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'''マルサン商店'''('''マルサン'''、[[1947年]] -[[1968年]]、[[1969年]]- )は日本の[[玩具]]・[[模型]]メーカーである。20世紀中盤にブリキ玩具や国産[[プラモデル]]、[[怪獣]]の[[ソフトビニール]]人形で人気を博した。本社は[[東京都]][[台東区]]浅草寿町1-12にあった。1967年にマルザンに改名後、1968年に倒産。1969年にマルサンとして再建されたが、新会社は旧マルサンの資産や従業員はほとんど継承していない。ソフビ怪獣関連の業務は、同時期に設立された[[ブルマァク]]に実質的に引き継がれた。
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==概要==
 
マルサン(マルサン商店、マルザン)は[[1923年]]に石田直吉が東京[[浅草]]に設立した石田製作所の流れを受け継ぐ[[玩具]]・[[模型]]メーカーである。1950年代に[[ブリキ]]玩具の名作を作り出したメーカー、日本で初めて国産[[プラモデル]]を発売しプラモデルの普及に尽力したメーカー、そして[[ソフトビニール|ソフビ]][[怪獣]]を初めて世に出し一世を風靡したメーカーとして知られる。[[1968年]]に倒産。翌年に再建されたマルサンは名称と「プラモデル」の[[登録商標|商標]]以外は旧マルサンの資産を殆ど引き継いでおらず、旧マルサンの事業の一部は同時期に新たに設立された[[ブルマァク]]に引き継がれた。
 
 
 
==沿革==
 
[[1947年]](昭和22年)に石田晴康(いしだ はるやす)、晴康の実弟石田實(いしだ みのる)、義弟の荒井康夫(あらい やすお)の3人がマルサン商店の屋号で玩具業を開始。マルサンの名称は元々石田晴康が以前奉公していた野地方三商店の商標が「○」に「三」であり、それを借用して「マルサン」と読ませて屋号にしていたものであるが、新たに「3人で始めたのでサン」という意味合いも加えたとされる。[[1950年]]に株式会社マルサン商店となり、石田晴康が社長に就任した。ロゴマークは「○」に「SAN」を入れたものを使用した。
 
 
 
当初は[[セルロイド]][[人形]]や[[双眼鏡]]、[[顕微鏡]]などの光学玩具を扱う。主にアメリカ向け輸出商品として製造、販売を行なっていた。[[1953年]](昭和28年)に[[ブリキ]]玩具の傑作と呼ばれた[[キャデラック]]を発売。当時のブリキ玩具がおよそ300円 - 500円だったのに対しこの商品は1500円という高額で発売されるもその精巧さから人気商品となりマルサンの知名度を向上させた。
 
 
 
しかし[[1954年]][[12月]]にアメリカで「日本のセルロイドは発火性があり危険である」とされ、急速にセルロイド製品は市場から姿を消した。セルロイド人形を販売していたマルサンもこのあおりを受け新商品の開発に乗り出した。アメリカ・[[レベル (模型メーカー)|レベル]](当時の表記は「ラベール」)社が[[1953年]]に発売した「原子力潜水艦[[ノーチラス (原子力潜水艦)|ノーチラス]]号」のプラスチック・モデルなどを参考とし、[[1958年]](昭和33年)12月に初の国産プラモデルを世に送り出した。この時の商品群は以下の4つである。
 
[[File:Marusan Nautilus.jpg|thumb|マルサン製(童友社版)と元となったレベル製(上)のノーチラス。形状、部品分割ともほぼ同じであるが、船体の寸法はマルサンの方が僅かに小さく、ランナー内の部品配置も異なる。]]
 
*SSN-571 原子力潜水艦 ノーチラス 1/300スケール
 
:レベル社のキットのコピー。現在金型は[[童友社]]が所有し、「日本最初のプラモデル」と称しての再発売を数回行っている。昭和33年12月15日付の『日本模型新聞』は、「本邦最初のプラスチック・モデル」として本製品が12月初旬に発売されたと報じている。
 
