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{{ActorActress
 
| 芸名 = 丹波 哲郎
 
| ふりがな = たんば てつろう
 
| 画像ファイル = Tanba Tetsuro.jpg
 
| 画像サイズ =
 
| 画像コメント = <small>平凡出版『週刊平凡』1963年1月3日号より</small>
 
| 本名 = 丹波 正三郎<small>(たんば しょうざぶろう)</small>
 
| 別名義 =
 
| 出生地 = {{JPN}} [[東京府]][[豊多摩郡]][[大久保 (新宿区)|大久保町]](現:[[東京都]][[新宿区]])
 
| 死没地 = {{JPN}} [[東京都]][[三鷹市]]
 
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]
 
| 国籍 = {{JPN}}
 
| 身長 = 175[[センチメートル|cm]]
 
| 生年 = 1922
 
| 生月 = 7
 
| 生日 = 17
 
| 没年 = 2006
 
| 没月 = 9
 
| 没日 = 24
 
| 職業 = [[俳優]]・[[芸能プロモーター]]・<br />心霊研究家
 
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビドラマ]]
 
| 活動期間 = [[1952年]] - [[2006年]]
 
| 活動内容 =
 
| 配偶者 = あり
 
| 著名な家族 = [[丹波義隆]](息子)<br />[[丹波明]](従弟)<br />[[丹波敬三]](祖父)
 
| 事務所 =
 
| 公式サイト =
 
| 主な作品 = '''映画'''<br />『[[豚と軍艦]]』 / 『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』 / 『[[暗殺 (映画)|暗殺]]』<br />『[[007は二度死ぬ]]』 / 『[[人間革命#映画|人間革命]]』<br />『[[砂の器 (映画)|砂の器]]』 / 『[[二百三高地]]』<br />『[[零戦燃ゆ]]』 / 『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』<hr />'''テレビドラマ'''<br />『[[三匹の侍]]』/『[[キイハンター]]』<br />『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』/『[[Gメン'75|Gメンシリーズ]]』<br />『[[弁護士・高林鮎子]]』シリーズ /『[[春日局 (NHK大河ドラマ)|春日局]]』<br />『[[HOTEL (テレビドラマ)|HOTEL]]』シリーズ
 
| 日本アカデミー賞 = '''最優秀助演男優賞'''<br />[[1980年]] 『二百三高地』
 
| ブルーリボン賞 = '''助演男優賞'''<br />1980年 『二百三高地』
 
| その他の賞 = '''[[毎日映画コンクール]]男優演技賞'''<br />[[1973年]] 『人間革命』<br />'''[[日刊スポーツ映画大賞]]助演男優賞'''<br />[[2000年]] 『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』
 
| 備考 =
 
}}
 
'''丹波 哲郎'''(たんば てつろう、[[1922年]][[7月17日]] - [[2006年]][[9月24日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[芸能プロモーター]]・心霊研究家。[[東京府]][[豊多摩郡]][[大久保 (新宿区)|大久保町]](現:[[東京都]][[新宿区]])出身<ref name="日本"/>。身長175[[センチメートル|cm]]。血液型は[[ABO式血液型|O型]]。
 
  
俳優活動は50年以上で出演した[[映画]]は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優<ref name="朝日">{{cite news |title=俳優丹波哲郎さん死去 国際的活躍、死後の世界にも関心 |url=http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200609250336.html |publisher=[[Asahi.com]] |date=2006-09-25 |accessdate=2013-03-13 <!--|archiveurl=http://web.archive.org/web/20091028032545/http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200609250336.html |archivedate=2013-3-13 -->}}</ref>。[[テレビドラマ]]でも活躍し、映画製作にも携わった。オールスターの超大作に相応しい映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で[[特別出演]]もした。丹波プロダクション<ref>同社はその後、[[ラヴァンス]]と社名を代えた。</ref>・俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけており、[[宮内洋]]は丹波の一番弟子である。
+
'''丹波 哲郎'''(たんば てつろう、[[1922年]][[7月17日]] - [[2006年]][[9月24日]]
  
心霊学と[[霊界]]の研究もし、多数の書籍を著しており、『丹波哲郎の大霊界』は[[ベストセラー]]となった<ref name="朝日" />。
+
昭和後期-平成時代の俳優。
  
== 来歴 ==
+
大正11年7月17日生まれ。昭和27年「殺人容疑者」で映画デビュー。おもに悪役を演じる。テレビドラマ「トップ屋」「三匹の侍」などで人気をあつめ,「007は二度死ぬ」などの外国映画にも出演。霊界研究家としても知られ,映画「丹波哲郎の大霊界」の総監督をつとめた。平成18年9月24日死去。84歳。東京出身。中央大卒。本名は正三郎。
大久保町字百人町(現在の新宿区百人町)にて丹波家の三男として生誕。家柄は系図を遡ると、天平の昔から伝わる薬師の名家で<ref name="日本">日本映画人名事典 下ノ巻 p.151 1996年度版</ref>、[[医学書]]『[[医心方]]』を著した[[丹波康頼]]に辿り着く。祖父は東京帝国大学名誉教授の[[丹波敬三]]<ref name="日本"/>、父は日本画家の丹波緑川、親戚には従弟で音楽学者の[[丹波明]]、元大審院院長の[[林頼三郎]]らがいる。
 
 
 
[[成城中学]]から[[陸軍幼年学校]]を受験するも落第し、仙台の[[第二高等学校 (旧制)|二高]]を二度受験するも不合格。親戚の林頼三郎が総長を務める[[中央大学法学部]]英法科へ無試験で入学したという。在学中に第1回[[学徒出陣]]し佐倉歩兵第60連隊に入隊<ref name="日本"/>、しかし態度が大きいという理由で普通の3倍程の体罰を受けることもあった<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.60</ref>、[[立川陸軍航空整備学校]]で整備士官としての教育を受け、上官には[[川上哲治]]がいた (詳細は[[#人物]]を参照)。終戦を立川で迎え、戦後の1945年大学に復学し<ref name="日本"/>、学業の傍ら[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]][[通訳]]の[[アルバイト]]をしていた<ref name="日本"/>、が実際には本人曰く英語は半分程度しか理解出来ず<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.65</ref>、トイレに逃げ込み、仕事の終わる時間を待っていたという。1948年大学を卒業<ref name="日本"/>。また[[ダグラス・マッカーサー]]には二度程度エレベーターの中で遭遇したと語っている<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.67</ref>。
 
 
 
卒業後は団体(公社)職員となるも俳優を志し<ref name="日本"/>、[[1950年]]創芸小劇場を主宰後[[劇団文化座]]に加入後、[[1951年]]春勧誘されていた[[新東宝]]に入社<ref name="日本"/>。同期には[[高倉みゆき]]・[[中島春雄]]・[[広瀬正一]]がいる。丹波の態度が大きいことが問題とされ<ref name="日本"/>、一年以上役が付かないでいたが<ref name="日本"/>、[[1952年]][[電通]]傘下DFプロダクション制作新東宝配給のセミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』に主演級の役でデビューする。。元々、この役は当時文化座に在籍していた[[山形勲]]にオファーがあったものだが、山形が骨折しており応じられない事を、丹波が代わりに伝えに行ったところ、プロデューサーから「お前が良い。お前に決めた」と言われ決まったものであった<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.82-83</ref>。陰のある[[二枚目]]としておもに[[敵役]]・[[悪役]]で活躍し<ref name="朝日" />、[[1956年]][[柳家金語楼]]の主演映画『金語楼の兵隊さん』の助演をきっかけに[[金語楼劇団]]へ誘われ舞台の客演もこなす多忙な状況だったが<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.85-p.105</ref>[[1959年]]、丹波の新東宝の作品のレベルが落ちているとの発言が記事となった、[[新東宝]]社長・[[大蔵貢]]は謝罪すれば許す考えでいたが<ref name="日本"/>、丹波は所信を曲げず、映画『[[双竜あばれ雲]]』を最後に同6月新東宝を退社<ref name="日本"/>、[[フリーランス]]となり、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ディレクター]]だった[[五社英雄]]に見いだされるとコンビを組み<ref name="日本"/>、1960年に放送された[[テレビドラマ]]『[[トップ屋]]』、[[1961年]]には[[ニュー東映]]で映画『霧と影』、『白昼の無頼漢』に主演した。五社とは盟友となり、1969年の映画『[[御用金 (映画)|御用金]]』にも出演している。
 
 
 
映画『[[豚と軍艦]]』(1961年)、『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』(1963年)、『[[暗殺 (映画)|暗殺]]』(1964年)、[[1963年]]の[[テレビドラマ|テレビ]][[時代劇]]『[[三匹の侍]]』などでスターとしての地位を確固たるものとし<ref name="朝日" />、荒くれ者の漁師に扮した『[[ジャコ万と鉄]]』や、[[時代劇|時代劇映画]]・[[ギャング映画]]・[[任侠映画]]など、幅広く出演。[[1961年]][[キャロル・ベイカー]]主演の[[アメリカ]]映画『[[太陽にかける橋]]』に出演以降[[イギリスの映画|イギリス映画]]の[[1964年]]『[[第七の暁]]』に世界的なヒット作[[1967年]]『[[007は二度死ぬ]]』で国際的に認知され海外に於いても活躍した<ref name="朝日" />。
 
