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{{Otheruseslist|江戸時代以前の[[日本]]諸[[令制国|国]]で最も[[社格]]の高い[[神社]]|最初に生まれた皇子を指す'''一宮'''(いちのみや)、第一皇子、一の御子(いちのみこ)|皇子|最初に生まれた皇女を指す'''女一宮'''(おんないちのみや)|皇女|その他の一宮|一宮 (曖昧さ回避)}}
 
[[Image:Zenkoku-ichinomiya.jpg|thumb|300px|全国一宮鎮座地(讃岐一宮[[田村神社 (高松市)|田村神社]]にて撮影)]]
 
'''一宮'''(いちのみや)とは、ある地域の中で最も[[社格]]の高いとされる[[神社]]のことである。'''一の宮'''・'''一之宮'''などとも書く。
 
  
==概要==
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'''一宮'''(いちのみや)
通常単に「一宮」といった場合は、[[令制国]]の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある。『「一宮」の選定とその背景』<ref name="sentei">吉井良隆 『「一宮」の選定とその背景』 は 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 に所収。</ref>では、選定基準を規定した文献資料は無いが、一宮には次のような一定の形式があるとしている。
 
#原則的に令制国1国あたり1社を建前にした。
 
#[[祭神]]には[[国津神]]系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定されたことを予測できる。
 
#全て『[[延喜式神名帳]]』の式内社の中から選定された1社であるが、必ずしも[[名神大社]]に限られていない。(異説あり。後述の「[[一宮#変遷と争い|変遷と争い]]」を参照。)
 
#必ずしも[[神階|神位]]の高きによらないで、小社もこれに与かっている。
 
また、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』<ref name="kadai">井上寛司 『中世諸国一宮制研究の現状と課題』 より。井上寛司 『中世諸国一宮制研究の現状と課題』 は 中世諸国一宮制研究会編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 (有)岩田書院 2000年2月 に所収。</ref>では、諸国一宮が少なくとも次のようなそれぞれ次元を異にする3つの側面を持つとしている。
 
#氏人や神人などの特定の社会集団や地域社会にとっての守護神。
 
#一国規模の領主層や民衆にとっての政治的守護神。
 
#[[中世#日本|中世]]日本諸国にとっての国家的な守護神。
 
[[律令制]]において[[国司]]は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説によると一宮の起源は[[国司]]が巡拝する神社の順番にあると言われている。[[律令制]]崩壊の後も、その地域の第一の神社として一宮などの名称は使われ続けた。現在ではすべての神社は平等とされるが、かつて一宮とされた神社のほとんどが「△△国一宮」を名乗っている。また、全ての一宮が加盟しているわけではないが、これら過去に一宮とされた神社は「全国一の宮会」を結成している。
 
  
[[江戸時代]]初期の神道者・[[橘三喜]]が[[延宝]]3年([[1675年]])から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻<ref>橘三喜 『諸国一宮巡詣記』 は [[佐伯有義]] 編 『神祇全書 第2輯』 皇典講究所 1907年2月 に所収。</ref>として著し、これにより多くの人が一宮の[[巡拝]]を行うようになった{{要出典|date=2008年5月}}。現在、一宮巡拝を行っている人々の集りとして「一の宮巡拝会」が結成されており、「全国一の宮会」と連携して一宮巡拝普及のイベントを行っている。
+
古代末期に定められた神社社格の一つ。その選定時期、選定理由などについてはまだ明らかでないが、12世紀前半に成った『今昔(こんじゃく)物語』に周防(すおう)国(山口県)一宮玉祖大明神(たまのおやだいみょうじん)とみえるのが文献上の初見で、康和(こうわ)5年(1103)の伯耆(ほうき)国(鳥取県)倭文(しどり)神社境内より出土の経筒にも一宮の字があり、およそそのころから称されたものとみられる。それも神祇官(じんぎかん)、国司などによって公式に定められたものでなく、民間で唱えられ始めたものとみられている。その選定理由については近世以来諸説がある。諸国でもっとも位階の高い神社とも、また神祇官より諸国神社に伝達する際、便宜上、国ごとに一社を定めておき、そこを通じて布達させたその社の名残(なごり)ともいう。あるいは国司着任の際いちばん初めに参拝した社のこと、あるいは国内でいちばん社領の寄せられていた社のことなどともいう。しかし、いずれも従いがたく、結局その国でもっとも由緒正しく、多くの信仰を集め、経済的基盤も優れていた社ということができよう。また、それも同時に全国的に生じたのではなく、古代末期から中世初頭にかけて逐次国ごとに称されたものとみられ、さらにそのころ二宮、三宮の呼称も生じた。のちに、国ごとでなく、郡内の、また、国内一地方の一宮、二宮以下を定めた例もあり、諸国の一宮も、時代の推移とともに変遷交替している場合もある。なかには伊勢(いせ)国(三重県)、甲斐(かい)国(山梨県)、肥前(ひぜん)国(佐賀県、長崎県)などのように、近世以来一宮争いをしている国もある。
  
== 歴史 ==
 
===起源===
 
江戸時代後期の[[国学|国学者]]である[[伴信友]]は、[[天保]]8年([[1837年]])の著書 『神社私考』<ref name="shikou">[[伴信友]] 『神社私考』 は、しばしば一宮研究書に引用される。『神社私考』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第1輯』 皇典講究所 1906年10月 に所収。</ref>の中で、「一宮を定めた事は信頼できる古書類には見えず、いつの時代に何の理由で定めたか詳しく分からない」と前置きした上で「『延喜式神名帳』が定められた後の時代に[[神祇官]]あるいは[[国司]]などより諸国の神社へ移送布告などを伝達する神社を予め各国に1社定め、国内諸社への伝達および諸社からの執達をその神社に行わせたのではないか。また、それらの神社は便宜にまかせ、あるいは時勢によるなどして定められた新式ではないか」と考察しながらも、伴信友は自説に対して「なほよく尋考ふべし」と書き添えた。
 
 
現在、一宮の起源は「[[国司]]が任国内の諸社に巡拝する順番にある」とするのが通説になっている。『[[朝野群載]] 巻22』に所収された「国務条々事」には国司が任国でなすべき諸行事や為政の心得が42箇条に渡って記されているが、この中に「神拝後択吉日時、初行政事、云々」、「択吉日始行交替政事、択拝之後、擇吉日、可始行之由牒送、云々」と言う条文があり、国司は赴任すると管内の主要神社へ参拝し、それら神社に幣を奉るのが最初の執務であるとされていた。この国司初任神拝は、同じ『朝野群載 巻22』に所収された「但馬初度国司庁宣」や「加賀初任国司庁宣」にも見ることが出来る。
 
