「事実上独立した地域一覧」の版間の差分

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{{legend|#FF8040|1か国以上の[[国際連合加盟国|国連加盟国]]から国家承認を受けている[[国際連合総会オブザーバー|国連総会オブザーバー]]、或いは国連非加盟国}}
 
{{legend|#FF8484|国際連合非加盟国のみが国家承認をしている国連非加盟国}}
 
{{legend|red|国際社会から国家承認を一切受けていない国連非加盟国}}
 
{{legend|#808040|「事実上独立した地域」の扱いを理由に1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けていない国連加盟国}}
 
]]
 
'''事実上独立した地域一覧'''(じじつじょうどくりつしたちいきいちらん)は、[[独立]]の主張があり、[[モンテビデオ条約 (1933年)|モンテビデオ条約]]が定める「[[国家]]」の資格([[領域 (国家) |領域]]、[[住民]]、[[政府]]、[[外交]]能力)を満たし得ると考えられるものの、[[国際政治学|国際政治]]的な諸事情により[[国際社会]]から広く[[国家の承認|国家としての承認]]を得らず、[[国際連合加盟国]]となれていない地域の一覧である。
 
 
 
* 本項目では、「事実上独立した地域」として下記の10か国を扱う。
 
:#[[国際連合総会オブザーバー]]資格を有し、かつ国連への正式加盟を目指している1か国([[パレスチナ国]])
 
:#[[国の一覧]]で『[[国の一覧#他|国家の承認を得る国が少ない、またはない国]]』の節に掲載されている[[クック諸島]]と[[ニウエ]]以外の9か国。
 
* クック諸島とニウエについては『[[#他国と自由連合関係にある国連非加盟国|他国と自由連合関係にある国連非加盟国]]』で扱う。
 
* 「国家」を名乗る[[組織]]が現実に存在するが、「国家」の資格を満たしていない[[政治]]的な[[実体]]については『[[#「国家」の資格を満たさない実体|「国家」の資格を満たさない実体]]』で扱う。
 
* 参考として、他国からの国家承認に「事実上独立した地域」との関係が影響している国連加盟国についても[[#「事実上独立した地域」の扱いを理由に1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けていない国連加盟国|下記]]で解説する。
 
* 各節では、国家承認する(或いは国家承認しない)国が多い順に地域を掲載している。承認国数が同じ場合は五十音順に並べている。
 
 
 
== 1か国以上の国際連合加盟国から国家承認を受けている地域 ==
 
=== 国連総会オブザーバー資格を有する国 ===
 
* {{PSE}} - 承認国数 '''136/193'''<ref>承認国の一覧は[[パレスチナ国#国際関係]]を参照のこと。</ref>(2015年9月時点)
 
: 1988年に独立宣言。[[パレスチナ問題]]の解決を目指す1947年の[[パレスチナ分割決議]]によって[[イギリス委任統治領パレスチナ]]の分割及びに[[パレスチナ人]]国家と[[ユダヤ人]]国家の創設が定められたが、パレスチナ人はこれを不服として[[第一次中東戦争]]に至ったために実現には至らなかった。パレスチナは[[第三次中東戦争]]以降全域がイスラエルの[[占領]]下に置かれたが、1987年に発生した[[第1次インティファーダ]]の過程において[[パレスチナ解放機構]]が[[パレスチナの独立宣言]]を出し、1994年には[[オスロ合意]]に基づいて[[パレスチナ自治政府]]が設立された。2008年の[[ガザ紛争 (2008年-2009年)|ガザ紛争]]以降にパレスチナを国家承認する国が増加すると、自治政府は2011年から「パレスチナ国」としての国連加盟を求める運動を展開し、2011年より[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]加盟国、2012年より[[国際連合総会オブザーバー|国連総会オブザーバー国]]として、[[国際連合]]に参加している。
 
: パレスチナを国として承認しない国々は、パレスチナ国土を[[パレスチナ自治区]]、パレスチナ政府を[[パレスチナ自治政府]]として認識し、実務関係を有している。
 
 
 