 
 
[[1968年]]から放映されたテレビドラマ『[[キイハンター]]』では「黒木鉄也」で主演。黒木のイメージは『[[007は二度死ぬ]]』で丹波が演じた、タイガー田中の人物像も反映させている。最盛期の『キイハンター』は視聴率30%を越える人気ドラマとなり、当初1年の予定が5年に延ばされた<ref>{{Cite book |和書 |author = [[千葉真一|JJサニー千葉]] |year = 2010 |title = 千葉流 サムライへの道 |publisher = [[ぶんか社]] |pages = 20 - 29 |isbn = 4821142694 }}</ref>。『キイハンター』終了後も、丹波は同時間帯でテレビドラマ『[[アイフル大作戦]]』『[[バーディ大作戦]]』『[[Gメン'75]]』と出演して、[[TBSテレビ|TBS]]系[[TBS土曜9時枠の連続ドラマ|土曜21:00]]の顔となる。
 
 
 
前後して[[1973年]]には映画『[[人間革命#映画|人間革命]]』で[[毎日映画コンクール]]男優演技賞受賞。[[1974年]]には映画『[[砂の器#映画|砂の器]]』の今西刑事役では、人情味のある重厚な演技が高く評価された<ref name="朝日" />。[[1980年]]の『[[二百三高地]]』で[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|第23回ブルーリボン賞]]助演男優賞と[[第4回日本アカデミー賞#最優秀助演男優賞|第4回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞]]をそれぞれ受賞した。生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し<ref name="朝日" />、300万人以上の動員を得る。[[1994年]][[11月]]には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることの出来ない空間を表現し話題を呼ぶ。
 
 
 
[[2000年]]、『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』で[[日刊スポーツ映画大賞]]助演男優賞を受賞し、[[大河ドラマ]]『[[利家とまつ〜加賀百万石物語〜|利家とまつ]]』(2002年)、『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』(2005年)などで、渋みある演技をみせていた<ref name="朝日" />。[[2005年]][[2月]]から約2か月間、[[インフルエンザ]]と[[虫垂炎]]のために入院し、それが原因でひどく痩せ、健康が懸念されていた。
 
 
 
{{Wikinewshas|丹波哲郎|* [[n:訃報 丹波哲郎氏|訃報 丹波哲郎氏]]}}
 
[[2006年]](平成18年)[[9月24日]]午後11時27分、[[肺炎]]のため東京都[[三鷹市]]の病院で死去。{{没年齢|1922|7|17|2006|9|24}}。死去する前に霊界はすばらしいところなどと[[遺言]]を残した。映画・テレビドラマで何度も共演している[[千葉真一]]は「(亡くなる)1年ぐらい前に『キイハンター』をまたやりたいね、と話していた。お元気だったのに・・・」とTBSの電話インタビューに答え、その死を惜み哀悼の意を表した。第44回[[ゴールデン・アロー賞]]の芸能功労賞が贈られ、[[9月30日]]に[[青山葬儀所]]で行われた告別式には、[[安部譲二]]、[[稲川淳二]]、[[映広]]の[[岩田廣一]]社長、[[京本政樹]]、[[黒柳徹子]]、[[ケーシー高峰]]、[[紺野美沙子]]、[[せんだみつお]]、[[高井英幸]][[東宝]]社長、[[高嶋政伸]]、[[谷隼人]]・[[松岡きっこ]]夫妻、[[司葉子]]、[[鶴見辰吾]]、[[長門裕之]]、[[夏木陽介]]、[[西田敏行]]、[[原田大二郎]]、[[藤田三保子]]、[[由美かおる]]の他、2,000人のファンが参列した。
 
 
 
棺の中には、「[[ハードボイルド]]らしく送り出したい」と喪主を務める長男の[[丹波義隆]]の意向で、『キイハンター』、『Gメン'75』で被っていた黒のショートハットを[[東映東京撮影所]]から京本政樹が運んできた。「これが似合うのはオレだけだ」と語った丹波の代名詞とも言うべきショートハットが、胸の上に置かれた。通夜の開始では『Gメン'75』のテーマ曲が、告別式では『キイハンター』のテーマ曲や丹波が愛した「赤とんぼ」などの葬送曲が流れた。『Gメン'75』の関谷警部補役・原田大二郎とスペシャルで結城警部補役の京本政樹、「HOTEL」の赤川一平役・高嶋政伸や鶴見辰吾らが、遺族と一緒に出棺した。義隆が「父はあの世とこの世は地続き。電車で隣町に行くようなものといってましたが、いざ、その日を迎えるとはっきり言って寂しいです」「おやじから見たらだらしない息子だと思われるかもしれないが、これから父の言う“電車の乗換駅”に父を見送りに行ってきます」と挨拶すると、弔問客からはすすり泣く声が漏れた。ファンから「'''丹波哲郎、日本一'''」「'''ありがとう!'''」の絶叫がコダマし、原田大二郎は目を真っ赤にして最敬礼のポーズで見送った。無宗教であり、戒名はない。墓所は[[多磨霊園]]<ref>[http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tanba_te.html 歴史が眠る多磨霊園「丹波哲郎」]</ref>。
 
 
 
[[2007年]][[7月17日]]、25年間交友のあった霊能者の[[稲川りよ子]]によれば、死後の丹波から、生前の約束通り霊界通信があり、「世のため、人のために尽くし明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、それに見合った素晴らしい世界があります」との旨のメッセージが送られて来たという<ref>[http://www.tamba.ne.jp/blog/inagawa/index.php?UID=1184641798 『稲川りよ子の霊界サロン』 2007/7/17]</ref><ref>[http://www.tamba.ne.jp/blog/inagawa/index.php?UID=1193414708 『稲川りよ子の霊界サロン』 2007/10/27]</ref>。
 
 
 
== 人物 ==
 
=== 人柄 ===
 
出演作を多く手がけた[[中島貞夫]]は「外見はバタくさいが義理堅い日本の男で、ワンシーンの友情出演だけなのに京都へ来てくれたこともあった。車代を渡そうとしたら『おれはそんなつもりで出たんじゃない』と泣いて怒られた」と語り<ref name="朝日" />、[[石井輝男]]はもっとも信頼出来る俳優のひとりとして、文句をいわず、ひたすら言われたことを黙々と演じる丹波をいつもほめていた<ref name="佐野史郎">{{Cite web |author=佐野史郎 |authorlink=佐野史郎 |date=2006-09-27 |url=http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |title=丹波哲郎さん大霊界へ逝く |publisher=橘井堂 <!--|archiveurl=http://web.archive.org/web/20100225225353/http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |archivedate=2013-3-13 -->|accessdate=2013-02-09 }}</ref>。
 
『[[007は二度死ぬ]]』の関りから[[ルイス・ギルバート]]監督作品に無償のカメオ出演を快諾。
 
裕福な家庭に育ち1949年に結婚した貞子夫人もテーラー(オーダーメイド紳士服店)を営み、自身も公団職と[[闇市]]卸副業から社会人演劇同好会を運営し、育ちの良さ素地から不義理、道理の通らない事を嫌い監督など目上立場であっても反目する一方で<ref>ときには不遜な態度や大言壮語な放言を嫌い丹波とは距離を置いていた俳優仲間の存在を[[土屋嘉男]]らが映画作品の回想インタビューなどで示唆している。</ref>和解すると信頼には誠実をもって答えていた様子が晩年にインタビューから俳優職歴中心に纏めた実質自伝の2004年出版丹波・[[ダーティ工藤]]共著『大俳優丹波哲郎』(ワイズ出版刊)に綴られている。前述した義理友情に纏わるもの、俳優養成所「丹波道場」の経営失敗とは一方で、俳優業経営は厳格で海外出演の経験から映画TVドラマプロデュースについても同様だった。
 
 
 
=== 家族 ===
 
息子に俳優の[[丹波義隆]]と森正樹。哲郎の妻は[[北一輝]]のいとこの娘にあたる<ref>[http://www.kajika.net/furusawa/20040725-5.htm 古沢襄「北一輝の従妹・ムツ」]</ref>。公団職員時代の[[1949年]]に結婚。貞子夫人は[[1958年]][[小児麻痺]]発症から[[車椅子]]生活を余儀なくされたが多忙を極めるなか哲郎が献身介護していたことが広く知られ、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ[[島田事件]]で被告人の無罪を勝ち取った人物である<ref>[http://www.bestlife.ne.jp/tanba/part04/c3_080530.html 丹波哲郎の幸せのメッセージ 人が死ぬということ―大往生の極意―]{{リンク切れ|date=July 2014}}</ref>。[[杉並区]][[西荻窪]]に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。しかし「こんなことは[[日本のタクシー|タクシー]]の運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。葬儀が行われた際、愛人とその子供(元女優の江畑絢子と息子である森正樹)が弔問に訪れた。義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。丹波が二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。
 
 
 
=== エピソード等 ===
 
*丹波は自ら売り込みをせず、キャスティングされた時点で、演じる役は自分に合う役であるはずなので役作りは一度もしたことが無く、テレビの前の観客は意識せず、目の前に居る監督を喜ばせることのみを考えていると語っていた<ref name="鬼平"> 鬼平を極める フジテレビ出版 P.72</ref>。
 
