「ヤハウェ」の版間の差分

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{{Redirect|エホバ|エホバの証人|エホバの証人}}
+
(ヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄、古アラム語: 𐡉𐡄𐡅𐡄)
{{複数の問題
 
| 出典の明記 = 2014年11月
 
| 観点 = 2011年11月
 
}}
 
  
[[File:Tetragrammaton scripts.png|180px|thumb|right|[[フェニキア文字]]、[[アラム文字]]、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名<ref name="R2L" group="注" />]]
+
預言者[[モーセ]]に啓示されたとされる[[イスラエル]]の神の名。ヤーベ,エホバともいう。
'''ヤハウェ'''({{lang-he|יהוה}}、[[フェニキア語]]: {{lang|phn|𐤉𐤄𐤅𐤄}}、{{仮リンク|古代アラム語|en|Old Aramaic language|label=古アラム語}}: {{lang|oar|𐡉𐡄𐡅𐡄}})は[[旧約聖書]]および[[新約聖書]]における[[唯一神]][[]]である。
 
  
この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成され、'''神聖四文字'''、'''テトラグラマトン'''と呼ばれる。神聖四文字とこれを「アドナイ」(わが主)と読み替えるための母音記号とを組み合わせた字訳に基づいて「Jehovah」{{refnest|group="注"|英語では {{ipa|dʒɪˈhoʊvə}}<ref>研究社『リーダズ英和辞典 第2版』</ref> ジホウヴァと発音。}}とも転写され、日本語では'''エホヴァ'''、'''エホバ'''([[文語訳聖書]]では'''ヱホバ''')とも表記される。遅くとも14世紀には「{{スペル|Jehova|lang=he-Latn}}<sup>原文ママ</sup>」という表記が使われ、16世紀には多くの著述家が Jehovah の綴りを用いている<ref>{{Cite wikisource|title=1911 Encyclopædia Britannica/Jehovah|nobullet=yes}}</ref>。近代の研究によって復元された原音に基づいて、これを「Yahweh(ヤハウェ)」と読むのが主流となっている<ref>キリスト聖書塾編集部 『ヘブライ語入門』 キリスト聖書塾、1985年、399頁。</ref>。
+
ヘブライ語の4子音で表記されるところから4文字 (通常ヘブライ語は3子音) といわれる。「ありてある者」「ともにある者」「あらしめる者」などの意といわれるが定説はない。またモーセが避難した妻の実家ケニ人の神との説もあるが疑わしい。
  
本項に示す通り、この[[]]を指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。
+
イスラエル固有の神で,すでにモーセ以前に知られていたらしい。ユダヤ人は過度の尊敬からヤハウェを口にせず,代りにアドナイ (私の主) と呼び,七十人訳 (セプトゥアギンタ) もこれをとってキュリオス (主) と訳している。 70年の[[エルサレム]]陥落後,大祭司に相伝された4文字の正確な発音が彼らとともに失われたことも,4文字をアドナイとのみ読む原因となった。
  
{{See also|1=[[アッラーフ]]|2=[[アブラハムの宗教]]}}
+
キリスト教ではしばしば「ヤハウェ」の発音を使用している。 ([[テトラグラマトン]] )  
  
== 普通名詞 ==
+
*[[]]
ヤハウェを指して、いくつかの[[普通名詞]]もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。次にヘブル語表現をカタカナで、また対応する訳語を漢字で示す。
+
*[[モーセ]]
*アドナイ [[#主|主]]
+
*[[ユダヤ人]]
*[[エール_(神)|エル]](単数形)
 
*エロヒム(複数形) [[#神|神]]、[[#上帝|上帝]]
 
=== 主 ===
 
[[日本語訳聖書]]では今日、一般に、原文において「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」とある箇所を「主」と訳す。これはおもに、[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述する[[ユダヤ人]]の[[慣習]]による。今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するためである。[[カトリック教会|カトリック]]系の『[[フェデリコ・バルバロ|バルバロ]]訳』のほか、『[[口語訳聖書]]』([[日本聖書協会]])などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『[[新共同訳聖書]]』(同)も、一部の地名(『[[創世記]]』第22章14節、[[#固有名詞]]で後述)を除き、一貫して「主」とする。[[プロテスタント]][[福音派]]系の『[[新改訳聖書]]』では太字で「'''主'''」とする。これは「文語訳ではエホバ<ref group="注">原文まま。正しくは[[歴史的仮名遣]]で「ヱホバ」。</ref>と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「'''主'''」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の&lt;主&gt;を意味することば」とを区別するためである<ref>『新改訳聖書』あとがき。</ref>。[[1893年]]の時点で[[日本聖公会]]も、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている<ref> 『[{{NDLDC|824981/32}} 日本聖公会祈祷文訂正委員報告]』p.52 [[1893年]]</ref>。
 
 
 
主に「英語圏」・「スラブ語圏」となるが 実際の「聖四文字」の表記例を「出エジプト記20」から挙げる。
 
 
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
 
<div class="NavHead">表記例</div>
 
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
 
 
 
"TANAKH (英語圏ユダヤ教徒用英訳)1985">"Lord"
 
 
 
"The Holy Bible in Today's Version 1997">"ΚυριοωS"
 
 
 
"Tyndale 1530">"Lord"
 
 
 
"Wycliffe 1382">"Lord"
 
 
 
"GENEVA 1560 1599">"Lord"
 
 
 
"VULGATAE 1710">"Domini(主)"
 
 
 
