「リーマン・ブラザーズ」の版間の差分

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|社名 = リーマン・ブラザーズ・ホールディングス
 
|社名 = リーマン・ブラザーズ・ホールディングス
 
|英文社名 = Lehman Brothers Holdings Inc.
 
|英文社名 = Lehman Brothers Holdings Inc.
|ロゴ = [[画像:Lehman_Brothers.svg|300px]]
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|画像説明 = 本社があったタイムズスクエアビル<br/>(破綻後、[[バークレイズ]]が入居)
 
 
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|市場情報= {{上場情報 | NYSE | LEH ||2008年9月18日}}
 
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|SWIFTコード=  
 
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|事業内容= 株式および債券のセールス、トレーディング及びリサーチ<br />[[投資銀行]]業務<br />アセット・マネジメント<br />プライベート投資運用<br />プライベート・エクイティ
 
|事業内容= 株式および債券のセールス、トレーディング及びリサーチ<br />[[投資銀行]]業務<br />アセット・マネジメント<br />プライベート投資運用<br />プライベート・エクイティ
|代表者= [[リチャード・S・ファルド・ジュニア]]<br />(会長兼最高経営責任者)
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|代表者=  
|資本金= 224億9000万ドル<br />(2007年11月30日当時)
 
|売上高= 590億0300万ドル(2007年度)
 
|総資産= 6910億6300万ドル<br />(2007年11月30日当時)
 
|従業員数= 2万8556人(2007年11月30日当時)
 
|決算期= [[11月30日]]
 
|主要株主= AXAおよび関連会社 7.2%<br />ClearBridge Advisorsおよび関連会社 6.53%<br />FMRおよび関連会社 5.87%<br />(2008年2月15日当時)
 
 
|主要子会社=  
 
|主要子会社=  
 
|関係する人物=  
 
|関係する人物=  
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|特記事項= 2008年9月15日、[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請し、[[倒産]]した。
 
|特記事項= 2008年9月15日、[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請し、[[倒産]]した。
 
}}
 
}}
{{基礎情報 会社
 
|社名= リーマン・ブラザーズ証券株式会社
 
|英文社名= Lehman Brothers Japan INC.
 
|ロゴ =
 
|画像 = [[File:Roppongi-Mori-Tower-02.jpg|230px]]
 
|画像説明 = 本社が入居していた六本木ヒルズ
 
|種類= [[株式会社]]
 
|市場情報= 非上場
 
|略称= リーマン、LBJ
 
|国籍= {{JPN}}
 
|郵便番号= 106-6131
 
|本社所在地= [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]六丁目10番1号<br />[[六本木ヒルズ森タワー]]<br /><small>{{coord|35|39|37.3|N|139|43|44.5|E|type:landmark_region:JP|display=inline}}</small>
 
|設立= [[2006年]][[12月16日]]
 
|業種= 7100
 
|統一金融機関コード=
 
|SWIFTコード=
 
|事業内容=
 
|代表者= 桂木 明夫(代表清算人)
 
|資本金= 441億3300万円
 
|売上高=
 
|総資産=
 
|従業員数= 約1300人
 
|決算期= [[3月31日]]
 
|主要株主=
 
|主要子会社=
 
|関係する人物=
 
|外部リンク=
 
|特記事項= 2008年[[9月15日]]、[[金融庁]]より業務停止命令([[9月26日]]まで)。[[9月16日]]、民事再生手続開始申立て。2008年11月29日解散し、清算法人となる。
 
}}
 
[[Image:World_Financial_Center.jpg|thumb|230px|ニューヨーク世界金融センタービル(2001年まで入居)]]
 
'''リーマン・ブラザーズ・ホールディングス'''({{lang|en|Lehman Brothers Holdings Inc.}})は、かつて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク]]に本社を置いていた大手[[投資銀行]]グループ。"Lehman" の英語での読み方は通常「レイマン」だが、この場合は「リーマン」と発音される<ref>[http://www.loc.gov/nls/other/ABC.html The ABC Book, A Pronunciation Guide(英語)]、 National Library Service for the Blind and Physically Handicapped、2012年11月12日閲覧。 </ref>。
 
