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[[ファイル:Lionmonumentlucerne.jpg|thumb|350px|[[スイス]]の[[ルツェルン]]に建てられている「嘆きのライオン」像。<br />これは[[フランス革命]]の際に国王である[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の命令を守り、降伏後に市民に無抵抗のまま殺害された[[スイス傭兵|スイス人傭兵]]達の記念碑である。<br />国土の大半が[[山岳]]地帯であるため、[[農業]]や[[産業]]が育たない貧しい国だったスイスを支えていたのは「血の輸出」と呼ばれる傭兵派遣であった。]]
 
'''傭兵'''(ようへい、{{lang-en-short|mercenary}})は、[[金銭]]などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い[[戦争]]に参加する[[兵]]またはその集団である。
 
  
「傭」という漢字が[[常用漢字]]および[[新聞漢字表]]に含まれないため、一部の新聞等の報道では「'''雇い兵'''」と表記される<ref>[http://www.ytv.co.jp/blog/announcers/michiura/2011/02/post-685.html 新・ことば事情 4313「『傭兵』と『雇い兵』」]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、[[道浦俊彦]]TIME、2010年2月23日)</ref>。
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'''傭兵'''(ようへい、{{lang-en-short|mercenary}})
  
傭兵は現代でも存在しており、[[民間軍事会社]]のような新しい形態の傭兵も登場している。
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志願兵の一変種で,一般人や外国人を金銭的雇用関係によって軍隊に組織する制度,およびその兵士のこと。忠誠心が弱く,兵卒素材としては劣悪なことが多いが,自国民の温存をはかり,または兵力不足を補うためよく使われた。古代ギリシアの末期に各ポリスが雇った傭兵,ローマ帝国末期のゲルマン傭兵軍,中国で8世紀以後,五代,宋の時代に兵の主力となった傭兵部隊,中世末期イタリアなどの新興都市や絶対君主が雇った傭兵隊や傭兵隊長 ([[コンドッティエーリ]] ) などは歴史上有名である。近年ではバチカンの教皇庁に雇われているスイス人傭兵,フランスがアフリカ植民地の支配に用いた[[外人部隊]],第2次世界大戦後のアフリカ諸国の独立に伴い,それらでみられる雇い入れの外人部隊などがある。
  
== 概説 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
[[ファイル:Jacques callot miseres guerre.gif|thumb|350px|[[三十年戦争]]の虐殺を描いた画。<br />戦争に参加した傭兵達が行った残虐な行動や略奪が原因となり、当時のドイツでは人口が激減した。<br />この惨禍を教訓に[[フーゴー・グローティウス]]が『戦争と平和の法』を著し国際法の基礎が築かれた。]]
 
直接利害関係のない第三者でも、大義、信念、信仰などに基づいており金銭が主要目的でないものは[[義勇兵]]と呼ぶが、両者の区別はさほど厳密ではない。また[[軍隊|国軍]]の[[職業軍人]]は金銭で雇われているが、利害関係のある自国のために戦うため傭兵とは呼ばない。もっとも[[近代国家]]成立以前は、給料をもらう職業軍人はしばしば傭兵と称された。
 
 
 
19世紀の[[国民国家|近代国民国家]]成立の以前においては、傭兵は、[[市民兵]]、[[封建兵]]、[[徴集兵]]、[[奴隷兵]]と並ぶ主要な兵の一つであった。17 - 18世紀、近世に入り各国で[[中央集権]]化が進むと、自国民から構成される[[常備軍]]が創設されるようになり、従来と比較すると傭兵の需要は減ったが、継続的に戦争が行われる中で傭兵も常備軍と並び、封建軍に置き換わる兵力として使用された([[三十年戦争]]など)。しかし、[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]は『[[君主論]]』の中で、その当時の[[フィレンツェ共和国|フィレンツェ]]が傭兵に依存している状況を批判して[[国民軍|市民軍]]を創設すべきであると主張し、また、実際に近代国家成立後に[[国民軍]]が作られるなどしており、傭兵は国家に忠誠を尽くさずに金銭のために戦争をする戦争屋であるとして、傭兵に頼ることが問題視されるようになり、また傭兵自体も戦争屋などとして非難されることがある。近代の[[帝国主義]]の時代には、非正規な軍事行動を母国の思惑に従って実施する私兵([[民兵]]の一類型)組織が傭兵的に利用された。
 
 
 
現在では、傭兵は[[国際法]]<!--ジュネーブ条約第一追加議定書第47条-->上で[[戦闘員]]として認められていないが、[[アフリカ]]の[[紛争]]では、[[民間軍事会社]]に雇われた事実上の傭兵が暗躍していると指摘されている<ref>{{Cite book|和書|author=[[ロバート・ヤング・ペルトン]]|others=角敦子(訳)|title=ドキュメント 現代の傭兵たち|publisher=原書房|year=2006|isbn=4562040440}}</ref>。また、その他の地域の民族・宗教紛争などでも、[[義勇兵]]と傭兵の両要素をもった者が参加している例が多い。[[イラク戦争]]においては、[[アメリカ合衆国連邦政府]]が「民間軍事会社」を大々的に導入した。2007年10月現在、各社合わせて米正規軍を超える18万人{{要出典|date=2010年6月}}が活動中といわれる。そのうちの少なからぬ部分が事実上の傭兵であると思われるが、業務の性質上詳細は公になっていない。
 
 
 
傭兵は「金や状況でたやすく裏切る一匹狼」や「乱暴者」、「ならず者」というイメージを持たれがちであるが、傭兵の受け入れの形態は当該組織や関連組織からの接触、もしくは過去の行動を共にした仲間からの紹介など(直接武装組織に接触して売り込みをかける方法もある)が大半であるため、技術は元より雇用主や傭兵同士の信用や一定の対人能力も求められ、悪質な者は排斥されるというのが実際である<!--[[高部正樹]]氏著書より-->。軍事史家のクレーナーは、傭兵は戦争の当事者であると同時に犠牲者でもあると評している<ref>{{Cite book|和書|author=鈴木直志|authorlink=鈴木直志 (歴史学者)|title=ヨーロッパの傭兵|publisher=[[山川出版社]]|year=2003|series=世界史リブレット|isbn=4634348004}} 30-31ページ</ref>。
 
 
 
国家が傭兵を使用あるいは支援を禁止することを明文化した[[傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約]]は1989年に[[国際連合総会]]において採択され、2001年に発効したが、2008年11月現在締約国は32ヶ国にとどまっている。
 
 
 
歴史的に傭兵の雇用の困難は解雇する場合に生じる場合が多い。紀元前240年の[[第一次ポエニ戦争]]終結時、[[カルタゴ]]は解雇条件に不満を示した傭兵の反乱に悩まされ[[ハミルカル・バルカ]]に命じ鎮圧を行わせている<ref>{{Cite book|last=Wise|first=Terence|title=Armies of the Carthaginian Wars 265-146 BC|year=1982|publisher=Osprey Publishing|isbn=0850454301}}</ref>。豊臣氏は[[大坂冬の陣]]において雇い入れた浪人の処断に難渋し、それが遠因となり[[大坂夏の陣]]を招いている<ref>{{Cite book|和書|author=[[二木謙一]]|title=大坂の陣—証言・史上最大の攻防戦|year=1983|publisher=中央公論社|isbn=4121007115}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=[[笠谷和比古]]|title=関ヶ原合戦と大坂の陣|publisher=吉川弘文館|year=2007|series=戦争の日本史|isbn=4642063277}}</ref>。
 
