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|市場情報 =  {{上場情報 | 東証1部 | 3103}}{{上場情報 | 大証1部 | 3103 || 2013年7月15日}}
 
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|本社郵便番号 = 541-8566
 
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|本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]久太郎町四丁目1番3号 大阪センタービル
 
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|本店郵便番号 = 660-0824  
 
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|本店所在地 = [[兵庫県]][[尼崎市]]東本町1丁目50番地
 
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|設立 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[6月19日]](有限責任尼崎紡績会社)
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|設立 = 1889年
 
|業種 = 繊維製品
 
|業種 = 繊維製品
 
|統一金融機関コード =  
 
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|事業内容 =  
 
|事業内容 =  
|代表者 = [[代表取締役]][[社長]][[執行役員]] [[注連浩行]]<br>代表取締役[[専務]]執行役員 [[安岡正晃]]<br>代表取締役[[常務]]執行役員 [[上埜修司]]
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|代表者 =  
|資本金 = 100百万円
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|会計監査人 =  
|発行済株式総数 = 577,559千株
 
|売上高 = 単体:79,040百万円<br />連結:126,219百万円
 
|営業利益 = 単体:9,823百万円<br />連結:12,538百万円
 
|純利益 = 単体:7,845百万円<br />連結:7,389百万円
 
|純資産 = 単体:46,236百万円<br />連結:45,264百万円
 
|総資産 = 単体:192,061百万円<br />連結:211,872百万円
 
|従業員数 = 単体:1,112〔235〕人<br />連結:3,671〔790〕人※1
 
|支店舗数 =
 
|決算期 = 3月31日
 
|会計監査人 = [[有限責任監査法人トーマツ]]
 
|主要株主 = [[日本マスタートラスト信託銀行]]株式会社(信託口) 5.41%<br />株式会社[[三菱UFJ銀行]] 4.04%<br />[[日本トラスティ・サービス信託銀行]]株式会社(信託口) 2.86%<br />STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505325(常任代理人株式会社みずほ銀行決済営業部) 1.94%<br />日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口5) 1.82%<br />ユニチカ従業員持株会 1.81%<br />MORGAN STANLEY & CO. LLC(常任代理人モルガン・スタンレーMUFG証券株式会社) 1.73%<br />CHASE MANHATTAN BANK GTS CLIENTS ACCOUNT ESCROW(常任代理人株式会社みずほ銀行決済営業部) 1.68%<br />EUROCLEAR BANK S.A./N.V(常任代理人株式会社三菱東京UFJ銀行) 1.41%<br />[[大同生命保険]]株式会社(常任代理人日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社) 1.38%
 
|主要子会社 = [[#グループ主要企業|グループ主要企業]]参照
 
|関係する人物 = [[田代重右衛門]]<br />[[小寺源吾]]<br />[[原吉平]]<br />[[坂口二郎]]<br />[[菊池文吾]]<br />[[広岡信五郎]]
 
 
|外部リンク = http://www.unitika.co.jp/
 
|外部リンク = http://www.unitika.co.jp/
|特記事項 = 経営指標は 2017年3月 第207期 [[有価証券報告書]]<br />※1従業員数は就業人員数(当社グループからグループ外への出向者を除き、グループ外から当社グループへの出向者を含む。)であり、臨時従業員数は( )内に年間の平均人員数を外数で記載。<br />東京本社は[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]日本橋本石町4-6-7 日本橋日銀通りビルに所在。
+
|特記事項 =  
 
}}
 
}}
'''ユニチカ株式会社'''(英称:''Unitika Ltd.'')は、本店を[[兵庫県]][[尼崎市]]に、本社を[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]と[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]に置く、[[日本]]の[[繊維]]メーカーである。近年は繊維事業だけでなく[[高分子]]事業・機能材事業などにも進出している。[[三菱東京UFJ銀行]]系[[みどり会]]メンバー。
+
'''ユニチカ株式会社'''(英称:''Unitika Ltd.'')
 
