにん) や権門社寺の[[知行国]] (ちぎょうこく) の制度が起り,やがて鎌倉幕府の成立以後,国の治安は守護,地頭によって保たれるようになった。
* stateは、[[アメリカ合衆国]]などの[[州]]を意味する。その場合は、決して国とは訳されない。
 
* nationは、アメリカ合衆国では合衆国全体の意味で使われる。
 
  
これらの場合は、country、nation、stateの本来の意味の区別は問題にならない。
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室町時代に大名領国が発達すると,律令制の国は形骸化して単なる地域を示す符号となる反面,大名の領分が国 ([[分国]] ) と呼ばれ,武家法としての[[分国法]] (ぶんこくほう) が制定され,領内には国人 (地侍) 衆が兵農未分離状態の有力者として在住した。
  
empire、kingdom、duchy等はそれぞれ[[帝国]]、[[王国]]、[[公国]]等と訳されるが、これらは単にそれぞれ[[皇帝]]、[[王]]、[[公爵|公]]の[[領地]]という意味にすぎず、国家の意味はない。西欧社会では、中世[[封建社会]]から[[絶対王政]]の時代に至るまで、ある国の君主が別の君主の兼任あるいは[[臣下]]であることは珍しくなかった。たとえば、[[インド皇帝]]は[[イングランド王]]の兼任であり、[[インド帝国]]はイギリスの一部だった。最近の例では、アンドラ大公位は[[フランス大統領]]と[[ウルヘル司教]]が(共同で)就いており、それにより[[1993年]]まで[[アンドラ公国]]は独立国ではなく、[[フランス]]と[[スペイン]]の共同統治的な地域だった。
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江戸時代には,律令制の国郡を規準とした国持大名という呼称や,大名,旗本の国守その他の受領名 (ずりょうな) はみられたが,普通には,国許 (くにもと) ,国腹,国家老,国産会所というように,大名領分を示す国が,全国を示す「天下」とともに用いられた。
  
republicは[[共和国]]と訳されるが、これは[[民衆]]による政体という意味で、これも国家の意味はない。たとえば、[[ロシア連邦]](および[[ソビエト連邦]])は国内に[[ロシア連邦の地方区分|共和国]]を持つ。
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明治新政府は,当初は旧国郡制を近代国家の行政区画とし,奥州2国を7国に,また蝦夷地を北海道とし 11国に分けたが,明治4 (1871) 年の廃藩置県により1道3府43県となった。現在旧国名は公式には用いないが,愛称として慣用されている場合が多い。
 
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== 日本の「国」としての成立過程 ==
 
現在の日本が成立するまでには以下のような経緯があった。
 
 
 
=== 近代以前 ===
 
[[日本の歴史|日本史]]においては、古くは中国史書『[[漢書]]』にあらわれる[[奴国]](なこく)などがある。「くに」は元来自然の国土を指す語であったが、[[弥生時代]]に入って生産経済に突入し、[[日本列島]]各地に政治的支配がはじまると、その[[政権]]が支配する領域を「くに」と呼称した<ref name=mayuzumi>黛(2004)</ref>。これら小国家は、地域としてはのちの「[[郡]]」相当の広さしかない狭小な地域にすぎなかったが、政体としての独立性を保ち、原初的とはいえ[[国家]]と称される政権であった。民俗学者[[折口信夫]]によれば、「くに」の語の原義は、[[ヤマト]]の[[宮廷]]に対して半属半独立の関係にある地方を意味しており<ref>西村(1966)p.73。原出典は『折口信夫全集第1巻』p.377</ref>、また、「くに」には「くにたま」(国魂)があって、これを所有する者がその地方を統治する権限を有するものと観念されていた<ref name=nishimura73>西村(1966)p.73</ref>。それゆえ、ある地方が宮廷の支配に服することは、当該地方の「くにたま」が宮廷に奉られることを意味していた<ref name=nishimura73/><ref group="注釈">「くにたま」は多くの場合、[[稲穂]]によって象徴された。したがって、[[大嘗祭]]においては地方各国の稲穂が[[天皇|天子]]のもとに送られ、[[新嘗祭|新嘗の神事]]がおこなわれた。西村(1996)p.74</ref>。
 
 
 
[[ヤマト王権]]によって[[日本列島]]の統一が進行していった[[古墳時代]]にあっては、そのような「くに」に「[[国造]](くにつのみやつこ)」が置かれた。これは元来一定の地域を統治した地方[[首長]]層であった。多くの地方的国家はヤマトの勢力のもとに収められていった。その際、[[戦争]]をともなう場合もなかったわけではないが、より[[平和]]的な手段で目的が達成される場合も多かった。そのため、多くの地方的国家は後世まで大幅な[[自治]]を許され、[[朝廷]]に対しても半属半独立の関係を保った<ref name=nishimura72>西村(1966)p.72</ref>。地方的国家が宮廷(朝廷)の神々の[[信仰]]を受容し、これを最高の[[神]]として崇敬する限りにおいて、地方的な信仰と[[祭祀]]は多くの場合、残された<ref name=nishimura72/>。このような「くに」をもとに[[飛鳥時代]]には[[律令制]]のもとで[[令制国]]が成立した。
 
 
 
