「原宿」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(居住その他ゆかりある人物: 追加)
 
(外部リンク)
 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
 
{{otheruses|東京都渋谷区の一地区|そのほかの原宿|原宿 (曖昧さ回避)}}
 
{{otheruses|東京都渋谷区の一地区|そのほかの原宿|原宿 (曖昧さ回避)}}
 
{{Pathnav|日本|東京都|渋谷区|frame=1}}
 
{{Pathnav|日本|東京都|渋谷区|frame=1}}
[[ファイル:Takeshita st.jpg|thumb|[[竹下通り]]]]
 
[[ファイル:Omotesando 2007 b.JPG|thumb|[[表参道 (原宿)|表参道]]]]
 
  
'''原宿'''(はらじゅく)は、[[東京都]][[渋谷区]]の一地区。
+
'''原宿'''(はらじゅく)
# [[原宿駅]]周辺から[[表参道 (原宿)|表参道]]周辺にかけての汎称地名。
 
#: 現在の「[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]」の町域が、その大部分を占める。
 
# [[1965年]]([[昭和]]40年)に廃止された町名。
 
#: 原宿一丁目から三丁目までの町域があり、表参道の北側、現在の神宮前一丁目から四丁目が相当するが、原宿駅(当時の町名は隠田三丁目)や[[竹下通り]]周辺(同、竹下町)は町域外であった。
 
 
 
== 概要 ==
 
現在広く「原宿」として認識される地域のうち、[[明治通り (東京都)|明治通り]]や旧渋谷川(穏田川。現在は「キャット・ストリート」と呼ばれることもある遊歩道([[旧渋谷川遊歩道路]])となっている)に近い低地部周辺は、かつて「[[穏田]](おんでん)」と呼ばれており、[[1965年]]([[昭和]]40年)以前の町名で「原宿」に相当していたのは、[[表参道 (原宿)|表参道]]の北側、現在の[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]2丁目の町域のうち[[青山 (東京都港区)|青山]]寄りの台地部分、神宮前3丁目の多くの部分、神宮前1丁目のうち[[東郷神社 (渋谷区)|東郷神社]]からその裏手に続く台地部分などのみであった。一方、[[原宿駅]]から[[竹下通り]]周辺は「竹下町」と呼ばれていた。1965年(昭和40年)以降には、この一帯の町名はすべて「神宮前」で統一され、「原宿」の町名は廃止された。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 江戸時代以前 ===
 
[[ファイル:Watermill at Onden.jpg|thumb|[[富嶽三十六景]]「隠田の水車」]]
 
江戸時代以前は[[鎌倉街道]]の宿場町があった。[[後三年の役]]の際には[[源義家]]がこの辺りで軍勢を揃えたとも言われ、この坂は勢揃い坂(現在の神宮前2丁目)と呼ばれている。[[1582年]]の[[本能寺の変]]の際に[[徳川家康]]を[[堺市|堺]]から[[三河]]まで無事に帰国させた「[[伊賀越え]]」の行賞として、[[1590年]]に伊賀者に[[穏田|穏田村]]とともに原宿村が与えられた、という記述もある。
 
 
 
[[江戸時代]]に入ると、[[甲州街道]]の南にある原宿には[[江戸]]の防衛のために伊賀衆の組屋敷が置かれた。また、[[安芸藩]]藩主[[浅野家]]の[[江戸屋敷]](現在の神宮前4・5丁目)のほかに、数多くの[[幕臣]]の屋敷もあった。農民の暮らしはというと、[[渋谷川]]などでの[[水車]]による精米、製粉が中心であった。しかし、やせた土地であったために生産は上がらず、生活は苦しかった。そのために農民は[[雨乞い]]をよく行っていたという。[[丹沢]]の[[大山阿夫利神社]]や[[榛名山]]に日帰りで詣でた、という話も残されている。
 
 
 
====地誌による記載====
 
[[江戸時代]]末期に著された[[地誌]] 『[[新編武蔵風土記稿]]』は、原宿について次のように記載している:
 
 
 
「原宿町。当所は古へ[[相模国]][[鎌倉]]より[[奥州街道|奥州筋]]の往還係て[[宿駅]]を置し所故此の名ありと、また村内[[龍巌寺 (渋谷区)|竜岩寺]]の伝に、往昔[[源義家]]奥州下向の時、[[渋谷城]]に滞溜し当所にて軍勢着到せし故、今に[[門前]]の坂を[[勢揃坂]]と唱ふと云、当時[[街道]]なりし事証すへし、村の東[[青山 (東京都港区)|青山五十人町]]の通衛は今も相模国[[矢倉沢往還|矢倉沢に達する往還]]なり」
 
