「ラピテース族」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruses|[[古代ギリシア]]の[[民族]]|古代[[オセアニア]]の民族|ラピタ人}}
+
{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__
[[ファイル:Ac_marbles.jpg|220px|thumb|ケンタウロスと闘うラピテース族の像。]]
 
[[File:Thessaly Plain.jpg|thumb|220px|テッサリアー地方の平原を流れるペーネイオス河(現在の[[ピニオス川 (テッサリア)|ピニオス川]])。]]
 
[[File:Ixion.jpg|thumb|220px|[[ホセ・デ・リベーラ]]の1623年の絵画『イクシオン』。[[プラド美術館]]所蔵。]]
 
'''ラピテース族'''({{lang-grc-short|'''Λαπίθης'''}}, {{ラテン翻字|el|Lapithēs}})は、[[ギリシア神話]]に登場する[[テッサリアー]]地方の半神話的[[民族]]である。複数形は'''ラピタイ'''({{lang-grc-short|'''Λαπίθαι'''}}, {{ラテン翻字|el|Lapithai}})。[[長母音]]を省略して'''ラピテス族'''とも。[[英語]]では'''ラピタ'''({{lang-en-short|'''Lapith'''}})。
 
 
 
[[ラピテース]]<ref group="注">[[アポローン]]の子とされる</ref>の子孫とされ、[[ゼウス]]の妻の女神[[ヘーラー]]を誘惑しようとしたためにゼウスの怒りを受けた[[イクシーオーン]]や、結婚式のさいに[[ケンタウロス]]達と闘った[[ペイリトオス]]といった人物で有名。
 
 
 
== 概要 ==
 
ラピテース族は河神[[ペーネイオス]]を祖とする部族で、主にペーネイオス河流域に広がる[[テッサリア平原|テッサリアー平原]]と、[[オッサ山 (ギリシャ)|オッサ山]]([[:en:Mount Ossa (Greece)|en]])、[[ピリオ山|ペーリオン山]]([[:en:Pelion|en]])の山岳部一帯に住んでいた。普通は[[ギリシア人]]の一分派と考えられている。彼らは野蛮な[[ケンタウロス族]]の敵対者で、武勇にすぐれ、「槍をふるうラピタイ族」などとうたわれている<ref>『イーリアス』12巻128行。</ref>。
 
 
 
ラピテース族は[[イクシーオーン]]、[[プレギュアース]]、[[ペイリトオス]]、[[カイネウス]]、[[ポリュペーモス]]といった英雄を輩出しているが、彼らはしばしば向う見ずで、敬神に篤いとは言えないところがあり、特にイクシーオーンとプレギュアースは神に対する冒涜的行為のために[[冥府]]で罰を受けているとされる。
 
 
 
ラピテース族の最も有名なエピソードはペイリトオスの結婚式の際に起きたケンタウロス族との戦いである。このエピソードは古来より芸術のモチーフとしても好まれ、中でも[[アテーナイ]]の[[パルテノン神殿]][[メトープ]]の[[彫刻]]群は有名であり、[[ルネサンス]]期以降もしばしば西洋絵画の画題となっている。
 
 
 
ラピテース族はテッサリアー地方の[[イオールコス]]が発端となった[[アルゴー船]]の冒険や、[[トロイア戦争]]にも参加している。
 
 
 
== 系譜伝承 ==
 
神話によると、河神ペーネイオスと[[クレウーサ]]との間に[[ヒュプセウス]]と[[スティルベー]]が生まれ、スティルベーと[[アポローン]]の間に2子[[ラピテース]]とケンタウロスが生まれた<ref>シケリアのディオドロス、4巻69・1。</ref>。このうちラピテースがペーネイオス河畔に住み着いて王となった。この地の住人をラピテース族と呼ぶのはラピテースに由来する。
 
 
 
ラピテースの2子[[ポルバース]]と[[ペリパース]]はともにラピテース族の王となったが、ポルバースは招かれて[[エーリス]]地方に行き<ref>シケリアのディオドロス、4巻69・2。</ref>、彼に伝説的なエーリス王[[アウゲイアース]]と[[アクトール]]が生まれた<ref group="注">一般的な伝承では、アウゲイアースは[[太陽神]][[ヘーリオス]]の子とされる。</ref>。一方、テッサリアー地方に残ったペリパースには8子が生まれ、さらに長男のアンティオーンはペリメーレー([[アミュターオーン]]の娘)との間にイクシーオーンをもうけた。このイクシーオーンにペイリトオスと<ref>シケリアのディオドロス、4巻69・3。</ref>ケンタウロス族が生まれた<ref>シケリアのディオドロス、4巻69・5。</ref>。
 
