ヱビスビール
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ヱビスビール(恵比寿ビール、、YEBISUとも)は、サッポロビールが製造・販売する麦芽100%ビールの商標。プレミアムビールに分類される。
概要
サッポロビールの前身である日本麦酒醸造會社に、ドイツ人技師カール・カイザーを招聘して醸造されたビール[1]。当時の名称は「恵比寿麦酒」だった[1]。当初は「大黒天」から命名しようとしていたが、横浜に既に「大黒ビール」が存在したために「えびす」(恵比寿) を採用したという経緯が見られる資料が2000年代に発見されている[1]。
恵比寿麦酒は、1900年代には既に世界的な評価を獲得している[1]。
1943年(昭和18年)にビールが配給制になり、名称が「麦酒」に統一されたことで一旦消滅するが、1971年(昭和46年)に戦後初の麦芽100%使用のビール(熱処理)として復活した。1980年代前半に低迷期に陥ったが、1986年(昭和61年)にパッケージデザインの変更と中味の生ビール化、1988年(昭和63年)に漫画「美味しんぼ」の「五十年目の味覚(後編)」(単行本第16巻)で取り上げられたことなどが契機となり、売上が回復し伸びていった[2]。長期間に亘りプレミアムビール市場の首位銘柄となっていたが、2000年代中盤にサントリーのザ・プレミアム・モルツが急成長した影響を受け、サッポロビールは2006年(平成18年)からヱビスブランドのテコ入れに着手し、同年10月にはヱビスブランド戦略部を立ち上げて「ヱビス」の名を冠した商品を複数販売する展開を始めた[2]。
恵比寿のマークそのものがブランド表示とされ、サッポロビールのビール類商品には(他社ライセンス商品を除き)必ずあしらわれるシンボルの「星(★)」が、ヱビスビールには付されない。
商品構成
- ヱビスビール(スタイルはドルトムンダー)
- シルクヱビス(ドルトムンダー+小麦麦芽)
- ヱビス プレミアムブラック(スタイルはシュヴァルツビール。2013年5月にヱビス<ザ・ブラック>をリニューアルし名称変更)
- ヱビス〈ザ・ホップ〉(東日本大震災の影響で、販売を休止するも、出荷再開を断念し、通年販売終了。その後2012年4月4日に、チェコ産「エリートザーツホップ」を一部使用し、数量限定アンコール発売)(スタイルはピルスナー)
- 琥珀ヱビス(缶は10月-12月の期間限定で、樽生は北海道以外で通年販売)(スタイルはアンバー)
- ヱビス超長期熟成(2005年と2009年に限定発売)(スタイルはドルトムンダー)
- ヱビス・スタウト・クリーミートップ(2009年7月3日より業務用の樽生限定発売。320ml缶は2012年9月5日より数量限定販売(8月1日よりコンビニエンスストアで先行発売))(日本のビールに関する定義[3]においてスタウトに分類されるが下面発酵でシュバルツに近い)
- ヱビスASUKA CRUISE(日本郵船グループのクルーズ客船「飛鳥II」の船内限定)(スタイルはドルトムンダー)
- 薫り華やぐヱビス(2013年2月20日から限定発売/フランス・シャンパーニュ地方の麦芽とネルソンソーヴィン種のホップを使用したジョエル・ロブションとの共同開発商品)(スタイルはドルトムンダー)
- ヱビスロイヤルセレクション(2014年と2015年に期間限定販売。2014年はコンビニ販売のみ)(ピルスナー麦芽、カラメル麦芽、小麦麦芽、クリスタル麦芽、ミュンヘン麦芽の5種の麦芽を使用)
- ヱビス夏のコク(2014年サマーギフトセット限定販売。店頭での単独販売はなし)(アルコール分7% オンザロックでも飲める商品設定)
歴史
- 明治に入り急速に欧米化しビールも浸透したが粗悪品が出回る。[4]
- 1887年 (明治20) 中小の資本家がドイツ人技師を招いて本場の味を再現すべく日本麦酒醸造會社をつくる。[5]
- 1888年(明治21年)三井物産会社が資本参加。大掛かりな設備を要するビール事業を後押し。[5]
- 1889年(明治22年)10月 日本麦酒醸造会社の工場竣工(現在の恵比寿ガーデンプレイス)[5]
- 1890年(明治23年)2月25日 - 当時の日本麦酒醸造會社より「惠比壽麦酒」が発売[1]。発売直後から人気があり、すぐに東京を代表するブランドとなる[1]。このとき「惠比壽麦酒」はドイツ人技師カール・カイザーを招聘して醸造された[1]。価格14銭(およそ現在の3000円)[4][6]。
- 1890年(明治23年) - 上野にて開催された内國勸業博覧會にて「最良好」の評価を得る[1]。
- 1894年(明治27年)12月12日 - 「惠比壽黒麦酒」を追加。
- 1895年(明治28年)日清戦争により売れ行き増。増産体制を整え、生産量が国内トップになる。[4]
