四十五年の反乱

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よんじゅうごねんのはんらん Forty-five Rebellion

1745年イギリスで起ったジャコバイトの反乱。オーストリア継承戦争によりフランスがイギリスと開戦したのを機に,フランス亡命中の小王位僭称者 C.E.スチュアートは王位奪回を決意し,7月 23日7人の従者を連れてスコットランドに上陸。 G.マレーらの高地人氏族は彼のもとに結集し,彼はパースで国王と宣言され,9月 16日エディンバラに入城。反乱軍は同月 21日その東方のプレストンパンズで J.コープの国王軍を撃破したのち,ロンドン目指して南下,イギリス軍司令官 G.ウェードの不決断にも助けられて,11月カーライルを抜き,12月初め中部イングランドのダービーに入城,イギリス政府を狼狽させた。しかし兵の疲労とイギリス軍の大兵力を考慮して進撃をあきらめ,スコットランドに引揚げ,46年1月 17日フォルカークの戦いで再び政府軍を破ったが,高地人は戦利品を持って山岳地帯に戻り,小王位僭称者の軍は小兵力になった。そのため,4月 16日インバネス近くのカロデンで,ウェードと代ったカンバーランド (公) の1万 2000の政府軍と対戦して大敗し,反乱は失敗に終った。小王位僭称者は身を隠して各地にひそみ,9月かろうじてフランスに逃げ帰ったが,高地人はカンバーランドによって残酷な徹底的報復を受けた。