=== 元国連加盟国 ===
 
* {{ROC}} - 承認国数 '''19/193'''<ref>承認国の一覧は[[中華民国#国際関係]]を参照のこと。</ref>(2018年5月時点)
 
: 1912年に建国。[[国際連合]]発足時から「[[国際連合加盟国#中国の代表権|中国(China)代表]]」として加盟(国連原加盟国)。[[国共内戦]]の過程において、1949年に[[中国共産党]]によって[[中華人民共和国]]が建国され、中華民国の[[中国国民党]]政府が[[中国大陸]]から[[台湾島]]へ撤退すると、双方が「[[正統性]]を有する唯一の[[中国]]の国家([[一つの中国]])」としての地位を主張する[[分断国家]]となった。国連に「中国代表」として参加する権利は中華人民共和国建国後も中華民国が引き続き維持していたが、1971年の[[アルバニア決議]]によって「中国代表」権は中華人民共和国のものとされ、中華民国は国連を脱退した。国連脱退後も中華民国は[[台湾地区]]の[[実効支配]]を維持しているが、中華人民共和国は他国に対して「[[二つの中国]]」を認めず、建国以来一度も統治できていない台湾の主権帰属先([[台湾問題]])も自国に正統性があるとの方針を貫いている。その為国連脱退後も中華民国を承認している国は主に[[中央アメリカ|中米]]や[[太平洋]]上の小国など中華民国の支援を受けている国が多く、それ以外の国は基本的に中華人民共和国を承認している。近年は中華人民共和国が他国を支援することも多くなってきたため、中華民国を国家承認する国は年々減少している。
 
: 中華民国を国として承認しない国々のうち、中華人民共和国と親しい国は台湾地区を中華人民共和国の一部([[福建省]]・[[台湾省 (中華人民共和国)|台湾省]])として扱っている。一方で中華人民共和国と親しい国以外([[西側諸国]]等)は、台湾地区を「[[台湾]]」という個別の地域、中華民国政府を「台湾地区を[[実効支配]]する政治的[[実体]]」と認識している。中華民国はそれらの国と非公式的な実務関係を有しており、事実上の[[大使館]]として機能する[[台北経済文化代表処]]を設置している。
 
 
 
=== 国連に参加・加盟した実績が無い地域 ===
 
* {{Flagicon|Kosovo}} '''[[コソボ|コソボ共和国]]''' - 承認国数 '''107/193'''<ref>承認国の一覧は[[コソボ#コソボの独立承認国]]を参照のこと。</ref>(2015年8月時点)
 
: 2008年に[[セルビア]]から独立宣言。[[20世紀]]初頭の[[バルカン戦争]]時に[[アルバニア]]の一部として独立したが、1913年の戦後処理で[[セルビア王国 (近代)|セルビア王国]]の領土とされた。[[ユーゴスラビア連邦人民共和国]]の体制下で1946年に[[セルビア人民共和国]]の一部として[[コソボ・メトヒヤ自治州 (1946年-1974年)|コソボ・メトヒヤ自治州(第一次)]]が設置され、1974年に自治権を拡大した[[コソボ社会主義自治州]]に移行されたが、1989年に成立した[[セルビア社会主義共和国]](後に[[セルビア共和国 (1992年-2006年)|セルビア共和国]])の[[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]政権は[[大セルビア|セルビア民族統一主義]]政策の一環として自治権を縮小した[[コソボ・メトヒヤ自治州 (1990年-1999年)|コソボ・メトヒヤ自治州(第二次)]]を設置した。この措置に対してに多く居住する[[アルバニア人|アルバニア系住民]]が反発し、旧社会主義自治州の関係者によって1990年に[[コソボ共和国 (1990年-2000年)|コソボ共和国]]の建国が宣言された。1998年に勃発した[[コソボ紛争]]の結果、[[ユーゴスラビア連邦共和国]](セルビア共和国)の主権下を事実上離脱し、[[国際連合コソボ暫定行政ミッション]]の統治下で[[コソボ地位問題]]の解決を目指いしていたが、2007年に国連暫定統治終了後の地位を巡る交渉が決裂したことによって一方的な独立に至った。
 