 
 
== 定義 ==
 
1977年の[[ジュネーブ条約]]第一追加議定書第47条では「傭兵」を以下にあげる事柄を全て満たす場合と定義し、該当する傭兵にはジュネーブ条約第47条が規定する「戦闘員」としての待遇を認めていない。
 
* 武力紛争において戦うために現地又は国外で特別に採用されていること。
 
* 実際に敵対行為に直接参加していること。
 
* 主として私的な利益を得たいとの願望により敵対行為に参加し、並びに紛争当事者により又は紛争当事者の名において、当該紛争当事者の軍隊において類似の階級に属し及び類似の任務を有する戦闘員に対して約束され又は支払われる額を相当上回る物質的な報酬を実際に約束されていること。
 
* 紛争当事者の国民でなく、また、紛争当事者が支配している地域の居住者でないこと。
 
* 紛争当事者の軍隊の構成員でなく、また、紛争当事者でない国が自国の軍隊の構成員として公の任務で派遣した者でないこと。
 
 
 
傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約では、武力紛争目的以外として政府転覆目的や憲法秩序弱体化目的や領土保全妨害目的でも傭兵の対象としている。
 
 
 
== 国民軍との違い ==
 
[[徴兵制度|徴兵制]]または[[志願兵|志願制]]による[[国民軍]]の[[軍人]]も、その多くは報酬を受け取っているが、彼らを傭兵と呼ぶことはない。それは、その歴史的経緯に由来する。
 
 
 
元来、[[徴兵制度|兵役]]は自己の属する[[共同体]]を維持するための義務であり、無報酬であった。多くの[[国]]では初期にあっては装備品ですら各人の負担であった。しかし長期の戦争を戦い、国土を拡大、あるいは防衛するためには、兵役を務める者の生活を保障する必要がある。この生活保障の必要性から、兵役に報酬が支払われるようになったのである。
 
{{See also|マリウスの軍制改革}}
 
 
 
このように、国民軍の軍人は元来無報酬(義勇兵。現在でいう[[ボランティア]])であり、純粋な職業としてではなく、共同体に属する者としての義務を果たしているという性質上から、給与が支払われていてもこれを傭兵とは呼ぶことはない。
 
 
 
上記のように、国民軍を編成する方法以外に、もう一つ長期戦を戦う方法がある。それが傭兵である。国民軍が、一定の市民的義務を負う者によって編成されるのに対して、傭兵はこの様な義務を負わない、主として報酬を目的とする者であるという違いがあるのである。
 
 
 
== 歴史上の傭兵 ==
 
傭兵は自らの肉体しか財産を持たない男性が就き得る数少ない職業でもあったため、その歴史は非常に古く、身分や職業が分化し始めた頃にはすでに戦争に従事して日々の糧を得る人々がいたと推測される。[[古代オリエント]]では徴兵軍、傭兵軍、奴隷軍が軍隊の構成要素であった。
 
 
 
傭兵とその他の[[兵種]]の区別が容易になる古代以降では、兵のなり手の少ない文化程度の高い豊かな国{{要出典|date=2010年5月}}([[古代ギリシア]]、[[ローマ帝国|ローマ]]、[[東ローマ帝国]]、イタリア[[都市国家]])が雇う例や、直属軍の少ない[[封建制]]国家の君主が、直属軍の補強として使う例がある。また、一般的に戦闘の際の臨時の援軍として使われた。
 
 
 
=== 日本 ===
 
[[File:YamadaNagamasa.jpg|thumb|200px|山田長政]]
 
日本の[[武士]]も古い段階においては傭兵的要素を多分に有していたと言われている。[[律令制]]の衰微に伴って[[軍団 (古代日本)|軍団]]に替わって設けられた[[健児]]も[[庸]]・[[調]]の免除を受けた上に[[兵粮]]などの名目で多額の金米が支給されていた。その後、[[軍団]]制が復活するものの、実態は[[徴兵制]]的なものから傭兵的制度に移行していく事になる。
 
例えば、[[天平]]12年に起きた[[藤原広嗣の乱]]において、戦闘の帰趨を決したのは徴兵で集めた軍団兵ではなく、異民族の[[隼人]]や[[私兵]]として[[郡司]]に雇われていた騎馬兵だった<ref name="Fukuda">{{Cite book ja-jp|和書 |author = [[福田豊彦]] |title = いくさ |year = 1993 |chapter = 戦士とその集団 |publisher = 中央公論新社 |series = 中世を考える |editor = [[福田豊彦]] |isbn = 4642027041 |ref = harv }} pp.72-81.</ref>。
 
 
 
[[大同 (日本)|大同]]元年10月に、[[蝦夷]]の俘囚640人を[[太宰府]]に移動させて防人にしたのを始めとして、9世紀を通じて朝廷は東国で得た戦争捕虜を給養し、防人や[[海賊]]対策として西国で活用した<ref name="Fukuda"/>。
 
大同4年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]の[[太政官符]]には[[京都]]の守備兵増員の際に、徴兵された者が「兵士料(兵士銭)」を納めてこれを免れ、代わりに兵士となるものを雇用している実態が明らかにされている。
 
また、[[元慶]]7年に新たな海賊対策として、募集で集めた[[浪人]]に官費で装備を与え、要害を守備させる「禦賊兵士の制度」を設けている。これらの職業軍人の募集は、[[10世紀]]に諸国の実力者が「諸家兵士」「諸国兵士」と呼ばれる私兵を蓄えて組織化していく傭兵制度の基となった<ref name="Fukuda"/>。
 
 
 
また、地方官となった[[受領]]達には一般的には自分達を守る兵力を有していなかったために武芸に優れたものを一時的に「[[郎党]]」として雇い入れている事があった。『[[枕草子]]』には[[除目]]の際に受領の候補者とされる人の下に人が集まってきたが、受領になれなかったと聞いて散っていったという描写があるが、こうした人の中には「[[郎党]]」となってその経済的恩恵の分け前に与ろうとした人達も含まれていたと考えられている。『[[雲州消息]]』にも「参議藤原某より前将軍平某へ[[護衛]]の兵を借り受ける」書簡の文例が載せられているが、これもこうした傭兵的な慣習の存在を裏付けている。
 
 
 
