南海放送

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南海放送
基本情報
英名 Nankai Broadcasting Co., Ltd.
略称 RNB
本社 〒790-8510
愛媛県松山市本町一丁目1番地1
北緯33度50分27秒
東経132度45分30.5秒
演奏所 本社と同じ
公式サイト http://www.rnb.co.jp/
ラジオ
放送対象地域 愛媛県
系列 JRNNRN
愛称 南海放送
南海放送ラジオ
呼出符号 JOAF
開局日 1953年10月1日
親局 / 出力 松山 1116kHz /  5kW
主な中継局 #ラジオ放送所を参照
テレビ
放送対象地域 愛媛県
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
呼出符号 JOAF-DTV
開局日 1958年12月1日
リモコンキーID 4
デジタル親局 松山 20ch
アナログ親局 松山 10ch
ガイドチャンネル 10ch
特記事項:

  • 旧愛称:ラジオ南海
  • 一時期ANNニュースを放送していたことがある。
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ファイル:RNB Hon-machi.jpg
2006年8月からの本社・演奏所
南海放送 本町会館(通称:メディアパーク)

南海放送株式会社(なんかいほうそう、Nankai Broadcasting Co., Ltd.)は、愛媛県放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。 略称はRNB(ラジオ開局当初のRadio Nankai Broadcastingから) 本社は愛媛県松山市本町1丁目1番地1(790-8510)。

Contents

概要

日本テレビ系列のリモコンキーID地図
  • 松山地区におけるラジオ局のコールサインはJOAF(1116kHz)、テレビ局のコールサインはJOAF-DTV(デジタル:20ch、リモコンキーID:4)。なお、かつて地域別の番組を放送している時間帯があったことから、ラジオにおいては複数のコールサインが存在する。(アナログテレビ放送では、松山のほかに新居浜用のコールサインが存在していた。)
  • 社名の南海は、放送エリアを意識したもので、南海電気鉄道(大阪)との人材・資本関係はない。
  • 系列新聞は愛媛新聞。ニュース名称はラジオ「愛媛新聞ニュース」、TV「なんかいNEWS」(ラジオ・TVとで別々のニュース名称を使用。TVニュースは1986年9月まで南海放送ニュースとして放送された)。
  • テレビNNN系列。ラジオJRN系列とNRN系列のクロスネット。
  • 愛媛県にはテレビ東京の系列局がないために、在愛各局がテレビ東京の番組の一部も時差で放送しているが、中でも南海放送が最も多く放送している。
  • 自社制作番組も多数放送されていて、そのPRのため伊予鉄バスに同社の番組広告をラッピングしたバスが運行されたことがある。
  • ラジオのナイターシーズンのプロ野球中継のタイトルは「RNBドリームナイター」(2005年〜)。
  • イメージキャラクターは「ウィット」で、2006年4月2日よりヤギの「ジェントル!」に変わり南海放送の顔となった。
    • 名前の由来 wit…「気のきいた会話や文章などを生み出す才知・機知・とんち」witness…「〜を目撃する、(まのあたりに)見る、目にする」なお、作者としては南海放送の「なんかい」は伊予弁であり、意味は「なんですか?」である。その「なんですか?」は英語で「What Is This?」その頭をとってwitという由来もあったらしい。また、「Nancy16」(ナンシーシックスティーン)という愛称もあった。 [1]
  • アニメの放映に積極的で、全日アニメ・深夜アニメ共に在愛局のうち最も放映実績がある。
  • テレビの平日のローカルニュースは、1986年9月29日から17時台開始と、意欲的な編成を行う。
  • また、ラジオのマルチメディア化にも熱心であり、全国初のAMラジオのCATVサイマル放送や、ローカル局初の動画つきインターネットラジオをスタートさせる(後にradikoとの併用になる)、更にはFM補完局の設置によるFM放送への進出など県内唯一のラ・テ兼営局として工夫を凝らし続けている。
  • 2017年からのキャッチコピーは「ゆめモグ 南海放送(なんかいほうそう)[2]2018年は開局65周年バージョンとして、「そだて、みんなのみらい。ゆめモグ65th 南海放送(なんかいほうそう)」としている。

本社・支社・支局所在地

2006年(平成18年)8月1日、本社機能を「本町会館(通称:メディアパーク)」(松山市本町1丁目)に移転した。これは地上デジタル放送に対応するための措置で、伊予市・行道山のUHF送信所が見通せないため移転せざるを得なかったことが大きな理由。

本社演奏所の変遷

初代社屋(松前町・城山送信所)

開局当時の松前町(まさきまち)にあった社屋はラジオ単営の前提で作られていた為手狭である上、テレビ開局時点では送信所を無人化することも技術的な面で難しかったため、テレビ開局当時は、城山送信所内(松山市)にスタジオを構えて放送していた。その後6年間の間に次々に不便な面が浮き彫りになってきた。例えば、

  • 城山という山にあるが故の移動の不便さ。ニュースの度に担当アナウンサーや原稿や映像を届けるスタッフが本社から送信所まで山を往復しないといけなかった。
  • 業務の離散状態。1か所での業務の方が明らかに効率は良い。
  • 本社と同様にテレビ局舎もコンパクトなつくりだったため、同じように手狭になってきた。

などといったことが挙げられる。

初代社屋から樋又へ

こうした面から、1964年に松山市道後樋又に放送会館を移転。本社機能とラジオ・テレビの拠点を一体化した(その際に、テレビ親局の無人化も果たす)。初代社屋のあった敷地は、現在は愛媛新聞社に売却されており、愛媛新聞・愛媛電算ビルの一部となっており現存しない。ここは、松山市松前町とされていたが、建物登記による境界線の変更により、現在の住所表示は松山市大手町1丁目となっている。

地上デジタル放送開始の壁と本町会館への移転

地上デジタル放送の開始に伴い、それまでアナログ放送をVHF帯で放送していた南海放送とNHK松山放送局の松山親局は、地上デジタル放送開始に伴いUHF帯に移行するため、アナログ放送時代からUHF帯で放送していた県内他社3局の親局と同じ伊予市行道山に移設することを決定。しかし、樋又の社屋からの伊予市へSTL送出が困難であることが判明(行道山に直接送出出来ないため一度城山送信所経由で行道山にマイクロ波を送る必要があったが、既に使用開始から50年近く経過した城山の鉄塔にSTL用のパラボラアンテナを新たに追加するだけの強度はなかったため)、さらに40年以上使用した本社も老朽化していた(1988年に旧スタジオ棟部分に新館などを増築したが、主要業務を行う本館は基本的に1964年当時のままだった)。

そこで、南海放送学苑などの文化的活動に使われていた本町会館内部を改築し放送業務が出来る状態にした上で新本社として城山アナログ、行道山デジタル、サンパーク内ラジオの各送信所に向けて送信する新体制を敷いた。

