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(内容を「 '''𠮷兆'''(きっちょう) 日本の料亭のグループ名、またその創業店である「本吉兆」の通称。1930年、大阪府大阪市で創...」で置換)
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{{Otheruses|日本料理の料亭}}
 
{{記事名の制約|title=<span style="font-size:130%">&#134071;兆</span>}}
 
[[画像:Kiccho Daimaru umeda.jpg|250px|thumb|本&#134071;兆運営の&#134071;兆大丸梅田店(現在は店舗が閉鎖され存在しない)]]
 
  
'''&#134071;兆'''(きっちょう)は、[[大阪市]]に本拠がある[[日本料理]]の[[高級料亭]]である。なお、「&#134071;兆」の屋号で店舗を運営する4社と関連法人を纏めて'''&#134071;兆グループ'''と称する。
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'''&#134071;兆'''(きっちょう)
 
 
「吉」の正確な表記は「[[wikt:&#134071;|&#134071;]]」(U+20BB7、「土」の下に「口」:つちよし)である<ref group="注釈">Unicodeでは U+20BB7、「{{拡張漢字|吉}}」、[[文字参照#数値文字参照(文字参照)|数値文字参照]]:[<code>&amp;#134071;</code>]。画像では「[[ファイル:Tsuchiyoshi.svg|14px]]」。</ref>。
 
 
 
== 概要 ==
 
=== 創業 ===
 
創業者・[[湯木貞一]]は[[神戸]]の料理屋「中現長」の息子であったが家を出て、[[1930年]]11月21日、大阪市[[西区 (大阪市)|西区]]新町にて「御鯛茶處&#134071;兆」を開業した。「&#134071;兆」とは、[[西宮神社]]や[[今宮戎神社]]などで毎年1月10日を挟んで前後3日間に行われる[[えびす講|十日戎(とおかえびす)]]に授与される福笹につける子宝のことで、また福笹自体も&#134071;兆笹と呼ばれており、店名はそれに由来する。湯木貞一と縁故のあった画家[[須磨対水]]により縁起を担いで付けられた。当初は「'''きっきょう'''」という[[ルビ]]がふられていたが、お客が「''きっちょう''」と読んだために「きっちょう」となった。
 
 
 
間口一間二分五厘、奥行き六間の狭いごく小さな店舗ながら、料理の良さはもちろん、店のしつらえも食器の類も洒落た小料理店であった。開店日には一人も客が入らなかったという逸話もあり<ref>[http://www.kitcho.com/tokyo/top-p/page-fream/histry.html 吉兆ものがたり(東京吉兆)]</ref>、そこから現在の&#134071;兆を築いた背景には湯木の才能があったと言われる。
 
 
 
やがて船場の旦那衆、[[上村松園]]や[[白井半七]]、[[高畑誠一]]、美術商児嶋嘉助らひいきの客もついて繁盛し、店が手狭になってきて、1937年11月に旧南区島之内の畳屋町の新店舗(間口三間、奥行き三十間)に移転。[[1939年]]12月には株式会社化している。戦時中も&#134071;兆は大阪府知事[[河原田稼吉]]の計らいで特別に営業を続けられたが、[[大阪大空襲]]で畳屋町の店舗が道具類もろとも全焼してしまう。被災後は芦屋の自宅で「&#33446;屋&#134071;兆」<ref group="注釈" name="ex02">「[[wikt:&#33446;|&#33446;]]」、{{JIS2004フォント|芦}}、[[文字参照#数値文字参照(文字参照)|数値文字参照]]:[<code>&amp;#33446;</code>]。</ref>を開店。
 
 
 
=== 多店舗展開・グループ化 ===
 
戦後の1946年2月3日に大阪平野町店を開店。1948年2月、京都嵯峨店を開店(児嶋嘉助の元別邸)。翌[[1949年]]4月に児島嘉助の店舗兼本邸を購入して現在、[[大阪市]]にある[[高麗橋]]本店を開く。関西の茶人・財界人の引き立てを受けて名声を高め、来阪する内外の要人をもてなすのに欠かせない高級料亭となる。貞一には茶懐石に関する著述が多いが、[[1969年]]には『[[暮しの手帖]]』に[[花森安治]]のインタビューによる「&#134071;兆つれづればなし」の連載が始まり<ref>湯木貞一『&#134071;兆味ばなし 三』p.329 [[大橋鎭子]]あとがき</ref><ref>1969年9月 - 1988年4月連載(『&#134071;兆 湯木貞一のゆめ』)</ref>、&#134071;兆の名前が一般にも浸透する契機となる。[[1979年]]・[[1986年]]・[[1993年]]の[[第5回先進国首脳会議|東京サミット]]で他の有名料亭をさしおいて日本料理担当に選ばれたことで、世界的に知られる存在となった。1988年には創業者の茶道具コレクションをおさめた「[[湯木美術館]]」を設立。
 
