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− | {{出典の明記|date=2009年6月}}
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− | [[Image:Earth's City Lights by DMSP, 1994-1995 (large).jpg|thumb|300px|[[防衛気象衛星計画|DMSP]]からのデータによる宇宙から見た夜の地球の様子 北半球の方が明るいことがわかる]]
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− | '''南北問題'''(なんぼくもんだい、{{lang-en-short|North–South divide}})とは、[[1960年代]]に入って指摘された、[[先進国|先進資本国]]と[[開発途上国|発展途上国]]の[[貧富の差|経済格差]]とその是正をめぐる問題。豊かな国が世界地図上の北側に、貧しい国が南側に偏っていることから南北問題と呼ばれる。
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− | == 概要 ==
| + | '''南北問題'''(なんぼくもんだい、{{lang-en-short|North–South divide}}) |
− | 『南北問題』という用語の概念は、[[イギリス]]の[[ロイズTSB|ロイズ銀行]][[会長]]職にあった[[オリヴァー・フランクス]]が、[[1959年]]に[[アメリカ合衆国]]で行なった講演「新しい国際均衡―西欧世界への挑戦」に端を発するものである<ref>Oliver Franks, "The New International Balance: Challenge to the Western World" Saturday Review,
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− | January 16, 1960, p.20-25</ref>。フランクスは、[[イデオロギー]]と軍事の対立である[[東西問題]]に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する[[先進工業国]](Industrial Countries)と南側に位置する[[開発途上国]](Developing Countries、発展途上国ともいう)における問題提起を行うとともに、世界のバランスの中心が西ヨーロッパから新たに発展しつつある国々に移るであろうと述べた。
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− | === 指摘以前の経緯 ===
| + | 地球の北半球温帯地域以北に集中している先進資本主義諸国と,以南に多く位置する[[発展途上国]]との間の著しい経済的格差から生じる経済的,政治的諸問題の総称。この言葉は 1959年末にニューヨークを訪問したイギリスのロイド銀行会長 O.フランクスの「いまや世界の中心問題はこれまでの東西問題から南北問題に移ったのであり,したがって資本主義諸国は南の世界,すなわち発展途上国の開発援助をその対外政策のかなめに据えるべきである」との提言に由来するといわれている。南北問題はその後,単なる発展途上国の経済的開発=工業化問題ではなく,発展途上国による国際経済秩序変革の要求と,それに対する先進資本主義諸国の対応という2側面を含むにいたった。それは経済的であると同時に政治的問題でもある。なお南北問題を討議する国際会議の場として,国連に直属する[[国連貿易開発会議]]がある。 |
− | 19世紀末に、[[世界経済]]が成立し[[国際分業]]が広まると、[[農業国]]や[[工業国]]への分化が起きた。[[植民地]]は、[[宗主国]]により[[モノカルチャー経済]]へと転換されるケースが多く、著しい特化が進展した。特に[[アフリカ大陸]]においては、列強による[[アフリカ分割|領土分割]]によって、ほぼ強制的に資源の供給国としての役割を担わされた。
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− | [[第二次世界大戦]]終結から間もない頃は、農業によって経済を成り立たせている国も多く、そういった国の所得水準は工業国に比べ際立って低いわけではなかった。むしろ、[[商品作物]]の輸出などにより高い所得水準を実現している国もあった。
| + | {{テンプレート:20180815sk}} |
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− | [[技術革新]]の進展などにより安価な代替商品が生まれたことから、いくつかの農産品は需要の減退に見舞われた(例:[[バングラデシュ]]の[[ジュート]]など)。また、[[緑の革命]]や競争力のある工業国の農産業による輸出攻勢(アメリカやフランス)により、農産品の相対価格は著しく低迷。工業品輸出により発展を遂げる日本や西ドイツとの格差は次第に広がった。一旦、特化した経済は社会構造も特化しているため容易に転換できず、長期間にわたって格差が固定化されることとなった。
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− | === 国際的な取り組み ===
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− | ==== 1960年代 ====
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− | 開発途上国の経済開発促進と南北問題の経済格差是正のために、[[1962年]]には初の[[第三世界]]出身の[[国連事務総長]]となった[[ウ・タント]]の主導で[[国際連合貿易開発会議|国際連合貿易開発会議 (UNCTAD)]]設立が決定され、[[1964年]]に第1回のUNCTAD総会が[[ジュネーブ]]で開催され、[[非同盟]]諸国を中心に開発途上国を集めた[[77ヶ国グループ]](G77)が結成された。なお、開発途上国という用語が「後進国」「低開発国」に代わって一般に使用されるようになったのはUNCTAD設立以降のことである。
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− | また、UNCTADを含め、この時期に[[国際援助]]に関連する組織や法案が各国で設立されている。
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− | ;アメリカ合衆国
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− | :*[[対外援助法]]([[:en:Foreign Assistance Act]]) 1961年
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− | :*[[アメリカ合衆国国際開発庁]] 1961年