 
コーポレート・スローガンは「''We Realize It!''」。
 
 
 
== 事業内容 ==
 
* 繊維事業
 
* 高分子事業
 
** 同時二軸延伸[[ナイロン]]フィルム、生分解性[[重合体|ポリマー]]「テラマック」など
 
* 機能材事業
 
* その他
 
 
 
== 事業所 ==
 
* 本社(大阪、東京)
 
* 中央研究所([[京都府]][[宇治市]]。宇治工場と隣接している)
 
* 事業所
 
**岡崎([[愛知県]][[岡崎市]]
 
**豊橋([[愛知県]][[豊橋市]]) 閉鎖済
 
**垂井([[岐阜県]][[不破郡]][[垂井町]])
 
**坂越([[兵庫県]][[赤穂市]])
 
**宇治([[京都府]][[宇治市]])
 
* 研修センター(大阪府貝塚市)閉鎖済
 
* 海外事務所:デュッセルドルフ、上海
 
 
 
== 沿革 ==
 
[[File:Unitika kinenkan 01.jpg|thumb|290px|ユニチカ記念館(兵庫県尼崎市東本町)<br />(元 尼崎紡績株式會社本社事務所)<br />(登記上の本店所在地)]]
 
[[File:Unitika-Okazaki-1.jpg|thumb|290px|岡崎事業所(愛知県岡崎市[[日名北町]])]]
 
*  [[1889年]]([[明治]]22年) [[6月19日]] - 尼崎の有志と大阪財界の出資により有限責任尼崎紡績会社を創立。(資本金50万円)。
 
* [[1900年]](明治33年)12月 – 綿糸の製造を開始。
 
* [[1902年]](明治35年) 2月 – 大阪株式取引所に株式上場。
 
* [[1904年]](明治37年) 7月 - 商法施行に伴い尼崎紡績株式会社と改称。
 
* [[1909年]](明治42年) 5月 - 綿布の製造を開始。
 
* [[1918年]]([[大正]]7年) 6月 - 摂津紡績株式会社を合併し、商号を大日本紡績株式会社と改称。
 
* [[1926年]](大正15年) 3月 - 日本レイヨン株式会社を設立し、レーヨン糸の製造を開始。
 
* [[1933年]]([[昭和]]8年) 9月 - 羊毛紡績を開始。
 
* [[1949年]](昭和24年) 5月 - 証券取引所再開により上場再開。
 
* [[1950年]](昭和25年)10月 - ビニロン繊維の製造を開始。
 
* [[1955年]](昭和30年)10月 - 日本レイヨン株式会社はナイロン繊維の製造を開始。
 
* [[1958年]](昭和33年)12月 - 日本レイヨン株式会社は成型用ナイロン樹脂の製造を開始。
 
* [[1964年]](昭和39年) 2月 - 日本レイヨン株式会社はポリエステル繊維の製造を開始。
 
* [[1964年]](昭和39年) 4月 - 商号を大日本紡績株式会社からニチボー株式会社と改称。
 
* [[1966年]](昭和41年) 4月 - 日本レイヨン株式会社は日本エステル株式会社を設立し、ポリエステル繊維の製造を移管。
 
* [[1968年]](昭和43年) 7月 - 日本レイヨン株式会社はナイロン2軸延伸フィルムの製造を開始。
 
* [[1969年]](昭和44年)10月 - ニチボー株式会社が存続会社として、日本レイヨン株式会社と合併し、商号をユニチカ株式会社と改称。初代社長は[[坂口二郎]]
 
* [[1969年]](昭和44年)10月 - 住宅、不動産事業に進出。
 
* [[1970年]](昭和45年) 6月 - 水処理設備、焼却炉など公害防止事業(後の環境プラント事業)に進出。
 
* [[1971年]](昭和46年) 6月 - ポリエステル不織布スパンボンドの製造を開始。
 
* [[1977年]](昭和52年) 6月 - ユニチカ化成株式会社、ユニチカレーヨン株式会社を設立し、ビニロン事業、レーヨン事業を分離。
 
* [[1982年]](昭和57年) 9月 - 抗血栓性カテーテルの製造を開始し、医療品事業(後のメディカル事業)に進出。
 
* [[1984年]](昭和59年) 4月 - ユニチカウール株式会社を設立し、羊毛事業を分離。
 
* [[1985年]](昭和60年) 6月 - アモルファス金属繊維、活性炭繊維の製造を開始。
 
* [[1989年]]([[平成]]元年)10月 - ユニチカ化成株式会社、ユニチカレーヨン株式会社、ユニチカウール株式会社の繊維事業3社及びユニチカビルディング株式会社、株式会社ユニチカ京都ファミリーセンター、株式会社ユニチカオークタウン、ユニチカ興発株式会社の不動産賃貸業4社を吸収合併。
 