- 1899年(明治32年)8月4日、初のビアホールを名乗った「恵比寿ビールBeer Hall」が人気となる[4]。つまみは大根スライス、エビ、フキ佃煮、エンドウ豆など[7]。但し大阪麦酒株式会社は1897年(明治30年)に「アサヒ軒」を開いている。[8][9]
- 1900年(明治33年) - パリ萬國博覧會にて出品30カ国の中「金賞」受賞[1][4]。
- 1901年(明治34年)売れ行きよく、荷馬車の配送追いつかないため、出荷用貨物駅をつくる。[5]
- 1904年(明治37年) - セントルイス萬國博覧會にて「グランプリ」獲得[1]。
- 1906年(明治39年)札幌麦酒(サッポロビール)、日本麦酒(エビスビール)、大阪麦酒(アサヒビール)が合併し、大日本麦酒株式会社設立、エビスブランドは継続。[5]
- 1941年(昭和16年)12月8日 開戦。次第に、大麦・ホップが入手困難。電力・石炭の不足。
- 1943年(昭和18年)3月1日 - ビールが配給制となり、商標も各社共通の「麦酒」に統一されて一旦消滅。[4]
- 1966年 (昭和41年) - 渋谷区に地名恵比寿が正式に誕生。なお、1928 (昭和3)年から一部地域に「恵比寿通」という地名が「恵比寿」のエリアに存在していた。
- 1971年(昭和46年)12月10日 - 28年振りにエビスブランド復活。国産で麦芽100%、唯一のプレミアムビール。瓶入。[4]発売当初は少量の副原料を使用したが、半年後には麦芽100%に変更した[10]。
- 1972年(昭和47年)缶ビール発売。一般に受け入れられず、鉄道弘済会を通じ旅行客向けに販売。採用した金色は現在も使用するブランドカラー。[4]
- 1983年(昭和58年)生ビール化し、メタリック赤色に金の枠、小さな恵比寿像に、「生」の文字。ブランドより生ビールを押し出す形。[4][11][12]
- 1986年(昭和61年) - 金ラベル復活、イラスト化された恵比寿像。生ビールは普通となり、伝統とモダンを強調するブランドの再構成が行われる。[4]
- 1988年(昭和63年)7月20日 渋谷区近辺の都市化や、郊外への工場移転が進んだことに伴い恵比寿工場閉鎖。
- 1991年(平成3年) - 現在とほぼ同じデザインに変更[13]。高級感、高品質感を高める意図で、ビールに近い深みのある金マット地、絵画的表現に戻された恵比寿像、ロゴにややクラシカルなセリフ体などを用いている。[4]
- 2003年(平成15年)5月28日 - 「ヱビス〈黒〉」を追加(60年振りに復活)。
- 2005年(平成17年) - 「ヱビス超長期熟成〈至福の贅沢〉」が限定で発売[14]。
- 2006年(平成18年)
- 「むかし惠比壽」プレゼントキャンペーンを実施
- 12月商戦に「琥珀ヱビス」[15]を限定発売。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年) - 前年に続き、12月商戦に「琥珀ヱビス」と新たに「琥珀ヱビス」ギフトを限定発売。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年 (平成26年)
- 2016年(平成28年)
- 6月21日 - 「ヱビス #126(ヱビス イチニーロク)」を、セブン&アイグループの酒類取扱い店舗及び、オムニ7で限定販売。[16]
- 2017年(平成29年)
原材料
栄養成分(350mlあたり)
その他
- 当時は工場が東京府荏原郡三田村(現・東京都目黒区三田)にあった[1]。当初は馬車で積み出されていたが、販売量の増加に伴って1901年(明治34年)には出荷専用の貨物駅「恵比寿停留場」が作られた[1]。1906年(明治39年)に貨物駅「恵比寿停留所」のそばに作られた旅客駅が「恵比寿駅」である[1]。渋谷区に存在する地名「恵比寿」はヱビスビールが由来となっている[1]。また、これにちなんでJR東日本恵比寿駅の発車メロディには、ヱビスビールのCMソングである第三の男のテーマ音楽が導入されている。
- アサヒグループ食品のビール酵母「エビオス」はヱビスビールより名付けられたものである。戦後の大日本麦酒分割時にエビオスがアサヒビールに承継されたため、ビールとは会社系列が異なる状態になってしまった。
- ラベルの戎様は鯛を一匹抱えているが、ヱビスビールの瓶製品、大・中・小ビンの中で、百本に一つの確率で後ろの魚籠から鯛の尾が出ているものがある。これをラッキーヱビスという。2007年8月17日放映の「ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説」(テレビ東京系)において、サッポロビールはラッキーヱビスの存在を認めている。缶製品では、2010年7月28日に、「商売繁盛!ラッキーヱビス缶」というラッキーヱビスをデザインした商品が発売される。
