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|氏名        = リーナス・トーバルズ
 
|別名        =
 
|画像        = LinuxCon Europe Linus Torvalds 03 (cropped).jpg
 
|画像のサイズ =
 
|画像の説明  = リーナス・トーバルズ(2014年撮影)
 
|国籍        = {{FIN}}
 
|生年月日    = {{生年月日と年齢|1969|12|28}}
 
|生誕地      = {{FIN}}、[[ヘルシンキ]]
 
|死没日      = <!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}} -->
 
|死没地      =
 
|居住地      = {{USA}}、[[オレゴン州]][[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]
 
|最終学歴    = [[ヘルシンキ大学]]
 
|配偶者      = トーベ・トーバルズ
 
|両親        = [[ニルズ・トーバルス]](父)<br />アンナ・トーバルス(母)<ref name="linuxonlinebio">{{cite web |url=http://www.linux.org/info/linus.html |title=Linux Online - Linus Torvalds Bio |publisher=Linux.org |date= |accessdate=2010-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040626044423/http://www.linux.org/info/linus.html |archivedate=2004年6月26日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
 
|子供        = パトリシア・ミランダ、ダニエラ・ヨランダ、セレスタ・アマンダ
 
|専門分野    =
 
|所属機関    =
 
|勤務先      =
 
|雇用者      = [[Linux Foundation]]
 
|プロジェクト =
 
|設計        =
 
|成果        = [[Linuxカーネル]]、[[Git]]
 
|受賞歴      = [[武田賞]](2001年)<br>[[C&C賞]](2010年)<br>[[ミレニアム技術賞]](2012年)
 
|署名        =
 
|公式サイト  = [http://torvalds-family.blogspot.com/ torvalds-family.blogspot.com]<br />[http://www.cs.helsinki.fi/u/torvalds/ cs.helsinki.fi/u/torvalds]
 
}}
 
'''リーナス・ベネディクト・トーバルズ'''('''Linus Benedict Torvalds'''、[[1969年]][[12月28日]] - 、{{Audio|Sv-Linus Torvalds.ogg|{{IPA|ˈliːnɵs ˈtuːrvalds}}}})は[[フィンランド]]、[[ヘルシンキ]]出身の[[プログラマ]]。[[Linuxカーネル]]を開発し、[[1991年]]に一般に公開した。その後も、公式のLinuxカーネルの最終的な調整役(もしくは「[[優しい終身の独裁者]]」)を務める。
 
 
 
[[アンドリュー・タネンバウム]]が開発した[[カーネル]]と[[オペレーティングシステム]] (OS) である[[MINIX]]に刺激を受け、自宅の[[パーソナルコンピュータ]]上で動作可能な[[UNIX]] OSの必要性を感じ、自分の趣味の時間と自宅の設備でLinuxカーネルの初期の開発を行った。
 
 
 
== 半生 ==
 
{{出典の明記
 
| date = 2016年9月
 
| section = 1
 
}}
 
[[1969年]][[12月28日]]、[[フィンランド]]の首都[[ヘルシンキ]]で生まれた。父親は[[ジャーナリスト]]の{{仮リンク|ニルス・トーバルス|en|Nils Torvalds}}で母はアンナ。祖父は詩人の{{仮リンク|オーレ・トーバルス|en|Ole Torvalds}}。両親は[[1960年代]]に[[ヘルシンキ大学]]の[[左翼]]活動家であり、父親は[[1970年代]]中頃に[[モスクワ]]に一年留学している[[共産主義]]者である(後のリーナスの考えに父親が間接的に影響していることを本人は認めている)。
 
 
 
家族はフィンランド人口のおよそ6%の[[スウェーデン語]]を話す少数派([[スウェーデン系フィンランド人|スウェーデン系]])に属しており、リーナスの名は[[ライナス・ポーリング]]にちなんだものだった。[[1988年]]から[[1996年]]までヘルシンキ大学で学び、Linuxに関する修士論文「Linux: A Portable Operating System(Linux: 移植性の高いオペレーティングシステム)」を書き、[[計算機科学]]の修士号を得た。
 
 
 
1990年、ヘルシンキ大学在学中に読んだアンドリュー・S・タネンバウムの『オペレーティングシステム‐設計と理論およびMINIXによる実装』を「人生を変えた本」と述べている。
 
 
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[サンノゼ]]に長年住んだあと、2004年6月に[[オレゴン州]][[ビーバートン (オレゴン州)|ビーバートン]]の家を購入し、この地域の学校に娘たちを通学させている。家族は、[[空手]]で6度のフィンランド選手権優勝経験を持つ妻トーベと、3人の娘・パトリシア・ミランダ、ダニエラ・ヨランダ、セレスタ・アマンダである。
 
