司葉子

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司 葉子(つかさ ようこ、1934年昭和9年)8月20日[1] - )は、日本の女優日本大正村第二代村長。東京福祉大学特任教授[2]。本名:相澤 葉子旧姓:庄司)。東宝芸能所属。

夫は弁護士で元自由民主党衆議院議員相澤英之[1]。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子

経歴 

鳥取県西伯郡渡村(現境港市渡町)に庄司繁二郎の三女として生まれる。6歳の頃父を亡くす[3]鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業[1]

1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める[1]。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約[1]。映画『君死に給うことなかれ』でデビュー。

後の星由里子を彷彿とさせる「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する1人とされ、看板女優として活躍。目鼻立ちがはっきりしており優雅なムードを醸し出す司は戦後の映画界に新しい風を吹き込んだ[1]

1966年の映画「紀ノ川」(原作:有吉佐和子)では第40回キネマ旬報賞主演女優賞・第9回ブルーリボン賞主演女優賞・第22回毎日映画コンクール主演女優賞・日本映画記者会賞最優秀女優賞など数々の賞を受賞し、その年の7つの演技賞を独占した[1]

1969年に当時大蔵官僚だった相澤英之と結婚。

1999年に日本大正村の村長に就任。2003年紫綬褒章を受章。2009年に相澤が学長を務める東京福祉大学の特任教授に就任。2010年秋、旭日小綬章を受章。

人物

人柄・性格

1963年(昭和38年)朝日新聞社刊行の『新・人国記4』137-138頁によると、

境港市を“小神戸”と呼ぶ表現がある。中海側へまわって神戸でいえば須磨にあたるところに渡の集落東宝のトップ女優司葉子の出身地。美人。細身の、ソソたるタイプ。地元では代表的女性とあって、名産二十世紀ナシの宣伝ポスターにいつも登場する。後醍醐天皇の時代に、祖先が“密使”を勤めたとの伝説を持つ家。六歳のとき生糸問屋の父が亡くなって母の手で育った。境高校から東京の共立女子大[4]に学んでいたとき、週刊誌の表紙になり、その縁で、大阪の民放に勤務中、東宝へスカウトされた。清純派で売出されて、“秋日和”など出演作品七十本。ツンとしたところがないので、スタジオではいまも“葉子チャン”と愛称されている。」と紹介されている。

芸能界入りについて

芸能界入りを決意しようとした葉子に対し、家族は大反対だった。

安田光昭(元鳥取県議会議員、米子市教育長)の著書『「あの人この人」私の交友録』206頁によると、

「葉子ちゃんの生家は渡村の大庄屋[5]、庄司家の分家さんであるが、本家の大殿様はまこと古武士の風格を持った方で、池部良氏のスカウトにこたえ、芸能界入りを決意しようとした葉子ちゃんと分家ご一統に対し“庄司の一門から河原こじきを出したとあってはご先祖様に顔向けがならん。あえてこれを行おうというのなら、未来永劫縁を断つ”天上からの声が下った。池部良氏はこの声を、何とかしてくれというのである。本家庄司の大旦那さんは、庄司廉さんとおっしゃって、県の教育委員も何期かやられ、現在米子博愛病院の理事長である庄司保親さんのご尊父である。まことに格式高い、東郷元帥そっくりの風貌を備えた方だった。」という。

女優として

『君死に給うことなかれ』(1954年)で映画デビュー。この作品は病気降板した有馬稲子の代役であり、映画は一本しか出演しないと決めていたが、池部の強い説得により正式に映画女優の道を歩むこととなった。「君は色気がないから、庄司葉子の庄の字をとって司葉子にしなさい」と勧めて芸名を作ったのも池部である[6]

1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため、同3月1日、池広利夫大映営業渉外部長)、山梨稔新東宝専務)や芦川いづみ日活)、大川恵子東映)、大空眞弓(新東宝)、小山明子松竹)、若尾文子(大映)ら他の映画会社各社代表女優たちと共に東宝代表女優としてドイツへ出発。同3月1日、ベルリン着。ベルリンでの宿泊先はヒルトン・ベルリン。3月3日、記者会見。3月4日、CCCスタジオ(CCC studio)訪問。3月5日、ベルリンを出発しミュンヘンに到着。ミュンヘンでの宿泊先はケンピンスキー・ホテル・フィア・ヤーレスツァイテン(Hotel Vier Jahreszeiten)。3月7日、記者会見。3月9日、女優たちのサイン会が開かれた。3月10日、バヴァリア・スタジオ(Bavaria Film)見学。同4月2日、約1ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。

