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(日本国憲法施行後)
 
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'''侍従'''(じじゅう)
[[ファイル:Osaka Rekishi Hakubutsukan Jiju.jpg|280px|thumb|礼服をまとった侍従(大阪歴史博物館)]]
 
'''侍従'''(じじゅう)とは、広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。日本においては、特に[[天皇]]に側近奉仕する[[文官]]や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。なお、[[武官]]による[[侍従武官]]や[[皇太子]]に付される[[東宮侍従]]については、それぞれ項目を参照のこと。
 
  
== 沿革 ==
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(1) 律令制における中務省所属の官人。天皇に近侍してその職務を補った。「おもとひと」ともいう。唐名は拾遺。『大宝令』では8人であったが,11世紀中頃から増員されて 20人程度になった。そのうち3人は[[少納言]]を兼帯し,従五位下のものが任命された。その詰所を侍従局といい,侍衛の官であったため帯剣が許された。そのほかに8省から功労ある四,五位の者が選ばれ御前の雑事を司る次侍従,即位,元日朝賀に侍従として伺候する三,四位の擬侍従などがあった。
=== 律令官制の侍従 ===
 
[[日本の官制|律令官制]]の侍従は、和名を「まへつきみ(まえつきみ)・おもとびと・おもとびとまちぎみ」、[[唐名]]は{{仮リンク|拾遺 (官)|label=拾遺|zh|拾遺 (官名)}}などという。
 
  
[[飛鳥浄御原令]]の段階では設置されていなかったとみられている<ref>柳雄太郎「中務省の成立について」(初出:『史聚』46号(2013年)/所収:柳『律令制と正倉院の研究』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-04617-6)</ref>。[[大宝律令|大宝令]]によると、[[従五位下]]相当官で、[[中務省]]に属するとされた。定員8名であったが、時代と共に増員され、最大20名程まで増員された。うち3名は[[少納言]]を兼任した。侍衛官であるため帯剣した。[[平安時代]]に[[蔵人所]]が設置されてその役割が急速に縮小され、多くは[[大納言]]、[[中納言]]、[[参議]]が兼任するようになる。[[中世]]においては、侍従は専ら[[儀礼]]を担当することになり、[[天皇]]に側近奉仕する官としての色合いが薄れた。
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(2) 明治2 (1869) [[宮内省]]におかれた職。
 
 
定員が8名の頃、92名の'''次侍従'''が置かれ、侍従と併せて100名の定員とした。次侍従は四、五位で長年の勤務実績がある者が、[[八省]]、その他の役所から選抜され任命された。職掌は天皇の側で雑務を担当した。
 
 
 
=== 近代以降の侍従 ===
 
[[1869年]] ([[明治]]2年)、[[宮内省]]に属することとなった。[[1871年]]にはその長として'''侍従長'''(じじゅうちょう)が置かれ、[[徳大寺実則]]・[[河瀬真孝]]・[[東久世通禧]]の3人が任命された。
 
 
 
宮内省官制([[1907年|明治40年]]皇室令第3号)によると、「侍従長ハ親任又ハ勅任トス常侍奉仕シ侍従職ヲ統轄シ便宜事ヲ奏シ旨ヲ宣ス」・「侍従ハ……奏任トス側近ノ事ヲ分掌ス」とされていた。[[侍従武官長]]が慣例として陸軍から任用されていたのに対し、[[鈴木貫太郎]]以降の侍従長は海軍より続けて任用された。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]後は、一時期の[[宮内府]]時代を経て[[宮内庁]]侍従職に属する。[[国家公務員法]]([[1947年|昭和22年]][[法律]]第120号)施行以降も、侍従は同法の適用を受けない[[特別職]]とされ、一級官・二級官などの区別が存続していた([[官記]]に「二級に叙する」などと記載)が、[[中央省庁再編]]後は官記への級別記載はされなくなった。
 
 
 
なお、侍従は特別職であるため定年はないが、70歳を超えると自己申告したうえで退任する慣例がある<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/140202/imp14020210140000-n1.htm 「天皇陛下を支え48年、目黒侍従が退官」]産経新聞  [[2014年]]2月2日配信</ref>。
 
 
 
侍従長の職は[[認証官]]であり、その任免は天皇により認証される。認証官ではない宮内庁次長よりも格上であり、給与も僅かながら高い。
 
 
 
侍従長以外の侍従職に下記の職がある。
 
 
 
'''侍従次長'''(じじゅうじちょう)と'''侍従'''(じじゅう)
 
 
 
'''内舎人'''(うどねり)…天皇の身の回り全般の世話をする。
 
 
 