 
 
[[1997年]]2月から[[2003年]]6月まで[[トランスメタ]]社で働いたあと、オレゴン州ビーバートンにある[[Open Source Development Labs|OSDL]]に移籍した。
 
 
 
シリコンバレーでは[[スティーブ・ジョブス]]や[[ビル・ジョイ]]に会っている。
 
 
 
リーナスの個人的なマスコットとして、[[Tux]]と名づけられた[[ペンギン]]がいて、LinuxコミュニティからはLinuxのマスコットとして広く受け入れられている。
 
 
 
== ソフトウェア開発に関する思想 ==
 
リーナスの活動にインスパイアされた[[エリック・レイモンド|エリック・S・レイモンド]]がその論文「[[伽藍とバザール]]」で述べ著名となった[[リーナスの法則]]に「''Given enough eyeballs, all bugs are shallow.''(目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない)」というものがある。深刻なバグというのは見つけづらいもののことを言うが、深刻なバグを探すのに大勢の人がいれば、どんなバグも深刻なものとはならないだろうという希望を述べたものであり、ほぼ経験則として受け入れられている。レイモンドとリーナスは、この信念を基盤にした[[オープンソース]]思想を共有している。
 
 
 
他のオープンソース普及活動家たちとは違って、リーナスは比較的控えめな姿勢を保っているように見られているが{{要出典|date=2016年9月}}、度々[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows|Windows]] や[[アップル (企業)|アップル]]の[[macOS]]のような競合する[[オペレーティングシステム]] (OS) についての辛辣な批判をしてきた<ref>参考文献参照</ref><ref>[http://www.smh.com.au/news/technology/torvalds-pans-apples-os-x/2008/02/05/1202090393959.html Torvalds pans Apple with 'utter crap' putdown]</ref>。<!--この姿勢は中立的すぎると[[GNUプロジェクト]]によって批判を受けるほどである。-->一方、[[GNUプロジェクト]]とは度々対立し、特にトランスメタでの独占的ソフトウェアの開発への従事や、[[BitKeeper]]の利用と擁護は、GNU側から批判の的とされている。しかし、マイクロソフトや[[SCO]]のような独占的ソフトウェア開発企業による反Linuxを意図した[[FUD]]に対しては強く反論する声明を発表してきた。また2004年には[[サン・マイクロシステムズ]]が自社開発の[[Solaris]] OSをオープンソースにするという発表について「誰もSolarisの出来損ないみたいなOSで遊びたいとは思わないと思うよ。明らかなことは、彼らはコミュニティの立ち上げには相当な時間がかかるだろうということだと思うよ」と述べた。更に続けて[[デバイスドライバ]]サポートの問題が足を引っ張るだろうという点を指摘し、[[CNET]]ニュースのインタビューに答えて「Linuxでドライバが足りないとかなんとかいっているようなら、Solaris/x86を見てみるといいよ」と述べるなど、競合している他のOSへの批判には容赦がない。
 
 
 
他の例では、マイクロソフトの上級副社長[[クレイグ・マンディ]]が[[オープンソースソフトウェア]]には新規性はなく、[[知的財産権]]を破壊するものだと批判したのに対する反論として送ったEメールの中で次のように述べた。「マンディは[[アイザック・ニュートン]]卿について聞いたことがあるのかねえ。彼は[[古典力学]]の基礎の構築、りんごの木の話で有名な[[万有引力の法則]]を発見した点で著名であるだけでなく、彼がその業績に対して先人への感謝を示したやり方でも有名なんだ。『[[巨人の肩の上|私がはるかかなたを見渡すことができたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩に乗っていたからだ。]]』(…中略…)私はマンディよりもむしろニュートンの意見を聞いてみたいよ。亡くなってから300年もたちましたけど、あなたの意見はまだ古臭くなってませんよねってね」。
 
 
 
== Linuxの開発 ==
 
リーナスは元々自身のシステムとしてMINIX OSを使っており、これを自分で作成したOSと置き換え、この自作OSにLinux(Linus's Minix)という作業用の名前をつけた。しかし、この名前はあまりに自己中心的すぎると感じたため、freeとfreakを混ぜて[[Unix系|Unixシステム]]を示すXの文字を足した「Freax」と名づけようとしていた。友人のアリ・レンクはリーナスにそのOSを簡単にダウンロードできるようにネットワークに置くことを勧め、リーナスに自分の[[File Transfer Protocol|FTP]][[サーバ]]を提供したが、アリはFreaxという名前が気に入っていなかったため、リーナスに linux という[[ディレクトリ]]を与えた。
 