 
『国司神拝の歴史的意義』<ref name="igi">水谷 類 『国司神拝の歴史的意義』 は 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 に所収。</ref>では、10世紀末に成立した『兼盛集』に見える[[駿河国|駿河]]国司の[[富士山本宮浅間大社]]神拝の記述、[[天元 (日本)|天元]]5年([[982年]])の『太政宦符案』<ref>『平安遺文』320号。</ref>に越前国司が初任に際して[[越前国]]一宮である[[氣比神宮]]に神拝している記述、『[[時範記]]』[[承徳]]3年([[1099年]])2月の条において国司が[[因幡国]]一宮である[[宇倍神社]]を起点に国内諸社を巡拝している記述などをあげ、国司神拝が任国における就任儀礼として10世紀から11世紀初頭までに一般化しつつあったと述べている。その後、『[[中右記]]』の[[元永]]2年([[1119年]])7月の条に見られるような、国司が任国へ下向しない風潮が一般化するとともに国司神拝は簡略化・形式化し始め、在庁と深い関係で結ばれた主要神社に代表的な地位を与えて、その神に国司就任を認めさせることで国司神拝に換えるようになった。しかし、この様な国司神拝が生きた慣例・制度として機能したのは12世紀前半までで、その頃から在地神祇の代表であり神拝対象社の筆頭でもある一宮が、国司の礼拝を一身に教授する国鎮守としての性格を強めて、一宮の呼称が成立したのではないかと考察している。
 
 
では国司が最初に神拝する神社はどの様に選定されたのか、以下にいくつかの説を上げる。
 
#『「一宮」の選定とその背景』<ref name="sentei" />では、一宮の選定は、民衆の篤い崇敬を背景とした考え方が要因になっているとする。すなわち、民衆の一般的な崇敬を基にして起こった神社への等差的観念が「一宮」の選定と言う形になって現れ、それ故に官製の正式な文献に記録されなかったとしている<ref>同様の記述が 宮地直一 『神道史 上巻』 に見られる。宮地直一 『神道史 上巻』 は 宮地直一 『宮地直一論集 第5巻 神道史序説 神道史1』 蒼洋社 1985年 に所収。</ref>。
 
#『中世成立期の軍制』<ref name="gunsei">石井 進 『中世成立期の軍制』 は 石井進著作集刊行会編 『石井進著作集 第5巻 鎌倉武士の実像』 (株)岩波書店 2005年1月 に所収。</ref>では、「民衆の信仰を背景とする考え方」、「一般の信仰に基づいて起こった神社に対する等差的観念」が反映しているのは確かとしても、結局は国司の諸社待遇上の等差・国司の管内諸社祭祀の順位が現れたものとしている。
 
#『「鎮守神」と王権』<ref name="chinju">横井靖仁 『「鎮守神」と王権』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。</ref>では、一宮制の神社制度としての特質を当該期の王権との関係から考察し、中世の神祇体系は「鎮守」体系を機軸とし、国司神拝は天皇の代理として「国中第一」の霊神と鎮護国家の盟約を更新する祭儀であり、これが後に「国鎮守」としての性格を顕在化させたのではないかとしている。
 
また、『国司神拝の歴史的意義』<ref name="igi" />では、一宮と[[総社]]・[[二十二社]]との関係を考察している。それによれば11世紀から12世紀前半までの国司神拝を支えていたものは、一口で言えば「一国完結的な神社体制」と呼べるものであり、これがそのまま総社制・一宮制・諸国神名帳などを形成する基盤でもあるとしている。同書は『摂関時代における神社行政 -二十二社の成立を主題として-』<ref>二宮正彦 『摂関時代における神社行政 -二十二社の成立を主題として-』 は (財)古代学協会編 『摂関時代史の研究』 (株)吉川弘文館 1965年 に所収。後に 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 に所収された。</ref>が述べている、「諸社同時奉幣が11世紀の間に定例化したことにより二十二社制が成立した」との説を踏まえ、諸国の一国内完結的神社体制の形成に対応するのは、中央における二十二社体制の形成と確立ではないかと考察している。
 
 
しかし、一宮制と二十二社制を一括した国家祭祀体制として論じることには慎重な意見もあり、『平安期の国司祭祀と諸国一宮』<ref>岡田荘司 『平安期の国司祭祀と諸国一宮』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。</ref>では、二十二社制は京都朝廷による地域限定の自己完結的祭祀体制であり、国ごとの多様性をもって[[国衙]]・[[社家]]・[[武家]]の間で複雑に展開する一宮制との方向性には大きな溝があるとし、なお検討が必要ではないか、と述べている。
 
 
===成立時期===
 
[[ファイル:Kyouduka.JPG|200px|right|thumb|倭文神社 経塚]]
 
通説では11世紀から12世紀にかけて成立したとされる。文献上における「一宮」称号の初見は、12世紀前半に成立したとされる『[[今昔物語]]』に書かれた「今ハ昔シ周防ノ国ノ'''一宮'''ニ、玉祖ノ大明神ト申ス神在ス」の記述と言われている。
 
 
また、[[大治 (日本)|大治]]2年([[1127年]])進奏の『[[金葉和歌集]]』に見える「能因に歌よみて'''一宮'''にまゐらせて雨祈れと申ければ」との記述や、[[1915年]]([[大正]]4年)に[[伯耆国]]一宮である[[倭文神社 (湯梨浜町)|倭文神社]]の経塚より発掘された[[康和]]5年([[1103年]])在銘の[[経筒]]に「山陰道伯耆國河村東郷御坐'''一宮'''大明神」の銘文があるなど、12世紀頃より文献・文書・物品に一宮の称号が入ったものが見え始めることから、前述のように10世紀から11世紀の国司神拝を起源として12世紀に確立したのではないか、とするのが通説になっている。
 
 
しかしながら、『一宮ノオト ノオトその17』<ref name="note">齋藤盛之 『一宮ノオト』 (株)思文閣出版 2002年12月 より。</ref>が指摘するように、その起源が7世紀の一宮争いにあるとする[[相模国]]の[[国府祭]]伝承など、11世紀から12世紀の成立説と相容れない伝承がいくつかある。『「鎮守神」と王権』<ref name="chinju" />においても、一宮の成立時期には国によって懸け隔てがあり、各国の一宮は国家による法や政策を前提として一時期・一律に整備されたものとは言えないと述べている。
 
 
===二宮、三宮===
 
二宮、三宮の起源も国司の神拝順とする説があるが、『[[時範記]]』に国内をぐるりと一周してくる国司神拝順路が記述されている[[因幡国]]では二宮が不詳である。それとは逆に九宮まである[[上野国]]では、地図上で一宮から九宮までを順番に線で結ぶと同じ道を行き来することになり、『一宮ノオト』<ref name="note" />では国司神拝の順路として変ではないかと指摘している。
 
 
諸国における国司神拝を取り巻く状況も様々で、『[[中右記]]』の[[保延]]元年([[1135年]])5月6日の条には[[大和国|大和]]国司が下向神拝を拒否され、しかも大和国では国司神拝はこれまでも行われていなかったとの記述がなされている。また、『中世長門国一宮制の構造と特質』<ref name="nagato">井上寛司 『中世長門国一宮制の構造と特質』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 上:個別研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。</ref>によれば、[[長門国]]では一宮と二宮を対等な存在と認めて、両社をセットとする新たな一宮体制づくりが進められたとし、その他にも[[能登国]]が一宮と二宮しかないこと、[[摂津国|摂津]][[住吉大社]]や[[出雲国|出雲]][[出雲大社|杵築大社]]などでは国鎮守が一つに限られていて「一宮」呼称がないことを挙げている。
 