*[[1963年]]の映画『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』(松竹京都)で隻眼隻腕の剣士、[[丹下左膳]]を演じる事になったが、[[殺陣]]がやりにくいとの理由から、設定上右手、右眼が無いところを左手、左眼がないことにして刀を右で持つ、という提案をし、世間を驚かせた<ref name="朝日" />。歴代の丹下左膳の中でも右手なのは丹波の作品のみである。
 
*『[[仁義なき戦い 代理戦争]]』では写真だけの出演(モデルは[[田岡一雄]])もあった。『[[人間革命]]』でシリアスな宗教家を演じた時期に、[[石井輝男]]が監督をした『ポルノ時代劇 忘八武士道』にも主演していたと著書で述べている。同作の監督・石井輝男とは新東宝時代の僚友だが、お互いに東映に移ってから協業が増えて親しくなり、石井晩年の低予算自主制作作品にも付き合っている。
 
*丹波は先輩、後輩、監督からエキストラまで、誰とでも平等に、分け隔てなく接する事を徹底していた。丹波は撮影現場では、大俳優、大女優から、仕出し([[エキストラ]])に至るまで、まったく同じ付き合い方をする。人間が大きくて素敵だと感じた。みんな同じ、平等だと、綺麗事なく心の底からそう思っていたという<ref>{{Cite web|url=http://www.tamba.ne.jp/ma-51.htm|title=丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」~第51回~|publisher=公式サイト 丹波哲郎の霊界サロン|date=|accessdate=2018-02-20}}</ref>。ただ、当時東映の大スターであり先輩でもあった[[鶴田浩二]]に対して丹波が「おーい、鶴田!」と呼んでいたことが度々あり、鶴田は丹波よりも年下ではあるが、役者としては丹波よりも先輩であった事からこの事に鶴田は苦手にしていたこともあった<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.238-239</ref>。
 
*義隆は丹波より「お前は現場に入って監督にどう挨拶するんだ?」と聞かれ、「おはようございます、と言います」と答えたところ、「じゃあ、監督だけじゃなく、エキストラや掃除の人にも、同じように挨拶をしろ」と教えられたという。「依怙贔屓はダメだ。あと、同じ監督と一緒に仕事をしようと思うな。媚びへつらうな」と強く言い聞かされたという<ref>{{Cite web|url=https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/23759/892699/|title=ファミリーヒストリー 丹波義隆〜父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史〜 2015年9月18日(金)|publisher=gooテレビ|date=2015-09-18|accessdate=2018-02-20}}</ref>。
 
*また、[[せんだみつお]]ら曰く、お茶目な一面もあったという。映画『[[柳生一族の陰謀]]』で[[萬屋錦之介]]との立ち回りのシーンの撮影の時に丹波は予定の時間を1時間ほど遅刻し、現場に現れた時の丹波の第一声が「おう!錦ちゃん、遅れた、ワリい!」と軽いノリだったという<ref name="kinejun1611">[[キネマ旬報]] 2016年11月上旬号「せんだみつおが見上げた昭和の巨星(スター)列伝 其の1 丹波哲郎」(p.134-135)</ref>。また共演した女優らの尻を触ったり<ref name="kinejun1611"/>、自分の台本を見て初めて入るスタジオを間違えたことに気付き、何も無かったようにその場を立ち去ったということもあった<ref name="kinejun1611"/>。
 
 
 
==== 台本を覚えてこないということ ====
 
*丹波は台本を読まないことで知られ<ref name="佐野史郎" />、この丹波の特異なスタイルのため、机の上や壁、共演者の背中あるいは小道具である手元の蜜柑にまでカンニングペーパーが準備されていた。Gメン'75の役の名前を覚えるのが面倒であると、大きな蜜柑に出演者の役柄の名前を書いていたが、蜜柑が食べられてしまったというエピソードも有る<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.254</ref>、その回の犯人が誰なのかわかっていなかったり、違う回の台本を間違えて持ってきたことも度々あったという([[谷隼人]]・談)<ref name="gendai11215">[[週刊現代]] 2012年12月15日号 p.170-173「『キイハンター』のボス 丹波哲郎を語ろう」</ref>。
 
*上述『柳生一族の陰謀』の撮影の時にはちゃんと台本を持って来たが、その台本は郵送で届いたままでまだ未開封の状態だった。同作品の監督の[[深作欣二]]に「自分の台詞くらい家で覚えて来てよ」と言われると「俺は仕事を家に持ち込まない主義なんだよ」と返したという<ref name="kinejun1611"/>。
 
*台本を読まずに本番に臨む事で知られていた丹波だが、本人は「記憶力はいい」「俺はきちんと頭に入ってるんだよ」「俺は覚える、と自分に自信がある」と言って本番ではスラスラ台詞が出て来ていたと述懐していたが、一方で「終わった途端に忘れちゃう」とも話しており、これを「一種の自己催眠だね」としている。またこのようなことを自ら「面白おかしい伝説的なジョークに近いもの」だとも話している<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.252</ref>。
 
 
 
==== Gメン'75 ====
 
*[[夏木陽介]]の著書によれば「丹波ちゃんとは、同じ[[警視]]役で対等に付き合っていた<ref>『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 P.291</ref>、また丹波の性格を余りにも大らか過ぎたと回想し、全く台詞を覚えてこないことを夏木が注意すると、「俺は家庭に仕事を持ち込まない主義だ。」と返答されたと回想した<ref>『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 P.290</ref>。
 
*ある日Gメン本部の屋上での[[夏木陽介]]とのシーンの撮影に際し、丹波がいくら待てど現場に現れず、夏木が怒って帰ってしまい、次の日の同じシーンの撮影では、丹波が現場に付いたら連絡をと、わざと夏木が遅れて現場に現れると、夏木を待っていた丹波が「よく来てくれた、俺は人を待たせるのも、待つのも平気なんだと。」言ったという<ref>『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 P.289</ref>。
 
*[[若林豪]]は丹波について、「言われているようにセリフをまったく覚えてこない。なんていいかげんだと皆さんが思うけど、それでも映像になると、誰よりも絵になる。天才でしたよね。」とコメント<ref name=="アサ芸">[http://www.asagei.com/tag/%E8%8B%A5%E6%9E%97%E8%B1%AA 名作ドラマ“至高の最終回”の謎を総直撃!1982年4月3日・Gメン’75 若林豪]- アサ芸プラス 2016年</ref>、また最終回のパリでのロケの際に、丹波に誘われルーブル美術館へ行ったが、丹波があっという間に外に出てきて「ここは絵ばっかりだ、帰るぞ」と言ったエピソードを明かしている<ref name=="アサ芸"/>。
 
*[[岡本富士太]]は、丹波がGメンの放送開始後しばらくの間番組を見ていなかったらしく、何話も放送された頃になり、「今度のオープニングはお洒落でいいじゃないか。」と話し今までOAを見ていなかったのか驚いたと話した<ref>刑事マガジン2003 vol.1 辰巳社 P.61 </ref>。
 
*丹波の乗った車が交通違反で停められた際、丹波が[[日本の警察官|警察官]]に「Gメンの丹波だが」と対応。この時の違反はスピード違反と語られることが多いが、丹波は一方通行の逆走だったと、[[笑っていいとも]]のテレフォンショッキングで語っている<ref>DVD『Gメン'75 FOREVER BOX』Vol.1 映像特典「TALK ALIVE」(東映ビデオ)</ref>。
 
 
 
==== 池波作品 ====
 
『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』では舞台化の話が出たが、丹波はこれを断り<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.155</ref>、真田太平記の舞台化の話の際には丹波の方から真田昌幸役での出演を希望したが、鬼平の舞台への出演を断ったため、池波から丹波の出演が拒否されたと話していた<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.155</ref>。丹波は池波作品の真田昌幸について、「真田昌幸は喜劇的で助平さがにじみ出ている部分が自分に合っていた。」とコメントしていた<ref name="鬼平"> 鬼平を極める フジテレビ出版 P.72</ref>。「[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]」で[[真田昌幸]]を演じた丹波について、共演した[[草刈正雄]]は、丹波がこの役にかなり入れ上げており、今までに無い程、真剣に役に挑み<ref>草刈正雄FIRST PHOTO BOOK(2017年5月10日、双葉社 p.92-97</ref>、長台詞も含めて台詞を完全に覚えていたと語っている<ref>{{cite web|url=http://www.asagei.com/excerpt/68426|title=天才テリー伊藤対談「草刈正雄」(1)三谷さんの台本を素直に演じました|work=週刊アサヒ芸能 2016年 10/27号|date=2016-10-22|accessdate=2017-02-03}}</ref>。また自分から売り込みをしないことで有名な丹波だが、真田太平記のテレビ化の際には、自ら池波に直訴し役を得たとの噂があった、そして丹波は共演にあたり、渡瀬と草刈に刀をプレゼントしたなどのエピソードを、共演の草刈が明かしている<ref>草刈正雄FIRST PHOTO BOOK(2017年5月10日、双葉社 p.92-97</ref>。
 
 
 