 
 
大阪、京都、神戸、東京などで多店舗展開をすすめ、[[1991年]]、創業者の貞一の息子や料理人である娘婿たちを[[のれん分け]]の形で独立させて、&#134071;兆グループとしてグループ会社制に移行。長男の湯木敏夫が本&#134071;兆、長女の婿湯木昭二朗が東京&#134071;兆、次女の婿徳岡孝二が京都&#134071;兆、三女の婿湯木正徳が船場&#134071;兆、四女の婿湯木喜和が神戸&#134071;兆を継承した<ref>[http://www.examiner.co.jp/zuiihitu.html 『イグザミナ』2008年1月号 volume-34 九仞の功を一簣に虧くの教訓]</ref>。[[1997年]]、 創業者の湯木貞一逝去。
 
 
 
=== 「吉兆」の特徴 ===
 
日本料理には[[宮廷料理]]の系統である[[有職料理]]、[[大名]]の宴会料理である[[本膳料理]]、[[江戸時代]]に[[町人]]の[[宴会]]料理として確立した[[会席料理]]などがある。&#134071;兆の料理は、献立や、建具や調度品などを[[一期一会]]その場の雰囲気や季節に応じて変える「室礼(しつらい)」に至るまで、[[懐石料理|茶懐石]]の影響を強く受けている。これは創始者の湯木貞一が[[茶道]]に造詣が深かったことに理由があり、貞一は後に自らの茶道具コレクションを基に[[湯木美術館]]を設立した。
 
 
 
また、高級料亭としては珍しく多店舗展開しており、東京&#134071;兆の「銀座店」や「ホテル西洋銀座店」、大阪の本&#134071;兆[[高麗橋]]店、京都&#134071;兆[[嵐山]]店などは、政財界有力者や外国[[要人]]の接待で利用されることが多い。東京&#134071;兆「ホテル西洋銀座店」は[[小泉純一郎]]が首相在任中に度々利用したことでも知られている。
 
 
 
[[2013年]]、京都&#134071;兆は人気ウェブサイト「デーリー・ミール」によって「世界で最も高価なレストラン」(1人当たりの予算約600ドル)に選ばれた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8266394/ 最も高価なレストランの世界ランキング、人気サイトが発表] AFPBB News 2013年11月19日</ref>。
 
 
 
== 組織形態・事件 ==
 
[[1991年]]創業者の貞一が息子や娘婿たちを[[暖簾分け]]の形で独立させ、長男が本&#134071;兆、長女の婿が東京&#134071;兆、次女の婿が京都&#134071;兆、三女の婿が船場&#134071;兆、四女の婿が神戸&#134071;兆を継承した。持ち株会社1社、料亭会社5社、不動産管理会社5社の計11社と1つの[[財団法人]]湯木美術館で&#134071;兆グループが構成されている。なお、株式会社&#134071;兆は、かつては料亭の営業を行っていたが、現在は&#134071;兆ブランドの管理と各料亭の本店等の不動産を管理する子会社5社に全額出資する持株会社となっている。
 
 
 
「&#134071;兆」グループの料亭営業会社のひとつであった[[船場吉兆|船場&#134071;兆]]において不祥事が立て続けに発覚し、グループ他社から支援を得られず2008年5月に廃業。この事件は、「&#134071;兆」全体のブランドイメージを損ね、本&#134071;兆では前年度に比べ客が半減するなど、グループ各社は深刻な影響を受けた。{{Main|船場吉兆#不祥事}}
 
 
 