"VULGATAE 1985">"Domini(主)"
 
 
 
"King James Version 1611">"LORD"
 
 
 
"Revised Version 1885">"LORD"
 
 
 
"Revised Version Standard American Edition 1901">"Jehova"
 
 
 
"American Standard Version(同上)1901">"Jehovah"
 
 
 
"New Catholic Edition 1954">"Lord"
 
 
 
"THE BIBLE IN BASIC ENGLISH 1949">"Lord"
 
 
 
"REVISED STANDARD VERSION 1971">"LORD"
 
 
 
"RSV CATHOLIC EDITION 2004">"LORD"
 
 
 
"THE MOFFATT TRANSLATION 1972">"the Eternal"
 
 
 
"New American Standard Bible 1973">"Lord"
 
 
 
"New World Translation 1984">"Jehovah"
 
 
 
"NEW REVISED STANDAD VERSION 1989">"Lord"
 
 
 
"THE NEW KING JAMES VERSION 1990">"LORD"
 
 
 
"THE BIBLE for children 1990 ">"Lord"
 
 
 
"The New Amarican Bible 1992">"LORD"
 
 
 
"NEW LIVING TRANSLATION 1997">"LORD"
 
 
 
"DOUAY-RHEMS 1900(NT) 2003 2007">"Lord"
 
 
 
"Recovery Version 2003">"Jehovah"
 
 
 
"ENGLISH STANDARD VERSION 2001">"LORD"
 
 
 
"NEW INTERNATIONAL VERSION 1986 2011(改訂)">"LORD"
 
 
 
"New Revised S tandard Version Catholic Edition 2011">"LORD"
 
 
 
"Welsh Y BEIBL 1977 2004">"ARGLWYDD"
 
 
 
"Russian БИБЛИЯ 1948 1993 2000">"Господь(主)"
 
 
 
"Bulgarian БИБЛИЯ 1951">"Иеова(Ieowa)"
 
 
 
"Bulgarian Orthodox Church БИБЛИЯ 1982">"Господ(主)"
 
 
 
"Ukraina БИБЛИЯ 1962 1992 2011">"Господь(主)"
 
 
 
"Estonia Biibli Raamat 1945">"Jehowa"
 
 
 
"Estonia PIIBEL 1997">"Issand(主)"
 
 
 
"Yugoslavia СВЕТО ПИСМО 2009">"Господ(主)"
 
 
 
"Hungary SZENT BIBLIA 1957 2008">"Ur"
 
 
 
"Rumanian 1962">"Domnul"
 
 
 
"Polish BIBLIA SWIETA 1959 1999">"Pan(主)"
 
 
 
"Polish PISMO SWIETA 1994 2011">"Pan(主)"
 
 
 
"Serbian СВЕТО ПИСМО 1953 1998">"Господ(主)"
 
 
 
"Croatian SVETO PISMO 1962 1997">"Gaspodin(主)"
 
 
 
"Czech BIBLE SVATA 1991">"Hospodin(主)"
 
 
 
"Slovenian SVETO PISMO 1960">"Gospod(主)"
 
 
 
"Die Bibel (M.L) 1962 1975">"Herr""
 
 
 
"ZURCHER BIBEL 1971">"Herr"
 
 
 
"ZURCHER BIBEL 2007">"HERR"
 
 
 
"German BIBEL OT 1922">"Jahwes"
 
 
 
"Dem Heiligen Seift 1936 1937">"Herr"
 
 
 
"Nederlans BIJBEL 1930">"HERRE"
 
 
 
"Nederlans BIJBEL 2005">"HERR"
 
 
 
"Denmark BIBELEN 2006">"Herren"
 
 
 
"Norway BIBELEN 1962 2006">"Herren"
 
 
 
"Finland PYHA RAAMATTU 1961">"Herra"
 
 
 
"Swedish BIBELEN 1961">"HERREN"
 
 
 
"Swedish BIBELN 2000">"Herren"
 
 
 
"Icelandic BIBLIAN 1981">"Drottinn(主)"
 
 
 
"Icelandic BIBLIAN 1998">"Drottinn(主)"
 
 
 
"LA SANTA BIBLIA 1960">"Jehova"
 
 
 
"La Sainte Bible 1979">"l'Eternel"
 
 
 
"Italian LA SACRA BIBBIA 1961">"Signore"
 
 
 
"Italian BIBBIA 1985">"Signore"
 
 
 
</div>
 
</div>
 
 
 
=== 神 ===
 
旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音で[[エール (神)|エール]])やその複数形「{{lang|he|אלהים}}(エロヒム)」<ref group="注">「エローヒーム」「エロヒーム」とも読む。</ref>もヤハウェの呼称として用いられる。一般に、[[日本語訳聖書]]ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は[[聖書翻訳#中国語|漢訳聖書]]での訳語を踏襲し神とするものが多い。「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。
 
 
 
=== 上帝 ===
 
{{seealso|聖書翻訳#中国語}}
 
[[聖書翻訳#中国語|中国語の聖書]]には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものが多数存在した。今日も多く使われる[[和合本]]という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、2文字の「上帝」と同じ文字送りにしたものが多い<ref group="注">一時期[[上帝版|上帝]]版聖書が席巻して、[[神]]版聖書を駆逐して、その後神という聖句を入れた[[聖書]]が出来たので、一文字空いているという状態。</ref>。
 
 
 