移転は3段階に分けて実施した。

  • まず、2006年8月1日に本社機能を移転。
  • 8月4日に地上デジタル放送のサイマル試験放送を開始(本放送と同じ編成で実施しているが、一部ローカルニュースなどはアナログに先駆けて本町会館からの放送を行った)、6日深夜(7日早朝)にアナログ放送の旧社屋からの放送を終了、翌朝5:18に本町からの放送を開始した(ズームイン!!SUPERのローカル差替枠が自社制作枠の最初の放送。同日夕方から放送時間を拡大してリニューアルしたおかえりテレビが、自社制作最初の番組となった)。
  • その後、11月13日の放送を以ってラジオ業務も本町に移転し、42年間続いた樋又の放送会館はその役割を終えた。このあと樋又放送会館の土地も、松山大学に売却されたのち取壊されたため現存しない。

南海放送本町会館(現在の社屋)

1976年(昭和51年)10月、増築用として購入していた初代社屋跡の隣接する土地へ落成。建物は、地上9F、地下1F建て。文化活動(南海放送学苑)や貸ホール(結婚式場など)として活用されていた。

前述の通り、地上デジタル放送に対応した全面改修を施すため、2003年3月に鉄塔を増築、2005年11月まで改装工事が進められ、2006年8月に登記上本社を本町会館に移転した(テレビは8月6日、ラジオは11月14日から本町会館での放送を開始)。これにより、樋又移転以来42年ぶりにかつての本社周辺地域に放送拠点が置かれることとなった。落成当時から1Fにあるテルスターホールは、530平方mあり、約550名を収容することができる。他にもスカーレットホールがある。

資本構成

企業・団体は当時の名称。出典:[3][4][5][6]

2016年3月31日

資本金 授権資本 1株 発行済株式総数 株主数
3億6000万円 5億円 5万円 7,200株 360
株主 株式数 比率
愛媛新聞社 424株 5.88%
明治安田生命保険 380株 5.27%
伊予銀行 359株 4.98%
愛媛銀行 359株 4.98%
伊予鉄道 346株 4.80%
伊予トータルサービス 300株 4.16%
南海放送従業員持株会 291株 4.04%
井関農機 240株 3.33%
愛媛県 200株 2.77%
日本テレビ放送網 200株 2.77%

過去の資本構成

関連子会社

  • 南海放送サービス(広告制作)
  • 南海放送音響照明(設備の施工販売)
  • RNBコーポレーション(人材派遣、放送業務委託)