: コソボ共和国を国として承認しない国々は、コソボをセルビアの一部([[コソボ・メトヒヤ自治州 (1990年-1999年)|コソボ・メトヒヤ自治州]])として扱っている。
 
 
 
* {{Flagicon|Western Sahara}} '''[[サハラ・アラブ民主共和国]]''' - 承認国数 '''47/193'''<ref>承認国の一覧は[[サハラ・アラブ民主共和国#国際関係]]を参照のこと。</ref>(2016年9月時点)
 
: 1976年に[[スペイン]]から独立宣言。1884年から[[スペイン]]の[[植民地]]([[スペイン領サハラ]])となっていた[[西サハラ]]の返還運動が[[モロッコ]]と[[モーリタニア]]で高まった事を受け、1975年に三者間で[[緑の行進#マドリード協定|マドリード協定]]が締結されてスペインは西サハラから撤退した。協定ではモロッコとモーリタニアによる西サハラの分割統治が定められたが、独立志向の{{仮リンク|サハラウィー人|en|Sahrawi people}}を主体とする現地住民はこれを不服とし、1973年に[[ポリサリオ戦線]]を組織して[[アルジェリア]]の支援の下で独立を宣言した。独立宣言直後から[[西サハラの歴史#西サハラ戦争(1975年 - 1991年)|西サハラ戦争]]が本格化し、1979年にモーリタニアは西サハラから撤退したものの、1991年の停戦を経て現在に至るまで西サハラの約7割に当る地域をモロッコが[[実効支配]]している。サハラ・アラブ共和国は西サハラの約3割を実効支配しているが、中央政府はアルジェリアに本拠地を置いたままとなっており、西サハラの最終的な[[領有|領有権]]を決める[[西サハラ問題]]も未解決となっている。
 
: サハラ・アラブ民主共和国を国として承認しない国々は、モロッコの西サハラ領有も承認していない為<ref>1979年以降、モロッコは西サハラ全域の領有を宣言しているが、国際社会でその宣言を承認した国は1か国も存在しない。</ref>、西サハラを「[[国際連合西サハラ住民投票ミッション]]が完了するまで[[主権]]帰属先が未定の地域」として扱っている。
 
 
 
* {{Flagicon|Abkhazia}} '''[[アブハジア|アブハジア共和国]]''' - 承認国数 '''4/193'''<ref>承認国の一覧は[[アブハジア#外交]]を参照のこと。</ref>(2015年5月時点)
 
: 1992年にグルジア(現[[ジョージア_(国)|ジョージア]])から独立宣言。1921年に[[ソビエト連邦]]が[[アブハジア社会主義ソビエト共和国]]を設置したが、1931年に[[グルジア・ソビエト社会主義共和国]](現在のジョージアの前身)内の[[アブハズ自治ソビエト社会主義共和国]]へ降格された。その後、[[ペレストロイカ]]の過程で[[カルトヴェリ人]]の[[民族主義]]を強めたグルジアが1992年に[[憲法改正]]でアブハジアの[[自治共和国]]を事実上廃止すると、それに反発する[[アブハズ人]]が独立を宣言し、宣言直後に勃発した{{仮リンク|アブハジア戦争|en|War in Abkhazia (1992–1993)}}に独立支持勢力が勝利することでアブハジアの大多数がグルジアの[[実効支配]]下から離れた。2008年に[[グルジア軍]]の南オセチア侵攻を契機として勃発した[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]の結果、グルジアがアブハジアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
 
: アブハジア共和国を国として承認しない国々は、アブハジアをジョージアの一部(アブハジア自治共和国)として扱っている。
 
 
 
* {{Flagicon|South Ossetia}} '''[[南オセチア|南オセチア共和国]]''' - 承認国数 '''4/193'''<ref>承認国の一覧は[[南オセチア#外交]]を参照のこと。</ref>(2014年3月時点)
 