=== 様々な交友 ===
 
*ワンマン社長としてその名を知られた松竹の[[城戸四郎]]を、影でシロウちゃんと呼んでおり、不在の本社を訪ねては「シロウちゃん、いるかい」とふざけていたら、偶然本人がいたことで、城戸と言い争いになったこともある(キネマ旬報「大放言」より)。ただ、城戸を偏屈だが愛すべき人物として敬愛してもいた。
 
*著書で「軍隊時代に上官だった[[川上哲治]]からリンチを受けていた。終戦後に川上が『あのときは仕方なかった』と頭を下げて廻り、巧みな処世術をするのを見たとき、川上の本性がわかった」と述べている<ref>丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 p.55-70</ref>。
 
*[[ラヴァンス|丹波プロダクション]]に所属し、『[[キイハンター]]』『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』などで共演した[[野際陽子]]を妹のように可愛がっていた<ref name="佐野史郎" />。[[佐野史郎]]はドラマ『[[ずっとあなたが好きだった]]』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている<ref name="佐野史郎" />。
 
*[[黒柳徹子]]は丹波曰く芸能界で一番古い友達で黒柳司会の[[徹子の部屋]]には10回以上出演し<ref>丹波哲郎さん みなに愛されての旅立ち、[[スポーツニッポン]]、2006年10月1日</ref>、10月16日、17日の2日間丹波が出演した回を振り返り追悼特集が行われた<ref>『徹子の部屋』40周年Anniversary Book、ぴあ、2015年、p102</ref>。
 
 
 
=== 心霊研究など ===
 
*心霊学と[[霊界]]に造詣を持ち、霊界の存在を確信していた<ref name="朝日" />。多数の著作をものし、年間20回以上の講演を行っていた。本人もロンドンのホテルで中国人女性の複数の霊に遭遇しており、これが死後の確信に変わる出来事だったと話す。子供の頃には、腐った[[まんじゅう]]を食べて死にかけた時に、母親が自分の傍で自分の名を叫び続けているのをすぐ真上で見ていたことがあったと話していた<ref name="gendai11215"/>。なお、本人の公式サイトも霊界についてまとめたサイトになっている。
 
*霊界の世界に興味を持ち始めたのは、ある俳優仲間の死であった。ある俳優仲間がガン宣告され、毎日のように「死ぬのが怖い」と連呼していた事から、彼の不安を和らげるために死後の世界について徹底的に調べようと思った事がきっかけであった<ref>[[月刊明星]] 1990年1月号 p.123-125「霊界の宣伝マン 丹波哲郎オジサマ大研究」</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.tamba.ne.jp/ma-27.html|title=丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」~第27回~|publisher=公式サイト 丹波哲郎の霊界サロン|date=|accessdate=2018-02-20}}</ref>。
 
*その他、[[催眠術]]への造詣も深く、自ら催眠術を操れたという。しかし『[[Gメン'75]]』などで共演の夏木によれば、実際に丹波の催眠術に掛かった人は見たことが無い、丹波に気を遣い、催眠に掛かったふりをしていたのかもしれないとしている<ref>『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 P.288</ref>。また自ら「催眠術は馬鹿と子供には掛からない」と話していたという([[丹波義隆]]・談)<ref name="gendai11215"/>。
 
*『人間革命』出演後、創価学会の大会に招待された際、創価学会の活動をさかんに顕揚する講演をした後で「[[南無阿弥陀仏]]」としめくくり、場内を騒然とさせた。丹波は著書に、自分のオッチョコチョイな性格を示す逸話として、この失敗談を載せている。
 
 
 
=== その他 ===
 
[[オロナミンC]]の初代CMキャラクターは、当初[[大村崑]]ではなく丹波になるはずだった。事実、丹波が侍姿で製品を持った宣材ポスターが大村の資料館に残されている。[[嘉門達夫]]は丹波の発言やキャラクターをもとにした楽曲『タンバでルンバ』を発表し、それが機縁となりTBSドラマ『結婚してシマッタ!』で丹波の秘書役として共演した。
 
 
 
== 受賞 ==
 
* [[毎日映画コンクール#第28回(1973年)|第28回毎日映画コンクール]] 男優演技賞 『[[人間革命#映画|人間革命]]』([[1973年]])
 
* [[第4回日本アカデミー賞#最優秀助演男優賞|第4回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞]] 『[[二百三高地]]』([[1980年]])
 
* [[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|第23回ブルーリボン賞]] 助演男優賞 『二百三高地』(1980年)
 
* 第13回[[日刊スポーツ映画大賞]] 助演男優賞 『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』([[2000年]])
 
 
 
== 出演作品 ==
 
=== 映画 ===
 
* 殺人容疑者(1952年、配給[[新東宝]]、監督[[鈴木英夫]]、蜷川親博)-木村
 
* [[戦艦大和 (映画)|戦艦大和]](1953年、新東宝) - 尾形少尉
 
* 叛乱(1954年、新東宝) - 香田大尉
 
* 潜水艦ろ号未だ浮上せず(1954年、新東宝)
 
* [[日本敗れず]](1954、新東宝) - 松崎少佐
 
* [[人間魚雷回天 (映画)|人間魚雷回天]](1955年、新東宝)
 
* 暴力の帝王(1956年、新東宝)
 
* [[女真珠王の復讐]](1956年、新東宝) - 野口吾郎
 
* [[阿波狸変化騒動]](1957年、新東宝) - [[金長狸]]
 
* [[ひばりの三役 競艶雪之丞変化]](1957年、新東宝) - 門倉平馬
 
* [[明治天皇と日露大戦争]](1957年、新東宝) - [[島村速雄]]
 
* [[天皇・皇后と日清戦争]](1958年、新東宝) - [[大鳥圭介]]
 
* 暴れん坊森の石松(1959年、[[東宝]]) - 放れ駒の藤蔵
 
* 飛びっちょ勘太郎(1959年、東宝) - 大塚雄之進
 
* 夜霧の決闘(1959年、東宝) - 中西
 
* 0線の女狼群(1960年、新東宝)
 
* 女奴隷船(1960年、新東宝)
 
* 国定忠治(1960年、東宝) - 三ツ木の文蔵
 
* 第三波止場の決闘(1960年、東宝) - 霧島
 
* [[みな殺しの歌より 拳銃よさらば!]](1960年、東宝) - 田辺
 
* [[大坂城物語]](1961年、東宝) - [[石川貞政]]
 
* [[豚と軍艦]](1961年、[[日活]]) - 鉄次
 
* [[男の血潮がこだまする]](1961年、[[ニュー東映]]) - 黒須勝也
 
* 東京夜話(1961年、東宝) - 笠森組・二郎
 
* 断崖の決闘(1961年、東宝) - 鳴海
 
* [[黄色い風土#映画|黄色い風土]](1961年、ニュー東映) - 木谷
 
* [[黒い画集 第二話 寒流]](1961年、東宝) - 山本甚造
 
* [[太陽にかける橋]] ''Bridge to the Sun'' (1961年、アメリカ)
 
* [[恋と太陽とギャング]](1962年、[[東映]])
 
* [[切腹 (映画)|切腹]](1962年、[[松竹]]) - 沢潟彦九郎
 
* [[暗黒街最後の日]](1962年、東映)
 
* [[ギャング対Gメン]](1962年、東映)
 
* [[暗黒街の顔役十一人のギャング]](1963年、東映) - 芳賀邦光
 
* [[丹下左膳]](1963年、東映)
 
* [[ギャング対Gメン 集団金庫破り]](1963年、東映)
 
* [[十三人の刺客]](1963年、東映) - [[土井大炊頭利位]]
 
* [[東京ギャング対香港ギャング]](1964年、東映) - 毛
 
* [[ジャコ萬と鉄]](1964年、東映) - ジャコ万
 
* [[次郎長三国志]] 第三部(1964年、東映) - [[黒駒勝蔵]]
 
* [[三匹の侍]](1964年、松竹) - 柴左近 '''※製作兼務'''
 
* 銃殺〜2・26の叛乱(1964年、東映) - 相川中佐
 
* [[暗殺 (映画)|暗殺]](1964年、松竹) - [[清河八郎]]
 
* [[御金蔵破り]](1964年、東映)
 
* [[第七の暁]][[:en:The 7th Dawn|The 7th Dawn]](1964年、英国) - ヌー
 
* [[仇討 (1964年の映画)|仇討]](1964年、東映) - 奥野主馬
 
* [[ならず者 (1964年の映画)|ならず者]](1964年、東映)
 
* [[怪談 (1965年の映画)|怪談]](1965年、[[文芸プロダクションにんじんくらぶ]]) - 甲冑の武士
 
* [[網走番外地 (東映)|網走番外地]](1965年、東映)
 
* [[異聞猿飛佐助]](1965年、松竹)
 
* [[明治侠客伝 三代目襲名]](1965年、東映) - 野村勇太郎
 
* [[丹下左膳 飛燕居合斬り]](1966年、東映) - 柳生対馬守
 
* 組織暴力(1967年、東映)
 
* 網走番外地 決斗零下30度(1967年、東映)
 
* [[解散式 (映画)|解散式]](1967年、東映)
 
* 続・組織暴力(1967年、東映)
 
* 脱獄者(1967年、[[大映]])
 
* [[007は二度死ぬ]](1967年、[[ユナイテッド・アーティスツ|UA]]) - タイガー田中
 
* [[陸軍諜報33]](1968年、東映) - 秋山少佐
 
* [[不良番長]](1968年、東映)
 
