「ヴァンデの反乱」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{Infobox Military Conflict
+
{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__
|conflict=ヴァンデの反乱
 
|partof=[[フランス革命戦争]]
 
|image=[[ファイル:GuerreVendée 1.jpg|300px]]
 
|caption=ヴァンデの反乱の開始である[[1793年]][[3月11日]]の[[メーヌ=エ=ロワール県]]ショレの人々の決起。緑色の着衣の人物はアンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン
 
|date=[[1793年]] - [[1796年]]
 
|place=[[ヴァンデ県|ヴァンデ地方]]
 
|result=革命軍の勝利
 
|combatant1={{flagicon|France}} [[フランス第一共和政|フランス共和国]]
 
|combatant2=[[ファイル:CuoreVandea2.svg|15px]] [[カトリック王党軍|王党派]]
 
|commander1= [[ルイ=ラザール・オッシュ]]
 
|commander2= [[ジャック・カトリノー]]<br/>[[モーリス・ジゴ・デルベ]]<br/>[[アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン]]
 
|strength1=
 
|strength2=
 
|casualties1=
 
|casualties2= 
 
}}
 
'''ヴァンデの反乱'''(ヴァンデのはんらん、{{lang-fr-short|Rébellion Vendéenne}})は、[[フランス革命]]期に発生した[[カトリック教会|カトリック]][[王党派]]の反乱である。'''ヴァンデ戦争'''({{lang-fr-short|Guerre de Vendée}})とも言う。王党派を白軍(白服)、共和国側を青軍(青服)と言って区別した。
 
 
 
[[1793年]]3月、[[30万人募兵令]]に反発する[[農民]]たちの蜂起によって、フランス西部[[ヴァンデ県|ヴァンデ地方]]を中心に一気に広がり、[[フランス革命戦争]]でも苦戦していた[[国民公会]]を危機に陥れた。しかし共和国軍が反撃に転じるとカトリック王党軍はロワール川の北に追い詰められ、[[1794年]]12月の[[ル・マン]]、[[サヴネ]]の戦いの敗北によって組織的抵抗は壊滅した。
 
 
 
以後は少人数によるゲリラ戦に変化して長く不毛な戦いが続いた。ヴァンデ側の指導者は相次いで死亡して、[[1796年]]7月には[[ルイ=ラザール・オッシュ|オッシュ]]将軍によって鎮圧宣言が出され、寛容令もあって宗教的動機をもった農民の反乱は終息に向かったが、今度は外国に援助された王党派亡命貴族が抵抗を継続した。[[コンコルダート]]を結んで和解を進めた第一統領[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が [[1801年]]に正式に終結させた後も、彼らの活動は続いた。
 
 
 
正確な数は不明だが、犠牲者は30~40万ともいわれる。ブルターニュ、メーヌ、アンジュー、ノルマンディーで発生した[[ゲリラ]]組織「{{仮リンク|シュアヌリ|en|Chouannerie}}(ふくろう党)の反乱」と結びついており、これらの反乱は時に『西部戦争({{lang-fr-short|Guerres de l'Ouest}})』と総称される。
 
 
 
== 概要 ==
 
===武装蜂起===
 
[[ファイル:Vendee-militaire.png|250px|thumb|ヴァンデ地方と[[カトリック王党軍]]の進路]]
 
元々、ヴァンデを中心とするフランス西部は信仰心の篤い地域だった。[[1789年]]に勃発したフランス革命には当初は好意的で領主権や[[十分の一税]]の廃止を喜んで受け入れたが、その後行われた[[教会]]と[[僧侶]]に対する[[弾圧]]、[[ルイ16世 (フランス王)|国王]][[処刑]]、増税、30万人募兵の不公平に反感を持つようになった。特にキリスト教否定運動に対する反発は強く、ヴァンデでは大多数の市民が教会の祭壇を守るために立ち上がったのであった<ref name="takayanagi_087">[[#高柳|高柳(2001)pp.87-94]]</ref>。そうしたなか、司祭に扇動されて[[30万人募兵令]]に基づく徴集兵を決めるくじ引きが予定されていた[[1793年]]3月11日、[[メーヌ=エ=ロワール県]][[ショレ]]の人々が決起、各地の農民も蜂起し、わずか10日余りの間にフランス西部の3分の2の地域で騒乱状態となった。指導者にはそれぞれ[[軍人]]である地方貴族を担ぎ上げて、各地の反乱軍と合流しながら政府軍を打ち破り、ヴァンデ地方を支配下に置いた。[[国民公会]]は3月19日、「武器を所有している反乱者全員を処刑し、その財産を没収する」という厳しい処置を取ったが、国境に国民衛兵を送っているため兵力が不足しており、鎮圧することができなかった。反乱軍は次第に力を持ち始め、政府が国境の軍隊を配備しても、思うような成果はあげられなかった。
 