* [[1999年]](平成11年) 3月 - ユニチカテキスタイル株式会社を設立し、綿・羊毛事業を分離。
 
* 1999年(平成11年)10月 - ユニチカファイバー株式会社を設立し、化合繊事業を分離。
 
* [[2002年]](平成14年) 5月 - 日本酢ビ・ポバール株式会社に酢ビ・ポバール事業を分割。
 
* [[2003年]](平成15年) 3月 - ユニチカロジスティクス株式会社、ユニチカスパンボンドプロダクツ株式会社、ユニチカセントラルサービス株式会社を設立し、物流事業、不織布製造事業、福利厚生・不動産賃貸業務の一部を分離。
 
* [[2004年]](平成16年) 9月 - ユニチカ宇治プロダクツ株式会社、ユニチカリアルティ株式会社を設立し、樹脂及びフィルム製造事業、不動産管理業務の一部を分離。
 
* [[2005年]](平成17年) 4月 - ユニチカグラスファイバー株式会社、株式会社ユニオンのガラス関連事業2社の営業・開発部門を本社に吸収。
 
* [[2007年]](平成19年)10月 - ユニチカ宇治プロダクツ株式会社、ユニチカスパンボンドプロダクツ株式会社、株式会社ユニチカプロテック坂越の製造事業3社を吸収合併。
 
* [[2009年]](平成21年)10月 - ユニチカファイバー株式会社の産業資材事業を分割により承継、ユニチカファイバー株式会社の衣料販売事業、ユニチカテキスタイル株式会社及びユニチカサカイ株式会社の販売事業を分割によりユニチカトレーディング株式会社に承継。
 
* [[2010年]](平成22年) 1月 - ユニチカビジネスサービス株式会社を吸収合併。
 
* [[2011年]](平成23年) 4月 - 環境プラント事業を[[日立造船]]グループに譲渡。
 
* [[2012年]](平成24年) 5月 - 寺田紡績株式会社(現・[[テラボウ]]株式会社)を[[株式交換]]により完全子会社化。
 
* [[2014年]](平成26年) 5月26日 - メインバンクに対し金融支援を要請<ref>{{cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDC2600K_W4A520C1EA1000/|title=多角化遅れた繊維の名門 ユニチカ、金融支援を要請 |author=日本経済新聞|accessdate=2014-05-27}}</ref><ref>[http://www.unitika.co.jp/news/io-pdf/00419.pdf 第三者割当による種類株式の発行、定款一部変更、資本金、資本準備金及び利益準備金の額の減少、剰余金の処分並びに金融支援要請に関するお知らせ]</ref>。
 
* 2014年(平成26年) 7月17日 - 借入先金融機関と債務返済の延期を合意<ref>[http://www.unitika.co.jp/news/io-pdf/00430.pdf 債務残高の維持を目的とした債務返済条件の変更等に関する借入先金融機関からの同意書取得についてのお知らせ]</ref>。
 
* 2014年(平成26年) 7月31日 - 借入先金融機関への債務返済を目的とした種類株式発行、投資ファンドへの種類株式発行、資本金約1億円への減資を実施<ref>[http://www.unitika.co.jp/news/io-pdf/00433.pdf 第三者割当による種類株式の払込完了、資本金、資本準備金及び利益準備金の額の減少並びに剰余金の処分の効力発生に関するお知らせ]</ref>。
 
* 2014年(平成26年)10月 - ユニチカロジスティクス株式会社を吸収合併。
 
* [[2015年]](平成27年) 2月 - 株式会社ユニチカ京都ファミリーセンターの株式を譲渡。
 
* 2015年(平成27年) 3月 - メディカル事業を[[ニプロ]]株式会社に譲渡。生活健康事業を株式会社[[ダイセル]]に譲渡。ユニチカ赤穂開発株式会社の株式を譲渡。
 
* 2015年(平成27年) 4月 - ユニチカバークシャー株式会社の株式を[[福助]]株式会社に譲渡。
 
* 2015年(平成27年) 5月 - ダイアボンド工業株式会社の株式を譲渡。
 
* 2015年(平成27年) 6月 - ユニチカ情報システム株式会社の株式を譲渡。株式会社ユニチカ環境技術センター(現・株式会社環境総合リサーチ)の株式を[[建設技術研究所 (企業)|株式会社建設技術研究所]]に譲渡。
 
* 2015年(平成27年) 9月 - 金属繊維事業を[[愛知製鋼]]株式会社に譲渡。
 
* [[2016年]](平成28年) 3月 - 株式会社ユニチカエステート(現・ユニハイムエステート株式会社)の株式を譲渡。
 
* 2016年(平成28年)4月 - ユニチカリアルティ株式会社及びユニモア株式会社を吸収合併。
 
* [[2017年]](平成29年)3月10日 - [[自衛隊]]の[[戦闘服]]などの[[入札]]で[[談合]]を繰り返していたなどとして、[[公正取引委員会]]から[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律#排除措置命令|排除措置命令]]を受けた上、[[課徴金]]2億2,300万円の支払い命令を受ける<ref>[http://www.unitika.co.jp/news/company/170310-678.html?page=1 公正取引委員会からの排除措置命令および課徴金納付命令について] ユニチカ 2017年3月10日</ref>。
 