*[[ダットサン]]1000 211型セダン 1958年型 1/25スケール
 
:マルサン記述では211型ではあるが正確には210型である。「和工」という別の会社の製品。当時和工はデパート相手の取引口座を持たなかった為、デパート部門と商取引のあったマルサンに発売を依頼したとの話も存在する。1959年以降和工の自社ブランドで販売された。
 
<!--*ダットサン1000 2ドアスポーツ・コンバーチブル「[[ダットサン・フェアレディ|フェアレデー]]」S211型 1959年型 1/25スケール
 
:「フェアレデー」は当時の日産自動車表記名による。ダットサンと同じく「和工」という別の会社の製品。-->
 
*[[PTボート|PT212]] [[魚雷艇|哨戒水雷艇]] 1/100スケール
 
:レベル社のキットのコピー。
 
*ボーイング [[B-47 (航空機)|B-47]] ストラトジェット 1/200スケール
 
:[[オーロラ (模型メーカー)|オーロラ]]社のキットのコピー<ref>平野克己 編・著 『20世紀飛行機プラモデル大全 平塚コレクションの世界』 文春ネスコ、2004年、ISBN 4-89036-193-6、P.124</ref>。
 
 
 
発売に際し、マルサンは「プラキット」「プラホビー」「プラモ」等の候補の中から社員の五島彪(ごとう たけし)が選んだ「[[プラモデル]]」を商標として採用し、[[1959年]](昭和34年)に商標登録を行なった。しかし当時日本では組み立て式プラスチックモデルは殆ど存在しておらず、理解も得られなかった為販売は苦戦した。問屋は部品がバラバラに入っている事から「なんだ、このクズは」と言って買い取りを拒否した。そこでマルサンは開局したばかりの[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で日曜日午前10時から25分間『陸と海と空』という番組を放送、司会は既にアメリカ製のプラモデルを組み立てていた[[三遊亭金馬 (4代目)|三遊亭小金馬]]。毎週一つのキットを紹介するコーナーを設けたところ知名度が急速に高まり、マルサン製品は元より、他社の模型の売れ行きも伸びたという。番組の視聴率は20%に達し放送は2年間続いた。
 
 
 
流行となった為に周辺商品も開発する必要に迫られ「プラカラー」「プラシンナー」「プラボンド」という商品名で模型用塗料、溶剤、接着剤なども販売していた。後発の模型企業が参入して来た際「プラモデルと呼べるのはマルサンだけ」という惹句で自社の商標を前面に出した宣伝を行なった。また、かつてキットをコピーしたレベル社と提携し、「マルサン・ラベール提携品」と称して多くのレベル製品の国内販売を行う一方、純国産プラモデルの開発にも力を注いだが、海外メーカーのキットのコピーも引き続き行われていた。
 
 
 
[[1965年]](昭和40年)の[[スロットカー]]ブームでは多額の設備投資を行ったが、ブームの早すぎる終息により多くの負債が残された。[[1966年]](昭和41年)には『[[ウルトラQ]]』や『[[ウルトラマン]]』に登場する怪獣の[[ソフトビニール]]人形を発売。当初問屋の評価は低かったが、子供の支持を受け大ヒット商品となった。
 
 
 
[[1967年]](昭和42年)には社名を株式会社マルザンに変更した。これは、ソフビ怪獣の大ヒットにもかかわらず、スロットカーブーム時の負債のために経営が安定しなかったため、当時の社長石田實が姓名判断家の意見を取り入れ、マルサン(丸散 = 金が散る)からマルザン(丸残 = 金が残る)へと変えたものである。ロゴマークも赤丸を上下に分割し、小文字で「san」と記入したものに変更された。当時のカタログやプラモデルのパッケージでは、社名は「K.K.マルザン」となっているが、「MARUSAN」や「マルサン/プラモデル」などの表記もみられ、社名変更後もブランド名としてはマルサンが使用されていた。
 