: 1991年にグルジア(現[[ジョージア_(国)|ジョージア]])から独立宣言。1921年に[[ソビエト連邦]]が[[グルジア・ソビエト社会主義共和国]](現在のジョージアの前身)内の[[ソビエト連邦の自治州|自治州]]として南オセチア自治州を設置したが、[[ペレストロイカ]]の過程においてグルジア・ソビエト社会主義共和国は[[カルトヴェリ人]]の[[民族主義]]政策強化の一環として1990年に自治州を廃止した。これに対して南オセチア自治州に多く居住する[[オセット人]]が反発し、1991年のグルジア独立直前に勃発した{{仮リンク|南オセチア紛争 (1991年-1992年)|label=第一次南オセチア紛争|en|1991–1992 South Ossetia War}}を経て独立に至った。2008年の[[グルジア軍]]による南オセチア侵攻を契機として勃発した[[南オセチア紛争 (2008年)|第二次南オセチア紛争]]の結果、グルジアが南オセチアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
 
: 南オセチア共和国を国として承認しない国々は、南オセチアをジョージアの一部([[ラチャ=レチフミおよびクヴェモ・スヴァネティ州]]・[[イメレティ州]]・[[シダ・カルトリ州]]・[[ムツヘタ=ムティアネティ州]])として扱っている。
 
 
 
* '''{{TRNC}}''' - 承認国数 '''1/193'''<ref>承認国の一覧は[[北キプロス・トルコ共和国#国際関係]]を参照のこと。</ref>
 
: 1983年に[[キプロス]]から独立宣言。1960年に独立したキプロス共和国政府はギリシャ系住民とトルコ系住民の共存を目指していたが、[[キプロス紛争]]の過程において1974年に[[ギリシャ軍事政権]]の支援をギリシア系民兵による[[クーデター]]で政権が崩壊した。これに対し、{{仮リンク|エノシス|en|Enosis}}(全キプロスのギリシャへの統合)実現の可能性を恐れた[[トルコ]]は「トルコ系住民保護」を名目に[[トルコ軍]]をキプロスへ侵攻させ、キプロスは北部のトルコ軍実効支配地域と南部のキプロス政府実効支配地域に分断された。1975年にトルコ軍実効支配地域は[[キプロス連邦トルコ人共和国]]を建国して[[連邦制]]によるキプロス共和国政府との再統合を目指したものの、分断以前の体制への復帰を望む共和国政府との統合交渉が決裂したことによって独立に至った。
 
: 北キプロス・トルコ共和国を国として承認しない国々は、北キプロスをキプロス共和国の一部([[ファマグスタ地区]]・[[キレニア地区]]・[[ラルナカ地区]])として扱っている。
 
 
 
== 国際連合非加盟国のみが国家承認している地域 ==
 
* {{Flagicon|Republic of Artsakh}} '''[[アルツァフ共和国]]'''
 
: 旧・ナゴルノ・カラバフ共和国。1991年に[[アゼルバイジャン]]から独立宣言。[[ナゴルノ・カラバフ]]は[[ロシア帝国]]の制圧以前から[[アゼルバイジャン人]]と[[アルメニア人]]による領土紛争の舞台となってきたが、1921年に[[ソビエト連邦]]はアルメニア系住民が多く居住する同地を[[アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国]]に帰属させる決定を下し、1923年にアルメニア人の[[ソビエト連邦の自治州|自治州]]として[[ナゴルノ・カラバフ自治州]]が成立した。これに対しアルメニア人たちは度々ソ連中央政府にナゴルノ・カラバフの[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国]](現[[アルメニア]])編入を求めていたが、1985年の[[ペレストロイカ]]開始後にアルメニアへの編入を求める動きはアゼルバイジャン人とアルメニア人の暴力的な衝突につながり、1988年の[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]勃発に至った。ナゴルノ・カラバフ自治共和国とその周辺地域はアゼルバイジャンの独立直後に「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言し、1994年の停戦によって[[実効支配]]を確実なものとしている。
 
: * 国家承認している地域:{{Flagicon|Abkhazia}}アブハジア、{{Flagicon|Transnistria}}沿ドニエストル、及び{{Flagicon|South Ossetia}}南オセチア(計:3地域)
 
: * 国家承認していない国々は、アゼルバイジャンの一部([[アゼルバイジャンの行政区画|14の県]])として扱っている。
 
 
 
