ムスタファ3世

提供: miniwiki
移動先:案内検索


ムスタファ3世Mustafa III, 1717年1月28日 - 1774年1月21日)は、オスマン帝国の第26代皇帝(在位:1757年 - 1774年)。父は第23代皇帝アフメト3世、母はフランス人アブデュルハミト1世の兄。子にセリム3世

生涯

1730年の父の廃位に伴い、27年間を宮中の幽閉下で過ごしたが、1757年に従兄のオスマン3世が嗣子なく死去したため皇帝に即位した。

精力的かつ開明的な皇帝であり、西欧列強に比べて時代遅れであることが明らかになったオスマン帝国の軍隊や国家制度の近代化を進めようとした。しかしその試みは旧権力層であるイェニチェリイマームの強い抵抗を受けた。数学や航海術、自然科学のアカデミーを設立。

ヨーロッパ列強に比べて自国の軍事的劣弱を正確に認識していたため、戦争を控えていた。しかし1768年ポーランドで内乱が発生し、ロシア軍コサック騎兵が逃げるポーランド人を追ってオスマン帝国領内(現ウクライナ領バルタ)に侵入したため、ロシア帝国に対し宣戦を布告せざるを得なくなった(第6次露土戦争)。しかし戦争はムスタファの恐れたとおり敗戦続きで、その最中に病死した。弟のアブデュルハミト1世が後を継いだ。