中世以後の武士は土地との繋がりが密接だったほか、しばしば長期の平和で戦争が途絶えることがあったため、傭兵的要素は次第に失われていく事になるが、規模は小さかったものの[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[海賊衆]]と言われる[[水軍]]勢力や[[悪党]]・[[野伏]]・[[野武士]]と呼ばれる半農の武装集団や雑兵(広義的な[[足軽]]。中には、戦は二の次にして、[[乱妨取り]]ばかり行うケースが多く存在した。)などが比較的ポピュラーであったほか、[[雑賀衆|雑賀]]・[[根来衆|根来]]などの鉄砲、[[伊賀流|伊賀]]・[[甲賀流|甲賀]]の[[忍術]]といった特殊技能集団が傭兵的に雇われた。[[応仁の乱]]には[[骨皮道賢]]に代表される[[京中悪党]]と呼ばれる集団は図屏風にも描かれている。
 
 
 
また、出自が卑しくても、当時「[[器用人]]」と呼ばれた有能な[[武士]]は主人を幾度も替え、自分の才能を売り込み、[[藤堂高虎]]のように[[大名]]にまで出世した者もおり、事実上の傭兵とも言える。彼らの目的は金銭的恩賞というよりは、むしろ功績に対して主君から出される[[感状]]にあり、これを受けることで、次の仕官において高い報酬を得ることが可能となった。また、身分の別なく、自らを戦力として大名に押し売りする者もいた。彼らは[[陣借り]]と言い、自ら武具や兵糧を用意して戦場に駆けつけ、戦に参加した。恩賞を確実に貰えたわけではないが、これによって名を上げた武士もいる。
 
 
 
このようなものの最も大規模な例は[[大坂の役]]で[[大坂城]]に入城した[[浪人]]であろう。しかしこの戦で大坂方は負け、日本では[[徳川幕府]]による天下統一が成し遂げられた。
 
 
 
戦が無くなった国内に活動の余地がなくなり、日本の[[武士]]が多数海外に流出したのが当時の現象であった。浪人の中には、[[山田長政]]のように[[アユタヤ王朝|アユタヤ]]・[[プノンペン]]などに渡り現地の王朝に雇われる者も現れた。[[P・W・シンガー|ピーター・ウォーレン・シンガー]]によると[[イギリス東インド会社]]の傭兵の半数は日本人であったとのことである。また、[[アンボイナ事件]]において日本人傭兵が殺害される事件がおきている。こうしたことから海外での日本人傭兵の活動の片鱗をうかがうことができる。
 
 
 
近世になると、臨時雇い兵の雑兵は、足軽が大名に「常勤」による[[同心]]の身分として雇われることが多かったのと比較すると、不利な部分が多い下の[[中間]]、[[下人]]と呼ばれる身分は[[武家奉公人]]として必要時だけ雇われる「[[非正規雇用]]」の身分となることが多かった。
 
 
 
そして、[[明治維新]]を経て、武士集団は解体され近代国家として徴兵による国民軍が形成されるに至り、金銭で雇用される兵員という身分は日本からは消滅した。
 
 
 
=== ヨーロッパ ===
 
[[Image:Il Condottiere.jpg|thumb|200px|「コンドッティエーレ」([[レオナルド・ダ・ヴィンチ]])]]
 
古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する[[市民兵]]が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族や[[ガリア人]]など、のちに[[ゲルマン人]]の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、[[屯田兵]]のような形にすることが多くなった。また[[マラトンの戦い]]で[[重装歩兵]]の威力を知った[[アケメネス朝|ペルシア帝国]]においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある<ref name="民間軍事会社の世界展開">{{Cite journal|和書|author=[[阿部琢磨]]|title=民間軍事会社の世界展開|journal=軍事研究2008年6月号|publisher=[[ジャパン・ミリタリー・レビュー]]|date=2008-06-01}}</ref>。兵士の不足したローマ帝国では[[ローマ市民権|市民権]]を得るために[[アウクシリア|補助兵]]となる植民市民や属州民が多数存在したが、[[カラカラ]]帝による[[アントニヌス勅令]]を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを傭兵に頼ることとなった。
 
 
 
中世においては、西欧の戦闘の主力は[[騎士]]を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期には[[ノルマン人]]、後には王制の未発達な[[フランドル]]、[[スペイン]]、[[ブルゴーニュ]]、[[イタリア]]人などが多かった。ビザンティン帝国では主力として[[フランク人]]、[[ノルマン人]]、[[アングロ・サクソン人]]傭兵が使われた。この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している<ref name="民間軍事会社の世界展開"/>。国家は傭兵個人とではなく複数の兵士が集まった傭兵団([[フリーカンパニー]])と契約していたが、傭兵団も補強のため正式に叙勲されていない自称騎士([[黒騎士]])や[[フリーランサー]]の傭兵を雇い入れていた。
 
 
 
中世の終わりから近世にかけてイタリアの都市国家は独立性を高め、傭兵の需要が伸びたため、[[シニョーレ]]と呼ばれるイタリアの小君主が私兵ごと売り込んだ。これらの契約形態は[[コンドッティエーレ]]と呼ばれる。
 
 
 
近世に入ると王権が強くなり、軍隊の維持能力のある国の王は傭兵部隊を中心とした直轄軍を拡大させるようになる([[フランス]]王国における[[スイス傭兵]]等)。やがて常備軍は自国の兵が中心となるが、戦争が定常的に起こる中、傭兵も大きな役割を果たした(ドイツ傭兵[[ランツクネヒト]]など)。[[ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム]]が率いたスペインに対する反乱軍も、初期はほとんどがドイツ人傭兵で占められていた。
 
 
 
海軍が大規模に常備されるようになる以前は、海戦の主力は臨時で雇われる[[海賊]]や海運業者たちであった。16世紀から18世紀に盛んになった[[私掠船]]も民間船に臨時の[[私掠免許]]を与えていただけで、海の傭兵ともいえる。
 
 
 
[[近代]]以降は、[[フランス革命]]により[[国民国家]]が創設されると、国民の愛国心に訴えた軍制である[[国民軍]]という発想が出てくる。国民軍は傭兵より維持費が安価で、大量動員できることや国家と国民との一体化を図ることができるなどの利点から、傭兵の重要性は低くなった。しかし、アジア、アフリカ、南アメリカ等の[[植民地]]化において、傭兵的性格の非正規軍([[民兵]])が利用された。[[英印軍]]の[[グルカ兵]]や[[シク教徒]]たちもその類だが、19世紀にはスイスが国民の傭兵活動を禁じたことからカナダ出身者の傭兵が多く、[[クリミア戦争]]をはじめ[[イタリア統一戦争]]、[[南北戦争]]、[[メキシコ干渉]]にも多数参加していたという記録もある。また、フランスでは1831年に、実質上傭兵部隊である「[[フランス外人部隊]]」が創設され、現在に至っている。
 
 
 
=== 植民地経営と傭兵 ===
 
ヨーロッパに傭兵の地位の低下が目立ってきた一方、17世紀には各国の[[東インド会社]]が自国の権益を現地人や他国の[[東インド会社]]から守るために傭兵を活発的に雇っていた。おもに傭兵が活躍することが多くなった。躍した地域はインド亜大陸においてで、そのおもな傭兵の構成員はドイツやスイスの傭兵部隊、そして現地で募ったセポイ人、[[グルカ兵]]などの傭兵であった。植民地主義が各国で興り、植民地経営が[[東インド会社]]から帝国へと移っても基本的に傭兵の使用に関しては変わらなかった<ref>[[#菊池]]</ref>。
 
