中禅寺湖

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中禅寺湖
所在地 日本の旗 日本
栃木県日光市
位置 東経139度27分44秒北緯36.74056度 東経139.46222度36.74056; 139.46222
面積 11.90[1] km2
周囲長 25 km
最大水深 163 m
水面の標高 1,269 m
成因 堰止湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 貧栄養湖
透明度 9.0 m
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中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)は栃木県日光市日光国立公園内にある日本の湖沼では25番目の面積規模を有する。

概要

中禅寺湖は、2万年前に男体山噴火でできた堰止湖である[2]人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖である。また、栃木県最大の湖である。1周は約25kmであり、歩くと9時間ほどかかる距離である[3]。湖のすぐ北には男体山がそびえ、北西には戦場ヶ原が広がる。

男体山の山頂付近(弥陀ヶ原)から見た中禅寺湖。湖の右側に広がる平地は戦場ヶ原

中禅寺湖は、現在は観光地として知られるが、日光山を開いたとされる勝道上人が発見したとされる湖であり、かつては神仏への信仰に基づく修行の場として知られていた[3]。湖岸から約100m離れた場所にある上野島には、勝道上人の遺骨の一部が納められている[3]

湖の南側には八丁出島と呼ばれる細長く突き出した半島があり、紅葉の名所として知られるほか、薬師如来を祀っていたとされる薬師堂跡がある[3]

千手ヶ浜と呼ばれる砂浜は、車の乗り入れ禁止であり、徒歩や遊覧船でのみ訪問できる場所で、樹齢200年を超えるミズナラやハルニレ、赤や白のクリンソウがみられる[3]

明治中期以後、観光地として知られるようになり、湖畔には現在もフランスベルギーなどの大使館別荘がある。

もともとは生息していなかったが、明治期から徐々に放流が行われ、1991年の調査ではマス類およびコクチバスワカサギウグイコイフナヒメマス、ホンマスなど24種の魚種が生息している。特に、ヒメマスは湖産親魚から採卵孵化した稚魚が放流され、地引き網などで捕獲された魚は特産品として、また遊漁目的の重要な観光資源となっている。なお、ホンマスは、ヤマメOncorhynchus masou)とビワマスOncorhynchus masou rhodurus)の交雑個体とされている[4]。日本で唯一レイクトラウトが繁殖しており、スポーツフィッシングの対象となっている[5]

気候

人間史

明治以前

782年(天応2年)、勝道上人が男体山の登頂時に発見したといわれている[6]。勝道はその後、湖畔に神仏を祀り、784年には神宮寺(後の中禅寺)を建立するなどし、信仰に基づいて修行を行える「霊場」をつくりあげた[3]。中禅寺は、当初、現在の日光二荒山神社・中宮祠(ちゅうぐうし)がある場所にあり、勝道が湖上でその姿をみて作成したとされる千手観音(立木観音)が祀られていた[7]

817年(弘仁8年)、勝道が没すると、中禅寺湖と縁が深かったとして、湖岸から約100m離れた場所に上野島がつくられ、遺骨の一部を納められた[3]

明治以後

1873年水産庁増養殖研究所によると、最初の放流が行われ、下流域の河川に生息していたイワナが放流された[8]

1876年(明治9年)には明治天皇が訪れた際、同湖を「幸の湖(さちのうみ)」と名付けている。1878年(明治11年)6月末に当地を訪れたイザベラ・バードは、いろは坂を上り切った山頂から見下ろす中禅寺湖の水面に映える男体山を絶賛し、また湖畔を竜頭滝方面に進む際に絶えず聞こえた小石を洗う漣と高さ5メートル弱のツツジの林が真紅の花で染まっている様子をその手紙に綴っている[9]

1902年(明治35年)、大山津波により、中禅寺は大きな被害を受け、観音堂が湖上に押し流されたが、本尊であった千手観音(立木観音)は無傷のまま湖上に浮かび、後に再建された中禅寺で引き続き祀られることになった[7]。また、同年、カワマスが放流された[8]

1906年、十和田湖からヒメマスが35万尾放流された[10]

明治中期から昭和初期にかけて、同湖周辺には欧米各国の大使館別荘が建設され、各国の外交官たちが避暑に訪れるリゾート地となる。

戦後

第二次世界大戦の影響で観光地は一時衰退するが、戦後、いろは坂の開通でアクセスが容易になり、春の新緑や秋の紅葉などで人気を博することとなった。

1963年、中禅寺湖漁業協同組合が組織され、ニジマスヤマメブラウントラウトビワマスなどマス類を中心に放流され、放流と自然繁殖[11]により資源が維持されることとなった。

