「ビートたけし」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(北野武への転送ページ)
(タグ: New redirect)
 
1行目: 1行目:
 
+
#転送 [[北野武]]
{{Infobox お笑い芸人
 
| 名前          = ビートたけし<br />(北野 武)
 
| 画像          = [[ファイル:Takeshi Kitano 2017.jpg|230px]]
 
| キャプション  = 2017年3月16日、[[ゴースト・イン・ザ・シェル (映画)|ゴースト・イン・ザ・シェル]]ワールドプレミア試写会にて
 
| 本名          = 北野 武(きたの たけし)
 
| ニックネーム  = たけちゃん、たけし、殿、世界のキタノ
 
| 別名義        = 北野武、マス北野
 
| 生年月日      = {{生年月日と年齢|1947|1|18}}
 
| 没年月日      = <!--{{死亡年月日と没年齢|yyyy|mm|dd|yyyy|mm|dd}}-->
 
| 出身地        = {{JPN}}・[[東京都]][[足立区]][[島根 (足立区)|島根]]
 
| 血液型        = [[ABO式血液型|O型]]
 
| 身長          = 168cm
 
| 方言          = [[江戸弁]]
 
| 最終学歴      = [[明治大学]][[工学部]](現:[[理工学部]])機械工学科除籍(のちに特別卒業認定)
 
| 師匠          = [[深見千三郎]]、[[コロムビア・ライト]]、[[松鶴家千代若・千代菊]]、[[立川談志]]、[[立川談春]]
 
| 出身          = [[浅草フランス座]]
 
| コンビ名      = [[ツービート]]
 
| トリオ名      =
 
| グループ名    = 亀有ブラザーズ→北千住ブラザーズ
 
| 相方          = [[ビートきよし]]
 
| 芸風          = [[漫才]](ツッコミ→ボケ)
 
| 立ち位置      = 左
 
| 事務所        =[[ライト企画]]→フリー→[[吉川事務所]]→[[太田プロダクション]]→[[オフィス北野]]→フリー→[[T.Nゴン]]
 
| 活動時期      = 1972年 -
 
| 同期          = [[笑福亭鶴瓶]]
 
| 現在の代表番組=
 
<small>'''レギュラー番組'''</small><br />[[ビートたけしのTVタックル]]([[日曜日|日]])<br />[[ビートたけしのスポーツ大将]]([[日曜日|日]])<br />[[世界まる見え!テレビ特捜部]]([[月曜日|月]])<br />[[名医とつながる!たけしの家庭の医学]]([[火曜日|火]])<br />[[奇跡体験!アンビリバボー]]([[木曜日|木]])<br />[[たけしのニッポンのミカタ!]]([[金曜日|金]])<br />[[情報7days ニュースキャスター]]([[土曜日|土]])<br /><small>'''スペシャル番組'''</small><br />[[平成教育委員会]]<br />[[ビートたけしの禁断の大暴露!!超常現象(秘)Xファイル]]<br />[[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI]]<br />
 
| 過去の代表番組= [[天才・たけしの元気が出るテレビ!!|元気が出るテレビ!!]]<br />[[スーパージョッキー]]<br />[[オレたちひょうきん族|ひょうきん族]]<br />[[ビートたけしのスポーツ大将|スポーツ大将]]<br />[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城|風雲!たけし城]]<br />[[北野ファンクラブ]] 他多数
 
| 作品          = [[映画]]「[[その男、凶暴につき]]」<br />映画「[[HANA-BI]]」<br />映画「[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]」<br />[[著書]]「[[たけしくん、ハイ!]]」<br />著書「[[浅草キッド]]」
 
| 他の活動      = [[映画監督]]、[[脚本家]]、[[大学教授]]、[[歌手]]、[[芸術家]]、[[作家]]、[[編集家]]
 
| 配偶者        = [[北野幹子]]
 
| 親族          = [[北野大]](実兄)<br />[[北野井子]](実娘) 北野篤(実息)<br />[[松田秀士]](義弟)
 
| 弟子          = [[たけし軍団]]
 
| 公式サイト    = [http://www.office-kitano.co.jp/ OFFICE-KITANO WEB SITE]
 
| 受賞歴        =
 
* 1990年 トリノ国際映画祭 特別賞
 
* 1990年 [[日本映画監督協会新人賞|日本映画監督協会新人奨励賞]]
 
* 1993年 タオルミナ国際映画祭 カリッディ金賞<ref>[http://www.office-kitano.co.jp/brother/japanese/film/producers.html Brother -- About the Film/Producers - オフィス北野]</ref>
 
* 1993年 コニャック国際映画祭 批評家賞
 
* 1997年 [[ヴェネツィア国際映画祭]] 金獅子賞
 
* 1998年 ニューヨーク国際映画祭 国際映画賞
 
* 1998年 サンパウロ国際映画祭 批評家賞
 
* 1999年 [[芸術文化勲章]] シュヴァリエ(騎士)<ref name="kotobank1">{{Cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97|title=ビートたけし|date=2008|accessdate=2010-03-21|publisher=講談社|work=デジタル版 日本人名大辞典+Plus}}</ref>
 
* 2002年 ダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞
 
* 2003年 ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞
 
* 2003年 [[シッチェス・カタロニア国際映画祭]] グランプリ
 
* 2003年 [[トロント国際映画祭]] グランプリ
 
* 2004年 明治大学特別功労賞
 
* 2006年 ガリレオ2000賞 文化特別賞
 
* 2007年 ヴェネツィア国際映画祭 [[監督・ばんざい!賞]]
 
* 2008年 [[モスクワ国際映画祭]] 特別功労賞
 
* 2008年 [[テッサロニキ国際映画祭]] ゴールデン・アレクサンダー名誉賞
 
* 2009年 ソフィア国際映画祭 観客賞
 
* 2010年 芸術文化勲章 コマンドゥール(騎士団長)<ref>{{Cite news |url = http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201003090424.html | title = 北野武さんに仏芸術文化勲章の最高章 | publisher = [[朝日新聞デジタル]] | date = 2010-03-09 | accessdate = 2016-03-13 }}</ref>
 
* 2014年 シャンパーニュ騎士団 オフィシエ・ドヌール([[名誉隊長]])<ref name="ORICON20150605">{{Cite news |title=たけし、フランスで史上3人目の栄誉 『名誉侍従』受賞 |newspaper=[[ORICON STYLE]] |date=2003-06-05 |url=http://www.oricon.co.jp/news/2053188/full/ |accessdate=2015-06-03 |publisher=[[オリコン]]}}</ref>
 
* 2015年 シャンパーニュ騎士団 シャンベラン・ドヌール([[名誉侍従]])<ref name="ORICON20150605" />
 
([[東京スポーツ映画大賞]]での受賞歴は除く)
 
* 2015年 第8回[[したまちコメディ映画祭in台東]] コメディ栄誉賞<ref name="comedy">{{cite web|url=http://eiga.com/news/20150616/1/|title=ビートたけし、第8回したコメ「コメディ栄誉賞」を受賞 「菊次郎の夏」の凱旋上映も決定|publisher=映画.com|date=2015-06-16|accessdate=2015-06-17}}</ref>
 
* 2016年 [[レジオン・ドヌール勲章]] オフィシエ(将校)
 
* 2018年 [[旭日小綬章]]
 
}}
 
 
 
{{ActorActress
 
| 芸名 = 北野 武
 
| ふりがな = きたの たけし
 
| 画像ファイル =
 
| 画像サイズ =
 
| 画像コメント =
 
| 本名 = 北野 武
 
| 出生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[足立区]][[島根 (足立区)|島根]]
 
| 死没地 =
 
| 国籍 = {{JPN}}
 
| 身長 = 168cm
 
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]
 
| 生年 = 1947
 
| 生月 = 1
 
| 生日 = 18
 
| 没年 =
 
| 没月 =
 
| 没日 =
 
| 職業 = [[映画監督]]、[[脚本家]]、編集家
 
| ジャンル = [[映画]]
 
| 活動期間 =
 
| 配偶者 =
 
| 著名な家族 =
 
| 事務所 =
 
| 公式サイト =
 
| 主な作品 = 『[[その男、凶暴につき]]』<br />『[[あの夏、いちばん静かな海。]]』<br />『[[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]』<br />『[[キッズ・リターン]]』<br />『[[HANA-BI]]』<br />『[[菊次郎の夏]]』<br />『[[BROTHER]]』<br />『[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]』<br />『[[アウトレイジ (2010年の映画)|アウトレイジ]]』シリーズ<br />『[[龍三と七人の子分たち]]』
 
| 東京国際映画祭 = '''特別賞'''<br />[[第24回東京国際映画祭|2014年]] 世界の映画界への長年に渡る貢献に対して
 
| ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[金獅子賞]]'''<br />[[第54回ヴェネツィア国際映画祭|1997年]]『[[HANA-BI]]』<br />'''[[銀獅子賞]]'''<br />[[第60回ヴェネツィア国際映画祭|2003年]]『[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]』<br />'''[[監督・ばんざい!賞|特別賞]]'''<br />[[第64回ヴェネツィア国際映画祭|2007年]]『[[監督・ばんざい!]]』
 
| 日本アカデミー賞 = '''最優秀編集賞'''<br />[[第27回日本アカデミー賞|2003年]]『座頭市』<br />'''優秀作品賞'''<br />[[第15回日本アカデミー賞|1991年]]『[[あの夏、いちばん静かな海。]]』<br />[[第27回日本アカデミー賞|1998年]]『HANA-BI』<br />[[第23回日本アカデミー賞|1999年]]『[[菊次郎の夏]]』<br />2003年『座頭市』<br />'''優秀監督賞'''<br />1991年『あの夏、いちばん静かな海。』<br />1998年『HANA-BI』<br />'''優秀脚本賞'''<br />1991年『あの夏、いちばん静かな海。』<br />1998年『HANA-BI』』<br />'''優秀編集賞'''<br />1991年『あの夏、いちばん静かな海。』<br />1998年『HANA-BI』<br />[[2017年]]『[[アウトレイジ 最終章]]』<br />'''優秀主演男優賞'''<br />[[第13回日本アカデミー賞|1989年]]『[[その男、凶暴につき]]』<br />1998年『HANA-BI』<br />'''優秀助演男優賞'''<br />[[第7回日本アカデミー賞|1983年]]『[[戦場のメリークリスマス]]』<br />[[第9回日本アカデミー賞|1985年]]『[[夜叉 (映画)|夜叉]]』
 
| ブルーリボン賞 = '''作品賞'''<br />[[1991年]]『あの夏、いちばん静かな海。』<br />[[1998年]]『HANA-BI』<br />'''監督賞'''<br />1991年『あの夏、いちばん静かな海。』<br />[[1996年]]『[[キッズ・リターン]]』<br />1998年『HANA-BI』<br />'''主演男優賞'''<br />1998年『HANA-BI』<br />'''助演男優賞'''<br />[[1985年]]『夜叉』
 
| ヨーロッパ映画賞 = '''国際映画賞'''<br />[[1997年]]『HANA-BI』
 
| 備考 =
 
}}
 
[[File:Takeshi_Kitano_Signature.svg|thumb|サイン]]
 
'''ビートたけし'''([[1947年]][[1月18日]] - )は、[[日本]]の[[お笑いタレント]]、[[司会|司会者]]、[[映画監督]]である。本名:'''北野 武'''(きたの たけし)。[[東京都]][[足立区]][[島根 (足立区)|島根]]出身。
 
 
 
[[タモリ]]、[[明石家さんま]]と共に、[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|日本のお笑いBIG3]]の一角を担う。[[海外|日本国外]]では本名'''北野 武'''で、映画監督として知られる。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[1980年代]]初頭に起こった漫才ブームの中で社会風刺を題材としたシニカルな笑いで[[ツービート]]は人気を獲得、[[フジテレビ]][[THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)|THE MANZAI]]やその後継であった[[オレたちひょうきん族]]らに出演し番組が大ヒット、一般人、芸能人問わず未だに発言や行動に多大な影響力をもつ人物の一人。
 
1990年代頃より[[司会]]業や映画監督業が中心で、中には20年以上続く[[番組]]がある。
 
 
 
映画監督時や『[[平成教育委員会]]』([[フジテレビ系列|フジテレビ]]系列)などの番組では本名の「'''北野武'''」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは[[芸名]]の「'''ビートたけし'''」で[[タレント]][[活動]]している。これに関して、2010年([[平成]]22年)5月9日放送『平成教育委員会』では、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano(北野武)』だが、『Beat Takeshi Kitano(ビートたけし北野)』と、いう、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。
 
 
 
また、[[絵画]]では「'''ビートたけし・北野武'''」と言う名義で活躍もしている。
 
 
 
立川談志一門でもあり、高座名「立川錦之助」を持つ<ref group="注">たけしがファンであった初代[[萬屋錦之介|中村錦之助]]に因む。</ref>。近年は落語を口演する際、[[立川談春]]から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。
 
 
 
[[東京都立足立高等学校]]から[[明治大学]]工学部(現理工学部)機械工学科除籍([[特別卒業|のちに特別卒業]]認定)。元・[[東京芸術大学]][[大学院]]映像研究科特別[[教授]](2005年 - 2008年)<!-- 学士(工学)。-->
 
 
 
== 来歴 ==
 
=== 幼少時代 ===
 
塗装職人の父・北野菊次郎(1899年<ref group="注">旧姓正端菊次郎 浅草生まれ。1925年8月叔母北野うしと養子縁組、北野姓になる。同月さきと結婚。2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」{{要高次出典|date=2018年3月}}</ref> - 1979年)と、母・北野さき(1904年<ref group="注">旧姓小宮さき 千葉県市原市五井生。1923年1月に北野うしの実子である徳次郎と結婚。同年8月徳次郎急逝。1925年8月、うしと養子縁組した菊次郎と結婚。2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」{{要高次出典|date=2018年3月}}</ref> - 1999年)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「'''武(たけし)'''」と命名された。『[[平凡パンチ]]』[[1978年]][[11月13日]]号のインタビュー記事では「[[浅草]]に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「[[週刊サンケイ]]」の[[小林信彦]]との対談でも「生まれたのは[[浅草]]で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している<ref>「週刊サンケイ」 1982年1月7日・14日号、64頁</ref>。色白で細面、小柄だが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の[[北野うし]]に非常に可愛がられて育った(家族構成は、[[ビートたけし#家族・縁戚|「家族・縁戚」]]を参照)。母親からは厳しく接せられた。
 
 
 
足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心だった母の薫陶が功を奏し成績は優秀で、特に[[算数]]と[[図画工作]]が得意だった。小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた[[足立区立第四中学校]]へ[[越境入学]]した。中学卒業後、[[東京都立足立高等学校]]に入学。なお、小・中・高といずれも[[野球部]]に所属(高校は、[[軟式野球|軟式野球部]])したが、高校時期に[[ヨネクラボクシングジム|ヨネクラジム]]でボクシングを習っていたという。なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また[[未成年]]時代に[[酒|飲酒]]していたことも自身の著書で明かしている。
 
 
 
=== 大学時代 ===
 
[[1965年]]([[昭和]]40年)に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の[[理工学部]])[[機械工学科]]に現役合格し入学。しかし大学での生活には適応できず、[[五月病]]を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、[[新宿]]界隈で当ての無い日々を送るようになる。
 
 
 