交流関係

奥出雲の山林大地主田部家の当主田部長右衛門 (23代)は若い頃、葉子の父・繁二郎に良いことも悪いこと(遊ぶこと)もしょっちゅう連れ歩いてもらって教わったこともあり、葉子の姉妹揃って大いに可愛がったという。また、田部は葉子の結婚式に親代わりとして出席している(『田部長右衛門(朋之)先生追悼録』)。

美容家のメイ牛山とは、デビュー前から半世紀以上も親交があった。また、原節子とは原が引退してから亡くなるまで交流があった。

その他

橋本龍太郎が総理大臣だった1997年の暮れに、三船敏郎が亡くなったので国民栄誉賞を没後授与するように直訴している。戦後復興期に、三船が主演した『羅生門』が世界的に評価され、日本映画を広く知らしめることになったなどの理由による。だが結果としてスキャンダル対応中の橋本から、愛人がいた三船さんに賞をあげるとまた僕がスキャンダルを書かれると言われ、たち消えとなった。ちなみに司は女優として黒澤明監督作品で、三船敏郎との共演が8回と2番目に多い[7]

家族・親族

庄司家

鳥取県境港市渡町【市】1.庄司家母屋・茶座敷及び庭園
  • 父・繁二郎、母
父 繁二郎について司葉子によると「とってもおしゃれな人で銀座なんか歩くとみんな振り返ったらしいけども、しゃべるとズーズー弁で“ダメだった”」という[3]。司が6歳の頃父が亡くなる[3]
節子武田輝雄の妻)
昭子大阪府士族皿井立三郎(皿井耳鼻咽喉科医院長)の五男で耳鼻科医・皿井五郎の妻)[8]

相澤家

神奈川県横浜市東京都
司は2人の結婚を新聞で知った[9]。雑誌の対談の中で司は「実はそうなのよ、結婚したい人がいるとはなんとなく聞いていたけれど、びっくりしたわよ[9]」、「こんなふうだと変だと思われるかもしれないけど、ウチは放任主義というか、決断は本人任せなんです[9]。最初は主人が反対だったんですけど、自分の意思を貫きましたしね[9]。自分の意思で決めるのだろうと思ってました[9]。」と述べている。宏光と相田翔子は軽井沢で開かれたデザイナーの先生のパーティーではじめて会った[9]

親戚

  • 息子
相澤英孝(学者・一橋大学教授) - 夫相澤英之が先妻との間にもうけた長男
中島周(実業家・キユーピー常務取締役) - 夫相澤英之が先妻との間にもうけた二男
庄司保親(実業家) - 「本庄司家」当主
礼子(官僚若槻克彦の妻)
  • その他の親戚
田部長右衛門 (23代)(実業家、政治家・元島根県知事) - 奥出雲の山林大地主田部家当主
坂口平兵衛 (2代)(実業家、政治家) - 坂口財閥当主
三好英之(実業家、政治家)
宇山厚(外交官)
木佐徳之助(実業家、政治家)
木村小左衛門(実業家、政治家)など

出演作品

映画

テレビドラマ

舞台

テレビ番組

関連書籍

  • 「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文藝春秋。川本による司を含む女優達のインタビュー集)
  • 「成瀬巳喜男 演出術」(村川英編。ワイズ出版
  • 「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」(ぴあ
  • 「小津安二郎新発見 松竹編」(講談社) ISBN 4-06-206681-5
  • 「「20世紀を輝いた美女たち」スター青春グラフィティ 池谷朗[昔]写真館」 ISBN 4-87709-374-5

関連人物

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「prf」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 東京福祉大学お知らせ
  3. 3.0 3.1 3.2 徹子の部屋
  4. 正確には、共立女子短大である
  5. 『境港市史 上巻』(1986年/昭和61年)336頁によると、「士分の在方役人に対して郡村行政の実務を担当したのが大庄屋以下の農村自治役人であり、在役人と呼ばれた。在役人はまた郡政を担当する郡役人と、村政を担当する村役人に区分される。郡村行政の最高責任者が大庄屋で、藩初期の会見郡には4名が配置され、会見郡を4構に区分して各々の行政を分担した」という
  6. 志村三代、弓桁あや・編『映画俳優 池部良』(ワイズ出版)257p〜263p。
  7. 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号) より、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)。
  8. われら関西鳥取人 - 皿井昭子
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 司葉子と相田翔子の姑問題が円満解決』
  10. 『人事興信録. 第8版』(昭和3年)シ九五
  11. 『米子商業史』118頁

参考文献

  • 朝日新聞社 『新・人国記④』昭和38年(1963年) 137-138頁
  • 相澤英之・司葉子 『結婚してから八年め』 学習研究社
  • 中村深海『永遠の東宝映画俳優』司葉子インタビュー くまがい書房、2014年

関連項目

外部リンク