1980年代から湖水に泡が生じる[12]と共に黄色鞭毛藻類( Uroglena americana )が増殖し淡水赤潮現象[13]の発生が報告され[14]湖水を水源とする水道水に異臭生じるなどの現象が発生している。なお、発生した泡はプランクトン由来では無く、流入河川流域に落ちた落ち葉由来の糖類が原因であることが判明している[12]

1990年代初頭以後、ヒメマスの遡上数は原因不明の減少をきたすこととなり、1万尾あったものが、2007年に1000尾未満となった[15][4]

東日本大震災後

2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生し、それに伴い福島第一原子力発電所事故が発生すると、栃木県にある中禅寺湖においても、その影響がみられるようになった。

栃木県生産振興課によると、中禅寺湖は福島第一原発事故による放射性物質の拡散の影響が大きく、事故後の2012年(平成24年)以降、当分の間、ワカサギを除く全魚種の持ち帰りが禁止されることとなり、釣りはキャッチ・アンド・リリースに限られることとなった[16]

観光

日本百景に選定されている。湖畔には日光二荒山神社中宮祠、日光山中禅寺(立木観音)、中禅寺温泉、キャンプ場などがあり、定期の遊覧船も出ている。

特に中禅寺では、毎年8月4日に、開祖である勝道上人に関連した土地を船で巡礼する「船禅頂(ふなぜんじょう)」という行事を開催している[3]

また、華厳滝そばにある日光自然博物館では奥日光の自然についての情報が手に入る。増養殖研究所日光庁舎ではサケ・マス類の養殖技術の研究が行われており、その周囲はさかなと森の観察園として一般見学もできる。

交通

JR日光線日光駅、または東武日光線東武日光駅から東武バス「湯元温泉」または「中禅寺温泉」行きで中禅寺温泉駅下車。

日光市街より国道120号でいろは坂経由、または群馬県沼田市より国道120号で金精道路(金精トンネル)、戦場ヶ原経由。

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積 (PDF)”. . 2015閲覧.
  2. 日本の自然湖沼の成因 環境科学技術研究所
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 「中禅寺湖 自然美の霊場」(『読売新聞』2014年8月22日)
  4. 4.0 4.1 禅寺湖におけるヒメマス及びホンマスの数理生態研究 栃木県水産試験場研究報告 (41),3-12,1998-03, ISSN 1340-8585{{#invoke:check isxn|check_issn|1340-8585|error={{#invoke:Error|error|{{issn}}のエラー: 無効なISSNです。|tag=span}}}}
  5. 荒賀忠一小西英人 『さかな大図鑑』 釣りサンデー、1992年。ISBN 4-87958-009-0。
  6. 中禅寺湖の歴史」『日光パーフェクトガイド』 日光観光協会編、下野新聞社、1998年3月30日、初版、126-127頁。ISBN 4-88286-085-6。アクセス日 2010-06-03
  7. 7.0 7.1 『坂東三十三所観音巡礼 法話と札所案内』坂東札所霊場会編、朱鷺書房、1987年4月8日
  8. 8.0 8.1 アンケート調査からみた湯川における遊漁の実態 水研センター研報,第12号,1-9,平成16年 (PDF)
  9. イザベラ・バード著 「日本紀行」(家族への旅程私信を編纂したもの)による。
  10. 中禅寺湖産ヒメマスの再生産関係 水産増殖 Vol.47 (1999) No.2 P229-234
  11. 中禅寺湖流入河川におけるサケ科魚類3種の産卵生態 魚類学雑誌 Vol.49 (2002) No.2 P133-141
  12. 12.0 12.1 中禅寺湖の湖水中糖類の起源-アワ発生に関連して- 水質汚濁研究 Vol.12 (1989) No.6 P353-357,351
  13. 村上敬吾:中禅寺湖の淡水赤潮 水質汚濁研究 Vol.14 (1991) No.5 P276-280
  14. 中禅寺湖流域における陸水の水質形成について 陸水学雑誌 Vol.48 (1987) No.4 P295-306
  15. 中禅寺湖においてヒメマスの新たな資源研究を開始 中央水産研究所 (PDF)
  16. 「中禅寺湖、マス持ち帰り解禁されず トラウトから基準値超セシウム 栃木」(『産経新聞』2014年4月25日)

外部リンク