「北九州空港 (初代)」の版間の差分

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{{Infobox 空港
 
| 空港名 = 旧北九州空港
 
| 英語名 =
 
| 画像 = Kyu Kitakyushu airport.jpg
 
| 画像サイズ =
 
| 画像説明 =
 
| IATA = <del>KKJ</del>
 
| ICAO = <del>RJFR</del>
 
| 国 = {{JPN}}
 
| 所在地 = [[福岡県]][[北九州市]][[小倉南区]][[大字]][[曽根 (北九州市)|曽根]]
 
| 母都市 =
 
| 種類 = 民間
 
| 所有者 =
 
| 運営者 =
 
| 運用時間 =
 
| 開港 = 1944年
 
| 閉鎖 = 2006年3月15日
 
| 敷地面積 ha =
 
| 標高 m = 3
 
| 標高 ft = 10
 
| 座標 = {{coord|33|50|11|N|130|56|49|E|type:airport_region:JP|display=inline,title}}
 
| ウェブサイト =
 
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| 座標地域 = JP
 
| 地図名 = Japan
 
| 地図ラベル =
 
| 地図サイズ =
 
| 地図説明 = 旧北九州空港の位置
 
| 滑走路1方向 = 11/29
 
| 滑走路1長さ m = 1,600
 
| 滑走路1幅 m =
 
| 滑走路1表面 = [[アスファルト]]
 
| 脚注 = ※[[北九州空港|同名の現空港]]とは別の施設である。
 
}}
 
{{Location map | Japan Fukuoka
 
| lat_deg = 33 | lat_min = 50 | lat_sec = 11.00 | lat_dir = N
 
| lon_deg = 130 | lon_min = 56 | lon_sec = 49.00 | lon_dir = E
 
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| position = bottom
 
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| caption = 旧北九州空港の位置
 
| alt = 旧北九州空港の位置
 
}}
 
2006年3月15日まで運用されていた'''旧北九州空港'''(きゅう きたきゅうしゅうくうこう)は、[[福岡県]][[北九州市]][[小倉南区]][[大字]][[曽根 (北九州市)|曽根]]に位置し、[[国土交通大臣]]が設置管理していた[[日本の空港]]である。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[太平洋戦争]]の最中、当時の[[小倉市]]曽根に[[大日本帝国陸軍]]の曽根飛行場として誕生した。終戦後に[[アメリカ軍]]への[[接収]]を経て[[1961年]]より民間飛行場(国土交通大臣が設置管理していた改正前の[[空港法|空港整備法]]による[[日本の空港#4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港|第二種A空港]])に転用され、[[北九州都市圏]]の空の玄関口として運用されていた。旅客定期便の運用が始まるまでは[[グライダー]]の練習場として使われていたこともあった。
 
 
 
民間飛行場としての運用開始後は[[全日本空輸]]が[[YS-11]](乗客定員は60名程度)などの[[ターボプロップ]]機により[[大阪国際空港|大阪]]便を運航していたが、東以外の三方を山に囲まれ[[霧]]が立ちこめやすい立地から欠航率が高かった。さらに[[1975年]]に[[山陽新幹線]]の[[岡山駅]] - [[博多駅]]間が開業したことに伴い利用客が減少。輸送量増と高速化のためには1,500mしかない滑走路を延伸する[[ジェット機]]化への対応が不可欠であった。
 
 
 
しかし[[滑走路]]の一方は山に阻まれ、もう一方も[[曽根干潟]]に面しており、環境保護の観点から[[埋め立て]]ができないという立地条件のため滑走路の延伸を断念。[[1983年]]に定期便が廃止された。
 
 
 
このため、1970年代からジェット機が就航可能な2,500mの滑走路を持つ空港建設を目指す検討が行われた。度重なる陳情の結果[[1981年]]の第4次空港整備計画に採択され、[[苅田町]]沖の土砂処分場に新空港が建設されることが決定したが、完成までにかなりの期間を要するため、[[1988年]]新空港開港までのつなぎとして現空港を利用して定期便([[東京国際空港|東京]]便)を再開することが決定し、滑走路を[[マクドネル・ダグラス MD-80|MD-87]](乗客定員は140名程度)が離着陸可能な1,600mに延長し[[1991年]]、[[日本エアシステム]]により東京便が開設された。
 
 
 
<div style="float: right; text-align: center;">
 
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
 
|- style="background: #ddd;"
 
!colspan="2"|乗降客推移
 
|-
 
!年度
 
!乗降客数
 
|-
 
|2002
 
|256,000
 
|-
 
|2003
 
|271,000
 
|-
 
|2004
 
|303,000
 
|-
 
|2005
 
|374,000
 
|}
 
</div>
 
 
 
しかし、当初は1日2往復しかなく、都心部にあり[[ボーイング747]]などの大型機の離着陸も可能な[[福岡市]]の[[福岡空港]]と利用圏域が競合し、[[福岡市地下鉄空港線]]の延伸で福岡空港の利便性が向上すると反比例するように利用が低迷していたが、最大1日5往復にまで増便され利便性が向上すると、利用客が増加していった<ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/koku/04_outline/01_kuko/06_riyou-sokushin/data/kitakyusyu_2.pdf 北九州空港利用促進取組み状況]}}</ref>。
 
 
 