 
[[ドイツ]]南部から移住した[[アシュケナジム]][[ユダヤ]]系移民、[[ヘンリー・リーマン|ヘンリー]]、エマニュエル、マイヤーのリーマン兄弟によって[[1850年]]に創立され、米国第4位の規模を持つ巨大証券会社・名門投資銀行の一つとされていたが、[[2008年]][[9月15日]]に[[連邦倒産法第11章]](日本の[[民事再生法]]に相当)の適用を[[アメリカ連邦裁判所|連邦裁判所]]に申請し[[倒産]]した。[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]顕在化の引き金となり、世界経済に大きな影響を与えた([[リーマン・ショック]]、後述)。倒産するまで[[格付け機関]]からAAAを受け、世界経済の中枢とも言える存在であった。
 
 
== 歴史 ==
 
=== リーマン兄弟による創業 ===
 
[[1844年]]、23歳の[[ヘンリー・リーマン]]は[[バイエルン王国]]の[[リムパー]]という町からアメリカに移民し、アラバマ州[[モンゴメリー (アラバマ州)|モンゴメリー]]で日用品店「H.リーマン商店」を開いた。弟のエマニュエルとメイヤーが相次ぎ移民して来たために、1850年に店名をリーマン兄弟商会(リーマン・ブラザーズ)に変更する。当時、[[アメリカ合衆国南部]]では[[綿花]]生産が盛んで、兄弟は客から支払いで現金の代わりに綿花の現物を受け入れたことをきっかけに、綿花取引に経営の重点を移し、当時綿花取引の中心となりつつあったニューヨークにも事務所を構えた。
 
  
[[1855年]]に長兄ヘンリーが死去。残ったエマニュエルとメイヤーが経営を引き継ぎ、[[南北戦争]]で[[アメリカ連合国|南部連合]]が敗戦した後は、[[アラバマ州]]の[[レコンストラクション|復興]]を資金面で支えた。間もなく本部をニューヨークに移す。[[1870年]]にはニューヨーク綿花取引所が開設され、リーマンもこれに協力、エマニュエルは同取引所の取締役を[[1884年]]まで務めた。この頃、リーマンは鉄道建設債券市場に参入し、後に主力業務となった金融アドバイザリーを開始した。
+
'''リーマン・ブラザーズ・ホールディングス'''({{lang|en|Lehman Brothers Holdings Inc.}})
  
=== 金融機関への転換 ===
+
世界各地で広範囲に営業を展開していたアメリカの大手投資銀行(2008年倒産)。
[[1887年]]には[[ニューヨーク証券取引所]]の会員になる。[[1899年]]には、同社初となる[[社債]]の引き受け(International Steam Pump Company)を行った。創業者エマニュエルの息子で2代目社長のフィリップは、[[ゴールドマン・サックス]](GS)との提携を進め、GSとともに20年間で100社以上の社債を引き受けた。
 
  
フィリップは[[1925年]]に退任し、[[イェール大学]]卒の息子[[:en:Robert Lehman|ロバート]]が跡を継いだ。[[世界恐慌]]を受けて、一時経営危機に陥ったものの、個人投資家や合併を積極的に支援することでこれを乗り切った。リーマンの[[ベンチャーキャピタル]]業務の原点である。
+
1850年にアラバマ州モントゴメリーに創業者ヘンリー・リーマンが、弟のエマニュエルとメイヤーとともに設立した商品仲介取引会社が同社の発祥である。1858年、ニューヨークに移転し、1887年にニューヨーク証券取引所に会員権を取得し、その2年後に株式を公開。1929年には、クローズド・エンド型(発行者が発行証券を買い戻すことを保証しない)の投資信託会社としてリーマンThe Lehman Corp.が設立された。同社は1977年の投資銀行クーン・ローブKuhn,Loeb & Co.の買収によりリーマン・ブラザーズ・クーン・ローブと改称して経営規模を拡大させたものの、1984年にアメリカン・エキスプレス・グループに吸収され、グループ傘下の証券会社シェアソン・ローブ・ローズとの統合によりシェアソン・リーマン・ブラザーズとなった。同社は1986年ロンドン証券取引所、1988年には東京証券取引所の会員権を獲得した。リーマン・ブラザーズはアメリカン・エキスプレスの優良部門としてその収益を支えてきたが、1993年に総合金融会社のプライメリカに売却された。さらに翌1994年にはプライメリカから分離独立した。
  