「[[神]]」の字が、「{{lang|he|אלהים}}」または「{{lang|he|אלוהים}}」、古代ギリシャ語「{{lang|grc|Θεός}}(テオス)」、英語「{{lang|en|God}}」<ref group="注">大文字で始まることに注意。</ref>の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた[[清]]におけるキリスト教宣教の先駆者である、[[ロバート・モリソン (宣教師)|ロバート・モリソン]]による漢文聖書においてであった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、120〜131ページ、ISBN 4480853014</ref>。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の[[1840年]]代から[[1850年]]代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。大きく分けて「[[上帝]]」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書のモリソン訳の流れを汲む[[イライジャ・コールマン・ブリッジマン|ブリッジマン]]・カルバートソンによる[[聖書翻訳#中国語|漢文訳聖書]]<ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1863otbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『舊約全書』江蘇滬邑美華書館]、[[1863年]]</ref><ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1861ntbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『新約全書』上海美華書局]、[[1863年]]</ref>は、「神」を採用していた。
 
 
 
多数の[[日本語訳聖書]]はこの流れを汲み<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、160〜162ページ、ISBN 4480853014</ref>、[[1938年]]には「神」という用語についてキリスト教神学者[[前島潔]]が論じることはあった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、122ページ、ISBN 4480853014</ref>ものの、今日に至るまで適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに「神」を翻訳語として採用するものが多数となっている。
 
 
 
== 固有名詞 ==
 
[[旧約聖書]]すなわち[[ヘブライ語聖書]]の原文には、ヘブライ語で記された名前「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」<ref name="R2L" group="注">ヘブライ語は右から左に読む</ref>が6859回登場するとされている。
 
 
 
これは4文字の[[ヘブライ文字]]からなることから、[[ギリシャ語]]では「{{lang|el|Τετραγράμματον}}(テトラグラマトン)」(神聖四文字、原義は「四字」)とも呼ばれる。
 
 
 
[[アラム文字]]でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字は[[フェニキア文字]]で書かれていたとされる<ref>『ヘブライ文字の第一歩』p.2</ref>。
 
 
 
ちなみにこの4文字はラテン文字では「{{スペル|YHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|IHVH|lang=he-Latn}}」などと翻字される。
 
 
 
『[[新共同訳聖書]]』付録には、「神聖四文字 {{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」について次のように記されている。{{Quotation|この語の正確な読み方は分からないが一般に[[#ヤーウェ|ヤーウェ]]またヤハウェと表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「[[イザヤ]]」「[[エレミヤ]]」)など)|『[[新共同訳聖書]]』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)}}なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの[[固有名詞]]は[[新約聖書]]には登場しない。[[写本#ユダヤ教・初期キリスト教|写本]]などの研究から、原文の新約聖書にも使用されなかったと考えられている<ref group="注">但し「エホバの証人」の書である、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「新世界訳 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使いが」というように 彼らによれば「新約聖書」中で約30例使用している。ヘブライ語で新たにおこした新約聖書では、同箇所を"יהוה 
 
 
 
מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述している。英語圏ユダヤ人用新約聖書では、同箇所を"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述している。</ref>。文語訳聖書中でも[[イエス・キリスト]]が旧約聖書から引用したと思われる箇所で、この固有名詞は登場していない<ref>[[s:申命記(文語訳)#8:3|申命記(文語訳)#8:3]]と[[s:マタイ傳福音書(文語訳)#4:4|マタイ傳福音書(文語訳)#4:4]]を比較</ref>。
 
 
 
=== 発音 ===
 
もともとヘブライ語は[[母音]]の[[表記法]]を持たなかった。[[語幹]]は子音だけから成り[[活用]]を母音だけで表すため、[[語]][[句]]や[[文章]]は[[子音文字]]のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の[[語彙]]力によった。この方式を[[アブジャド]]といい、[[アラビア語|現代アラビア語]]などにもみられる。
 
 
 
やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては[[死語 (言語学)|死語]]になり、ヤハウェにあたる語を何と読むか、正確な発音は消失した。[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。
 
 
 
しかし後に、[[ニクダー]]もしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。
 
 
 
また、すでにユダヤ人は、[[詠唱]]の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述)<ref>[[:wikt:en:אדני|אדני]]</ref>と読み替えるようになっていた。
 
 
 
その際、ヤハウェ(の子音字)「{{lang|he|יהוה}}」に、アドナイ {{lang|he|אֲדֹנָי}} と同じニクードすなわち {{lang|he| -ă -ō -a}} という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。
 
 
 
これをそのまま読むと、イェホワ ({{lang|he|יְהֹוָה}}、YəHōVaH) と読める(文法上、ヘブライ文字 y には弱母音の「{{読み仮名|ă|ア}}」を付けられないため、曖昧母音のエ [[シュワー|ə]] に変化する)。
 
 
 
日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「{{lang|en|Jehovah}}」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。
 
 
 
それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している。(異論もある<ref>『[[ハーザー]]』2011年1月号</ref>)
 
 
 
日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH([[ヘブライ文字]] {{lang|he|ו}} [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。
 
 
 
人名などの要素として用いられる {{lang|he|יהוה}} の略称は「ヤ」 ( {{lang|he|יָה}} {{IPA|yāh}})、「ヤフ」 ({{lang|he|יָהוּ}} {{IPA|yāhû}})等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。
 
 
 
また、古代教父によるギリシア文字転写形として {{lang|el|Ιαουε}} (イァォウェ)、{{lang|el|Ιαβε}} (イァベ)があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。
 