* [[御用金 (映画)|御用金]](1969年、フジテレビジョン / 東京映画)
 
* [[やくざ番外地]](1969年、日活)
 
* 緋牡丹博徒 鉄火場列伝(1969年、東映) - 小城英三郎
 
* [[やくざ番外地 抹殺]](1969年、日活)
 
* 五人の軍隊 The Five Man Army(1969年、イタリア)
 
* [[無頼漢]](1970年、東宝 / [[にんじんくらぶ]]) - [[河内山宗春|河内山宗俊]]
 
* [[戦争と人間 (映画)|戦争と人間]](1970年、日活)
 
* [[暴力団再武装]](1971年、東映)
 
* [[激動の昭和史 沖縄決戦]](1971年、[[東宝]]) - 第32軍参謀長・[[長勇]]
 
* [[出所祝い]](1971年、東京映画)
 
* [[沈黙 (遠藤周作)#映画版|沈黙 SILENCE]](1971年、表現社 / マコインターナショナル) - [[クリストヴァン・フェレイラ]]
 
* ポルノの帝王(1971年、東映) ※友情出演
 
* [[水滸伝 (1972年の映画)|水滸伝]](1972年、[[ショウ・ブラザーズ]]) - [[盧俊義]]
 
* 軍旗はためく下に(1972年、新星映画 / 東宝)
 
* 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義(1972年、東映)
 
* 影狩り(1972年、東宝) - 当初丹波で[[成田三樹夫]]が演じた月光役が決定していたが、スケジュールが空けられず、一度降板した、しかし田沼役を演じる予定であった[[石原慎太郎]]がスケジュールが合わず、急遽丹波が田沼役で出演した<ref>映画監督 舛田利雄 260-261ページ</ref>
 
* 影狩り ほえろ大砲(1972年、東宝)
 
* [[ワル (漫画)|非情学園ワル]](1973年、東映)
 
* ポルノ時代劇 忘八武士道(1973年、東映) - 明日死能
 
* [[山口組三代目]](1973年、[[東映]]) - 山口組二代目組長・[[山口登 (暴力団)|山口登]]
 
* [[人間革命#映画|人間革命]](1973年、[[シナノ企画]] / 東宝) - [[戸田城聖]]
 
* [[仁義なき戦い 代理戦争]](1973年、東映) - 明石組組長・明石辰夫 <small>※写真のみ</small>
 
* [[実録安藤組 襲撃篇]](1973年、東映)
 
* [[ザ・ゴキブリ]](1973年、[[石原プロモーション|石原プロ]] / 東宝)
 
* [[日本沈没]](1973年、東宝) - 山本総理
 
* 0課の女 赤い手錠(1974年、東映)
 
* [[ノストラダムスの大予言 (映画)|ノストラダムスの大予言]](1974年、東宝) - 西山良玄 / 西山玄哲 / 西山玄学
 
* [[樺太1945年夏 氷雪の門]](1974年、東洋映画) - 鈴本参謀長
 
* [[砂の器 (映画)|砂の器]](1974年、松竹) - 今西栄太郎刑事
 
* [[直撃地獄拳 大逆転]](1974年、東映)
 
* [[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]](1975年、東映) - 小早川信之
 
* [[新幹線大爆破]](1975年、東映) - 須永刑事部長
 
* [[東京湾炎上]](1975年、東宝) - 宗方船長
 
* [[暴力金脈]](1975年、東映)
 
* [[水滸伝 杭州城決戦]](1975年、ショウ・ブラザーズ)
 
* [[ひとごろし]](1976年、永田プロ / [[大映]] / [[映像京都]]) - 仁藤昴軒
 
* [[実録外伝 大阪電撃作戦]](1976年、東映) - 川田組組長・川田利明
 
* [[人間革命#映画|続・人間革命]](1976年、シナノ企画 / 東宝) - 戸田城聖
 
* [[暴力教室]](1976年、東映)
 
* [[不毛地帯]](1976年、芸苑社 / 東宝) - 川又空将補
 
* [[大空のサムライ]](1976年 / 東宝)
 
* [[八甲田山 (映画)|八甲田山]](1977年、シナノ企画 / 東宝) - 児島大佐
 
* [[こちら葛飾区亀有公園前派出所#実写作品|こちら葛飾区亀有公園前派出所]](1977年、東映) - 黒木警視 <small>※『[[Gメン'75]]』</small>
 
* [[姿三四郎 (映画)#1977年版|姿三四郎]](1977年、東宝映画) - 飯沼恒民
 
* [[柳生一族の陰謀]](1978年、東映) - 小笠原玄信斎
 
* [[事件 (大岡昇平)|事件]](1978年、松竹) - 菊池弁護士
 
* [[雲霧仁左衛門 (映画)|雲霧仁左衛門]](1978年、松竹 / [[俳優座]])
 
* [[宇宙からのメッセージ]](1978年、東映) - アーネスト・ノグチ
 
* [[皇帝のいない八月]](1978年、松竹) - 三神陸将
 
* [[野性の証明]](1978年、[[角川春樹事務所]] / 東映) - 和田陸将
 
* [[赤穂城断絶]](1978年、東映) - [[柳沢吉保]]
 
* [[日蓮 (映画)|日蓮]](1979年、松竹) - [[富木常忍]]
 
* [[白昼の死角]](1979年、東映) - 常陽精工社長・木下雄次郎
 
* [[闇の狩人]](1979年、松竹 / 俳優座)
 
* [[真田幸村の謀略]](1979年、東映) - [[加藤清正]]
 
* [[二百三高地]](1980年、東映) - [[児玉源太郎]]
 
* [[忍者武芸帖 百地三太夫]](1980年、東映)
 
* 遥かなる走路(1980年、松竹) - 西川秋次
 
* 情劫(1980年、ショウ・ブラザーズ)
 
* [[武士道ブレード]](1981年、[[:en:Rankin/Bass|ランキン・バス・プロ]] / トライデント・フィルムズ) - 大和守
 
* [[魔界転生#映画|魔界転生]](1981年、角川春樹事務所 / 東映) - [[刀匠]]・[[村正]]
 
* [[野菊の墓 (映画)|野菊の墓]](1981年、東映)
 
* [[連合艦隊 (映画)|連合艦隊]](1981年、東宝) - [[小沢治三郎]]
 
* [[炎のごとく]](1981年、東宝) - [[田中玄清|田中土佐]]
 
* [[鬼龍院花子の生涯#映画|鬼龍院花子の生涯]](1982年、東映)
 
* [[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]](1982年、東映) - [[東條英機|東条英機]]
 
* [[疑惑 (松本清張)#映画|疑惑]](1982年、松竹) - 岡村謙孝
 
* [[日本海大海戦 海ゆかば]](1983年、東映) - [[山本権兵衛]]
 
* [[空海 (映画)|空海]](1984年、全真言宗青年連盟映画製作本部 / 東映) - [[桓武天皇]]
 
* [[天国の駅 HEAVEN STATION]](1984年、東映) - 五十沢刑事
 
* [[零戦燃ゆ]](1984年、東宝) - [[山本五十六]]
 
* [[北の螢 (映画)|北の螢]](1984年、東映 / 俳優座映画放送) - 石倉武昌
 
* [[高原に列車が走った]](1984年、東映)
 
* [[修羅の群れ]](1984年、東映)
 
* [[愛・旅立ち]](1985年、東宝)
 
* [[BE FREE!#映画版|BE FREE!]](1986年、大映)
 
* [[キャバレー (小説)|キャバレー]](1986年、角川春樹事務所 / 東宝)
 
* [[首都消失]](1987年、[[徳間書店]] / 大映)
 
* [[はいからさんが通る]](1987年、東映)
 
* [[恋のカウントダウン]](1987年、好朋友影業)
 
* [[マルサの女2]](1988年、[[伊丹十三|伊丹プロ]] / 東宝) - 佐渡原:国税局査察部管理課長。
 
* [[砂の小舟]](VHS版改題「地上(ここ)より大霊界」)(1988年、[[日本ヘラルド]])
 
* [[226 (映画)|226]](1989年、[[松竹富士]]) - [[真崎甚三郎]]
 
* [[極道の妻たち三代目姐]](1989年、東映) - 坂西武雄
 
* [[丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる]](1989年、丹波企画 / 松竹富士) - 出演・脚本・製作・総監督
 
* [[将軍家光の乱心 激突]](1989年、東映) - [[堀田正盛|堀田加賀守正盛]]
 
* [[善人の条件]](1989年、松竹)
 
* [[帝都大戦]](1989年、東宝)
 
* [[丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!]](1990年 丹波企画 / 松竹富士) - 出演・脚本・製作
 
* [[激動の1750日]](1990年、東映)
 
* [[江戸城大乱]](1991年、東映 / [[フジテレビジョン]]) - [[徳川光圀]]
 
* [[RIKI-OH/力王]](1991年、ヒーロー・コミュニケーションズ) - 張善鬼
 
* [[大霊界3]](1992年、松竹) - 出演・製作・脚本
 
* [[民暴の帝王]](1993年、東映)
 
* 大迷信1993(1993年、東方電影)
 
* [[とられてたまるか!?]](1994年、東映)
 