 
 
[[1991年]][[8月]]、リーナスはこの成果物を[[Usenet]][[ニュースグループ]] <code>comp.os.minix</code> で公開した[http://groups.google.com/groups?hl=en&selm=1991Aug25.205708.9541%40klaava.Helsinki.FI]。
 
 
 
現在ではリーナス本人が書いたコードはLinuxカーネルのたった2%程度しかないものの、カーネルに新しいコードを追加する際の最終的な決定者としての役割を担っている。なお、[[X Window System]]や[[GNUコンパイラコレクション|gcc]]や[[パッケージ管理]]といった、オペレーティングシステム全体にかかわる事項については他の者が行っている。また、多くの[[Linuxディストリビューション]]はディストリビューションごとに独自のカーネルバージョンを持っている。リーナスはたとえ開発者の間で行われたものであっても、カーネルに関係しない議論からは距離を置くようにしているようである。リーナスが書き主導してきたLinuxカーネルと、他の大勢の開発者によるソフトウェア(特に[[GNU]]ソフトウェア)とを一緒にしてLinuxディストリビューションと通称する。さらにこれを単にLinuxと呼ぶものも多い。またGNU/Linuxと呼ぶこともある。リーナス自身およびGNUの創設者[[リチャード・ストールマン]]は、GNUベースのディストリビューションは"GNU/Linux"という名称を残すべきだとの姿勢をとっている。
 
 
 
リーナスは「Linux」の[[商標]]を保有しており、その使用(および不正使用)を主に[[非営利団体]][[Linux International]]を通じて監視している。言うまでも無く「目玉の数さえ十分あれば商標違反は難しい」ので、世界中のLinuxコミュニティの助けも借りている。オープンソース本来の原則からリーナスは、Linuxに商標をつけることそのものを嫌っていたが、[[1995年]]に商標を取った。これは赤の他人がLinuxを商標登録したり、脅迫されたりする事態を避けるためである。
 
 
 
== 社会的な認知 ==
 
Linuxファンの中にはリーナスを神のごとく崇め奉っているものも多いが、彼自身は自著"Just For Fun"(邦題『[[それがぼくには楽しかったから]]』)の中でそういう対応に困惑しており迷惑だと感じていると述べている。
 
 
 
* [[タイム (雑誌)|タイム]]誌の[[2000年]]の「今世紀の100人」のインターネット投票で17位に選出された<ref>http://www.time.com/time/time100/poc/century.html</ref>。
 
* [[2001年]]には[[武田賞]]を[[リチャード・ストールマン]]、[[坂村健]]とともに受賞した。
 
* [[2004年]]には、タイム誌の世界中で最も影響力のある一人として挙げられた。
 
* 2004年夏に行われた史上最も偉大なフィンランド人100人の投票で16位に挙げられた。
 
* [[2005年]]には[[ビジネスウィーク]]誌の最も優秀な経営者の一人に選ばれた<ref>http://www.businessweek.com/magazine/toc/05_02/B39150502manager.htm</ref>。
 
* [[2006年]]に、[[タイム誌]]の「60 Years Of Heroes」に選ばれた<ref>http://www.time.com/time/europe/hero2006/torvalds.html</ref>。
 
* [[2010年]]には[[C&C賞]]を受賞した。
 
* [[2012年]]には[[ミレニアム技術賞]]を受賞した。
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* Linus Torvalds, David Diamond: <cite>[[:en:Just for Fun|Just for Fun: The Story of an Accidental Revolutionary]]</cite>, New York, HarperBusiness, 2001, ISBN 0-06-662072-4
 
** (和訳版)リーナス・トーバルズ, デビッド・ダイヤモンド [[風見潤]] 訳: <cite>[[それがぼくには楽しかったから]]</cite>, 東京, 小学館, 2001, ISBN 4-7968-8001-1
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}}
 
* [[Git]] - Linuxカーネル管理のために開発したバージョン管理システム
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commons|Linus Torvalds}}
 
* [http://torvalds-family.blogspot.com/ リーナスのブログ]
 
* [http://www.cs.helsinki.fi/~torvalds/ リーナスのホームページ]
 
 
 
{{Linux}}
 
{{Normdaten}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:とはるす りなす}}
 
[[Category:プログラマ]]
 
[[Category:UNIXに関係する人物]]
 
[[Category:Linux]]
 
[[Category:スウェーデン系フィンランド人]]
 
[[Category:フィンランド系アメリカ人]]
 
[[Category:ヘルシンキ出身の人物]]
 
[[Category:1969年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

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