 
 
[[第二次世界大戦後]]に[[国際連合]][[総会]]において、1960年に[[植民地独立付与宣言]]がなされると、こうした植民地保有国の直接的な植民地経営が困難となった。そのため各国は自国の兵ではなく間接的に、傭兵を使って自国の権益を守ろうとした。たとえば、コンゴから分離した[[カタンガ共和国|カタンガ国]]のベルギーによる傭兵の派遣である。(またこの傭兵は[[ビアフラ内戦]]においても[[イギリス]]に雇われている。この時の[[イギリス]]の目的は[[イボ族]]の多い地域を[[ビアフラ共和国]]として独立させることによる[[石油]]利権の獲得であった<ref>[[#シンガー]]</ref>。)こうした傭兵の派遣は国連においても問題とされた。この問題が後の[[傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約]]につながる。(参考:安全保障理事会決議161、169など)
 
 
 
=== 著名な傭兵 ===
 
[[西ローマ帝国]]を滅亡させた[[オドアケル]]、[[ルネサンス]]期イタリアの傭兵隊長として、[[ウルビーノ]]の[[フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ]]や[[ミラノ]]の[[スフォルツァ家]](フランチェスコ・スフォルツァ、ルドヴィーコ・スフォルツァ)、[[三十年戦争]]時の[[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]や[[アンブロジオ・スピノラ]]などが著名である。また、ギリシア人でありながらペルシア帝国の傭兵として活動した[[クセノポン]]もいる。 [[ウィリアム・ウォーカー]]は、自分の国を持つという野心をかなえるために傭兵部隊を率いて侵略行為を繰り返した。[[ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン]]は [[盗賊騎士]]として[[フェーデ]]という制度を悪用していた。また、[[ドイツ農民戦争]]で傭兵隊長として民衆に味方しており、史実の人物としてよりも美化された[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の戯曲の主人公として著名である。
 
 
 
=== 傭兵の分類 ===
 
厳密に分類することはできず、実際には、以下のいくつかの特徴を兼ねている場合が多い。
 
; [[ヴァイキング]]([[ノルマン人]])や[[ゲルマン人]]のように移動してきた、あるいは周辺の異民族
 
: 戦闘には勇猛であるが、土地を欲しがり、時には雇用主がのっとられたり、略奪される場合がある。辺境に土地を与えて[[屯田兵]]のように定住させることも多い。
 
; [[イタリア]]の小領主のように本拠地を持つもの
 
: 収入の補完として傭兵稼業を行う。統制は取れており、技術も高い。職業倫理もあり雇い主をあからさまに裏切ることは少ないが、政治的に裏取引を行ったり、手抜きをすることはある。またドイツの小領主のように、封建領主でありながら(つまり主君を持ちながら)複数の相手と参戦契約を結ぶ者もあった。
 
; [[強盗騎士]]、[[山賊]]、[[野盗]]のたぐい
 
: 領地の少ない(ほとんど無い)小貴族、騎士などをリーダーとした、あぶれ者([[アウトロー]])の集団。戦があるときは傭兵として雇われ、無くなると[[略奪]]、[[強盗]]などを行うため庶民の迷惑の元となった。
 
; 常備契約によるもの
 
: 決まった相手に定常的に雇用される職業軍人。[[教皇庁]]・[[フランス王国]]に雇われた[[スイス人傭兵]]など。[[常備軍]]の先駆ともいえるが、外国人であるがために疑いの目を向けられることも多く、立場は不安定であった。
 
; 自らの意志によらないもの
 
: [[三十年戦争]]時には傭兵軍の勢力維持のために、たびたび募兵が行われていたが、体格に恵まれた者は強制徴募されることも少なくなかった。また領主が領民を徴兵して「傭兵」として売り払うこともあった。
 
 
 
== 現代の傭兵 ==
 
 
 
20 - 21世紀の現代においても各地の[[戦争]]・[[紛争]]において傭兵は存在し、特に民族・宗教紛争などでは傭兵の存在がちらつく。これには当事者集団に近代戦を行なうだけの能力が不足していたり、敵対勢力より戦力上の優位を素早く獲得するため傭兵を雇うのが便宜であるといった雇用者側の事情や、経済的な理由により危険はあるもののこれに応じようとする傭兵の成り手側の事情がある。広義では、雇われて戦争に関する仕事を行う者全てを傭兵と呼ぶこともあるが、[[ジュネーブ諸条約第一追加議定書]]の傭兵の定義を要約すると、「主に金銭、利益を目的として雇用され、戦闘行為を行う第三国人、およびその集団で、紛争当事国の軍隊の構成員とならない者<!-- 最後のが入らないとフランス外人部隊や紛争当事国の構成員として雇われた傭兵的活動を行う民間軍事会社社員が傭兵の定義に含まれてしまいます。-->」に限定される。従って、狭義の傭兵では、アフリカなどで活躍した「個人・小グループの傭兵」のみがあてはまる。他の「傭兵に似たもの」としては以下のものが挙げられる。
 
 
 
* 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ技術者タイプ
 
* 元軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「[[民間軍事会社]]」(個人を指すときはプライベートオペレーターという)タイプ
 
* [[フランス軍]]([[フランス外人部隊]])、[[スペイン軍]]([[スペイン外人部隊]])、[[イギリス軍]]([[グルカ兵]])などにおける正規軍部隊のひとつとしての外国人部隊
 
* [[バチカン市国]]における[[スイス人傭兵]]による警護隊
 
* [[麻薬カルテル]]や独裁者など、反道徳的とされる人物らが雇った私設軍隊([[ロス・セタス]]や[[リビア]]のアフリカ系傭兵など)
 
 
 
このうち、正規軍として扱われる外人部隊については[[フランス外人部隊]]などを参照。バチカン市国のスイス人傭兵の例は、中世からの慣例に基づく[[栄誉礼|儀仗兵]]である。現在、[[スイス]]の法律では傭兵となることを禁止しており、儀仗兵は唯一の例外とされている(バチカンの聖職者が自力で領域を守る事は出来ない)。
 
 
 
=== 個人または小グループの傭兵 ===
 
通常、著名な傭兵が雇い主と契約を交わし、その傭兵の元に以前からのグループや[[フリーランス]]の傭兵が集まるという形態を取る。現代の傭兵は金銭・利益のためだけではなく、しばしば自己の支持する主義・宗教などの側に立って戦うという点で、歴史的な傭兵とは違い、[[義勇軍|義勇兵]]的な側面を持っている。
 
<!-- ノート参照
 
基本的に傭兵の持つ武器は自前であり、ハイリスクローリターンのケースが多い。-->
 
[[File:Mercenary Commando Combat Unit 5, Wild Geese,.JPG|thumb|right|170px|アンゴラ内戦に参加した「ワイルドギース」第5コマンドのベレー帽]]
 
==== 傭兵が加わった主な紛争 ====
 
* [[コンゴ動乱]](1960年 - 1965年)
 