* 2017年(平成29年) 8月23日 - 愛知県豊橋市から借り入れていた工場用地を事業所閉鎖の上、売却したことに住民側が訴訟を起こす<ref>[http://www.sankei.com/west/news/160823/wst1608230060-n1.html ユニチカ用地売却で提訴 住民ら愛知・豊橋市に損賠請求を求め 「所有権ない」と市当局] [[産経新聞|産経]]WEST 2017年8月25日</ref>。
 
* [[2018年]](平成30年) 2月8日 前年の訴訟において、[[名古屋地方裁判所]]から当時の豊橋市長に対し、63億円の損害賠償請求を求める判決を受けた。<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180208-00000038-mai-soci 名古屋地裁 住民、豊橋市に勝訴 ユニチカ用地売却訴訟] [[毎日新聞]] 2018年2月8日</ref>。
 
 
 
== ユニチカ(UNITIKA)の社名の由来 ==
 
ニチボーと日本レイヨン(ニチレ)の合併時、旧社名には関わりのない新しい社名であること、及び、新社名がそのまま商標に使用できることを条件として、全社員から新社名の募集を行った。応募は約2万5000点に及んだが、その多くはすでに[[商標]]登録されており、特に3 - 4字のカタカナの名称で登録されていないものを選ぶのは難しかった。
 
 
 
そのため、両社は協議を行って、英語で「結合した」を意味する「ユナイテッド」(united)の『ユ』、両社の社名に共通する頭2文字の『ニチ』、英語で「会社」を意味する「カンパニー」(company)の『カ』を組み合わせ、ニチボーと日本レイヨンとが結びついた会社であることを意味する「ユニチカ」を社名とすることを決定した<ref>{{PDFlink|[http://www.unitika.co.jp/company/pdf/archive/unitika-history01.pdf ユニチカ百年史 ユニチカ編・通史編 1章 ニチボー・日本レイヨンの合併(昭和44年)]}}</ref><ref>社名の由来 本間之英著 講談社 2002年</ref>。
 
 
 
== スポーツ活動 ==
 
かつては[[#ニチボー貝塚|貝塚工場の女子バレーボール部]]が著名であった。
 
 
 
バレーボール部のみならず[[1975年女子バスケットボール世界選手権|1975年世界選手権]]で準優勝を果たした[[バスケットボール女子日本代表|日本代表]]の半数以上を輩出した平野工場(後に山崎工場)の[[ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)|女子バスケットボール部]]や[[宇津木妙子]]が現役時代に所属したことで知られる垂井工場のソフトボール部、常盤工場の軟式庭球部、宇治工場の陸上競技部も強豪であった。
 
 
 
=== ニチボー貝塚 ===
 
{{main|ユニチカ・フェニックス}}
 
[[1954年]]([[昭和]]29年)にユニチカの前身である大日本紡績は、貝塚工場に全社統一の女子[[バレーボール]]部を設立した。それが日本女子バレー史に燦然と輝くニチボー貝塚である。
 
 
 
[[1961年]](昭和36年)のヨーロッパ遠征では24戦全勝の戦績を残し[[東洋の魔女]]と呼ばれた。[[1962年]](昭和37年)の[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]には単独チームで参加し優勝している。[[1964年]](昭和39年)の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]でもほとんどの[[バレーボール全日本女子|日本代表]]を輩出し金メダル獲得に大きな貢献をした。長らく無敗であったが、[[1966年]](昭和41年)に258連勝でストップした当時、この出来事は社会的な事象として取り扱われた。
 
 
 
[[1969年]](昭和44年)からチーム名はユニチカ貝塚と変わったものの、日本女子バレーボールを牽引してきた。
 
 
 
[[1994年]]([[平成]]6年)に日本リーグが[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vリーグ]]にリニューアルされてからはチームの愛称を[[ユニチカ・フェニックス]]にした(女子バスケットボール部も同じ愛称)。企業業績の悪化を受け、[[2000年]](平成12年)[[7月]]に活動を停止し、選手などは[[東レ]]に完全移籍という形を取り、チームは[[東レ・アローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]]に生まれ変わった。
 
 
 