* {{Flagicon|Transnistria}} '''[[沿ドニエストル共和国]]'''
 
: 1990年に[[モルダビア・ソビエト社会主義共和国]](現[[モルドバ]])から独立宣言。1924年に[[ソビエト連邦]]が[[モルダビア自治ソビエト社会主義共和国]]を[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]]の[[自治共和国]]として設置したが、1940年にソ連が[[ルーマニア]]から[[ベッサラビア]]を獲得すると、新設されたにモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部に組み込まれ消滅した。その後、[[ペレストロイカ]]の過程でモルダビア政府が[[モルドバ人]][[民族主義]]政策および親ルーマニア政策を強めたことに対し、旧ウクライナ領の[[ドニエストル川]]東岸に多く居住するロシア系住民が反発して独立を宣言するに至った。1992年に勃発した[[トランスニストリア戦争]]の勝利によって実効支配を確実なものとしている。
 
: * 国家承認している地域:{{Flagicon|Abkhazia}}アブハジア、{{Flagicon|Republic of Artsakh}}アルツァフ、及び{{Flagicon|South Ossetia}}南オセチア(計:3地域)
 
: * 国家承認していない国々は、モルドバの一部([[沿ドニエストル地域]]・[[ベンデル]])として扱っている。
 
 
 
== 国際社会から国家承認を一切受けていない地域 ==
 
* {{Flagicon|Somaliland}} '''[[ソマリランド|ソマリランド共和国]]'''
 
: 1991年に[[ソマリア]]から独立宣言。1884年から[[イギリス領ソマリランド]]として[[イギリス]]の[[植民地]]となり、1960年に[[イタリア信託統治領ソマリア]]独立時の統合を前提にソマリランド国として独立し、直後に統一ソマリアの一部に組み込まれた。その後、[[ソマリア内戦]]の過程で1991年に[[モハメド・シアド・バーレ]]政権が崩壊すると、同政権に弾圧されていた[[イサック]]主体の[[ソマリ国民運動]]によって「ソマリランド」の独立が宣言され、ソマリア北西部を実効支配した。旧イギリス領ソマリランド一帯を領土と主張しているが、隣接する[[プントランド]]と境界紛争([[プントランド・ソマリランド紛争]])を抱えている。事実上の独立国家として機能しており、隣国[[エチオピア]]とは駐在員を相互に派遣しあう関係にあるものの、国家承認をする国・地域は存在しない。
 
: 国際社会では、ソマリランドを[[ソマリアの行政区画|ソマリアの一部]]として扱っている。
 
 
 
== 「事実上独立した地域」の扱いを理由に1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けていない国連加盟国 ==
 
=== 「事実上独立した地域」が国連加盟国となった国 ===
 
* {{flagicon|CHO}}[[朝鮮]]
 
: [[連合軍軍政期 (朝鮮史)|日本統治からの離脱後]]に「[[主権]]回復後の統治方針を[[資本主義]]と[[社会主義]]のどちらにすべきか」という[[イデオロギー]]の選択が原因で北([[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]])と南([[大韓民国|韓国]])の[[分断国家]]としてそれぞれ独立した。その際、南北双方は共に「[[正統性]]を有する朝鮮唯一の国家」であると自任し、相手方の実効支配地域も自国が統治すべき領域であるという前提で[[憲法]]を制定した<ref>北の場合、[[朝鮮民主主義人民共和国憲法]]第103条で[[首都]]を南側統治下の[[ソウル市|ソウル]]であるとし、[[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]]では第1条で自国を「全朝鮮人民の利益を代表する自主的な社会主義国家」と規定している。また、南側も[[大韓民国憲法|憲法第1章]]でわざわざ自国の領域を「韓半島([[朝鮮半島]])とその付属島嶼」と明記し続けている。</ref>。
 
: それに伴い、南北双方は国際社会でも「正統性を有する朝鮮唯一の国家」としての地位を巡って対立し、[[南北等距離外交]]を採る[[非同盟諸国]]を除き、[[冷戦]]期間中は北が[[西側陣営]]、南が[[東側陣営]]や非同盟諸国から国家承認を得ることができなかった。1989年に冷戦が終結し1991年に南北両国が同時に国連加盟国になると、[[国際社会]]の大多数が南北等距離外交によって南北双方を国家承認するようになったが、一部の国は今なお南北の一方を国家として承認していない。
 
