ユーラシア

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ユーラシア (Eurasia) は、ヨーロッパアジアを合わせた領域を示す造語である[1]EurasiaEurope(あるいはEuropa) と Asia からのかばん語である[1]

地勢

面積はおよそ5492万9000平方キロメートルで、地球陸地面積(南極大陸を含む)の40.4%、全表面積の10.8%である。人口は47億1500万人(2006年)で、地球の総人口の72%を占めている[2]

その大部分を、地球最大の大陸であるユーラシア大陸が占める。としては面積順ボルネオ島スマトラ島本州ブリテン島スラウェシ島ジャワ島ルソン島ミンダナオ島北海道本島、樺太本島、九州本島、台湾島海南島などが属する。

ほぼ全周を海に囲まれており、北は北極海、南はインド洋、西は大西洋、東は太平洋に面する。唯一、スエズ地峡アフリカと陸続きであるが、現在は人工のスエズ運河で切り離されている。

伝統的にアジアとヨーロッパに分かれる。自然地理学的にはヨーロッパはユーラシアの西端の半島状の陸塊にすぎず、面積の大部分はアジアである。ただし、「ウラル山脈-カスピ海-カフカス山脈」という伝統的なアジアとヨーロッパの境界は、人やモノの交流の妨げにはあまりなっておらず、数百年にわたりその境界をまたがる大国であるロシア帝国-ソビエト連邦-ロシア連邦が存在してきた結果、ますます意味を失なっている。たとえば、何かの統計や記録が伝統的なアジアとヨーロッパの境界で分けて集計されるということは実際にはない。

ユーラシア大陸

ユーラシア大陸(ユーラシアたいりく、: Eurasia)は、ヨーロッパアジアを合わせた大陸。六大陸の中で一番大きい大陸である。 その語源がユーロ (Euro) + アジア (Asia) と、ユーラシアというかばん語にあることからもわかるように、ヨーロッパアジアとを合わせた地形的に独立した地域を指す。日本語では欧亜大陸(おうあたいりく)とも言う。

かつての古代ギリシア古代ローマ人の地理的な知見は地中海沿岸に限られており、北岸がヨーロッパ、南岸がアフリカ、東岸がアジアと定義された。しかしその後、地理的な知見が拡大するとともに、ヨーロッパとアジアの地理的な境界が明確でない事が明らかとなった、そのため現在では、地理的には両者を一体として、ユーラシア大陸として扱われる。

もっとも現在でも、アジアとヨーロッパの区別は存在するが、その境界は人為的なものなので明確でない。ウラル山脈カスピ海大コーカサス山脈黒海などを境にする説が主流である。

なお、アフリカに関しては、スエズ地峡という明確な境界が存在するため、スエズ地峡以南はアフリカ大陸、以北はユーラシア大陸と、地理的に明確に区分される。ただし、両者は地続きであることから、これを合わせてアフロ・ユーラシア大陸と呼ぶことがある。

面積5492万平方km、全陸地面積の37%を占める。海岸線総延長距離は10万7800km。

モンゴル高原から黒海北岸のキプチャク草原に至る地域を中央ユーラシアと呼ぶ。遊牧民の諸国家と定住民の諸国家が中央ユーラシアをめぐって興亡した。また、中央ユーラシアは東アジア南アジア西アジア、ヨーロッパを結ぶ陸の交易路の結節地帯であり、経済・文化の交流が盛んにおこなわれた地域でもある。その交易路を指してシルクロードと呼ばれる。

N60-90, E0-30 N60-90, E30-60 N60-90, E60-90 N60-90, E90-120 N60-90, E120-150 N60-90, E150-180 N60-90, W150-180
N30-60, W0-30 N30-60, E0-30 N30-60, E30-60 N30-60, E60-90 N30-60, E90-120 N30-60, E120-150 N30-60, E150-180
N0-60, E30-60 N0-60, E60-90 N0-60, E90-120 N0-60, E120-150
経度・緯度30度刻みの地形図によるユーラシア大陸の位置

最端

歴史

ユーラシアの歴史はアフリカの歴史に次いで長いが、当初は、アジアとヨーロッパという、海で隔てられた2つの陸塊があると考えられていた。ユーラシアという概念および言葉が生まれたのは、アジアとヨーロッパが黒海の向こうで繋がっていることが明らかになってからと思われるが、起源ははっきりしない。

ユーラシアという言葉が広まったのは、廣瀬陽子によればハルフォード・マッキンダーが『デモクラシーの理想と現実(Democratic Ideals and Reality)』(Mackinder 1919)の中で、「ユーラシアのハートランド」と「ユーラシアのリムランド」を論じたことが大きく影響しているとされる[1]

ソビエト連邦崩壊後、旧ソ連諸国が自分たちの地域をユーラシアと表現することが増えてきており、特にユーラシア連合の提案者でユーラシア主義を信奉するカザフスタンヌルスルタン・ナザルバエフは熱心であり、ユーラシア国立大学[3]、ユーラシア・フォーラム[4]ユーラシア文化財団、ユーラシア開発銀行[5]、ユーラシア銀行[6]などを創設、ユーラシア経済共同体ユーラシア経済連合の創設条約は何れもカザフスタンで調印されている。

ユーラシア人

ユーラシア人には、ヨーロッパ人アジア人との混血という意味がある。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 廣瀬陽子 「第6章 ユーラシア統合の理想と現実」『地域統合の現在と未来』 日本国際問題研究所、2013-3。全国書誌番号:22277915
  2. 国際連合 Demographic Yearbook 2006 よりアジアとヨーロッパを加算。
  3. L. N. Gumilyov Eurasian National University”. Emu.kz (2010年7月29日). . 2010閲覧.
  4. The Eurasian Media Forum”. Eamedia.org. . 2010閲覧.
  5. Eurasian Development Bank”. Eabr.org. 2010年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.
  6. Eurasian Bank”. Eurasian-bank.kz. . 2010閲覧.

外部リンク