[[学生運動]]にも参加したが熱心ではなく、[[ジャズ]]に傾倒する。“LeftyCandy”や「新宿ACB(アシベ)」、[[名曲喫茶]]「[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]」などに入り浸った。また、[[ジャズ喫茶]]のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。新宿のジャズ喫茶「ビザール」では、[[若松孝二]]、[[小水一男]]らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に[[萩原朔美]]がいた。ヴィレッジヴァンガード<!--[[Wikipedia:削除依頼/ヴィレッジヴァンガード (東京都新宿区)]]-->で、遅番のボーイとして働いていた時は、[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]]の[[永山則夫]]が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったという<ref group="注">後年、これに続けて「死に場所探して生きるもよし」と加えた詞を作り、『死んだ犬』として発表した(作曲:[[泉谷しげる]])</ref>。
 
 
 
この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧の青春時代を過ごす。ジャズ喫茶のボーイ<ref name="mikata">{{Cite web|url=http://www.tv-tokyo.co.jp/mikata/backnumber/130426.html|title=[[たけしのニッポンのミカタ!]](2013年4月26日放送分)|publisher=テレビ東京|accessdate=2013-06-26}}</ref>以外に、菓子の計り売り<ref name="mikata" />、[[実演販売|実演販売員]]<ref name="mikata" />、ビルの[[解体|解体工]]<ref name="mikata" />、[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]のボーイ<ref name="mikata" />、[[東京国際空港]]での荷卸し<ref name="mikata" />、タクシー運転手<ref name="mikata" />、ガソリンスタンド店員<ref name="mikata" />を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客だった[[中上健次]]が先輩におり共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた<ref>[[笑っていいとも!]][[テレフォンショッキング]](2012年10月1日放送分)</ref>。後に[[通訳]]になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの[[若松プロダクション|若松プロ]]初期作品に[[端役]]ながら出演したり<ref group="注">小水は『[[ほしをつぐもの]]』(1990年)で、若松は『[[エロティックな関係]]』(1992年)で、再びたけしを撮った</ref>、学生演劇に参加したが、[[ヴォードヴィル]]のような[[軽演劇]]で、舞台役者ではなく構成に携わっていたという。
 
 
 
大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに[[除籍 (学籍)|除籍]]。のち、[[2004年]]([[平成]]16年)9月7日、明治大学より「[[特別卒業]]認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)<ref group="注">100単位以上を取得しながら、何らかの理由で通学できなくなった人物に与える制度。</ref>及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。
 
 
 
=== 前座時代 ===
 
学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。[[芸能]]に興味はあったが、[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ演劇]]には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし[[演芸]]なら自分にも理解できるだろう<ref>『[[驚きももの木20世紀]] - 伝説の浅草芸人・深見千三郎と最後の弟子』朝日放送、1996年</ref>」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。
 
 
 
1972年(昭和47年)夏、浅草の[[ストリップ (性風俗)|ストリップ]]劇場・[[フランス座|浅草フランス座]]で、芸人見習い志願として[[エレベーターガール|エレベーターボーイ]]を始める。当時、たけしと思しき人物を見た[[井上ひさし]]は「不機嫌そうな青年<ref>ビートたけし『浅草キッド』新潮社〈新潮文庫〉、1992年(文庫版解説) ISBN 978-4101225128</ref>」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった[[深見千三郎]]に師事し、前座芸人・北千太として[[コント]](軽演劇)を学ぶ。初舞台は、[[痴漢]]のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人として[[タップダンス]]の修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台では[[即興|アドリブ]]を駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の4畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。
 
 
 
長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除)<ref group="注">これにより芸人としての師弟関係は途絶するが、個人的な付き合いは継続していた。また、引き続き、フランス座の屋根裏部屋に住むことが許されたという。深見の下に立ち寄った北野に対して「タケ手前、馬鹿野郎、何しに来やがった! ラーメンでも食っていくか?」と粗雑ながら甲斐甲斐しくもてなされていた。</ref>、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。
 
 
 
=== ツービート結成 ===
 
{{Main|ツービート}}
 
コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の'''[[ビートきよし|兼子二郎]]'''からも漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわった武は漫才コンビに慎重だったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定の相方の病気もあり、また、[[背広]]一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、「松鶴家次郎」の芸名で舞台に上がることを了承した(兼子の芸名は「松鶴家二郎」)。なお、深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。
 
 
 
当初は、兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。兼子が一時[[コロムビア・ライト]]の[[付き人]]をして生活を凌いでいたため、その縁で'''空たかし・きよし'''([[コロムビア・トップ・ライト]]の一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方の弟子なので「空」だけとなった。)と名乗り、[[営業]]に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。演芸場のギャラは安いため、地方[[キャバレー (風俗)|キャバレー]]なども回るようになるが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、[[酩酊]]して舞台に上がることが多かった。また、店を誹謗したり、客や[[ホステス]]に喧嘩を吹っ掛けたので、度々舞台から降ろされたため、兼子は場繋ぎに使う[[奇術]]ネタを用意していたという。そして、この頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。
 
 
 
紆余曲折の後、2人はコンビ名を「'''ツービート''' ([[ドラム・ビート#2ビート|two beat]])」へと変更し、たけしは「'''ビートたけし'''」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。
 
 
 
丁度その頃、大阪で頭角を現して来た[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]のスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌していった。
 
それに呼応するように、服装も[[タキシード]]に[[蝶ネクタイ]]から[[アイビー|アイビー・ルック]]へ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で[[浅草松竹演芸場|松竹演芸場]]の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。[[毒舌]]の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、[[ボーイズ (演芸)|ボーイズグループ]]の楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。
 
 
 
=== 漫才ブームまで ===
 
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという<ref>ビートたけし『午前3時25分!』 『平凡パンチ』平凡出版株式会社、1983年 ISBN 978-4900416000</ref>。1976年(昭和51年)協団が主催する[[NHK新人演芸大賞|NHK新人漫才コンクール]]にツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。
 
 
 
1978年(昭和53年)、[[新宿区]][[高田馬場]]の芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした[[高信太郎]]との繋がりでたけしも、[[高平哲郎]]や[[赤塚不二夫]]、[[タモリ]]などと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。
 
 
 
1979年(昭和54年)、女流漫才師「ミキ&ミチ」の[[北野幹子|内海ミキ]]と[[結婚]]。[[犬吠埼]]([[千葉県]])にて[[新婚旅行]]<ref> ビートたけし『たけし! オレの毒ガス半世紀』(講談社 171頁)</ref>、[[亀有]]のアパートで生活を始める。
 
 
 
9月12日、父菊次郎逝去。
 
<ref>2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」</ref>
 
 
 
11月、『[[花王名人劇場]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]] 企画:[[澤田隆治]])において、人気落語家・[[月の家圓鏡|月の家円鏡]](8代目・[[橘家圓蔵 (8代目)|橘家圓蔵]])の共演者に抜擢される。古典派から「[[邪道]]」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「[[激突!漫才新幹線]]」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。
 
 
 
=== 漫才ブーム ===
 
1980年(昭和55年)、「[[漫才ブーム|マンザイブーム]]」(旧来の“漫才”と区別される為にカタカナ表記)が起こり、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bや[[ザ・ぼんち]]等と共に一躍知名度を上げた。
 
 
 
[[速射砲]]さながらに喋りまくり、時おり[[弾倉]]を交換するかのごとく首を「くっ」と捻るたけしの姿は、個性派揃いの漫才師の中でも異彩を放った。その毒舌が織りなすネタの主題となったのは、[[おじいさん|ジジイ]]・[[おばあさん|ババア]]・[[不細工|ブス]]・カッペ(田舎者)で、さらに[[糞|ウンコ]]と[[ヤクザ]]と[[子供|ガキ]]が頻繁に登場した。また、[[神奈川金属バット両親殺害事件|金属バット殺人事件]]や[[深川通り魔殺人事件]]といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れた。これらの不謹慎ネタは「'''残酷ギャグ'''」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。[[日本船舶振興会]]のCMを皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば怖くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け。」等の一連の[[標語]]ネタは「'''毒ガス標語'''」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。
 
 
 
1980年(昭和55年)6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。
 
 
 
[[File:Comaneci 2014-11-28.gif|thumb|right|100px|[[レオタード]]の[[ハイレグ]]を擬した「コマネチ」]]
 
この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であった[[せんだみつお]]と楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「'''[[ナディア・コマネチ|コマネチ!]]'''」のギャグが生まれた<ref>せんだみつお『ナハ』東京書籍、2002年 ISBN 4487797144</ref>。
 
 
 
1981年(昭和56年)1月、TBSで『[[二百三高地]]』の連続ドラマが製作され、ツービートは兵卒役として出演したが、たけしは乱戦の最中「コマネチ!」で自己主張をはかり、監督以下の顰蹙を買った。なお後年、ヴェネツィア国際映画祭で[[金獅子賞]]を受賞した際には、『コマネチ!』という記念本に寄せてコマネチ本人から祝福の手紙が贈られた。
 
 
 
1980年(昭和55年)10月、漫才師による昼の帯番組『[[笑ってる場合ですよ!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年(昭和57年)10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』が開始された)。
 
 
 
1982年(昭和57年)の夏にはブームは完全に終息し、たけしは“タレント・ビートたけし”として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。
 
 
 
=== 漫才ブーム以後 ===
 
{{See also|#映画監督「北野武」}}
 
漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、[[人格|パーソナリティ]]を軸とした芸風に移行していく。
 
 
 
1981年(昭和56年)元旦から[[ニッポン放送]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系のラジオ番組『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。
 
 
 
1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為“ボーヤ”と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『スーパージョッキー』、[[TBSテレビ|TBS]]『[[笑ってポン!]]』等が始まった。また、博識が評価されて、[[毎日放送]]『[[世界まるごとHOWマッチ]]』等で文化人的な出演要請も増えた。
 
*スーパージョッキー(日本テレビ)
 
*[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]](日本テレビ)
 
*[[ビートたけしのスポーツ大将]]([[テレビ朝日]])
 
*[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]] (TBS)
 
*[[OH!たけし]](日本テレビ)
 
*世界まるごとHOWマッチ([[MBSテレビ|毎日放送]])
 
*オレたちひょうきん族(フジテレビ)
 
*オールナイトニッポン(ニッポン放送)
 
上記は、1985年(昭和60年)当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。
 
 
 
その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、[[ファミリーコンピュータ]]のゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・[[明石家さんま]]と共に、「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|日本のお笑いタレントBIG3]]」と称されることとなった。
 
 
 
1986年(昭和61年)12月、[[たけし軍団]]の軍団員とともに[[講談社]]の[[フライデー]]編集部を襲撃、住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、[[大塚警察署]]によって[[現行犯逮捕]]される。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され当時の官房長官がコメントを出すなど社会現象になった。{{main|フライデー襲撃事件}}
 
 
 
1994年(平成6年)8月、バイクによる自損事故を起こし重傷を負う。(詳細は後述)
 
 
 
漫才を披露する事はほとんどなくなったが、かつてはTVでは島田洋七との「B & Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある<ref>『とんねるずのみなさんのおかげでした』フジテレビ系列 2010年9月30日放送など</ref>。
 
 
 
過去に4回「クイズ$ミリオネア」に挑戦した。
 
*1回目は博士とタカと3人で100万円獲得。
 
*2回目は1人で100万円獲得(テレフォン3回使用)。
 
*3回目は15問連続正解で1000万円を獲得した。
 
*4回目は9問正解で10万円獲得した(テレフォン2回使用)。
 
 
 
2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷の[[CBGKシブゲキ!!]]にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、何処の局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」<ref>{{Cite web |url=http://office-kitano.co.jp/newspost/11608 |title=10/27(月) ビートたけしライブ 開催決定! |accessdate=2015-06-10 |date= |work=オフィス北野公式ページ |publisher=[[オフィス北野]] }}</ref>。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった<ref>{{Cite web |url=http://www.rbbtoday.com/article/2014/10/27/124825.html |title=ビートたけし、“ほぼ単独”ライブ開催……前説のダイノジ大谷が緊張 |accessdate=2015-06-10 |date=2014-10-27 |work=RBB TODAY |publisher=[[イード]] }}</ref>。
 
 
 
== 人物 ==
 
[[ファイル:ビートたけしの手形.jpg|thumb|right|浅草公会堂の手形]]
 
=== 特徴 ===
 
[[一人称|自称]]は「俺」「僕」「オイラ」。それぞれ場の雰囲気に合わせ使い分けている。「オイラ」は下町・職人言葉の位置づけで、自身が育った[[島根 (足立区)|島根町]]が職人街だったことと関連するとしている。かつて足立区の広報誌から受けたインタビューでは、「足立は東京の下町だね。その足立の下町が島根だというの。島根は下町の中の下町。足立の中の足立だって思うんだよね」とコメントした。
 
 
 
たけしの[[物真似|ものまね]]をする際の動作として定番化している頻繁に首をひねる動作(しかし、たけし本人は[[1990年代]]以降はあまり見せなくなっている)は癖ではなく、ツービート時代に「トランポリンで飛び跳ねながら漫才をやってくれ」と頼まれ、稽古中に頭から落下してしまい[[頸椎]]を負傷、以後しばらくの年月に渡り首に違和感があったためと『[[週刊ポスト]]』の連載コラムで述べている。
 
 
 
たけしが司会のバラエティ番組などにおいて、他の出演者(主に女優や子供タレント、たけしより先輩のタレント等)がくだらないことを言ったり、話が噛み合わなかったりなどちょっとしたミスをするとたけしの近くにいるタレント(例:「[[世界まる見え!テレビ特捜部]]」の[[所ジョージ]])やたけし軍団などの後輩芸人をたけしが[[ピコピコハンマー]]や[[ハリセン]]、[[メガホン]]で叩いて笑いに変えることがある(例:たけし「あいつを何とかしろ!ピコッ!」)。これは、たけしが過去に出演した映画「戦場のメリークリスマス」において、監督の大島渚が、たけしがNGを出した場合、本業が俳優でないたけしへの配慮として助監督が代わりに叱られるというものから来ている(詳しくは[[戦場のメリークリスマス]]の『エピソード』欄を参照)。このたけしのやり方によって、普段はなかなかツッコめない女優や先輩タレント相手または、ロケなどでちょっと離れた場所にいるタレントにも(間接的ではあるが)結果的にツッコむことができるので、このツッコミをマネする芸人もいる。
 
 
 
また番組冒頭で「というわけで(ございましてですね)…」という台詞と同時に司会を始めるたけしのスタイルは、元々は他の出演者に「どういうわけだよ!」とツッコミを貰うためのボケにすぎなかったが、バラエティ番組などで当たり前のように常用されている。
 
 
 
=== 芸名(愛称) ===
 
愛称は「'''たけし'''」、多くの芸能人からは「'''たけしさん'''」と呼ばれるが、タモリや[[和田アキ子]]からは「'''たけちゃん'''」、たけし軍団やたけしを慕っている後輩芸人からは「'''殿'''」と呼ばれており<ref>これは風雲たけし城で殿の役をやったことに由来する</ref>、所ジョージからは「'''北野さん'''」や「'''おじさん(おいさん)'''」と呼ばれ、明石家さんまからはたまに「'''おっさん'''」「'''ビート'''」「'''タケ'''」<ref group="注">特に毎年、[[フジネットワーク|フジテレビ]]で放送されている、[[FNSの日|FNS27時間テレビ]]が顕著に出ている。</ref>と呼ばれる。笑福亭鶴瓶からは「'''兄さん'''」とも呼ばれている。
 