沿革

  • 1953年(昭和28年)
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 新居浜ラジオ局(800kc)・宇和島ラジオ局(1560kc)開局(各局とも出力100W)、並びに松山ラジオ局が全日1kW運用開始
  • 1958年(昭和33年)12月1日 - テレビ放送開始(呼称 -南海放送テレビ、コールサイン -JOAF-TV、10チャンネル、出力 -5kW)
  • 1959年(昭和34年)
  • 1960年(昭和35年)6月1日 - 新居浜テレビ局、開局(コールサイン -JOAL-TV、6チャンネル、出力 -250W)
  • 1962年(昭和37年)
    • 10月1日 - 宇和島ラジオ局、周波数を1530kcに変更
    • 12月27日 - 松山ラジオ局、5kWに増力
  • 1963年(昭和38年)8月13日 - 「ミュージックナイター」の第1回公演を松山市営球場で開催(その後も松山地区夏祭りの恒例行事の一つとして開催されていたが、球場取り壊しのため2003年(平成15年)夏をもって終了)
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月1日 - テレビ・ラジオでそれぞれ異なっていた呼称を正式社名である「南海放送」に統一(英字略称のRNBはそのまま)
    • 2月 - 3月6日 - 本社機能を松山市道後樋又6丁目に新築した「南海放送会館」に順次移転
    • 10月1日 - テレビ、カラー放送開始
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月2日 - ラジオネットワークJRN発足と同時に加盟
    • 6月20日 - 川之江テレビ局、開局(南海放送で初のUHFテレビ局)
    • 10月1日 - 新居浜ラジオ局、周波数を1560kcに変更
  • 1966年(昭和41年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月1日 - 若者向けラジオ番組「みゅーじっく・まらそん」放送開始、宇和島ラジオ局1kWに増力、テレビの時刻スーパーを開始。
    • 7月7日 - テレビ・週末ローカルワイド番組「なんかいサンデー8(エイト)」放送開始(1970年(昭和45年)4月からは放送時間変更に伴い、「なんかいサンデー9(ナイン)」に番組名変更)
  • 1969年(昭和44年)12月10日 - テレビ愛媛の開局に伴いフジテレビの番組が姿を消す。同時にTBSNETテレビ(現:テレビ朝日)の一部の番組も姿を消す。
  • 1970年(昭和45年)
  • 1972年(昭和47年)
  • 1973年(昭和48年)8月5日 - 愛媛県からの受託によるテレビ子育て支援番組「はばたけ3才」放送開始(のちの「すこやかえひめっ子」へとつながる)
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - テレビ「かどを曲がって三軒目」放送開始(当時から希薄になりがちだった地域コミュニティについて積極的に取り上げるなど、人気を博した)
  • 1975年(昭和50年)7月 - 松山ラジオ局敷地内に「あんてな公園」オープン
  • 1976年(昭和51年)
    • 9月 - 「かどを曲がって三軒目」放送終了
    • 10月1日 -「南海放送本町会館」オープン(多目的ホール・結婚式場・生涯学習や趣味講座(南海放送学苑)など、地域文化事業の拠点としての業務が始まる)
    • 10月4日 - テレビ「なんかいワイドニュースtoday」放送開始(県内で最初のローカルワイドニュース番組)
  • 1977年(昭和52年)
    • 9月 - 宇和島ラジオ局、現在の場所に移転
      • 八幡浜・今治 各ラジオ局が開局、全国で4番目の精密同一周波数(1120kHz・出力100W)による送信開始
  • 1978年(昭和53年)11月23日 - ラジオ・宇和島局以外の4局が周波数変更(松山・今治・八幡浜 -1116kHz、新居浜 -1557kHz)
  • 1979年(昭和54年)
    • 3月1日 - NRNに加盟、オールナイトニッポンなどのネット開始(JRNとのクロスネット局になる)
    • 10月19日 - 松山 - 宇和島間 自営マイクロ回線運用開始(宇和島テレビ局など南予各局の画質・音質が向上)
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月15日 - AMステレオ公開実験(地方局で初めて。ただしこの時は本放送には至らず、一貫してAM放送はモノラル放送となっている。)
    • 12月3日 - 大洲ラジオ局(1233kHz)・12月5日 御荘ラジオ局(1431kHz)が開局(各局とも出力100W)
  • 1982年(昭和57年)
    • 1月29日 - 音質改善を目的に、ラジオにプリエンファシス方式導入(日本初)。ニッポン放送からも技術者が視察に訪れるなど、大変注目された
    • 4月 - ラジオ「POPSヒコヒコタイム」放送開始(愛媛の本格的な洋楽情報番組としてその後20年間親しまれた)
    • 4月25日 - あんてな公園をリニューアル、「南海放送サンパーク」として新たに開園
  • 1983年(昭和58年)
    • 12月7日 - 松山ラジオ局、指向性つき送信を撤廃(これにより受信エリアが拡大)
    • 8月 - 「松山まつり前夜祭・サンパーク花火まつり」第1回開催
  • 1984年(昭和59年)
  • 1986年(昭和61年)
    • 8月1日 - ラジオ・テレホンサービス開始
    • 9月 - 「ザ・スケッチ」「なんかいワイドニュースtoday」放送終了(共に26日まで)、これら2番組を統合する形で「なんかいNEWS5-30」放送開始(29日から)
    • 9月8日 - お天気カメラ(本町会館屋上)運用開始。
  • 1987年(昭和62年)10月12日 - ラジオ番組「TODAY えひめ」放送開始。
  • 1988年(昭和63年)
    • 2月21日 - 県内最大のマラソン大会「愛媛マラソン」のテレビ中継開始
    • 4月16日 - 超ワイドラジオ番組「わいわい!サタデー」放送開始(南海放送初の早朝から夕方までの長時間ワイド番組。ABCの「わいわいサタデー」とは無関係)
    • 10月 - 開局35周年、旧テレビスタジオ跡地に建設した「新館」内に報道デスクとテレビスタジオを一体化した「ニュースセンター」を新設、サンパーク敷地内に「サンパーク美術館」を開館
    • 10月3日 - オーロラシステム(レコード管理検索)運用開始。
  • 1989年(平成元年)
  • 1990年(平成2年)7月19日 - テレビ、音声多重放送開始(本放送開始3日前の試験放送で主音声と副音声の回路結線を入れ違え、一部の番組やCMが「無音」になるハプニングもあった。この現象は当日6:30までに復旧)
  • 1991年(平成3年)4月7日 - 「もぎたてテレビ」放送開始(当初の番組名は「もぎたてテレビ10o'clock」)
    • 5月18日 - 聴取率調査連動企画「ラジオびっくりBOX」開始
  • 1992年(平成4年)
    • 4月1日 - ラジオ点字番組表発行開始
    • 10月1日 - あいテレビ開局によりTBS系列の番組の大半が移行。同時に番販でのJNN参加を取りやめる。
  • 1993年(平成5年)10月1日 - スポンサーの関係で残っていたすてきな出逢い いい朝8時などTBS系列の番組がこの日まであいテレビに移行し姿を消す。
  • 1994年(平成6年)9月29日 - 新居浜局以外の県内ラジオ周波数が1116kHzに統一、並びに「Nancy16」の愛称使用開始(現在は使用されていない)
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 愛媛朝日テレビの開局により、民間放送教育協会制作を除くテレビ朝日の番組が移行される。これにより、日本テレビ系列のフルネット局となる(マストバイ局としては、22局目)
  • 1996年(平成8年)
    • 4月1日 - 新居浜ラジオ局、1kWに増力並びに周波数を1116kHzに変更(ラジオ全局の周波数統一)
    • 11月1日 - 公式サイト開設
  • 1997年(平成9年)
    • 7月29日 - 松山ホステス殺害事件の容疑者、時効寸前に逮捕の一報をスクープ報道
    • 8月 - AMラジオ放送エリアを自動計算できるソフトウェアを自社開発
  • 1998年(平成10年)4月 - 字幕放送開始
  • 1999年(平成11年)4月 - 6月 - しまなみ海道開通記念特番がテレビ・ラジオで随時編成される
  • 2000年(平成12年)3月 - 会員制携帯電話サイト「Club-N」運用開始
  • 2001年(平成13年)
    • 3月24日 - 芸予地震報道
    • 4月20日 - スキップバックレコーダー運用開始(芸予地震発生前に発注していたものが納品される)
    • 7月10日 - 今治ラジオ局が廃局。この日以降は新居浜局の電波により、旧今治局エリアをカバーしている。
    • 8月10日 - 「サンパーク花火まつり」から、従来から地域で行われていた「三津浜花火大会」へ行事を統合、開催される
  • 2002年(平成14年)
    • 3月31日 - 「POPSヒコヒコタイム」放送終了(1982年の開始から20年、RNBを代表する長寿番組となった)
    • 9月30日 - サンパークの施設(美術館を除く)営業を休止
  • 2003年(平成15年)
    • 2月 - 壺神山山頂付近(伊予市と大洲市との境)に無線中継所を新設(地上デジタル時代の新たな県内ネットワークの拠点となる)
    • 4月 - 本町会館屋上鉄塔・壺神山中継所新築竣工式
    • 9月30日 - サンパーク美術館、休館。これによりサンパークは通常時閉鎖となるが、施設は愛媛FCの事務所・クラブハウス及びイベント会場用として残され、現在も不定期的に使用されている
    • 10月 - 開局50周年、ステーション・ロゴを従来のものより細字体のものに一新、イメージキャラクターとして「ヤギのジェントル」が登場
  • 2004年(平成16年)
    • 3月 - 「特急!なんかいNEWSプラス1」放送終了(「なんかいNEWS5-30」開始から17年6ヶ月の歴史に幕)
    • 4月 - 「おかえりテレビ」放送開始(現在のスタイルの夕方ワイド番組としては全国では後発組)
  • 2005年(平成17年)3月 - 1976年(昭和51年)から続いた本町会館業務が終了、新放送センター完成へ向け本格的な改装作業が開始、それに伴って本町会館で行われてきた多目的ホール・結婚式場・南海放送学苑は廃止
  • 2006年(平成18年)
    • 5月17日 - 伊予市行道山に地上デジタル放送用送信鉄塔が完成、竣工式(NHK松山放送局と共同で建設・運用)
    • 6月21日 - 地上デジタル放送、一般家庭で見られる状態での試験放送開始(県内テレビ5社局一斉)
    • 8月1日 - 本社機能(ラジオセンターを除く)を松山市本町にある南海放送本町会館に移転、同時に「メディアパーク」の愛称を制定(本町からのテレビ番組送出は8月7日から。デジタル放送では先駆けて8月1日から本町会館から本放送と同内容のサイマル放送を開始し、ローカルニュースはアナログに先行して本町会館から放送。これに伴い、アナログ送出マスターが、NEC製のデジタル対応マスターに統合。ラジオ移転後は、AM・アナログ・デジタルの番組を一括して送信する)。[7]
    • 9月25日 - 地上デジタルテレビジョン放送局の無線局免許状取得。
    • 10月1日 - 松山局エリアで地上デジタル放送本放送開始
    • 11月13日 - 前日の24:00をもって旧本社ラジオセンターからの放送を終了、すべての本社機能が本町会館に集約される
  • 2008年(平成20年) - 地球にECOしょプロジェクトスタート。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 3月31日 - ラジオ生ワイド担当パーソナリティーを、プレゼンターに任命。
    • 10月1日 - これまで、愛媛CATV四国中央TVとで行ってきたラジオ同時放送を発展させて、ウィットチャンネルを開局。この日から、すべての生ワイド番組において、CATV2局と同時放送になる。
    • 12月18日 - 全国のローカル局としては初めてインターネットラジオ(映像付きIPラジオ同時再送信(ウィットチャンネル))の実験放送を開始。当初は期間限定での予定だったが好評につき、現在も継続中。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 地上アナログテレビ放送終了、同時に新居浜テレビジョン放送局は廃局となりデジタル放送の基幹中継局に格下げとなった。
  • 2012年(平成24年)
    • 4月 - 公式フェイスブックページを開設。
    • 11月1日 - インターネットIPサイマルラジオ「radiko」に参加、実用化試験配信を開始。
    • 12月10日 - 14日 - スペシャルウィークの一環で、10年前に終了した「POPSヒコヒコタイム」が1週間限定で復活。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月31日 - ラジオのテレホンサービス終了。
    • 4月18日 - 愛媛CATV社と共同で銀天街(松山市湊町3)にサテライトスタジオ「エルスタ」をオープン。
    • 5月 - 太平洋核実験被害の真実を伝える「放射線を浴びたX年後」映画自主上映を含む報道活動により第50回ギャラクシー賞報道活動部門大賞を受賞。
    • 6月30日 - 自社SNSサービス「RNB*sns」を終了。
    • 9月 - 「放射線を浴びたX年後」により2013年日本民間放送連盟賞(特別表彰部門・放送と公共性)最優秀賞を受賞。
  • 2014年(平成26年)
    • 9月 - ラジオドラマ「風の男 〜BUZAEMON〜」により2014年日本民間放送連盟賞(番組部門・ラジオエンターテインメント番組)最優秀賞を受賞。
    • 10月31日 - Huluにて「もぎたてテレビ」のネット配信を開始。地方局制作のローカル番組がHuluで流れるのは初。
    • 11月3日 - 全国初AM・FM兼用放送局(FM補完中継局の第1号)として、FM試験電波発射。91.7MHz 松山親局[8]
    • 12月1日 - FM本放送開始。(愛称・Fnam(エフナン))[9]
  • 2015年(平成27年)
  • 2016年(平成28年)3月13日 - Fnam宇和島・八幡浜各局が開局し、カバー率80.9%に拡大[12]
  • 2017年(平成29年)
    • 1月 - 「南海放送アプリ」のソフトウェアエンジンをテレビ大分に提供。局公式アプリ「TOSアプリ」として公開。
    • 3月30日 FM補完中継局整備の補助金交付が決定[13]
    • 9月 - 「南海放送アプリ」のソフトウェアエンジンをサガテレビに提供。局公式アプリ「サガテレビアプリ」として公開。
    • 12月 - 「南海放送アプリ」のソフトウェアエンジンを日本テレビ放送網に提供。局公式アプリ「日テレアプリ」として公開。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月11日 - 22時30分~23時30分に、普段サイマル放送しているAMラジオとFMラジオにて、全く別の番組を同時に放送する「非サイマル放送」を実施。災害をテーマとした特別番組であり、AMは通常報道テイストの「Heisei earthquakes」、FM・ラジコは若者向けの「妄想系防災特番『IF・・・もしも』」[14]。大災害時における情報提供の手段としての技術的トライも兼ねる。