 
 
=== 明治時代以降 ===
 
[[江戸時代]]が終焉を迎えた1868年(慶應4年)の時点では、原宿村は[[幕府領]]となっていた。同年6月、原宿村を含む現在の渋谷区の区域にあった町村は、同年に任命された[[武蔵知県事]]・松村長為の管轄とされたが、原宿村は同年(明治元年)11月、[[東京府]]の管轄に再編された。
 
 
 
1879年(明治11年)、[[郡区町村編制法]]が施行され、原宿村が旧来から含まれていた旧武蔵国豊島郡の地域には[[南豊島郡]]と[[北豊島郡]]が新設され、原宿村は南豊島郡に属することとなった。
 
 
 
[[1889年]](明治22年)、[[町村制]]が施行され、原宿村は[[穏田|穏田村]]、[[千駄ヶ谷村]]と合併、[[南豊島郡]]千駄ヶ谷村の一部となった。7年後の[[1896年]](明治29年)、南豊島郡は[[東多摩郡]]と合併して[[豊多摩郡]]となったことから、原宿の所属も豊多摩郡千駄ヶ谷村に変わった。
 
 
 
==== 終戦直後まで ====
 
[[ファイル:Meiji-Jingu-Shrine-05.jpg|thumb|[[明治神宮]]]]
 
{{see also|表参道 (原宿)#歴史}}
 
[[1906年]]([[明治]]39年)の[[山手線]]延伸により[[原宿駅]]が開業、[[1919年]]([[大正]]8年)には[[明治神宮]]創建に合わせて[[表参道 (原宿)|表参道]]が整備された。<!--当時は野生の狸などが出没する広大な空き地であった。→どこ?-->
 
 
 
[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])末期の[[1945年]](昭和20年)、[[アメリカ軍]]による[[東京大空襲]]により一帯は焦土と化した<ref name="takeshitaofficial">[http://www.takeshita-street.com/about.html 原宿竹下通りの歩み] 原宿竹下通り商店会について 『竹下通りオフィシャルマップ』 平成23年7月15日閲覧</ref>。<!--戦時中の空襲では下町で焼死した住民たちの遺体が集められ荼毘に付される場所となった。→原宿のどこ?要出典-->終戦後は接収された[[代々木錬兵場]]跡地に[[米空軍]]の兵舎「ワシントンハイツ」が建設され、表参道沿いには[[キディランド]]、オリエンタルバザー、富士鳥居といった米軍将兵とその家族向けの店が営業を始めるようになった。
 
 
 
==== 1960年代 ====
 
[[File:Harajuku-Apartments.jpg|thumb|left|180px|原宿アパートメンツ<br/>(2010年)]]
 
[[File:Coop-Olympia-Harajuku-02.jpg|thumb|left|180px|[[コープオリンピア]]<br/>(2010年)<br/>2014年に[[歩道橋]]は撤去された]]
 
[[1960年代]]には[[住居表示]]の実施によって、それまで[[原宿駅]]周辺から[[青山通り]]にかけての住所であった、[[渋谷区]]「[[竹下町]]」、「[[穏田]]1~3丁目」、「原宿1~3丁目」は、すべて渋谷区「[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]」に変わった。[[1964年]]([[昭和]]39年)には、近隣の[[代々木体育館]]などを会場として、[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]が開催されている。
 
 
 
[[1966年]]([[昭和]]41年)から翌年にかけては、[[明治通り (東京都)|明治通り]]と表参道の交差点付近に開店した「ドライブイン・ルート5<ref>所在地は現在の[[ラフォーレ原宿]]付近</ref>」に夜な夜な車で乗り付け集う裕福な家庭の子女らが見られるようになった。これらの若者は「原宿族」と呼ばれたが、[[表参道 (原宿)|表参道]]を疾走する自動車の騒音をはじめ<ref>連中は車で[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]や[[横浜市|横浜]]([[山下町 (横浜市)|山下町]]、[[本牧]])などへ向かっていったという</ref>、風紀を乱すとして地元住民とあいだでは問題となった。
 
 
 