このように多様な国内事情から二宮・三宮の成立状況は諸国で異なっており、後掲の「[[一宮#諸国一宮一覧|一宮の一覧]]」においても二宮以下が「不詳」あるいは「ない」国がいくつかある。
 
 
これに関して、『「鎮守神」と王権』<ref name="chinju" />では、1970年代の議論以降、二宮や三宮は神祇順位の表現として一国内の政治的・社会的関係を反映したものと考えられてきた、と述べている。また、『一宮ノオト ノオトその14』<ref name="note" />では、巡詣順が一宮を決めたのではなく、一宮の存在により国司の巡詣順が決まったのではないかと考察している。
 
 
===変遷と争い===
 
『「一宮」の選定とその背景』<ref name="sentei" />では、民衆の一般的な崇敬を基にして起こった神社の等差的観念が競って神社に順位付けを行い、この結果、時代と共に一宮の変遷や一宮争いが起こり、時には自ら僭称するものも現れたとしている。また冒頭にあげた通り、同書では一宮は全て式内社より選ばれたとし、異説に基づく社名の変更が見受けられるのは、時代による変遷や私的に僭称したことの現われであると考察した。
 
 
しかし、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[応安]]8年(南朝の元号では[[天授 (日本)|天授]]元年、[[1375年]])2月24日以前に成立したとされる[[卜部]][[宿禰]]奥書『諸国一宮神名帳』では、[[陸奥国]]一宮に[[鹽竈神社|鹽竈大明神]]、豊後国一宮に[[柞原八幡宮|柞原大菩薩]]と式外社が記載されており、全て式内社の掲載となるのは、その後の[[室町時代]]に編纂された『[[大日本国一宮記]]』とその類本からである。『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』<ref name="shokeitou">大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。</ref>では、卜部宿禰奥書の『諸国一宮神名帳』を基に『大日本国一宮記』を編纂した際、選者は『[[延喜式神名帳]]』の式内社を強く意識したため、式外社は記載から外されたのではないかと考察している。また、『大日本国一宮記』では異なる2つの神社を同一社であるかのように記載している箇所があり、諸国の実態を把握して編纂されたかについては疑問の余地がある。
 
 
以上に関わらず、諸国において「一宮の変遷」、2つ以上の神社の「一宮争い」は実際に伝えられており、以下にその具体例をあげる。
 
 
====一宮の変遷====
 
#[[武蔵国]]の一宮、二宮、三宮は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の文献と[[室町時代]]の文献で順位が入れ替わっている。[[武蔵国#国府・国分寺・国分尼寺・安国寺・利生塔・一宮以下・総社|武蔵国#一宮以下について]]および[[氷川神社]]を参照のこと。
 
#越中国は[[能登国]]を併合・分立しており、その際に一宮に変遷があった。[[越中国#総社・一宮]]、[[射水神社]]および[[気多神社]]を参照のこと。
 
#[[備前国]]では同国内で唯一の名神大社に列せられた[[安仁神社]]が一宮となるはずであったが、[[天慶]]2年([[939年]])に起きた[[承平天慶の乱|天慶の乱]]において同社が[[藤原純友]]方に味方したため、一宮の地位を朝廷から剥奪されたとされ、その地位は隣国の[[備中国]]一宮たる[[吉備津神社]](岡山市吉備津)より分祀のうえ備前国に創建された[[吉備津彦神社]](岡山市一宮)に移ったと伝えられる。[[備前国#国府・一宮など]]を参照のこと。
 
 
====一宮争い====
 
#7世紀の[[相武国造|相武]](さがむ)と[[師長国造|師長]](しなが、「磯長」とも表記する)の合併により[[相模国]]が成立した際、相武と師長のいずれの一宮を相模国一宮とするかで争いが起きた。[[国府祭]](こうのまち)および[[川勾神社]]を参照のこと。
 
#[[鳥海山]]を御神体とする[[出羽国]]一宮では、全山への影響力を確保する争いが登山口にある里宮の間で起こった。[[鳥海山大物忌神社]]を参照のこと。
 
#[[白山比め神社|白山比咩神社]]に伝わる『白山之記』<ref name="hakusan">千妙聖人が著述したものに、[[長寛]]元年([[1163年]])白山中宮の[[長吏]]隆厳が私注を加えて成立したと伝えられる『白山之記(しらやまのき)』は[[白山比め神社|白山比咩神社]]所蔵文書のうち最古のもので、国の[[重要文化財]]に指定されている。</ref>には、能登国を分立後に越中国一宮となった射水神社と[[気多大社]]から[[分霊|分祠]]された気多神社の間で一宮争いが起きたと記されている。[[射水神社]]および[[気多神社]]を参照のこと
 
#[[佐渡国]]では度津神社別当神宮寺と畑野町一宮神社別当慶当寺の間に一宮論争が起こった。[[度津神社]]を参照のこと。
 
#[[肥前国]]では千栗八幡宮が一宮とされていたが、[[慶長]]7年([[1602年]])に[[後陽成天皇]]が與止日女神社を一宮とする勅額を下したことから両社の間で60年にわたる紛争が起こった。[[千栗八幡宮]]および[[與止日女神社]]を参照のこと。
 
#[[薩摩国]]においては一宮が未確定であったが、[[元寇|蒙古襲来]]に際し、一宮において「異国降伏祈祷」を行うよう[[鎌倉幕府]]から命じられたことをきっかけに、新田神社と枚聞神社の間で薩摩国一宮相論が開始された。[[新田神社 (薩摩川内市)|新田神社]]および[[枚聞神社]]を参照のこと。
 
 
==一宮制研究史==
 
[[1983年]]([[昭和]]58年)に発表された『国司神拝の歴史的意義』<ref name="igi" />の序文において、一宮関係の史料は決して多いとは言えず、地域的にも偏りがあるため、諸国一宮の性格を統一的には把握できていない、と述べられていた。
 
その後、一宮制研究は前進し、[[2000年]]([[平成]]12年)に出版された『中世諸国一宮制の基礎的研究』の冒頭、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』<ref name="kadai" />によれば、現在までのところ、研究史は大まかに以下の3つに区分できるとしている。
 
#'''【神社史・神社制度史の観点からの研究】''' [[幕末]]から1960年代までの研究で、『神社思考』<ref name="shikou" />を著した[[伴信友]]から、『神道史』<ref>宮地直一 『神道史 上巻』 は 宮地直一 『宮地直一論集 第5巻 神道史序説 神道史1』 蒼洋社 1985年 に所収。</ref>を著した宮地直一の[[戦前]]・[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]の研究に代表されるもの。
 
#'''【封建領主権力([[国衙]]・[[守護|幕府守護]])による政治的イデオロギー支配の観点からの研究】''' 1960年代末以後、上記の研究を克服する形で提起されたもの。
 