ラジオ

可聴区域

概要

  • 全局同一周波数放送を実施。月曜1:00〜4:00休止を除く24時間放送(NHKの拠点局を有する地域では唯一。4時を基点とする)。
  • かつては今治市に今治中継局(1116kHz、100W)も置かれていたが、1996年の新居浜中継局周波数変更および空中線電力増強の後、同局の放送電波との相互干渉を防ぐため、2001年7月に廃局となった。現在は東部を新居浜局、西部を松山局の電波がカバーしており、廃局による聴取不可エリアはほとんどない。
  • 以前の大洲中継局(大洲市五郎字岡558)は老朽化に伴い、現・大洲中継局設置のために大洲市高山寺山に実験局を設置していた(1233kHz、100W)。その後撤去されたが、後にテレビ中継局が置かれている高山寺山にラジオ送信所機能を移転した(既存のテレビ中継局に併設)。なお、大洲中継局は全国でも数少ないテレビ・AMラジオが一体型になった中継局であるが、鉄塔1本でのVHF・UHF・AMの放送波の組み合わせは、テレビのアナログ放送終了まで全国でも唯一ここだけであった(他の地域のテレビ・AMラジオ一体型の多くがアナログVHF・AMラジオの組み合わせとなっている)。さらにワイドFM中継局の設置に伴い、2015年からは同一放送事業者によるUHF・AM・FMの3波が同居する中継局となった。

ウイットチャンネル

  • ラジオの音声にスタジオの映像や県内各地のライブカメラの映像などを組み合わせた編成。(ただし、愛媛マラソン中継など一部別編成の場合もあり。)
  • 愛媛CATV四国中央テレビ今治CATVでは、全時間帯において放送している。
  • ハートネットワークにおいても、2011年6月から朝ワイド枠7時台と、RNBクイズショー「ザ・INAZO」の同時放送を開始した。
  • 南海放送IPラジオ実験として、CATV向け配信と同一内容を、愛媛県内エリア限定でインターネット配信している。これとは別にradikoでもネットラジオサイマル放送を行っている(有料会員制「radikoプレミアム・エリアフリー」により県外聴取者も利用可能)
  • 一部の番組を除き、Fnam、radiko、CATV同時放送、ウィットIPではステレオ音声で放送をしている[15]

ラジオ放送所

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松山ラジオ送信所(南海放送サンパーク内)
AM放送
親局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
松山 JOAF 1116kHz 5kW
中継局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
八幡浜 1116kHz 100W
新居浜 JOAL 1kW
宇和島 JOAM
大洲 JOAN 100W
御荘 JOAS
FM放送
中継局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
松山[16] JOAF-FM[17] 91.7MHz[16] 1kW[9] 2014年12月1日開局[9]
新居浜[16] 100W[11] 2015年2月3日予備免許交付[18]
同年3月21日開局[11]
大洲 91.7MHz 30W 2015年11月5日予備免許交付、
12月1日開局[19]
宇和島 100W
今治 20W[20] 2018年2月23日予備免許交付[20]
御荘 20W[20]
川之江 91.2MHz 10W 2015年11月5日予備免許交付、
12月1日開局[19]
八幡浜 100W
久万 20W[20] 2018年2月23日予備免許交付[20]

FM補完中継局補足

南海放送ラジオ局では県内の6つの中波放送局(八幡浜局のみコールサインなしの中継局扱い)の周波数を1116KHzで統一しており、FM補完中継局においても、県内で同一周波数で放送できるように計画しているが、放送エリアが隣接する2つの送信所から同じ周波数で放送すると、エリアが重複する地域の電波干渉が発生する可能性がある。

そこで、この問題を解決させるために、FM補完放送本格開局前の2014年8月24日から、伊予市行道山の松山テレビ親局と新居浜市金子山の新居浜テレビ中継局の敷地にFM同期放送のための実験局を開局し、本放送と同じ91.7MHzでAMラジオと同内容の放送を行った。これまで広範囲に渡って親局レベルにおいて、同じ周波数で同期放送を行うFM局は日本では皆無であるため、国内初の試みであるとともに、周波数の有効活用につなげられるとの期待が寄せられている[16]。その実験の結果、目立った混信等の受信障害がなかったため、2015年3月21日に極高精度の同期放送の実施により、新居浜局を開局した[11]。その実験成果を基にして、大洲と川之江(四国中央市)にも同様の中継局を(補助金の交付により、)整備する予定が計画され[21]、2015年12月1日に正式に本放送を開始。川之江は同局初のワイドFM専用中継局(AMラジオは新居浜局のカバーエリア内である)となった。また宇和島、八幡浜の両市のワイドFM中継局も設置され、2016年3月13日から本放送を開始した[12]。これによりカバーエリアは県内の80%以上となった。川之江局は近接する新居浜局との、八幡浜局は宇和島、大洲の2局との距離の兼ね合いから、新居浜、松山、大洲、宇和島で統一された周波数91.7MHzとは違う91.2MHzで送出を行っている。