==== 消失の経緯 ====
 
[[#主|主]]のセクションにも言及したアドナイ({{lang|he|אֲדֹנַי}} {{IPA|’Ăḏōnay}}<ref>[[:wikt:en:אדני|אדני]]</ref>)の語には、「主 (Lord)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/15.htm אדני(Lord)-Genesis 15:8]</ref>」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、単数形のアドニ({{lang|he|אֲדֹנִ֥י}})という形で「私の御主人様 (my master)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/24.htm אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65]</ref><ref>[//biblehub.com/hebrew/113.htm H113 adon]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/kjv/adown.html H113 'adown]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/nas/adown.html H113 'adown]</ref>」即ち[[奴隷]]の雇用主など主一般を指す意味がある。
 
 
 
さて、前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム({{lang|he|הַשֵּׁם}} {{IPA|haš Šēm}})などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。
 
 
 
理由のひとつとして、[[出エジプト記]]や[[申命記]]などにみられる[[モーセの十戒]]のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている。(同一の箇所である。また、[[#ヱホバ|ヱホバ]]とはヤハウェのことである)
 
 
 
{{Quote|汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(文語訳)#20:7}}|[[明治元訳聖書]]}}
 
 
 
{{Quote|あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(口語訳)#20:7}}|[[口語訳聖書]]}}
 
 
 
これは本来その名を'''みだりに'''唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある{{誰2|date=2014年8月}}一方で、西暦1世紀にはすでに発音は禁じられており、当時成立した[[福音書]]によれば、[[イエス・キリスト|神の子イエス]]もこれをはばかって「天の父」などと表現したという。
 
 
 
古くはこの名は自由に口にされていたようである。南[[ユダ王国]]崩壊から[[バビロン捕囚]]までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも {{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}} は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。
 
 
 
それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には分からない。
 
 
 
しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『[[七十人訳聖書]]』では、原語のヘブライ語での「{{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}}(ヤハウェ)」が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味する「{{lang|el|Κ&#X03CD;ριος}}(キュリオス)」と訳されている。
 
 
 
このことから、この頃にはこの名がアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することが禁忌とされるようになったと考えられる{{誰2|date=2014年8月}}。
 
 
 
=== 語源 ===
 
古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根({{lang|he|√&#x5d4;&#x5d9;&#x5d4;}} {{IPA|√hyh}})と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 ({{lang|he|&#x5d0;&#x5b6;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4; &#x5d0;&#x5b2;&#x5e9;&#x5c1;&#x5b6;&#x5e8; &#x5d0;&#x5b6;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|’ehyeh ’&#x0103;&#x0161;er ’ehyeh}})と名乗った事に由来する。
 
 
 
この「私は在る」({{lang|he|&#x5d0;&#x5b6;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|’ehyeh}})という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了[[相 (言語学)|相]]の形「彼は在る」にすると{{lang|he|&#x5d9;&#x5b4;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|yihyeh}}となり、{{lang|he|&#x5d9;&#x5d4;&#x5d5;&#x5d4;}}と似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。
 
 
 
ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、[[創世記]]の冒頭により、ユダヤ人([[キリスト教徒]]、[[ムスリム]])は、闇が主要素となる[[宇宙空間]]を構築した正体を、ヤハウェ([[ゴッド]]、[[アラー]])であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する。
 
 
 
(イスラムの神「アラー」はアラビア語で「ALLH」であり「アルラー」又は「アッラー」と表記する(Q'ran)
 
またエジプト語では太陽神を「Ra」とし「ラー」と呼ぶことに注意したい(エジプト語辞典 泰流社 1994)) 
 
 
 
また、{{lang|he|&#x5d4;&#x5d9;&#x5d4;}}のヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、{{lang|he|&#x5d9;&#x5b7;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}}{{IPA|yahyeh}}となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。
 
 
 
"Jahveh""Jahve""Yahwe"
 
translitertions, according to differerent syatems, of the Heb. ****(previously represented by JEHOWAH) The religion of Jahveh; the system od doctrins and precepts connected with the worship of Jahveh. The use of Jahve(h) as a name for God.
 
使用例:1867,1877,1879,1882
 
 
 
"Jehovah"
 
The English and common European representation, since the 16th c, of the Hebrew divine name. ~, was pointed in the O.T. by the Masoretes, ****, with the vowels ' (=a),o,a, of *****(adonai), as a direction to the reader to substitute ADONAI for the 'ineffable name'; which is actually done by ~in the Vulgate~by Wyclif.
 
Students of Hebrew at the Revival of Letters took these vowels as those of the word ****(IHUH, JHVH) itself, which was accordingly transliterated in Latin spelling as IeHoVa(H), Iehoua(h.
 
It is now held that the original name was IaHUe(H) , Jehve(h, Jahue or with the English values of the letters, Yahwe(h, and one or other of these form is now generally used by writers upon the religion of the Hebrews.
 