* [[超能力者 未知への旅人]](1994年、東映)
 
* [[北京原人 Who are you?]](1997年、東映)
 
* [[ねじ式]](1998年、[[石井輝男|石井プロ]]) - 家主
 
* [[地獄 (1999年の映画)|地獄]](1999年、石井プロ) - 明日死能
 
* [[金融腐食列島 呪縛]](1999年、東映) - 川上多治郎
 
* [[学校 (映画)|十五才 学校IV]](2000年、松竹) - 畑鉄男(バイカルの鉄)
 
* [[さくや妖怪伝]](2000年、トワーニ)
 
* [[盲獣vs一寸法師]](2001年、[[石井輝男|石井プロ]]) - 丹下博士
 
* [[伊能忠敬-子午線の夢]](2001年、東映) - [[島津重豪]]
 
* [[カタクリ家の幸福]](2002年、「カタクリ家の幸福」製作委員会 / 松竹)
 
* [[釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!]](2002年、松竹) - 黒部五郎
 
* [[11&#x27;09&#x27;&#x27;01/セプテンバー11]](2002年)
 
* [[たそがれ清兵衛]](2002年、松竹) - 井口藤左衛門
 
* [[極道恐怖大劇場 牛頭]]GOZU(2003年、オフィスアスク)
 
* [[T.R.Y.]](2003年、東映) - [[山縣有朋]]
 
* [[日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没]](2006年、東宝) - 阿部玲子の祖父 <small>※写真での[[友情出演]]</small>
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* 丹下左膳 (1958年 - 1959年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - [[丹下左膳]]
 
* トップ屋 (1960年 - 1961年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
 
* [[三匹の侍]] 第1シリーズ (1963年 - 1964年、フジテレビ) - 柴左近
 
* [[スパイキャッチャーJ3]] (1965年 - 1966年、[[テレビ朝日|NET]])
 
* [[シャドウマン]](1965年12月 - 1966年1月、NET)
 
* [[ローンウルフ 一匹狼]] (1967年 - 1968年、日本テレビ) - 小田切警部
 
* [[キイハンター]] (1968年 - 1973年、[[TBSテレビ|TBS]] / [[東映]]) - 黒木鉄也
 
* [[柳生十兵衛 (1970年のテレビドラマ)|柳生十兵衛]] (1970年 - 1971年、フジテレビ) - [[宮本武蔵]]
 
* [[大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ)|大忠臣蔵]] (1971年、NET) - [[千坂高房|千坂兵部]]
 
* [[天皇の世紀]] (1971年、[[ABCテレビ|朝日放送]]) - [[田中河内介]]
 
* [[忍法かげろう斬り]] 第25話「旗本奴と素浪人」(1972年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 和田倉甚兵衛
 
* [[二人の素浪人]] 第9話「双つぼくろの女を斬れ!」(1972年<!-- 10月28日 -->、CX / 東映) - 脇坂塔十郎
 
* [[ジキルとハイド (テレビドラマ)|ジキルとハイド]] (1973年、フジテレビ)
 
* [[アイフル大作戦]](1973年 - 1974年、TBS) - 桜田正三郎
 
* [[水滸伝 (1973年のテレビドラマ)|水滸伝]] (1973年、日本テレビ) - [[呼延灼]]
 
* [[狼・無頼控]] (1973年 - 1974年、[[MBSテレビ|毎日放送]]) - 炎竜軒
 
* [[大盗賊 (テレビドラマ)|大盗賊]] (1974年、フジテレビ / [[国際放映]]) - 闇将軍
 
* [[バーディー大作戦]] (1974年 - 1975年、TBS) - 桜田正三郎
 
* [[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]] (1975年、NET / 東宝) - [[長谷川宣以|長谷川平蔵]]
 
* [[Gメン'75]] (1975年 - 1982年、TBS) - 黒木哲也警視→警視正
 
* [[新・座頭市]] 第6話「師の影に泣いた」(1976年、フジテレビ) - 伴野弥十郎
 
*愛と憎しみの宴(1977年、MBS /東宝)
 
* [[大河ドラマ]]([[日本放送協会|NHK]])
 
** [[黄金の日日]] (1978年) - [[今井宗久]]
 
** [[獅子の時代]](1980年) - 松本栄吉
 
** [[峠の群像]] (1982年) - [[鶴見内蔵助]]
 
** [[いのち (NHK大河ドラマ)|いのち]] (1986年) - 高原正道
 
** [[春日局 (NHK大河ドラマ)|春日局]] (1989年) - [[徳川家康]]
 
** [[利家とまつ〜加賀百万石物語〜|利家とまつ]] (2002年) - 井口太郎左衛門
 
** [[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]] (2005年) - [[源頼政]]
 
* [[獅子のごとく]] (1978年、TBS) - 山県有朋
 
* [[柳生一族の陰謀#連続ドラマ|柳生一族の陰謀]] 第21話「夕焼けに恨みが残った」(1979年、[[関西テレビ放送|KTV]] / 東映) - 落合丈之介
 
* [[騎馬奉行]](1979年 - 1980年、KTV / 東映) - [[水野忠邦|水野越前守]]
 
* [[長七郎天下ご免!]] (1979年 - 1982年、[[テレビ朝日]]) - [[松平信綱|松平伊豆守]]
 
* [[必殺仕事人]] 第4話「主水は三途の川を避けられるか?」(1979年、朝日放送) - 壬生蔵人
 
* [[吉宗評判記 暴れん坊将軍]] 第81話「姿なき勇士たち」(1979年、テレビ朝日) - 近藤刑部
 
* [[草野球・草家族]](1980年、テレビ朝日) - 加島順太郎
 
* [[木曜ゴールデンドラマ]]([[讀賣テレビ放送|YTV]])
 
** [[ガン回廊の朝]] (1980年)
 
** わが首相のベッド ガン回廊の朝II(1980年)
 
* [[拳骨にくちづけ]] (1981年、TBS) - 荒船時次郎
 
* [[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]] (1981年、TBS) - [[福島正則]]
 
* [[ここまでは他人]] (1981年、TBS) - 河原勘三郎
 
* [[Gメン'82]] (1982年 - 1983年、TBS) - 黒木警視正
 
* [[マルコ・ポーロ シルクロードの冒険]] (1982年 TBS / イタリア[[RAI]]他)
 
* [[地獄の左門十手無頼帖]] 「将軍暗殺!」(1983年、CX / 東映) - [[阿部正弘|阿部伊勢守]]
 
* [[勇者は語らず いま、日米自動車戦争は]] (1983年、NHK) - 冬木毅
 
* [[長七郎江戸日記]] (1983年 - 1986年・1988年 - 1989年・1990年 - 1991年、NTV / ユニオン映画) - [[柳生宗冬]]
 
* [[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] / [[西海道談綺#テレビドラマ|松本清張の西海道談綺]] (1983年、[[テレビ西日本]] / フジテレビ)- 北条宗全
 
* [[遠山の金さん (高橋英樹)#遠山の金さん (1982年 - 1985年)|遠山の金さん 第1シリーズ]] 第89話「決死の殴り込み・死装束の遠山金四郎!」(1984年、ANB / 東映)
 
* [[青い瞳の聖ライフ]](1984年、フジテレビ) - 武吉
 
* [[西部警察 PART-III]](1984年、テレビ朝日)特番 燃える男たち ゲスト特別出演
 
* [[NHK新大型時代劇]](NHK)
 
** [[宮本武蔵 (NHK新大型時代劇)|宮本武蔵]] (1984年) - [[新免無二|平田無二斎]]
 
** [[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]] (1985年 - 1986年) - [[真田昌幸]]
 
* [[スーパーポリス]] (1985年、TBS) - 瀬島警視正
 
* [[年末時代劇スペシャル]](日本テレビ)
 
** [[忠臣蔵 (1985年のテレビドラマ)|忠臣蔵]] (1985年) - [[色部安長|色部又四郎]]
 
** [[白虎隊 (1986年のテレビドラマ)|白虎隊]] (1986年) - [[神保内蔵助]]
 
** [[田原坂 (テレビドラマ)|田原坂]] (1987年) - [[大山綱良]]
 
** [[勝海舟 (1990年のテレビドラマ)|勝海舟]] (1990年) - [[清水次郎長]]
 
** [[源義経 (1991年のテレビドラマ)|源義経]] (1991年) - [[藤原秀衡]]
 
** [[風林火山 (1992年のテレビドラマ)|風林火山]] (1992年) - [[武田信虎]]
 
* [[新春ワイド時代劇|12時間超ワイドドラマ]]([[テレビ東京]])
 
** [[徳川風雲録 御三家の野望]](1986年) - [[成瀬正親|成瀬隼人正]]
 
** [[家康が最も恐れた男 真田幸村]] (1998年) - 真田昌幸
 
* [[火曜サスペンス劇場]] / [[弁護士・高林鮎子]] (1986年 - 2005年、日本テレビ) - 草鹿達之介
 
* [[忠臣蔵・女たち・愛]] (1987年、TBS) - [[大石良雄|大石内蔵助]]
 
* [[橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命]] (1987年、TBS) - 古葉公三
 
* [[TBS大型時代劇スペシャル]](TBS)
 
** [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]] (1988年) - [[関口親永]]
 
** [[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]] (1989年) - [[浅井久政]]
 
** [[平清盛 (1992年のテレビドラマ)|平清盛]] (1992年) - [[平忠盛]]
 
* 結婚してシマッタ! (1988年 TBS)
 
* 円空(1988年、[[木曜時代劇 (NHK)|NHK土曜ドラマ]]) - [[円空|円空上人]]
 
* [[土曜ワイド劇場]] / [[家政婦は見た!]]7 (1989年、テレビ朝日)
 
* [[HOTEL (テレビドラマ)|HOTEL]] (1990年 - 2002年、TBS / 近藤照男プロダクション) - 大原鉄太郎社長
 
* 大暴れ一心太助!-天下の御意見番 大久保彦左衛門罷り通る- (1990年、日本テレビ) - [[大久保忠教|大久保彦左衛門]]
 
* [[十三人の刺客]] (1990年、フジテレビ) - 土井大炊頭利位
 
* [[白い巨塔 (1990年のテレビドラマ)|白い巨塔]] (1990年、テレビ朝日) - [[鵜飼医学部長]]
 
* [[ザ・刑事]] (1990年、テレビ朝日) - 寿署長
 
* [[乃木希典|静寂の声]] (1990年、テレビ朝日) - 児玉源太郎
 
* [[金曜エンタテイメント|金曜ドラマシアター]] / [[実録犯罪史シリーズ#『金の戦争』|実録犯罪史シリーズ 金の戦争(キムのせんそう) ライフル魔殺人事件]] (1991年、フジテレビ)
 
* [[世にも奇妙な物語]] 1991年冬の特別編「王将」(1991年、フジテレビ) - 玉沢大八十段
 
* 大逆襲! 四匹の用心棒 (1991年、テレビ朝日 / 東映) - [[水野忠邦]]
 
* [[源氏物語 上の巻・下の巻]] (1991, 1992年、TBS) - [[桐壺帝]]
 
* [[ララバイ刑事#ララバイ刑事'91・'92|ララバイ刑事'91・'92]] (1991年 - 1992年、テレビ朝日) - 山口一男署長
 
* 四匹の用心棒 (4) かかし半兵衛ひとり旅(1992年、ANB / 東映) - 水野越前守
 
* [[必殺スペシャル・新春 せんりつ誘拐される、主水どうする? 江戸政界の黒幕と対決!純金のカラクリ座敷]](1992年、テレビ朝日) - 幻の朝太郎
 
* [[半七捕物帳]] (1992年 - 1993年、日本テレビ) - [[松平定信|白河楽翁]]
 
* [[ホテルドクター]] (1993年、テレビ朝日) - 小松原大三郎
 
* [[闇を斬る!大江戸犯科帳]] (1993年、日本テレビ) - 老中・兵頭丹後守
 
* 四匹の用心棒 (5) かかし半兵衛無頼旅(1993年、ANB / 東映) - 水野越前守
 
* [[新幹線物語'93夏]] (1993年、TBS) - 黒木哲也
 
* [[金曜エンタテイメント]] / [[異変街道#テレビドラマ|松本清張の異変街道]] (1993年、フジテレビ) - 隠居
 
* [[鬼平犯科帳 (中村吉右衛門)|鬼平犯科帳]] 第4シリーズ 第13話「老盗の夢」(1993年、フジテレビ) - 蓑火の喜之助
 
* [[カミング・ホーム (テレビドラマ)|カミング・ホーム]] (1994年、TBS) - 城田福造
 
* [[御家人斬九郎#テレビドラマ|御家人斬九郎]] 第1シリーズ 第2話「用心棒二人」(1995年、フジテレビ / [[映像京都]]) - 高坂伊十郎
 
* [[走らんか!]] (1995年 - 1996年、NHK連続テレビ小説) - 前田米吉
 
* [[味いちもんめ]](1997年)
 
* [[痛快!三匹のご隠居]] (1999年、テレビ朝日) - 乾三四郎
 
* [[歓迎!ダンジキ御一行様]] (2001年、日本テレビ) - 住職
 
* [[時空警察|時空警察捜査一課]] (2001年 - 2005年、日本テレビ) - 北条特命主席管理官
 
* [[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]] 第31部 - 第35部 (2002年 - 2005年、TBS) - 3代目・[[山野辺義堅|山野辺兵庫]]
 
* [[夢みる葡萄|夢みる葡萄〜本を読む女〜]] (2003年9月 - 12月、NHK[[月曜ドラマシリーズ]]) - 小川安春
 
* [[オーダーメイド〜幸せ色の紳士服店〜]] (2004年、NHK) - 五井重彦
 
* [[浅田次郎|天切り松 闇がたり]] (2004年、フジテレビ) - [[東郷平八郎]]
 
 
 
=== 舞台 ===
 
* [[シベリア超特急]]4(2003年)
 
 
 
=== 劇場アニメ ===
 
* [[クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦]](1999年、東宝) - 温泉の精・丹波
 
* [[猫の恩返し]](2002年、[[スタジオジブリ]]) - 猫王
 
 
 
=== ゲーム ===
 
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ シネマランド カチンコガチンコ大活劇!]](2008年) - 温泉の精・丹波 ※ライブラリ出演
 
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ カスカベ映画スターズ!]](2014年) - 温泉の精・丹波 ※ライブラリ出演
 
 
 
=== バラエティ ===
 
* [[クイズなっとく歴史館]](フジテレビ) - レギュラー解答者
 
* [[丹波倶楽部]](1989年1月17日 - 3月、フジテレビ「JOCX-TV2」枠)
 
* [[丹波・山瀬のパニックTV]] (1990年 - 1991年、読売テレビ) - 司会
 
* [[敏感!エコノクエスト]] ([[MBSテレビ|毎日放送]]) - レギュラー解答者
 
* [[タモリの音楽は世界だ]](テレビ東京)
 
* [[ウォンテッド!!]](フジテレビ)
 
 
 
=== CM ===
 
* [[麒麟麦酒|キリンビール]] キリンビアシャトル
 
* モービル石油(現・[[JXTGエネルギー]]グループ)
 
* [[佐藤製薬]] ラマストン
 
* [[日健総本社]] クロスタニン
 
* [[ジャパンフリトレー]]
 
* [[味の素]] 冷凍うどん
 
* [[日本デジタル研究所]] 文作30DTP
 
 
 
== ディスコグラフィ ==
 
*「トップ屋」(作詞:白鳥朝詠、補作詞:[[五社英雄]]、作曲:[[沢田駿吾]]、[[東芝レコード]]、1960年12月発売)
 
*「俺がやらなきゃ」(作詞:東逸平、作曲:植村亨、東芝レコード、1960年12月発売)
 
 
 
== 著書 ==
 
*『丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、中央アート出版、1980年4月1日
 
*『丹波哲郎の霊界問答』丹波哲郎、中央アート出版、1981年12月、ISBN 4-88639-262-8
 
*『守護霊団 : この世とあの世を結ぶもの』丹波哲郎、広済堂出版、1982年10月(Kosaido books)(新書) ISBN 433100256X
 
*『丹波哲郎の死ぬ瞬間の書』丹波哲郎、広済堂出版、1983年1月(Kosaido books)(新書) ISBN 4331002934
 
*『死後の世界の証明 ― 霊界実存の書』丹波哲郎(広済堂ブックス)(新書)1983年1月、ISBN 4331003043
 
*『永遠なる霊の世界 - あなたは死んだらこうなる』丹波哲郎、徳間書店、1983年3月、ISBN 4-19-552697-3
 
*『霊人の証明 : 続々丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、中央アート出版、1983年4月、ISBN 4-88639-381-0
 
*『丹波哲郎の地獄の書』丹波哲郎、中央アート出版社、1983年9月、ISBN 4-88639-419-1
 
*『死後の世界の証明 : 霊界実存の書』丹波哲郎、広済堂出版、1984年3月(Kosaido books)
 
*『霊魂不滅の書』丹波哲郎、広済堂出版、1984年7月(Kosaido books) ISBN 4331003361
 
*『因果応報の法則』丹波哲郎、光文社、1984年2月(カッパ・ブックス)
 
*『稀代の霊能者三田光一 ― 丹波哲郎の霊人の証明 2』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年7月、ISBN 488639468X
 
*『丹波哲郎の天界の書』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年5月
 
*『死んだらどうなる』丹波哲郎、経済界、1984年3月(リュウブックス)
 
*『丹波哲郎の輪廻転生の旅』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年10月、ISBN 4886394698
 
*『どう生きたらよいか ― 丹波哲郎の人生指南道場』丹波哲郎、経済界、1985年1月(リュウブックス) ISBN 4766700937
 
*『死後の世界 ― 私は霊界を生きてきた』ギャラップJr.(著)、丹波 哲郎(翻訳)、三笠書房、1985年3月、ISBN 483795412X
 
*『死は輝く世界の扉』丹波哲郎、かんき出版、1985年5月、ISBN 4761251603
 
*『「死にがい」の書 ―"生きがい"があれば"死にがい"もあっていい』丹波哲郎、広済堂出版、1985年5月、ISBN 4331003701
 
*『催眠術の世界 ― 誰にもできる催眠術入門』(カメブックス(8))(新書)丹波哲郎、土曜美術社、1985年7月、ISBN 488625120X
 
*『これが霊の世界だ』丹波哲郎、立風書房、1985年9月、ISBN 4651780164
 
*『丹波哲郎と四柱推命の世界 ― 運命をあやつる五つの星の神秘』丹波哲郎、かんき出版、1985年9月、ISBN 4761251697
 
*『丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、広済堂出版、1986年1月(広済堂文庫) ISBN 4331650049
 
*『大霊界を翔ぶ』丹波哲郎、広済堂、1986年7月、(Kosaido books) ISBN 4331003973
 
*『新・死者の書 ― 死後の世界は確実に存在する!』丹波哲郎、角川書店、1986年1月(Kadokawa books) ISBN 4047060119
 
*『丹波哲郎のツキをよぶ守護霊』丹波哲郎、現代出版、1986年2月、ISBN 4875975074
 
*『来世からの証言 ― 丹波哲郎の人生指南道場 II』丹波哲郎、経済界、1986年1月(リュウブックス) ISBN 4766701046
 
*『霊界からの忠告―霊人はあなたの全てを見ている!』丹波哲郎、角川書店、1986年11月(Kadokawa books) ISBN 4047060283
 
*『霊界探訪 ―「近死体験」で私はこう生まれ変わった!』ケネス リング(著)、丹波哲郎(翻訳)三笠書房、1986年11月、ISBN 4837954324
 
*『大霊界 ― 死んだらどうなる』(大型本)丹波哲郎(著)、近藤 薫(イラスト)、学習研究社、1987年4月、ISBN 4051025624
 
*『守護霊問答 ― 自分を高め幸せに導く』丹波哲郎、広済堂出版、1987年5月(Kosaido books) ISBN 4331004104
 
*『丹波哲郎の霊界問答』丹波哲郎、中央アート出版、(新装丁版)1987年8月、ISBN 4-88639-262-8
 
*『丹波哲郎の死者の書』丹波 哲郎、中央アート出版社、(普及版)1987年8月、ISBN 4886395155
 
*『来世はどうなる ― 天界行きの切符をあなたに』丹波哲郎、来世研究会、広済堂出版、1987年9月(Kosaido books) ISBN 4331004171
 
*『丹波哲郎の霊界旅行』丹波哲郎、中央アート出版、(普及版)1987年6月、ISBN 4886395120
 
*『驚異の「大霊界」― 宇宙に充満する霊魂の一人は、あなたです。』丹波哲郎、土屋書店、1988年2月(ムックスペシャル版) ISBN 4806900559
 
*『霊運問答』丹波哲郎、天山出版、1988年2月(天山ブックス) ISBN 4803313903
 
*『霊言の書 ― 霊界からの幸せメッセージ』丹波哲郎、広済堂出版、1988年4月(Kosaido books) ISBN 4331004333
 
*『霊界生活の実相 ― 今の生き方で来世の幸福がつかめるか?』(RAISE BOOKS)丹波 哲郎、土屋書店、1988年5月、ISBN 4806904449
 
*『丹波哲郎の漫画大霊界 ― 愛と真実への旅立ち』丹波哲郎(著)、かきざき和美(作画)、大洋図書、1988年6月、ISBN 4886720374
 
*『「霊」なんでも大百科』丹波哲郎、広済堂出版、1988年7月(豆たぬきの本) ISBN 433120118X
 
*『大霊界の真実 ― この真実を知ればもう死は恐くない!』丹波哲郎、角川書店、1988年10月(Kadokawa books)(新書) ISBN 4047060526
 
*『大霊界を見た ― 死後の世界の驚異』丹波哲郎(著)、近藤 薫(イラスト)、学習研究社、1988年12月、ISBN 405103111X
 
*『小説 大霊界』丹波哲郎、角川書店、1989年1月、ISBN 4048725238
 
*『霊界生活の実相』丹波哲郎、土屋書店、1989年4月、(Raise books) ISBN 4750806137
 
*『小説 大霊界.2 ― 死んだらおどろいた!!』丹波哲郎、角川書店、1989年11月、ISBN 4048725696
 
*『大霊界の深奥 ― 転生は人類に進歩をもたらす』丹波哲郎、角川書店、1990年1月(Kadokawa books) ISBN 4047060666
 
*『丹波哲郎の大霊界への招待』丹波哲郎、日刊スポーツ出版社、1990年5月、ISBN 4817201150
 
*『大霊界へのパスポート』丹波哲郎、角川書店、1990年12月(Kadokawa books)(新書) ISBN 4047060739
 
*『霊人の証明』丹波哲郎、角川書店、1991年3月(角川文庫) ISBN 4041790018
 
*『新・死者の書』丹波哲郎、角川書店、1991年9月(角川文庫) ISBN 4041790026
 
*『死後の世界 ― 人は死んだらどうなるか』(知的生き方文庫) ジョージ.Jr.ギャラップ(著)、丹波 哲郎(翻訳)、三笠書房,1992.3.(知的生きかた文庫) ISBN 4837905048
 
*『死よ、こんにちは。― この世とあの世は地続きだ』 / 丹波哲郎、青谷舎、1992.12.25(Seikokusha books) ISBN 4915822079
 
*『死は凱旋門』丹波哲郎(著)、朝日メディアインターナショナル、1993年5月、ISBN 4900696013
 
*『死はこんなに気楽なものか』丹波哲郎、中央アート出版社、1994年4月(丹波哲郎シリーズ9) ISBN 4886396933
 
*:第14回日本文芸大賞 特別賞受賞作
 
*『守護霊と霊界の謎 ― 初めてわかった死後の世界の全貌と守護霊の真相』<br />丹波哲郎、日本文芸社、1994年5月(Rakuda books) ISBN 4537024119
 
*『僕は霊界の宣伝使 ― 破格の人生』丹波哲郎、青谷舎、1995年4月、ISBN 4915822206
 
*『人が死ぬということ ― 大往生の極意』丹波哲郎、二見書房、1996年11月(サラ・ブック巣) ISBN 4576961497
 
*『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言 ― 有名人が初めて明かす異次元体験ファイル』<br />丹波哲郎(著)、テレビ東京(編集)、日本文芸社、1997年4月、ISBN 4537025603
 
*『あの世で幸せになる話 ― 仏界と霊界の往復書簡』丹波哲郎、池口惠觀共著、青春出版社、1997年11月、ISBN 4413030877
 
*『幸せをつかむ7つの法則 ― 目の前の小さなことにこだわるな』丹波哲郎、日本文芸社、1999年4月、ISBN 4537026863
 
*『丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ』丹波哲郎、キネマ旬報社、1999年5、ISBN 4873762294
 
*『改訂版.驚異の大霊界 スペシャル版―宇宙に充満する霊魂の一人は、あなたです。』<br />丹波哲郎、土屋書店、2001年7月、ISBN 4750806129
 
*『エンサイクロペディア大霊界. 月の巻 ― 本当はもっともっと愉快な人生の延長線』<br />丹波哲郎、徳間書店、2002年5月、ISBN 4198615047
 
*『大俳優 丹波哲郎』丹波哲郎、ダーティ工藤共著、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 4898301703
 
*『あなたの死後の運命』丹波哲郎、文香社、2005年6月、ISBN 4938933632
 
*『オーラの運命(さだめ)― この世もあの世もバラ色にする黄金法則』丹波哲郎、双葉社、2005年10月、ISBN 4575298441
 
*『霊界から見たあなたの人生』丹波哲郎、文香社、2006年1月、ISBN 978-4938933647
 
*『霊界の書. 天 . 霊界の書. 地』丹波哲郎、中央アート出版、2006年10月、霊界研究全9作品完全収録, ISBN 978-4813603887
 
 
 
== 研究書 ==
 
* 丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、[[ワイズ出版]]、2004年5月、ISBN 978-4898301708 - 映画監督・工藤とのインタビュー
 
*『丹波哲郎の「霊界地図」の研究』アポカリプス21研究会(著)、シーエイチシー、2006年10月、ISBN 978-4860972165
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{jmdb name|0265190}}
 
* {{allcinema name|50625}}
 
* {{kinejun name|85730}}
 
* {{imdb name|0848533|Tetsuro Tanba}}
 
* [http://movie.walkerplus.com/person/80876/ 丹波哲郎 - Movie Walker]
 
* {{URL |www.tvdrama-db.com/name/p/key-%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%80%80%E5%93%B2%E9%83%8E |丹波哲郎 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇ }}
 
* [http://www.tamba.ne.jp/ 丹波哲郎の霊界サロン] - 来世研究会([[正希光]])
 
* [https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010228_00000 NHKアーカイブ 丹波哲郎]
 
 
 
{{ウィキポータルリンク|スピリチュアリティ}}
 
 
 
{{パナソニックドラマシアター 水戸黄門 主要キャスト}}
 
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丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日

昭和後期-平成時代の俳優。

大正11年7月17日生まれ。昭和27年「殺人容疑者」で映画デビュー。おもに悪役を演じる。テレビドラマ「トップ屋」「三匹の侍」などで人気をあつめ,「007は二度死ぬ」などの外国映画にも出演。霊界研究家としても知られ,映画「丹波哲郎の大霊界」の総監督をつとめた。平成18年9月24日死去。84歳。東京出身。中央大卒。本名は正三郎。



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