すなわち、日本においては、上述の奴国などの小国家、『[[魏志倭人伝]]』収載の[[邪馬台国]]などの小国家連合、統一されたヤマト国家、そしてそのなかの国造の支配領域に至るまで、「くに」には大小・広狭さまざまあり、[[機構]]や概念においてもそれぞれ差異が認められるにもかかわらず、こうした政治的領域すべてに[[漢字]]の「國(国)」の字を当てはめた<ref name=mayuzumi/>。
 
 
 
令制国は、その広狭や[[人口]]、生産力などを基準にして[[大国 (令制国)|大国]]・[[上国]]・[[中国 (令制国)|中国]]・[[下国]]の4等級に分類され、「守」以下[[四等官]]の[[国司]]の定員や[[官人]]の[[位階]]などに差が設けられた。[[大宝律令]]制定時の[[8世紀]]初頭には58国3島であったが、その後の分割や統合などを経て、[[9世紀]]初頭の段階では66国2島となり、それ以後、固定化された<ref name=mayuzumi/>。
 
 
 
また、「[[倭国]]」「[[三国一]]」のような、視点を日本列島外に置くような表現にあっては、日本全体が1つの「国」として扱われた。
 
 
 
これらとは別に、「[[大地]]」「[[土地]]」「[[出身地]]」に近い意味合いもあった。[[天津神]]に対する[[国津神]](くにつかみ)の「国」は、天に対する地を意味し、実際、地の漢字が当てられることもあった。また、「[[国衆]](くにしゅう)」「[[国替]](くにがえ)」などの語では、[[土地]]を意味した。
 
 
 
=== 近代 ===
 
[[近代]]以降になると、国はほとんどの場合「国家」の意味で使われるようになり、その意味が他に卓越するようになった。「国家の正当な[[政府]]」を単に「国」と呼称する新たな用法も生まれた。日本においては、[[日本国政府]]が国と呼称されることが多い。また、独立国ではない政体や日本国が承認していない政権に対し、[[報道]]や[[統計]][[発表]]などにおいて明示的に「国」の使用を避けることがあり、[[マスメディア]]を中心に「国と地域」のような表現もみられる。
 
 
 
令制国は文書などによって法的に廃止されたわけではないが、[[廃藩置県]]等の[[明治時代]]以降の諸施策によって有名無実化した。これを「国」と呼ぶのは紛らわしくなったため、「旧国」と呼称されることが多くなった。現在でも「くに」は、文脈によっては、「出身地」の意味で普通に使われる。ただし、その場合でも[[都道府県]]が定着した今日では、旧国単位ではなく都道府県単位で考えることが多くなっている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 参照 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[西村亨]]『歌と民俗学』[[岩崎美術社]]&lt;民俗・民芸双書&gt;、1966年7月。
 
* [[黛弘道]]「国」[[小学館]]編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Wiktionary|国}}
 
{{Wikidata property |1=P17 |2=国}}
 
* [[国の一覧]] - 国家
 
** [[国の一覧 (大陸別)]]
 
* [[令制国一覧]] - 旧国名
 
* [[世界]]、[[社会]]
 
* [[IS]]
 
* [[通貨]]-[[仮想通貨]]
 
  
 
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[[Category:国|*]]
 
[[Category:国|*]]

2018/8/13/ (月) 18:33時点における版

(くに、こく)

一定区域をなす土地を表わす言葉で,現在では,土地,人民,政府をもつ国家のこと。

歴史的には,さまざまの範囲を呼ぶのに用いられた。日本に農耕生活が始り,人々が政治生活を営むようになると,従来の「むら」が「くに」と呼ばれるようになった。

『後漢書』に,1世紀の倭国に百余国があったというのは,このような「くに」の分立状態を示している。

大和朝廷の頃は,こうした「くに」がさらに拡大して,国造 (くにのみやつこ) の管轄区域となったが,同じ言葉は,「豊葦原の中つ国」 (葦原中国 ) といった国土の総称にも用いられていた。

律令制のもとでは,中央集権国家の地方制度としての国,郡,里が確定し,国の行政裁判を司る国司が任命されて国府 (国庁,国衙ともいう) に在勤するようになった。当初は改廃があり,奈良時代には 58国3島を数えたが,平安時代初期の天長1 (824) 年以来 66国2島 (壱岐,対馬) に固定した。

平安時代後期には,国司制度がくずれ,国司の遙任 (ようにん) や権門社寺の知行国 (ちぎょうこく) の制度が起り,やがて鎌倉幕府の成立以後,国の治安は守護,地頭によって保たれるようになった。

室町時代に大名領国が発達すると,律令制の国は形骸化して単なる地域を示す符号となる反面,大名の領分が国 (分国 ) と呼ばれ,武家法としての分国法 (ぶんこくほう) が制定され,領内には国人 (地侍) 衆が兵農未分離状態の有力者として在住した。

江戸時代には,律令制の国郡を規準とした国持大名という呼称や,大名,旗本の国守その他の受領名 (ずりょうな) はみられたが,普通には,国許 (くにもと) ,国腹,国家老,国産会所というように,大名領分を示す国が,全国を示す「天下」とともに用いられた。

明治新政府は,当初は旧国郡制を近代国家の行政区画とし,奥州2国を7国に,また蝦夷地を北海道とし 11国に分けたが,明治4 (1871) 年の廃藩置県により1道3府43県となった。現在旧国名は公式には用いないが,愛称として慣用されている場合が多い。