使用例:1530,1539,1600,1667,1738,1821,1860,1869,1892,1899
 
 
 
(出典:OED-THE OXFORD ENGLISH DICTIONARY-)
 
「OEDのこと:英国の代表的英英辞典 1884-1928 が初出 1992年 現在20巻、21,721ページ 616,500項目 (主見出し語約35万)(引用:世界の辞書 研究社 1992)」
 
ただし引用には 1933-1978年の版を使用した○  
 
 
 
"Jehova"
 
[NL,intened as a transliteration  of Heb Yahweh , the vowel points of Heb 'adhonay  my lord being erroneously substiuted for those of Yahweh; fr. the fact that in some Heb  manuscripts the vowel points of 'adhonai (used as a euphemism  for Yahweh) were written under the consonants yhwh of Yahweh to indicate that 'adhonay was to be substituted in oral reading for Yahweh]
 
 
 
"Jahwe" or "Jahweh"
 
cap, var of YAHWEH
 
 
 
"yahweh also jahveh or jahweh or yahveh or jahve or jahwe or Yahve or yahwe or jave"
 
[NL, fr. Heb Yhwh]:
 
GOD - used as scholarly transliteration of the Hebrew tetragrammation; compare JEHOVAH, YAH, YHWH
 
 
 
(出典:WEBSTER'S THIRD NEW INTERNATIONAL DICTIONARY 1968)
 
「上記辞典のこと:米国の代表的米国語辞典 基礎となる「辞書」は 1828年刊行版 『国際』のの名で刊行~1890 (見出し語句 175,000)、『新国際』~1909(見出し語句 400,000)、第2版~1934年刊行(見出し語句660,000)、第3版~1961年刊行(2662ページ) )(引用:世界の辞書 研究社 1992)」   
 
 
 
"Jehovah"
 
「我が主」の意味のHeb. Adhonayで読みかえていたのが、聖書翻訳の際に誤って字訳されたもの  
 
 
 
"Jahveh">"Yahweh"
 
神名を表すヘブライ語子音字YHWHの発音を 学問的に再構成したもの○
 
 
 
(出典:新英和大辞典 第五版 研究社)
 
 
 
===短縮形===
 
本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「[[ハレルヤ]]」({{lang|he-Latn|Hallelujah}})の末尾の「ヤ」([[ヤハ]]、{{lang|he-Latn|Jah}})はその名の短縮形である。[[ジャマイカ]]に発生した[[ラスタファリ運動]]においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。
 
===ヤハウェ===
 
[[#発音]]のセクションで述べたとおり、今日、学術的に推定される読みである。[[ラテン文字]]で書くとYahweh。中沢洽樹による旧約聖書<ref>『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0) </ref>では「ハ」を小書きにしたヤㇵウェが用いられている。
 
 
 
===ヤーウェ===
 
学術的に推定された読みである点や、ラテン文字で書くとYahwehとなる点では、おおむねヤハウェと同様であるが、[[カタカナ語]]の[[日本語]]として[[音韻]]を考慮した場合、はじめのh音が長母音化しており、ヤハウェに比べて発音としての正確さという点で疑問が残る。
 
 
 
カトリックの『[[フランシスコ会訳聖書]]』で使用される読みである。
 
 
 
[[#主|主]]で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『[[創世記]]』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆる[[イサクの燔祭]]の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。
 
 
 
ちなみにこの箇所は、[[パブリックドメイン]]化した他の聖書ではこうなっている。
 
 
 
{{Quote|アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(文語訳)#22:14}}|[[明治元訳聖書]]}}
 
 
 
{{Quote|それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(口語訳)#22:14}}|[[口語訳聖書]]}}
 
 
 
{{Quote|アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記2_(フランシスコ会訳)#22:14}}|[[フランシスコ会訳聖書]]}}
 
 
 
===ヤハヴェ===
 
同じく学術的に推定される読みである。[[無教会]]の関根正雄による旧約聖書などに登場する。
 
===ヤーハウェ===
 
『[[やりすぎ都市伝説]]スペシャル2012春』<ref>『ウソかホントかわからない [[やりすぎ都市伝説]]スペシャル2012春』[[2012年]][[4月6日]]([[金曜日|金]])午後8時54分〜午後22時48分[[テレビ東京]]にて[[放送]]</ref>において、[[関暁夫]]の[[イスラエル]]取材による『[[やりすぎ都市伝説#新時代の扉の向こう側|やりすぎ都市伝説外伝]]』にみられる読み。
 
 
 
同番組の中で、[[アミシャーブ|アミシャブ]]代表である[[ラビ]]・アビハイルの話として、[[伊勢音頭|伊勢民謡]]の歌詞にある「コラーコラー ヤーハ トコーオセェヌオ」という一節は、「呼べ呼べ ヤーハウェを ヤーハウェは<ref>この訳は映像中に2回繰り返されたが、はじめは「ヤーハウェは」の部分を含めて字幕とともに語られ、つぎにその部分のない字幕がカタカナの原詞とともに表示された。</ref>憎しみを砕く」という意味のヘブライ語であると紹介された。関連については[[日ユ同祖論]]も参照されたい。
 
===ヱホバ===
 
{{wikisource|文語訳旧約聖書|明治元訳 旧約聖書}}
 
日本の国語として伝統的な形である。『[[明治元訳聖書]]』とともに普及し、広く日本の思想・文学に影響を与えた<ref>[[日本聖書協会]] 『[http://www.bible.or.jp/online/jl44.html 文語訳 小型聖書]』(この聖書について、「明治初期、J.C.ヘボンを中心とした委員会が翻訳し、広く日本の思想・文学に影響を与えた旧新約聖書です。スマートかつコンパクトに仕上げました」と書いてある)</ref>。
 