 
 
=== 主なキャラクター ===
 
*'''[[火薬田ドン]]'''([[FNS27時間テレビ]])
 
*'''殿'''([[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]])<ref>[http://www.geocities.jp/binbo1958/takeshipeople.html 主な登場人物]</ref>
 
*'''[[鬼瓦権造]]'''([[オレたちひょうきん族]])<ref>[http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%B4%B4%A4%B8%A2%C2%A4 鬼瓦権造とは|初版作成日:08/08/18 21:26] </ref>
 
*'''[[タケちゃんマン]]'''(オレたちひょうきん族)<ref name="nicovideo1" />
 
※詳細は各項を参照。
 
 
 
=== 家族・縁戚 ===
 
*父・菊次郎の叔母で実質の祖母<ref group="注">もともと母・さきがうしの実子(北野徳次郎)と結婚して北野家に入ったが夫が夭折(1923年8月18日死亡)、その後うしがさきの後添いに甥だった正端菊次郎を連れて結婚にあたって、菊次郎がうしと養子縁組(1925年8月17日)を行ったため。2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」</ref>である[[北野うし]](1873年9月[[徳島県]][[徳島市]][[通町 (徳島市)|通町]]生<ref>2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」</ref>)は、粉名屋の娘として生まれ[[明治時代]]に娘[[義太夫節|義太夫]]([[女義太夫]])の花形であった。<ref>2016年12月21日NHK放送「ファミリーヒストリー」</ref>
 
*たけしは末っ子であり、兄弟は3人の兄と1人の姉がおり、長兄は[[技術者]]で[[宇野製作所]]の取締役である北野重一(2012年没)、長女は中山安子<ref>http://wailingual.jp/interview/%e7%ac%ac7%e5%9b%9e%e3%80%8c%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e5%ad%a6%e7%bf%92%e8%80%85%ef%bc%8f%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e5%ae%89%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%80%8d.html</ref>(一般人であるが故にメディアに顔を出すことは長らくなかったが、2016年12月21日放送のNHK「[[ファミリーヒストリー]]」で初めてテレビに登場している。)、次兄は[[淑徳大学]][[教授]](もと明治大学教授)、[[工学博士]]でタレントでもある[[北野大]]である。なお、たけしが生まれる前に夭折した兄(次男)は、勝という名前である。
 
*妻は、元漫才師の[[北野幹子]](旧姓・松田)。たけし曰く、自分は別の女性に気を引かれていたが、幹子の両親が勝手に[[婚姻届]]を出してしまい、彼女らを前科持ちにしたくなくて訴える事が出来なかったということ。その後も実母のさきが離婚を恥と考えていて幹子の肩を持ったことなどもあり、ずるずると今に至っているとのこと。また、[[レーサー|レーシングドライバー]]の[[松田秀士]]は、[[義弟]](幹子の実弟)である。
 
*子供は妻との間に2人。長男は、[[博報堂]]ケトルのプランナーである北野篤、篤の妹である長女は、[[歌手]]・[[俳優|女優]]の[[北野井子]]。愛犬は[[シェパード]]犬の「ミケ(メス)」。
 
*愛人もおり、また隠し子(次女)もいる事が発覚している。
 
*また[[孫]]も1人(井子の娘)授かっているが、井子の離婚後に[[養子縁組]]を行ったため戸籍上はたけしの子(三女)となっている。
 
 
 
=== 友人関係 ===
 
*[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]の[[島田洋七]]とは、漫才ブームが始まる数年前に出会って以来の親友。洋七とは、横山やすしに紹介されたのがきっかけである。洋七とは、「やすしと洋七とたけしが食事にいって、やすしが2人を置いてけぼりにし、2人は夜通し東京までの道のりを歩いて帰った」、「たけしがフライデー事件で謹慎していた際に、洋七と毎日のようにゴルフをしていた」などいくつかのエピソードがある。洋七が芸能界を引退しようとした話を聞いたたけしは、「芸人をやめるなら友達づきあいをやめるぞ!」と洋七を一喝した。洋七は一度は解雇された吉本に頭を下げて復帰を許され、生涯一漫才師を誓い、島田洋八と再びB&Bを復活させ、こつこつと仕事をこなすようになり、その後、「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズなどで、再び人気が出るようになった。
 
**一方で洋七の弟弟子である島田紳助との交友は少なく、「漫才ブームの時ぐらいしか知らない」と述べている<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108280038.html |title=たけし、紳助さん引退「全然分からない」 |newspaper=asahi.com |agency=日刊スポーツ |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2011-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130429154525/http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108280038.html |archivedate=2013年4月29日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。<!-- 紳助もたけしが『行列のできる法律相談所』に出演した際、長年の芸能生活でたけしと会話を交わしたことはほとんどないと語った。(検証可能性が低いためコメントアウトにて記載) -->
 
 
 
*[[所ジョージ]]と非常に仲が良く、毎週日曜日に所の遊び場兼事務所である「世田谷ベース」へ遊びに行く。料理が得意な夫人の手料理を肴に、趣味の話などを酒とともに酌み交わすことが楽しみの一つとなっている。
 
**元々、たけし自身も車好きではあったが、所の見立てで[[フェラーリ・599GTBフィオラノ|フェラーリ599]](跳ね馬のエンブレムを自身のギャグであるコマネチポーズをしている馬のエンブレムに作り変えている)や[[フェラーリ・458イタリア|フェラーリ458イタリア]](「成金号」と命名)<ref>[http://celebcar.blog78.fc2.com/blog-entry-608.html 『所ジョージの世田谷ベース 15』] 有名人&芸能人の愛車データベース 2011年2月21日閲覧</ref>、[[ブガッティ・ヴェイロン]]や[[ランボルギーニ・ガヤルド]]<!--(なお、ボディカラーはキタノブルーに塗り替えられている)-->といった高級車を購入したり、[[ポルシェ・911|ポルシェ911]]を、かつて所持していた[[ポルシェ・959|ポルシェ959]]に見立てて改造したポルシェ979K、軽自動車の[[スバル・R1|スバルR1]]や[[スバル・R2|R2]]をベースにフェラーリ風モディファイを加えたフェラリーADACHIKU(足立区)とフェラリーMINAMIURAWA([[南浦和]])をプロデュースするなどしている。
 
**たけしが番組などで使った衣装や小道具を世田谷ベースに持ち込み、所と一緒にお遊びでとった写真をベースにして、雑誌『[[FAMOSO]]』が発刊された、その模様を年2回位「[[たけし・所の二人テレビ]]」で放映している。2011年(平成23年)からは「[[所さんの世田谷ベース]]」と似たコンセプトの姉妹番組「[[たけしの等々力ベース]]」がスタート。
 
 
 
*[[平成教育委員会|たけし・逸見の平成教育委員会]]などで共演した[[逸見政孝]]とも親交が深く、その後の逸見家との交流も深い。逸見は「ひょうきん族」で共演したり、「オールナイトニッポン」で逸見のことを話しにしたりするなど、関係があったが、「平成教育委員会」で共演したのをきっかけに交友を深めていくことになる。お笑いBIG3シリーズにおける活躍はもちろん、数学を得意としたたけしと国語・社会は得意であったが数学を苦手としていた逸見、巨人ファンのたけしと阪神ファンの逸見といったように対照的であるがゆえに、お互いにないものを補い合えると認めあう仲だった。逸見からガンの再発で再入院する事実を告げられたたけしは、その日から告別式の日まで[[断ち物|酒を断った]]という。また、逸見の病院での見舞いに訪れる事も、逸見家から許可され、たけしは逸見の変わり果てた姿に衝撃を受け、その日から告別式の日まで、仕事をすべてキャンセルしている。「いい人ばかり先に死んじゃうんだ。俺がもっと悪いことを教えてあげればよかった」と涙ながらに語り、告別式の間は終始、参列者席で号泣し続けていたことは語り草になっている。告別式では、弔辞をたけしが読む予定であったが、たけしがとても、弔辞を読める心境ではなかったことから、代わりに[[山城新伍]]が読んだ。
 
**逸見の長男・[[逸見太郎|太郎]]は、1998年の映画HANA-BIで俳優デビューをしている。父の死後、留学を取りやめてデビューすることを強く望み、周囲に力添えを貰えるよう相談していた。しかしたけしは反対し、逸見の希望通り留学を全うし卒業することを勧めた。太郎はその意見に従い[[エマーソン大学]]を卒業してから帰国。改めて芸能界に臨んだ。
 
***また、芸名を“TARO”にしようと考え、たけしに告げた際に「犬じゃねぇんだから」と一蹴。現在まで本名の[[逸見太郎]]で活動している。その後もたけしやたけし軍団と草野球をするなど、交流が続いている。
 
 
 
*横山やすしを大変尊敬し、葬儀の時には駆けつけた時には、「雲の上にいるような人だった。やすしさんには芸も色気も敵わない。もう少し漫才を続けてほしかった」とコメントし、やすしの全盛期を懐かしむなど、親交があった。
 
**この縁から、やすしの最後の弟子である[[横山ひとし]]が、一時期オフィス北野に所属したことがあった。
 
 
 
*漫才師の[[中田カウス・ボタン]]の中田カウス、歌手の[[やしきたかじん]]、和田アキ子などとも親交がある。
 
 
 
*90年代初めには[[オウム真理教]]の教祖[[麻原彰晃]]の宗教観に深く陶酔し、自ら対談を申し込む<ref>ビートたけしのテレビタックル・デラックス テレビ朝日 1991年12月30日<!--http://sonshiasahara.rakurakuhp.net/i_501200.htm--></ref><ref>『特別対談 ビートたけし 麻原彰晃』 Bart 1992年6月22日号 集英社</ref><ref>『[http://japa.la/2012/06/28/597/ 麻原彰晃 – 『TIME』の表紙を飾った最後の日本人]』 JAPA+LA(ジャパラ) 2012年6月28日</ref>など、一時期交友関係を持った。[[地下鉄サリン事件]]後は否定的な見解を取っている。
 
 
 
=== エピソード ===
 
同じ浅草出身の先輩芸人で、漫才ブーム当時などすでにお笑い界のトップに君臨していた[[萩本欽一]]に対し、批判的な意見を述べていた。[[コント55号]]の毒のある笑いは好きだったが、萩本が1人で司会をするようになってからのアットホームな笑いや[[ザ・ドリフターズ]]の子供向けの笑いに自身の目指すお笑いと今後のテレビ界に危機感を感じたため、「萩本欽一と[[いかりや長介]]を引きずり下ろしたかった、この2人の牙城を崩さない限り、ひょうきん族はありえないと思った。」と語っている<ref>{{Cite news | url = http://news.mynavi.jp/news/2015/04/05/073/ | title = たけし、ライバルはいかりや長介と萩本欽一「引きずり下ろしたかった」 | publisher = [[マイナビニュース]] | date = 2015-04-05 | accessdate = 2017-10-15 }}</ref>。萩本やザ・ドリフターズと入れ替わるようにたけし自身がお笑い界のトップに君臨することとなる。{{要出典範囲|date=2017年10月14日 (土) 17:12 (UTC)|現在では、「お笑いの地位が上がりお笑いタレントがテレビ番組の司会ができるような時代になったのは萩本さんのおかげ」などリスペクトする発言をしている。たけしによると萩本とテレビ局の廊下ですれ違ったことはあるものの}}、萩本とたけしのテレビでの共演は未だに実現していない。1985年までのお笑いBIG3は萩本、タモリ、たけしであったものの、この3人を前面に出した番組はなかった。
 
 
 
{{要出典範囲|date=2017年10月14日 (土) 17:12 (UTC)|[[ディスカバリーチャンネル]]や[[ヒストリーチャンネル]]など、広くドキュメンタリー番組が好きでよく見ている。たけしが、ドキュメンタリー番組をよく見ている理由として、「B&Bが、連日のギャグの連発で、とうとう才能を枯渇させてしまったのを見て、人気が出て有頂天になっていると、アッという間に地獄に滑り落ちる怖さを知ったからだ」語っている}}。
 
 
 
トーク番組の最終回に、スペシャルゲストとして招かれることも多い(『[[たかじんnoばぁ〜]]』(1996年7月13日放送)、『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』(2001年9月29日放送)、『[[クメピポ! 絶対あいたい1001人]]』(2009年7月29日放送)、『[[笑っていいとも!]]』「[[テレフォンショッキング]]」(2014年3月31日放送<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140328-1276660.html いいとも最終回はビートたけしが大暴れ!?] 日刊スポーツ、2014年3月29日閲覧</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASG3X44MKG3XUCVL00F.html |title=「いいとも!」のテレフォン、最後はビートたけしさん |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2014-03-28 |accessdate=2014-03-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140328105234/http://www.asahi.com/articles/ASG3X44MKG3XUCVL00F.html |archivedate=2014-03-28}}</ref> ※レギュラー放送分)等)。
 
 
 
在阪放送局のローカル番組にも時折出演することがある。特にたけしのレギュラー番組を多数制作している朝日放送に関して縁が深く、『[[探偵!ナイトスクープ]]』『[[ナンバ壱番館]]』などにもゲスト出演している。また、関西テレビや讀賣テレビに関しては[[やしきたかじん]]との親交もあり、たかじんの番組にゲスト出演している。一方で、毎日放送に関しては[[イースト・エンタテインメント]]制作の全国ネット番組に限定され、ローカル番組では出演がない。また、関西・関東いずれにおいても[[全国独立放送協議会|独立局]]への出演は全くと言っていいほどなく、極めて珍しい例として2015年5月22日放送の『[[バラいろダンディ]]』([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])にゲスト出演したことがある<ref>{{Cite press release |title=遂にTOKYO MX生放送 初出演「バラいろダンディ」にビートたけしが降臨!|url=http://s.mxtv.jp/company/press/pdf/press2015_130001.pdf|publisher=[[東京メトロポリタンテレビジョン]]|date=2015-05-18}}</ref>。{{要出典範囲|date=2017年10月14日 (土) 17:12 (UTC)|『[[バラいろダンディ]]』への出演が実現したのは、長年の親友である、[[島田洋七]]が、金曜MCを担当していたのが大きく関わっている}}。
 
 
 
2009年(平成21年)10月3日放送分のTBS『[[オールスター感謝祭]]』で総合司会の[[島田紳助]]が「番組開始前に自身の楽屋に挨拶に来なかった」として解答者の[[東京03]]に激怒したとされる件に関し、同年10月27日付けの[[東京スポーツ]]に「紳助が『あいさつがない』とかって若手の東京03ってのを怒ったものだから、出番前にタレントがいちいちオレんとこにあいさつに来て、うるさくってしょうがないよ」とのコメントを発した<ref>{{Cite news | url = http://www.oricon.co.jp/news/70793/full/ | title = 「お互いの誤解やから仕方ない」“挨拶騒動”の東京03にさんまがエール | work = ORICON STYLE | publisher = [[オリコン]] | date = 2009-11-18 | accessdate = 2017-10-15 }}</ref>。
 
 
 