'''殿部'''(でんぶ)…御所の清掃作業などで仕人を指揮する。
 
 
 
'''仕人'''(つこうど)…殿部を補佐し、主に御所の表側や外回りの清掃、整備などを行う。
 
 
 
== 歴代侍従長 ==
 
=== 明治以降大日本帝国憲法下 ===
 
[[File:11 KatsuraT.jpg|thumb|right|200px|桂太郎]]
 
# [[徳大寺実則]] [[1871年]][[9月18日]](旧暦: 明治4年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[1877年]](明治10年)[[8月29日]]
 
#: [[1884年]]([[明治]]17年)に再任。
 
# [[河瀬真孝]] [[1871年]][[11月2日]](旧暦: 明治4年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[1873年]](明治6年)[[9月30日]]
 
# [[東久世通禧]] [[1871年]][[11月27日]](旧暦: 明治4年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[1877年]](明治10年)8月29日
 
# [[山口正定]] [[1878年]](明治11年)[[12月24日]] - [[1884年]](明治17年)[[3月22日]]
 
# [[米田虎雄]] [[1878年]](明治11年)[[12月24日]] - [[1884年]](明治17年)[[3月22日]]
 
# 徳大寺実則 1884年(明治17年)[[3月21日]] - [[1912年]]([[大正]]元年)[[8月13日]]
 
# [[桂太郎]] [[1912年]]([[大正]]元年)8月13日 - [[12月21日]]
 
# [[鷹司煕通]] [[1912年]](大正元年)12月21日 - [[1918年]](大正7年)[[5月15日]]
 
# [[正親町実正]] [[1918年]](大正7年)[[5月27日]] - [[1922年]](大正11年)[[3月22日]]
 
# [[徳川達孝]] [[1922年]](大正11年)3月22日 - [[1927年]]([[昭和]]2年)[[3月3日]]
 
# [[珍田捨巳]] [[1927年]]([[昭和]]2年)3月3日 - [[1929年]](昭和4年)[[1月16日]]
 
# [[鈴木貫太郎]] [[1929年]](昭和4年)[[1月22日]] - [[1936年]](昭和11年)[[11月20日]]
 
#: [[1929年]](昭和4年)に予備役編入と同日に侍従([[海軍大将]])、[[1929年]](昭和4年)1月22日に侍従長。
 
# [[百武三郎]] [[1936年]](昭和11年)11月20日 - [[1944年]](昭和19年)[[8月29日]]
 
# [[藤田尚徳]] [[1944年]](昭和19年)8月29日 - [[1946年]](昭和21年)5月3日
 
 
 
=== 日本国憲法施行後 ===
 
# [[大金益次郎]] [[1946年]]([[昭和]]21年)[[5月3日]] - [[1948年]](昭和23年)[[6月5日]]
 
# [[三谷隆信]] [[1948年]](昭和23年)[[6月5日]] - [[1965年]](昭和40年)[[3月30日]]
 
# [[稲田周一]] [[1965年]](昭和40年)[[3月30日]] - [[1969年]](昭和44年)[[9月16日]]
 
# [[入江相政]] [[1969年]](昭和44年)[[9月16日]] - [[1985年]](昭和60年)[[9月29日]]
 
# [[徳川義寛]] [[1985年]](昭和60年)[[10月1日]] - [[1988年]](昭和63年)[[4月13日]]
 
# [[山本悟_(侍従長)|山本悟]] [[1988年]](昭和63年)[[4月13日]] - [[1996年]]([[平成]]8年)[[12月12日]]
 
# [[渡辺允|渡邉允]] [[1996年]](平成8年)[[12月12日]] - [[2007年]](平成19年)[[6月15日]]
 
# [[川島裕]] [[2007年]](平成19年)[[6月15日]] -[[2015年]](平成27年)[[5月1日]]
 
#[[河相周夫]] [[2015年]](平成27年)[[5月1日]]-
 
 
 
== 著名な侍従の一部(侍従長以外) ==
 
;律令制下
 
* [[橘休蔭]]:天安元年侍従。
 
* [[平野王]]:出雲守。
 
* [[島江王]]:大舎人頭。
 
* [[在原安貞]]:元慶2年次侍従。
 
* [[在原善淵]]:貞観5年次侍従。
 
* [[藤原長房]]:長久3年侍従。
 
* [[久我通相]]:嘉暦4年侍従。[[太政大臣]]。
 
* [[吉良義央]]:明暦3年 侍従兼上野介。
 
;明治以降
 
* [[山岡鉄舟|山岡鉄太郎]]:[[幕臣]]出身。
 
* [[加藤泰秋]]:[[子爵]]。元[[伊予国|伊予]][[大洲藩]]主。
 
* [[島義勇]]:明治3年頃。秋田県権令・開拓使判官
 
* [[藤波言忠]]:明治10年 - 明治12年侍従試補、明治12年 - 明治22年侍従。[[子爵]]、宮中顧問官。
 
* [[小倉庫次]]
 