『明治元訳聖書』は[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]らによって[[1887年]]に完成し、[[旧約聖書|旧約]]部分にこの語が用いられている。<!-- この旧約と、のちに[[新約聖書|新約]]のみ完成した『[[大正改訳聖書]]』を収録したものが『文語訳聖書』『[[文語訳聖書#舊新約聖書|舊新約聖書]]』などの書名で[[日本聖書協会]]から出版されており、同協会直営オンラインショップでも「愛読者が絶えない名訳」<ref>[[バイブルハウス南青山]] 『[http://biblehouse.jp/?mode=grp&gid=333946 日本語文語訳聖書]』)</ref>と紹介されている。購入は同ショップのほか各社オンラインショップまた各地の書店でも可能な場合が多く、[[パブリックドメイン]]化もされており、有志による電子版が安価もしくは無料で入手できる。 -->
 
[[エホバの証人]]も、[[新世界訳聖書]]を用いるようになるまでこの語の登場するこの翻訳を使用してきた。
 
[[静岡県]][[富士宮市]][[麓]]には、[[日本ヱホバ教団]]という[[文部科学大臣]]所轄包括[[宗教法人]]が所在することが指摘されている<ref>『[http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/ 宗教年鑑]平成24年版』文化庁編 p.123([[PDF]]のページ数ではp.139)</ref>。
 
 
 
===エホバ===
 
[[File:Sør-Fron church, IEHOVA.jpg|thumb|ノルウェーの教会に掲げられている「IEHOVA」の文字]]
 
[[歴史的仮名遣]]で書かれたヱホバを[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]、[[現代仮名遣い]]に直したもの。[[wikt:ヱ|ヱ]]と[[wikt:エ|エ]]の差異に注目されたい。
 
 
 
[[エホバの証人]]が『文語訳』すなわち前述の『明治元訳聖書』について「この翻訳では,創世記 2章4節を初めとして,一貫して[[エホバ]]という名が用いられています」<ref group="証人">ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)[https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1101989238 「エホバ」『聖書から論じる』] 88ページ、[[1985年]]、[[1989年]]、[[2009年]]。</ref>などと主張し、「エホバ」<ref group="証人">ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)[https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002391 「エホバ」]『聖書に対する洞察』第1巻391〜408ページ、[[1994年]]。</ref>の“正しさを立証”しようとすることがあるが、実際にはヱホバであるにもかかわらず、彼らのそれはよく見るとエホバとなっており、注意が必要である。
 
 
 
俗に、[[エホバの証人]]を指して単に「エホバ」と呼ぶことがあるが、公式な略称ではなく、蔑称に近い。ひとりのエホバの証人は、「エホバの証人は自分たちのことを『エホバ』などと言ったりはしません」とこの用法を強く否定し、「エホバ信者」などというものは「差別的な表現」であると述べている<ref group="証人">[http://biblia.holy.jp/jwpc/ エホバの証人記者クラブ] ([[エホバの証人]]個人) 『[http://biblia.holy.jp/jwpc/media01.html エホバの証人報道の際の注意点]』、2004年7月1日更新</ref>。
 
 
 
「エホバ」はエホバの証人が考え出した名前でもなければ、[[登録商標]]でもない。しかしながら今日、事実上エホバの証人の[[寡占]]する主力商品ということができ、一般に、エホバの証人が販売または寄付を受け付けつつ出版・配布する出版物と、[[キリスト教会]]のトラクト等を比較すると、エホバの証人は盛んに「エホバ」を使用するのに対し、教会では(教派によってまちまちであるものの)一般にこれをみだりに唱えるより<ref>[[日本聖書協会]]『[https://www.bible.or.jp/contents/know/pdf/jc_old_testament.pdf 口語 旧約聖書について]』[[1955年]]、17ページ</ref>、[[新約聖書]]の福音をより強調する傾向にある。
 
 
 
{{Quote|汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(文語訳)#20:7}}|[[明治元訳聖書]]}}{{Quote|あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(口語訳)#20:7}}|[[口語訳聖書]]}}
 
 
 
新約聖書には本来、「エホバ」およびそれに類する固有名詞は登場しない。しかしエホバの証人の翻訳による『[[新世界訳聖書]]』は、「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう[[旧約聖書]])のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の[[新約聖書]])でも「エホバ」を用いる。『新世界訳』側は、新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元して」いるとし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」なるものを挙げている<ref group="証人">[[ものみの塔聖書冊子協会]] ([[エホバの証人]]) 「[http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1001060076 参照資料付き新世界訳聖書付録1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名]」、1985年</ref>が、専門家は懐疑的な見解を寄せる。
 
 
 
文献のひとつは、信頼ある校訂本文や古代訳、また教父文書にもエホバの名がないことなどを指摘した上で、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示しており、要約すると、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がな」い<ref>[http://www.amazon.co.jp/-/e/B00F7KW5BA 正木 弥]「[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/37-kaminomina.html 神のみ名]」『[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/masaki.html 新世界訳聖書は改ざん聖書]』びぶりや書房(現[http://biblia-books.com/ ビブリア書房])、2007年11月</ref>。
 
 
 
エホバの証人と源流を同じくする[[灯台社]](燈臺社)員は戦時中、[[明石順三]]主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。
 
 
 
「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、[[カトリック]]俳人・[[阿波野青畝]]の[[銀河]]を[[季題]]とする[[俳句]]を鑑賞されたい。{{Quotation|銀河より聴かむエホバのささやきを|青畝}}なお、前掲句の底本はその弟子である[[日本イエス・キリスト教団]] [http://hitomaru-church.com/ 明石人丸教会]の[[プロテスタント]]俳人・[[やまだみのる]]氏によるウェブサイトの[http://www.gospel-haiku.com/hl/kanshyo.htm#i1 秀句鑑賞]のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト[http://www.gospel-haiku.com/wwwforum/wwwforum.cgi?id=16&az=thread&number=64 青畝俳句研究]のページでは後者の鑑賞が行われている。細部の差異に注目されたい。{{Quotation|銀河より聞かむエホバのひとりごと|青畝}}
 