 
 
[[1968年]](昭和43年)に入ると[[第一次怪獣ブーム]]にも陰りが現れ、ブームを牽引していた[[ウルトラセブン]]の放送終了後程なくマルザンは倒産した。債務整理は順調に進み、事業の一部はマルサンの元社員が新たに設立した[[ブルマァク]]に受け継がれ、プラモデルの金型もブルマァクの他[[日本模型]]、富士ホビー、童友社等の複数の会社に引き継がれた。
 
 
 
[[1969年]](昭和44年)に石田實が(株)マルサンとして事業を再開したが、マルザン時の資産は処分済みであり、ほぼ0からのスタートとなった。新しいロゴマークは、赤丸を上下に分割し、大文字で「SAN」と記入したものを使用し、「プラモデル」の商標も引き続き用いていた。1970年代前半にはウルトラシリーズのミニソフビやミニプラモ、1/100スケールの日本傑作機(パチパチキット)などを発売した。しかし経営は苦しく、1970年代半ばには「プラモデル」の商標権を大手問屋の三ツ星商店に売却している。1970年代後半以降は[[OEM]]事業が中心となって玩具・模型の表舞台から姿を消し、再開後に開発されたプラモデルの金型も他社に譲渡された。[[1981年]]にはプルバックやノコノコ歩行のゼンマイに使用する小型ギアボックスを開発し、多くのメーカーの製品に使用されている。[[1997年]]に折からの昭和レトロブームの中で、マルサン・オリジナル怪獣を復刻販売、以降昭和時代のソフビの復刻版や、昭和テイストで新規造形されたソフビ人形などの販売を行っている。
 
 
 
== 製品 ==
 
=== スケールプラモデル ===
 
マルサンの製品には、自社開発によるオリジナルキット、海外メーカーとの提携により国内販売を行ったキット、他社の製品をコピーしたキットの3種類がある。提携先としては、上述のレベルのほか、[[:en:Pyro Plastics Corporation|Pyro]]とSnapがある。レベルとの提携は1960年に始まり、1964年に提携先が[[グンゼ産業]]に変わるまでの間に多種のレベル製品を国内販売した。提携品のパッケージは基本的にアメリカ版と同一で、マルサンのロゴと、「マルサン・ラベール提携品」の文字が追加されていた。また、一部の製品には日本語の組立説明が添えられていた。Pyroからは箱スケールの船舶キットが5点ほど、Snapからは1/40スケールの米軍軍用車両、火砲、ミサイル、ヘリコプターなどのキットが十数点、それぞれアメリカ版に準じたパッケージで発売されている。他社製品のコピーはプラモデル開発当初から1960年代半ばまで続けられ、コピーされたメーカーも、レベル、[[モノグラム (模型メーカー)|モノグラム]]、[[オーロラ (模型メーカー)|オーロラ]]、リンドバーグ、ITC、[[Roco]]など多数に渡った。また、1960年代半ばからアメリカのUPC (Universal Powermaster Corporation) が多種のマルサン製品を輸入し、自社パッケージでの販売を行っている。その中には米国メーカーのキットをマルサンがコピーしたものも含まれていた。1960年代末には同じくアメリカの玩具メーカーEldonが1/72複葉機、1/100戦闘機、HOスケール軍用車両などのキットを輸入し、[[マッチ|ブックマッチ]]形式のパッケージでマッチキット(Match Kit)の名称で販売している。ブックマッチ形式のパッケージはマルザン末期の製品にもみられる。
 
*1/100世界の名機シリーズ : 主力シリーズの1つで、[[第二次世界大戦]]期の各国[[戦闘機]]が中心であるが、[[B-29 (航空機)|B-29]]、[[B-24 (航空機)|B-24]]のような四発[[爆撃機]]や、[[F-86 (戦闘機)|F-86]]、[[F-104 (戦闘機)|F-104]]のようなジェット戦闘機も製品化されていた。
 