なお、「[[ユニチカ・フェニックス (ラグビー)|フェニックス]]」は[[2005年]](平成17年)からユニチカ[[ラグビー]]部([[トップウェスト]]A所属)の愛称として再び使用されている。[[2007年]]度(平成19年度)より組織が改変され、トップウェストA1所属となる。
 
 
 
== ユニチカマスコットガール ==
 
{{main|ユニチカマスコットガール}}
 
[[1974年]]([[昭和]]49年)に[[風吹ジュン]]を起用して以来、「ユニチカ[[キャンペーンガール|マスコットガール]]」を企業シンボルとして採用している。任期は1 - 3年間で、これまでに[[手塚理美]]、[[紺野美沙子]]、[[大友みなみ]]、[[松田莉奈]]などを選出している。
 
 
 
また[[1970年]](昭和45年)から[[水着キャンペーンガール]]「ユニチカスイムウェアキャンペーンモデル」を採用していた。[[カイヤ]]、[[夏川結衣]]、[[内田有紀]]、[[本上まなみ]]、[[米倉涼子]]、[[北川弘美]]、[[滝沢沙織]]と多くの[[タレント]]、[[俳優|女優]]を輩出した。[[2000年]](平成12年)より[[ユニチカマスコットガール]]に統合されている<ref>[http://www.unitika.co.jp/amuse/history/ ユニチカマスコットガール&スイムウェアキャンペーンモデル アーカイブ]</ref>。
 
 
 
== グループ主要企業 ==
 
{| 
 
|- 
 
| valign="top"|
 
* 株式会社[[アドール (化学品メーカー)|アドール]](宇治市)
 
* [[大阪染工]]株式会社(三島郡島本町)
 
* 株式会社[[上條精機]](宇治市)
 
* 株式会社[[コソフ]](久世郡久御山町)
 
* [[テラボウ]]株式会社(貝塚市)
 
* [[日本エステル]]株式会社(大阪市中央区)
 
* [[ユーシーエス]]株式会社(久世郡久御山町)
 
* 株式会社[[ユニオン (企業)|ユニオン]](枚方市)
 
* [[ユニオン興産]]株式会社(枚方市)
 
| valign="top"|
 
* [[ユニチカガーメンテック]]株式会社(貝塚市)
 
* [[ユニチカグラスファイバー]]株式会社(宇治市)
 
* [[ユニチカスパークライト]]株式会社(南丹市)
 
* [[ユニチカスピニング]]株式会社(松浦市)
 
* [[ユニチカ設備技術]]株式会社(宇治市)
 
* [[ユニチカテキスタイル]]株式会社(総社市)
 
* 株式会社[[ユニチカテクノス]](宇治市)
 
* [[ユニチカトレーディング]]株式会社(大阪市中央区)
 
* [[ユニチカメイト]]株式会社(大阪市中央区)
 
|}
 
  
 +
総合繊維会社。三和グループ系企業 1889年尼崎紡績として設立,1918年摂津紡績を合併して大日本紡績と改称,64年ニチボーと改称,69年日本レイヨン (1926年大日本紡績から分離独立して設立) と合併して現社名に変更。天然繊維,化合成繊維の総合素材メーカーとして原綿から最終紡績加工製品まで一貫生産を行なっている。 72年には事業部制を施行して新体制を整え,プラスチック,エンジニアリング,住宅産業,医療品などの非繊維分野にも進出した。売上構成比は,ナイロン 11%,ポリエステル 24%,綿4%,毛3%,製品3%,非繊維 50%,その他6%。
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.unitika.co.jp/ ユニチカ株式会社 公式ウェブサイト]
 
* [http://www.unitika.co.jp/ ユニチカ株式会社 公式ウェブサイト]
 
+
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{{Commonscat|Unitika}}
 
{{みどり会}}
 
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2018/10/5/ (金) 11:21時点における最新版

ユニチカ株式会社(英称:Unitika Ltd.

総合繊維会社。三和グループ系企業 1889年尼崎紡績として設立,1918年摂津紡績を合併して大日本紡績と改称,64年ニチボーと改称,69年日本レイヨン (1926年大日本紡績から分離独立して設立) と合併して現社名に変更。天然繊維,化合成繊維の総合素材メーカーとして原綿から最終紡績加工製品まで一貫生産を行なっている。 72年には事業部制を施行して新体制を整え,プラスチック,エンジニアリング,住宅産業,医療品などの非繊維分野にも進出した。売上構成比は,ナイロン 11%,ポリエステル 24%,綿4%,毛3%,製品3%,非繊維 50%,その他6%。

脚注

外部リンク



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