[[林家三平 (2代目)|林家三平]]の襲名披露興行で披露して以来、三平と[[国分佐智子]]の結婚式や『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』内で行われた[[飯尾和樹]]」([[ずん]])の披露宴、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』の[[テレフォンショッキング]]最終回等で表彰状ネタ(その人物等への表彰状を読む体裁で随所にブラックジョークなどを盛り込んで話すスタイル)をしばしば行っている<ref>『[[週刊ポスト]]』2014年4月18日号、150頁。</ref>。
 
 
 
所ジョージとは親友である一方で、たけしは所の生活スタイルに嫉妬していると告白している。[[2015年]][[12月29日]]に放送された『一流が嫉妬したスゴい人』で、「所の生活スタイルは、発想が違っていて、俺には真似できない。俺は所から、仕事以外の楽しみ方というものをすべて教わった」と話している<ref name="sponichi20151229">{{Cite news | url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/12/29/kiji/K20151229011772960.html | title = ビートたけし、所ジョージ&甲本ヒロトに嫉妬する理由 | work = Sponichi Annex | publisher = [[スポーツニッポン]] | date = 2015-12-25 | accessdate = 2017-10-15 }}</ref>。また、同番組でたけしは、過去に[[甲本ヒロト]]にも嫉妬したことがあったと告白している。「俺、もしかするとお笑いじゃなくて、こういう感じの音楽をやりたかったんじゃないかなって気付かされて、嫉妬したね」と話し、甲本の歌については「悲しいのよ。不良をやろうとして不良になれない子のパンクって感じがしてね。歌での表現でしか不良をできないないのかな、と感じたんだよね。よく考えるとパンクではなくて演歌なんだよね。でも感じがパンクなんだよね。こういう歌を10代とかに聴いていたら涙したんだろうなあ」と評している<ref name="sponichi20151229"/>。
 
 
 
[[カラオケ]]が好きであり、付き人のシェパード太郎によるとテンションが高い時は付き人に「エロいの歌ってくれ」と[[サザンオールスターズ]]の楽曲をリクエストし、逆にテンションが低い時は[[THE BLUE HEARTS]]の楽曲などをリクエストするという<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/10488227/ ビートたけしの意外な一面を付き人が語る「テンションが高い時はエロい歌」] [[ライブドアニュース]] </ref>。
 
 
 
== 事件・事故 ==
 
=== フライデー襲撃事件 ===
 
{{Main|フライデー襲撃事件}}
 
1986年(昭和61年)12月9日、たけし軍団を連れてタクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗して講談社に行き、フライデー襲撃事件を起こし逮捕。翌年6月10日に[[懲役]]6か月、[[執行猶予]]2年の判決が下された([[東京地方裁判所|東京地裁]]、確定)。当時のレギュラー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』『スーパージョッキー』への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた女性への暴行で告訴された記者は、[[罰金]]10万円の判決を受けた。
 
 
 
1987年(昭和62年)、映画監督・深作欣二は、謹慎中の身にあったたけしと京都において初対面。その印象を「非常に鋭い顔をしている。笑っていても目は笑わんし、顔立ちが独特だ。いろんな人間とシビアな闘争をしてきた男の顔だ」と語った。
 
 
 
===バイク事故===
 
[[1994年]](平成6年)[[8月2日]]午前1時40分、[[原動機付自転車|原付バイク]]で東京都[[新宿区]]の[[安鎮坂]]付近を走行中に自損事故を起こし頭部に重傷を負った。事故後は[[東京医科大学病院]]に救急搬送されて一命を取り留めたものの<ref>東京医大病院、教授同士が法廷闘争 『週刊ポスト』(小学館) 1999年7月16日号</ref>、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。また、事故は酒気帯び運転によるものであったために[[書類送検]]され、[[起訴猶予]]処分を受けた。
 
 
 
退院時に会見を行ったが、この時点ではまだ顔面が麻痺しており大きく変形した状態であったため、大変な反響を呼んだ。本人は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面[[和田弘とマヒナスターズ|マヒナスターズ]]にします」と、自らの怪我をネタにした。退院後もリハビリを続け麻痺はある程度回復したが、一部は回復せず残ることとなった。
 
 
 
翌年3月4日の平成教育委員会でテレビ復帰し<ref group="注">正確には、前日の『[[北野ファンクラブ]]』のEDトークに飛び入り出演している</ref>、その後レギュラー番組にも復帰した。
 
 
 
この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、[[1993年|事故の前年]]に亡くなった親友の[[逸見政孝]]が出てきたという。たけしは「あれは、まだ俺は死んじゃいけない。って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。
 
 
 
入院中に面識のない[[原節子]]から数珠を贈られ、これを常に身に着けていたが<ref group="注">退院時の会見でも着用していたため、信仰に目覚めたのかと話題になった。会見での正確な発言は「これねえ、原節子さんっていう人の、女優さんの、友達の尼さんが、観音様彫ってくれたんですよ。そんで、いろいろ書いてくれて、ほいでみんな心配してるってんで、これしてたら気持ちいいよって言うからやってるんですけど」</ref>、退院後しばらくして突如壊れて散らばった。たけしは拾い集めようとしたが、「これは病気が良くなった証拠だ」と思い直し、再び着けることはなかった。
 
 
 
なお、このバイク事故の第一発見者は、「[[光GENJI]]」の[[諸星和己]]だったことをたけしが話していたとして、現在の付き人のシェパード太郎が記している<ref>{{Cite web |url=http://ameblo.jp/ken-kusai/entry-11932159031.html |title=9月12日 金曜日 〜気品あるロケ〜 |accessdate=2015-06-10 |author=シェパード太郎 |date=2014-09-29 |work=シェパード太郎"不完全日記" }}</ref>。
 
 
 
この事故により缶コーヒー「[[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]」のTVCMへの出演が決定しスケジュールも出ていたが、撮影中止となった<ref>{{Cite web |url=http://www.toyokeizai.net/business/column/detail/AC/6a3f5c633c391903314792f099149ef7/page/3/ |title=CEOへの道 日本コカ・コーラ取締役会長・魚谷雅彦(Part4)——数千万円のキャンセル料を支払ってジョージアのCMを作りました(3) |publisher=東洋経済オンライン |date=2010-02-09 |accessdate=2016-08-08 |quote=チームと広告代理店といろんな案を出し、日本のサラリーマンを描くべく、当時タレント人気ナンバーワンだったT軍団に全員出演してもらうことになりました。ところが、契約もできて撮影日も決まった段階で、Tさんがなんと不幸にも交通事故に。通常3カ月ほどかかる企画と制作を1カ月でゼロからやり直すことになりました。 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100212124340/http://www.toyokeizai.net/business/column/detail/AC/6a3f5c633c391903314792f099149ef7/page/3 |archivedate=2010年2月12日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
なお、2016年秋に自身が出演した日清[[カップヌードル]]のCMにて、たけしがガムテープで補修だらけの原付バイクに乗るという1994年の事故を連想させるシーンが存在し、そのCMの最後には'''「守ろう、交通ルール!」'''というセリフを発している<ref>[http://www.cupnoodle.jp/cm/obakas_univ02.html 「OBAKA’S UNIVERSITY おバカへの疾走篇」] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170202073339/http://www.cupnoodle.jp/cm/obakas_univ02.html |date=2017年2月2日 }}</ref>。
 
 
 
== 価値観 ==
 
=== 天皇・皇室 ===
 
[[天皇]]・[[皇室]]に対しては畏敬の念を述べている。
 
 
 
自身が[[明仁|今上天皇]]を「すごい存在」と初めて思ったきっかけとして、中学生時代に母親に連れられて皇太子妃時代の[[皇后美智子]]を送りに[[軽井沢]]に行ったことを[[竹田恒泰]]と対談した際に明かしており、「強制されて行った感じはなかった」と述べている。天皇について「信仰に近いというか、神にかなり似た存在」と形容しており、「日本の歴史を振り返ると天皇は『はなからいる』存在」とも述べている。2009年に宮中茶会に招待されており、天皇と皇后がたけしの映画を見ていた事を語ったり体調を尋ねるなどされ、緊張した事を明かしている<ref>竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』PHP新書、2011年 ISBN 9784569794297</ref>。
 
 
 
過去にたけし自身に紫綬褒章受章の打診が来たが、断ったエピソードを明かしており、理由は本人曰く自身に逮捕歴・前科があることや受賞式に配偶者が出席しなければいけないという決まりがあったからであるといい、「本当はもらいたかったけど、俺はもらうような立場ではないとお断りを入れた」とも述べている<ref name="zenka">[[東京スポーツ]]連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』2015年1月19日分</ref>。この辞退についてたけしの弟子の[[東国原英夫]]は紫綬褒章に賞金が無い事を理由にしていたとギャグとして述べたが、[[2016年]][[10月21日]]に、天皇と皇后の公務を増やしたくなかった事が受章辞退の本当の理由と明かした。<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/12178643/  東国原英夫氏 北野武が「紫綬褒章」を辞退した“本当の理由”を明かす] ライブドアニュース 2016年10月26日閲覧</ref>
 
 
 
=== 社会風刺 ===
 
ツービート時代からの漫才はもとより、『週刊ポスト』連載の「毒針巷談」(その後「世紀末毒談」を経て「21世紀毒談」)や『新潮45』連載、東京スポーツ連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』、テレビ番組『[[ビートたけしのTVタックル]]』などで世相を風刺する発言も多く行っており、それが話題となることもある。例えば、1990年代に「『北野党』を立ち上げる」と冗談で発言したことが大きく取り上げられたこともあった。
 
 
 
別の一例としては、1992年(平成4年)に『新潮45』の連載にて「『地球にやさしく』なんかできない」のタイトルで、「地球に優しくしたいなら人間殺さないといけない」と、当時の政財界やマスコミによる「エコロジーブーム」の欺瞞性および浅薄さを皮肉った<ref>『みんな自分がわからない』1993年(平成5年)、新潮社 ISBN 978-4103812036</ref>。この「『地球にやさしく』- 」は、同年6月18日付けの[[朝日新聞]]に「ビートたけしと地球環境」と題した、環境問題への無関心を戒める社説が掲載されるなど反響を呼んだ。なお、この文章は1996年(平成8年)の[[山形大学]]教育学部の入学試験の小論文試験の出題にも使用された。
 
 
 
[[原子力発電]]については「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年の方がマスコミ的にはウケがいい」<ref>『新潮45』2010年6月号</ref>「東京湾に原発を作れ」と称賛とも皮肉ともとれる発言をしている<ref>[http://www.j-cast.com/2011/04/12092872.html?p=all  「東京湾に原発作れ」 ビートたけし提言にネットで喝采] J-CASTニュース  2011年4月12日</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/10047200/ 北野武が東京湾への原発建設を提案「東京が犠牲もリスクも背負うべき」]トピックニュース 2015年4月25日</ref>。
 
 
 
「[[北朝鮮による日本人拉致問題]]をテーマにした映画を作りたい」と2008年7月21日放送分「TVタックル」2時間スペシャルの収録で発言したが、その場面がすべてカットされたことが「[[週刊文春]]」2008年7月24日号で報じられたことがある。
 
 
 
ニッポン放送『[[オールナイトニッポン]]』にて、日本テレビから同局が「[[チャリティー|チャリティー番組]]」として放送し、[[募金]]活動も行っている『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに、「ヨダレ垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金巻きあげんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ!」と発言し、偽善番組とも述べている。
 
 
 
『情報7daysニュースキャスター』で[[バラク・オバマ]]大統領(当時)が同性婚を支持する事を表明したニュースを取り上げた際に「同性婚が認められたら、そのうち動物との結婚も認められるようになったりね」「結婚した男2人が子ども育てるっていうけど、その子どもはどういう風になっていくんでしょうね。お前のお母さんはお父さん?とか言われんじゃないの」とギャグとして発言し、すぐさま[[渡辺えり]]から「どうしてそういうこと言うんですか」と反論されたことがある<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/12921 欧米ではビートたけしは時代おくれ?]東洋経済 2013年5月21日</ref>。
 
 
 
ただし、たけし本人はこういった発言があまりにも大きく取り上げられたり、反応されたりすることに対し、「芸人の言っていることを一々真面目に取り上げるな」などと述べている。また、芸能ネタを語る事もあるが、話している事の中にはたけしの創作も含まれていることが著書で語られており、「嘘の情報源は俺」とも述べている<ref>ビートたけし『日本人改造論 父親は自分のために生きろ』角川oneテーマ21 2014 p191</ref>。
 
 
 
=== タップダンス・ピアノ・音楽 ===
 
漫才ブームが過ぎ、次代に生き残るための材料を思索していた時期、たけしはテレビの更なる[[バラエティ番組|バラエティショー]]化が進むと予想し、「タップとピアノ位はやれないとみっともねえだろ」と考え<ref>景山民夫『極楽TV』JICC出版局、1985年 ISBN 978-4880631363</ref>、たけし軍団でもタップ・楽器・[[神楽#芸能としての神楽|太神楽]]([[ジャグリング]])が[[必修科目]]となった。その中で、太神楽は[[海老一染之助・染太郎]]を師匠として学んだが、染之助の技は[[花柳流]]名取であったことに由来すると知り、[[日本舞踊]]も習うようになった。タップダンスに対する思い入れは深く、毎日練習を欠かさず行なう。映画『座頭市』の撮影では踊るシーンが無いのにも関わらず練習をしていた。海外に渡航する際ですらタップシューズを持参するという。最近では2013年に[[ポカリスエット]]のCMでタップダンスを披露している。
 
 
 
ピアノを弾くのは[[フェルディナント・バイエル|バイエル]]、[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]、そして[[ソナチネ]]までで、それ以上の域に到達する必要はないと言う。これは、さらに上を目指すのは本末転倒で、タップもピアノも「真剣にやろうと思えばやれる」ところまで到達し、それ以降はいかにアレンジして見せるかを考えるのが芸人の仕事だとする、彼の考えに由来する。
 
 
 
オフィス北野の社長である[[森昌行]]の証言によると、技巧的なものよりシンプルな物を好みレコーディングでも何度もやり直すのも苦手で、譜面どおりにやる事よりも自分が気持ちよいと思わなければOKを出さないとの事で、ロックで言えば[[ビートルズ]]よりも[[ローリング・ストーンズ|ストーンズ]]のような物を好んでいるという<ref>[[酒井康]]著『虹色の音詞』175〜176p</ref>。また、[[ヘヴィメタル]]のような音楽は好んでおらず<ref>酒井康著『虹色の音詞』176p</ref>、過去に[[LOUDNESS]]の[[高崎晃]]<ref group="注">かつて森はLOUDNESSのライブビデオや海外ツアーのディレクターとして共に仕事をした事がある。</ref>がたけし側に曲を依頼されて[[デモテープ]]を製作したが<ref>[[ロッキンf]] 1988年7月号 72p</ref>最終的に使われることが無かった。
 
 
 
ミュージシャンとしての[[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]を「大した天才だと思う」と述べており<ref>[http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10756109/  ビートたけし 桑田佳祐は「大した天才だと思う」と発言] livedoor NEWS 2015年10月27日閲覧</ref>、カラオケのレパートリーとして「[[真夏の果実]]」「[[マンピーのG★SPOT]]」「[[01MESSENGER 〜電子狂の詩〜|SEA SIDE WOMAN BLUES]]」を挙げている。ただし、桑田が監督を務めた映画『[[稲村ジェーン]]』<ref>ビートたけし『仁義なき映画論』1991年、太田出版のち文春文庫 ISBN 9784167578022</ref>や前述の[[ひつじだよ! 全員集合!#紫綬褒章の披露で起きたトラブル|2014年の年越しライブでの紫綬褒章に関連するトラブル]]<ref name="zenka" />に関しては批判的な発言を述べていた。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/11192600/ 太田光が桑田佳祐からのメールに驚き「偽ベッキーを連れて行きます」],ライブドアニュース , 2016年2月17日 </ref>。
 