 
 
反乱軍は自らを「'''[[カトリック王党軍]]'''」と名乗り、[[行商人]]出身の[[ジャック・カトリノー]]が最高司令官に選ばれた。ヴァンデの民衆反乱は当初3万人規模を擁する大規模なものであった<ref name="price_174">[[#プライス|プライス(2008)pp.174-178]]</ref>。この頃には連戦連勝で勢力圏を拡大し、[[ブルターニュ]]のゲリラ組織シュアヌリ(ふくろう党)と合流するために6月には[[ナント]]市を攻略した。しかし、ナント市民は政府軍と協力して徹底抗戦したため、撤退を余儀なくされた。その際、最高司令官のカトリノーが戦死。そのためこの反乱はそれ以上広がらなかった。しかし、この間、フランス国内の商業および軍事活動は妨げられ、[[ジロンド派]]に非難が集中した。
 
 
 
===政府軍の反撃===
 
[[ファイル:Traversée de la Loire Vendée.jpg|thumb|ロワール川を越えて北上するカトリック王党軍([[ジュール・ジラルデ]]画)]]
 
1793年8月に[[国民公会]]は革命政府軍にヴァンデの破壊命令を出している。指令は、「戦争に関わった可能性のある者は、老若男女を問わず、容赦なく殲滅せよ」というものであった。それを受けて政府軍は森林、畑、家、教会を荒らし、人間を無差別に殺害した。一方、反乱軍では退却後、カトリノーの死の影響が大きく離脱者が続出し統制が取れなくなっていた。93年末には反乱軍はその勢力をほぼ失った<ref name="price_174"/>。反乱軍は、[[イギリス海峡|英仏海峡]]を目指して転進したが、[[グランヴィル (マンシュ県)|グランヴィル]]の前面で退けられ、敗退を続け、食糧もなく疫病が流行り士気も低下した。にもかかわらず政府軍の無差別攻撃により逃げ出してきた農民をも含め10余万人にも膨れ上がってしまった。彼らは遂に諦めて故郷に帰ろうと[[ロワール川]]を越えて北上したが、[[サヴネ]]の町での戦闘で壊滅した。[[捕虜]]になった者はナントに連行され、ロワール川に浮かぶ廃船に積み込まれて沈められた。
 
 
 
===その後===
 
その後も政府は「'''[[地獄部隊]]'''」と名付けられた連隊を派遣し、同様の作戦を続けたため、ヴァンデ地方では反乱は小規模なゲリラ戦に形を変え続いたが、1794年に反乱鎮圧に派遣された[[ルイ=ラザール・オッシュ]]が軍司令官として赴任すると、捕虜の農民兵との面談から、農民が反乱に加わったのは宗教的自由のためであって、寛容政策をとれば彼らは王党派反乱から離脱するだろうということを知り、政策変更に踏み切った。この政策変更が功を奏して、1795年2月にはヴァンデ反乱軍は瓦解し始めた。同年6月15日、[[イギリス]]の支援で王党派部隊が[[キブロン]]に上陸したが、ヴァンデ反乱軍は撃退されて大半が捕虜となるなど致命的な打撃を受けた。執拗にゲリラ戦を続けていた最後の生き残りの指導者[[フランソワ・ド・シャレット|シャレット]]も検挙されて銃殺された。しかし、シュアヌリ(ふくろう党)がこのように長期にわたって活動を持続できたのは、地域住民からの強い支持があったためと、地元の地理に深く通暁していたためであった<ref name="price_174"/>。
 
 
 
オッシュは1796年までにヴァンデ地方の平定を宣言。 [[1801年]]には、執政官[[ナポレオン・ボナパルト]]が[[ローマ教皇]]と和解し、ヴァンデに対して数々の復興の政策を講じることでこの反乱は完全に終結した<ref group="*">ナポレオンは1801年、ローマ教皇[[ピウス7世]]とのあいだに政教協約([[コンコルダート]])を結んでいる。</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
 