* [[ローデシア紛争]](1965年 - 1979年)
 
* [[ビアフラ戦争]](ナイジェリア内戦、1967年 - 1970年)
 
* [[アンゴラ内戦]](1975年 - 1979年)(1992年-1995年)
 
* [[セーシェル]](1978年 - 1982年)
 
* [[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]](1992年 - 1995年)
 
* [[シエラレオネ内戦]](1997年 - 1998年)
 
* [[コモロ]](継続的に[[クーデター]]が発生)
 
* [[2011年リビア騒乱]](詳細は[[2011年リビア騒乱#傭兵]]を参照)
 
* [[マリ北部紛争]](2012年) - リビアで傭兵をしていた[[トゥアレグ族]]が反政府勢力の中心となった。
 
 
 
==== 著名な傭兵 ====
 
; [[マイク・ホアー]](1920年 - )
 
: インド生まれの[[アイルランド人]]でイギリス軍人。第二次世界大戦中は[[ビルマの戦い|ビルマ戦線]]で[[日本軍]]と戦う。退役後、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]へ移住。1961年、第一次コンゴ動乱で白人傭兵企業インターナショナル・カンパニーを設立。第二次コンゴ動乱では第5コマンド「[[ワイルド・ギース]]」を率いて活躍。その後、コンゴでの経験から「無能」と思い込んでいたディナール(後述)が、コモロでクーデターに成功したことに刺激され、1981年のセーシェルのクーデターに参加するが失敗。脱出時に民間航空機を強奪したため、[[ハイジャック]]容疑、反傭兵法違反で10年の刑を受け、1988年に釈放される。自らをモデルとした映画『[[ワイルド・ギース]]』の監修もした。
 
; [[アリステアー・ウィックス]]
 
: イギリスで生まれ[[ローデシア]]に移住。ローデシア軍人。[[オックスフォード大学]]出身。第一次コンゴ動乱でインターナショナル・カンパニーに参加。[[第二次コンゴ動乱]]ではマイク・ホァーの副官を務める。マイク・ホァーはウィックスを最も信頼出来る副官と評している。コンゴ動乱終結後、[[ビアフラ戦争]]へビアフラ側として参加を画策するがジョン・ピータースの妨害によって失敗し、その後は行方不明。
 
; [[ロジャー・ファルケス]]
 
: フランス人。レジスタンスとして[[第二次世界大戦]]を戦ってから[[サン・シール陸軍士官学校]]を卒業し、[[フランス外人部隊]]の士官としてインドシナやアルジェリアで戦う。軍を辞してからは傭兵となり、イエメンや[[カタンガ共和国]]で戦う。
 
; [[ジークフリート・ミュラー]](1920年 - 1983年)
 
: ドイツ人。[[第二次世界大戦]]には[[ドイツ国防軍]]の戦車猟兵として参加した。戦後、アメリカ陸軍の軍属や再軍備委員などを経てコンゴ動乱の折に傭兵となる。マイク・ホアーの元で戦った。後にいくつかの映画で登場人物のモデルにされた。
 
; [[ジョン・ピータース]]
 
: イギリスで生まれローデシアに移住。ローデシア軍人で{{仮リンク|ローデシア特殊空挺部隊|label=ローデシアSAS|en|Rhodesian Special Air Service}}に所属。1964年、第5コマンドに入隊し、ホァーの右腕として活躍。1965年には、ホァーより第5コマンドの指揮権を引き継ぐ。その後、[[ビアフラ戦争]]に[[ナイジェリア]]政府側として参加を画策するが失敗し、行方不明。
 
; [[ボブ・ディナール]](1929年 - 2007年)
 
: フランス人。フランス軍人として[[インドシナ]]、[[モロッコ]]で戦う。以降、傭兵として[[ジンバブエ]]、[[イエメン]]、[[イラン]]、[[ナイジェリア]]、[[ベナン|ベニン]]、[[ガボン]]、[[アンゴラ]]、[[コンゴ民主共和国|ザイール]](現・コンゴ民主共和国)、[[コモロ]]で戦う(主に共産勢力と戦い、フランス政府の暗黙の支持があったと考えられている)。[[ディナール]]の指揮する第6コマンドの戦闘力には問題が多く、ホァーからは無能な指揮官と評されていたが、これは第6コマンドの任務が後方の治安維持が主のため、性質上、ホァーの部隊のような迅速な行動ができなかった誤解からと思われる。ディナールに言わせれば、ホァーは(人実救出を急がねばならない事情もあるにせよ)慎重さを欠き、事実、第5コマンドは戦果と引き換えに死傷率は40%に上っている。決して無能な人物ではなく、大統領の警護隊長という立場で長く[[コモロ]]の実質的支配者となっていた。1995年、コモロで逮捕された後、フランスへ送還され、10ヶ月服役する。晩年は[[アルツハイマー病]]を患っていた。
 
; [[ジャン・シュラム]](1929年 - 1988年)
 
: [[ベルギー人]]でマイク・ホアー、ロベール・ディナールなどと共にコンゴで戦う。元々軍人ではなく、地元の裕福な農場主で実業家。第10コマンドの指揮官で「ブラック・ジャック」の異名を持つ。1967年7月、独裁化した[[モブツ・セセ・セコ|モブツ]]政権に、コンゴでの白人資産の接収を危惧し、また部下として苦楽を共にしてきたカタンガ人への迫害が現実のものとなったため、ディナールと組んで、カタンガの元首相チョンべを担ぎあげた傭兵による反乱を起こすが、チョンべが誘拐されて出ばなをくじかれ、反乱は失敗する。なお、ディナールはこの反乱のための武器を運ぶ際、流れ弾で負傷したり、アンゴラで騒動に巻き込まれて足止めされたりして、反乱には参加できなかった。1968年には[[ベルギー]]に帰国するが、コンゴでモブツに反乱計画を漏らそうとしたベルギー人を殺害したとされ、その容疑で逮捕される。保釈中の1969年にベルギーを出国しその後は行方不明となる。その後、1988年にブラジルで死去したと言われている。
 
; [[コスタス・ジョージウー]](1951年 - 1976年)
 
: キプロス人。「カラン大佐」の異名を持つ。イギリス軍のイギリス陸軍落下傘連隊に所属し、部隊では射撃の名手として知られるも素行不良で除隊、銀行強盗で服役する。アンゴラ内戦で最初は看護士としてボランティア活動に参加し、この時は周囲からはかなり慕われていたようである。しかし[[アンゴラ民族解放戦線]]のために戦う傭兵部隊を率いるようになると、性格の異常さが明白になる。個人的には非常に勇敢であり、恐らく一人で100人以上の敵を倒しているが、指揮官としての能力不足と、残虐で独裁的な性格により、白人傭兵も含む100人以上の隊員を命令無視のかどで処刑しており、結局はこのことが原因で味方からも見限られ、敵中に孤立してしまった時に救援を得ることが出来ずにアンゴラ政府軍および顧問のキューバ軍に逮捕され、裁判の末に銃殺刑に処された。
 
; [[ピーター・マッカリース]]
 
: イギリス人。イギリス軍では[[特殊空挺部隊|SAS]]に配属され、アンゴラ内戦に傭兵として参加した後ローデシアSAS、南アフリカ国防軍第44空挺部隊に参加する。その後COINセキュリティ・グループの一員としてコロンビアで[[メデジン・カルテル]]をスポンサーとする準軍事組織を訓練し、後に[[パブロ・エスコバル]]の暗殺作戦に参加。ロシアでは[[ボディーガード]]の養成を行った。その他アルジェリア、イラクでも活動した。
 
; [[ヤイール・クライン]]
 
: イスラエル人。イスラエル国防軍に所属後、スピアヘッド・リミテッドを設立。コロンビアのメデジン・カルテルの準軍事組織や右翼武装集団に武器や訓練サービスを提供した。その後[[革命統一戦線]]に武器を供給した容疑でシエラレオネ当局に拘束されるも脱走。2007年にコロンビアでのテロ支援容疑からインターポールより国際指名手配を受け、同年8月にロシアのモスクワで逮捕される。
 
; [[サイモン・マン]](1952年 - )
 
: イギリス人、イギリス軍人。裕福な家庭に生まれ、[[イートン校]]を卒業後、[[サンドハースト王立陸軍士官学校|陸軍士官学校]]に入学。近衛歩兵第三連隊に配属されるが、[[特殊空挺部隊|SAS]]に志願。軍を退役した後、傭兵になる。アンゴラと[[シエラレオネ]]で[[傭兵企業]]「[[エグゼクティブ・アウトカムズ]]」を派遣し、後に傭兵企業「[[サンドライン・インターナショナル]]」を設立。[[パプアニューギニア]]政府に雇われ[[ブーゲンビル島]]の反乱を鎮圧を依頼される。[[1997年]]、引退し南アフリカへ移住。近所には[[スペンサー伯爵]]や[[マーク・サッチャー]]([[マーガレット・サッチャー]]の息子)などのイギリス上流階級の邸宅が立ち並んでいた。[[2004年]]、ジンバブエで[[赤道ギニア]]のクーデターを計画した容疑で逮捕、7年の刑を受けた。この作戦はマーク・サッチャーが資金援助に加わったとされる。
 
; [[ニック・ドゥトワ]]
 
: 南アフリカ人。軍時代は第32大隊と特殊部隊旅団に所属する。エグゼクティブ・アウトカムズの一員としてリベリア・アンゴラ・シエラレオネで戦い、武器売買やダイヤモンド取引などの事業にも関わるようになる。しかしその後、サイモン・マンのクーデター未遂事件で逮捕される。
 
; [[コバス・クラセンス]]
 
: 南アフリカ人。南アフリカ陸軍を除隊後エグゼクティブ・アウトカムズに所属。同社を去った後は警備会社を起業し、ヘリテージ・グループ社長が紛争地帯における鉱山利権に興味を示していたと発言する。映画「[[ブラッド・ダイアモンド]]」で[[レオナルド・ディカプリオ]]が演じていた元傭兵のモデルと言われている。
 
; {{仮リンク|ニール・エリス|en|Neall Ellis}}(1949年 -)
 
: 南アフリカ人。ローデシア軍に所属し、その後南アフリカ空軍に所属。エグゼクティブ・アウトカムズとサンドライン・インターナショナルに所属して[[Mi-24]]ヘリコプターの操縦を担当し、シエラレオネで戦った他、イギリス[[特殊空挺部隊]]の[[シエラレオネ人質救出作戦|イギリス軍兵士救出作戦]]にも参加する。
 
; [[ボブ・マッケンジー]](1948年 - 1995年)
 
: アメリカ人。[[アメリカ陸軍]]の軍人として、[[ベトナム]]で戦う。その後ローデシアSASの隊員としてローデシアで戦い、以降、傭兵として[[エルサルバドル]]、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ|ボスニア]]、[[ブーゲンビル島]]などで活躍。1995年、[[シエラレオネ]]の反政府勢力の[[革命統一戦線]] (RUF) を[[ダイヤモンド]]鉱山などから追い払うため、「グルカ・セキュリティー・グループ」([[GSG]]) の司令官としてグルカ兵を引き連れて、シエラレオネに到着するが、到着後すぐにRUF軍の待ち伏せ攻撃に会い、RUFの[[ゲリラ]]との戦闘で死亡。遺体は見せしめとしてRUFの[[ゲリラ]]に食べられた。
 
; [[ロルフ・シュタイナー]](1933年 - )
 
: ドイツ人。[[第二次世界大戦]]時には[[ヒトラー・ユーゲント]]に参加。戦後、[[フランス外人部隊]]に加わり[[第一次インドシナ戦争]]や[[アルジェリア戦争]]に参加。[[除隊]]後傭兵となる。フランス政府の紹介で[[ビアフラ共和国]]に雇われる。シュタイナーは傭兵とビアフラ兵で「シュタイナー軍団」と呼ばれた第4奇襲旅団を編成。しかし、ビアフラの指導者[[オジェク]]との仲が悪く追放された。[[1969年]]には、[[スーダン]]内戦で、南部黒人反政府勢力を支援するが失敗。[[ウガンダ]]で怪我の療養をしていたところ、ウガンダ政府に拘束され、スーダン政府に身柄を引き渡される。死刑を宣告されたが、[[西ドイツ]]政府の尽力により、国外追放で西ドイツに帰国。体調を崩し、現役から引退した。[[フレデリック・フォーサイス]]の小説『[[戦争の犬たち]]』に同名の傭兵が登場し、そのモデルにもなっている。
 
; [[ジョン・バンクス]](1946年 - ?)
 
: イギリス人。[[イギリス空挺部隊]]に参加、除隊後傭兵になる。1975年、傭兵会社「[[インター・ナショナル・セキュリティー・オーガナイゼーション]]」を設立し、[[ローデシア]]で仕事をするために大々的な傭兵募集を行う。しかし、土壇場で[[金主]]がキャンセルしたため、募集は中止に追い込まれる。金主はイギリス政府で、ローデシアへの交渉圧力カードとして利用されたといわれている。その後、[[アンゴラ内戦]]に参加するが、行方不明となる。
 
; [[カール・グスタフ・フォン・ローゼン]](1909年 - 1977年)
 
: スウェーデン人。[[スウェーデン]]の貴族で、[[伯爵]]である。傭兵と言うよりも押しかけ[[義勇兵]]の性格が強い。[[ナチス・ドイツ]]の国家元帥[[ヘルマン・ゲーリング]]夫人[[カリン・フォン・カンツォフ]]は実の姉。父[[エリック・フォン・ローゼン]]は[[1916年]]の[[フィンランド独立戦争]]に義勇兵として参戦し、その功績をたたえられてエリックが使用していた青い[[スワスチカ]]は[[国章]]として使用される。カールは民間航空会社のパイロットであったが、[[ビアフラ戦争]]で[[ビアフラ共和国]]への支援物資を運搬したことを契機に、ビアフラ空軍再建に関わり、自ら作戦指揮も執る。さらに、[[エチオピア内戦]]で飢餓に苦しむ難民に支援物資を投下する「エチオピアの爆撃」を行う。しかし、1977年にエチオピアで地上待機中に[[ソマリア人]]ゲリラに襲撃され死亡した。
 