 
 
=== ファッション ===
 
漫才ブームの頃は、[[三宅一生]]の服を愛用していた<ref name="wasahi">{{Cite journal | 和書 | author = | date = 1982-04-16 | title = <small>異色連載対談(151) </small>女が迫る 風吹ジュンの巻 ゲスト・ビートたけし | journal = [[週刊朝日]] | volume = | publisher = [[朝日新聞社]] | page = 113 }}</ref>。しかし三宅から「服を着ないでくれ」と言われたことを漫才のネタにして<ref name="wasahi" />、三宅のとこに電話して「着るぞ。ガタガタいうと買うぞ」と脅かしてやった、などとテレビで話し有名になった<ref name="wasahi" />。実際に三宅の事務所の広報担当からたけしに直接電話があり<ref name="wasahi" />、「たけしさん、本人はあんまりいい顔していませんよ。なるべく着ないでください。イメージくずれるから」と言われたと1982年の[[週刊誌]]のインタビューで話している<ref name="wasahi" />。
 
 
 
=== 数学 ===
 
「幼少時代」にもあるように教育熱心だった母親は、日本が[[高度経済成長]]期であったことを踏まえ「算数を勉強しておけば将来働き口に困らないだろう」という考えから、たけしが子供の頃から算数などの理数系に力を入れて勉強するきっかけとなった<ref>[[たけしの日本教育白書]](第6回 2010年11月20日放送)より本人談</ref>。
 
理系学部出身であったことからも分かるように、[[数学]]に対する造詣は深く、「もし道を間違えなかったら、[[数学者|数学の研究者]]になりたかった」とも語った。1980年代の民放番組の司会進行中に、「自分は漫才師になったので今がある、物理学の道に進んでいたら、もう既にノーベル賞を取っている」と真剣な面持ちで話し、編集されなかったこともあった。数学好きが高じ『[[たけしのコマネチ大学数学科]]』をスタートさせ、その才能を発揮させている。
 
 
 
『[[ここがヘンだよ日本人]]』では、「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」と発言している。『[[たけし・逸見の平成教育委員会]]』では「数学は答えさえ合っていれば良い」という独自の考えで、正解ながらも解の論拠が間違っている生徒を優秀生徒に選出した事がある。
 
 
 
=== スポーツ ===
 
[[野球]]をこよなく好む。幼少の頃から[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]ファンで、特に[[長嶋茂雄]]を敬愛している。草野球チーム(「たけし軍団」)では、投手を務めることもある。野球をする時のたけしは真剣であり、[[川崎球場]]での番組収録中、グラウンドに男性アイドルが登場したため女性ファンの歓声により、試合どころではなくなってしまった。その際に誰よりも早く「ここはグラウンドで野球をやってるんだぞ!コンサートじゃねえんだ!」とスタッフを一喝した。現在では、日本のプロ野球よりも[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]への関心が高い。
 
 
 
[[明治神宮外苑|神宮外苑]]の軟式球場が一種のホームグラウンドで、最盛期は年間70試合近くも行い、1991年(平成3年)の[[阪神タイガース]]・ファン感謝デーならびに1992年(平成4年)の[[千葉ロッテマリーンズ]]・ファン感謝デーで、軟式ルールながら阪神・ロッテに勝利した。作家・[[伊集院静]]が連載していたエッセイ『二日酔い主義』の中には、たけしと一緒にプレーをした記憶に触れる回が幾つかあり、『たけしのグローブ』(伊集院静『あの子のカーネーション』文藝春秋、1989年)では、たけしの使い込まれたグローブに強かな野球少年の面影を重ねて描かれていた。
 
 
 
[[格闘技]]では、自身もジムに通った経験を持つ[[ボクシング]]を好み、映画『キッズ・リターン』を作った。映画の中で人を殴るシーンや『座頭市』における逆手斬りのフォームには影響が垣間見える。浅草時代を知る[[石倉三郎]]は、「タケちゃんのケンカはボクシングスタイルで結構パンチも早かった」と述べている。なお、たけし自身は1963年(昭和38年)の[[高山一夫 (ボクサー)|高山一夫]] vs [[勝又行雄]]戦、1971年(昭和46年)の[[金沢和良]] vs [[ルーベン・オリバレス]]戦をベストマッチに挙げている。その一方で、1987年(昭和62年)の[[たけしプロレス軍団]]にまつわる騒動において苦い経験もした。また、[[空手道|空手]]で骨折し、拳の一部が変形している。
 
 
 
[[キム・ヨナ]]の表現力(=指先の微妙な動きと豊かな表情<ref>[http://japanese.joins.com/article/182/179182.html キム・ヨナと浅田真央が遠隔対決…0.47点差] 中央日報 2013年12月09日</ref>)を高く買っており、「役者として演技力がうまいな。技術は真央ちゃんと変わらないし、ジャンプは難しいことやっていないのに、演技力が圧倒的だった」「真央ちゃんは芝居を勉強したらいいよ」と述べている<ref>[https://web.archive.org/web/20100302185628/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/03/01/0002749528.shtml たけし『金言』真央に“女優のススメ”] デイリースポーツ 2010年3月1日</ref>。
 
 
 
[[浅田真央]]に対しても『[[情報7days ニュースキャスター]]』2014年2月22日放送分で「真央ちゃん(の演技)良かったね、いいんだよ、どうせあんな採点なんてインチキなんだから」と冗談交じりで述べ「真央ちゃんみたいなのはね、メダルとれなくたってね、感動があるんだよ。だからいいんだよ」と評価している。
 
 
 
他にも[[サッカー]]に詳しく、[[Jリーグ]]開始以前の国内・海外選手に特に詳しい。また、[[相撲]]にも造詣が深く、自身がメインキャスターを務める『情報7days ニュースキャスター』の番組内で、その博識ぶりを発揮している。
 
 
 
一方で、[[鉄棒]]の[[逆上がり]]や[[跳び箱]]といった器械体操の類は不得意であり、後にたけしの出演番組内でもネタにされ、『[[ビートたけしのスポーツ大将#エピソード|たけしの跳び箱オリンピック]]』と題した苦手克服企画が、1988年(昭和63年)の年末に放送された。
 
 
 
オリンピックを愛する男であり、日刊スポーツの「東京五輪・パラリンピック特集」では会場、費用負担、新競技など問題点ばかりが目立ってしまった特集掲載期間中、五輪を愛するたけしはあえて「オリンピックは末期状態」と厳しい言葉で活を入れた。オリンピックの商業主義も批判しており、「アジェンダ2020」を採択する一方で高い理想、高価な施設、高級感のある大会運営を強いていることに関して「利権を持つ欧州貴族がうまいことやって、金をもうける手段になってる」と一刀両断。東京大会でスケートボード、サーフィンなどを新種目としたことにも違和感を覚えている。2024年大会の立候補地にパリとロサンゼルスしか名乗りを上げなかったことに関しては異例の事態に「やりたい所なくなるよ」と言い「元来ギリシャの五輪なんだから、毎回ギリシャでやればいい。会場も毎回造らなくていいし、聖火も運ばなくていい」と皮肉った<ref>日刊スポーツ 2017年7月19日</ref>。
 
 
 
== 映画監督「北野武」 ==
 
[[File:Takeshi Kitano Leone D'oro.jpg|thumb|right|200px|『HANA-BI』が第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞]]
 
[[File:TakesiKitano.jpg|thumb|right|200px|[[第53回カンヌ国際映画祭]](2000年度)にて]]
 
北野は幼少期ほとんど映画を見たことがなく、[[黒澤明]]との対談では『[[力道山物語]]』『[[二等兵物語]]』『[[鉄道員|鉄道員 (1956年の映画)]]』しか見たことがないと話している。また黒澤は北野の映画作品を(作中に)余計なものがないから好きだと評価している。
 
 
 
=== 監督としての経歴 ===
 
『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:[[深作欣二]] 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の[[松竹]]は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。そこで松竹は人物的魅力と話題性から、たけし(以下、映画の項目では映画監督での活動名(本名)での「北野」で表記)に監督を依頼したところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。1週間おきの撮影という珍しい形態が採用された。<ref>https://contentsbusiness.wordpress.com/2017/02/12/%E5%A5%A5%E5%B1%B1%E5%92%8C%E7%94%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/2/</ref>映画監督・北野武としてのデビュー作『その男、凶暴につき』は、1989年(平成元年)に予定通り公開された。この時のことを後年[[関根潤三]]の著書の推薦文で「(映画監督について)あんなに大変な仕事はあるのかと思った。」と述べている。
 
 
 
1997年(平成9年)、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。発表直後、北野は「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語った。授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチ<ref>[[田丸公美子]] 『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』 [[文藝春秋]]</ref>。帰国時の記者会見で、現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して、笑いをとった。
 
 
 
[[第52回カンヌ国際映画祭]](1999年)コンペティション部門に正式参加した映画『[[菊次郎の夏]]』で、約5分間の[[スタンディングオベーション]]を受けた。
 
 
 
2005年(平成17年)4月、[[フランス]]の『[[カイエ・デュ・シネマ]]』創刊600号記念号の特別編集長を務める。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めた映画監督は、[[ジャン=リュック・ゴダール]]<ref group="注">「ここ4、5年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。そこに登場するほとんどの人物たちが一重瞼の細い目をしていることに気づかないほど、普遍的な映画だと思います」と言及された事がある(『週刊読書人』 2002年11月22日号)</ref>(300号)、[[ヴィム・ヴェンダース]](400号)、[[マーチン・スコセッシ]](500号)などがいる。
 
 
 
2005年(平成17年)4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の特別教授および映画専攻長に就任(〜2008年。なお、監督領域の教授は北野と黒沢清の2名)。北野大も淑徳大学教授であったので、兄弟で教授となった。
 
 
 
2007年(平成19年)5月、カンヌ国際映画祭60周年特別記念企画「To Each His Own Cinema」(それぞれのシネマ)に世界5大陸25ヶ国から選出された35名の著名な映画監督の中で唯一の日本人として名を連ねた。
 
 
 
2007年(平成19年)8月、[[第64回ヴェネツィア国際映画祭]]にて、北野の映画監督作『[[監督・ばんざい!]]』に基づき「[[監督・ばんざい!賞]]」が新設され、表彰式に出席した。
 
 
 
2008年(平成20年)6月19日、第30回モスクワ国際映画祭で「特別功労賞」 (Life-time Achievement Award) を受賞。2003年(平成15年)の[[新藤兼人]]に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。20日の会見では「ロシアの人は自分(北野)を過大評価している」「数々の芸術家が出ているロシアで表彰されるのは恥ずかしい」と語った。
 
 
 
2010年(平成22年)3月9日、フランス[[芸術文化勲章]]の一つであるコマンドゥール章を受章。13日の帰国会見では勲章の披露の前に、自身が作った「[[バンクーバー]]」と書かれた金メダルを出すボケを行い、笑いをとった。
 
 
 
2011年秋公開予定だった『アウトレイジ2』について「[[宮城県]]」で[[クランクイン]]の準備をしていたら「[[東日本大震災]]」に遭遇しロケが取り止めとなり「6000万円以上損害が出た」と語っている<ref>TVタックルより</ref>。なお『アウトレイジ2』は、舞台を[[神戸市]]に移して『[[アウトレイジ ビヨンド]]』として、2012年10月6日に公開。
 
 
 
2016年、[[アカデミー賞]]を主催する[[映画芸術科学アカデミー|米映画芸術科学アカデミー]]よりライター部門での会員候補に選定された。
 
 
 
=== 撮影に関するエピソード ===
 
[[大森南朋]]はたけしについて「説明が無いまま始まる[[恐怖]]がいつもあります」と話している。『アウトレイジ 最終章』の撮影中、大森は撮影当日現場で[[マシンガン]]が[[傘]]に刺さっているのを知ったので「そういうことなのか」と思い、たけしがいない間に傘越しに撃つ練習をした。ところが、その[[エピソード]]を聞いていたたけしは「おいらは漫才出身だからね」と涼しい顔をしおり、さらに「だから、テストを重ねた方が役者に芝居が入っていくという道理がわからない。それに漫才は一発目が勝負で、やればやるほどネタを知っている客は笑わなくなるから、北野組でもその新鮮さを求めるやり方を踏襲して、特に指示も出さずにいきなり『どうぞ(やってください)』って言うんですよ(笑)」と笑った。[[大杉漣]]はその緊張感あるたけし映画の撮影現場で貧血を起こして倒れたことがある<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0095020 俳優がぶっ倒れた!北野映画、緊張感を生む一発勝負の理由]シネマトゥデイ2017年10月6日(2017年10月9日閲覧)</ref>。
 
 
 
=== 北野映画の特徴 ===
 
北野映画の特徴として以下のようなものが挙げられている<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/207158/2/ 2/4 映画監督 北野武 [映画&#93; All About<!-- Bot generated title -->]</ref>。
 
* 青を基調とした映像「キタノブルー」。
 
* 自身が俳優として出演し、脚本も手がけていることが多い。
 
* 歩くシーンが多い。
 
* セリフが少ない(逆に言えば必要最低限のセリフで映画を成立させている)。
 
* [[四コマ漫画]]の連続性。
 
* 瞬発的殺戮・秒殺・加減のない暴力描写のリアリズム。観客が想像する前に事が行われる恐怖。
 
* 多くの映画[[パロディー]]。
 
* 北野の口癖である「[[馬鹿]]野郎」もしくは「この野郎」というセリフが、映画内で多用されている。
 
* 緊張の中に突如織り込まれる[[ギャグ]]。
 
 
 
自らの映画作品に暴力団が登場することについては「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」と述べている<ref>『週刊文春』2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」</ref>。
 
 
 
=== キタノブルー ===
 
「キタノ映画」のビジュアル面での特徴として、画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるというものがあり、気品があるとして「'''キタノブルー'''」と呼ばれる<ref>{{Cite web|url=http://www.tv-asahi.co.jp/ss/111/yougo/top.html|title=キタノヨウゴ|work=[[SmaSTATION]]|publisher=テレビ朝日|language=日本語|accessdate=2010-12-25}}</ref>。特に『ソナチネ』など中盤までの作品において顕著で、ヨーロッパで高い評価を得た。突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったという。ただし『[[Dolls (映画)|Dolls]]』からはキタノブルーの傾向は薄れている。
 
 
 