また、[[1962年]]([[昭和]]37年)の[[区分所有法|マンション法]]施行に伴う「第一次マンションブーム」によって高級[[マンション]]が相次いで建築されたのもこの頃である<ref name="nomucom">[http://www.nomu.com/mansion/library/theater/history.html 分譲マンションの歴史] 『不動産情報サイト nomu.com』 野村不動産アーバンネット株式会社、平成23年12月22日閲覧</ref>。郊外では[[住宅都市整備公団]](当時)による「[[団地|団地型]]」集合住宅が大量供給された一方、都心部では[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]による全く新しい住み方の提案としての高級マンションが建築され<ref name="nomucom"/>、それら黎明期の[[マンション|高級マンション]]の建築が最も集中していたのが原宿・渋谷地区であった<ref name="nomucom"/>。
 
 
 
原宿に作られたマンションで最も初期のもののひとつは[[1958年]](昭和33年)に第一生命住宅(現在の相互住宅)<ref>後に第一マンションズシリーズを建設。</ref>が原宿駅前に建築したデラックス賃貸[[アパートメント]]「原宿アパートメンツ」であり、[[1960年]](昭和35年)には[[浅井慎平]]や[[タモリ]]ら文化人が居住したことでも知られる原宿セントラルアパート<ref>[[浅井慎平]]や[[タモリ]]が居住したことでも知られるが、[[1986年]](昭和61年)に取り壊された</ref>も竣工した<ref name="takeshitaofficial"/>。また、[[1965年]](昭和40年)完成の[[コープオリンピア]]は、第一次マンションブームにおける高級マンションの代表例とされる<ref name="nomucom"/>。<!--まだ住宅ローンは一部の富裕層に限られていたこの時代、最上階にのみ存在する1億円に達する部屋を某人気映画女優が一括払いで購入したことで「億ション」として話題になった-->さらに同年、富士アパート分譲による「グリーン・ファンタジア」、そして「パーク・ハイツ」、翌[[1966年]](昭和41年)には「コーポ・オリンピア・アネックス」<ref>コープ・オリンピアとは無関係。</ref>と表参道沿いには当時「ホテルのような設備と快適さ」を謳い文句としていた全館集中冷暖房のデラックス・マンションが軒を連ね、この頃より、これら豪華なマンション群を背景とした雑誌の撮影なども行われるようになった<ref>[[装苑]]、[[ドレスメーキング (雑誌)|ドレスメーキング]]、[[メンズクラブ]]、[[エムシーシスター |mcシスター]]など</ref>。
 
 
 
ファッション関連では[[1959年]](昭和34年)、原宿地区初のモデル・クラブである「エディ・アラブ・モデル・プロダクション」(現・イイプロモーション)が発足、1966年(昭和41年)には原宿地区初の本格的ブティックである、マドモアゼルノンノンが開店している。こうして翌1967年に入ると現在の神宮前交差点から北側の明治通り沿いには従来の飲食店に加え、洒落た喫茶店やアクセサリー店なども開店するようになり、同じ頃ニット製品のgimや靴下で知られるモンドも現在は[[裏原宿]]と呼ばれる地域で産声を上げている。
 
 
 
==== 1970年代 ====
 
[[1970年代]]に入ると、ファッションを中心とする[[若者文化]]は、従来の[[新宿]]より次第に原宿から[[渋谷]]方面へと推移していった。[[1970年]](昭和45年)に創刊された『[[an・an]]』と翌年創刊の同じく女性向け[[ファッション雑誌]]である『[[non-no]]』は挙って原宿をお洒落な街として取り上げ、やがてそれらの雑誌を片手に原宿を闊歩する若い女性達のことを[[アンノン族]]と呼ぶようになった。
 
 
 
[[1971年]](昭和46年)、[[東郷神社]]が運営し、ヨーロッパのファッション衣料やアクセサリー、家具などを販売する複合ビル「パレフランス」が[[竹下通り]]出口付近の明治通り沿いに竣工した<ref name="takeshitaofficial"/>。翌年には[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](当時)の[[東京メトロ千代田線|千代田線]]が全面開通し、[[明治神宮前駅]]が設置された<ref name="takeshitaofficial"/>。[[1976年]](昭和51年)頃からは、表通りを離れた竹下通りまでをもファッションの波が押し寄せ始めることとなった<ref name="takeshitaofficial"/>。
 
 
 