なお、中継局は概ね松山道沿線において安定した受信が出来るように置局されている[22]

ラジオ演奏所

自社製作ラジオ番組は、主に本社2Fのフロアで制作、送出されている。

スタジオ

  • PALスタジオ
    2006年11月以降、生放送、公開放送などに主に利用されているスタジオ。ガラス張りになっており、スタジオ前にロビー、さらに隣接して一般の来客も利用できる喫茶店が設けられており、ここで放送風景を見学できるつくりになっている。副調整卓と放送ブースは、透明プラスティックのパーティーションで仕切られているのみ。また番組は、ここを経由して4Fの主調整室(マスター)に送られる。2015年にはスタジオ内を改装し、青基調の内装が、オレンジ色と黄色ベースに変更され、Fnamのロゴが壁に飾られた内装に変わった。また、使用するマイクのうちメインで使う数本分など、一部機材も更新されている。また、副調整卓側にも、放送音声に声を載せられるヘッドセットを設けているため、状況に応じ一人で番組制作できるようにもなっている。
  • ロビースタジオ
    2014年12月から一時期供用されていたスタジオで、昼間の生放送を中心に利用。本町会館1階にあり、正面に面した道路から中の様子を見ることができる。また、時間帯によって外に設置されたスピーカー経由で放送も聞くことができた。2018年度現在はこのスタジオを使用している番組はなく、放送用設備等も撤去され、元々のロビーとしての用途に戻されている。

以上のスタジオからの放送では、スタジオ内にハイビジョンカメラが設置されており、テレビ同時放送番組やCATV・ウィットIPで映像つきで視聴可能。

  • 第2スタジオ
    PALスタジオに隣接するスタジオ。従来のラジオスタジオの造りとなっており、副調整室と放送ブースが区切られている。基本的に2人体制で番組を制作するようになっている。収録番組で使うケースが多いが、番組の関係でPALスタジオが使えない場合などに生番組をここから放送するケースもある。(自社製作番組が連続していて、出演者・スタッフの入れ替わりに時間が足りない場合など。)ただしハイビジョンカメラ未設置のため、音声のみの放送となる。
  • 第3スタジオ
    ワンルームスタジオ。基本的にワンマンで番組を制作できるようになっている。
  • 第4スタジオ
  • ぎんこい×エルスタ(サテライトスタジオ)
    銀天街から公開生放送するためのスタジオ。愛媛CATVと共同で運営しており、同社の回線を使ってウィットチャンネルの映像も配信可能。

レコード室

  • オーロラセンター
    レコード室をオーロラセンターと呼んでいる。これは、自社開発したレコード検索システム「オーロラ(ARORA)検索システム」に由来する。約10万枚のレコード、CDライブラリーが収容されている。
    ※ オーロラ(ARORA)は、Automatic Reference Of Record Arrangement の頭文字。

主なラジオ番組

※ 放送時間は2017年(平成29年)4月時点のもの

自社制作番組

平日
土曜日
日曜日
  • くめさんの空(日曜 8:10〜8:30)
  • Smile mix(日曜 8:30〜12:00)
  • 明屋書店プレゼンツあなたの本棚(日曜 16:15〜16:25)
  • らくさぶろうのココシミにちようび(日曜 20:00〜21:00)
  • まんだい・えいじのイエス!You CAN(日曜 22:00〜22:30)
  • Cha-kaと美菜の女子部屋(日曜、23:00-23:30) - もともと平日夜の帯番組であったが、週1回の放送に移動
過去に放送した番組

ネット番組

TBSラジオ制作
文化放送制作
ニッポン放送制作
ブロックネット番組
  • 中四国ライブネット(18:00〜20:00)※ナイターシーズンは日曜日、ナイターオフシーズンは土曜日に放送
その他
宗教番組

テレビ

スタジオ

樋又の旧社屋時代には、凡用スタジオである通称『コアスタジオ』と報道スタジオを設けていたが、本町会館移転後はすべての自社制作番組のスタジオを報道スタジオに集約し、2017年現在は『Ch.4(移転当初は『おかえりテレビ』18時台の『NEWSリアルタイムえひめ』)』および『なんかいNEWS』等のスポットニュース用のセット、『サタデリ(旧おかえりテレビ17時台→おかデリ)』用のセット、『もぎたてテレビ(旧社屋時代も報道スタジオ内にセットを設置していた)』用のセットが設けられている。(移転から2013年まではスポットニュース用のブースも別途設けられていたが、『Ch.4』のセットに集約された。)

ネットワークの移り変わり

TBSとの関係

  • テレビ放送開始当時のRNBは、ラジオ東京(現:TBSテレビ)主体のフリーネット編成であったため、JNN設立に際し加盟を希望したが、キー局の対応から番販参加に留まったのである。理由としては、マイクロ回線が1回線しかなく、四国側の根幹を押さえていた徳島のJRT四国放送が日本テレビの系列に入ったという、当時の中継回線事情によるものとされている。結局、正式なテレビネットワークとしては日本テレビ系列入りすることになる。
  • ただ、正式な系列加盟こそならなかったものの、ラジオでのネットワーク関係も相まってTBSとの関係はきわめて良好だった。JNN排他協定の関係で、取材・配信には原則として参加できないものの、「番販」及び「準系列局」扱いで『JNNニュース』の放送が認められた他、朝7時台は『モーニングジャンボ』以来、TBS制作番組のネットを受け、制作にも協力していた。そのため1992年10月のあいテレビの開局までは、『ズームイン!!朝!』(日本テレビ系)を放送していない。これは秋田放送も同様である。現在も現役の山下泰則アナや戒田節子アナが地元レポーターとして登場していた。山下アナはそのまま『ズームイン!!朝!』のRNB初代レポーターとなり、日テレフルネット局化後(民放4局化後)もしばらく担当していた。
    • RNBでの『ズームイン』ネット開始後、NNSの結束力が強化され、視聴率が同局を含め日テレ系列全局でトップとなった。なお、同局でのネット開始当初、同番組のネット受けは任意であったが、フルネット化後はマストバイ(必ず放送しなければならない)番組に指定された。
  • あいテレビ開局後も半年〜1年間は、TBS系の一部の番組を放送し続けていた。スポンサーの関係で『サンデーモーニング』が開局後半年間、『すてきな出逢い いい朝8時』『地球ZIG ZAG』が開局後1年間移行されずに放送されていた[33]
  • 1970年1981年には「輝く日本レコード大賞」を同時ネットする[34]。1970年は20:00からの飛び乗りで[35]、1981年は全編フルネットで放送した[36]

補足

テレビ放送所

可視聴区域は愛媛県、豊後水道を挟んだ大分県の広い地域(国東半島や別府市)、瀬戸内海を挟んだ対岸の山口県岩国市や広島県呉市まで電波が届く。

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松山デジタル(行道山)送信所

【概要】

  • 松山地方の既設のアナログUHF局が、伊予市の行道山に送信所を設けていたため、視聴者の利便性を考慮して同地に送信所を設けることとなった。当初、既設局と共用する方向で調整したが利用料などの折合いが付かず断念。
  • こうして親局の行道山送信所は、2003年NHKと共同建設に関する覚書を締結。2006年に完成した。

リモコンキーID 4

松山 JOAF-DTV 20ch 1kW
新居浜 47ch 300W[37]
川之江 47ch 10W
今治 47ch 10W
中山 34ch 3W
宇和石城 14ch 1W
宇和島 20ch 50W
松山北条 20ch 1W
新八幡浜 57ch 10W
八幡浜 57ch 20W
大洲 31ch 10W
内子 32ch 3W
南宇和 20ch 10W
宇和 43ch 1W
野村 20ch 1W
大三島 20ch 3W
久万 20ch 3W
美川 15ch 3W
菊間 20ch 10W
川内 19ch 1W

アナログ放送

2011年(平成23年)7月24日終了時点 可視聴区域は愛媛県、山口県岩国市、柳井市、周防大島等南東部、広島県廿日市市、呉市、尾道市因島等の瀬戸内海沿岸部、高知県宿毛市の一部、大分県東部沿岸部、宮崎県北部沿岸部で視聴可能であった。

松山テレビジョン
ファイル:Ug090117 RNB-TVshiroyama2.jpg
城山テレビ送信所(松山アナログ)

【概要】

  • 1958年(昭和33年)12月1日、県内初の民放テレビ局として開局。
  • 同時に中・四国で初めて、自社番組制作用のテレビスタジオを設置。当時、西堀端にあった本社が手狭だったため、城山の中腹に建設されたテレビ局舎内に併設、1964年の道後地区への本社移転まで使用された。
  • 他のラテ局が開局時に「ラジオ局のテレビ」といった呼称をつける傾向にあった中、開局当初から正式名称である「南海放送」の呼称を使用している。ただし、新聞や雑誌の番組表では現在でも「南海テレビ」と表記されることがある。
  • 1961年(昭和36年)12月には八幡浜・宇和島両テレビ局が開局、新居浜局とともに県内テレビ放送網を確立。現在は中予・南予地方を中心に53のテレビ局を設置している。
  • 2011年(平成23年)7月24日のアナログ放送終了によって、城山のテレビ送信所は52年7か月の歴史に終止符を打った。
中予地方

松山市

松山 JOAF-TV 10ch 5kW[38]
北条 43ch 10W
北条立岩 11ch 1W
北条浅海 47ch 1W
松山祝谷 58ch 0.1W

東温市

川内 49ch 10W

伊予市

中山 30ch 30W

(伊予郡砥部町

砥部 62ch 3W

(上浮穴郡久万高原町

久万 8ch 10W
美川 43ch 10W
久万菅生 44ch 0.1W
東予地方

今治市

今治 34ch 100W
南予地方(南予北部)

大洲市

大洲 11ch 30W
長浜 58ch 3W
大洲野佐来 59ch 0.1W

(喜多郡内子町

内子 52ch 30W
小田 61ch 30W

八幡浜市

新八幡浜 19ch 100W
八幡浜五反田 11ch 1W
保内喜木 44ch 0.1W

(西宇和郡伊方町

八幡浜 4ch 250W
三崎 50ch 3W

西予市

宇和 62ch 10W
東宇和 51ch 10W
野村 61ch 10W
三瓶 53ch 3W
城川 11ch 1W
明浜 56ch 1W
宇和正信 61ch 0.1W
三瓶周木 54ch 0.1W
野村愛宕 37ch 0.1W
南予地方(南予南部)

宇和島市

宇和島 10ch 75W
津島 51ch 10W
吉田 60ch 10W
津島御槙 39ch 3W
宇和島保手 59ch 0.1W
宇和島下高串 47ch 0.1W
宇和島高光 56ch 0.1W
宇和島保田 50ch 0.1W
宇和島薬師谷 58ch 0.1W
津島嵐 54ch 0.1W
津島横浦 54ch 0.1W
津島塩定 53ch 0.1W
吉田立目 58ch 0.1W
吉田中ノ浦 47ch 0.1W
吉田御殿内 44ch 0.1W

(北宇和郡鬼北町

日吉 50ch 10W

(北宇和郡松野町

松野 4ch 1W

(南宇和郡愛南町

御荘 5ch 100W
西海 61ch 10W
城辺深浦 34ch 10W
城辺深浦中 60ch 0.1W
西海久家 39ch 0.1W
新居浜テレビジョン

【概要】

  • 1960年(昭和35年)6月1日、県内では2番目の、東予地方では初の民放テレビ局として開局。その後、東予地区にコールサインを割り当てたテレビ送信所は作られず、東予地区唯一の独自コールサインを持つテレビ局となった。
  • 旧郵政省の第1次チャンネルプランにより割り当てられたことと、当時は送信施設の無人化が困難だったこと、それに将来的に東予地方向けの自主編成をも見据えていたことなどから、開局当初から新居浜局独自のコールサインが割り当てられている。しかしながら、松山局の中継を主としていることや、1974年(昭和49年)10月、東予地方で唯一松山局を親局とする「今治局」の開局により、東予地方向けの自主放送が事実上出来なくなったことなどから、新居浜局独自の番組制作・編成は今もって行われていない。
  • 以下、今治局を除く東予地方に設置しているすべての中継局は、新居浜局を親局としている。
  • 地上デジタル放送は全局松山を親局としているため、地デジ局としてのコールサインはない。よって、アナログ放送終了後TVとしてJOALは使われなくなり、ラジオのみで引き続きJOALのコールサインは使用されることとなる。そして、アナログ放送終了と同時に放送局としての免許は廃止され、東予地区唯一のテレビ親局は51年1ヶ月の歴史を終えた。
東予地方

新居浜市

新居浜 JOAL-TV 6ch 250W

四国中央市

川之江 61ch 30W
土居 33ch 3W

今治市

菊間 60ch 100W
大三島 61ch 30W
吉海 61ch 3W
宮窪 59ch 1W
大三島野々江 39ch 0.1W

(越智郡上島町

岩城小漕 37ch 0.1W

現在放送中の番組

自社制作番組

日本テレビ系列の番組

テレビ東京系列の番組

民間放送教育協会企画番組

過去に放送した番組

自社制作番組

  • 愛媛県政広報番組「愛顔(えがお)のえひめ」(日曜21:54〜22:00)
    • 2007年から放送された「愛!愛!!えひめ」を2011年4月3日からリニューアルとしてスタートした。
  • 宇和島紀行(土曜11:55〜0:00、2012年4月7日〜2012年9月29日)
  • えひめモノクロシアター(木曜21:54〜22:00、2012年10月4日〜2013年3月28日)
  • ぶっくまーく!(ラジオと同時放送、木曜 10:25〜11:10、2012年10月4日-2015年3月26日)
  • あさラテ(ラジオと同時放送、木曜10:25〜10:55、平成28年3月に終了。)
  • えひめのクイズバラエティショー Qクエ[40](土曜11:55〜12:55、ラジオと同時放送、平成28年3月26日〜平成29年3月25日まで放送)

ネット番組

TBS系列

☆はitvへ移行した番組。★はRNBで打ち切られたものの、後にitvで再開した番組。

※ほか多数、非ネットでも制作協力に関わっていた番組あり。

テレビ朝日系列

☆はeatへ移行された番組。★はRNBで打ち切られたものの、eatで再開した番組。

ほか

フジテレビ系列

テレビ愛媛開局まで

ほか

テレビ東京系列

ほか

その他

ほか

ケーブルテレビ再送信局

以下のケーブルテレビではテレビが再送信されている。

高知県
四万十町ケーブルネットワーク

かつては大分県内のケーブル局でも広く再送信されていたが、現在は福岡県のFBS福岡放送にすべて切り替えられた。したがってテレビ愛媛とともに、大分県内のケーブル局から在予局は消滅した。

アナウンサー

子会社「RNBコーポレーション」所属の契約アナウンサーも含む。

男性

女性

かつて在籍していたアナウンサー

男性

女性

ラジオリポータCapy(キャピイ)

ファイル:Ug090922 RNB-capy2.jpg
ラジオ中継車「Capy(キャピイ)カー」(プリウスがベース)
  • 森山いくみ(第30代)
  • 下村章子(第32代)
  • 越智康江(第33代⇒2010年4月ラジオディレクターへ異動)
  • 吉尾亜耶(第34代⇒2010年4月ラジオディレクターへ異動)

キャピイ出身パーソナリティなど

  • 作道泰子(1993年4月 RNBコーポレーション入社)
  • 新山純子(1993年4月 RNBコーポレーション入社)

映画

2012年、開局60周年記念事業として南海放送製作・著作によるドキュメンタリー映画『放射線を浴びた「X年後」』(ほうしゃせんをあびた「エックスねんご」・伊東英朗監督、ウッキー・プロダクション制作)が公開された。NNNドキュメント'12で同年1月29日に放送された番組「放射線を浴びたX年後」に、新たな映像を加え映画化したもの。1954年のビキニ環礁における水爆実験で第五福竜丸と同様に被曝しながら、ほとんど関心が寄せられることのなかった1000隻以上の被曝漁船について調査する高知県の高校教師と生徒達の地道な活動を追い、被曝した船員らのその後や日米両国にまたがる機密の存在、日本本土への放射能汚染の実態などを浮き彫りにしていく。

映画の上映を含む太平洋核実験被害の真実を伝える報道活動により、南海放送は第50回ギャラクシー賞報道活動部門大賞、2013年日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞した。

2015年、続編となる『放射線を浴びた「X年後」2』(ほうしゃせんをあびた「エックスねんご」ツー)が公開された。

その他設備

情報カメラ設置ポイント

※いずれもハイビジョンカメラを設置

以前設置してあった場所

  • 宇和島市
    • 南海放送宇和島ラジオ局(宇和島警察署 東方丘陵地)

局名告知

ラジオ

月曜午前4時の放送開始時にオープニングが放送され、ファンファーレ(フランク・チャックスフィールドの「Waltzing Bugle Boy」)と「みんなの南海放送」、主な送信所(コールサインのある送信所、およびコールサインのない中継局である八幡浜送信所のアナウンス。Fnam開始後もしばらくAM放送の送信所のみをアナウンスしていたが、中継局の増加に伴って2016年現在は開局済の中継局については周波数をアナウンスしている。)のアナウンスの後ボニー・ジャックスによる「南海放送の歌」のコーラス版(1・3番を使用)をステーションソングとして聴くことが出来る。クロージングは、ピアノを用いたクラシック曲を流している。メンテナンスによる放送休止は月曜未明のみ(他は24時間放送)であるため、「今週も南海放送ラジオ番組で明るく楽しくお過ごしください」という説明がある。

旧社屋時代のクロージングは、フルートとバイオリンとピアノなどを用いたオーケストラ曲(ヴォルフ・フェラーリの間奏曲「マドンナの宝石」)が流れていた。なお2006年11月13日の旧社屋最終放送の時は24時で放送終了となり、山下泰則アナウンサー進行の特番で社歌を放送した後、門田洋子元アナウンサーが、かつて担当した夜のバラードのテーマ曲をバックに「南海放送が道後樋又からお別れします」とアナウンスし、0時の時報が流れ、その後上記「マドンナの宝石」をバックに、田中和彦アナウンサー(当時)が「お送りしてまいりました南海放送の道後樋又からのラジオ番組はこれですべて終了いたしました。(中略)今後、本町会館(メディアパーク)からのラジオ放送もよろしくお願いします」と締めている。

テレビ

テレビ開局当初のオープニング・クロージングは不明。

1964年の道後樋又への社屋移転と同時に、開局10周年を記念し制定された同局のイメージソング「南海放送の歌(作曲:米山正夫)」をBGM(OPのみ、ポニージャックスの歌唱ありのバージョンもあり)に流れる放送開始、終了のID映像となった。開始IDの映像は松山市街の夜明けを表現したもの、終了IDの映像はオルゴールが流れ星空にグランドピアノが描かれていくもので(一部通称・星空ピアノ)、何れもセル画アニメーションであった。このバージョンは、36年後の2000年3月頃まで使用されていた。

2000年4月頃からは本社機能を松山市本町にある南海放送本町会館に移転した現在まで、同局の愛称が「ラジオ南海」時代に作られた社歌をBGMに使用したものが放送されている。

オープニング(標準画質バージョン)

  • 松山市内の海岸からの日の出→川にいる鳥の映像→海岸の映像→海上を飛ぶカモメの映像をバックに、先代の文字ロゴ→局ID画面(ウィットが現れて「南海放送」と言うバージョンあり)

オープニング(ハイビジョン製作バージョン)

  • 日の出→海岸→ひまわり畑→ひまわりのアップ→本町会館の全景に現行ロゴとウィット(この後局IDが入ることもあったが、現在はそのまま次の番組に入るケースが多い)

クロージング(工事による放送休止があるとき、及び道後樋又からの放送最終日であった2006年8月6日に限る)

  • 局ID画面(初期のみ)→夕日と山々の映像(2005年12月以前はここに、工事によるNNN24休止告知のテロップ挿入)→夕日に染まる海と波打つ海岸→夜の海に漁火を放つ漁船(2005年12月以降ここに、工事によるNEWS24休止告知のテロップ挿入)→CGで星空に流れ星が流れた後に南海放送の先代文字ロゴが浮かぶ→局ID画面(途中から変更)

ジャンクション(終夜放送で、日テレNEWS24をフィラー放送する場合)

  • 局ID画面→白背景に日テレNEWS24ロゴ上部の「日テレ」部分をRNBロゴに差し替えたものの下に「ここからはNEWS24をお送りします」と表示(BGMは旧NNN24時代、天気予報のOPで使用していたものを流す)。→フィラー終了1分前に「日テレNEWS24はまもなく終了させていただきます」の字幕を挿入→5秒前にウィットの5秒IDを挿入し次の番組へ接続。

なおオープニング映像は本町会館移転の際に新しく作られ、フィラーとしてNNN24(現・日テレNEWS24)が開始された後も一時期は1日の基点時間のインターバル・シグナルとして流された。またクロージング映像の方では、工事などの理由でNNN24が放送休止になる際の放送終了時に流された。

局IDは道後時代は社屋のイラスト(下に旧ロゴ)の移転後はRNBロゴのID画像に、女性アナウンサー(現行バージョンでは中塚眞喜子元アナ)が「南海放送です」とコメントしている(現在はクロージング後とインターバルの初めに挿入)。

現在はメンテナンス時を除き終夜放送を実施しているため、通常時は上記のジャンクションがフィラーの日テレNEWS24前に流れるのみとなっている。

メンテナンス作業等により放送を休止する際は本町会館に移転する前のクロージング(映像中の南海放送ロゴは旧ロゴがそのまま使用。ただし一枚絵はRNBロゴに差し替えられている)が流れた後に、フィラー放送前に流れる一枚絵を流して終了している(クロージングが流れている時に、前述のテロップで放送休止を告知)。

その時の放送再開時には2010年6月の放送休止以降、樋又時代のOP(1枚絵はウィットの5秒映像に差し替え)と本町移転時のOP(HD画質)が使用されており、南海放送のオープニングは現在事実上2種類使用されていることになる(2011年1月24日・2月28日に放送休止時も4:3のものが使われた)。地上デジタル放送完全移行後の2011年8月7日の休止明けは、HD版が使われた。(7、8月はHD版、その他の期間は標準画質のものを使っている。)

2011年7月24日に放送終了を迎えたアナログ放送では、同日深夜の完全停波直前の30秒間にわたり、静止画像による最後のクロージングが放送された。画面はブルーバックで左上方に「JOAF-TV 南海放送テレビ」の白文字(影付き)、その下に「地上デジタル放送」と表示された小さなデジタルテレビ受像機を持ったウィットが配され、最下部には「今後は地上デジタル放送でお楽しみ下さい」という白文字(影なし)が表示されていた。また画面右上には南海放送本町会館の写真、右下には「アナログ放送は終了致します」という黄色の文字が配されていた。音声は「JOAF-TV、南海放送テレビです。ご覧のアナログ放送は、これをもちまして終了致します。ありがとうございました。今後は地上デジタル放送をお楽しみ下さい。こちらは、JOAF-TV、南海放送テレビです」という女性の声によるアナウンスが流れた後停波した。なお、南海放送テレビでは、これまでオープニング・クロージングで映像や音声による呼出符号(コールサイン)の告知は行われていなかったが、停波前の最後のクロージングでは映像・音声共に「JOAF-TV」という呼出符号の告知を行った。

脚注

  1. 南海放送新キャラクター決定
  2. 実際のロゴデザインでは、南海放送の上部に平仮名でルビが振ってある。
  3. 有報リーダー”. Lafla. . 2017閲覧.
  4. 日本民間放送連盟 『日本放送年鑑'78』 洋文社、1978-12、293-294。
  5. 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'92』 コーケン出版、1992-11、405。
  6. 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2003』 コーケン出版、2003-11、429。
  7. http://ameblo.jp/nob7700/image-10674605641-10796887969.html
  8. 12月1日、南海放送ラジオのFM局が開局します ~災害対策用FM補完中継局に免許~ 南海放送、2014年11月26日
  9. 9.0 9.1 9.2 南海放送のFMラジオ「エフナン(Fnam)」開局のお知らせ
  10. 番組は8:30 - 11:00の前半と、13:00 - 16:00の2部構成。
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 災害対策用FM補完中継局(新居浜局)に予備免許交付、全国初の大電力FM同期放送開始へ - 南海放送(2015年2月3日)
  12. 12.0 12.1 ワイドFM宇和島局・八幡浜局開局- 南海放送(2016年3月9日)
  13. http://www.soumu.go.jp/soutsu/shikoku/press/20170330.html 四国における放送ネットワークの強靱化を支援≪「放送ネットワーク整備支援事業」に係る補助金の交付決定≫
  14. AM・FMで非サイマル(別番組)放送 ~南海放送ラジオで全国初!~ 南海放送(2018年2月9日)
  15. 自社製作分とテープネット型の他社制作分はCATVとウィットIP開始当初から対応済み。2015年7月6日からは一部例外を除き、基本的にネット番組を含めほぼ全番組に対応。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 V-Low帯を利用した大電力FM同期放送の実用化にむけた実験について(南海放送2014年8月25日 11月3日閲覧)
  17. http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=G&DFCD=0000482768&DD=1&styleNumber=01
  18. 南海放送の災害対策用FM補完中継局(新居浜局)に予備免許 - 総務省四国総合通信局・報道資料(2015年2月3日)
  19. 19.0 19.1 ワイドFM(大洲局・川之江局)開局(南海放送2015年12月1日 12月8日閲覧)
  20. 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 総務省|四国総合通信局|南海放送株式会社のFM補完中継局に予備免許 ≪AM放送局が被災したときの放送継続に備えて中継局を整備≫、2018年2月24日閲覧。
  21. 四国におけるラジオの強靱化を支援≪「民放ラジオ難聴解消支援事業」に係る補助金の交付決定≫ - 総務省四国総合通信局・報道資料(2015年2月5日)
  22. 乗松義弘・毛利文昭・吉川大貴「大電力FM同期放送網の構築」月刊放送技術 2016年5月号, 兼六館出版
  23. 南海放送ラジオ「RNB Radio show What's up」
  24. 南海放送ラジオ「GROOVIN SUNDAY」
  25. 2016年9月23日までは11:35 - 11:45に放送。
  26. 2016年9月22日までは全国ネットゾーンの24時台のみをネット。
  27. 2016年9月30日スタート。
  28. 番組の基幹局・基幹地域。JRNとのクロスネット局で唯一キングレコードのスポンサードネットを行なっている。
  29. [1]
  30. [2]
  31. 民間放送教育協会扱いの学校放送についても、一般番組放送枠確保の都合上、一部をテレビ愛媛に移行させていた。
  32. 1987年9月より。その当時の順番はANN→NNN→JNNであった
  33. 殊に後者はポンジュースがメインスポンサーの一翼を担っていた。
  34. 名目上NETテレビ系単独加盟だったが事実上TBS系とのクロスネットだった青森テレビ1971年など、一部年度でネットしていた(デーリー東北、1971年12月31日、テレビ・ラジオ欄)。
  35. この時期はRNBとは逆にニュース以外は事実上日本テレビ系とのクロスネット状態だった一部TBS系列単独加盟局に配慮して、番組自体を2部構成としていた。実例として北陸放送が、当該時間帯に日本テレビの番組を放送した1969年20時台と1971年全編を深夜枠での録画時差ネットとしていた(北國新聞・縮刷版、1969年12月号・1971年12月号、12月31日の各番組表)。
  36. 読売新聞・岡山版、1981年12月31日、テレビ・ラジオ欄。
  37. 同建物内にEBCのデジタル中継局も併設。
  38. 日本テレビ系列局としては讀賣テレビ放送親局や山形放送親局と同じCH
  39. 『もぎたてテレビ』公式サイト
  40. http://www.rnb.co.jp/tv/9960/
  41. ただし、平日午前6:00 - 6:30まで
  42. 1984年9月まで同時ネット、同10月から日本テレビ『木曜スペシャル』の同時ネットに切り替え。なお沖縄県のTBS系列局琉球放送では1984年4月から1986年9月まで『木曜スペシャル』を同時ネットしており、1984年4月から9月までの半年間は沖縄県では愛媛県と逆の事象が起きていた。
  43. ただし「羽鳥慎一…」は☆
  44. 2012年4月 - 9月。本番組で唯一のネット局。

外部リンク


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