; [[ウィリアム・アレクサンダー・モーガン]](1928年 - 1961年)
 
: キューバ革命勢力「[[7月26日運動]]」に参加したアメリカ人で、社会主義を目指したカストロ政権で、処刑される。
 
; [[毛利元貞]]
 
: [[自衛隊]]脱柵後、[[フランス外人部隊]]も脱走した、危機管理能力が高い元傭兵の軍事アドバイザー、作家。
 
; [[柘植久慶]]
 
: [[コンゴ動乱]]に参加。自称であり、事実であるかは不明。
 
; [[高部正樹]]
 
: アフガニスタン紛争にて初の実戦を経験。その後カレン族と共に戦い、また[[クロアチア]]傭兵部隊「ビッグ・エレファント」の一員として、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]に参戦した経験を持つ。著書<!--「傭兵の誇り」-->によると「日本で資金を集めて、(自分を鍛えるために)海外で戦う」がモットーである。
 
; [[斎藤昭彦]](1961年1月5日 - 2005年5月)
 
: [[第1空挺団 (陸上自衛隊)|第1空挺団]]に所属する陸上自衛官であったが退職し、1983年6月から2004年12月までフランス外人部隊に在籍。部隊での最終的な肩書きは上級特務曹長。[[民間軍事会社]]「ハート・セキュリティ」社に傭兵として雇われイラクで活動していたところをイスラーム武装組織「[[アンサール・スンナ軍]]」に拉致され、殺害された。([[民間軍事会社]]の項も参照のこと)
 
; [[テッド・新井]](1931年 - 2007年2月5日)
 
: [[朝鮮戦争]]参加後、南アフリカの傭兵チーム「LBRT」に所属。その後射撃のインストラクターとなり、ボリビアに活動拠点を移した直後の観光旅行中に強盗に射殺される。
 
;傭兵企業と呼ばれた会社
 
:* [[エグゼクティブ・アウトカムズ]](1998年閉鎖)
 
:* [[サンドライン・インターナショナル]](2004年閉鎖)
 
:* [[GSG|グルカ・セキュリティ・ガード]]
 
:* [[インターナショナル・スペシャル・ガーディアンズ]]
 
:* [[ブラックウォーターUSA]](現Xe社<!-- イラクでの事件が下で改名 -->)
 
 
 
=== 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ専門家タイプ ===
 
これは、[[冷戦]]時代に数多く見られたケースで、航空機や艦艇の製造国である先進国のパイロットや技術者が、発展途上国の空軍や海軍に派遣されて技術指導や訓練ばかりでなく、実戦にも参加するケースである。現在の兵器が極めて精密緻密なために、高度な技術を保有しなければ運用・整備ができなくなっているためという事が大きい。
 
 
 
たとえば、[[リビア]]空軍や[[スーダン]]空軍、初期の[[エジプト]]空軍などでは旧[[ソビエト連邦]]から派遣されたパイロットが航空機を運用していた。また、第二次世界大戦以前の[[タイ王国海軍|タイ海軍]]は外国人の海軍士官が多く存在しており、彼らが艦艇の運用とタイ人海軍兵士の訓練を担当していた。また、やはり第二次大戦中のアメリカが、[[日中戦争]]で中国支援の為の義勇部隊(空の賞金稼ぎ)「[[フライング・タイガース]]」を活動させようとしていた(結局、実際に部隊が戦闘に参加したのは日米開戦後になった)。この他、[[中華人民共和国]]や[[フランス]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]などがパイロットや教官を発展途上国に多く派遣しているといわれる。[[ベトナム戦争]]中に[[中央情報局|CIA]]が関わった「[[エア・アメリカ]]」もこの一と言えよう。
 
 
 
アフリカ諸国など発展途上国においては空軍は装備ばかりでなく訓練システムも貧弱であり、自国民のパイロットが育成できない場合も多い。この場合、内戦・クーデターなど緊急事態においては傭兵のパイロットが航空機の運用に関わる事がしばしばある。[[チャド]]の[[内戦]]においては、チャド空軍の[[A-1 スカイレイダー|A-1スカイレイダー]][[攻撃機]]はもっぱらフランス人傭兵が運用していた。
 
 
 
この場合、契約は国家間もしくはそれにメーカーを加えたケースが多い。もっとも、国家間で協定がなされ専門家が派遣されるような場合に、実質的にそれをどこまでが傭兵であり、どこからが軍事支援・軍の派遣などであると捉えるかの線引きは、明らかなものではない。
 
 
 
さらに、先進諸国であっても、軍の合理化策として比較的機密事項の少ない輸送・訓練・支援(給油など)を民間企業(元軍人が経営する事が多い)に[[アウトソーシング|委託]]する事もあり、この点でも線引きは曖昧になりつつある。(詳しくは民間軍事会社を参照のこと。)
 
 
 
=== 退役軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「民間軍事会社」タイプ ===
 
このタイプの傭兵については[[民間軍事会社]] (PMC) の項も参照。
 
 
 
純粋な営利目的として[[内戦]]や[[クーデター]]に関わるという事で、歴史的な意味での傭兵にもっとも近いといえる。ただし、特殊作戦や航空作戦を除いて直接実戦に参加する事は少なく、顧問・教官という形で間接的に実戦に参加する。「雇用主」は正規の政府が多く、時には油田や鉱山などその国に利権を持つ大企業である場合もある。
 
 
 
こうした傭兵は元[[特殊部隊]]員などの軍人出身者([[退役軍人]])が多く、組織化されて企業化されている事もある。イギリス、アメリカ、南アフリカ(現在は非合法化)などにこうした企業が存在する。大手企業の一部には[[戦車]]、[[装甲兵員輸送車]]、[[榴弾砲]]、[[攻撃ヘリコプター]]といった、正規軍と大差ない装備を独自に保有している事もある。
 
 
 
ただし、表向きは「'''民間警備支援サービス'''」などと称する場合がほとんどである(更に、民間軍事会社所属の傭兵は、「'''[[警備員]]'''」「'''警備会社社員'''」と称すことも多い)。実際に、当初は発展途上国や治安の悪化している国においてオフィス・工場・鉱山などの警備をしていた者を、発展途上国の政府が見込んで依頼をしたというケースが多い。
 
 
 
需要者としては発展途上国に多い。これらの国の政府軍は技術・装備に乏しく、また士気に問題があることもあって兵士としての十分な行動に期待できない場合がある。特に内戦を抱える発展途上国は[[冷戦]]時代には各陣営から支援を受けて軍事力でそれを抑え込んでいたが、冷戦が終わりそれもなくなってしまうと、そうした発展途上国は反乱分子の鎮圧を民間軍事会社に頼るようになった。
 
 
 