*[[1/50 スケール|1/50]]世界の名機シリーズ : 1/100と並ぶ主力シリーズの1つ。[[九七式司令部偵察機|九七司偵]]や[[一〇〇式司令部偵察機|百式司偵]]、[[零式水上偵察機|零式三座水偵]]など、当時の国産キットではトップクラスの製品が含まれ、特に[[F-86 (戦闘機)|F-86D]]は[[航空自衛隊|自衛隊]]で使用中の機体だったこともあり、ギミック、外形の正確さともに海外一流メーカーの製品に引けを取らなかった。一方、本シリーズの外国機の大半は、モノグラムやリンドバーグなどの米国メーカーの[[1/48スケール]]キットのコピーであった。
 
*マッチ箱シリーズ : 年少者向けの長さ3-4cm程度の、小型で安価な航空機キット。
 
*民間機シリーズ : 1/125スケールの[[旅客機]]など。
 
*傑作機シリーズ : 1/50、1/100以外の各種スケールの航空機キット。[[1/35スケール]]の零戦など一部を除き、殆どが海外メーカーの箱スケールキットのコピー。
 
*1/72複葉機シリーズ : デッドコピーではないが、レベルの[[1/72スケール]]複葉機キットの影響を強く受けた製品。マルザン末期の製品であり、実際にマルザンブランドで発売されたかどうかは不明であるが、Eldonから他の1/100スケールキットと共に発売されている。後に[[日本模型]]、富士ホビー、サニー、アメリカのEntexなどからも発売された。さらに[[ESCI]]から発売された複葉機キットも本キットの金型またはそのコピーを用いている。
 
*[[1/700]]日本[[連合艦隊]]シリーズ : 戦艦、空母、重巡洋艦の計10点程。多色成形のフルハルモデルで、モーターで水上走行が可能なほか、煙突から煙を出すギミックを持っていた。
 
*1/400日本連合艦隊シリーズ : [[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]、[[信濃 (空母)|信濃]]の3点。
 
*帆船シリーズ : 1/1000、1/400、1/200スケールの[[日本丸]]、[[海王丸]]など。
 
*魚雷艇シリーズ : スケール表示はないが、1/100スケール程度の各国魚雷艇。
 
*[[マルサン機甲師団シリーズ|機甲師団シリーズ]] : [[HOスケール]]のドイツとアメリカの軍用車両、火砲およびフィギュアセットなど。全てオーストリアRoco社のミニタンクシリーズのコピーだった。通常の箱ではなく、初版は透明のプラスチックケース入り、再版はブックマッチ形式のパッケージで発売された。
 
*透視解剖模型シリーズ : 外装をクリア成形した人体、動物、昆虫など。
 
*1/100パチパチキット : 再建されたマルサンが1973年に発売したキット。外国機の発売も予定されていたが、日本の戦闘機6点のみが発売された。外形の正確さ、表面のモールドなど、旧製品とは一線を画したキットで、金属部品を用いて脚をワンタッチで出し入れするギミックを持っていた。ただし、金属部品の扱いは年少者には難しかったため、後に脚の可動ギミックは廃止された。1970年代後半に金型は童友社に移り、以後長らく生産が続けられている。また、2003年にはブラインドボックス形式の塗装済みキットの翼コレクションシリーズに金型が利用されて人気を博し、後にほぼ同一フォーマットで他機種の金型が新規製作されている。
 
 
 