この船場&#134071;兆による一連の不祥事を受け、[[2008年]]に&#134071;兆グループ会社の役職員や第三者の専門家からなるコンプライアンス委員会が設立された<ref>[http://www.project-k.org/setsuritsu.htm 設立の趣旨] 吉兆 食のコンプライアンス委員会</ref>。しかし[[2013年]]、京都&#134071;兆から自社オンラインショップやデパートのカタログギフトなどを通じて1年以上に渡り販売していた[[ローストビーフ]]商品「京都&#134071;兆 京都牛ロースト」(製造:[[丹波ワイン]]株式会社、小売価格:1万500円)が、実際は食品衛生法で認められていない[[結着剤]]でブロック肉を成型したものであったことが発覚(ローストビーフは複数のブロック肉を使うと[[食中毒]]の菌が混入するおそれがあるため、単一の肉の塊を使用しなければならないと定められている)。京都&#134071;兆は商品を自主回収し、購入者に代金を返却することとなった<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2013112600752 ローストビーフを回収=結着剤使用-京都吉兆] 時事通信 2013年11月26日</ref>。この不祥事に関して、京都&#134071;兆は「2度とこのような事態を発生させることがないよう法令順守の徹底に努めます」とコメントした。
 
 
 
[[2013年]]現在、&#134071;兆グループの料亭営業会社は株式会社本&#134071;兆、株式会社神戸&#134071;兆(本社の所在は大阪市)、株式会社京都&#134071;兆、株式会社東京&#134071;兆の4社からなり、各会社が株式会社&#134071;兆から&#134071;兆ブランド(屋号)を、一連のグループ不動産管理会社5社から店舗を借り受けて料亭の営業を行っている。&#134071;兆グループ各社は定期的な会合を持っているが、営業会社はそれぞれ独自に経営を行っていると発表された。
 
 
 
== 沿革 ==
 
* [[1930年]] - 湯木貞一が<!--神戸の料理屋「中現長」から独立し、←「中現長から独立」は不正確-->大阪市[[西区 (大阪市)|西区]]新町にて「御鯛茶處&#134071;兆」を創業。
 
* [[1937年]] - 畳屋町に移転。
 
* [[1939年]] - 株式会社&#134071;兆を設立。
 
* [[1945年]] - 畳屋町の店舗が[[大阪大空襲]]で焼失。被災後は&#33446;屋の自宅で「&#33446;屋&#134071;兆」を開店。
 
* [[1946年]] - 大阪平野町に出店。
 
* [[1948年]] - 京都嵐山にて「嵯峨&#134071;兆」(現、京都&#134071;兆嵐山本店)開店。
 
* [[1949年]] - 高麗橋店開店。
 
* [[1956年]] - 船場店開店。
 
* [[1961年]] - 銀座店開店。
 
* [[1969年]] - 『[[暮しの手帖]]』「&#134071;兆つれづればなし」の連載始まる。
 
* [[1979年]] - 東京サミットで午餐会の料理を提供。
 
* [[1991年]] - 現在の各事業会社を設立し、グループ会社制に移行。
 
* [[1997年]] - 創業者の湯木貞一逝去。
 
* [[2007年]] - 船場&#134071;兆にて、偽装問題が発覚。
 
* [[2008年]] - 船場&#134071;兆が廃業。
 
* [[2013年]] - 京都&#134071;兆にて、ローストビーフとして偽造販売していた商品の自主回収が行われた。
 
 
 
== 店舗一覧 ==
 
=== 営業中の店舗 ===
 
[[File:Koraibashi Kiccho.JPG|thumb|200px|高麗橋&#134071;兆]]
 
* '''本&#134071;兆'''(大阪・長野)
 
** 高麗橋本店 - 要紹介、夜42,000円-
 
** [[JR大阪三越伊勢丹]]店 - JR大阪三越伊勢丹10階
 
** なんばダイニングメゾン店 - [[高島屋]]大阪店9階
 
** [[くろよんロイヤルホテル]]店 - [[長野県|長野]]・[[大町市]]
 
* '''神戸&#134071;兆'''
 
** 神戸本店 [[リーガロイヤルホテル]]店(大阪・[[中之島 (大阪府)|中之島]])
 
** 神戸店 - 神戸・[[旧居留地]]
 
** [[BBプラザ]]店 - [[阪神電気鉄道|阪神]][[岩屋駅 (兵庫県)|岩屋駅]]前
 
* '''京都&#134071;兆'''
 
** 京都本店 [[嵐山]]店 - 夜42,000円-
 
** 花&#134071;兆 - [[京都四條南座]]に隣接
 
** 京都グランヴィア店 - [[ホテルグランヴィア京都]]内
 
** 松花堂店 - [[松花堂]]庭園・美術館内
 
** [[名古屋市|名古屋]]店 - [[ミッドランドスクエア]]内
 
** [[洞爺湖]]店(あらし山&#134071;兆) - [[ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&amp;スパ|ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート]]内
 
* '''東京&#134071;兆'''
 
** 東京本店 [[銀座]]店 - 要紹介
 
** [[帝国ホテル]]店
 
** 東京正月屋 - [[新宿]][[伊勢丹]]内
 
** [[歌舞伎座]]店
 
 
 
=== 撤退した店舗 ===
 
*本&#134071;兆
 
** [[ホテル阪急インターナショナル]]店 - 2009年7月31日閉店
 
** [[帝国ホテル|帝国ホテル大阪]]店 - 2010年1月12日閉店
 
** &#134071;兆[[大丸]]梅田店 - 閉店
 
** 正月屋(湯木美術館内茶寮) - 2014年6月30日閉店
 
* [[船場吉兆|船場&#134071;兆]](2008年[[民事再生法]]申請 → その後自力再建を断念して廃業)
 
** 船場本店 船場店
 
** [[心斎橋]]店 - 心斎橋[[OPA]]内
 
** [[博多]]店 - [[博多リバレイン]]内
 
** [[天神 (福岡市)|天神]]店 - [[岩田屋]]内
 
*京都&#134071;兆
 
** リーガロイヤル店 - [[リーガロイヤルホテル|リーガロイヤルホテル京都]]内 - 2010年1月31日閉店
 
** [[味吉兆|味&#134071;兆]] - 2012年2月12日閉店
 
*東京&#134071;兆
 
** 西洋店 - [[ホテル西洋銀座]]内 - 2013年5月31日閉店※同ホテル営業終了に伴う閉店
 
** 味&#134071;兆 伊勢丹[[立川市|立川]]店 - 2012年2月12日閉店
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[湯木貞一]]
 
* [[松花堂弁当]]
 
* [[ポール・ボキューズ]]
 
* [[船場吉兆|船場&#134071;兆]]
 
** [[湯木佐知子]] - 湯木貞一の三女で、船場&#134071;兆最後の社長。船場&#134071;兆廃業後の現在は、当項目で述べている株式会社&#134071;兆の役員を務めている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*湯木貞一・[[辻静雄]]共著、写真[[入江泰吉]]『&#134071;兆 料理花伝』([[新潮社]] 1983年1月、ISBN 4103480017)- 大著
 
* [[湯木美術館]]編『&#134071;兆 湯木貞一のゆめ』([[朝日新聞社]]、2002年、ISBN 4022586788)
 
 
 
=== 伝記 ===
 
*末廣幸代『&#134071;兆 湯木貞一 料理の道』([[吉川弘文館]]〈[[歴史文化ライブラリー]]〉、2010年、ISBN 4642057102)- 著者は湯木美術館の元主任学芸員
 
  
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日本の料亭のグループ名、またその創業店である「本吉兆」の通称。1930年、大阪府大阪市で創業。1979年の東京サミットの午餐会の食事を担当するなどして、高級料亭としての地位を確立。1991年、創業者の子供たちがのれん分けによりそれぞれ独立。グループ企業にはほかに神戸吉兆、京都吉兆、東京吉兆がある。吉兆の「吉」の漢字表記は正確には“つちよし”。
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.kitcho.com/index.htm 吉兆ポータル]
 
* [http://www.kitcho.com/index.htm 吉兆ポータル]
* [http://www.project-k.org/ 吉兆 食のコンプライアンス委員会]
 
* [http://www.yuki-museum.or.jp/index.html 湯木美術館]
 
  
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[[Category:料亭]]
 
[[Category:料亭]]

2018/12/29/ (土) 12:31時点における最新版

𠮷兆(きっちょう)

日本の料亭のグループ名、またその創業店である「本吉兆」の通称。1930年、大阪府大阪市で創業。1979年の東京サミットの午餐会の食事を担当するなどして、高級料亭としての地位を確立。1991年、創業者の子供たちがのれん分けによりそれぞれ独立。グループ企業にはほかに神戸吉兆、京都吉兆、東京吉兆がある。吉兆の「吉」の漢字表記は正確には“つちよし”。

外部リンク



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