:なお、朝鮮と同じく冷戦期に分断国家となった[[ドイツ]]は[[東西ドイツ基本条約]]で東西双方が互いを国家承認し合った上で国連に同時加盟したが、朝鮮の場合は1991年の国連同時加盟後も南北双方が互いを国家承認し合っていない。国連加盟直後に締結された[[南北基本合意書]]前文では南北双方の関係を「国と国との関係ではない、[[朝鮮統一問題|統一]]を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であると認定している。
 
:* {{PRK}} - 非承認国数 '''28/192'''
 
:: 韓国は[[朝鮮#「朝鮮/韓」などの相違|自国の地域・民族名称]]を「韓」としているため、北朝鮮を「'''北韓'''」(ほっかん)という地域として扱っている。韓国以外では、[[日本]]や[[アメリカ合衆国]]、[[フランス]]を初めとする24か国が建国以来一度も国家承認しておらず、[[アルゼンチン]]、[[チリ]]、[[イラク]]の3か国が「[[正統性]]を有する朝鮮唯一の国家」として一時期承認した後に撤回している<ref>非承認国の一覧は[[朝鮮民主主義人民共和国#国際関係]]を参照のこと。</ref>。
 
:: なお、[[コスタリカ]]<ref>1983年10月の[[ラングーン事件]]を機に、同年12月2日に国交断絶。玉城素「[https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=39132 苦境脱出のための混迷と模索:1983年の朝鮮民主主義人民共和国]」『アジア・中東動向年報 1984年版』アジア経済研究所、1984年、65・81ページ。</ref>、[[サモア独立国]]<ref>1983年10月のラングーン事件を機に、西サモア(当時)は同年12月22日に国交断絶。玉城素「[https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=39132 苦境脱出のための混迷と模索:1983年の朝鮮民主主義人民共和国]」『アジア・中東動向年報 1984年版』アジア経済研究所、1984年、65・81ページ。</ref>、[[ボツワナ]]<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/140221/kor14022118180003-n1.htm ポツワナ、北朝鮮と断交 - 人権侵害報告書受け - MSN産経ニュース][[2014年]][[2月21日]]配信。</ref>、[[ポルトガル]]<ref name=joins171012>2017年10月、核・ミサイル問題を理由に国交断絶。「[http://japanese.joins.com/article/279/234279.html 北朝鮮と近いと言われたポルトガルも42年ぶりに外交関係を断絶]」 『中央日報日本語版』 2017年10月12日。</ref>、及び[[ヨルダン]]<ref>{{cite news |title=ヨルダン、北朝鮮と国交断絶 米国に同調 |publisher=[[AFPBB]] |date=2018-02-02|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3160896 |accessdate=2018-02-19}}</ref>の5か国は、南北等距離外交で北朝鮮を国家承認した後に[[外交関係]]を断絶させているが、国家承認までは取り消していない。
 
:* {{KOR}} - 非承認国数 '''1/192'''
 
:: 北朝鮮は[[朝鮮#「朝鮮/韓」などの相違|自国の地域・民族名称]]を「朝鮮」としているため、韓国を「'''南朝鮮'''」(みなみちょうせん)という地域として扱っている。北朝鮮以外で国家承認していない国連加盟国はない。ただし、韓国と一定の外交関係を有しながら[[国交]]を有さない[[キューバ]]<ref>キューバは1949年から1959年まで韓国と国交を有していたが、[[キューバ革命]]を機に断絶させた。詳細は[[大韓民国の国際関係#キューバ]]を参照のこと。</ref>、[[シリア]]、及び[[マケドニア共和国]]<ref>マケドニア共和国と韓国が国交を有さない理由は[[大韓民国の国際関係#マケドニア共和国]]を参照のこと。</ref>の3か国のうち、キューバとシリアの2か国は北朝鮮と親密な外交関係を築いている事が韓国と国交を結ばない理由の一つになっている<ref name=joins>[http://news.joins.com/article/17246540 마케도니아에 한국대사 없는 건 알렉산더 대왕 때문 ?][[中央日報]]2015.02.28.配信記事</ref>。
 