#'''【地域史や宗教史・都市史・国家史などの多様な観点からの研究】''' 1980年代以後に進められた、上記2つの研究成果を新たな観点から総括し直し、その上に立った多様な視点から一宮制の全面的な解明を目指すもの。
 
しかし、この様な研究史を経たためか、『「鎮守神」と王権』<ref name="chinju" />にあるのように、神社制度として一宮制の基本軸を確立してから諸国一宮を論じるべきではないかとする考え方。『中世長門国一宮制の構造と特質』<ref name="nagato" />にあるように、諸国一宮の実態を明らかにすることで、一宮制の普遍的側面を明確にしようとする考え方など、現在も研究者によって方向性に違いが見られる。
 
 
さらに、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』<ref name="kadai" />では、一宮制の研究には、以下3つの「困難性」があるとする。
 
#そのイデオロギー構造が、諸国の地域的特性や歴史的特質から離れては意味を持たなくなるという、独自の性格を持っていること。
 
#各国で史料に偏在があり、また史料の公開に制約があること。
 
#研究成果が地域史や神社史として、特定地域内において発表されることが多いため、一般の研究者の目に触れにくいこと。
 
 
これらを踏まえ、同文では、今後の一宮制研究の課題として以下5つを指摘している。
 
#個別一宮の研究、基礎的研究の蓄積。
 
#各国一宮の比較史的検討と、それを踏まえた各一宮の地域的・歴史的特殊性と普遍性との統一的把握。
 
#一宮の基本的性格と諸類型の明確化。
 
#中世諸国一宮制の成立から解体に至るトータルな歴史過程の解明。
 
#中世諸国一宮制の歴史的位置の解明。
 
 
== 地名と一宮 ==
 
一宮の神社の附近は「一宮」(一之宮、一の宮など)という地名になっている場合がある。
 
 
「全国一の宮巡拝会」が発行する『諸国一の宮一覧図』2008年10月版に記載されている106社<ref>新一の宮を含む。[[賀茂別雷神社]]と[[賀茂御祖神社]]はそれぞれ1社、[[諏訪大社]]は上社と下社合わせて2社、[[若狭彦神社]]と[[若狭姫神社]]はそれぞれ1社、[[雄山神社]]は峰本社・中宮祈願殿・前立社殿をそれぞれ1社として計上している。</ref>の内、現住所の中に一宮(一之宮、一の宮などを含む)とあるものは17社、一宮は無いが神社の名前が住所に含まれているもの(諏訪市、鹿嶋市など)26社、前記いずれにも含まれないが「宮」の字が付くもの(大宮、宮内、宇都宮など)が16社ある<ref>このなかには[[鳴門市]]大麻町の[[大麻比古神社]]、[[大分市]]寒田の[[西寒多神社]]、大分市上八幡の[[柞原八幡宮]]は含んでいない。また、神社敷地を意味する「神領」が現住所に付く[[建部大社]]も含んでいない。</ref>。
 
 
上記は「全国一の宮会」加盟社のみの記載なので、多摩市一ノ宮に鎮座する[[小野神社 (多摩市)|小野神社]]や糸魚川市一の宮に鎮座する[[天津神社 (糸魚川市)|天津神社]]などは含まれていない。また「全国一の宮会」加盟社の中にも、[[伊弉諾神宮]]のように現住所が[[津名郡]][[一宮町 (兵庫県津名郡)|一宮町]]多賀であったものが、[[2005年]](平成17年)の5町[[日本の市町村の廃置分合|合併]]により淡路市多賀へ住所変更となり、現住所から「一宮」の地名が無くなってしまった神社がある。
 
 
[[鹽竈神社]]社誌の『鹽社由来追考』および『別当法蓮寺記』には<ref>『鹽社由来追考』は[[享保]]3年([[1718年]])に、『別当法蓮寺記』は[[安永 (元号)|安永]]3年([[1774年]])から[[天明]]8年([[1788年]])の間に書かれた、いずれも[[鹽竈神社]]の社誌。志波彦神社鹽竈神社社務所編 『鹽竈神社史』 志波彦神社鹽竈神社社務所 1930年12月 に所収。</ref>、塩竈の地名は鹽竈神社の神器に由来すると記されている。また、現代においても[[1995年]](平成7年)[[茨城県]][[鹿嶋市]]が、鹿島町から市制に移行する際に市名を[[鹿島神宮]]の古書表記に因んで決めており、一宮の存在が地名に影響を与えることは少なくなかったと思われる。
 
 
== 諸国一宮一覧 ==
 
各[[令制国]]の一宮の一覧。一宮を称する神社は多いが、'''本節では歴史的に一宮とされる神社のみを掲載する'''。
 
 
{{注|(凡例)<br />
 
1)底本は『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)。<br />2)『中世諸国一宮制の基礎的研究』において史料上で一宮と見える神社を太字で記載。加えて、同書で言及される神社・他の二次史料に見える神社を普通字で記載。表記はいずれも現在における社名。神社由緒にのみ見える神社、郷・荘園の一宮と考証される神社は含まない。<br />3)「社格」の「式内社」は[[式内社]]の別(例:名神大は[[名神大社]]、大は式内大社(名神大社除く)、小は式内小社、式外は[[式外社]])、「近代」は[[近代社格制度]]での社格の別(例:官大は官幣大社、国中は国幣中社)、「別表」は[[別表神社]]・[[単立|単立神社]]の別を表す。<br />4)一の宮会のうち、「加盟」は「全国一の宮会」加盟社、「非加盟」は非加盟社。「他」は同国で歴史的な一宮とは言えないが加盟している神社がある場合(下記[[#その他の一宮一覧|その他の一宮一覧]]を参照)。<br />5)二宮以下の底本は『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)。史料に見えない神社は括弧を付して記載。神社由緒にのみ見える神社、郷・荘園の二宮以下と考証される神社は除外。}}
 
 
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;white-space:nowrap;font-size:90%"
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 国名
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 社名
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 所在地
 
!style="background:#a0f0a0" colspan=4 | 社格
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 一の宮会
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 二宮以下
 
|-
 
!style="background:#a0f0a0" | 式内社
 
!style="background:#a0f0a0" | 近代
 
!style="background:#a0f0a0" | 別表
 
!style="background:#a0f0a0" | その他
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[畿内]]'''
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[山城国]]
 
|'''[[賀茂別雷神社]]'''||[[京都府]][[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]||名神大||官大||別表||二十二社<br />勅祭社||加盟||rowspan=2|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|'''[[賀茂御祖神社]]'''||京都府京都市[[左京区]]||名神大||官大||別表||二十二社<br />勅祭社||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[大和国]]
 
|'''[[大神神社]]'''||[[奈良県]][[桜井市]]||名神大||官大||別表||二十二社||加盟||(二宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[河内国]]
 
|'''[[枚岡神社]]'''||大阪府[[東大阪市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||(二宮:[[恩智神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[和泉国]]
 
|'''[[大鳥大社]]'''||大阪府[[堺市]][[西区 (堺市)|西区]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[泉穴師神社]]<br />三宮:[[聖神社 (和泉市)|聖神社]]<br />四宮:[[積川神社]]<br />五宮:[[日根神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[摂津国]]
 
|'''[[住吉大社]]'''||[[大阪府]][[大阪市]][[住吉区]]||名神大||官大||別表||二十二社||加盟他||(二宮以下はなし)
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[東海道]]'''
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[伊賀国]]
 
|'''[[敢國神社|敢国神社]]'''||[[三重県]][[伊賀市]]||大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[小宮神社]]<br />三宮:[[波多岐神社]]
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[伊勢国]]
 
|'''[[椿大神社]]'''||三重県[[鈴鹿市]]||小||県社||別表|| ||加盟||rowspan=2|二宮:[[多度大社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
|[[都波岐神社・奈加等神社|都波岐神社]]||三重県鈴鹿市||小||県社|| || ||加盟<ref>現在の社名である「都波岐・奈加等神社」として加盟している。</ref>
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[志摩国]]
 
|'''[[伊雑宮]]'''||三重県[[志摩市]]||大||神宮<br />別宮|| || ||加盟||rowspan=2|(二宮以下はなし)
 
|-
 
|[[伊射波神社]]||三重県[[鳥羽市]]||大||無格|| || ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[尾張国]]
 
|'''[[真清田神社]]'''||[[愛知県]][[一宮市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟他||二宮:[[大縣神社]]<br />三宮:[[熱田神宮]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[三河国]]
 
|'''[[砥鹿神社]]'''||愛知県[[豊川市]]||小||国小||別表|| ||加盟||二宮:[[知立神社]]<br />三宮:[[猿投神社]]
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[遠江国]]
 
|'''[[小国神社]]'''||[[静岡県]][[周智郡]][[森町 (静岡県)|森町]]||小||国小||別表|| ||加盟||rowspan=2|二宮:[[鹿苑神社]]/[[二宮神社 (新居町)|二宮神社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
|'''[[事任八幡宮]]'''||静岡県[[掛川市]]||小||県社|| || ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[駿河国]]
 
|'''[[富士山本宮浅間大社]]'''||静岡県[[富士宮市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[豊積神社]]<br />三宮:[[御穂神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[伊豆国]]
 
|'''[[三嶋大社]]'''||静岡県[[三島市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[三嶋大社#摂社|若宮神社]]<br />三宮:[[浅間神社 (三島市)|浅間神社]](のち二宮)<br />四宮:[[三嶋大社#元摂末社|廣瀬神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[甲斐国]]
 
|'''[[浅間神社 (笛吹市)|浅間神社]]'''||[[山梨県]][[笛吹市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[美和神社 (笛吹市)|美和神社]]<br />三宮:[[玉諸神社#玉諸神社 (甲府市)|玉諸神社]]<br />(四宮:[[甲斐奈神社#甲斐奈神社 (笛吹市春日居町国府)|甲斐奈神社]])
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[相模国]]
 
|'''[[寒川神社]]'''||[[神奈川県]][[高座郡]][[寒川町]]||名神大||国中||別表|| ||加盟他||二宮:[[川勾神社]]<br />三宮:[[比々多神社]]<br />四宮:[[前鳥神社]]
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[武蔵国]]
 
|'''[[小野神社 (多摩市)|小野神社]]'''||[[東京都]][[多摩市]]||小||郷社|| || ||非加盟他||rowspan=2|二宮:[[二宮神社 (あきる野市)|二宮神社]]/([[金鑚神社]])<br />三宮:氷川神社<br />四宮:[[秩父神社]]<br />五宮:金鑚神社<br />六宮:[[杉山神社]]
 
|-
 
|'''[[氷川神社]]'''||[[埼玉県]][[さいたま市]][[大宮区]]||名神大||官大||別表||勅祭社||加盟他
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[安房国]]
 
|'''[[安房神社]]'''||[[千葉県]][[館山市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟他||(二宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[上総国]]
 
|'''[[玉前神社]]'''||千葉県[[長生郡]][[一宮町]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[橘樹神社 (茂原市)|橘樹神社]]<br />三宮:[[三之宮神社 (睦沢町)|三之宮神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[下総国]]
 
|'''[[香取神宮]]'''||千葉県[[香取市]]||名神大||官大||別表||勅祭社||加盟||(二宮:[[玉崎神社]]/[[二宮神社 (船橋市)|二宮神社]])
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[常陸国]]
 
|'''[[鹿島神宮]]'''||[[茨城県]][[鹿嶋市]]||名神大||官大||別表||勅祭社||加盟||二宮:[[静神社]]<br />三宮:[[吉田神社 (水戸市)|吉田神社]]
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[東山道]]'''
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[近江国]]
 
|'''[[建部大社]]'''||[[滋賀県]][[大津市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[日吉大社]]<br />三宮:[[多賀大社]]/([[御上神社]])
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[美濃国]]
 
|'''[[南宮大社]]'''||[[岐阜県]][[不破郡]][[垂井町]]||名神大||国大||別表|| ||加盟||二宮:[[伊富岐神社]]<!--/[[大領神社]]:凡例に沿わない--><br />三宮:[[多岐神社]]/[[伊奈波神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[飛騨国]]
 
|'''[[飛騨一宮水無神社]]'''||岐阜県[[高山市]]||小||国小||別表|| ||加盟||(二宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[信濃国]]
 
|'''[[諏訪大社]]'''||[[長野県]][[諏訪市]]・[[茅野市]]<br />・[[諏訪郡]][[下諏訪町]]||名神大||官大||別表|| ||加盟<ref>「諏訪大社 上社」「諏訪大社 下社」として別扱いで加盟している。</ref>||二宮:[[小野神社・矢彦神社|小野神社]]<br />三宮:[[穂高神社]]/([[沙田神社]])
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[上野国]]
 
|'''[[一之宮貫前神社]]'''||[[群馬県]][[富岡市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[二宮赤城神社]]<br />三宮:[[三宮神社 (吉岡町)|三宮神社]]<br />四宮:[[甲波宿禰神社 (渋川市)|甲波宿禰神社]]<br />五宮:[[若伊香保神社]]<br />六宮:[[榛名神社]]<br />七宮:[[小祝神社]]<br />八宮:[[火雷神社 (玉村町)|火雷神社]]<br />九宮:[[倭文神社 (伊勢崎市)|倭文神社]]
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[下野国]]
 
|'''[[宇都宮二荒山神社|二荒山神社]]'''||[[栃木県]][[宇都宮市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮以下はなし)
 
|-
 
|[[日光二荒山神社|二荒山神社]]||栃木県[[日光市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟
 
|-
 
!rowspan=3 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[陸奥国]]
 