[[2006年]][[3月16日]]、北九州市と苅田町に跨る[[周防灘]]沖の[[人工島]]に新たな空港([[北九州空港|新北九州空港]])を設置し運用を開始したことに伴い、空港機能は新空港に引き継がれ、新空港開港前日の3月15日をもって旧空港の運用を終了している。なお、名称の正式な“移転”(新北九州空港の北九州空港への改名)は、[[2008年]][[6月]]の空港法改正を待たなければならなかった。
 
 
 
== 航空管制 ==
 
{{出典の明記|date=2018年3月|section=1}}
 
廃止時点において、[[飛行場管制]]業務は行われておらず、[[国土交通省]][[大阪航空局]]北九州空港事務所[[航空管制運航情報官]]が[[レディオ空港|飛行場対空援助業務]]を行っていた。
 
{| class="wikitable"
 
|RDO||118.25MHz||126.20MHz
 
|}
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[File:Kitakyushu Airport air 1974.jpg|thumb|right|空中写真(1974年)]]
 
*[[1944年]][[9月1日]] : 日本陸軍の曽根飛行場として開港する([[軍用飛行場]])。
 
*[[1945年]] : 敗戦によりアメリカ軍に接収される。
 
*[[1957年]] : [[運輸大臣]][[告示]]により公共用飛行場に指定され、「小倉飛行場」と命名される。
 
*[[1958年]] : [[空港法|空港整備法]]による第二種空港「小倉空港」となる。
 
*[[1961年]] : 民間飛行場としての供用が開始される。
 
*[[1973年]] : 「北九州空港」と改称される。
 
*[[1983年]] : [[全日本空輸]]が当空港唯一の旅客便であった[[大阪国際空港|伊丹]]線を廃止(伊丹 - 福岡線に統合)したことに伴い、定期便の発着が無くなる。
 
*[[1988年]] : 新空港開港までの運用再開を決定する。
 
*[[1989年]] : 滑走路を、1,500mから1,600mへの延伸する工事に着工する。
 
*[[1991年]] : 延長工事が完工し供用を開始する。[[日本エアシステム]]が[[東京国際空港|羽田]]線を開設し、8年ぶりに定期便が再開される。
 
*[[2006年]] : 空港機能を[[北九州空港|新北九州空港]]へ全面移転し廃港となる。
 
 
 
=== 廃港後 ===
 
跡地の再利用構想については、2004年に北九州市の意見表明<ref>{{PDFlink|[http://www.city.kitakyushu.jp/file/35110200/kukoatochi/shiryo/machizukuri_kousou.pdf 北九州空港移転跡地利用まちづくり構想]}}</ref>が、翌年には国有財産九州地方審議会からの答申<ref>{{PDFlink|[http://www.city.kitakyushu.jp/file/35110200/kukoatochi/shiryo/kihonhoushin.pdf 北九州空港移転跡地の利用に関する基本方針]}}</ref>が出された。その後、2006年5月の[[北九州臨空産業団地]]への[[トヨタ自動車九州]]の展開(これにより北九州臨空産業団地は、ほぼ完売となった)を受けて、11月に「北九州空港移転跡地土地利用計画」が策定された。これは、跡地を「医療生活」「新産業」「環境保全」の3地区に分けて利用する計画である。
 
 
 
*2006年 : 西側の約5ヘクタールに、[[九州労災病院]]の移転が決定する。
 
*2007年 : 「北九州空港移転跡地土地利用計画」を策定。42ヘクタールを購入し、産業団地の整備を開始する。
 
*2008年 : [[サカエ理研工業]]が初の進出企業となる(2010年3月竣工)。
 
*2011年 : 九州労災病院が5月1日に移転開院する。
 
*2013年 : [[サンリブ]]マルショク曽根店が開店。労災病院隣接地。
 
 
 
== 交通 ==
 
以下は、供用終了直前のデータである。
 
=== 鉄道 ===
 
*[[九州旅客鉄道|JR九州]][[日豊本線]] [[下曽根駅]]下車。同駅よりタクシー・路線バスもしくは徒歩10分(約800m)。
 
 
 
=== 路線バス ===
 
*[[西鉄バス北九州]]
 
**[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]](小倉駅バスセンター) - [[三萩野]] - [[下曽根駅|下曽根駅前]] - 北九州空港
 
**[[折尾駅]] - [[黒崎駅]] - [[引野口]] - 北九州空港
 
 
 
===道路===
 
*[[九州自動車道]][[小倉東インターチェンジ]]および[[北九州高速1号線]][[長野出入口]]が最寄りのインターチェンジであった。なお、空港に直接つながる国道・県道はなかった。
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
==外部リンク==
 
*[https://kitakyu-kigyorichi.jp/site/n03.php 北九州空港移転跡地] - 北九州市
 
*[http://www.kigyorichi.pref.fukuoka.lg.jp/estates/89 北九州空港跡地産業団地] - 福岡県企業立地情報(福岡県)
 
 
 
{{airport-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:きたきゆうしゆうくうこう}}
 
[[Category:九州地方の空港|廃きたきゆうしゆうくうこう]]
 
[[Category:廃止された日本の空港|きたきゆうしゆう]]
 
[[Category:福岡県の交通史]]
 
[[Category:小倉南区の交通|廃きたきゆうしゆうくうこう]]
 
[[Category:小倉南区の歴史]]
 
[[Category:小倉南区の建築物]]
 

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