メルセン条約

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メルセン条約(メルセンじょうやく)は、870年にフランク王国の領土の再画定を定めた条約。中部フランク王国の一部を治めていたロタール2世の死去に伴い、東フランク王国の王ルートヴィヒ2世西フランク王国の王シャルル2世とが締結した。

843年ヴェルダン条約により、フランク王国は三分割されていた。そのうちの中部フランク王国855年ロタール1世の死に伴い、その3人の息子ロドヴィコ2世(ルイ2世)、ロタール2世シャルル(カール)によってさらに分割され、それぞれイタリア・ロタリンギアプロヴァンスを治めることとなった。863年にシャルルが死に、さらに869年にロタール2世が死ぬに至り、ルートヴィヒ2世とシャルル2世が中部フランク王国の分割を取り決めたのがメルセン条約である。この結果、ロドヴィコ2世はイタリア王国のみの領有が許され、メッツおよびアーヘンを含むロートリンゲン東部および上ブルグントの大半は東フランク王国に、ロートリンゲン西部およびプロヴァンスは西フランク王国に組み込まれることとなった。ロートリンゲン西部に関しては後に880年リブモン条約において東フランク王国に移譲された。これによって、現在のイタリアドイツフランスの原型が形作られた。