|'''[[鹽竈神社]]'''||[[宮城県]][[塩竈市]]||式外||国中||別表|| ||加盟他<ref>「陸奥国一の宮」として加盟しているが、「[[陸前国]]一の宮」としても扱われる。</ref>||rowspan=3|二宮:[[伊佐須美神社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
|'''[[都々古別神社#都都古和氣神社 (棚倉町棚倉)|都都古和氣神社]]'''||[[福島県]][[東白川郡]][[棚倉町]]||名神大||国中||別表|| ||加盟他<ref name="iwaki">「陸奥国一の宮」として加盟しているが、「[[磐城国]]一の宮」としても扱われる。</ref>
 
|-
 
|'''[[都々古別神社#都々古別神社 (棚倉町八槻)|都々古別神社]]'''||福島県東白川郡棚倉町||名神大||国中||別表|| ||加盟他<ref name="iwaki" />
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[出羽国]]
 
|'''[[鳥海山大物忌神社]]'''||[[山形県]][[飽海郡]][[遊佐町]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[城輪神社]]<br />三宮:[[小物忌神社]]
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[北陸道]]'''
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[若狭国]]
 
|'''[[若狭彦神社]]'''||[[福井県]][[小浜市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟他<ref name="wakasa">「若狭彦神社(上社)」「若狭姫神社(下社)」のどちらも「若狭国一の宮」として加盟している。</ref>||二宮:[[若狭彦神社|若狭姫神社]]<br />(三宮以下は未詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[越前国]]
 
|'''[[氣比神宮]]'''||福井県[[敦賀市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||(二宮:[[劔神社]])<br />(三宮以下は未詳)
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[加賀国]]
 
|'''[[白山比め神社|白山比咩神社]]'''||[[石川県]][[白山市]]||小||国中||別表|| ||加盟||rowspan=2|二宮:[[菅生石部神社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
|[[石部神社 (小松市)|石部神社]]||石川県[[小松市]]||小||郷社|| || ||非加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[能登国]]
 
|'''[[気多大社|氣多大社]]'''||石川県[[羽咋市]]||名神大||国大||単立|| ||加盟||二宮:[[伊須流岐比古神社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!rowspan=4 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[越中国]]
 
|'''[[気多神社]]'''||[[富山県]][[高岡市]]||名神大||県社|| || ||加盟||rowspan=4|(二宮以下はなし)
 
|-
 
|'''[[高瀬神社]]'''||富山県[[南砺市]]||小||国小||別表|| ||加盟
 
|-
 
|'''[[射水神社]]'''||富山県高岡市||名神大||国中||別表|| ||加盟
 
|-
 
|'''[[雄山神社]]'''||富山県[[中新川郡]][[立山町]]||小||国小||別表|| ||加盟
 
|-
 
!rowspan=3 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[越後国]]
 
|'''[[彌彦神社]]'''||[[新潟県]][[西蒲原郡]][[弥彦村]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||rowspan=3|二宮:[[物部神社 (柏崎市)|物部神社]]<br />(三宮:八海神社<所在不詳>)
 
|-
 
|'''[[居多神社]]'''||新潟県[[上越市]]||小||県社|| || ||加盟
 
|-
 
|[[天津神社 (糸魚川市)|天津神社]]||新潟県[[糸魚川市]]||小||県社|| || ||非加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[佐渡国]]
 
|'''[[度津神社]]'''||新潟県[[佐渡市]]||小||国小||別表|| ||加盟||二宮:[[大目神社]]<br />三宮:[[引田部神社]]
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[山陰道]]'''
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[丹波国]]
 
|'''[[出雲大神宮]]'''||京都府[[亀岡市]]||名神大||国中||単立|| ||加盟||(二宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[丹後国]]
 
|'''[[籠神社]]'''||京都府[[宮津市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||(二宮:[[大宮売神社]])
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[但馬国]]
 
|'''[[出石神社]]'''||[[兵庫県]][[豊岡市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||rowspan=2|二宮:粟鹿神社<br />三宮:[[水谷神社]]/[[養父神社]]
 
|-
 
|[[粟鹿神社]]||兵庫県[[朝来市]]||名神大||県社|| || ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[因幡国]]
 
|'''[[宇倍神社]]'''||[[鳥取県]][[鳥取市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||(二宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[伯耆国]]
 
|'''[[倭文神社 (湯梨浜町)|倭文神社]]'''||鳥取県[[東伯郡]][[湯梨浜町]]||小||国小||別表|| ||加盟||二宮:[[大神山神社]]<br />三宮:[[倭文神社 (倉吉市)|倭文神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[出雲国]]
 
|'''[[出雲大社]]'''||[[島根県]][[出雲市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟他||(二宮:[[佐太神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[石見国]]
 
|'''[[物部神社 (大田市)|物部神社]]'''||島根県[[大田市]]||小||国小||別表|| ||加盟||二宮:[[多鳩神社]]<br />三宮:[[大祭天石門彦神社]]
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[隠岐国]]
 
|'''[[水若酢神社]]'''||島根県[[隠岐郡]][[隠岐の島町]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮以下はなし)
 
|-
 
|[[由良比女神社]]||島根県隠岐郡[[西ノ島町]]||名神大||村社|| || ||加盟
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[山陽道]]'''
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[播磨国]]
 
|'''[[伊和神社]]'''||兵庫県[[宍粟市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[荒田神社 (多可町)|荒田神社]]<br />三宮:[[住吉神社 (加西市)|住吉神社]]<br />四宮:[[白国神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[美作国]]
 
|'''[[中山神社]]'''||[[岡山県]][[津山市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[高野神社 (津山市二宮)|高野神社]]<br />(三宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[備前国]]
 
|'''[[吉備津彦神社]]'''||岡山県[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]|| ||国小||別表|| ||加盟他||(二宮:[[安仁神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[備中国]]
 
|'''[[吉備津神社]]'''||岡山県岡山市北区||名神大||官中||別表|| ||加盟||(二宮:[[皷神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[備後国]]
 
|'''[[吉備津神社 (福山市)|吉備津神社]]'''||[[広島県]][[福山市]]|| ||国小||別表|| ||加盟他||(二宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[安芸国]]
 
|'''[[厳島神社]]'''||広島県[[廿日市市]]||名神大||官中||別表|| ||加盟||二宮:不詳/([[速谷神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[周防国]]
 
|'''[[玉祖神社]]'''||[[山口県]][[防府市]]||小||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[出雲神社 (山口市)|出雲神社]]<br />三宮:[[仁壁神社]]<br />四宮:[[赤田神社 (山口市)|赤田神社]]<br />五宮:[[朝田神社 (山口市)|朝田神社]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[長門国]]
 
|'''[[住吉神社 (下関市)|住吉神社]]'''||山口県[[下関市]]||名神大||官中||別表|| ||加盟||二宮:[[忌宮神社]]<br />(三宮:[[龍王神社]])
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[南海道]]'''
 
|-
 
!rowspan=3 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[紀伊国]]
 
|'''[[日前神宮・國懸神宮]]'''||[[和歌山県]][[和歌山市]]||名神大||官大||単立|| ||加盟||rowspan=3|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|'''[[丹生都比売神社]]'''||和歌山県[[伊都郡]][[かつらぎ町]]||名神大||官大||別表|| ||加盟
 