* [[河井弥八]]:侍従次長。後に[[参議院議長]]。「日記」がある。[[岩波書店]]全6巻
 
* [[甘露寺受長]]:侍従次長・東宮侍従。[[伯爵]]、[[明治神宮]][[宮司]]、[[掌典職|掌典長]]
 
* [[永積寅彦]]:侍従次長、[[掌典長]]。[[昭和天皇]]御学友。陸軍大将[[大迫尚道]]の三男。
 
* [[穂積重道]]:[[穂積重遠]]の子。
 
* 鈴木一:昭和22年4月から侍従次長。[[中尉|陸軍主計中尉]]、[[首相秘書官]]、[[入国管理庁]][[長官]]。侍従長・首相[[鈴木貫太郎]]の[[長男]]。
 
* [[木下道雄]]:「木下侍従日記」がある。[[文藝春秋]]
 
* [[手塚英臣]]:侍従次長を[[2005年]]([[平成]]17年)3月に退任する。
 
* [[千沢治彦]]:[[1964年]]に[[学習院大学]][[卒業]]。[[1993年]](平成5年)に侍従に任じられる。[[2005年]]から侍従次長。
 
* [[岡部長章]]:[[岡部長職]]の八男でのちに[[京都外国語大学]]教授となる。妻は[[岩崎輝弥]]の長女。
 
* [[広幡忠朝]]:陸軍大尉[[侯爵]]
 
* [[広幡忠隆]]:[[侯爵]]。皇太后宮大夫兼侍従次長
 
* [[山縣有道]]:[[公爵]]、式部官。
 
* [[卜部亮吾]]:「[[卜部亮吾侍従日記]]」がある。[[朝日新聞社]]全5巻
 
* [[楠本祐一]]:外交官。平成元年 - 平成3年侍従。在[[ポーランド]][[特命全権大使]]。
 
* [[多賀敏行]]:外交官。平成5年 - 平成8年侍従。在[[チュニジア]]特命全権大使。
 
; 東宮侍従
 
* [[小笠原長育]]:子爵。[[大正天皇]]の教育係。越前勝山藩第8代藩主・[[小笠原長守]]長男。
 
* [[有馬純文]]:子爵。明治33年東宮侍従。
 
* [[田内三吉]]:[[1902年]]に[[東宮侍従]]。後[[正三位]][[勲等|勲一等]][[陸軍少将]]。
 
* [[穂積重遠]]:[[男爵]]。[[1945年]][[8月]]から[[宮内庁東宮職|東宮大夫]]兼東宮侍従長。後に[[最高裁判所裁判官|最高裁判所判事]]。
 
* [[大嶋英一]]:外交官。平成8年 - 平成10年東宮侍従。在[[フィジー]]特命全権大使。
 
* [[水谷章]]:外交官。平成10年 - 平成12年東宮侍従。在[[モザンビーク]]特命全権大使。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
 
* [[宮内庁]]・[[宮内省]]・[[中務省]]
 
* [[侍従武官]]
 
* [[東宮侍従]]
 
* [[内舎人]]
 
* [[:en:Chamberlain (office)]] - 日本以外の侍従、家令について。
 
  
 +
(3) [[宮内庁]]侍従職の職員。
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:ししゆう}}
 
{{DEFAULTSORT:ししゆう}}
 
[[Category:日本の律令制]]
 
[[Category:日本の律令制]]
 
[[Category:宮内庁]]
 
[[Category:宮内庁]]

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侍従(じじゅう)

(1) 律令制における中務省所属の官人。天皇に近侍してその職務を補った。「おもとひと」ともいう。唐名は拾遺。『大宝令』では8人であったが,11世紀中頃から増員されて 20人程度になった。そのうち3人は少納言を兼帯し,従五位下のものが任命された。その詰所を侍従局といい,侍衛の官であったため帯剣が許された。そのほかに8省から功労ある四,五位の者が選ばれ御前の雑事を司る次侍従,即位,元日朝賀に侍従として伺候する三,四位の擬侍従などがあった。

(2) 明治2 (1869) 年宮内省におかれた職。

(3) 宮内庁侍従職の職員。



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