また、このキタノブルーには[[ジャン・ポール・ベルモンド]]主演の『[[いぬ (映画)|いぬ]]』に[[アラン・ドロン]]主演の『[[サムライ (映画)|サムライ]]』や『[[仁義 (映画)|仁義]]』、[[リノ・ヴァンチュラ]]主演の『[[ギャング (1966年の映画)|ギャング]]』『[[影の軍隊]]』などで知られる[[フランス映画]]の巨匠[[ジャン=ピエール・メルヴィル]]の影響を強く受けており、とりわけ『[[サムライ (映画)|サムライ]]』以降の「メルヴィル・ブルー」が強い後期の作品の影響が濃い。「メルヴィル・ブルー」以外にも歩くシーンが多いやセリフが少ない、唐突に訪れるリアルな暴力や死、省略演出の多用もメルヴィルからの影響を強く受けており<ref>[[古山敏幸]]『映画伝説[[ジャン=ピエール・メルヴィル]]』10-11p、119-121p</ref><ref>『[[映画秘宝]]』2013年08月号の104p-105pの[[町山智浩]]「男の子映画道場」での『[[サムライ (映画)|サムライ]]』『[[仁義 (映画)|仁義]]』『[[いぬ (映画)|いぬ]]』『[[影の軍隊]]』</ref>、自著でも特に『[[サムライ (映画)|サムライ]]』を絶賛している<ref>『[[ビートたけしのおまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座]](新潮文庫)』</ref>
 
 
 
メルヴィル作品『[[ギャング (1966年の映画)|ギャング]]』のリメイク版である、『[[マルセイユの決着]]』が2008年に日本で公開された際のプレスシートにはたけしによるメルヴィルを絶賛する旨のコメントが掲載された。
 
 
 
2016年10月に[[フランス]]で[[レジオン・ドヌール勲章]]の授与式が行われた際に「オフィシエ」を授与し同授与式に参加した、たけしは同授与式で『[[サムライ (映画)|サムライ]]』の主演の[[アラン・ドロン]]の息子の[[アンソニー・ドロン]]と会った<ref>北野武がレジオン・ドヌール勲章を受章、パリで叙勲式。www.afpbb.com > トップ > ライフスタイル > ファッション</ref>。
 
 
 
=== 映画観 ===
 
「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。例えば女性のヌードを撮影するってのも、ただ裸の女が出てるだけではなく、ストーリーの中で女が脱いでいくというものであり、グラビアは映画の原型みたいなものだと思う」と語っている<ref>「週刊ポスト」 2002年2月1日号</ref>。また、「たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている」と語っている<ref>「This is 読売」北野武監督対談蓮實重彦 1998年2月号 読売新聞社</ref>。
 
 
 
自らが俳優として数々の作品に出演する際の姿勢として、撮影方針に口出ししないようにしているため、監督を務める際にも撮影方針に意見をする俳優は嫌いだと発言している<ref>{{Cite web
 
|date=2009-11-23
 
|url=http://news.walkerplus.com/article/10681/
 
|title=北野武監督がズバリ語る、嫌いな俳優&好きな俳優
 
|publisher=Walkerplus
 
|language=日本語
 
|accessdate=2010-12-25
 
}}</ref>。また、有名俳優でも撮影後気に入らないと出演シーンを編集でカットすることもある一方で、[[大杉漣]]や[[寺島進]]など北野作品に多く出演したことで名前が知られた俳優もいる。
 
 
 
映画音楽は『Dolls』まで、[[久石譲]]が長期にわたって担当していたが、その後は[[梶浦由記]]や[[鈴木慶一]]を起用している。[[水道橋博士]]によると、久石の起用を止めたのは、映画そのものではなく、音楽が評価されてしまったからだと語っている<ref>[http://cinema-magazine.com/news/1933# 浅草キッド、ビートたけしに言いたい放題]MOVIE ENTER 週刊シネママガジン(2009年10月4日)2016年11月24日閲覧。</ref>。
 
 
 
=== お笑いタレントと映画監督 ===
 
フランスと日本の文化観の違いとして「芸人という立場が映画監督としては悪影響を及ぼす、なんて気はなくて、フランス人の見方は、もっと才能があるんだっていう。この人はまだいろんなことがやれるんだって感じがあって。だからギャング映画撮っても問題ないし、バカバカしいことをやってもそれはそれとして見てくれる。映画は映画、バラエティはバラエティって分けてくれるんで、ありがたい。気が楽になった」とコメントしている。
 
 
 
「日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、[[松本人志]]が映画撮ると、“かつて映画を撮ったお笑い人”の中に必ず俺が入っている」と、異業種の人間に対する偏見が強い日本の見方には苦言を呈している<ref>{{Cite web |url=http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2010/03/7843/ |title=たけし帰国会見 仏芸術文化勲章最高章は「黒澤さんが貰ったやつ、すげえ」 |publisher=cinemacafe.net |date=2010-03-13 |accessdate=2016-08-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100315162512/http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2010/03/7843/ |archivedate=2010年3月15日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。また、海外メディアが(監督・北野武としての)彼にインタビュー取材を行った際に、彼が映画製作に使う専用のオフィスへ海外メディアクルーを招き、オフィス内部の紹介やインタビューに応じる姿があった。なお、日本のメディアに対してはオフィスは基本的に非公開であったが、世界各国のメディアによるドキュメンタリーを扱った日本のテレビ番組で放送された際に、初めて明かされている。
 
 
 
=== 北野武が選ぶ好きな映画10本 ===
 
# [[天井桟敷の人々]] ''Children of Paradise''(1945年、監督:[[マルセル・カルネ]])
 
# [[2001年宇宙の旅]] ''2001:A Space Odyssey''(1968年、監督:[[スタンリー・キューブリック]])
 
# [[時計じかけのオレンジ]] ''A Clockwork Orange''(1971年、監督:スタンリー・キューブリック)
 
# [[七人の侍]](1954年、監督:[[黒澤明]])
 
# [[L.A.大捜査線/狼たちの街]] ''To Live and Die in L.A.''(1985年、監督:[[ウィリアム・フリードキン]])
 
# [[ワイルド・アット・ハート]] ''Wild at Heart''(1990年、監督:[[デヴィッド・リンチ]])
 
# [[ガルシアの首]] ''Bring Me the Head of Alfredo Garcia''(1974年、監督:[[サム・ペキンパー]])
 
# [[ダークマン]] ''Darkman''(1990年、監督:[[サム・ライミ]])
 
# [[狂い咲きサンダーロード]](1980年、監督:[[石井岳龍|石井聰亙]])
 
# [[鉄道員 (1956年の映画)|鉄道員]] ''The Railroad Man''(1956年、監督:[[ピエトロ・ジェルミ]])
 
 
 
=== 監督作品 ===
 
'''映画'''(太文字は北野が出演している作品)
 
*'''[[その男、凶暴につき]]'''(1989年) - 我妻諒介 役
 
*'''[[3-4X10月]]'''(さんたいよんえっくすじゅうがつ)(1990年) - 上原 役
 
*[[あの夏、いちばん静かな海。]](1991年)
 
*'''[[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]'''(1993年) - 村川 役
 
*'''[[みんな〜やってるか!]]'''(1995年) - 透明人間推進協会博士 役
 
*[[キッズ・リターン]](1996年)
 
*'''[[HANA-BI]]'''(1998年) - 西佳敬 役
 
*'''[[菊次郎の夏]]'''(1999年) - 菊次郎 役
 
*'''[[BROTHER]]'''(2001年) - 山本 役
 
*[[Dolls (映画)|Dolls]](2002年)
 
*'''[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]'''(2003年) - 座頭市 役
 
*'''[[TAKESHIS']]'''(2005年) - ビートたけし/北野武 役
 
*'''[[監督・ばんざい!]]'''(2007年) - キタノ・タケシ監督 役
 
*'''[[アキレスと亀 (映画)|アキレスと亀]]'''(2008年) - 倉持真知寿 役
 
*'''[[アウトレイジ (2010年の映画)|アウトレイジ]]'''(2010年) - 大友 役
 
*'''[[アウトレイジ ビヨンド]]'''(2012年) - 大友 役
 
*'''[[龍三と七人の子分たち]]'''(2015年) - 村上 役<ref>{{cite web|url=http://eiga.com/news/20150105/1/|title=ビートたけしは刑事役!「龍三と七人の子分たち」劇中カットを入手|publisher=映画.com|date=2015-01-05|accessdate=2015-01-05}}</ref>
 
*'''[[アウトレイジ 最終章]]'''(2017年) - 大友 役<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/eiga/news/211546|title=北野武「アウトレイジ 最終章」2017年公開、「やっぱり俺の映画になっちゃうよな」|newspaper=映画ナタリー|date=2016-12-02|accessdate=2016-12-02}}</ref>
 
'''ショートムービー'''
 
*'''[[それぞれのシネマ]]より「素晴らしき休日」'''(2007年)
 
'''ミュージック・ビデオ'''
 
*'''[[Begin (北野井子の曲)|Begin]]'''(北野井子、1998年)
 
 
 
=== 受賞歴 ===
 
*1990年 日本映画監督協会新人奨励賞
 
*1991年 [[トリノ国際映画祭]] 特別賞(『3-4x10月』)
 
*1991年 [[ブルーリボン賞 (映画)#歴代各賞#第34回(1991年度)|第34回ブルーリボン賞]] 最優秀作品賞・監督賞(『あの夏、いちばん静かな海。』)
 
*1993年 タオルミナ国際映画祭 グランプリ(『ソナチネ』)
 
*1995年 コニャック国際映画祭 批評家賞(『ソナチネ』)
 
*1996年 [[ブルーリボン賞 (映画)#歴代各賞#第39回(1996年度)|第39回ブルーリボン賞]] 監督賞(『キッズ・リターン』)
 
*1996年 第6回[[日本映画プロフェッショナル大賞]] 監督賞(『キッズ・リターン』)
 
*1996年、[[山路ふみ子映画賞|山路ふみ子文化財団特別賞]]
 
*1997年 [[第54回ヴェネツィア国際映画祭]] [[金獅子賞]](『HANA-BI』)
 
*1998年 ニューヨーク国際映画祭 国際映画賞(『HANA-BI』)
 
*1998年 [[サンパウロ国際映画祭]] 批評家賞(『HANA-BI』)
 
*1998年 第10回[[ヨーロッパ映画賞]] スクリーン・インターナショナル賞(『HANA-BI』)
 
*1998年 [[ブルーリボン賞 (映画)#歴代各賞#第41回(1998年度)|第41回ブルーリボン賞]] 作品賞・監督賞・主演男優賞(『HANA-BI』)
 
*1999年 第8回[[日本映画批評家大賞]] 監督賞
 
*2002年 ダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞(『Dolls』)
 
*2003年 [[第60回ヴェネツィア国際映画祭]] [[銀獅子賞]](『座頭市』)
 
*2003年 第33回[[シッチェス・カタロニア国際映画祭]] グランプリ(『座頭市』)
 
*2003年 第26回[[トロント国際映画祭]] 観客賞(『座頭市』)
 
*2003年 [[第27回日本アカデミー賞|第27回]][[日本アカデミー賞]] 最優秀編集賞(『座頭市』)
 
*2006年 ガリレオ2000賞 文化特別賞
 
*2007年 [[第64回ヴェネツィア国際映画祭]] [[監督ばんざい!賞]](『監督ばんざい!』)
 
*2008年 [[モスクワ国際映画祭]] 特別功労賞
 
*2008年 [[テッサロニキ国際映画祭]] ゴールデン・アレクサンダー名誉賞
 
*2008年 [[GQ JAPAN|GQ]] MEN OF THE YEAR 2008<ref>{{cite web|url=http://gqjapan.jp/fashion/wardrobe/20121024/motyjapanhistory|title=過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】|publisher=GQ JAPAN|date=|accessdate=2014-11-21}}</ref>
 
*2009年 ソフィア国際映画祭 観客賞(『アキレスと亀』)
 
*2013年 第22回日本映画批評家大賞 監督賞(『アウトレイジ ビヨンド』)
 
*2015年 第8回[[したまちコメディ映画祭in台東]] コメディ栄誉賞<ref name="comedy" />
 
 
 
なお、2016年の第25回東京映画スポーツ映画大賞については発表時には監督賞・北野武(『龍三と七人の子分たち』)と発表されていた<ref>{{cite web|url=http://natalie.mu/eiga/news/173015|title=ビートたけしが「龍三と七人の子分たち」に4冠授ける、東スポ映画大賞発表|publisher=映画ナタリー|date=2016-01-26|accessdate=2016-01-27}}</ref>。ところが、授賞式では同賞の審査委員長を務める北野が「是枝監督に」と自身が受賞したトロフィーを会場に来ていた[[是枝裕和]]監督(『[[海街diary#映画|海街diary]]』で出席)に手渡し、これにより是枝監督が監督賞を受賞することとなった<ref>{{cite web|url=http://mantan-web.jp/2016/02/29/20160228dog00m200033000c.html|title=海街diary:たけしの思い付きで「東スポ映画大賞」1冠増え4冠に 綾瀬、長澤、すずがコマネチ|publisher=まんたんウェブ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。主催者である東京スポーツの授賞式記事(受賞者一覧)では「監督賞:北野武(「龍三と七人の子分たち」)→是枝裕和(「海街diary」)」となっている<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/511622/|title=【東スポ映画大賞】授賞式、受賞者一覧|publisher=東京スポーツ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。
 
 
 
== 出演 ==
 
=== レギュラー番組 ===
 
* [[ビートたけしのTVタックル]](テレビ朝日系 / [[日曜日]]11:55 - 12:55)
 
* [[世界まる見え!テレビ特捜部]](日本テレビ系列 / [[月曜日]] 19:56 - 20:54)
 
* [[名医とつながる!たけしの家庭の医学]](テレビ朝日系 / [[火曜日]]20:00 - 20:54)
 
* [[奇跡体験!アンビリバボー|ビートたけしPresents 奇跡体験!アンビリバボー]](フジテレビ系列 / [[木曜日]] 19:57 - 20:54)
 
* [[たけしのニッポンのミカタ!]](テレビ東京系列 / [[金曜日]] 22:00 - 22:54)
 
* [[情報7days ニュースキャスター|新・情報7DAYS ニュースキャスター]](TBS系列 / [[土曜日]] 22:00 - 23:24)
 
 
 
==== NHK ====
 
*北野武の宵越しスーパートーク(1998年元旦、井上ひさし・[[諏訪内晶子]]・[[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助]]との対談)<ref>井上ひさしとの対談は(井上ひさし『浅草フランス座の時間』文春ネスコ、2001年。ISBN 4890361235)に再録</ref>
 
* [[第51回NHK紅白歌合戦]]([[氷川きよし]]の応援)
 
* [[第52回NHK紅白歌合戦]](同上)
 
* 二人のTAKESHI(特番)
 
* [[たけしアート☆ビート]]([[NHKBSプレミアム]] / [[BS放送]])
 
* [[たけしの“これがホントのニッポン芸能史”]](同上)
 
* 海洋アドベンチャー タラ号の大冒険(2016年7月18日)<ref>[http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92549/2549152/index.html 海洋アドベンチャー タラ号の大冒険(NHK)]、2016年10月7日閲覧</ref> - 海洋観測船・タラ号日本大使として出演
 
 
 
==== TBS系列 ====
 
特記のないものはTBS製作
 
* [[たけしのお笑いサドンデス]]
 
* [[たけしのホッカホッカタイム]]
 
* [[笑ってポン!]]
 