|-
 
|'''[[伊太祁曽神社]]'''||和歌山県和歌山市||名神大||官中||別表|| ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[淡路国]]
 
|'''[[伊弉諾神宮]]'''||兵庫県[[淡路市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[大和大国魂神社]]<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
!rowspan=4 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[阿波国]]
 
|'''[[上一宮大粟神社]]'''||[[徳島県]][[名西郡]][[神山町]]||名神大||郷社|| || ||非加盟||rowspan=4|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|'''[[一宮神社 (徳島市)|一宮神社]]'''||徳島県[[徳島市]]||名神大||県社|| ||  ||非加盟
 
|-
 
|'''[[大麻比古神社]]'''||徳島県[[鳴門市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟
 
|-
 
|'''[[八倉比売神社]]'''||徳島県徳島市||名神大||県社|| || ||非加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[讃岐国]]
 
|'''[[田村神社 (高松市)|田村神社]]'''||[[香川県]][[高松市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[大水上神社]]<br />(三宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[伊予国]]
 
|'''[[大山祇神社]]'''||[[愛媛県]][[今治市]]||名神大||国大||別表|| ||加盟||(二宮以下はなし)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[土佐国]]
 
|'''[[土佐神社]]'''||[[高知県]][[高知市]]||大||国中||別表|| ||加盟||二宮:[[小村神社]]/([[朝倉神社 (高知市)|朝倉神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
| colspan=9 style="background-color:#C0C0C0;"|'''[[西海道]]'''
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[筑前国]]
 
|'''[[住吉神社 (福岡市)|住吉神社]]'''||[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]||名神大||官小||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|[[筥崎宮]]||福岡県福岡市[[東区 (福岡市)|東区]]||名神大||官大||別表|| ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[筑後国]]
 
|'''[[高良大社]]'''||福岡県[[久留米市]]||名神大||国大||別表|| ||加盟||(二宮以下は不詳)
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[豊前国]]
 
|'''[[宇佐神宮]]'''||[[大分県]][[宇佐市]]||名神大||官大||別表||勅祭社||加盟||(二宮以下はなし)
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[豊後国]]
 
|'''[[柞原八幡宮]]'''||大分県[[大分市]]|| ||国小||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|[[西寒多神社]]||大分県大分市||大||国中||別表|| ||加盟
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[肥前国]]
 
|'''[[與止日女神社]]'''||[[佐賀県]][[佐賀市]]||小||県社|| || ||加盟||rowspan=2|二宮:不詳<br />三宮:天山社/天山神社
 
|-
 
|'''[[千栗八幡宮]]'''||佐賀県[[三養基郡]][[みやき町]]|| ||国小||別表|| ||加盟
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[肥後国]]
 
|'''[[阿蘇神社]]'''||[[熊本県]][[阿蘇市]]||名神大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[甲佐神社]]<br />三宮:[[藤崎八旛宮]]
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[日向国]]
 
|'''[[都農神社]]'''||[[宮崎県]][[児湯郡]][[都農町]]||小||国小||別表|| ||加盟||(二宮:[[都萬神社]])
 
|-
 
!style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[大隅国]]
 
|'''[[鹿児島神宮]]'''||[[鹿児島県]][[霧島市]]||大||官大||別表|| ||加盟||二宮:[[蛭児神社 (霧島市)|蛭児神社]]<br />(三宮以下は不詳)
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[薩摩国]]
 
|'''[[枚聞神社]]'''||鹿児島県[[指宿市]]||小||国小||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮:[[加紫久利神社]])<br />(三宮以下はなし)
 
|-
 
|'''[[新田神社 (薩摩川内市)|新田神社]]'''||鹿児島県[[薩摩川内市]]|| ||国中||別表|| ||加盟
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[壱岐国]]
 
|'''[[興神社]]'''||[[長崎県]][[壱岐市]]||名神大||村社|| || ||非加盟||rowspan=2|(二宮:[[聖母宮]])
 
|-
 
|[[天手長男神社]]||長崎県壱岐市||名神大||村社|| || ||加盟
 
|-
 
!rowspan=2 style="background-color:#ccffcc; height:3em;"|[[対馬国]]
 
|'''[[海神神社]]'''||長崎県[[対馬市]]||名神大||国中||別表|| ||加盟||rowspan=2|(二宮以下は不詳)
 
|-
 
|'''[[厳原八幡宮神社]]'''||長崎県対馬市|| ||県社|| || ||非加盟
 
|}{{-}}
 
 
== その他の一宮一覧 ==
 
=== 全国一の宮会加盟社 ===
 
諸国一宮一覧の掲載社以外で、「全国一の宮会」に加盟する神社の一覧。
 
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;white-space:nowrap;font-size:90%" align="left"
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 国名<br/>(仮定)
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 社名
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 所在地
 
!style="background:#a0f0a0" colspan=4 | 社格
 
|-
 
!style="background:#a0f0a0" | 式内社
 
!style="background:#a0f0a0" | 近代
 
!style="background:#a0f0a0" | 別表
 
!style="background:#a0f0a0" | その他
 
|-
 
| colspan=8 style="background-color:#C0C0C0;"|'''諸国一宮'''
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[摂津国]]
 
|[[坐摩神社]]||大阪府大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]]||大||官中||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[尾張国]]
 
|[[大神神社 (一宮市)|大神神社]]||愛知県一宮市||名神大||郷社|| ||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[相模国]]
 
|[[鶴岡八幡宮]]||神奈川県[[鎌倉市]]|| ||国中||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[武蔵国]]
 
|[[氷川女体神社]]<ref>[[江戸時代]]に[[橘三喜]]がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、また氷川神社と一体であったとする説があることから。</ref>||埼玉県さいたま市[[緑区 (さいたま市)|緑区]]||小||郷社|| ||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[安房国]]
 
|[[洲崎神社]]||千葉県館山市||大||県社|| ||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[陸奥国]]
 
|[[石都々古和気神社]]<ref name="iwaki" />||福島県[[石川郡 (福島県)|石川郡]][[石川町]]||小||郷社|| ||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[若狭国]]
 
|([[若狭彦神社|若狭姫神社]])<ref name="wakasa" />||福井県小浜市||名神大||国中||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[出雲国]]
 
|[[熊野大社]]||島根県[[松江市]]||名神大||国大||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[備前国]]
 
|[[石上布都魂神社]]||岡山県[[赤磐市]]||小||郷社|| ||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[備後国]]
 
|[[素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)|素盞嗚神社]]||広島県福山市||小||県社|| ||
 
|-
 
| colspan=8 style="background-color:#C0C0C0;"|'''新一の宮'''
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[蝦夷地|蝦夷国]]
 
|[[北海道神宮]]||[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]|| ||官大||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[陸奥国 (1869-)|津軽国]]<ref>旧陸奥国と区別するため「津軽国」としている。</ref>
 
|[[岩木山神社]]||[[青森県]][[弘前市]]|| ||国小||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[陸中国]]
 
|[[駒形神社]]||[[岩手県]][[奥州市]]||小||国小||別表||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[岩代国]]
 
|[[伊佐須美神社]]||[[福島県]][[大沼郡]][[会津美里町]]||名神大||国中||別表||陸奥国二宮
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[知々夫国造|知知夫国]]
 
|[[秩父神社]]<ref>摂末社に全国の一の宮の祭神を祀る天神地祇社があることから。</ref>||[[埼玉県]][[秩父市]]||小||国小||別表||武蔵国四宮
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[琉球国]]
 
|[[波上宮]]||[[沖縄県]][[那覇市]]|| ||官小||別表||
 
|}{{-}}
 
 
新一の宮の認定により[[明治元年]]([[1869年]])に陸奥国から分割された陸奥国(津軽国)、陸前国、陸中国、岩代国、磐城国にはそれぞれ一宮が存在するようになったが、出羽国から分割された[[羽前国]]と[[羽後国]]には存在しない。そのため、[[秋田県]](旧羽後国)は一宮が存在しない唯一の都道府県となっている。
 