{{ラピテース族の系図}}
 
== 文化 ==
 
[[ウェルギリウス]]によると、ラピテース族は[[馬術]]に長け、[[手綱]]や[[馬場]]を考案し、人々に[[ギャロップ|襲歩]]を教えたとされる<ref>[[ウェルギリウス]]『[[農耕詩 (ウェルギリウス)|農耕詩]]』3巻115行−117行。</ref>。
 
 
 
== 勢力範囲 ==
 
[[File:Thessaly.jpg|thumb|220px|テッサリアー地方。]]
 
[[File:Kisavos mountain, Greece.jpg|thumb|220px|オッサ山とペーネイオス河。]]
 
[[File:Pilion with monastery pau.JPG|thumb|220px|ペーリオン山。]]
 
===ホメーロス===
 
ホメーロスは『[[イーリアス]]』第2巻の軍船リストにおいて、[[ポリュポイテース]]王([[ペイリトオス]]の息子)がアルギッサ(アルグラ、現アギア・ソフィア)、ギュルトネー(ギュルトーン、現バクレナ)、オルテー(現[[ツァリツアニ]]、 [[:en:Tsaritsani|en]])、エーローネー(現カラッツォリ)、白亜のオロオッソーン(現[[エラソナ]]、 [[:en:Elassona|en]])の軍勢を率いたこと、彼の父ペイリトオスが[[ケンタウロス]]族をペーリオン山からアイティケスに追い払ったこと、[[カイネウス]]の孫[[レオンテウス]]も戦争に参加したことを述べている<ref>『イーリアス』2巻738−747行。</ref>。
 
 
 
ホメーロスの挙げる都市のうち、アルギッサ、ギュルトネー、エーローネーはペーネイオス河中流域の都市で、オルテー、オロオッソーンはエーローネーのさらに北、[[オリュンポス山]]麓のエウローポス河流域の都市である。
 
 
 
===ストラボン===
 
[[ストラボン]]によると、テッサリアー平原は元来[[ペライボイ族]]の土地だったが、イクシーオーンとペイリトオスが進出し、彼らをペーネイオス河の内陸部に追い払った。さらにペイリトオスはペーリオン山からケンタウロス族を駆逐した。ペライボイ族の多くは[[ピンドス山脈]]([[:en:Pindus|en]])やアタマニア<!--(現在の[[アタマネス]], [[:en:Athamanes|en]]?)-->、ドロピア地方の山地に移動したが、全てのペライボイ族が平原から追い出されたわけではなく、北部のオリュンポス山周辺はペライボイ族の領域であり、両部族が混在している地域もあった。また[[ラーリッサ]]は依然としてペライボイ族が領有し、平原で最も豊かな土地を支配した<ref>ストラボン、9巻19。</ref>。
 
 
 
ただし、この2つの部族が居住する地域を厳密に区別することは困難で、[[ロードスのアポローニオス]]はラピテース族の英雄[[ポリュペーモス]]の出身地をラーリッサとしているし<ref>ロードスのアポローニオス『アルゴナウタイ』1巻40行。</ref>、ストラボンも[[シモーニデース]]がテッサリアー地方の住人を「ペライボイとラピタイ」と呼んだことを挙げている。なお、ストラボンはラピテース族の領域をギュルトーン、ペーネイオス河口、オッサ山、ペーリオン山、デメトリアス([[:en:Demetrias|en]])、平原部の[[ラーリッサ]]と、クランノン(現[[クランノナス]], [[:en:Krannonas|en]])、スコトゥッサ(現パリオカストロ)、モプシオン(現[[マクリホリ]], [[:en:Makrychori|en]])、アトラクス(現アレファカ)、ネッソニス湖、ボイベイス湖(現ヴィヴィイス湖)周辺地域としている<ref>ストラボン、9巻20。</ref>。
 
 
 
== 神話 ==
 
===イクシーオーンの伝説===
 
{{Main|イクシーオーン}}
 
伝説によると、イクシーオーンは、その舅を殺したり、ゼウスの妻のヘーラーを誘惑しようとし、ゼウスのおくった雲で出来た贋のヘーラーとの間に、ケンタウルスが生まれたとされる。最後には、カミナリで殺され、永遠に回転する「地獄の火車」に[[ヘビ]]で縛られた。
 
 
 