* [[刑事ヨロシク]]
 
* [[世界まるごとHOWマッチ!!]](毎日放送制作)
 
* [[ギミア・ぶれいく]]
 
* [[たけし・所のドラキュラが狙ってる]](毎日放送制作)
 
* [[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]]
 
* [[たけしの頭の良くなるテレビ]]
 
* ここがヘンだよ日本人
 
* [[総天然色バラエティー 北野テレビ]]
 
* [[たけしのお年玉だよ!!初笑い海外演芸慰問団]]
 
* [[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]](1994年1月〜8月まで、バイク事故で休養しそのまま降板)
 
* [[乱!参院選2010|乱!衆議院・参院選]]([[衆議院選挙]]もしくは[[参議院選挙]]実施時にスペシャルコメンテーターとして出演)
 
* [[たけし・所の二人テレビ]](テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
 
* [[たけしの人体科学SP 人はなぜ老いるのか]](2012年1月5日)
 
* [[日曜ゴールデンで何やってんだテレビ]]<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/2012/10/11/0005442182.shtml デイリースポーツ 2012年10月11日号]</ref>
 
* [[ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV]](TBS系列 / 年2回位放送)
 
* [[たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと]](TBS系列 / 不定期特番)
 
* [[ビートたけしの勝手にスポーツ国民栄誉SHOW 豪華アスリート総登場 5時間半生放送SP]](TBS系列 / [[大晦日]]特番)
 
* [[ビートたけしのガチバトル]](TBS系列 / 年末年始特番)
 
* [[北野演芸館〜たけしが本気で選んだ芸人大集結SP〜]](毎日放送製作・TBS系列 / 不定期特番、2011年9月28日・2012年2月8日「[[水曜エンタ!]]」枠)
 
* [[オールスター感謝祭]](TBS系列) - 2011秋以降出題者として<ref group="注">1991秋では、回答者として出演していた。実兄と共演。</ref>
 
* TBSテレビ60周年特別企画「ものづくり日本の奇跡」(2015年3月23日 - 3月26日、3月28日) - ご意見番
 
* ものづくり日本の奇跡 日の丸テクノロジーがオリンピックを変えた元気が出る60年物語(2016年9月3日) - ご意見番<ref>[http://www.tbs.co.jp/monodukuri.jpn/ ものづくり日本の奇跡(TBS)]、2016年8月27日閲覧</ref>
 
 
 
==== 日本テレビ系列 ====
 
特記のないものは日本テレビ製作
 
* [[テレビに出たいやつみんな来い!!]]
 
* [[わっ!!ツービートだ]]
 
* OH!たけし
 
* [[蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作)
 
* [[スーパージョッキー]]
 
* [[天才・たけしの元気が出るテレビ!!|天才・たけしの元気が出るテレビ!!→超天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]
 
* [[ビートたけしの全日本お笑い研究所|ビートたけしの全日本お笑い研究所→番組の途中ですが…再びたけしです]]
 
* [[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]
 
* [[新橋ミュージックホール]](読売テレビ制作)
 
* [[世界超偉人伝説]]
 
* [[たけしとひとし]](「[[金曜スーパープライム]]内」 / 不定期特番、2010年12月10日)
 
* [[たけしの超新説研究所 最新科学が歴史を暴く]](2012年3月20日)
 
* [[ビートたけし特別主催 おバカンヌNo.1映像祭]](不定期特番)
 
* [[たけし・所の二人テレビ]](テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
 
* [[世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史]](2013年12月30日、2015年2月16日、2016年2月22日)
 
* [[さんま&所の大河バラエティ!超近現代史!人間は相変わらずアホか!?]](不定期特番、特別ゲスト出演)
 
* [[ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎]](日本テレビ系列 / 年1回放送)
 
* [[緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!]](日本テレビ系列 / 年1回放送)
 
* [[ビートたけしの今まで見たことないテレビ]](日本テレビ系列 / 不定期特番)
 
 
 
==== テレビ朝日系列 ====
 
特記のないものはテレビ朝日製作
 
* [[アイドルパンチ]]
 
* [[ザ・ベストヒット'83]]
 
* [['83サマースペシャル]]
 
* [[ビートたけしのスポーツ大将]]
 
* [[スポーツシャワー〜ヒーローに花束を〜]](朝日放送制作)
 
* [[有名人の皆様ゴメンなさい…ビートたけしの超国民的バラエティ噂のあの人この事件 そこまでバラすか! ウワサの真相 年内決着スペシャル]]
 
* [[神出鬼没!タケシムケン]]
 
* [[ビートたけしのD-1グランプリ]]
 
* [[たけしの万物創世紀]](朝日放送制作)
 
* [[たけし・所のWA風が来た!]](朝日放送制作)
 
* [[ビートたけしの!こんなはずでは!!]]
 
* [[たけしのポリスアカデミー]](朝日放送制作)
 
* [[最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学]](朝日放送制作)
 
* [[たけし・所の二人テレビ]](テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
 
* [[名球会VSビートたけし&芸能界ドリームチーム]](テレビ朝日系列 / [[正月]]特番)
 
* [[ビートたけしの禁断の大暴露!!超常現象(秘)Xファイル]](テレビ朝日系列 / 年1回放送)
 
* [[緊急!世界サミット“たけしJAPAN”]](朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 不定期特番)
 
* [[たけスポ|朝までたけし軍団 → 朝までたけし的ショー → たけスポ]](テレビ朝日系列 / 原則年1回放送)
 
* [[KAMIWAZA〜神芸〜]](朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 年1回放送、番組ゼネラルマネージャー)
 
* [[ビートたけしのいかがなもの会]](テレビ朝日系列 / 不定期特番)
 
* [[ビートたけしの知らないニュース]](テレビ朝日系列 / 不定期特番)
 
* [[たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学]](テレビ朝日系列)
 
 
 
==== テレビ東京系列 ====
 
特記のないものはテレビ東京製作
 
* [[世界おもしろネットワーク]]
 
* [[気分はパラダイス]]
 
* [[たけしの誰でもピカソ]]
 
* [[古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議]](テレビ東京系列 / 2014年正月特番)
 
* たけしのよくできてるTV(2017年10月1日)<ref name="TERETOASA">{{Cite web|url=https://www.cinra.net/news/20170928-beattakeshi|title=ビートたけしが朝のテレ東で5日連続生番組 太田光、水道橋博士らも出演 - 映画・映像ニュース|publisher= CINRA.NET|date=2017/09/28|accessdate=2017/10/08}}</ref>
 
* おはよう、たけしですみません。(2017年10月2日 – 6日)<ref name="TERETOASA"/>
 
 
 
==== フジテレビ系列 ====
 
特記のないものはフジテレビ製作
 
* オレたちひょうきん族
 
* たけし・逸見の平成教育委員会
 
* FNSの日
 
* [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]](1987年、1990年)→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91→[[平成教育テレビ]]→FNSの日<ref group="注">1992年 - 1996年は総合司会として参加、1987年はゲスト出演</ref>
 
* [[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]
 
* [[FNS27時間テレビ (2017年)|FNS27時間テレビ2017]]‐総合司会
 
* [[ビートたけしのつくり方]]
 
* [[たけしのここだけの話]](関西テレビ制作)
 
* 北野ファンクラブ
 
* [[北野富士]]
 
* [[足立区のたけし、世界の北野]]
 
* [[たけしの斉藤寝具店]]
 
* [[タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ]]
 
* [[たけし・さんまの有名人の集まる店]]
 
* [[たけしの日本教育白書]]
 
* [[北野タレント名鑑]]
 
* [[チャンネル北野eX]]([[フジテレビTWO|フジテレビ721]])
 
* [[チャンネル北野NEO]](フジテレビ721)
 
* [[熱血!平成教育学院]]
 
* [[スター千一夜]](1980年〜1981年)
 
* ビートたけしの21世紀毒談([[フジテレビONE]] / [[CS放送]])
 
* [[所さんの世田谷ベース]]([[BSフジ]] / 不定期出演ゲスト)
 
* [[たけしのコマネチ大学数学科]]
 
* [[たけしの等々力ベース]]([[BSフジ]])
 
* [[平成教育委員会|平成教育委員会スペシャル]](フジテレビ系列 / 1月・5月・8月・11月に放送)
 
* たけしの日本教育白書 → [[たけしのニッポン人白書]](フジテレビ系列 / 年1回放送)
 
* 地球45億年の奇跡I(フジテレビ系列)
 
* 地球45億年の奇跡II(フジテレビ系列)
 
* [[FNSの日]]『[[さんま・中居の今夜も眠れない]]』(フジテレビ系列 / 2008年 - 2009年、2011年 - 2012年度の中継特別ゲスト)
 
* [[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI]](フジテレビ系列 / 年1回放送、大会最高顧問)
 
* [[オモクリ監督 〜O-Creator's TV show〜]]
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* [[草野球・草家族]](1980年、テレビ朝日)
 
* [[青春諸君!夏]](1980年、TBS) - 測量士 役
 
* [[二百三高地]](1981年、TBS) - 第七連隊の補充兵 役
 
* [[いじわるばあさん#青島幸男版 (2)|意地悪ばあさん]](1981年、フジテレビ)
 
* [[われら動物家族]](1981年 - 1982年、TBS)
 
* [[刑事ヨロシク]](1982年、TBS) - 主演・原平太 役
 
* [[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]](1982年、日本テレビ) - [[山内容堂]] 役
 
* ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難(1982年 - 1983年、MBS) - 特別出演
 
* [[AカップCカップ]](1983年、テレビ東京)「天才たけちゃんのカルチャーショック」を担当。
 
* みだらな女神たち(1983年、TBS) - 主演・花森武市 役
 
* [[昭和四十六年 大久保清の犯罪]](1983年、TBS) - 主演・[[大久保清]] 役
 
* [[ビートたけしの学問ノススメ|学問ノススメ]](1984年、TBS) - 主演・夏目宝石 役 
 
* ビートたけしのこにくらじいさん(1984年、フジテレビ)
 
* ビートたけしのこにくらじいさん2(1984年、フジテレビ)
 
* イエスの方舟(1985年、TBS) - 主演・京極武吉 役
 
* [[恋子の毎日|青春夫婦物語 恋子の毎日]](1986年、TBS) - 星永小百合 役
 
* [[雨の降る駅]](1986年、TBS)
 
* 立体ドラマ5時間 1987年の大晦日「昭和大つごもり」(1987年、フジテレビ) - 脚本:[[倉本聰]]
 
* 青春夫婦物語 恋子の毎日II(1988年、TBS) - 星永小百合 役
 
* 向田邦子ふたたび(1988年、日本テレビ)
 
* ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編(1988年、テレビ朝日) - 目立つ客 役
 
* 男たちの激突! 前編・後編(1988年、フジテレビ) - 時造 役
 
* [[時間ですよ#時間ですよ 新春スペシャル「梅の湯はギャグでいっぱい」|時間ですよ 新春スペシャル]](1989年、TBS)
 
* 御存知!鞍馬天狗(1989年、フジテレビ) - [[近藤勇]] 役 ※特別出演
 
* [[ビートたけし殺人事件]](1989年、TBS) - ビートたけし 役
 
* ビートたけし殺人事件〜失われた魔人の伝説(1989年、TBS) - ビートたけし 役
 
* [[美空ひばり]]物語(1989年、TBS) - [[田岡一雄]] 役
 
* なめくじ長屋捕物さわぎ(1990年、TBS) - 主演・大道の砂絵師 役
 
* [[柳生武芸帳#1990年-1992年|柳生武芸帳]](1990年、日本テレビ) - [[万里小路充房]] 役
 
* [[高円寺純情商店街]](1990年、テレビ朝日)
 
* [[浮浪雲]](1990年、TBS) - 雲 役【主演】 - 視聴率的には振るわず、自身でもしばらくの間「はずれ雲」とネタにしていた。
 
* [[忠臣蔵 (1990年のテレビドラマ)|忠臣蔵]](1990年、TBS) - 主演・[[大石良雄|大石内蔵助]] 役
 
* [[実録犯罪史シリーズ#『金の戦争』|実録犯罪史シリーズ 金(キム)の戦争 ライフル魔殺人事件]](1991年、フジテレビ) - 主演・[[金嬉老]] 役
 
* 説得 エホバの証人と輸血拒否事件(1993年、TBS)【主演】
 
* ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース(1993年、日本テレビ) - [[関武志]] 役
 
* [[兄弟 (なかにし礼の小説)|兄弟]](1999年、テレビ朝日) - 原作:[[なかにし礼]]
 
* [[百年の物語]] 第2夜「戦後編・愛は哀しみをこえて」(2000年、TBS) - 戸倉耕作 役
 
* 三億円事件〜20世紀最後の謎〜(2000年、フジテレビ) - 主演・松田誠一郎 役
 
* [[明智小五郎対怪人二十面相]](2002年、TBS) - [[怪人二十面相]] 役
 
* [[火曜サスペンス劇場]]・[[松本清張]]スペシャル [[鬼畜 (松本清張)#テレビドラマ|鬼畜]](2002年、日本テレビ) - 主演・竹中保夫 役
 
* 松本清張没後10年記念 [[張込み#2002年版|張込み]](2002年、テレビ朝日) - 主演・柚木 役
 
* [[大河ドラマ]](NHK)
 
** [[武蔵 MUSASHI]](2003年) - [[新免無二|新免無二斎]] 役
 
** [[いだてん〜東京オリムピック噺〜]](2019年) - [[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]] 役<ref>{{Cite web|url= http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12525 |title= 《2019年大河ドラマ》出演者発表 第2弾! ビートたけしが “落語の神様” 役でナビゲート! |work= NHKオンライン |publisher= NHK |date= 2017-11-29 |accessdate= 2017-11-29 }}</ref>
 
* 愚痴 第三話「出てった女」(2003年、フジテレビ)
 
* [[和田アキ子殺人事件]](2007年、TBS)
 
* 松本清張 [[点と線]](2007年、テレビ朝日) - 主演・鳥飼重太郎 役
 
* [[あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機]] 第2部ドラマ(2008年、TBS) - 主演・[[東条英機]] 役
 
* [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (テレビドラマ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]](2009年、TBS) - キタノ 役(第1回ゲスト)
 
* [[歸國]](2010年、TBS) - 大宮上等兵 役【主演】
 
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、ABC・テレビ朝日) - 安東正親 役 ※特別出演
 
* [[黒い福音#2014年版|松本清張 黒い福音〜国際線スチュワーデス殺人事件〜]](2014年、テレビ朝日) - 主演・藤沢六郎 役
 
* [[赤めだか]] (2015年、TBS) - 立川談志 役
 
* [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]]スペシャル (2016年、テレビ朝日) - 黒須貫太郎 役
 
* [[破獄#2017年版|破獄]](2017年、テレビ東京) - 主演・浦田進 役
 
 
 
=== 映画 ===
 
この項目は、他監督の作品として出演した映画の一覧である。「戦場のメリークリスマス」で注目され、「[[JM (映画)|JM]]」で[[ハリウッド]]映画出演も果たした。自らが映画監督の立場としては俳優に撮影方針を意見されることを好まないため、俳優として他監督の作品に出演する際にも同様にしているという。
 