[[1929年]]、リーマン・ブラザーズから投資業務を分社化し、'''リーマン・コーポレーション'''({{lang|en|Lehman Corporation}})を設立した。もっとも、経営陣の多くはリーマン・ブラザーズと兼務していた。数年後、リーマン社史上の大きな転換点となる、資産管理業務に参入する。
+
同社の主要業務は、機関投資家、企業、政府、個人資産家を相手とする企業投資業務であったが、証券引受業、法人金融、戦略的投資顧問業務、証券売買、資産運用、外国為替(かわせ)取引、金融デリバティブ(派生商品)取引、商品取引など単なる証券会社の枠を越えて、さまざまな市場取引からも収益をあげた。リーマン・ブラザーズはニューヨーク証券取引所、NASDAQ(ナスダック)(アメリカの株式店頭市場)をはじめとする世界各国の主要証券取引所、商品取引所に株式、確定利付証券の取引業者としての会員権をもち、世界的な事業展開、組織力により、市場間の価格差を利用した裁定取引や異時点間の価格差を利用する投機的取引から莫大(ばくだい)な収益をあげた。低採算部門である貴金属市場からは1997年より撤退し、収益の大半は高利回り債、株式引受け、投資顧問業などによるものであった。また1990年代は、M&A(買収・合併)、株式発行、デリバティブなどによる大型取引の増大と、アメリカ株式市場の活況により同社の収益は拡大し、1994年の総収入91億9000万ドルは1998年には2倍以上に上昇した。
  
社長のロバートは、リーマンの更なる成長と拡大を目指すにあたり、それまで続いてきた[[同族経営]]の体質を是正しようとした。[[1924年]]には、リーマン一族以外では初となる共同経営者ジョン・M・ハンコックを招き入れ、[[1927年]]にはモンロー・C・ガットマンとポール・メイザーが加わった。[[1969年]]にロバートが死去して以降は、リーマン一族が経営を支配することは無くなった。ところがこの結果、リーマンは社の大きな求心力を失ってしまうこととなる。この事態の打開のため、[[1973年]]には、ベル&ハウエル社の[[最高経営責任者|CEO]][[ピーター・ピーターソン]]が経営に参加した。
+
同社は2000年代に入り、住宅ローン債権を借入金で購入し、それを証券化して販売する手数料収入で高収益を上げてきた。しかし、住宅市況の悪化を引き金に資産が大きく劣化、2008年前半には赤字に転落、補填(ほてん)のための増資のめどがたたず、2008年9月に経営破綻(はたん)した。負債総額は6130億ドルで、アメリカ史上最大の倒産となった。その後、野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズの北アメリカを除く、ヨーロッパ、中東ならびにアジア・太平洋事業を買収した。
 
 
=== 改革の失敗 ===
 
会長兼CEOに就任したピーターソンの主導のもと、アブラハム&カンパニーを[[1975年]]に[[買収]]。[[1977年]]には、当時経営が低迷していた[[クーン・ローブ]]を[[統合]]し、'''リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ'''({{lang|en|Lehman Brothers, Kuhn, Loeb Inc.}})へ改称。ピーターソンは、多額の[[赤字]]経営からリーマンを救済し、投資銀行の中でも特に収益率の高い、記録的な黒字決算を5年連続で実現させた。
 
 
 
こうして会社全体としては成長を続けたものの、花形である投資銀行業務を担当する社員と、その一方で実際の収益拡大にはより貢献していたトレーダー社員との間で確執が生じるようになった。このためピーターソンは[[1983年]]、社長兼[[最高執行責任者|COO]]でトレーダー出身のルイス・グラックスマンを共同CEOに就任させた。グラックスマンは[[賞与]]制度などの改革により、競争的な社風を築こうと試みたが、かえって社員の精神的[[ストレス (生体)|ストレス]]の原因を作ることとなった。経営方針を巡り2人のCEOも対立するようになり、ピーターソンが追い出される形で、グラックスマンが単独CEOとなった。
 
 
 
===アメリカン・エキスプレスへ身売り===
 
こうした社内の混乱を嫌った社員はリーマンを去っていき、リーマンは崩壊の危機に瀕する。[[1984年]]4月、グラックスマンはリーマンの身売りを迫られ、同社を[[アメリカン・エキスプレス]](アメックス)に3億6,000万ドルで売却した。
 
 
 
[[サンフォード・ワイル]]と[[エドモンド・サフラ]]が持株会社'''シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス'''({{lang|en|Shearson Lehman/American Express}})を設立したのち、[[1988年]]、シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレスはさらにE・F・ハットン&カンパニーを吸収、'''シアーソン・リーマン・ハットン'''({{lang|en|Shearson Lehman Hutton Inc.}})となった。
 
 
 
=== 再独立から業界最大手に ===
 
[[1993年]]に就任した新CEOハーベイ・ゴルブのもと、アメリカン・エキスプレスは事業の集中と選択を進め、リテール分野と資産管理業務を[[プライメリカ]]に売却。[[1994年]]、さらにプライメリカが同事業を分離し、'''リーマン・ブラザーズ・ホールディングス'''({{lang|en|Lehman Brothers Holdings Inc.}})として株式をニューヨーク証券取引所に再上場させた。
 
 
 
この再上場の後も、たびたび買収の対象として噂されたが、リーマン・ブラザーズはこれを重ねて否定。実際、業績の推移は順調で、収益を拡大させていた。しかし投資銀行業界の中では比較的弱体であったことへの危機感は強く、[[1999年]]には事態の打開策として、資金が焦げ付く危険性の高い[[サブプライムローン]]の証券化をいち早く推進するというハイリスク・ハイリターンの方針を打ち出した。これがアメリカの低金利政策による住宅バブルの到来と軌を一にし、業績の拡大に成功する。
 
 
 
[[2001年]][[9月11日]]、[[アメリカ同時多発テロ事件]]での[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|世界貿易センタービル]]崩壊により、隣接する[[ワールドフィナンシャルセンター|世界金融センタービル]]に入居していたリーマン・ブラザーズも影響を受ける。社員1名が死亡し、瓦礫でビルは使用不能。リーマン・ブラザーズは事件後48時間で、[[インターネット]]の不動産サイトで[[ニュージャージー州]]の施設を購入。間に合わせのトレーディングルームが設置され、6,500名の社員が移動した。[[9月17日]]にニューヨーク証券取引所が再開されると、リーマン・ブラザーズはすぐに取引に復帰し、損失を最小限に抑えた。
 
 
 
その後数ヶ月をかけて、拠点をニューヨークに復帰させるも、未だ臨時であり、40以上の別々の建物に分かれて業務を行っていた。特に、投資銀行部門は[[スターウッド・ホテル&リゾート|シェラトン]]・マンハッタン・ホテルに入居し、1階のラウンジ、レストランから665の全客室までを改造して利用していた。[[フレックスタイム制]]の導入や[[Virtual Private Network|VPN]]の活用など、新しい試みも見られた。
 
 
 
10月にはマンハッタンのミッドタウン(745 Seventh Avenue, New York)にある竣工間も無い32階建てのビルを、ライバルの[[モルガン・スタンレー]]から7億ドルで買収。モルガン・スタンレーは2ブロック離れた[[ブロードウェイ]]に移転した。リーマン・ブラザーズが以前の世界金融センターや[[ロウアー・マンハッタン]]に戻らなかったことには批判もあったが、リーマン・ブラザーズ自身は、ニューヨーク市に拠点を残すことに腐心していた。
 
 
 
新拠点は、同社にとって理想的な環境であり、モルガン・スタンレー側も売却先を積極的に求めていた。また、[[2002年]]5月の世界金融センター再開まで待っていられなかったということもある。世界金融センターに残った企業としては、[[ドイツ銀行]]、[[ゴールドマン・サックス]]、[[メリルリンチ]]などがある。
 
 
 
[[アジア]]に対する積極的な投資も特徴であった。[[日本]]との関係で有名なことは、古くは、リーマン・ブラザーズに統合される前のクーン・ローブが、[[日露戦争]]の[[日本軍]]戦費調達のため、[[大日本帝国]]の戦時国債を引き受けたことである。近年では、[[ライブドア]]への投資([[転換社債型新株予約権付社債]])である。日本でのオフィスは、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]にある[[六本木ヒルズ森タワー]]の29~32階にあり、アジア太平洋地域の統括本部でもあった。
 
 
 
[[2005年]]には、アジア(特に中国市場)の高成長と住宅バブルの昂進に後押しされ、[[ゴールドマン・サックス]]、[[メリルリンチ]]といった強豪を抑えて投資銀行における最大手に躍進することとなった。
 
 
 
=== 破綻とリーマン・ショック ===
 
[[サブプライムローン]]の高いリスクを背負うことで事業を拡大させたリーマンであったが、それに潜在していたリスクは、最終的にはリーマンを消滅させる原因ともなった。住宅バブルが崩壊し、住宅ローンの焦げ付きが深刻化したのである。
 
 
 
[[2008年]]3月に、大手証券会社で財務基盤に問題はないと繰り返し発表してきた[[ベアー・スターンズ]]が、事実上破綻([[JPモルガン・チェース]]による救済買収)した際に、株価が2日間で一時54%以上暴落した。財務基盤が盤石であったはずのリーマン・ブラザーズの流動性も心配される事態とまでなったが、その後、[[連邦準備制度|FRB]]による証券会社への窓口貸出アクセス等の報道により株価は落着きを取り戻したかに見えた。
 
 
 
しかし、[[サブプライムローン]]([[サブプライム住宅ローン危機]])問題での損失処理を要因として、同年9月には6&#12316;8月期の純損失が39億ドルに上り、赤字決算となる見通しを公表。発表直後に株価は4ドル台にまで急落した。最終的にリーマンは負債総額にして約64兆円という史上最大の倒産劇へと至り『[[リーマン・ショック]]』として、世界的な金融危機を招く事になる。
 
 
 
リーマン破綻直前、[[アメリカ合衆国財務省]]やFRBの仲介の下で[[HSBCホールディングス]]や[[韓国産業銀行]]など<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080904/fnc0809041911011-n2.htm |title=世界的再編も リーマンに内外金融機関が食指 (2/2ページ) |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経デジタル |date=2008-09-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080907013550/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080904/fnc0809041911011-n2.htm |archivedate=2008年9月7日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>複数の[[金融機関]]と売却の交渉を行っていた。
 
 
 
日本の[[メガバンク]]数行も参加したが、後の報道であまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため見送ったと言われている。最終的に残ったのは[[バンク・オブ・アメリカ]]、[[メリルリンチ]]、[[バークレイズ]]であったが、[[アメリカ合衆国連邦政府]]が公的資金の注入を拒否<ref>同年3月にベアー・スターンズへ[[公的資金]]を注入しており、これ以上の救済措置は近々行われる[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]]を控えた状況も踏まえ国民の理解が得られないこと、財政の負担が大きいこと、ベアー・スターンズと違い突然の破綻ではなく以前から兆候があったこと、経済の先行きを考えた場合に前例を作りたくないなどの理由から。</ref>していた事から交渉不調に終わるに至った。しかし交渉以前に、損失拡大に苦しむ[[メリルリンチ]]は[[バンク・オブ・アメリカ]]への買収打診と決定がなされ、[[バークレイズ]]も巨額の損失を抱え、すでにリーマンブラザーズを買収する余力など、どこも存在しなかった。
 
 
 
2008年[[9月3日]]に、[[大韓民国|韓国]]政府筋の[[韓国産業銀行]](KDB)がリーマン株のうち25%を5-6兆[[大韓民国ウォン|ウォン]](約5200-6300億円)で取得する事を明らかにしていたが<ref>[http://www.afpbb.com/article/economy/2513266/3286225 韓国政府系銀行KDB、リーマン株25%取得を提案]</ref>、2008年[[9月10日]]になって一転、KDB側が出資協議を打ち切り、これに伴いリーマン・ブラザーズ株の売りが増大し、45%安を記録した<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-33669020080909 米国株式市場が急反落、リーマンは45%安]</ref>。そして最終的には、同年[[9月15日]]に[[連邦倒産法第11章]](日本の[[民事再生法]]に相当)の適用を連邦裁判所に申請し破綻した。
 
 
 
