乾隆帝

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乾隆帝(けんりゅうてい)

中国,清朝の第6代皇帝 (在位 1735~96) 。名は弘暦。また信天主人,古希天子,十全老人などと自称。諡は純皇帝。廟号は高宗。年号は乾隆。雍正帝の第4子で,生母は清初の功臣エイドゥの曾孫女ニオフル 氏。幼少より祖父の康煕帝に愛され,25歳で皇太子密建法により即位。祖父の在位期間をこえることをはばかり,60年間帝位にあったのちに退位して太上皇帝 (上皇) となった。上皇時代も事実上の権力者であり,実質的な在位期間は中国歴代皇帝で最も長い。帝は康煕・雍正帝時代の財政的蓄積と確立された皇帝独裁権を継承し,当時の商品生産の発展と相まって文化的にも爛熟した「康煕,乾隆の盛治」と称される清朝の最盛期を現出した。治世の初期には軍機処を軸として皇帝権の伸長に努め,朋党,皇族の結党を禁じ,満州人と漢人の反目を防ぐなど内治に重点をおいた。中期には十全の武功を誇った 10回の対外遠征と平定戦争を展開し,この間に清朝の版図は中国歴代王朝のうちで最大のものとなり,同時に現在の中国領土の基礎が形成された。この多くの外征と各地への巡行,さらに天壇,紫金城,円明園などの新改築などのため財政は疲弊し,加えて旗人の生活苦,寵愛した和しん (わしん) の専権などがあり,末期には各地に反乱が発生し,衰運のうちに嘉慶帝に譲位した。学問では考証学の発達を背景に『四庫全書』『明史』の編纂が行なわれイエズス会宣教師によりヨーロッパの学問,技術が伝えられた。



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