- 戦前、中国の大連で「ヱビスビール」が販売された事があったが、ほとんど売れなかった。その原因は、この地域が日本の支配下に置かれる前はロシアの影響を強く受けていた地域であり、ロシア語では女性器を意味する言葉に「ヱビス」の発音が近かったことから、忌み嫌われたためであるとされている。
- 発売は1890年(明治23年)だが、ラベルに書かれているのは当時の日本麦酒醸造会社が設立された1887年(明治20年)になっていて、戎様を挟んで(左から)「BORN」「1887」と書かれている。
- ヱの文字はワ行に属するのにローマ字表記はWEBISUあるいはEBISUではなくYEBISUとヤ行になっているが、これは古いローマ字のつづり方でエ・ヱのどちらもyeとつづることがあった名残である。日本円をYenと表記するのも同じ理由である。かつては江戸をYedoとつづったこともあった。[18]
- ヱビスビール公式サイトでは、2009年(平成21年)より「Y列車で行こう!」を展開。その中で、YEBISU特製駅弁「ヱビス亭」という高級駅弁を企画化し、第一弾「暑中乃膳」は2009年(平成21年)7月18日から一部のJR駅構内で1,000個限定で発売され、連日行列ができる人気企画となった。また、第二弾「仲冬乃膳」は、2009年(平成21年)12月5日から一部のJR駅構内で600個限定で発売され、こちらも大人気を博した。
- 東京・恵比寿には、ヱビス誕生120年を記念した「ヱビスビール記念館」がある。
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 端田晶 「第三講義 慶応元年のビール王子」『もっと美味しくビールが飲みたい! - 酒と酒場の耳学問』 講談社〈講談社文庫〉、2008-07-15、第1刷、130から136ページ。ISBN 978-4-06-276113-0。
- ↑ 2.0 2.1 水越康介; 首都大学東京大学院社会科学研究科 (2008年4月). “プレミアムビール市場形成の歴史 (PDF)” (日本語). Research Paper Series. 水越康介 私的市場戦略研究室. pp. №49. . 2013年7月6日閲覧.
- ↑ ビールの表示に関する公正競争規約 (PDF)
- ↑ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 日経デザイン2014.7
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 “サッポロビールについて > 歴史・沿革”. . 2014閲覧.
- ↑ “ヱビスビール記念館のご紹介”. . 2014閲覧.
- ↑ ヱビスビール記念館
- ↑ 歴史・沿革 アサヒビール
- ↑ ビアホール#日本のビアホール
- ↑ サッポロビール株式会社広報室社史編纂室 『サッポロビール120年史』、1996-03-10、487-488。
- ↑ “めでたいヱビスビール”. . 2014閲覧.
- ↑ “ヱビスブランドによる新価値創造の取組みについて (PDF)”. . 2014閲覧.
- ↑ 基本デザインは変わっていないが、小変更はその後行われている。2001年頃に大瓶のラベルがやや大きくなり、缶では1993年に下部の表記を変更(容量「350ml若しくは500ml」から現在の「麦芽100% ヱビスビール〈生〉」へ)し、2007年に缶がつや消しになり、地色の金色も以前より黄色っぽくなり、2011年に入り、全体のバランスを修正し、2012年2月頃に缶の右下に誤飲防止のための「お酒」表示が入る
- ↑ 2008年にはキャンペーン賞品として再度限定醸造
- ↑ 通常のヱビスビールに厳選したクリスタル麦芽を追加した琥珀色の特別版
- ↑ “『ヱビス#126(ヱビス イチニーロク)』新発売”. . 2017閲覧.
- ↑ サッポロ、韓国で「エビスビール」発売日本経済新聞アジアニュース(2017年9月7日)
- ↑ “恵比寿駅のローマ字はEBISUなのに、ヱビスビールはなぜ「YEBISU」と書くの?”. サッポロビール. . 2016閲覧.
関連項目
- アサヒグループ食品:「エビオス」の発売元。
- YEBISU BAR - BSフジおよびTOKYO FMの番組。
- 第三の男 - この映画のテーマ曲がCMに使われている
- 恵比寿ガーデンプレイス - 恵比寿工場跡地
- 三田用水 - ビール醸造の工業用水
- 恵比寿神社 (渋谷区)
- サッポロ生ビール黒ラベル
外部リンク
- ヱビスビール公式サイト(サッポロビール)