=== 倒産後 ===
 
連邦倒産法第11章の申請直前{{要出典|date=2017年5月}}、CEO[[リチャード・S・ファルド・ジュニア|リチャード・ファルド]]は、個人で保有するリーマン株をすべて売却している。負債総額は6,130億ドル(当時の日本円で約64兆5000億円)と米国史上最大の倒産となった<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=104646&servcode=300&sectcode=300 「リーマン、メリルリンチショック」世界金融市場に混乱], [[中央日報]](2008年9月16日),2008年9月16日閲覧</ref>。その後、ベアー・スターンズの経営危機・[[連邦住宅金融抵当公庫|フレディマック]]と[[連邦住宅抵当公庫|ファニーメイ]]の実質的破綻を含めた金融危機に対処するため、[[アメリカ合衆国連邦政府]]は[[緊急経済安定化法]]をまとめ、29日に[[アメリカ合衆国下院]]で採決したが、アメリカの伝統的な「自己責任」の価値観と、事態の重大性を十分に認識していなかった下院議員の存在により否決され、[[世界]]中の投資家を失望させた。これらの行為が[[リーマン・ショック]]や信用収縮に繋がった。
 
 
 
事実、この日の[[ダウ平均株価]]が終値で777ドル安を記録し、算出開始以来最大の下げ幅を記録。そして、全[[世界]]の株式市場の株価を瞬時に暴落させた。北米地域等は、[[バークレイズ]]がその事業を買収した。
 
 
 
[[日本]]では[[敬老の日]]で祝日だったが、程なくして日本の債権者や顧客の損害を抑制するための措置を行った。日本の[[金融庁]]は、日本法人であるリーマン・ブラザーズ証券株式会社に対して、資産の国内保有命令と[[9月26日]]までの[[業務改善命令|業務停止命令]]を出した。これを受けて、[[東京証券取引所]]・[[大阪証券取引所]]・[[ジャスダック]]は、[[9月16日]]の取引開始前に、同社の取引資格停止の措置を採った。同日、同社も[[東京地方裁判所|東京地裁]]へ民事再生法の適用を申請した。リーマン日本法人の負債総額は3兆4314億円で、[[協栄生命保険]]に次ぐ日本戦後2番目の大型倒産となった<ref>{{Cite web |url=http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/2765.html |title=証券業 戦後2番目の大型倒産 リーマン・ブラザーズ証券株式会社 民事再生法の適用を申請 負債3兆4314億円 |work=大型倒産速報 |publisher=帝国データバンク |date=2008-09-16 |accessdate=2013-09-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081202115502/http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/2765.html |archivedate=2008年12月2日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
日本法人など、韓国を除くアジア地域、欧州地域及び中東地域は[[野村ホールディングス]]が買収に合意し、[[アジア]]部門を米ドルで2億2500万ドル、[[ヨーロッパ]]部門はわずか2ドルで買収したが、人件費負担など買収後の対応に巨額の資金を要し、海外事業部門は[[野村證券]]にとって経営の重荷となっていく<ref>{{Cite news |title=シリーズ検証危機は去ったかリーマンショック5年 (8) 野村のリーマン事業買収 | date =2013年10月20日 |newspaper=日本経済新聞・朝刊|page=11}} - 日経テレコン21にて閲覧</ref>。
 
 
 
[[10月10日]]、[[国際スワップデリバティブ協会]](ISDA)は、リーマンの[[クレジット・デフォルト・スワップ]](CDS)の清算価値が入札の結果8.625%に決定したことを発表した。市場の推計ではリーマン関連のCDSの契約残高(想定元本)は約4000億ドルといわれており、この91.375%(約3,655億ドル)が損失となり、CDSを引き受けた金融機関などが損失を被ることになった(ただし相殺分を考慮すると数分の一になる)<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20081012ddm008020092000c.html |title=米リーマン破綻:派生商品、9割消滅 清算価格、元本の8.525%に |newspaper=毎日jp |publisher=毎日新聞社 |date=2008-10-12 |accessdate=2008-10-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081015185025/http://mainichi.jp/select/biz/news/20081012ddm008020092000c.html |archivedate=2008年10月15日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
==関係者==
 
*[[安田育生]] - 元日本における代表者
 
*[[岩崎日出俊]] - 経営コンサルタント
 
<!--*[[大久保清和]]
 
*[[桂木明夫]]
 
*[[川崎研一]]
 
*[[木嶋謙吾]]
 
*[[ポール・シェアード]]
 
*[[保田隆明]]-->
 
*[[白河桃子]] - 元社員。ジャーナリスト、ライター。
 
*[[島尻安伊子]] - 元社員。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[参議院議員]]
 
*[[中丸友一郎]] - エコノミスト
 
*[[松野允彦]]
 