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− | ;[[フランス]]
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− | :*経済協力中央金庫([[:fr: Caisse centrale de coopération économique)]]) 1958年
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− | ;日本
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− | :*[[海外経済協力基金]] 1961年
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− | ;イギリス
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− | :*[[海外開発省]] ([[:en:Ministry of Overseas Development]]) 1964年
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− | ;国際組織
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− | :*国際連合貿易開発会議 1961年
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− | :*[[経済協力開発機構]] 1961年改組設立
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− | :*[[国際連合開発計画]] 1965年
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− | :*[[国際連合工業開発機関]] 1967年国連総会の補助機関として発足
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− | [[発展途上国]]の多くは[[資本]]輸入により[[工業化]]を試みた。しかし、国内市場の狭さ、国際競争力を欠いたことなどから失敗する国が多く、貿易赤字と対外債務を増加させる結果となる。その中でも東アジアの[[大韓民国|韓国]]・[[台湾]]・[[マレーシア]]や、中南米の[[メキシコ]]・[[ブラジル]]などは一定の工業化を成功させた。
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− | ==== 1970年代 ====
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− | 1970年9月に開催された国連総会では、1960年代の「国連開発の十年」を総括すると共に、「第2次国連開発の十年」の決議が採択された。この決議では、先進国の[[政府開発援助|ODA]]が[[国民総生産|GNP]]の0.7%となるように定められた。ODAに対し、具体的な国際目標が導入されたのは初めてであり、また決議の特徴である。
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− | 1973年に始まった[[第四次中東戦争]]から[[オイルショック#第1次石油ショック|第1次石油ショック]]が発生する。原油価格の高騰は不況を招きかねなかったが、[[産油国]]をはじめ、天然資源を保有する発展途上国にとっては、自国が保有する天然資源が国際社会における交渉力となるという認識が強まり、自国の天然資源を先進諸国の資本の支配から取り戻し、自国主権の下での開発を目指す[[資源ナショナリズム]]が盛んになった。この一方で、工業化の途上にあった他の途上国の中には、この石油ショックにより重い対外[[債務]]負担を負う国も現れた。
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− | 1974年4月には国連資源特別総会において強まる資源ナショナリズムを背景に、「新国際経済秩序樹立に関する宣言(Declaration for the Establishment of a New International Economic Order)」([[新国際経済秩序|新国際経済秩序 (NIEO)]]{{仮リンク|新国際経済秩序|en| New International Economic Order}})が採択され、同年秋の国連第29回総会で、この宣言の内容を具体化した「諸国家の経済権利義務憲章([[国際連合総会決議3281]])」が採択される。
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− | ==== 1980年代 ====
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− | 1980年に第35回国連総会において「第3次国連開発の十年」が採択され、1981年にはメキシコの[[カンクン]]で[[アメリカ合衆国]]・[[日本]]・[[西ドイツ]]など[[先進国]]と[[インド]]・[[中華人民共和国]]・[[ブラジル]]など[[発展途上国]]の首脳が集まって初の{{仮リンク|南北サミット|en|North–South Summit}}が開催された。
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− | 1980年代は、1970年代の主に国際機関と外国の政府に対する重債務によってアフリカや中南米の国々は、元利返済に苦しみ、[[ハイパーインフレーション]]などが発生し[[国民経済]]は混乱した。
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− | {{see|経済開発#国際開発論における経済開発}}
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− | その後、[[石油輸出国機構|石油産出国]]や新興工業国([[新興工業経済地域|NIES]]や[[BRICs]]など)は所得が向上していった一方、[[後発開発途上国|最貧国]]は停滞あるいは衰退したことから、中進国との格差が増大する[[南南問題]]が起こった。
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− | [[環境問題]]が国際的な課題として捉えられるようになってからは、環境対策を求める先進国と、[[開発]]優先志向が強い途上国との間で利害が対立している。
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− | ==== 1990年代 ====
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− | 1990年に第46回国連総会において「第4次国連開発の十年」が採択される。
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− | [[東西冷戦]]時代には、発展途上国への援助は自陣営につなぎとめておく手段の一つでもあったが、冷戦終結に伴い、このような援助の構造は過去のものとなり、これまでとは違った非軍事的な面を含むさまざまな考え方や開発、援助の形態が提唱され、各種の国際会議が世界各地で開催されるようになった。
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− | しかしながら、1990年代のODAは急減し、2002年[[メキシコ]]のモンテレイで開かれた国連開発資金国際会議では、ODAを増加することが合意されることになる。
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− | == 地域レベルでの南北問題 ==
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− | 地球規模での南北問題と同様の意味合いで、比較的狭い地域における経済格差も南北問題と呼ばれることがある。
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− | === イタリア ===
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− | [[イタリア]]においては早期に王国領へと併合された[[ミラノ]]・[[ジェノヴァ]]・[[トリノ]]を中心とする北部が重工業地域([[北イタリア]])として発展しているのに対し、南部([[南イタリア]])は一次産業を中心としているが故に生じている経済格差が問題となっている。1960年代の[[バノーニ計画]]によって[[ターラント]]製鉄所や[[アウトストラーダ]]が建設されるなど、南部での重工業発展と社会基盤の整備が図られある程度の改善は見られたが、根本的な解決に至ってはおらず、南部の失業率は北部の4倍とも言われている。その為、古くから農民層を中心に[[ドイツ]]など他国へ出稼ぎや移民に向かう者が多く、一種の[[コロニー]]を形成している([[イタリア語]]の章を参照)。一方、本来南部が収めるべき分の税金を負担する格好になっている北部では、不況に伴い南部に税金を吸い上げられているとの批判が強まり、[[北部同盟 (イタリア)|北部同盟]]のような南北の分離を唱える勢力(こうした[[民族]]的問題でなく、[[経済]]的問題から分離を主張する政党は過去にあまり例は無い)を生み出している。ただし、北部同盟を支持する人々が必ずしも国家の分離を望んでいる訳ではなく、南部への批判票としての意味合いが強いことに留意する必要がある。
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− | しかし近年では[[マフィア]]の衰退や[[電子]]・[[情報]]産業などの先進工業の成長([[半導体]]メーカーの[[STMicroelectronics]]社や[[鉄道]]関連企業の[[MerMec|メリディオリ・メッカニカ]]社など)により南部経済は好転に向かっているとの声もある。事実、南部の[[失業率]]も改善傾向にあり、北部との失業率も3倍程度(中部と比べた場合は2倍程度)に低下し、批判の多かった大規模投資による南部開発計画もプロディ政権下で改められ、現在は「[[第三のイタリア]]」を参考にした新たな経済作りが進められている。前述の北部同盟も攻撃対象を南部から不法移民へと切り替え、先の総選挙ではイタリア南部で党勢を伸ばすという逆転現象が起きるなど、イタリアの南北格差は新たな局面に入りつつある。
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− | {{See|北部同盟_(イタリア)}}
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− | {{See|第三のイタリア}}
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− | === フランス ===
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− | 伝統的に南仏と北仏の対立構図が存在する。
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− | {{See|オクシタニア}}
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− | === 朝鮮半島 ===
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− | [[第二次世界大戦]]の終結に伴い[[日本統治時代の朝鮮|日本の統治下]]から外れた[[朝鮮半島]]では、北側に[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)、南側に[[大韓民国]](韓国)と2つの政権が樹立し、[[分断国家]]となった。両陣営が争った[[朝鮮戦争]]は東西[[冷戦]]の[[代理戦争]]と化し、[[朝鮮戦争休戦協定|休戦]]こそしたものの、正式には終戦がなされないまま21世紀に至っている。政治的・経済的にも、[[漢江の奇跡]]と呼ばれる経済成長を果たし、[[民主化宣言|民主化]]もなされた韓国に対し、金一族による[[世襲]]が続き、経済的にも疲弊している北朝鮮と大きな差異がある。
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− | {{see|朝鮮戦争|朝鮮統一問題}}
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− | === 台湾 ===
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− | {{Main|重北軽南}}
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− | [[台湾]]の人口は西海岸側に集中しているが、それでも政治・経済・報道の要衝である[[台北市]]および周辺部の[[台北都市圏]]を擁する北部と、[[高雄市]]や[[台南市]]といった大都市を抱える南部では産業構造の違いによる求人格差、所得格差は他の国ほどではないが国内で深刻化している。北部を地盤とする[[中国国民党]]と南部を地盤とする[[民主進歩党]]の覇権争いを起因とした政治的要素がこれを増幅している見方もある<ref>[https://www.ys-consulting.com.tw/news/6386.html 広がる南北格差、新政権の課題に]2008年3月26日,ワイズニュース</ref>。当初は階級間格差を指す[[インターネットスラング]]である「[[天龍人 (ネット用語)|天龍人/天龍国]]」も台北人/台北市を揶揄するものと拡大・変容し、地域格差をも内包する意味が色濃くなっている。
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− | ===日本===
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− | ==== 茨城県 ====
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− | [[関東地方]]でも特に[[茨城県]]における南北問題が近年、注目を集めている。東京通勤圏内にあり、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]開業で人口増が続く[[つくば市]]・[[守谷市]]などの[[茨城県南地域|県南地域]]と高齢・過疎化が進む県北部の間の格差は年々拡大しており、速やかな対応策が求められている。
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− | {{main|茨城県#地域的特徴}} | |
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− | ==== 三重県 ====
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− | [[三重県]]は南北に長く、南北において、[[人口]]・[[高齢化率]]や[[産業]]の集積状況が大きく異なる。三重県の北部においては、[[中京圏]]や[[近畿圏]]と比較的近距離であることから、[[産業]]や[[人口]]が集積している一方で、南部においては、豊かな自然・歴史・文化資源はあるものの、道路網や鉄道網等の基盤が弱いことから、それらを地域活力に十分結びつけられずに、地域経済・社会の存立基盤が脆弱化している。地域経済でのウェイトが高い農林水産業、中部・近畿圏からの集客が重きをなす[[観光]]を取り巻く環境も厳しい現状がある<ref>寺口瑞生(2003)"過疎からのブレークスルー-観光と環境を取り入れた地域づくり-"『観光と環境の社会学』(古川彰・松田素二 編、シリーズ環境社会学4、[[新曜社]]、2003年8月25日、298pp. ISBN 4-7885-0867-2):246ページ</ref>。このような問題は同じ[[東海地方]]においては南部(美濃地方)に多くの人口を抱え、北部(飛騨地方)に過疎地域を抱える[[岐阜県]]でも同じようなことがいえる。
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− | {{see|東紀州}}
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− | ==== 京都府 ====
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− | 府庁所在地である[[京都市]]への人口集中率が約55%と、[[東京都]](旧[[東京府]])以外の道府県では第一位である。
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− | 京都府は南北に細長く、南部(旧[[山城国]])と北・中部(旧[[丹波国]]、旧[[丹後国]])との格差が大きく、南部と北部では異なる地域を形成している。
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− | 戦後の[[経済成長]]において、南部はいち早く発展したのに対して、北部は取り残される傾向にあった。近年では、高速道路([[京都縦貫自動車道]]など)建設や[[山陰本線]]複線電化工事が施工されるなど、南北格差の是正が図られている。また、旧丹波国域のうち[[1965年]]頃から[[亀岡市]]及び旧[[園部町]]、旧[[八木町 (京都府)|八木町]]など[[南丹]]地区は[[京都市]]や[[大阪府]]との結びつきが強くなり、行政では京都府を南北のみで区分する場合は、[[船井郡]]以南を南部とする(ただし、行政では亀岡市及び[[南丹市]]、船井郡[[京丹波町]]を中部と区分する場合が多い)。
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− | 同様のことは、同じ[[近畿地方]]においては、人口の大部分が北部に集中する[[奈良県]]・[[和歌山県]]、南部に人口の集中する[[兵庫県]]・[[滋賀県]]においてもいえる。
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− | {{main|京都府#南北問題}}
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− | == 脚注・出典 ==
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− | *[[田中治彦 (教育学者)|田中治彦]] 『南北問題と開発教育-地球市民として生きるために』亜紀書房、1994年
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− | {{Reflist}}
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− | == 関連項目 ==
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− | *[[先進国]]
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− | *[[開発途上国|発展途上国]]
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− | *[[北北問題]]
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− | *[[南南問題]]
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− | *[[南下政策]]
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− | *[[南進論]]
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− | *[[新興工業経済地域|中進国]](新興工業国)
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− | *[[後発開発途上国|最貧国]](後発開発途上国)
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− | *[[BRICs]]
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− | *[[救命ボートの倫理]] - 60人乗りの救命艇には既に50人が乗っている。しかし海では100人が藻掻いている。どうするか。
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| {{DEFAULTSORT:なんほくもんたい}} | | {{DEFAULTSORT:なんほくもんたい}} |