== ユダヤ教成立後のヤハウェ ==
 
 
 
旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、[[預言者]]を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、、[[創世記]]のとおり人類は内面をヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『[[出エジプト記]]』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。
 
 
 
== キリスト教におけるヤハウェ ==
 
 
 
「{{lang|el|Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν}}(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(私は在るものである)はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これは[[セプトゥアギンタ]]の『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『[[ヨハネによる福音書]]』第8章第58節など)。
 
[[正教会]]において、イエスの[[イコン]]、とりわけ[[自印聖像]]においてその光輪にギリシア語「{{lang|el|ΟΩΝ}}(オーン)」「{{lang|el|&#x1F41;&#x03CE;ν}}(オーン)」(「在るもの」)を記す習慣もこれに関連する。
 
 
 
三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、[[西方教会]]においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して[[東方教会]]においてはヤハウェは[[イエス・キリスト]]の神格における名であると考えられることがある{{誰2|date=2014年8月}}。
 
 
 
最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁[[典礼秘跡省]]は「教皇の指示により神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/yhwh.htm 司教協議会への手紙――「神の名」について] - カトリック中央協議会 フランシス・アリンゼ、アルバート・マルコム・ランジス</ref>。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四文字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。
 
 
 
=== キリスト教神学における、聖書中に見られる神の属性・性質 ===
 
キリスト教神学における、聖書中に見られる神(ただし[[三位一体]]の概念から「父(ヤハウェ)」と「子([[イエス・キリスト|キリスト]])」と「[[聖霊]]」を意味する)の属性・性質ついての研究として以下がある。
 
 
 
宗教改革者の[[ジャン・カルヴァン]]は著書<ref>ジャン・カルヴァン『信仰の手引き』13頁、[[新教出版社]]1956年</ref>において、聖書における神について「唯一にして永遠なる神」「生命と義と知恵と力と善と慈しみとの源泉」「すべての善きものは例外なく神より来たり、すべての賛美もただしく神に帰すべき」と述べている。
 
 
 
ヘンリー・シーセンは著書<ref>ヘンリー・シーセン著『[[組織神学]]』203-241頁、[[聖書図書刊行会]]1961年</ref>において神の属性として以下の分類を行なっている。
 
*「非道徳的属性」・・・①遍在性②全知性③全能性④不変性
 
*「道徳的属性」・・・⑤神のきよさ⑥神の義と正義⑦善⑧真実
 
また神の性質として「統一性」「[[三位一体]]性」を挙げている。
 
 
 
エル・ベルコフは著書<ref>エル・ベルコフ著『改革派神学通論』52-66頁、活水社書店1952年</ref>において神の属性として以下の分類を行なっている
 
*絶対的属性・・・①神の独存性または自存性②神の不変性③神の無限性④神の単一性
 
*相似せる属性(人間の属性との類比。ただし完全なる神と不完全なる人間の類比である。)・・・①神の知識②神の知恵③神の善④神の愛⑤神の聖⑥神の義⑦神の真⑧神の主権
 
 
 
フロイド・ハミルトンは著書<ref>フロイド・ハミルトン著『キリスト教信仰の基礎』192-194頁、[[聖書図書刊行会]]1957年</ref>において、神の概念について、近代の自由主義神学者の傾向である「旧約聖書の神の概念の軽視(新約聖書の方がまさって神の概念を示している)」を背信的であるとし、旧約および新約聖書における神の一致性を指摘している。「新約聖書の神は愛の神で、旧約聖書の神は残酷な復習の神である」ということを是認できないとし、旧約聖書における「愛の神」、新約聖書における「神の怒り」を記す言葉をあげ、聖書における神概念の統一性を指摘している。
 
 
 
== イスラム教におけるヤハウェ(アッラーフ) ==
 
イスラム教ではヤハウェについて[[アッラーフ]]或いはアラー、アッラーのアラビア語呼称を用いる。
 
 
 
''以下、
 
[[アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーフ]]より加筆引用。''
 
 
 
[[File:Allah3.svg|thumb|left|イスラム書法におけるアッラーフ]]
 
アッラーフが[[クルアーン]]を授けたとされる[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]](以下「ムハンマド」)は、神(アッラーフ)より派遣された大天使[[ガブリエル]]から神(アッラーフ)の受託を[[アラビア語]]で語った[[使徒]]であり、最後にして最大の[[預言者]]とされる。ムハンマドは飽くまで神(アッラーフ)から[[被造物]]である人類のために人類のなかから選ばれた存在に過ぎない。そもそもアッラーフ(神)自体が「生みもせず、生まれもしない」<ref>クルアーン第112章1-4節。“言え、「かれは神、唯一の御方であられる。神(アッラー)は自存され、御産みなさらないし、御生まれになられたのではない、かれに比べ得る何もない。」”(「言え、」という部分は大天使[[ガブリエル]]がムハンマドに、「言え、」と命じているのである)。</ref>、つまり時間と空間を超越した絶対固有であるため、[[キリスト教]]神学における[[イエス・キリスト]]像のように、ムハンマドを「神(アッラーフ)の子」と見なすような信仰的・神学的位置付けもされていない。
 