=== キャラクタープラモデル ===
 
最初に発売された[[キャラクターモデル]]は1964年の電動[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]と[[バラゴン]]で、1966年から1967年にかけては同様のギミックで歩行する、『[[ウルトラQ]]』や『[[ウルトラマン]]』に登場する怪獣が10点以上発売された。『ウルトラマン』で発売された[[メカ]]はジェットビートルと特殊潜航艇S号のみであったが、続く『[[キャプテンウルトラ]]』や『[[ウルトラセブン]]』では一転してメカ中心の製品展開となり、ウルトラホークやポインターはそれぞれ大、中、小の3タイプが発売されている。海外の映画やTVドラマからも、『[[宇宙家族ロビンソン]]』のジュピター2号やスペースタンク、『[[2001年宇宙の旅]]』のオリオン宇宙船、『[[ミクロの決死圏]]』のプロテウス号などのメカが発売されている。また、[[トッポ・ジージョ]]や[[ミッキーマウス]]、[[ドナルドダック]]などの[[ディズニー]]キャラクター、[[ターザン]]などのフィギュア系のキットも発売された。これらの内、電動のウルトラマン、パゴス、ペギラの3点はUPCブランドで米国内でも発売されている。1968年の倒産後、ジェットビートルやポインターなど一部ウルトラメカの金型はブルマァクに引き取られ生産が続けられたが、その他のキャラクターモデルの金型は、電動ゴジラやマスコット怪獣などごく一部を除いて溶解処分された。<ref>ゴジラの金型も失われたと考えられていたが、レトロ玩具販売店のノスタルジック・ヒーローズの手で30年ぶりに復刻され、マニアやコレクターを驚かせた。続いて電動ウルトラマンも復刻された。</ref>
 
 
 
再建後のマルサンの製品は50円ないし100円の小型キットが中心となるが、1972年から1974年にかけて『[[ウルトラマンA]]』、『[[ウルトラマンタロウ]]』、『[[ウルトラマンレオ]]』に登場する怪獣やメカを製品化している。第2期[[ウルトラシリーズ]]終了後の1975年にはアニメ『[[宇宙の騎士テッカマン]]』に登場するメカも製品化した。1970年代半ば以降、一部の商品は商標をプラモデルからプラ模型に変え、袋パッケージで駄菓子屋などで販売された。また1980年以降、童友社から一部の商品が無版権のオリジナルメカとして再発売された。
 
 
 
=== ソフトビニール玩具 ===
 
1966年に『ウルトラQ』と『ウルトラマン』に登場する怪獣のソフビ人形を発売して以降、『キャプテンウルトラ』、『ウルトラセブン』や、『[[快獣ブースカ]]』のようなTV番組、東宝の[[ゴジラシリーズ]]や大映の『[[大魔神]]』、[[ガメラ]]シリーズなどの映画作品に登場する怪獣やキャラクターのソフビ人形を大量に発売している。対象とした作品はキャラクタープラモデルとほぼ同じであるが、金型の製作が容易な分、製品の種類はソフビの方が遥かに多かった。発売のピークは1967年で、怪獣ブームに陰りが見え始めた1968年にはソフビ人形の発売も減少している。マルザンの倒産後は、ソフビの金型は版権とともにブルマァクに移り、更なる展開を果たしている。新生マルサンの方はウルトラシリーズの版権が得られないため、オリジナルデザインのソフビ怪獣を発売していたが、その中にウルトラエースという商品があった縁で『ウルトラマンA』のミニソフビの版権を得、それ以降『ウルトラマンレオ』までのウルトラシリーズのミニソフビを発売している。
 
 
 
=== ブリキ玩具 ===
 
1953年に発売されたキャデラックは、欧米でも人気を博し、フリクション動力版に加え電動版や、リモコン操作が可能なバージョンも発売された。翌1954年には[[フリクション玩具|フリクション動力]]で実際に水中を10m以上進むことのできる潜水艦を発売している。この製品も人気を博し、各種バリエーションの合計では全世界で100万個以上を販売している。上記以外にも1950年代から1960年代初めにかけて乗物を中心に多くの種類のブリキ玩具を発売し、欧米にも輸出している。また、1964年にはリモコン電動歩行のゴジラを発売、1966年以降には電動歩行のウルトラマンなども発売している。
 
 
 
==最初の国産プラモデル==
 
マルサンは「日本初のプラモデルメーカー」と紹介されることが多い。ただし、実際は前述の「和工」というメーカーがダットサン1000セダンをマルサンと同時に発売<!--[[1959年]](昭和34年)からは自社販売-->しているので同格に扱われるべきである。
 
また[[1956年]](昭和31年)[[10月]]の業界紙「日本模型新聞」には「株式会社日本プラスチック」がプラスチック・モデルを発売すると予告広告を出しており、マルサン以前にプラスチック・モデルが存在した可能性もある。
 
 
 
またマルサンの最初のプラモデル3点は、金型を自社で作ってはいるものの、他社製品を石膏で型取りして雌型を作り、工作機械でなぞって金型に複製した外国製品のデッドコピーだったため、純国産プラスチック・モデル第1号として次のようなキットの名が挙げられる場合もある。
 
*[[日本模型]]1/400スケール「[[伊一型潜水艦|伊号潜水艦]]」
 
:日本模型がマルサンに2ヶ月ほど遅れて発売した純国産キット。マルサンのノーチラスがディスプレイモデルだったのに対し、ゴム動力により走行し、価格も100円と安価だったため大人気商品となった。従来はこのキットが純国産プラスチック・モデル第1号とされることが多かった。
 
*和工1/25スケール「ダットサン1000」
 
:マルサンブランドでノーチラスと同時期に発売された本キットは、パーツ構成こそ米国製キットに範をとっているものの、設計自体は完全に日本オリジナルであり、確認されているものの中では最初に発売された純国産プラスチック・モデルと言える。
 
*日本模型1/60スケール「ソニー号 [[ベル47 (航空機)|ベル47J]]」
 
:一般販売されたのは1959年の10月であるが、「日本プラモデル50年史」によれば[[ソニー]]の促販グッズとして伊号潜水艦に先行して製作されたものとされ、実質的には純国産プラスチック・モデル第1号だった可能性もある。
 
*日本プラスチック1/50スケール「零戦」、「ムスタング」
 
:前述の「日本模型新聞」の広告によれば、この2機種が近日発売とされているが、発売されたことを確認できる記載は無く、実際に発売された可能性は低い。広告の写真で見る限り、従来の木製モデルの材質をプラスチックに置き換えた程度のものだったようである。
 
 
 
以上のように日本最初のプラモデルが何だったかについては諸説あるが、マルサン商店が日本で初めて国産プラモデルの一般販売を行い、テレビ番組の提供も含めた積極的な宣伝活動によって殆ど知られていなかったプラモデルという新商品を広く認知させ、結果として他のメーカーの参入をも促したのは事実であり、マルサン商店が日本のプラモデルのパイオニアと呼ばれるのにふさわしい役割を果たしたことは間違いない。
 
 
 
==脚註==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
==参考文献==
 
{{参照方法|date=2014-03-14}}
 
* 井田博 著 『日本プラモデル興亡史 -わたしの模型人生-』 文春ネスコ発行、2003年 ISBN 4890361871
 
* 日本プラモデル工業協同組合編 『日本プラモデル50年史』 文藝春秋企画出版部、2008年 ISBN 978-416008063-8
 
* 神永英司 著 『マルサン物語 玩具黄金時代伝説』 朝日新聞出版、2009年 ISBN 978-402-250550-7
 
 
 
==関連項目==
 
* [[ブルマァク]]:マルサンの元社員らによって設立、ソフトビニール人形などの事業を受け継いだ。
 
* [[マルサン機甲師団シリーズ]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.marusan-toy.com/ MARUSAN-TOY.COM] (株)マルサン
 
 
 
{{模型}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:まるさんしようてん}}
 
[[Category:かつて存在した東京都の企業]]
 
[[Category:かつて存在した日本の玩具メーカー]]
 
[[Category:日本の模型メーカー]]
 

2018/10/4/ (木) 23:58時点における最新版



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