===ペイリトオスとケンタウロスの伝説===
 
伝説によると、[[テーセウス]]([[アテーナイ]]の王)は、ラピテース族の王ペイリトオスと、とても仲がよく一緒に冒険や探検をする仲であった。よって、ペイリトオスが、美しい[[ヒッポダメイア]]と結婚することとなり両家の親族、友人としてテーセウス、またケンタウロス等の他のテッサリアーの住民も招かれた。
 
 
 
しかし婚礼の途中、初めて飲む[[ワイン]]に酔った''Eurito''<ref group="注">ケンタウロスの中でも荒っぽい性格だった。[[:es:Eurito|スペイン語版のEurito または、 Euritión]]を参照。</ref>が、花嫁を誘拐した。その他のケンタウルスも他の女達や若い男達をさらっていった。
 
 
 
このことに怒った、ペイリトオスやラピテース族の人たちは、テーセウスの力も借りた、ケンタウロスとの戦争で、その多く(数百)を殺した。数頭のケンタウロスのみ[[アルカディア]]の近くの山に逃げることができたとされている。
 
 
 
; ラピテース族の戦士リスト
 
以下は『[[イーリアス]]』1巻(Il)、『[[ヘーラクレースの楯]]』(SH)、『[[変身物語]]』(Ov、戦死者除く)による。
 
{| class="sortable wikitable" style="font-size:95%; margin-right:0px;"
 
|-style="line-height:1.4em"
 
!{{Nowrap|50音順}}<br />!!名前<br />!!綴り(el)<br />!!綴り(la)<br />!!Il<br />!!SH<br />!!Ov<br />
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}1||アムピュコス||||{{ラテン翻字|el|Ampyx}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}2||エクサディオス||{{el|Εξάδιος}}||{{ラテン翻字|el|Exadios}}||○||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}3||[[カイネウス]]||{{el|Καινεύς}}||{{ラテン翻字|el|Kaineus}}||○||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}4||[[ドリュアース]]||{{el|Δρύας}}||{{ラテン翻字|el|Dryās}}||○||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}5||パレーロス||{{el|Φάληρος}}||{{ラテン翻字|el|Phalēros}}||||○||
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}6||プロロコス||{{el|Πρόλοχος}}||{{ラテン翻字|el|prolochos}}||||○||
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}7||[[ペイリトオス]]||{{el|Πειρίθοος}}||{{ラテン翻字|el|Peirithoos}}||○||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}8||[[ペリパース]]||{{el|Περίφας}}||{{ラテン翻字|el|Periphās}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}9||ホプレウス||{{el|´Οπλεος}}||{{ラテン翻字|el|Hopleus}}||||○||
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}10||[[ポリュペーモス]]||{{el|Πολύφημος}}||{{ラテン翻字|el|Polyphēmos}}||○||||
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}11||[[ポルバース]]||{{el|Φόρβας}}||{{ラテン翻字|el|Phorbās}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}12||[[マカレウス]]||{{el|Μακαρεύς}}||{{ラテン翻字|el|Makareus}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}13||[[モプソス]]||{{el|Μόψος}}||{{ラテン翻字|el|Mopsus}}||||○||○
 
|}
 
 
 
===アルゴー船の冒険===
 
何人かのラピテース族は[[アルゴー船]]の冒険に参加した(下記リストはラピテース族の参加者)。文献によってはペイリトオスを加えているが、[[ロドスのアポローニオス]]『アルゴナウティカ』ではペイリトオスは[[テーセウス]]とともに冥府に捕えわれていたために不参加とされる<ref>ロドスのアポローニオス、1巻101-104。</ref>。[[アポロドーロス]]はカイネウスの名前を挙げているが、一般的なカイネウスの系譜伝承と一致していない<ref>アポロードロス、1巻9・16。</ref>([[ヒュギーヌス]]のリストに、同様の系譜伝承を備えた別人のカイネウスがおり、[[クレータ]]人となっている<ref>ヒュギーヌス、14。</ref>)。対してロドスのアポローニオスはカイネウスの息子[[コローノス]]を挙げており<ref>ロドスのアポローニオス、1巻57-58。</ref>、さらにヒュギーヌスはコローノスに加えて、[[ポーコス]]、プリーアソスの名前も挙げている<ref>ヒュギーヌス、14。</ref>。
 
 
 
;ポリュペーモス
 
[[ロドスのアポローニオス]]はラピテース族の参加者の1人[[ポリュペーモス]]について述べている。彼は[[ヘーラクレース]]の少年[[ヒュラース]]が泉の[[ニュムペー]]にさらわれたとき、誰よりも早くそれに気づいて、ヘーラクレースに少年の行方が分からないことを伝えた。2人はヒュラースを探したが発見できず、その間に他のアルゴナウタイたちは出航してしまった<ref>ロドスのアポローニオス、1巻1177-1283。</ref>。そのためポリュペーモスはその地にとどまって、キオス市を創建した<ref>ロドスのアポローニオス、1巻1321-1323。</ref><ref>ロドスのアポローニオス、1巻1345-1347。</ref>。
 