  
 
==脚注==
 
==脚注==
 
{{Reflist}}
 
{{Reflist}}
  
==関連項目==
+
 
*[[TSK・CCCターミナルビル]]
 
*[[ライブドア]] - [[ニッポン放送]]株取得に大きく関わる。
 
*[[日露戦争]] - [[大日本帝国]]は日露戦争の際、[[クーン・ローブ]]から戦費を調達した。
 
*[[世界金融危機 (2007年-)]]
 
*[[ノーザン・ロック]]
 
*[[シーメンス]]
 
*[[クリアストリーム]]
 
*[[ブラックストーン・グループ]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.lehman.com/ Lehman Brothers(英語)]
 
* [http://www.lehman.com/ Lehman Brothers(英語)]
* [https://web.archive.org/web/20070508154448/http://www.lehman.co.jp/ リーマン・ブラザーズ(日本語)] - 閉鎖。(2007年5月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
 
*[http://lehman.ohebashi.com/ リーマン・ブラザーズ関連会社の倒産手続について]
 
  
 
{{Major investment banks}}
 
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+
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[[Category:リーマン・ブラザーズ|*]]
 
[[Category:リーマン・ブラザーズ|*]]

2018/9/25/ (火) 18:23時点における最新版


リーマン・ブラザーズ・ホールディングスLehman Brothers Holdings Inc.

世界各地で広範囲に営業を展開していたアメリカの大手投資銀行(2008年倒産)。

1850年にアラバマ州モントゴメリーに創業者ヘンリー・リーマンが、弟のエマニュエルとメイヤーとともに設立した商品仲介取引会社が同社の発祥である。1858年、ニューヨークに移転し、1887年にニューヨーク証券取引所に会員権を取得し、その2年後に株式を公開。1929年には、クローズド・エンド型(発行者が発行証券を買い戻すことを保証しない)の投資信託会社としてリーマンThe Lehman Corp.が設立された。同社は1977年の投資銀行クーン・ローブKuhn,Loeb & Co.の買収によりリーマン・ブラザーズ・クーン・ローブと改称して経営規模を拡大させたものの、1984年にアメリカン・エキスプレス・グループに吸収され、グループ傘下の証券会社シェアソン・ローブ・ローズとの統合によりシェアソン・リーマン・ブラザーズとなった。同社は1986年ロンドン証券取引所、1988年には東京証券取引所の会員権を獲得した。リーマン・ブラザーズはアメリカン・エキスプレスの優良部門としてその収益を支えてきたが、1993年に総合金融会社のプライメリカに売却された。さらに翌1994年にはプライメリカから分離独立した。

同社の主要業務は、機関投資家、企業、政府、個人資産家を相手とする企業投資業務であったが、証券引受業、法人金融、戦略的投資顧問業務、証券売買、資産運用、外国為替(かわせ)取引、金融デリバティブ(派生商品)取引、商品取引など単なる証券会社の枠を越えて、さまざまな市場取引からも収益をあげた。リーマン・ブラザーズはニューヨーク証券取引所、NASDAQ(ナスダック)(アメリカの株式店頭市場)をはじめとする世界各国の主要証券取引所、商品取引所に株式、確定利付証券の取引業者としての会員権をもち、世界的な事業展開、組織力により、市場間の価格差を利用した裁定取引や異時点間の価格差を利用する投機的取引から莫大(ばくだい)な収益をあげた。低採算部門である貴金属市場からは1997年より撤退し、収益の大半は高利回り債、株式引受け、投資顧問業などによるものであった。また1990年代は、M&A(買収・合併)、株式発行、デリバティブなどによる大型取引の増大と、アメリカ株式市場の活況により同社の収益は拡大し、1994年の総収入91億9000万ドルは1998年には2倍以上に上昇した。

同社は2000年代に入り、住宅ローン債権を借入金で購入し、それを証券化して販売する手数料収入で高収益を上げてきた。しかし、住宅市況の悪化を引き金に資産が大きく劣化、2008年前半には赤字に転落、補填(ほてん)のための増資のめどがたたず、2008年9月に経営破綻(はたん)した。負債総額は6130億ドルで、アメリカ史上最大の倒産となった。その後、野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズの北アメリカを除く、ヨーロッパ、中東ならびにアジア・太平洋事業を買収した。

脚注


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