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'''中村 憲吉'''(なかむら けんきち、[[1889年]][[5月14日]] - [[1934年]][[5月5日]])は、[[歌人]]。
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'''中村 憲吉'''(なかむら けんきち、[[1889年]][[5月14日]] - [[1934年]][[5月5日]]
  
[[広島県]][[三次郡]][[布野村|上布野村]](現・[[三次市]])生まれ。[[広島県立三次高等学校|三次中学]]、[[第七高等学校造士館 (旧制)|七高]]、[[東京大学|東京帝国大学]]法科大学経済科卒。[[大阪毎日新聞]]の経済部記者を経て、実家の[[酒造業]]に携わる。[[伊藤左千夫]]に師事。1909年『[[アララギ]]』に参加、[[斎藤茂吉]]や[[古泉千樫]]らと交流を持つ。1913年[[島木赤彦]]との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。『中村憲吉全集』がある。1934年、[[肺結核]]と急性感冒のため[[尾道市]]の仮寓で死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)20頁</ref><ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)240頁</ref>。戒名は林泉院釈浄信憲吉居士。
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歌人。 1915年東京大学経済科卒業。 09年『[[アララギ]]』同人となり伊藤左千夫に師事,島木赤彦との共著『馬鈴薯の花』 (1913) および『林泉集』 (16) で繊細な都会情緒と官能的な雰囲気の歌風を確立したが,その後は次第に人生の実相を見つめつつ寂寥感を漂わせた観照的な歌風に転じた。歌集『しがらみ』 (24) ,『軽雷集』 (31) ,『軽雷集以後』 (34)
[[画像:Nakamura Kenkichi01s3200.jpg|thumb|220px|広島県尾道市に保存されている[[中村憲吉旧居]]]]
 
 
 
==著書==
 
*馬鈴薯の花 久保田柿人(島木赤彦) 東雲堂書店, 1913
 
*林泉集 アララギ発行所, 1916
 
*中村憲吉選集 アルス, 1921
 
*しがらみ 岩波書店, 1924
 
*松の芽 改造社, 1925
 
*軽雷集 古今書院, 1931
 
*軽雷集以後 岩波書店, 1934
 
*中村憲吉全集 第1-4巻 岩波書店, 1937-1938
 
*中村憲吉歌集 岩波文庫, 1941
 
*中村憲吉全歌集 白玉書房, 1966
 
 
 
==関連項目==
 
*[[おのみち文学の館]] - 晩年過ごした旧居の離れが公開されている。
 
 
 
==脚注==
 
<references/>
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{青空文庫著作者|702|中村 憲吉}}
 
* [http://www.kibiji.or.jp/literary-database/9-category-tanka/56-nakamura-kenkiti.html 中村憲吉] - 吉備路文学館
 
 
 
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[[Category:歌人]]
 
[[Category:歌人]]

2019/4/27/ (土) 23:16時点における最新版

中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日

歌人。 1915年東京大学経済科卒業。 09年『アララギ』同人となり伊藤左千夫に師事,島木赤彦との共著『馬鈴薯の花』 (1913) および『林泉集』 (16) で繊細な都会情緒と官能的な雰囲気の歌風を確立したが,その後は次第に人生の実相を見つめつつ寂寥感を漂わせた観照的な歌風に転じた。歌集『しがらみ』 (24) ,『軽雷集』 (31) ,『軽雷集以後』 (34) 。



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