 
 
全知全能唯一絶対であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる(意思だけの)存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできない。イスラーム教がイメージを用いた礼拝を、[[偶像崇拝]]として完全否定しているのも、このためである。
 
 
 
[[イスラーム]]の教えは先行する[[ユダヤ教]]・キリスト教を確証するものであるとされるため、アッラーフはユダヤ教・キリスト教の[[ヤハウェ]]と同じであるとされる<ref>クルアーン第4章163-164節、クルアーン第46章12節</ref>。一方でユダヤ教、キリスト教はこれを認めていないが、{{要出典範囲|date=2018年5月|近年キリスト教の一部でも同じ神として礼拝をしている[[教会 (キリスト教)|教会]]もある}}。したがって神(アッラーフ)は六日間で[[天地創造]]しており、また最後の日には全人類を死者までも復活させ、[[最後の審判]]を行う「[[終末]]」を司る。
 
 
 
なお、一切を超越した全能の神(アッラーフ)が休息などするはずがない<ref>クルアーン第2章255節</ref>、という観点から、創造の六日間の後に神が休息に就いたことを否定するなど違いはある。これはイスラームがユダヤ教やキリスト教を同じ「[[啓典]]の宗教」として尊重しながらも、それらの教えに人為的改変あり、と見なしてきたことの顕著な例でもある。[[クルアーン]]が現在の形になったのはムハンマドの死後であるが、[[ムスリム|イスラム教徒]]は神(アッラーフ)が遣わせた大天使ガブリエルからムハンマドに言わせた言葉が現在のクルアーンに、完全に再現されていると考えている。
 
 
 
''[[アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーフ]]からの引用終わり。''
 
 
 
== 異教由来説 ==
 
 
 
{{main|グノーシス主義|高等批評|文書仮説|自由主義神学|}}
 
[[ユダヤ教]]成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいては[[サマリア]]や[[ガリラヤ]]など北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神であり、もともとは[[ヘブロン]]を中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級である[[レビ族]]に担われた。唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、[[出エジプト]]の頃の[[ヘブライ人]]は古代エジプトの[[アテン]]神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある<ref>[[ジークムント・フロイト]]『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935 「唯一神教アマルナ起源説」等という。[[吉村作治]]も学説としてではないが、著書の中で類似のアイディアを披露している。</ref>。
 
 
 
== その他 ==
 
 
 
[[ニュージーランド]]の[[マオリ語]]では、固有名詞としてではなく「主」の訳語として“ihowā”(イホワー)が用いられる<ref group="注">「[[神よニュージーランドを守り給え]]」のマオリ語版(“Aotearoa”)の始めの方に出て来る</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"|30em}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|25em}}
 
==== 特定の新興宗教 ====
 
{{Reflist|group="証人"|30em}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
 
 
* 旧約新約聖書大事典編集委員会編 『旧約新約聖書大事典』 教文館、1989年、ISBN 4-7642-4006-8。
 
*『ヘブライ文字の第一歩』国際語学社
 
*『[[新聖書辞典]]』[[いのちのことば社]]
 
*『聖書翻訳を考える』[[新改訳聖書刊行会]] [[いのちのことば社]]
 
*『神のみ名は「エホバ」か エホバの証人と論じる』岩村義雄 [[いのちのことば社]]
 
*『聖書の日本語』[[鈴木範久]] 岩波書店
 
* OED-THE OXFORD ENGLISH DICTIONARY-
 
* WEBSTER'S THIRD NEW INTERNATIONAL DICTIONARY 1968
 
* 新英和大辞典 第五版 研究社(Jehovahの項)
 
* New World Translation 1984
 
* 新世界訳 1982
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[アッラーフ]]
 
* [[アブラハムの宗教]]
 
* [[ヤハウィスト]]
 
* [[:en:Four-letter word]]
 
* [[:en:Jehovah]]
 
* [[:en:Tetragrammaton]]
 
* [[:en:The name of God in Judaism]]
 
  
 
{{DEFAULTSORT:やはうえ}}
 
{{DEFAULTSORT:やはうえ}}
 
[[Category:唯一神]]
 
[[Category:唯一神]]
 
[[Category:旧約聖書]]
 
[[Category:旧約聖書]]
[[Category:個人名]]
 
 
[[Category:ユダヤ教用語]]
 
[[Category:ユダヤ教用語]]
 
[[Category:キリスト教用語]]
 
[[Category:キリスト教用語]]

2018/8/19/ (日) 21:35時点における最新版

(ヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄、古アラム語: 𐡉𐡄𐡅𐡄)

預言者モーセに啓示されたとされるイスラエルの神の名。ヤーベ,エホバともいう。

ヘブライ語の4子音で表記されるところから4文字 (通常ヘブライ語は3子音) といわれる。「ありてある者」「ともにある者」「あらしめる者」などの意といわれるが定説はない。またモーセが避難した妻の実家ケニ人の神との説もあるが疑わしい。

イスラエル固有の神で,すでにモーセ以前に知られていたらしい。ユダヤ人は過度の尊敬からヤハウェを口にせず,代りにアドナイ (私の主) と呼び,七十人訳 (セプトゥアギンタ) もこれをとってキュリオス (主) と訳している。 70年のエルサレム陥落後,大祭司に相伝された4文字の正確な発音が彼らとともに失われたことも,4文字をアドナイとのみ読む原因となった。

キリスト教ではしばしば「ヤハウェ」の発音を使用している。 (テトラグラマトン )