[[1978年]](昭和53年)、ファッションビル「[[ラフォーレ原宿]]」が開業、この頃になると原宿はファッション・[[アパレル]]の中心として広く知られるようになっていた。マンションには[[デザイン事務所]]などが挙って入居、その中でも原宿セントラルアパートは[[デザイナー]]や[[カメラマン]]などの[[クリエーター]]達が事務所を構え、文化を牽引した。当アパート1階にあった喫茶レオンは浅井慎平、タモリ、[[渥美清]]、[[伊丹十三]]、[[操上和美]]ら芸能人や表現者、裕福な人々が集う場所として70年代には注目を集めた。また大川ひとみは原宿セントラルアパート内の小さなショップから[[MILK]]をスタートさせた。
 
 
 
==== 1980年代 ====
 
[[1980年代]]に入ると女性アイドル歌手が芸能誌などで着用する衣装としても需要が高まる。そして文化屋雑貨が開店した時は評判となる。
 
 
 
[[1982年]] - [[1984年]]、日本初のライブバー「ピテカントロプスエレクトス」が[[桑原茂一]]により営まれ、[[スネークマンショー]]などのヒット作がうまれた。
 
 
 
1980年代になると[[竹の子族]]の影響により、[[竹下通り]]が発展。80年代後半は[[タレントショップ]]が増える。[[1977年]](昭和52年)から始まった[[歩行者天国]](ホコ天)にはたくさんの若者が集まり、ロックンローラー族やホコ天バンドブームが起き最盛期には日に10万人が集まった。しかし、[[1998年]]([[平成]]10年)[[8月31日]]をもって、原宿の歩行者天国は廃止された。
 
 
 
==== 1990年代以降 ====
 
[[ファイル:Omote-sando03s3200.jpg|thumb|[[表参道ヒルズ]]]]
 
[[1990年代]]は表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープンした。その傍ら、[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]三丁目、神宮前四丁目の住宅地には新たなファッショントレンドの店が並び、「[[裏原宿]](ウラハラ)」と呼ばれる一角が形成された。[[2006年]](平成18年)には[[表参道ヒルズ]]がオープン。[[2008年]](平成20年)には[[東京メトロ副都心線]]が開業し、これからも発展が予測される。
 
また2010年以降ではファッションだけでなくポップコーン、パンケーキといった海外からの食品ブームの国内の主要発信地としての役割も増してきている。
 
{{-}}
 
===== 原宿KAWAii文化の流行 =====
 
[[ファイル:Kawaii monstar cafe.jpg|thumb|増田セバスチャンプロデュース「カワイイモンスターカフェ」]]
 
[[1995年]]に[[増田セバスチャン]]による表現の場として、センセーショナル・カワイイというコンセプトによる6%DOKIDOKIという店がオープンした。このコンセプトは若者を中心に大いに受け入れられ、[[シノラー]]や、それに続く[[青文字系]]を生み出した。[[2000年代]]に入り、[[アソビシステム]]社長の[[中川悠介]]により、原宿におけるその他の流行も含めて、原宿の特異な文化が原宿KAWAii文化と総称された。[[アソビシステム]]による原宿KAWAii文化の世界的売り出し戦略の実行もあり、原宿の文化は国内のみならず、世界的にも注目を集めた。
 
{{-}}
 
====他の町に組み入れられた原宿====
 
*'''青山''' 元々江戸期には「青山原宿村」と呼称されるなど、隣接する[[青山 (東京都港区)|青山]]地区との関連は深かったが、[[1738年]]に町並が立ち並んだ箇所に青山原宿町と青山久保町が起立した。ただし、これは[[1872年]]に青山北町五丁目に組み入れられ、現在は[[港区 (東京都)|港区]][[北青山]]三丁目になっている。1889年[[5月1日]]に字竹ノ下の一部が[[赤坂区]]に編入された。また、原宿村には[[飛地]]が存在し、[[青山霊園|青山墓地]]下の[[笄川]]沿いに字五反田が存在していたが、同じ1889年5月1日に北半分が赤坂区に編入された。1891年に編入された地域も含めそれぞれ青山南町五丁目(現・港区[[南青山]]四丁目)に編入された。時代は下って[[1966年]]の[[住居表示]]実施の際にも原宿一丁目の一部([[東京都立青山高等学校]]の周辺)が港区北青山二丁目にそれぞれ編入されている。
 
*'''西麻布・六本木''' 上述の[[飛地]]字五反田の南半分は1889年5月1日に[[麻布区]]に編入され、1891年に隣接する麻布[[笄町]](現・港区[[西麻布]]二丁目)・麻布[[霞町]](現・西麻布一丁目)・麻布新龍土町(現・[[六本木]]七丁目)に、それぞれ編入された。
 
 
 
=== かつて存在した施設 ===
 
* ドライブイン・ルート5(→[[ラフォーレ原宿]])
 
* 八角亭([[1960年代]]、原宿地区唯一の朝鮮焼肉店で現在は八角館ビル)
 
* [[同潤会]]アパート
 
* パレフランス
 
* 原宿セントラルアパート(→ティーズ原宿→解体)
 
* [[森英恵|ハナエモリ]]ビル(→解体)
 
** [[三菱UFJ銀行]]表参道支店
 
* 表参道[[ビブレ]]
 
* {{Smaller|[[ママ]]と[[こども]]のデパート}}[[小田急グループ|原宿カリヨン館]](→[[FOREVER 21]])
 
* [[HMV]]
 
* {{Smaller|[[若槻千夏]]プロデュース}}[http://wakatsuki-chinatsu-wc.jp WC]原宿WEGO店
 
* ペー・ジェー・セー・デー本社(→[[民事再生手続]]→[[破産]])
 
* [[メナード]]ビレック原宿ルセーヌ店
 
* エヌズゲーム表参道店(→民事再生手続→破産)
 
* [[りそなクイックロビー|りそな銀行原宿出張所]](→I.T.'S.インターナショナル)
 
* [[コクド]]本社
 
* 交通局病院([[東京都交通局]])
 
 
 
== 地名の変遷 ==
 
[[ファイル:Harajuku 2 Street sign.JPG|thumb|right|140px|原宿二丁目の地名を残す商店街 ([[2011年]]、[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]四丁目)]]
 
{{see also|渋谷区の町名}}
 
* [[1871年]] - [[東京府]][[豊島郡 (武蔵国)|豊嶋郡]]原宿村([[廃藩置県]]により)
 
* [[1878年]] - 東京府[[南豊島郡]]原宿村([[郡区町村編制法]]により)
 
* [[1889年]] - 東京府南豊島郡[[千駄ヶ谷町|千駄ヶ谷村]]大字原宿(千駄ヶ谷村に編入)
 
* [[1896年]] - 東京府[[豊多摩郡]]千駄ヶ谷村大字原宿
 
* [[1907年]] - 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字原宿([[町村制|町制]]施行)
 
* [[1932年]] - 東京府[[東京市]][[渋谷区]]原宿(東京市に編入、竹下町を分離)
 
* [[1943年]] - [[東京都]]渋谷区原宿(東京都制施行)
 
* [[1965年]] - 東京都渋谷区[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]](隠田、竹下町と共に改称)<ref>同年6月15日、自治省告示第91号「住居表示が実施された件」</ref>
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!実施後
 
!実施年月日
 
!実施前(各町名ともその一部)
 
|-
 
|[[神宮前 (渋谷区)|神宮前]]一丁目
 
| rowspan="4" |[[1965年]][[3月1日]]
 
|竹下町、代々木外輪町、穏田一丁目、穏田三丁目および原宿三丁目
 
|-
 
|神宮前二丁目
 
|原宿一丁目、原宿三丁目および千駄ヶ谷二丁目
 
|-
 
|神宮前三丁目
 
|原宿一丁目、原宿二丁目および原宿三丁目
 
|-
 
|神宮前四丁目
 
|穏田一丁目、原宿二丁目および原宿三丁目
 
|}
 
 
 
== 観光 ==
 
{{Seealso|表参道 (原宿)|神宮前 (渋谷区)}}
 
* [[竹下通り]]
 
* [[裏原宿]]
 
* [[ラフォーレ原宿]]
 
* [[表参道ヒルズ]]
 
* [[FOREVER 21]]
 
* [http://theterminal.jp/about.html THE TERMINAL]
 
* [[キデイランド]]原宿店(建替え中)
 
* [[東郷神社 (渋谷区)|東郷神社]]
 
* 太田記念美術館
 
 
 
== 交通 ==
 
[[ファイル:Harajuku Station Tokyo.jpg|thumb|right|200px|原宿駅]]
 
* 鉄道
 
** [[原宿駅]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[山手線]]
 
** [[明治神宮前駅|明治神宮前〈原宿〉駅]] - [[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京メトロ千代田線|千代田線]]、[[東京メトロ副都心線|副都心線]]
 
* 道路
 
** [[明治通り (東京都)|明治通り]]([[東京都道305号芝新宿王子線]])
 
** 表参道([[東京都道413号赤坂杉並線]])
 
** 外苑西通り([[東京都道418号北品川四谷線]])
 
 
 
== 原宿を舞台とした作品 ==
 
; 楽曲
 
{{See also|東京都のご当地ソング一覧#23区}}
 
* [[パープル・シャドウズ]]「別れても好きな人」 - 歌詞中に「原宿」が出てくる。後述のロス・インディオス&シルヴィアの[[カバー]]で大ヒットした。
 
* [[麻丘めぐみ]]「原宿グラフィティ」
 
* [[ロス・インディオス]]&[[シルヴィア (歌手)|シルヴィア]]「それぞれの原宿」
 
* [[田原俊彦]]「[[原宿キッス]]」
 
* [[高田みづえ]]「[[原宿メモリー]]」
 
 
 
; ゲーム
 
* [[幻影異聞録♯FE]] - ゲーム中のマップのひとつとして竹下通りが登場する。
 
 
 
== 居住その他ゆかりある人物 ==
 
{{See|穏田#歴史上の居住者}}
 
{{See|神宮前 (渋谷区)#居住その他ゆかりある人物}}
 
* [[徳富蘆花]] - 作家
 
* [[北田正元]] - 外交官<!--出典付き当人記事より-->
 
* [[宮澤喜一]] - 内閣総理大臣、大蔵官僚
 
* [[岸田文武]] - 政治家、通産官僚
 
* [[京マチ子]] - 女優。[[コープオリンピア]](厳密には旧[[穏田]]3丁目)に居住<ref>神宮前六丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会 1994年12月25日発行</ref>
 
* [[小宮山雄飛]] - ミュージシャン、カレー研究家
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[青文字系]] - 主に原宿を発信地とする文化。
 
* [[巣鴨]] (東京都豊島区)- 年配客が多いため、若い来訪者が多い原宿と対比して『[[おばあさん|おばあちゃん]]の原宿』と呼ばれることがある。
 
  
 +
東京都渋谷区東部,JR原宿駅周辺地区の通称。旧町名。かつて相模国から奥州へ行くための鎌倉街道の[[宿駅]]があった。現在は高級住宅地および若者ファッションの発信地として有名。[[明治神宮]]の表参道は,美しいケヤキ並木の遊歩道に沿って流行の飲食店やブティックが並び,独特の雰囲気をもち,若者に人気がある。
 +
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Harajuku}}
 
{{Wikibooks|en:Enjoy Tokyo/Harajuku}}
 
 
* [http://kawaii.com/ Kawaii.com - KAWAII is the social network of all "kawaii" fans dedicated to cute fashion and urban popculture from Harajuku]
 
* [http://kawaii.com/ Kawaii.com - KAWAII is the social network of all "kawaii" fans dedicated to cute fashion and urban popculture from Harajuku]
 
* [http://www.harajukushinbun.jp/ 原宿新聞 - 原宿エリアの最新ニュース] 原宿新聞編集部
 
* [http://www.harajukushinbun.jp/ 原宿新聞 - 原宿エリアの最新ニュース] 原宿新聞編集部
 
* [http://www.harajuku-ss.com/index.html 原宿スーパーステーション] 商店街振興組合原宿表参道欅会
 
* [http://www.harajuku-ss.com/index.html 原宿スーパーステーション] 商店街振興組合原宿表参道欅会
 +
  
 
{{東京23区の地域}}
 
{{東京23区の地域}}
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{デフォルトソート:はらしゆく}}
 
{{デフォルトソート:はらしゆく}}
 
[[Category:原宿|*]]
 
[[Category:原宿|*]]

2018/10/9/ (火) 07:27時点における最新版

日本 > 東京都 > 渋谷区 > 原宿

原宿(はらじゅく)

東京都渋谷区東部,JR原宿駅周辺地区の通称。旧町名。かつて相模国から奥州へ行くための鎌倉街道の宿駅があった。現在は高級住宅地および若者ファッションの発信地として有名。明治神宮の表参道は,美しいケヤキ並木の遊歩道に沿って流行の飲食店やブティックが並び,独特の雰囲気をもち,若者に人気がある。

外部リンク




楽天市場検索: