北条義時

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北条 義時(ほうじょう よしとき)

鎌倉幕府の2代執権 (在職 1205~24) 。時政の子。幼名は江馬小四郎。伊豆国北条を本領とした。治承4 (1180) 年頼朝の挙兵以来,父とともに協力し,平氏征討,奥州藤原氏討伐に参戦。元久1 (1204) 年従五位下,相模守。同2年6月武蔵国二俣川で畠山重忠と戦ってこれを破った。同年閏7月父時政の失脚ののち,あとをうけて執権に就任。建保1 (13) 年侍所別当和田義盛と戦って勝ち,侍所別当となった。同4年従四位下,同5年右京権大夫兼陸奥守。承久1 (19) 年将軍源実朝横死ののち左大臣九条道家の子三寅 (のちの将軍藤原頼経) を鎌倉に迎えて幕府の主とし,みずから幕政の実権を握った。同3年後鳥羽上皇の倒幕計画に大軍を派遣して京都を占領させ (承久の乱 ) ,上皇以下順徳天皇,土御門上皇ら関係者を処罰し,鎌倉幕府は全国的政権へと発展していった。



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