 
 
; ラピテース族の参加者リスト
 
以下はアポロドーロス(Ap)、『アルゴナウティカ』(AR)、ヒュギーヌス(Hy)による。
 
{| class="sortable wikitable" style="font-size:95%; margin-right:0px;"
 
|-style="line-height:1.4em"
 
!{{Nowrap|50音順}}<br />!!名前<br />!!綴り(el)<br />!!綴り(la)<br />!!Ap<br />!!AR<br />!!Hy<br />
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}1||[[カイネウス]]||{{el|Καινεύς}}||{{ラテン翻字|el|Kaineus}}||○||||
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}2||[[コローノス]]||{{el|Κόρωνος}}||{{ラテン翻字|el|Korōnos}}||||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}3||プリーアソス||||{{ラテン翻字|el|Priāsos}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}4||[[ペイリトオス]]||{{el|Πειρίθοος}}||{{ラテン翻字|el|Peirithoos}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}5||[[ポーコス]]||{{el|Φῶκος}}||{{ラテン翻字|el|Phōkos}}||||||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}6||[[ポリュペーモス]]||{{el|Πολύφημος}}||{{ラテン翻字|el|Polyphēmos}}||○||○||○
 
|-
 
| style="text-align:center;" |{{Display none|順-0}}7||[[モプソス]]||{{el|Μόψος}}||{{ラテン翻字|el|Mopsus}}||||○||○
 
|}
 
 
 
== 芸術作品 ==
 
;パルテノン神殿のメトープ彫刻群
 
[[アテーナイ]]の[[パルテノン神殿]]の[[メトープ]]は方角ごとに異なる神話が描かれた。ラピテース族と[[ケンタウロス]]の戦いは南側である。
 
<center><gallery>
 
File:South metope 4 Parthenon BM.jpg
 
File:South metope 26 Parthenon BM.jpg
 
File:South metope 27 Parthenon BM.jpg
 
File:South metope 28 Parthenon BM.jpg
 
File:South metope 32 Parthenon BM.jpg
 
</gallery></center>
 
 
 
;絵画作品
 
[[File:Piero di Cosimo 015.jpg|center|thumb|800px|[[ピエロ・ディ・コジモ]]が描いた絵画『ラピテス族とケンタウロスの戦い』。1500-1515年頃、71×260cm。[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ロンドン・ナショナル・ギャラリー ]]所蔵。]]
 
<center><gallery>
 
File:Peter Paul Rubens - The Rape of Hippodame, 1636-1638.jpg|[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]『ヒッポダメイアの誘拐』(1637年-1638年頃) [[ベルギー王立美術館]]所蔵
 
File:The Battle of the Lapiths and Centaurs by Sebastiano Ricci, c. 1705, High Museum of Art.jpg|{{仮リンク|セバスティアーノ・リッチ|en|Sebastiano Ricci}}『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1705年頃)[[ハイ美術館]]所蔵
 
File:'Battle of Lapiths and Centaurs' by Luca Giordano, The Hermitage.JPG|[[ルカ・ジョルダーノ]]『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1688年頃)[[エルミタージュ美術館]]所蔵
 
File:Francesco Solimena - Battle between Lapiths and Centaurs - WGA21627.jpg|{{仮リンク|フランチェスコ・ソリメーナ|en|Francesco Solimena}}『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1735年-1740年)個人蔵
 
</gallery></center>
 
 
 
== 脚注 ==
 
 
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
 
 
=== 一次資料 ===
 
* [[アポロドーロス]]『[[ビブリオテーケー|ギリシア神話]]』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
 
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年)
 
* [[ストラボン]]『ギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年)
 
* [[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
 
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
 
* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年)
 
 
 
=== 二次資料 ===
 
* [[高津春繁]]『ギリシア・ローマ神話辞典』[[岩波書店]](1960年)
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Lapiths}}
 
* [[ケンタウロス]]
 
 
 
{{DEFAULTSORT:らひてすそく}}
 
{{Greece-stub}}
 
[[Category:ギリシア神話]]
 
[[Category:ヨーロッパの民族]]
 
[[Category:ラピテース族|*]]
 

2019/5/7/ (火) 18:11時点における最新版



楽天市場検索: