三田 (東京都港区)

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三田
—  町丁  —
三田の位置
三田
三田の位置
座標: 東経139度44分34.58秒北緯35.6489639度 東経139.7429389度35.6489639; 139.7429389
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Minato, Tokyo.svg 港区
地区 芝地区(一〜三丁目)
高輪地区(四〜五丁目)
面積[1]
 - 計 1.03km2 (0.4mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
 - 計 19,439人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 108-0073[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 品川
※座標は慶應義塾大学付近[5]

三田(みた)は、東京都港区町名。現行行政地名は三田一丁目から三田五丁目。三田一~三丁目は芝地区総合支所管内、三田四・五丁目は高輪地区総合支所管内に属している。郵便番号は108-0073(高輪局管区)[3]

地理

三田一丁目と三田五丁目の古川(渋谷川)沿いの低地には、住宅地商店街が混在している。また三田二丁目の高台には高級住宅地が広がり、三井倶楽部(旧三井邸)、オーストラリア大使館(旧蜂須賀侯爵邸跡地)、慶應義塾大学(旧島原藩中屋敷)などがある。三田三丁目には主に商業地が広がる。三田四丁目は寺町となっており、三田台の上下にわたって寺院が数多く存在する。

歴史

江戸時代大名屋敷や御家人の屋敷が並んだ。三田四丁目の周辺には旧三田台町の台地が広がり、江戸時代には歌川広重によって月の岬として描かれるなど、風光明媚な地として知られた。

目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元来は同じ三田郷を起源とする荏原郡三田村の飛び地であり、同一のに所属していた。

現在では、三田キャンパスを持つ慶應義塾大学との関係が深く、別名として使用されている。慶應義塾は芝新銭座で発足したが、当時から慶應義塾で学ぶことを希望する者が多く、すぐに手狭になった。そこで三田の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げ)、以来三田を本拠地として活動することになる。このため、塾員も三田という地に愛着をもっており、塾員の集う同窓組織を「三田会」と命名しているのはその現れであろう。

地名の由来

この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社神田(みた)があったからともいわれる。

沿革

  • 戦国時代までに、荏原郡三田郷として成立する。三田の名は、吾妻鏡の中の正嘉2年(1258年3月1日の条にすでに記されている。
  • 江戸時代初期、三田郷の地に三田村が成立し、荏原郡に所属する。
  • 1662年寛文2年) - 三田村に商家が立ち並ぶようになり、その地域が三田一丁目-三田四丁目、三田台町一丁目・三田台町二丁目などとして三田村から分離し、町奉行支配となる。これ以降、延宝年間までの20年ほどの間に計14ヶ町が次々と三田村から独立し、町奉行支配となった。この時新たに成立した三田14ヶ町は、三田一丁目-三田四丁目・三田台町一丁目-三田台町二丁目・三田同朋町・三田久保町・三田古川町・三田豊岡町・三田老増町・三田南北代地町・三田台裏町・久保三田町。
  • 1868年明治元年) - 東京府成立に伴い、三田地区の町と三田村は東京府所属となる。
  • 1869年(明治2年) - 三田地区の一部に町域統廃合が行われ、三田久保町・三田南北代地町などが消滅し、代わりに三田小山町・三田松坂町などが成立する。
  • 1871年(明治4年) - 三田二丁目に慶應義塾が移転。
  • 1872年(明治5年) - 三田地区の武家地・寺地が新たに町として独立することになり、三田四国町・三田綱町・三田南寺町などが起立される。
  • 1878年(明治11年) - 芝区麻布区の成立に伴い、三田地区の町と三田村の大半は芝区に、また一部は麻布区の所属となる。
  • 1889年(明治22年) - 三田村の残余部分(現在の目黒区三田)が隣接する荏原郡目黒村に編入され、三田村が消滅する。
  • 1947年昭和22年) - 芝区が麻布区・赤坂区と合併し、新たに港区が成立する。それに伴い三田地区の町名に「芝」の冠称がつく。
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区のうち芝三田四国町・芝三田同朋町が港区に編入される。
  • 1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の大部分と周辺地域を併せて港区三田が成立する。また、三田台町三丁目・三田松坂町の一部は港区高輪となる。
  • 1969年(昭和44年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の残余部分(三田老増町)が港区白金となる。

変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部・かつての芝三田地区は太字
芝二丁目 1964年1月1日 芝三田四国町、芝金杉一-四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町
芝三丁目 芝三田四国町、芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町
芝四丁目 芝三田四国町、本芝一-四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町
芝五丁目 芝三田四国町芝三田同朋町、芝田町一-三丁目など
三田一丁目 1967年7月1日 芝三田小山町、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、麻布飯倉町五丁目
三田二丁目 芝三田一・二・四丁目芝三田綱町芝三田北寺町、麻布新広尾町一丁目
三田三丁目 芝三田二-四丁目芝三田功運町、芝田町四-九丁目、芝通新町
三田四丁目 芝三田四丁目芝三田北寺町芝三田南寺町芝三田台町一-三丁目芝三田豊岡町
芝三田功運町芝三田松坂町、芝通新町、芝伊皿子町
三田五丁目 芝三田豊岡町芝三田松坂町、麻布新広尾町二丁目
高輪一丁目 1967年7月1日 芝三田松坂町芝三田台町三丁目など(その他については高輪の項を参照のこと)
白金一丁目 1969年1月1日 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金志田町、麻布新広尾町二丁目、麻布田島町
白金二丁目 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金台町一丁目

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
三田一丁目 2,453世帯 4,318人
三田二丁目 2,276世帯 4,294人
三田三丁目 1,084世帯 1,677人
三田四丁目 1,996世帯 3,614人
三田五丁目 3,124世帯 5,536人
10,933世帯 19,439人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
三田一丁目 全域 港区立赤羽小学校 港区立三田中学校
三田二丁目 全域
三田三丁目 全域 港区立御田小学校
三田四丁目 全域
三田五丁目 全域

交通

鉄道

路線バス

道路

施設・名所

三田一丁目

三田二丁目

三田三丁目

三田四丁目

三田五丁目

ギャラリー

脚注

  1. 平成22年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年2月19日). . 2018閲覧.
  2. 2.0 2.1 各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成29年)”. 港区 (2017年12月6日). . 2018閲覧.
  3. 3.0 3.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
  4. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
  5. Google Earthより
  6. 港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). . 2018閲覧.

関連項目

外部リンク