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="*"}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書|author=[[高柳俊一]]|editor=高柳俊一・[[松本宣郎]]編|chapter=フランス絶対王政と革命||year=2009|month=8|title=キリスト教の歴史2 宗教改革以降|publisher=[[山川出版社]]|series=宗教の世界史9|isbn=978-4-634-43139-3|ref=高柳}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[ロジャー・プライス]]|translator=[[河野肇]]|chapter=フランス革命とナポレオン帝国||year=2008|month=8|title=フランスの歴史|publisher=[[創土社]]|series=ケンブリッジ版世界各国史|isbn=978-4-7893-0061-2|ref=プライス}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[王党派]]
 
*[[リヨンの反乱]]
 
*[[フランス革命戦争]]
 
 
 
===反乱に参加した人物===
 
*[[ジャック・カトリノー]]:初代総司令官
 
*[[モーリス=ジョゼフ=ルイ・ジゴ・ド・エルベ|ルイ・ド・エルベ]]:総司令官(2代目)
 
*[[アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン]]:総司令官(3代目)
 
*[[フランソワ・ド・シャレット]]:カトリック王党軍から離反。「下ヴァンデ軍」を設立。
 
*[[エティエンヌ=アレクサンドル・ベルニエ|ベルニエ司祭]]:反乱における行政機関、最高評議会代表。従軍司祭長。
 
*[[ジャン=ニコラ・ストフレ]]
 
*[[シャルル・ド・ボンシャン]]{{enlink|Charles de Bonchamps}}
 
*[[ルイ・ド・レスキュール]]{{enlink|Louis Marie de Lescure}}
 
*[[アントワーヌ=フィリップ・ド・ラ・トレモイユ]]
 
*[[ガスパール・ド・マリニー]]:カトリック王党軍砲兵隊長
 
 
 
===反乱鎮圧にあたった人物===
 
*[[ルイ=ラザール・オッシュ|ルイ・ラザール・オッシュ]]
 
*[[トマ=アレクサンドル・デュマ]]
 
*[[フランソワ=セヴラン・マルソー]]
 
*[[ジャン=バティスト・クレベール]]
 
*[[フランソワ=ジョセフ・ウェステルマン]]
 
*[[ルイ・マリー・テュロー]]
 
*[[ジャン=バティスト・カリエ]]([[派遣議員]])
 
 
 
== 関連作品 ==
 
*『ふくろう党』 - (1829) [[バルザック]]著
 
*『[[九十三年]]』 - (1874) [[ヴィクトル・ユーゴー]]著
 
*『ヴァンデ戦争―フランス革命を問い直す』 - 筑摩書房 (1996年6月) [[森山軍治郎]]著
 
*『聖戦ヴァンデ』上下 - 角川書店(1997年2月) [[藤本ひとみ]]著
 
 
 
=== 映画 ===
 
* 『ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて』フランス映画、日本未公開作品 - シュアヌリ(ふくろう党)蜂起を扱った作品
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://gvendee.free.fr/Pages/Presentation.htm Les Guerres de Vendée]
 
* [http://www.gmarchal.net/HTML%20PAGE%20DE%20GILLES/Vendeewiki.htm Douze colonnes à la une], par Gilles Marchal
 
* [http://herhistoire.free.fr/ Histoire de Noirmoutier] (essentiellement pendant la période révolutionnaire)
 
* [http://htw.free.fr/hrbr.htm Histoire de la Bretagne et des Pays de la Loire]
 
* [http://www.genocide-vendeen.com/ Site de l'association ''Vérité pour la Vendée''], qui se donne pour but la reconnaissance du terme génocide concernant le massacre des Vendéens pendant les guerres de Vendée.
 
* [http://vendee2.ifrance.com/ Les guerres de vendée dans le bressuirais (Pierre Vay) ]
 
 
 
{{フランス革命}}
 
 
 
{{History-stub}}
 
{{デフォルトソート:うあんてのはんらん}}
 
[[Category:フランス革命戦争]]
 
[[Category:フランス革命期の出来事]]
 
[[Category:カトリック]]
 
[[Category:内戦]]
 
[[Category:フランスによる大量虐殺]]
 
[[Category:ブルターニュの歴史]]
 
[[Category:ヴァンデの歴史]]
 
[[Category:アンジューの歴史]]
 

2019/6/12/ (水) 09:22時点における最新版



楽天市場検索: