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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
 
| Name = フォーリーブス<br /><small>Four Leaves</small>
 
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| Landscape = yes
 
| Background = group
 
| Origin = {{JPN}}
 
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| Genre = [[アイドル歌謡曲|アイドル歌謡]]
 
| Years_active = [[1967年]] - [[1978年]](第1期)<br />[[2002年]] - [[2009年]](第2期)
 
| Label = [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]
 
| Production = [[ジャニーズ事務所]]
 
| Associated_acts = [[ジャニー喜多川]]
 
| Influences = [[ジャニーズ]]
 
| URL =
 
| Current_members = [[北公次]]<br />[[青山孝史]]<br />[[江木俊夫]]<br />[[おりも政夫]]
 
| Past_members = [[永田英二]]
 
| Notable_instruments =
 
}}
 
'''フォーリーブス'''は、[[日本]]の[[男性アイドルグループ]]。[[1967年]][[4月1日]]結成、[[1968年]][[9月5日]]レコードデビュー、[[1978年]][[8月31日]]解散。解散から24年を経た[[2002年]]に再結成を果たした。初期の[[ジャニーズ事務所]]を代表するグループである。
 
 
 
== メンバー ==
 
{|class="wikitable" style="font-size:small"
 
|-
 
!
 
! プロフィール
 
! 愛称
 
|-
 
| '''[[北公次]]'''
 
| {{生年月日と年齢|1949|1|20|no}} - {{死亡年月日と没年齢|1949|1|20|2012|2|22}}、[[ABO式血液型#A型の亜種|A型]]、[[和歌山県]][[田辺市]]出身
 
| コーちゃん
 
|-
 
| '''[[青山孝史]]'''
 
| {{生年月日と年齢|1951|8|10|no}} - {{死亡年月日と没年齢|1951|8|10|2009|1|28}}、[[ABO式血液型#A型の亜種|A型]]、[[佐賀県]][[佐賀市]]高木瀬町出身
 
| ター坊
 
|-
 
| '''[[江木俊夫]]'''
 
| {{生年月日と年齢|1952|6|4}}、[[東京都]][[武蔵野市]][[吉祥寺]]出身
 
| トシ坊
 
|-
 
| '''[[おりも政夫]]'''
 
| {{生年月日と年齢|1953|7|4}}、[[ABO式血液型#B型の亜種|B型]]、[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]出身
 
| マー坊
 
|}
 
{|class="wikitable" style="font-size:small"
 
|-
 
! 脱退メンバー
 
! プロフィール
 
! 愛称
 
! 備考
 
|-
 
| '''[[長田栄二|永田英二]]'''
 
| {{生年月日と年齢|1955|5|29}}、 [[東京都]]出身
 
| 英ちゃん、英坊
 
| フォーリーブスの結成当時(1967年4月)にはまだ小学6年生だったために退団した。<br>入れ替わりに青山孝史がフォーリーブスに入りその後にレコードデビューしているため、永田は幻のメンバーとして一部に知られている。
 
|}
 
 
 
== 経歴 ==
 
[[1967年]][[4月1日]]、[[ジャニーズ]]の「[[太陽のあいつ]]」という曲のバックダンサーとしてグループを結成。メンバーは、元々ジャニーズの付き人だった北公次、3歳から[[子役]]で活躍していた江木俊夫、[[劇団若草]]出身でファッションモデルをしていたおりも政夫、同じく劇団若草出身の永田英二の4人だった。同年6月、大阪[[フェスティバルホール]]にて[[ジャニーズ]]が主演のミュージカル『いつかどこかで~フォーリーブス物語』に出演。しかしまだグループ名は無く、「[[ジャニーズJr.]]」としての出演だった。
 
 
 
同年8月、第33回[[日劇ウエスタンカーニバル]]に初出演。この時、初めてグループ名が正式に『'''フォーリーブス'''』に決まった。 なお、「フォーリーブス=Four Leaves(4枚の葉←leavesはleafの複数形)」の意味が定説だが、本来の名前の由来は、[[ジャニー喜多川]]が脚本を書いた上記のミュージカル『いつかどこかで~フォーリーブス物語』内のグループ名からで、「4つに“別れる、去る、出発する”」という意味の自動詞の「“leave”」である。
 
 
 
同年10月、結成メンバーの永田英二は当時小学6年生だったため脱退し、[[スクールメイツ]]出身の青山孝が加入。同じく同年10月より[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[プラチナゴールデンショー]]』にレギュラー出演するようになる。
 
 
 
[[1968年]][[9月5日]]、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBS・ソニーレコード]](現:[[ソニー・ミュージックレーベルズ]])の国内契約第1号アーティストとして、シングル「[[オリビアの調べ]]」にてレコードデビュー。
 
 
 
[[1970年]]には[[ブロマイド]]の売上げが男性歌手部門の1位になり、衰退期にあった[[御三家]]や[[グループ・サウンズ]]の[[ザ・タイガース]]などに代わり、[[新御三家]]が台頭するまでの間、トップ[[アイドル]]となった。[[オリコンチャート|オリコン]]最高10位と大ヒット曲はなかったが、冒頭の江木の名ゼリフ「だって地球は丸いんだもん!」で知られる「地球はひとつ」や、「夏の誘惑」などがコンスタントにヒットを重ね、[[1970年]]から7年連続で[[NHK紅白歌合戦]]出場を果たす。先輩格のジャニーズと同様に、ミュージカルにも熱心に取り組み、その姿勢は現在のジャニーズ事務所に受け継がれている。
 
 
 
ジャニー喜多川と[[メリー喜多川]]姉弟は「タイガーズやテンプターズなど、他の人気グループと違い、フォーリーブスはグループ内にスター的存在のメンバーを作らない」「言うなればメンバー全員がスター」という確固たるポリシーを結成当時から一貫して持ち続けていた。二人は雑誌などでもたびたびその主旨の発言をしていた。また、1960年代前半にジャニーズの付き人をしていた北公次をどうしてもデビューさせたいがために、各所から人材を取捨選択して作ったグループだと後にジャニー喜多川が発言している。
 
 
 
ステージにおける歌唱やダンスにおいても、その「メンバー全員がスター」というポリシー同様、特定のメンバーが突出したり比重が置かれることは基本的になかった。メンバー全員が綺麗に振りを揃えたユニゾン・ダンスとパフォーマンスを重視するステージングであった。
 
 
 
グループ内での位置付けは、運動能力に優れた北公次はバック転などの華麗なアクロバットを担当してステージを彩った。またステージ上でバック転を披露した初のアイドルでもある。当時全盛を誇る渡辺プロダクションの次世代のスター育成機関であった東京音楽学院特待生で、スクールメイツのメンバーでもあったほど高い歌唱力を持つ青山孝は、歌唱面と音楽面においてのリーダー的存在。フルコーラスをソロボーカルで担当したシングルA面曲(2曲)が存在するのは彼だけである。フォーリーブスの楽曲の音楽性の高さは青山に負うところが大きい。日本大学芸術学部の学生でもあった青山は、芸能活動との兼業もありソロ活動は少なかったがグループ内では北と人気を二分した。70年代後半のコンサートでは他のメンバー達からの注文に応じてアレンジやコーラスなどの譜面の書き替えも任されていた。NHK紅白歌合戦に出場して「急げ!若者」(1974年)「ハッピー・ピープル」(1975年)を披露した際はメインの扱いであった。名子役として芸歴の長い江木俊夫は子役の頃から周囲の百戦錬磨のスタッフすら騙されるほどの自然な演技力を身につけていたが、ジャニー喜多川の意向もありグループ内では三枚目キャラクターを担当していた。江木と同じく子役出身で最年少のおりも政夫はグループの[[司会|MC]]役としてトークや司会進行を担当。のんびりかつ飄々としたキャラクターと司会進行が持ち味。バラエティやコントなどでは気味の悪い怪物や道化に徹した役回りや扮装、大胆なリアクションも辞さない軽妙な[[コミックリリーフ|コメディリリーフ]]部分を担っていた。歌唱、アクロバット、演技などそれぞれが1つの長所に特化した他のメンバーと違い、どれも手堅くこなす器用な面も持つ。ピークが過ぎた1974年頃から各自の個性を生かした単独での活動も徐々に増えていった。
 
 
 
[[1971年]]に渡米し、「Season Of The Sun」(「夏の誘惑」のアメリカ録音盤)と「Don't Let The Sun Catch You Crying」の2枚のシングルを録音して[[MGM]]から非売品プロモーション盤として発表した。
 
 
 
[[1972年]]に[[帝国劇場]]でミュージカル『生きていくのは僕たちだ!』に出演。
 
 
 
[[1973年]]の[[8月]]にフォーリーブスへのプレゼント代や追っかけ費用を稼ぐために売春していたという女子中学生グループが書類送検されて批判を浴びた。同年、公開コメディー番組『[[とことんやれ大奮戦!]]』に出演。青山はNHKドラマ『[[銀座わが町]]』で初レギュラー。
 
 
 
[[1974年]]4月スタートの[[日本放送協会|NHK]]の音楽バラエティ番組『[[レッツゴーヤング]]』に初代メインレギュラーとして出演。
 
 
 
[[1976年]]1月15日に常磐ハワイアンセンター(後の[[スパリゾートハワイアンズ]])にて開催されたショーで16歳の少女が興奮のあまり失神死するという事故がおきた。
 
 
 
長く賞には恵まれなかったが、10周年記念曲として[[1976年]]にリリースした「踊り子」で、[[東京音楽祭]]ゴールデン・カナリー賞の受賞を皮切りに[[日本歌謡大賞]]特別賞、[[日本テレビ音楽祭]]特別賞等を受賞した。しかし当時人気は既に下降し始めていて、オリコン最高位は41位であった。なお、同曲のレコードでは北が歌っていたソロパートが、歌番組では青山の歌唱へ変更されていることが多かった。その年のNHK紅白歌合戦出場曲にもなり、ソロパートは北と青山の2名によるツインボーカルによる歌唱で披露されたが、画面に映っているのは北だけであった。翌[[1977年]]に起死回生を賭けてリリースした「ブルドッグ」は、硬派で攻撃的な歌詞や独特の奇抜なパフォーマンスが話題を呼びオリコンでは前年の「踊り子」を上回る売上を記録したが(最高位は40位)、7年連続出場したNHK紅白歌合戦には落選した。しかし、この曲はその後も後輩のジャニーズアイドル達によってライブやテレビで歌い継がれているほか、[[1987年]]には[[フジテレビ]]「[[志村けんのだいじょうぶだぁ]]」のオープニングコント「ご存知!じいさんばあさん」のネタの一部に使用されたり、更に[[1997年]]には[[富士フイルム]]「[[写ルンです]]」の[[コマーシャルソング|CMソング]]に起用され、[[2006年]]にはタレントの[[城咲仁]]によってカバーもされた。
 
 
 
[[1970年代]]中期頃から後進や後輩のアイドルやグループへと人気が移行していく。それまではグループや個人(青山、北)で雑誌などの人気投票の上位に位置することが多かったが、新御三家デビュー後の[[1973年]]頃から次第に上位から後退していく。比例するように雑誌記事やグラビアも減少していった。テレビにおけるメインレギュラー番組も[[1975年]]に降板、同じくコンサートやリサイタルの公演数も減り、ツアーもなくなり、ジャニーズ事務所の後輩やジュニアとの共演や二部構成の割合が増加する。
 
 
 
事務所の後輩であり新御三家の1人である[[郷ひろみ]]が移籍した頃から、徐々に世間の関心がニューミュージック勢に比重が移っていくのと比例して、人気やレコードセールス及び所属するジャニーズ事務所の状況も低迷する。新御三家を除いた男性アイドル冬の時代に突入し、個人での活動の比重も高くなり、それぞれの芸能活動における方向性の違いも顕著になっていった。グループよりも、ソロのタレント活動が好調で複数のレギュラー番組を抱えたおりもを見る機会の方が増えていき、メンバーの平均年齢も20代後半となり、[[1977年]]には青山が同事務所の女性タレントで元[[ミスユニバース]]日本代表の[[嶋田じゅん]]と結婚をするなど、アイドルとしての活動に限界を迎えるようになっていった(この際、東京で行われた披露宴の模様はテレビでも放送された)。
 
 
 
[[1978年]][[7月21日]]に最後のシングル「THE END-思いがけず出会ったら-/夢のかけら」をリリース、1ヵ月にわたる全国ラストツアーを行い、同年[[8月31日]]、新宿の[[東京厚生年金会館]]のステージにて解散した。 この日は、副社長のメリー喜多川が初めてステージに上がり、「これから頑張っていこうね」と言いながらメンバーたちと抱き合って泣いた。 なお、この解散コンサートの模様はテレビ番組としても放送され、再放送までされている。また解散直前にはNHKの『[[ビッグショー (テレビ番組)|ビッグショー]]』での単独ライブも放送され、初代レギュラーを務めた『レッツゴーヤング』内でも解散ライブが行われるなど、人気が下降していたとはいえ、最後まで注目を集めた続けたクループであった。解散にあたり、メンバー全員が「二度とフォーリーブスの名で再結成しない」などといった内容の念書を書かされ事務所に提出した。北と江木は解散と同時にジャニーズ事務所を退社し、翌年には青山も退社する。メンバーの中ではジャニーズ事務所在籍期間が一番長かったおりもも、1994年に退社している。
 
 
 
約12年の活動でシングル38枚を発表。そのシングル曲累計売上は約266万6千枚に及んだ。
 
 
 
=== 解散後 ===
 
解散後から再結成までの期間までは、解散直後に[[ベストアルバム]]が販売されたものの、翌[[1979年]]の[[覚せい剤取締法]]違反による北公次の逮捕以後は、[[1992年]]8月に[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]で放送された『時代を駆ける栄光のアイドル達』を除き、当時の人気に反してメディアで振り返られる機会はほぼ皆無と言っても過言ではなかった。[[1981年]]に『さよなら日劇ウエスタンカーニバル』が開催された際、この企画の為にフォーリーブスを一時的に再結成させたいという話がジャニーズ事務所に持ちかけられたが即座に断られたこともあった。編集盤も解散直後に発売された物を除くと[[1997年]][[9月21日]]発売の『アーリーシリーズ・ベスト・オブ・フォーリーブス』が初の[[ベストアルバム]]であり、アルバムの再発もCDでは[[1994年]][[5月21日]]発売の『若者』のみであった。
 
 
 
本家であるフォーリーブスによる過去の楽曲や映像の再発や放送の機会がほとんどない一方、レコードデビュー前の[[少年隊]]がテレビ番組やコンサートでフォーリーブスの代表曲であった「ブルドッグ」「踊り子」「急げ!若者」「地球はひとつ」をレパートリーとして発表。それを皮切りにジャニーズ事務所に所属する後輩のグループやジャニーズJr.によってそれらの楽曲がテレビやライブで歌われるようになった。
 
 
 
1980年代にも、おりもがレギュラー出演していた[[テレビ朝日]][[All-nippon News Network|系列]]『[[象印クイズ ヒントでピント]]』に幾度か青山と江木が出演。また[[テレビ東京]][[TXN|系列]]『飛び出せ釣り仲間』でも青山とおりもが共演している。
 
 
 
[[1990年]]頃、青山とおりもの2人で、[[静岡県]][[浜松市]][[肴町 (浜松市)|肴町]]にある同じビル内に、「ステージバー・グリッター」(3F)というショーパブと、「タレント・ミュージック・スクール」(4F)という音楽学校の2つを開いた。
 
 
 
=== 再結成 ===
 
[[2001年]]2月に[[Yahoo! JAPAN|Yahoo!]]で行われた「再結成してほしいグループ」のアンケートで1位を獲得したのをきっかけ<ref>[https://web.archive.org/web/20011106191410/http://www.sanspo.com/music/top/m0110/g_top2001100707.html フォーリーブスが23年ぶり再結成へ]、SANSPO.COM、2001年10月6日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>に、[[2002年]]1月29日、メンバー中誰よりも解散を惜しみ、節目の年の度に再結成を訴え続けていた青山の念願がかない、再結成<ref>{{cite web| date = 2009-2-4| url = http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090204/tnr0902041850009-n1.htm| title = 【葬送】フォーリーブス・青山孝史さん| publisher = MSN産経ニュース| accessdate = 2009年7月16日| archiveurl = https://web.archive.org/web/20090207045501/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090204/tnr0902041850009-n1.htm| archivedate = 2009年2月7日| deadurldate = 2017年9月}}</ref>。初日に中野サンプラザでコンサートが行われた。同年8月22日にはシングル「it's more 愛(いつも愛)」を発売。同作は[[山野楽器]]銀座本店の週間ランキングで初登場4位となった<ref>[https://web.archive.org/web/20031010194205/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200208/g_top2002090112.html フォーリーブス新曲、初登場4位 山野楽器の週間ランク]、SANSPO.COM、2002年8月31日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。
 
 
 
[[2006年]]8月27日、[[ソニー・ミュージックダイレクト]]からCD-BOX『フォーリーブス 1968-1978』が発売される。これは全シングルのA面・B面にアルバムから選んだ曲を加えた5枚組。その後ソニーミュージックショップの[http://www.sonymusicshop.jp/ordermf/index.html オーダーメイドファクトリー]でオリジナル・アルバムや青山孝のソロ・アルバムなどが復刻されている。
 
 
 
[[2006年]]8月12日、[[日本放送協会|NHK]]『第38回[[思い出のメロディー]]』に出演し「ブルドッグ」と「地球はひとつ」を歌唱した。北公次はバック転も披露した。久々のテレビ出演であり、特にNHKには前述の[[1978年]]の解散時に出演した『[[ビッグショー (テレビ番組)|ビッグショー]]』以来28年ぶりである。続く[[2007年]]1月に『[[徹子の部屋]]』にも出演した。以後の全員揃っての在京局のテレビ番組への出演は、2008年2月12日放送の『[[2時っチャオ!]]』と2008年11月11日放送の『[[NHK歌謡コンサート]]』(ブルドッグ」を歌唱)がある。また、[[2007年]]3月2日放送の『[[Dのゲキジョー]]』に江木俊夫がVTR出演した際、フォーリーブスのコンサートや舞台裏の模様も放送された。
 
 
 
『NHK歌謡コンサート』出演から約2ヶ月半後の[[2009年]][[1月28日]]、青山孝史死去<ref>{{cite news |title=フォーリーブス青山さん、肝臓がんで死去 |author= |newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date=2009-01-28 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090128-454762.html |accessdate=2012-02-23}}</ref>。同年[[3月29日]]、[[東京厚生年金会館]]でのコンサートを最後に活動休止<ref>{{cite news |title=ター坊の愛娘憂子さん11歳がタレント決意 |author= |newspaper=nikkansports.com |date=2009-03-30 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090330-476966.html |accessdate=2012-02-23}}</ref>。
 
 
 
[[2012年]][[2月22日]]、北公次死去<ref>{{cite news |title=北公次さんが死去 フォーリーブス「コーちゃん」で活躍 |author= |newspaper=
 
[[朝日新聞|朝日新聞デジタル]] |date=2012-02-22 |url=http://www.asahi.com/obituaries/update/0222/TKY201202220637.html |accessdate=2012-02-23}}</ref>。
 
 
 
[[2014年]]以降、江木とおりもの2人で、フォーリーブス名義でのコンサートを時折行っており、2016年1月27日には大阪・新歌舞伎座で「フォーリーブス コンサート~永遠の絆~結成50周年記念」を行った<ref>{{cite news |title=「フォーリーブス」、結成50年で噛みしめる「ファンあっての僕ら」(中西正男)  |author= |newspaper=Yahoo!ニュース|date=2016/1/25|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanishimasao/20160125-00053788/|accessdate=2017-10-08}}</ref>。
 
 
 
再結成時は、北=[[青]]、青山=[[緑]]、江木=[[赤]]、おりも=[[黄色]]と、イメージカラーが決められていた(ジャニーズ事務所所属時は不明)。
 
 
 
== 評価 ==
 
フォーリーブスは[[ジャニーズ]](初代ジャニーズ)に次いでジャニーズ事務所2組目のグループである。初代ジャニーズは1966年の[[グループサウンズ]]ブームが沸き起こった時に渡米中で、GSブームに乗り遅れた。対してフォーリーブスは日劇ウェスタンカーニバルでGSグループと積極的に共演し、デビュー曲に鈴木邦彦を迎えるなど、GSブームの波に乗ることに成功、「楽器を持たないGS」と呼称された{{Sfn|矢野|pp=54-58}}。
 
 
 
1970年代になるとGS人気は下火になり、代わってアーティスト性を押し出した[[ニュー・ロック]]や米国の[[対抗文化]]に由来した[[フォーク]]が台頭する。しかしジャニーズ事務所は創業者の[[ジャニー喜多川]]の活動方針から、非日常な世界を演出する舞台芸術の披露をメインに据えていたため、アーティスト性や政治性などのような個々のタレントの「自我」を前面に押し出すような楽曲を回避した。1974年のシングル「ヘイベイビー」には作曲に[[都倉俊一]]を迎え、この頃から軽快な[[ソウルミュージック]]に転換し、人気の持続に成功した{{Sfn|矢野|pp=58-66}}。
 
 
 
== シングル ==
 
#'''[[オリビアの調べ]]''' ([[1968年]]9月5日)
 
#*オリビアの調べ - 作詞:[[北公次]]、作曲:[[鈴木邦彦]]、編曲:[[森岡賢一郎]]
 
#*壁のむこうに - 作詞:[[片桐和子 (作詞家)|片桐和子]]、作曲:Mehran Ahari / Graham Sacher、編曲:[[東海林修]]
 
#'''涙のオルフェ''' (1968年12月10日)
 
#*涙のオルフェ - 作詞:[[寺山修司]]、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#*はじめてなんだ - 作詞:寺山修司、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#'''恋するジャック''' ([[1969年]]3月21日)
 
#*恋するジャック - 作詞:[[橋本淳 (作詞家)|橋本淳]]、作曲・編曲:[[すぎやまこういち]]
 
#*緑の河 - 作詞:橋本淳、作曲・編曲:すぎやまこういち
 
#'''シャボンの匂いの女の子''' (1969年8月1日)
 
#*シャボンの匂いの女の子 - 作詞:[[遠藤千恵子]]・片桐和子、作曲・編曲:Milt Rogers
 
#*朝日がのぼると - 作詞:片桐和子、作曲・編曲:Milt Rogers
 
#'''君にこの歌を''' (1969年11月24日)
 
#*君にこの歌を - 作詞:[[藤田敏雄]]、作曲・編曲:[[白鳥八郎]]
 
#*課外授業 - 作詞:[[阿久悠]]、作曲:[[山本直純]]、編曲:森岡賢一郎
 
#'''若者は旅をつづける''' ([[1970年]]2月1日)
 
#*若者は旅をつづける - 作詞:[[岩谷時子]]、作曲:[[いずみたく]]、編曲:[[大柿隆]]
 
#*愛の鐘が鳴る - 作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく、編曲:大柿隆
 
#'''[[ある兵士の賭け (フォーリーブスの曲)|ある兵士の賭け]]''' (1970年5月21日)
 
#*ある兵士の賭け - 作詞:[[阪田寛夫]]、作曲:山本直純、編曲:森岡賢一郎
 
#*草笛の天使 - 作詞:寺山修司、作曲:Joseph Liebman、編曲:森岡賢一郎
 
#'''あしたが生まれる''' (1970年7月1日)
 
#*あしたが生まれる - 作詞:[[三瓶茂夫]]・北公次、作曲:[[梶沢知弘]]、編曲:森岡賢一郎
 
#*ためらいながらも強く - 作詞:阿久悠、作曲:梶沢知弘、編曲:森岡賢一郎
 
#'''人生は一度きりだから''' (1970年11月21日)
 
#*人生は一度きりだから - 作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく、編曲:大柿隆
 
#*なぜだよ - 作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく、編曲:大柿隆
 
#'''[[約束 (フォーリーブスの曲)|約束]]''' ([[1971年]]3月1日)
 
#*約束 - 作詞:阿久悠、作曲・編曲:[[筒美京平]]
 
#*朝やけの中で - 作詞:阿久悠、作曲:梶沢知弘、編曲:森岡賢一郎
 
#'''夏の誘惑''' (1971年7月1日)
 
#*夏の誘惑 - 作詞:北公次、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#*太陽の季節 - 作詞:[[ちあき哲也]]、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#'''地球はひとつ''' (1971年11月1日)
 
#*地球はひとつ - 作詞:北公次、作曲・編曲:[[都倉俊一]]
 
#*お願いだから - 作詞:北公次、作曲・編曲:都倉俊一
 
#'''はじめての世界で''' (1971年12月1日)
 
#*はじめての世界で - 作詞:北公次、作曲:R.Davis / [[グエン・ゴーディ|G.Gordy]] / [[ベリー・ゴーディ|B.Gordy]]、編曲:G.Tage
 
#*ちょと待て下さい - 作詞・作曲:L.Garner / J.Nakashima、編曲:G.Tage
 
#'''新しい冒険''' ([[1972年]]3月21日)
 
#*新しい冒険 - 作詞:北公次、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#*愛ははじまった - 作詞:[[有馬三恵子]] 作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#'''フォーリーブスのヤンヤン体操''' (1972年7月1日)
 
#*フォーリーブスのヤンヤン体操 - 作詞:[[田村隆]]、作曲:[[三保敬太郎]]、編曲:[[岩崎宏康]]
 
#*フォーリーブスのヤンヤン・ソング - 作詞:田村隆 / [[神坂薫]]、作曲:三保敬太郎、編曲:岩崎宏康
 
#'''夏のふれあい''' (1972年7月1日)
 
#*夏のふれあい - 作詞:北公次、作曲・編曲:筒美京平
 
#*真夏の愛 - 作詞:北公次、作曲・編曲:筒美京平
 
#'''あなたの前に僕がいた''' (1972年10月21日)
 
#*あなたの前に僕がいた - 作詞:北公次、作曲・編曲:都倉俊一
 
#*孤独よさらば - 作詞:北公次、作曲・編曲:都倉俊一
 
#'''愛と死''' ([[1973年]]2月1日)
 
#*愛と死 - 作詞:北公次、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#*青空のおしゃべり - 作詞:北公次、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#'''ふたりの朝''' (1973年6月1日)
 
#*ふたりの朝 - 作詞:北公次、作曲:Alan Osmond、編曲:森岡賢一郎
 
#*ガール - 作詞:北公次、作曲:A.Osmond / M.Osmond、編曲:森岡賢一郎
 
#'''[[見上げてごらん夜の星を (曲)#フォーリーブスによるカバー|見上げてごらん夜の星を]]''' (1973年7月21日)
 
#*見上げてごらん夜の星を - 作詞:[[永六輔]]、作曲:いずみたく、編曲:[[高田弘]]
 
#*チャチャチャで勉強 - 作詞:永六輔、作曲:いずみたく、編曲:大柿隆
 
#'''大人への階段''' (1973年11月1日)
 
#*大人への階段 - 作詞:[[安井かずみ]]、作曲・編曲:[[川口真]]
 
#*若いふたりに何が起る - 作詞:安井かずみ、作曲・編曲:川口真
 
#'''あしたの悩み''' ([[1974年]]1月21日)
 
#*あしたの悩み - 作詞:安井かずみ、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#*あやまち - 作詞:[[うさみかつみ]]、作曲・編曲:鈴木邦彦
 
#'''ヘイベイビー''' (1974年4月1日)
 
#*ヘイベイビー - 作詞:[[宮下康仁]]、作曲・編曲:都倉俊一
 
#*ひとつぶの幸福 - 作詞:宮下康仁、作曲・編曲:都倉俊一
 
#'''急げ!若者''' (1974年7月21日)
 
#*急げ!若者 - 作詞:[[千家和也]]、作曲:都倉俊一、編曲:東海林修
 
#*さらば故郷の街 - 作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:東海林修
 
#'''友情''' (1974年11月1日)
 
#*友情 - 作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:東海林修
 
#*青春の絆 - 作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:東海林修
 
#'''ふたりの問題''' ([[1975年]]2月1日)
 
#*ふたりの問題 - 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦、編曲:[[馬飼野康二]]
 
#*早春のメルヘン - 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦、編曲:森岡賢一郎
 
#'''嵐のあと''' (1975年6月1日)
 
#*嵐のあと - 作詞:安井かずみ、作曲・編曲:馬飼野康二
 
#*悲しい雨 - 作詞:安井かずみ、作曲・編曲:馬飼野康二
 
#'''遠い日''' (1975年11月1日)
 
#*遠い日 - 作詞:[[小椋佳|葉月多夢]]、作曲:[[小椋佳]]、編曲:[[安田裕美]]
 
#*バイバイ? - 作詞:[[奈良橋陽子]]・片桐和子、作曲:[[タケカワユキヒデ]]、編曲:[[田辺信一]]
 
#'''めぐり逢い''' ([[1976年]]1月21日)
 
#*めぐり逢い - 作詞:片桐和子、作曲:いずみたく、編曲:[[宮本光雄]]
 
#*誘い - 作詞:片桐和子、作曲:いずみたく、編曲:宮本光雄
 
#'''魅せられし魂''' (1976年4月21日)
 
#*魅せられし魂 - 作詞:片桐和子、作曲:[[ポール・アンカ|Paul Anka]]、編曲:F.Harlow
 
#*ぼくたちの道 - 作詞:[[山川啓介]]、作曲・編曲:[[中川昌]]
 
#'''踊り子''' (1976年6月30日)
 
#*踊り子 - 作詞:阿久悠、作曲:[[井上大輔|井上忠夫]]、編曲:[[石田勝範|いしだかつのり]]
 
#*気になる女がとまり木で - 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:いしだかつのり
 
#'''ハートブレイク急行''' (1976年10月21日)
 
#*ハートブレイク急行 - 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:井上忠夫・いしだかつのり
 
#*ルージュ - 作詞:阿久悠 作曲・編曲:井上忠夫
 
#'''乾杯グラス''' ([[1977年]]2月25日)
 
#*乾杯グラス - 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:馬飼野康二
 
#*流れゆく季節に - 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:馬飼野康二
 
#'''[[ブルドッグ (フォーリーブスの曲)|ブルドッグ]]''' (1977年6月21日)
 
#*ブルドッグ - 作詞:[[伊藤アキラ]]、作曲・編曲:都倉俊一
 
#*標的 - 作詞:伊藤アキラ、作曲:都倉俊一、編曲:田辺信一
 
#'''男と女の紙芝居・三幕''' (1977年11月21日)
 
#*男と女の紙芝居・三幕 - 作詞:伊藤アキラ、作曲:都倉俊一、編曲:田辺信一
 
#*コンドル - 作詞:伊藤アキラ、作曲:都倉俊一、編曲:田辺信一
 
#'''どうして‥''' ([[1978年]]4月21日)
 
#*どうして‥ - 作詞:北公次、作曲:[[青山孝史|青山孝]]、編曲:田辺信一
 
#*プロポーズ - 作詞:北公次、作曲:青山孝、編曲:田辺信一
 
#[[宇宙のファンタジー#フォーリーブスによる日本語カバー版|宇宙のファンタジー]] (1978年7月1日)
 
#*宇宙のファンタジー - 作詞:北公次、作曲:E.Barrio / [[モーリス・ホワイト|M.White]] /  [[ヴァーダイン・ホワイト|V.White]]、編曲:いしだかつのり
 
#*銀河の覇者 - 作詞:北公次、作曲:[[フィリップ・ベイリー|P.Bailey]] / L.Dunn / M.White / V.White、編曲:いしだかつのり
 
#'''THE END -思いがけず出会ったら-''' (1978年7月21日)
 
#*THE END -思いがけず出会ったら- - 作詞:岩谷時子、作曲:青山孝、編曲:いしだかつのり
 
#*夢のかけら - 作詞:北公次 作曲:青山孝 編曲:いしだかつのり
 
#'''it's more 愛''' ([[2002年]]8月22日)
 
#*it's more 愛 - 作詞:フォーリーブス、作曲:[[青山ミチ]]、編曲:[[西込加久見]]
 
#*踊り子 2002 - 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:西込加久見
 
#*見上げてごらん夜の星を - 作詞:永六輔、作曲:いずみたく、編曲:西込加久見
 
#*it's more 愛 (カラオケ) - 作曲:青山ミチ、編曲:西込加久見
 
 
 
== 主な出演作品 ==
 
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「プロジェクト:芸能人」参照 -->
 
=== バラエティ番組 ===
 
* [[プラチナゴールデンショー]] ([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])レギュラー(第1期・第2期とも)
 
* [[ギャグジカル ジュンとヨッパ]]([[TBSテレビ|TBS]])レギュラー
 
* [[カリキュラマシーン]] (日本テレビ)レギュラー
 
* [[とことんやれ大奮戦!]](日本テレビ)レギュラー
 
* [[東芝ファミリーホール特ダネ登場!?]](日本テレビ)準レギュラー
 
* [[歌え!ヤンヤン!]]([[テレビ東京|東京12チャンネル]])レギュラー
 
* [[レッツゴーヤング]]([[NHK総合テレビジョン|NHK]])レギュラー
 
* [[チビらサンデー]]([[1976年]]7月4日 - 9月26日、[[テレビ朝日]])
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* [[おむすびコロリン]]([[1969年]]4月2日 - 9月24日、[[TBSテレビ|TBS]])第6話にゲスト出演
 
* [[おれは男だ!]]([[1971年]]2月21日 - 28日、日本テレビ)第1話と2話にゲスト出演
 
* [[青春をつっ走れ]]([[1972年]]4月 - 7月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])ゲスト出演
 
* [[ぼくは叔父さん]]([[1973年]]10月 - 1974年3月、日本テレビ)
 
* [[ボクは女学生]](1973年10月5日 - 12月、フジテレビ)
 
* [[小さなスーパーマン ガンバロン]]([[1977年]]4月3日、日本テレビ)第1話にゲスト出演
 
 
 
=== 映画 ===
 
* 初笑いびっくり武士道(1972年1月21日公開、[[松竹]]・大船撮影所) - 2003年6月に『びっくり武士道』のタイトルでDVD化。
 
* 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS(1974年7月20日公開、[[東宝]]/ジャック・プロ) - 共演した[[郷ひろみ]]や9名のジャニーズ・ジュニアと共に舞台挨拶も行う。
 
 
 
=== ラジオ ===
 
==== おりも政夫 ====
 
* [[燃えよせんみつ足かけ二日大進撃|ロッテ 集まれ!ヤンヤン 熱気でムンムン!]](1975年8月 - 、[[ニッポン放送]]、公開録音番組)
 
 
 
=== ミュージカル ===
 
* いつかどこかで〜フォーリーブス物語(1967年6月、[[フェスティバルホール|大阪フェスティバルホール]]) [[ジャニーズJr.]]としての出演
 
* フォーリーブスヤングサプライズ「少年たち」(1969年12月、大阪フェスティバルホール、[[日生劇場]])
 
** 少年たちシリーズ〜ミュージカル'70 「少年たち-完結篇-」(1970年5月30日&6月1日、日生劇場)
 
** 少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「素足で駆けるとき」 (1970年、企画・構成・演出:フォーリーブス、[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加作品ミュージカル)
 
** 少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「太陽からの少年」(1971年4月)
 
** 少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「明日なき友情」(1971年8月)
 
** 少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ライブ・ミュージカル「生きていくのは僕たちだ!」(1972年1月、[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加作品ミュージカル、[[帝国劇場]])
 
* オー・マイ・ママ(1969年12月)
 
* フォーリーブス・ショー「希望の翼」(1970年12月)
 
* ミュージカル・コメディー「おかしな童話」(1972年3月)
 
* ミュージカル「僕がうたうとき!」(1972年8月)
 
* 星に帰った若者(1973年1月)
 
* 見上げてごらん夜の星を(1973年7 - 8月、フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル)
 
* ミュージカル「発射前17時間」(1974年8月)
 
* オリジナルミュージカルプレイ 「友情」(1975年、「フォーリーブス リサイタル'75」にて)
 
* ライブ・ミュージカル「少年たちパートII〜青春の光と影」(1976年3月、「フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVOL.1」にて)
 
* ウェルカム・トウ・ザ・ショー フォーリーブス物語(1976年8月、「フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVOL.2」にて)
 
 
 
=== 日本劇場でのステージ ===
 
* 第33回ウエスタン・カーニバル(1967年8月26日 - 9月1日)
 
* 第34回ウエスタン・カーニバル(1968年1月15日 - 22日)
 
* 第35回ウエスタン・カーニバル(1968年5月4日 - 10日)
 
* 第36回ウエスタン・カーニバル(1968年8月26日 - 9月2日)
 
* 第37回ウエスタン・カーニバル(1969年1月14日 - 21日)
 
* 第38回ウエスタン・カーニバル(1969年5月5日 - 12日)
 
* [[小川知子 (女優)|小川知子]]ショー(1969年5月20日 - 26日)
 
* 第39回ウエスタン・カーニバル(1969年8月25日 - 9月1日)
 
* 第40回ウエスタン・カーニバル(1970年1月15日 - 22日)
 
* 第41回ウエスタン・カーニバル(1970年5月2日 - 8日)
 
* 第42回ウエスタン・カーニバル(1970年8月25日 - 9月1日)
 
* 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル(1971年1月15日 - 22日)
 
* 第44回日劇ウエスタン・カーニバル~みんなで踊ろう!(1971年4月23日 - 29日)
 
* 第45回ウエスタン・カーニバル(1971年8月27日 - 9月2日)
 
* 第46回ウエスタン・カーニバル(1972年1月15日 - 22日)
 
* 第49回ウエスタン・カーニバル「フォーリーブスショー」(1973年5月4日、小井戸秀宅とともに北公次が振付を担当)
 
* 第54回ウエスタン・カーニバル (1975年8月28日)
 
 
 
=== NHK紅白歌合戦出場歴 ===
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
! 年度/放送回!! 回!! 曲目!! 出演順!! 対戦相手
 
|-
 
|[[1970年]](昭和45年)/[[第21回NHK紅白歌合戦|第21回]]||初||あしたが生まれる||20/24||[[奥村チヨ]]
 
|-
 
|[[1971年]](昭和46年)/[[第22回NHK紅白歌合戦|第22回]]||2||地球はひとつ||13/25||[[朝丘雪路]]
 
|-
 
|[[1972年]](昭和47年)/[[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]]||3||夏のふれあい||02/23||[[和田アキ子]]
 
|-
 
|[[1973年]](昭和48年)/[[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]]||4||若いふたりに何が起る||07/22||[[金井克子]]
 
|-
 
|[[1974年]](昭和49年)/[[第25回NHK紅白歌合戦|第25回]]||5||急げ!若者||04/25||[[小柳ルミ子]]
 
|-
 
|[[1975年]](昭和50年)/[[第26回NHK紅白歌合戦|第26回]]||6||ハッピー・ピープル||11/24||[[アグネス・チャン]]
 
|-
 
|[[1976年]](昭和51年)/[[第27回NHK紅白歌合戦|第27回]]||7||踊り子||03/24||[[キャンディーズ]]
 
|}
 
;注意点
 
 
 
* 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
 
 
 
=== CM ===
 
* [[ソニー]]「カセットコーダー」(1969年)
 
* [[コカ・コーラ]]
 
* [[ロッテ]]
 
 
 
== 書籍 ==
 
* フォーリーブスの伝説(1976年、[[泰流社|たいりゅう社]])
 
* フォーリーブス 青春共和国(ペップ出版)
 
* 抱きしめたい~I wanna hold your heart(2003年1月31日、[[実業之日本社]])
 
** 出版記念として、銀座・[[福家書店]]にて握手会が開催された。
 
* みあげてごらん~いつも愛~(2004年3月25日、スタジオワープ)
 
**4人が作と文を担当した絵本。
 
 
 
=== 写真集 ===
 
* フォーリーブス イン U.S.A.(1972年12月、[[講談社]])
 
 
 
==脚注・出典==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book |和書 |author=[[矢野利裕]] |title=ジャニーズと日本 |date=2016年12月20日 |publisher=講談社現代新書 |isbn=978-4-06-288402-0 |ref={{SfnRef|矢野}} }}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[ジャニーズ事務所]]
 
* [[ハイソサエティー]]
 
* [[スーパーエイジス]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://fenterprise.jp/ 所属事務所「(株)エフエンタープライズ」]
 
* [http://www6.big.or.jp/~f-enter/tarent-page-fl.html エフエンタープライズの旧サイト版でのプロフィール]
 
* [http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/fourleaves/ 「フォーリーブス 1968-1978」の詳細]
 
 
 
{{DEFAULTSORT:ふおおりいふす}}
 
[[Category:ジャニーズ]]
 
[[Category:日本の歌手グループ]]
 
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]
 
[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]
 
[[Category:4人組の音楽グループ]]
 
[[Category:名数4]]
 

2019/4/27/ (土) 19:51時点における最新版



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