井出一太郎

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井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は日本政治家

来歴・人物

長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。家は元禄時代(1688年~1703年)から続いた古い造り酒屋橘倉酒造。県会議員をつとめた今朝平の長男。

1931年旧制松本高校文科甲類卒業。10年間家業に専念した後、1941年京都帝国大学農学部入学。すでに3人の子持ちで、家業をみながらの大学生活だった。

1946年第22回衆議院議員総選挙に旧長野2区から初当選(当選同期に小坂善太郎二階堂進江崎真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男村上勇原健三郎川崎秀二早川崇中野四郎など)。連続当選16回。翌年、国民協同党に参加。そこで知り合った三木武夫と終生行動を共にした。石橋内閣第1次岸内閣農林大臣第3次佐藤内閣郵政大臣などを歴任した後、1974年12月、三木内閣が誕生すると、内閣官房長官に就任。党内基盤の弱い三木首相を支えた。三木おろしに直面した三木が、数で圧倒する反主流派を敵に回す形での衆議院解散を強行しようとした際には思いとどまらせている。

三木退陣による官房長官退任後も反田中角栄の強硬派として知られ、四十日抗争では反主流派統一組織「自民党をよくする会」の会長を務めた。1986年、長男の井出正一を後継として政界引退。

歌人としても知られ、官房長官時代も歌作を続けた。1978年には歌会始の召人を務めた。

お題「母」 母まさば大内山に初春のけふの節会のよし告げましを

1996年6月2日、肺炎のため長野県内の病院で84歳にて死去。
2018年6月、『井出一太郎回顧録』(井出亜夫・竹内桂・吉田龍太郎編 吉田書店 ISBN 978-4-9054-9764-6)が刊行された。 

家族・親族

戦前の立憲民政党所属代議士で、戦後は自由民主党所属参議院議員となった小山邦太郎は義父。姉は評論家の丸岡秀子、弟に元共同通信論説委員長の井出武三郎、元千葉大学学長の井出源四郎、作家の井出孫六らがいる。元厚生大臣井出正一は長男、元通産官僚の井出亜夫は次男。政治家の井出庸生は孫。

経歴

  • 1946年 衆議院議員に初当選
  • 1956年12月 農林大臣(石橋内閣)
  • 1957年2月 農林大臣(岸内閣)
  • 1970年1月 郵政大臣(佐藤内閣)
  • 1974年12月 内閣官房長官(三木内閣)
  • 1986年6月 政界引退

脚注

参考文献

関連項目


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