 
 
=== その他の国々 ===
 
* {{ISR}} - 非承認国数 '''35/192'''
 
: 1948年に建国。[[パレスチナ国]]を国家承認せず、[[国際連合加盟国]]になることに反対している。[[パレスチナ自治政府]]は承認する一方、国際的に[[パレスチナ自治区]]の一部とされる[[ヨルダン川西岸地区]]のC地区、及び[[東エルサレム]]を一方的に自国の一部として統治している。パレスチナ国を国家承認している国連加盟諸国のうち、[[パレスチナ問題]]を理由として26か国は建国以来一度もイスラエルを国家承認しておらず、9カ国は一時期イスラエルを国家承認したが後に撤回している<ref>非承認国の一覧は[[イスラエル#国際関係]]を参照のこと。</ref>。
 
 
 
* {{PRC}} - 非承認国数 '''19/192'''
 
: 1949年に建国。中華民国を国家承認せず、「[[一つの中国]]」の原則から[[台湾地区]]を自国の[[福建省]]の一部、或いは[[台湾省 (中華人民共和国)|台湾省]]に属すると主張している。中華民国を国家承認している全ての国連加盟国は、[[台湾問題#台湾問題に関する各勢力の意見・法的扱い|台湾問題における中華民国の立場]]を支持し、「[[一つの中国#中華民国の反応|一つの中国は中華民国]]」であると認識しているため、中華人民共和国を国家承認していない。
 
 
 
* {{ARM}} - 非承認国数 '''1/192'''
 
: 1991年に独立。アルツァフ共和国を国家承認せず、[[ナゴルノ・カラバフ]]を自国の一部ともしない一方、[[アルメニア軍]]がナゴルノ・カラバフに[[駐屯地]]を有し、[[ナゴルノ・カラバフ国防軍|アルツァフ国防軍]]と高度に一体的な活動をしている為、[[アゼルバイジャン]]から自国領の占領国とみなされている。アゼルバイジャンは、独立前から続く[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]が[[停戦]]状態(アルツァフ共和国の独立状態)のままで、[[終戦]](ナゴルノ・カラバフの主権帰属先に関する合意)に至っていないため、独立以来アルメニアの国家承認を行っていない。
 
 
 
* {{CYP}} - 非承認国数 '''1/192'''
 
: 1960年に建国。北キプロス・トルコ共和国を国家承認せず、北キプロスを[[トルコ軍]]に[[占領]]された自国の領土とみなしている。北キプロス・トルコ共和国を国家承認している国連加盟国の[[トルコ]]は、1974年の南北分断以降のキプロス共和国は南キプロスのギリシャ系住民のみを代表する存在と認識し、[[キプロス問題]]が未解決であることを理由に国家承認を取り消している。
 
 
 
== 「事実上独立した地域」に該当しない政治的実体 ==
 
=== 他国と自由連合関係にある国連非加盟国 ===
 
* {{COK}}・{{NIU}}
 
: 両国は[[1970年代]]から[[ニュージーランド]]と[[自由連合 (国家間関係)|自由連合の関係]]にある。1988年以降はニュージーランド政府が結ぶ国際的な[[合意]]の効力が及ばなくなっており、[[1990年代]]には[[国際連合事務局]]が両地域に「[[条約]]を締結する能力が完全にある」ことを認めている(ただし国連代表権は依然ニュージーランドにある)。両国を国家承認しない国は少なくないが、非承認の理由はニュージーランドから十分に独立していないことであり、今後に両国が自主性を高めることやその暁に国家承認することに反対する国はない。
 
 
 
=== 「国家」の資格を満たさない実体 ===
 
* {{MOM}}([[聖ヨハネ騎士団]])
 