 
=== 北海道内の一宮 ===
 
北海道内で近代以降に各国の一宮と称している神社の一覧。蝦夷国新一の宮とされる北海道神宮を除き、「全国一の宮会」非加盟。
 
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;white-space:nowrap;font-size:90%" align="left"
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 国名<br/>(仮定)
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 振興局
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 社名
 
!style="background:#a0f0a0" rowspan=2 | 所在地
 
!style="background:#a0f0a0" colspan=2 | 社格
 
|-
 
!style="background:#a0f0a0" | 近代
 
!style="background:#a0f0a0" | 別表
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;" rowspan=2|[[渡島国]]
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[渡島総合振興局]]||[[徳山大神宮]]||[[北海道]][[松前郡]][[松前町 (北海道)|松前町]]||郷社||
 
|-
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[檜山振興局]]||[[姥神大神宮]]||北海道[[檜山郡]][[江差町]]||県社||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;" rowspan=2|[[石狩国]]
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[石狩振興局]]||[[北海道神宮]]||北海道[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]||官大||別表
 
|-
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[空知総合振興局]]||[[岩見沢神社]]||北海道[[岩見沢市]]||県社||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[北見国]]
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[オホーツク総合振興局]]||[[網走神社]]||北海道[[網走市]]||県社||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[十勝国]]
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[十勝総合振興局]]||[[十勝神社]]||北海道[[広尾郡]][[広尾町]]||県社||
 
|-
 
! style="background-color:#ccffcc;"|[[釧路国]]
 
| style="background-color:#ccffcc;"|[[釧路総合振興局]]||[[厳島神社 (釧路市)|厳島神社]]||北海道[[釧路市]]||県社||
 
|}{{-}}
 
 
[[後志国]]、[[胆振国]]、[[日高国]]、[[天塩国]]、[[根室国]]、[[千島国]]の一宮を称する神社は存在しない。
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
== 参考文献 ==
 
*[[佐伯有義]] 編 『神祇全書 第1輯』 [[皇典講究所]] 1906年10月 (1971年に思文閣より複製版が出されている)
 
*佐伯有義 編 『神祇全書 第2輯』 皇典講究所 1907年2月 (1971年に思文閣より複製版が出されている)
 
*志波彦神社鹽竈神社社務所編 『鹽竈神社史』 志波彦神社鹽竈神社社務所 1930年12月
 
*[[黒板勝美]]・國史大系編修会 編 『[[国史大系]] 第29巻上 [[朝野群載]]』 [[吉川弘文館|(株)吉川弘文館]] 1964年11月
 
*(財)古代学協会編 『摂関時代史の研究』 (株)吉川弘文館 1965年
 
*宮地直一 『宮地直一論集 第5巻 神道史序説 神道史1』 蒼洋社 1985年
 
*神道大系編纂会編 『神道大系 神社編1 総記(上)』 神道大系編纂会 1986年9月
 
*神道大系編纂会編 『神道大系 神社編33 若狭・越前・加賀・能登国』 神道大系編纂会 1987年12月 (『白山之記』を所収。)
 
*國學院大學日本文化研究所編 『神道辞典』(縮刷版) (株)弘文堂 1999年5月
 
*現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月
 
*中世諸国一宮制研究会編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 (有)岩田書院 2000年2月
 
*齋藤盛之 『一宮ノオト』 (株)思文閣出版 2002年12月
 
*一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 上:個別研究編』 (有)岩田書院 2004年12月
 
*一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月
 
*[[石井進 (歴史学者)|石井進]]著作集刊行会編 『石井進著作集 第5巻 鎌倉武士の実像』 [[岩波書店|(株)岩波書店]] 2005年1月
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons|Category:Ichinomiya}}
 
* [[総社]]
 
* [[国府八幡宮]]
 
* [[二十二社]]
 
* [[大日本国一宮記]]
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.ichinomiya.gr.jp/ 全国一の宮会]
 
* [http://ichinomiya-junpai.jp/ 一の宮巡拝会]
 
 
{{神道 横}}
 
{{神道 横}}
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:いちのみや}}
 
{{DEFAULTSORT:いちのみや}}
 
[[Category:一宮|*]]
 
[[Category:一宮|*]]
 
[[Category:社格]]
 
[[Category:社格]]

2018/10/27/ (土) 10:21時点における最新版

一宮(いちのみや)

古代末期に定められた神社社格の一つ。その選定時期、選定理由などについてはまだ明らかでないが、12世紀前半に成った『今昔(こんじゃく)物語』に周防(すおう)国(山口県)一宮玉祖大明神(たまのおやだいみょうじん)とみえるのが文献上の初見で、康和(こうわ)5年(1103)の伯耆(ほうき)国(鳥取県)倭文(しどり)神社境内より出土の経筒にも一宮の字があり、およそそのころから称されたものとみられる。それも神祇官(じんぎかん)、国司などによって公式に定められたものでなく、民間で唱えられ始めたものとみられている。その選定理由については近世以来諸説がある。諸国でもっとも位階の高い神社とも、また神祇官より諸国神社に伝達する際、便宜上、国ごとに一社を定めておき、そこを通じて布達させたその社の名残(なごり)ともいう。あるいは国司着任の際いちばん初めに参拝した社のこと、あるいは国内でいちばん社領の寄せられていた社のことなどともいう。しかし、いずれも従いがたく、結局その国でもっとも由緒正しく、多くの信仰を集め、経済的基盤も優れていた社ということができよう。また、それも同時に全国的に生じたのではなく、古代末期から中世初頭にかけて逐次国ごとに称されたものとみられ、さらにそのころ二宮、三宮の呼称も生じた。のちに、国ごとでなく、郡内の、また、国内一地方の一宮、二宮以下を定めた例もあり、諸国の一宮も、時代の推移とともに変遷交替している場合もある。なかには伊勢(いせ)国(三重県)、甲斐(かい)国(山梨県)、肥前(ひぜん)国(佐賀県、長崎県)などのように、近世以来一宮争いをしている国もある。




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