さらに、[[内政不干渉の原則]]などにより正規軍兵士の身分を持つ者が関わる事が困難な任務も存在する。このような場合、政治的リスクが小さい傭兵を受け入れるという事になる。アフリカ諸国では旧宗主国の思惑がからむ場合も多く、例えば、[[アンゴラ内戦]]においては、冷戦期に敵であった南アフリカ軍の元兵士達を主力とする傭兵企業「[[エグゼクティブ・アウトカムズ]]」が、1990年代に政府軍の支援を行い、一定の成果を上げたといわれる{{要出典|date=2010年6月|title=なぜ旧宗主国の思惑の部分にアンゴラ内戦の例を挙げたのかわからないので出典を求めます。}}。また、西側先進国政府が雇用主であることも多い。この場合、世論の動向から表立って軍事介入はできないが、国益やビジネスのためのかなり「ダーティー」な解決法として利用される。当然露見した場合のリスクはかなり高い{{要出典|date=2010年6月|title=露見リスクについては日本国内ではあるかもしれませんが、普通に活動していたりするので露見リスクはないと思われます。}}。<!-- 石油地域の警護などがあげられる。またリスクの高いものとしては非人道的な国家や制裁地域における民間軍事会社の利用による利権の確保など。スーダンなどがあげられる。 -->
 
 
 
さらに近年、軍事予算の削減や正規軍兵士の戦死が世論から非難を受けるという傾向を踏まえ、危険性の高い地域でのパトロール任務を民間「警備」会社に委託するケースも見受けられるようになっている。[[イラク戦争]]においても正規軍以外に[[要人警護]]や特殊任務に参加している「民間人」が確認されている。これらもこうした傭兵の一つと考えられる。
 
 
 
=== 傭兵になった場合の法的問題 ===
 
国家が編成した軍隊の[[外人部隊]]へ入隊した者は国が身分を保障するため、法的には傭兵ではなく正式な軍人として扱われる。<!-- "国家の軍隊構成員に組み入れられる"がより正しい気がします -->一方で、企業や個人が雇用する傭兵の場合は、「[[非合法戦闘員]]」あるいは単なる[[犯罪者]]と解釈され、捕虜になったとしてもジュネーブ条約における捕虜の規定が適用されずに処罰される可能性が高い。<!-- 傭兵には人道法の観点からあらゆる捕虜の権利を剥奪されるという見方もあるが、国際人権法による基本的な人権は与えられるというのが一般的のようです -->また、自国の在外機関や軍の救難部隊の援助を求めることは困難である。さらに、後者で敵戦闘員やテロリスト等を殺害した場合、たとえ無事に帰国しても、殺人罪の[[国外犯]]として自国政府に罰せられる可能性がある。
 
 
 
国によっては傭兵になること自体を犯罪行為としている国もあり、[[マイク・ホアー]]や[[サイモン・マン]]のように[[反傭兵法]]で実刑を受けた例もある。[[反傭兵法]]では傭兵の雇用者や資金提供者も処罰の対象としており、2005年1月に[[マーガレット・サッチャー]]の長男であるマーク・サッチャーが赤道ギニアのクーデターを企んでいた傭兵の[[サイモン・マン]]へ資金援助を行った容疑で逮捕され反傭兵法で起訴有罪になっている。日本では[[ISIL]]の戦闘員として[[シリア]]に向かうことを計画した大学生に[[国交に関する罪|私戦予備罪・私戦陰謀罪]]が適用された<ref name=j-cast>{{Cite web|title=「私戦予備および陰謀」とはどんな罪なのか イスラム国に参加計画の大学生を事情聴取、法曹関係者も驚く|publisher=J-CAST|date=2014-10-07|url=https://www.j-cast.com/2014/10/07217815.html?p=all|accessdate=2018-06-02}}</ref>。
 
 
 
このように現代では法的な民間軍事会社の立場が非常に不明確であることが問題となり、2008年9月17日に[[モントルー文書]]として民間軍事会社の人員に対する指針が作成された。指針であり条約ではないため、批准国であっても守る義務は無いがどう扱うべきか判断する基準となっている。2009年9月現在、スイスのモントルーで[[モントルー文書]]を正規の条約とするための会議が行われている。
 
 
 
== 出典 ==
 
<references/>
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [http://www.rhodesia.jp/mercenary.html Institute of Rhodesian Army - アフリカの傭兵]
 
* {{Cite book|和書|author=[[P・W・シンガー]]|others=[[山崎淳]](訳)|title=戦争請負会社|publisher=NHK出版|year=2004|isbn=4140810106|ref=シンガー}}
 
* {{Cite book|和書|author=ロルフ・ユッセラー|others=[[下村由一]](訳)|title=戦争サービス業—民間軍事会社が民主主義を蝕む|publisher=日本経済評論社|year=2008|isbn=4818820164}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[菊池良生]]|title=傭兵の二千年史|publisher=講談社|year=2002|series=講談社現代新書|isbn=4061495879|ref=菊池}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[菅原出]]|title=外注される戦争—民間軍事会社の正体|publisher=草思社|year=2007|isbn=4794215762}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[松本利秋]]|title=戦争民営化—10兆円ビジネスの全貌|publisher=祥伝社|year=2005|series=祥伝社新書|isbn=4396110189}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[民兵]]
 
* [[グルカ兵]]
 
* [[ランツクネヒト]]
 
* [[フリーカンパニー]]
 
* [[スイス傭兵]]
 
* [[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]
 
* [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]](バルバロッサ)
 
* [[パヴィアの戦い]]
 
* [[ローマ略奪]]
 
* [[三十年戦争]]
 
* [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]
 
* [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)#グスタフの評価とその後のスウェーデン|グスタフ・アドルフ]]
 
* [[フランス外人部隊]]
 
* [[ルイ2世 (モナコ大公)]]
 
* [[エルンスト・レーム]]
 
* [[ペダル1世]]
 
* [[民間軍事会社]](武装警備員)
 
* [[フリーランス]]
 
* [[東インド会社]]
 
* [[国際人道法]]
 
  
 
{{デフォルトソート:ようへい}}
 
{{デフォルトソート:ようへい}}

2019/4/26/ (金) 23:27時点における最新版

傭兵(ようへい、: mercenary

志願兵の一変種で,一般人や外国人を金銭的雇用関係によって軍隊に組織する制度,およびその兵士のこと。忠誠心が弱く,兵卒素材としては劣悪なことが多いが,自国民の温存をはかり,または兵力不足を補うためよく使われた。古代ギリシアの末期に各ポリスが雇った傭兵,ローマ帝国末期のゲルマン傭兵軍,中国で8世紀以後,五代,宋の時代に兵の主力となった傭兵部隊,中世末期イタリアなどの新興都市や絶対君主が雇った傭兵隊や傭兵隊長 (コンドッティエーリ ) などは歴史上有名である。近年ではバチカンの教皇庁に雇われているスイス人傭兵,フランスがアフリカ植民地の支配に用いた外人部隊,第2次世界大戦後のアフリカ諸国の独立に伴い,それらでみられる雇い入れの外人部隊などがある。



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