: 1522年から[[マルタ島]]を[[領土]]としていたが、[[1798年]]の領土喪失後は[[モンテビデオ条約 (1933年)|モンテビデオ条約]]が定める「[[国家]]」の資格([[領域 (国家) |領域]]、[[住民]]、[[政府]])を満たさない組織となった。しかし、かつて領土を有していた経緯から「[[主権]]実体」として[[マルタ騎士団#対外関係|113の国・地域]]が何らかの関係を有しており、国連でも「[[国際連合総会オブザーバー|国連総会オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体 (entity) あるいは国際組織]]」の一つとして扱われている。
 
 
 
* [[File:New Donetsk Peoples Republic flag.svg|25px|border]] [[ドネツク人民共和国]]・[[File:Flag of the Lugansk People's Republic (Official).svg|25px|border]] [[ルガンスク人民共和国]]
 
: [[2014年ウクライナ騒乱]]に対する反発と[[2014年クリミア危機|クリミアの独立・ロシア編入]]の影響から、いずれも2014年に[[ウクライナ]]からの一方的な建国宣言(後に独立宣言独立)を行い、その直後から「[[反乱]]行為」の鎮圧を目指す[[2014年ウクライナ内戦|ウクライナ政府との武力紛争]]状態が続いている。両者は独立国家として[[ノヴォロシア人民共和国連邦]]を結成(後に凍結)する一方で、紛争地域がウクライナの法改正と[[地方選挙]]の後に「[[自治行政区画|特別な地位を有する特定地域]]」としてウクライナに復帰することを定めた2014年の{{仮リンク|ミンスク協定|en|Minsk Protocol}}及び2015年の{{仮リンク|ミンスク2|label=新ミンスク協定|en|Minsk II}}に調印している。
 
: 両者は[[南オセチア共和国]]から国家承認を受けているが、継続中の紛争下でモンテビデオ条約が定める「国家」の資格(領域、住民、政府、[[外交]]能力)をどこまで有しているか客観的な確認がとれておらず、またミンスク協定によってウクライナへの復帰が最終的な政治目標であることが国際的<ref>ミンスク協定の締結には、ウクライナ政府・ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の他に、[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[ベラルーシ]]、及び[[ロシア連邦]]が関わっている。</ref>に確認されている為、国際社会では「[[活動中の反政府組織一覧|領土を支配する反政府組織]]」と認識されている。
 
: なお、ウクライナ東部では同時期に[[ハリコフ人民共和国]]の建国も宣言されたが、ウクライナ当局が宣言直後の鎮圧に成功している。
 
 
 
* [[ミクロネーション|ミクロネーションの国々]]
 
: 世界には[[ミクロネーション]]と呼ばれる[[実体]]がいくつか存在するが、これらはいずれもモンテビデオ条約が定める「国家」の資格を満たし得る存在とは国際的に認識されていない。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<references/>
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[事実上独立した地域の旗一覧]]
 
* [[事実上独立した地域の紋章一覧]]
 
* [[国の一覧]]
 
* [[分断国家]]
 
* [[独立主張のある地域一覧]]
 
* [[国際連合非自治地域リスト]]
 
* [[代表なき国家民族機構]]
 
* [[コモンウェルス]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.palst-jp.com/jp/jp_top.html 駐日パレスチナ常駐総代表部公式ホームページ]
 
* [http://www.president-ksgov.net/?id=1,67,67,67,e/ コソボ共和国大統領府公式ホームページ]
 
* [http://www.polisario.es/ 駐スペインサハラ・アラブ民主共和国代表団公式ホームページ]
 
* [http://www.gov.tw/ 中華民国政府公式ホームページ]
 
* [http://presidentruo.org/ 南オセチア共和国大統領府公式ホームページ]
 
* [http://abkhazia.gov.ge アブハジア共和国政府公式ホームページ]
 
* [http://www.trncgov.com/ 北キプロス・トルコ共和国政府公式ホームページ]
 
* [http://gov-pmr.org 沿ドニエストル共和国政府公式ホームページ]
 
* [http://www.gov.nkr.am/hy/ アルツァフ共和国政府公式ホームページ]
 
* [http://somalilandgov.com ソマリランド共和国政府公式ホームページ]
 
 
 
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