三の丸尚蔵館

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狩野永徳 唐獅子図屏風

三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん、英語: Museum of the Imperial Collections)とは、東京都千代田区千代田皇居東御苑内にある博物館施設。宮内庁が所管する。

昭和天皇崩御後の1989年平成元年)6月に皇室から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、1992年(平成4年)9月に皇居東御苑内に建設され、1993年(平成5年)11月3日に開館した[1]

概要

日本の皇室は、京都御所儀式の際に用いる屏風刀剣歴代天皇の宸筆などの伝来品のほか、近代化以降は東京の皇居宮殿、御所で用いた調度品、近代以降に華族、財界人、海外の賓客などから献納された美術品、院展などの展覧会で買い上げた美術品など、多くの美術品や文化財を所有していた。こうした皇室所有品は「御物(ぎょぶつ)」と称された。第二次世界大戦直後、かつての皇室財産は相当数が国有財産に移された。正倉院と正倉院宝物は宮内庁の正倉院事務所、京都御所桂離宮修学院離宮宮内庁京都事務所の管理下におかれ、陵墓出土品や古文書・典籍などは宮内庁書陵部の管轄となった。そして、これら以外の、第二次大戦後も皇室の私有品にとどまった文化財は引き続き「御物」と呼ばれることになった。

1989年昭和64年)1月7日昭和天皇崩御したことに伴い、残された美術品類を国有財産と皇室の私有財産に区分けする必要が生じた。そして、「三種の神器」を始め、歴代天皇の肖像宸筆、皇室の儀式に用いる屏風や刀剣類など、皇室にゆかりの深い品は皇室経済法第7条により、引き続き「御物」として皇室の私有財産とみなされたが、それ以外の絵画工芸品などの美術品類約3,180件(約6,000点)は1989年(平成元年)6月、皇室より国に寄贈された[2]。これらの国有財産となった美術品類を適切な環境で保存研究し、一般に公開する目的をもって1993年(平成5年)に、皇居東御苑内に「三の丸尚蔵館」が開館した[3]。地上2階建て、総床面積約1600平方メートル、1階には約160平方メートルの展示室と売店を設けたほか、約1000平方メートルの収蔵庫を備えている。当初は保存研究を主目的とした収蔵施設として建設を計画し、収蔵品の公開については博物館美術館への貸出等を行って展示することを検討していたが、皇室の意向により当館内に展示室を設けることになったという。

その後、秩父宮妃薨去後の1996年(平成8年)に秩父宮家が所有していた品々が、2001年(平成13年)に香淳皇后の遺品が、高松宮妃薨去後の2005年(平成17年)に、高松宮家が所有していた品々が、さらに2014年(平成26年)3月に三笠宮家所蔵品が、各々寄贈された[4]。2014年(平成26年)時点で、約9,800点の美術品類を収蔵している[5]

宮内庁管理の美術品(正倉院宝物や書陵部管理品を含む)は、慣習的に文化財保護法による指定の枠外となっており、三の丸尚蔵館の所蔵品も国宝重要文化財等には指定されていないが、絵巻物の『蒙古襲来絵詞[6]や『春日権現験記絵巻[7]狩野永徳の代表作『唐獅子図屏風』[8]、また、明治時代に京都相国寺から宮内省が買上げた伊藤若冲動植綵絵』30幅[9]など、知名度の高い美術品が多数ある。

収蔵品には、明治以前から皇室に伝来した品のほか、帝室技芸員に任命された美術家の制作した作品、焼失した皇居の明治宮殿で使用されていた調度、装飾品類、明治以降に旧大名家、旧摂関家や財界人等から皇室に献上された美術品などが含まれる。

2014年8月、宮内庁が当館に新館を建設する構想を検討していることが明らかとなった。皇居東御苑は平成に入って以降入園者が増加し、2014年7月29日には公開開始以来の入苑者が2500万人を突破[10]、同年には年間の入苑者が初めて100万人を超えた[11]。皇居東御苑入苑者の増加に比例して当館の入館者も増えており、2014年11月15日には開館以来の入館者が500万人に到達、2017年5月28日には600万人を超えた[12]。宮内庁はこうした当館入館者の増加傾向や、皇室からの寄贈品の増加により収蔵庫が手狭になっている問題[13]を受け、新館を建設し『動植綵絵』30幅が並ぶ程度の展示スペースと新たな収蔵庫の確保することを構想した[14][15]2015年12月、改修と新館建設に関する基本計画がまとまり、2016年1月、宮内庁より公表された。総床面積は既存部分の約3倍となる4800平方メートル、展示室は360平方メートル、収蔵庫は約1800平方メートルに拡張。このほか皇居の概要や皇室の歴史などを紹介するコーナーも新設。完成予定は2022年度と発表された[16]2017年12月、宮内庁はこの計画を進めるべく、収蔵品の保存や公開の在り方を検討する有識者懇談会を設置した。しかし有識者からは、既存建物の増築や収蔵品の建物内移動など、宮内庁の計画に否定的な意見が相次いだ。2018年6月、懇談会座長の宮田亮平文化庁長官が宮内庁の西村泰彦次長に反対意見を盛り込んだ提言を手渡した。これを受け、宮内庁は新館建設計画を撤回。既存の建物を取り壊し、大型の新築棟に全面的に建て替える方針を明らかにした。今後は新築棟の具体的規模などについて検討を進める[17]

主な収蔵品

主な収蔵品については以下を参照。

ファイル:Mōko Shūrai Ekotoba.jpg
蒙古襲来絵詞(部分)
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春日権現験記絵巻(部分)
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川端玉章『四時ノ名勝』1899年
ファイル:Ito Jakuchu 001.jpg
伊藤若冲『動植綵絵』のうち老松白鳳図

絵画

書跡

工芸品

  • 木画箱 - 唐時代。旧法隆寺献納宝物
  • 蔦細道蒔絵文台硯箱 - 安土桃山~江戸時代。
  • 宇治川蛍蒔絵料紙箱・硯箱 - 飯塚桃葉作。安永4年(1775年)。
  • 短刀 銘正宗(名物京極正宗)
  • 短刀 銘行光
  • 太刀 銘備前国長船光忠 - 1933年、岩崎小弥太から献上。

近代絵画

ファイル:Hirafuku Hyakusui 001.JPG
平福百穂『玉柏』1928年
  • 川端玉章『四時ノ名勝』 - 明治32年(1899年)
  • 横山大観『御苑春雨』 - 大正15年(1926年)
  • 横山大観『飛泉』 - 昭和3年(1928年
  • 横山大観『秩父霊峯春暁』 - 昭和3年(1928年)
  • 横山大観『龍蛟躍四溟』 - 昭和11年(1936年
  • 下村観山『光明皇后』 - 明治30年(1897年
  • 富岡鉄斎『武陵桃源瀛洲神境図』(ぶりょうとうげん・えいしゅうしんきょうず) - 大正12年(1923年
  • 川合玉堂『雨後』 - 大正13年(1924年
  • 竹内栖鳳『薫風稚雀寒汀白鷺図』(くんぷうちじゃく・かんていはくろず) - 昭和3年(1928年)
  • 平福百穂『玉柏』 - 昭和3年(1928年)
  • 上村松園『雪月花』 - 昭和12年(1937年)
  • 堂本印象『火退』 - 昭和13年(1938年)

近代工芸

  • 高村光雲『矮鶏置物』 - 木彫、明治22年(1889年
  • 高村光雲『猿置物』 - 木彫、大正12年(1923年
  • 海野勝珉『蘭陵王置物』 - 彫金、明治23年(1890年)
  • 旭玉山『官女置物』 - 象牙彫刻、明治34年(1901年)
  • 並河靖之『四季花鳥図花瓶』 - 七宝、明治32年(1899年)
  • 『菊蒔絵螺鈿飾棚』 - 漆工、明治36年(1903年)。制作は川之辺一朝(蒔絵)、海野勝珉(銀製金具)、片岡源次郎(螺鈿)、六角紫水(デザイン)ほか。明治天皇の命により制作。金は佐渡金山のものを使用。制作経緯は、「明治美術ノ真粋」を後世に伝えるため、あるいは美術奨励のためと当時の美術雑誌などに記されている。
  • 香川勝広『和歌浦図額』 - 彫金、明治32年(1899年)
  • 初代宮川香山『青磁遊環龍文花瓶』 - 磁器、大正3年(1914年

利用案内

  • 入館料 無料[18]
  • 開館時間[19]
    • 3月1日~4月14日 午前9時~午後4時15分 (入館は午後4時まで)
    • 4月15日~8月末日 午前9時~午後4時45分 (入館は午後4時30分まで)
    • 9月1日~10月末日 午前9時~午後4時15分 (入館は午後4時まで)
    • 11月1日~2月末日 午前9時~午後3時45分 (入館は午後3時30分まで)
  • 休館日[20]
    • 展覧会期間中の毎週月曜日・金曜日。
    • 展覧会の準備期間。
    • 年末年始(12月28日~翌年1月3日)。
    • 行事の実施、その他支障のある日。
      • 天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は開館。
      • 月曜日が「国民の祝日等の休日」で開館する場合は、翌火曜日を休館。
      • 天皇誕生日、行事の実施日は臨時開館の場合あり。
    • 皇居東御苑は入苑者が定員を超過した場合、一時的に入苑を中止することがある[21]
  • 館内施設
    • 売店(図録・絵葉書等グッズ取り扱い。公益財団法人菊葉文化協会運営。隣接する大手休憩所にも同協会運営の売店あり(図録バックナンバー・同協会編集皇室関連書籍・DVD・絵葉書その他皇居東御苑入苑記念グッズ等も取り扱い))[22]
    • 休憩室・化粧室なし(大手休憩所・化粧室が館に隣接している[23])。
  • 交通アクセス[24]

参考文献

  • 『週刊朝日百科』「皇室の名宝8・9・10」、朝日新聞社、1999
  • 特別展図録『御即位20年記念特別展 皇室の名宝』、2009

脚注

  1. 三の丸尚蔵館
  2. 森暢平『天皇家の財布』(新潮社、2003)によると、皇室所有の美術品のうち、3,180件が「国有財産」、580件が「御由緒物」に仕分けされ、残りの800件が引き続き「御物」にとどまったという(同書pp119 - 126)
  3. 三の丸尚蔵館
  4. 三の丸尚蔵館
  5. 所蔵品の点数については、三の丸尚蔵館に「現在約9,800点の美術品類を収蔵しています」とある。また「宮内庁三の丸尚蔵館 山下裕二×太田彩(三の丸尚蔵館主任研究官) 若冲、北斎、明治の工芸……知られざる皇室の秘宝」『東京人』2014年12月号、都市出版、p.91による。
  6. 蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  7. 春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  8. 唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  9. 動植綵絵(どうしょくさいえ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  10. 皇居東御苑「(平成30年)3月27日(火)、開園以来の入園者数が3,000万人に到達し、宮内庁からその時点の入園者に記念品を贈呈しました。(参考)昭和43年10月1日開園 昭和55年8月26日500万人到達 平成5年6月6日1,000万人到達 平成14年7月13日1,500万人到達 平成21年3月11日2,000万人到達 平成26年7月29日2,500万人到達 平成30年3月27日 3,000万人到達」とある。 宮内庁
  11. 皇居東御苑 入園者数(pdf) 宮内庁
  12. 三の丸尚蔵館「5.その他 平成29年5月28日(日)、平成5年11月3日の一般公開以来、入館者数が600万人に達し、宮内庁から600万人目の方へ記念品を贈呈しました。(参考)平成5年11月3日開館 平成11年1月21日100万人到達 平成15年12月13日200万人到達 平成19年11月10日300万人到達 平成22年10月9日400万人到達 平成26年11月15日500万人到達」とある。 宮内庁
  13. 三の丸尚蔵館を建て替えへ=増築計画を撤回-宮内庁時事通信 2018年6月27日
  14. 三の丸尚蔵館を建て替えへ=増築計画を撤回-宮内庁時事通信 2018年6月27日
  15. 「宮内庁三の丸尚蔵館 山下裕二×太田彩(三の丸尚蔵館主任研究官) 若冲、北斎、明治の工芸……知られざる皇室の秘宝」『東京人』2014年12月号、都市出版、p.95。
  16. 皇居 三の丸尚蔵館、総床面積3倍に 増築基本構想を発表毎日新聞 2016年1月3日
  17. 三の丸尚蔵館を建て替えへ=増築計画を撤回-宮内庁時事通信 2018年6月27日
  18. 三の丸尚蔵館
  19. 三の丸尚蔵館
  20. 三の丸尚蔵館
  21. ○皇居東御苑公開要領 第四 入園の一時停止(pdf)最終改正 平成19年3月15日宮内庁告示第2号
  22. 公益財団法人菊葉文化協会「頒布品のご紹介」参照。
  23. 皇居東御苑(pdf)「皇居東御苑ガイドマップ」参照。 公益財団法人菊葉文化協会
  24. 三の丸尚蔵館
  25. 皇居東御苑(pdf)「皇居東御苑ガイドマップ」参照。 公益財団法人菊葉文化協会
  26. 三の丸尚蔵館

関連項目

外部リンク

テンプレート:天皇項目