<div class="NavFrame" style="clear:both;border:0">
 
<div class="NavHead" style="text-align:left">'''映画出演作品'''</div>
 
<div class="NavContent" style="text-align:left">
 
* [[ニッポン69、セックス猟奇地帯]](1969年) - インタビューで行き着けのジャズ喫茶について語る若者
 
* [[ゆけゆけ二度目の処女]](1969年) - [[ヒッピー]]の一人としてエキストラ出演
 
* [[新宿マッド]](1970年) - [[フーテン]] 役
 
* [[ダンプ渡り鳥]](1981年、[[関本郁夫]]監督) - 警官 役
 
* [[マノン (映画)|マノン]](1981年、[[東陽一]]監督) - しのぶ 役
 
* [[すっかり…その気で!]](1981年、[[小谷承靖]]監督) - 伊東たかし 役 ※初主演作品
 
* [[夏の秘密 (映画)|夏の秘密]](1982年、[[川上裕通]]監督) - ラーメン屋の主 役
 
* [[戦場のメリークリスマス]](1983年、大島渚監督) - ハラ 役
 
* [[十階のモスキート]](1983年、[[崔洋一]]監督) - 競艇場の予想屋 役
 
* [[哀しい気分でジョーク]](1985年、[[瀬川昌治]]監督) - 五十嵐洋 役
 
* [[夜叉 (映画)|夜叉]](1985年、[[降旗康男]]監督、[[高倉健]]主演) - 矢島 役
 
* [[コミック雑誌なんかいらない!]](1986年、[[滝田洋二郎]]監督、[[内田裕也]]主演) - 殺人犯 役
 
* [[姐御]](1988年、[[鷹森立一]]監督) - 杉本昇治 役
 
* [[ほしをつぐもの]](1990年、[[小水一男]]監督) - 山のおじちゃん 役
 
* [[斬殺せよ 切なきもの、それは愛]](1990年、[[須藤久]]監督) - 定吉 役
 
* [[修羅の伝説]](1992年、[[和泉聖治]]監督) - 矢代喜一郎 役
 
* [[魚からダイオキシン!!]](1992年、[[宇崎竜童]]監督) - AZUMA 役
 
* [[エロティックな関係]](1992年、[[若松孝二]]監督) - 奥山 役
 
* [[銀玉マサやん]](1992年、[[村石宏實]]監督) - 特別出演
 
* [[教祖誕生]](1993年、[[天間敏広]]監督、たけし原作) - 司馬大介 役
 
* [[JM (映画)|Johnny Mnemonic]](1995年、ロバート・ロンゴ監督) - タカハシ 役
 
* [[GONIN]](1995年、[[石井隆]]監督) - 京谷一郎 役
 
* Tokyo Eyes(1998年、ジャン・ピエール・リモザン監督)
 
* [[残侠 ZANKYO]](1999年、関本郁夫監督) - 梅川弦次 役
 
* [[御法度 (映画)|御法度]](1999年、大島渚監督) - [[土方歳三]] 役
 
* [[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]](2000年、深作欣二監督) - キタノ 役
 
* バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年、深作欣二監督) - キタノ 役
 
* [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】]](2003年、深作欣二・[[深作健太]]監督) - キタノ 役
 
* [[IZO (映画)|IZO]](2004年、[[三池崇史]]監督) - 宰相 役
 
* [[血と骨]](2004年、崔洋一監督) - 金俊平 役
 
* [[ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム]](2004年、サン・マー・メン監督)
 
* [[アラキメンタリ]](2005年、トラヴィス・クローゼ監督) - 本人 役
 
* [[ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発]](2008年、[[河崎実]]監督) - タケ魔人 役
 
* [[あなたへ]](2012年8月25日、降旗康男監督) - 杉野輝夫 役
 
* [[MOZU#映画|劇場版 MOZU]](2015年11月7日、[[羽住英一郎]]監督) - 吉田駒夫(ダルマ) 役
 
* [[人生の約束]](2016年1月9日、[[石橋冠]]監督) - 岩瀬厚一郎 役<ref>{{cite web|url=http://eiga.com/news/20150318/3/|title=江口洋介は短髪!石橋冠監督作「人生の約束」に西田敏行&ビートたけしら主演級ずらり|publisher=映画.com|date=2015-03-18|accessdate=2015-03-18}}</ref>
 
* [[女が眠る時]] (2016年2月27日、ウェイン・ワン監督) - 佐原 役
 
* [[ゴースト・イン・ザ・シェル (映画)|ゴースト・イン・ザ・シェル]](2017年3月31日(全米)、ルパート・サンダース監督) - 荒巻大輔 役<ref>{{cite web|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0080879|title=ビートたけし、ハリウッド版「攻殻機動隊」出演決定!スカヨハと共演!|publisher=シネマトゥデイ|date=2016-03-03|accessdate=2016-03-03}}</ref>
 
</div></div>
 
 
 
=== 舞台 ===
 
*海に響く軍靴〜FOOTSTEPS IN THE PACIFIC〜(2015年、[[博品館劇場]]) - 原案
 
 
 
=== テレビアニメ ===
 
*[[グラゼニ]] (2018年)  - 本人 役
 
 
 
=== 劇場アニメ ===
 
*[[まことちゃん]](1980年) - 本人 役
 
 
 
=== ゲーム ===
 
*[[龍が如く6 命の詩。]](2016年)  - 広瀬徹 役
 
 
 
=== ラジオ ===
 
*[[ビートたけしのオールナイトニッポン]](ニッポン放送)
 
*ビートたけしの[[ラジオ黄金時代]] [[街で一番の男〜ビートニクラジオ]]([[エフエム東京|TOKYO FM]])
 
*ビートたけしの文学夜話 (NRN)
 
*国際紳士交遊録([[文化放送]]、[[山口敏夫]]と共にレギュラー出演)
 
 
 
== 広告 ==
 
[[大橋巨泉]]と共演の広告「アサヒ生ビール」は撮影終了後、フライデー襲撃事件の影響で放映されなかった(なお、広告のスナップショットは巨泉の自伝『ゲバゲバ70年!』の中で見る事が可能)。1984年(昭和59年)、「スーしませう」のキャッチコピーで発売された「白仁丹」や、ペプシの比較広告をパロディ化した『デミュートサンスター』では企画・演出に関わった。
 
 
 
2007年(平成19年)から[[ロシア]][[独立国家共同体|CIS]]地域で[[パナソニック|Panasonic]]ブランドの[[VIERA|薄型テレビ]]の広告に出演。同広告担当者によると、「日本の有名人が単独で海外の国々で広告モデルになるのは初めてではないか」との事。
 
 
 
*[[大塚製薬]]「[[ポカリスエット]]」
 
*[[ECC総合教育機関|ECC]]
 
*[[ACジャパン]](2009年、公共広告機構時代は実兄の北野大が出演していた)
 
*[[トヨタ自動車]](2011年、[[豊臣秀吉]]役。以前は[[トヨタ・ビスタ|ビスタ]](初代後期・昭和59年)[[トヨタ・カローラ|カローラセダン]](9代目)の広告にも出演していた。2012年より同役で新型[[トヨタ・クラウン|クラウン]]の広告に出演し、[[ジャン・レノ]]や[[松嶋菜々子]]と共演。)
 
*[[DMM.com]]
 
*[[アサヒ飲料]]「WONDA」(2016年3月 - )
 
*[[善都]](2016年)<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/owarai/news/185239|title=ビートたけし、ZENTの広告でスタイリッシュに「コマネチ」|newspaper=お笑いナタリー|date=2016-04-27|accessdate=2016-05-02}}</ref>
 
*[[日清食品]][[カップヌードル]](2016年)
 
*[[アンファー]]
 
他多数
 
 
 
== 著作物・出版物 ==
 
連載コラムや著書の文章のほとんどは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(『コマネチ!2』にて、本人のコメントによる)。
 
 
 
=== 著書 ===
 
<div class="NavFrame" style="clear:both;border:0">
 
<div class="NavHead" style="text-align:left">'''北野武名義'''</div>
 
<div class="NavContent" style="text-align:left">
 
*『午前3時25分』(1983年、太田出版)増補改訂版(1986年
 
*『毒針巷談』(1984年、太田出版)
 
*『たけしくん、ハイ!』(1984年、太田出版)のち新潮文庫
 
*『続毒針巷談』(1985年、太田出版)
 
*『余生』(2001年、[[ロッキング・オン]])のちソフトバンク文庫
 
*『孤独』(2002年、ロッキング・オン)のちソフトバンク文庫
 
*『時効』(2003年、ロッキング・オン)のちソフトバンク文庫
 
*『武がたけしを殺す理由 全映画インタヴュー集』(2003年、ロッキング・オン)
 
*『イチロー北野武キャッチボール』(2003年、[[ぴあ]])
 
*『異形』(2004年、ロッキング・オン)
 
*『光』(2005年、ロッキング・オン)
 
*『生きる』(2007年、ロッキング・オン)
 
*『全思考』(2007年、幻冬舎)のち文庫
 
*『女たち』(2008年、ロッキング・オン)
 
*『北野武今、63歳』(2010年、ロッキング・オン)
 
*『KITANO par KITANO 北野武による「たけし」』ミシェル・テマン共著 松本百合子訳 (2010年、早川書房) のち文庫
 
*『超思考』(2011年、幻冬舎)のち文庫
 
*『物語』(2012年、ロッキング・オン)
 
*『ほしのはなし』作・絵 (2012年、ポプラ社)
 
*『やり残したこと』(2015年、ロッキング・オン)
 
*『新しい道徳』(2015年、幻冬舎)
 
</div></div>
 
 
 
<div class="NavFrame" style="clear:both;border:0">
 
<div class="NavHead" style="text-align:left">'''ビートたけし名義'''</div>
 
<div class="NavContent" style="text-align:left">
 
*『たけし! オレの毒ガス半生記』(1981年、講談社)『真説「たけし!」 オレの毒ガス半生記』講談社+α文庫、1999
 
*『ビートたけしの変態志願』(1982年、[[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]])
 
*『恐怖びっくり毒本』(1983年、KKベストセラーズ)
 
*『ビートたけしの幸せ独り占め ハクション・カメラ術』(1981年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫(高田文夫共著)
 
*『ビートたけしのゴックン日本史 幕末・明治の巻』リヨン社 1982(ゴーストライター作と言われている<ref name="allnightnippon">ビートたけしのオールナイト・ニッポン本人談</ref>)
 
*『ビートたけしの変・態・志・願 俺もお前も同期の桜』ベストセラーズ ワニの本 1982
 
*『ビートたけしの幸せになってしまいました』(1982年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫「思わず幸せになってしまいました」
 
*『ビートたけしの三国一の幸せ者』(1982年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫(高田文夫共著)
 
*『ビートたけしの無条件幸福』(1983年、オールナイト・ニッポン リビングマガジン)のち扶桑社文庫
 
*『恐怖びっくり毒本 眠れぬ夜のあなたに いたずらテキスト版』編著 ベストセラーシリーズ ワニの本 1983
 
*『ビートたけし&高田ギョロ目文夫のしまいにゃ笑うぞ!』高田文夫共著 スコラbooks 1983
 
*『ビートたけしのウソップ物語』話の特集 1983
 
*『ビートたけしのみんなゴミだった』(1983年、飛鳥新社)
 
*『ビートたけしのニッチもさっちも』(1984年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 [[扶桑社]])のち文庫
 
*『ギャグ狂殺人事件』(1984年、作品社)(ゴーストライター作と言われている<ref name="allnightnippon" />)高田文夫との共著
 
*『たけし吼える!』(1984年、飛鳥新社)
 
*『あのひと』(1985年、飛鳥新社)のち新潮文庫
 
*『ビートたけしの幸か不幸か』(1985年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫
 
*『たけしの新・坊ちゃん』(1986年、太田出版)のち文庫
 
*『KID RETURN』(1986年、太田出版)
 
*『続々毒針巷談』(1986年、太田出版)
 
*『ビートたけしの不幸中の幸い』(1986年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫
 
*『少年』(1987年、太田出版)のち新潮文庫
 
*『たけしの挑戦状 たけし直伝 虎の巻』全2巻 太田出版 1987
 
*『浅草キッド』(1988年、太田出版)のち新潮文庫
 
*『ビートたけしの全面幸福』(1988年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫
 
*『たけしの戦国風雲児 ファミコンゲーム必敗本』太田出版 1988
 
*『新毒針巷談』(1988年、太田出版)
 
*『教祖誕生 第一部』(1990年、太田出版)のち新潮文庫
 
*『ビートたけしのその男幸せにつき』(1990年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫
 
*『ビートたけしの幸せ丸十年』(1990年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)
 
*『仁義なき映画論』(1991年、太田出版)のち文春文庫
 
*『だから私は嫌われる』(1991年、新潮社)のち文庫
 
*『やっぱり私は嫌われる』(1991年、新潮社)のち文庫
 
*『ビートたけしの世紀末毒談』(1991年、[[小学館]])
 
*『場外乱闘』(1992年 太田出版)
 
*『ビートたけしの世紀末毒談 目には目を毒には毒を』(1992年、小学館)
 
*『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』(1993年、太田出版)
 
*『みんな自分がわからない』(1993年、新潮社)のち文庫
 
*『漫才病棟』(1993年、文藝春秋)のち文庫
 
*『女につける薬 偏見だらけの大和撫子育成講座』(1993年、祥伝社)
 
*『落選確実選挙演説』(1994年、新潮社)のち文庫
 
*『はっきり言って暴言です 恋愛・結婚・sex ビートたけしのTVタックル』テレビ朝日、1994 「嫉妬の法則 はっきり言って暴言です」角川文庫 『嫉妬の法則 恋愛・結婚・SEX』角川oneテーマ21 2013
 
*『顔面麻痺』(1994年、太田出版)のち幻冬舎文庫
 
*『女は死ななきゃ治らない あえて大和撫子改造講座』(1994年、祥伝社)
 
*『それでも女が好き めげずに大和撫子啓蒙講座』(1995年、祥伝社)
 
*『佐竹君からの手紙』太田出版 1995
 
*『あなたと俺と日本人 ビートたけし暴言集2 ビートたけしのTVタックル』モジカンパニー編 テレビ朝日事業局出版部 1995「日本人改造論 あなたと俺と日本人」角川文庫
 
*『たけしの死ぬための生き方』(1995年、新潮社)のち文庫
 
*『みんな〜やってるか!』(1995年、扶桑社)
 
*『たけしの20世紀日本史』(1996年、新潮社)のち文庫
 
*『草野球の神様』(1996年、新潮社)のち文庫
 
*『佐竹君からの手紙 サハリン篇』太田出版 1996
 
*『ザ・知的漫才 ビートたけしの結局わかりませんでした』(1996年、集英社)のち文庫
 
*『ビートたけしの世紀末毒談3』(1996年、小学館)「世紀末毒談」文庫
 
*『私は世界で嫌われる』(1998年、新潮社)のち文庫
 
*『たけしの「号外」!! 東スポ客員編集長北野武・問題発言集'91-'98』(1998年、洋泉社)「たけしの「オイラが東スポ編集長!」」宝島sugoi文庫
 
*『愛でもくらえ』(1999年、祥伝社)のち黄金文庫
 
*『コマネチ!ビートたけし全記録』(1999年、新潮文庫)
 
*『[[菊次郎とさき]]』(1999年、新潮社)のち文庫
 
*『偽善の爆発 初級人間学講座 時事問題講義 1』(2000年、新潮社)「私ばかりがなぜもてる たけしの初級賢者学講座」文庫
 
*『ニッポン文化大革命 初級人間学講座 基礎常識講義 2』新潮社、2000 「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」文庫
 
*『僕は馬鹿になった。ビートたけし詩集』祥伝社、2000 のち文庫
 
*『頂上対談』(2001年、新潮社)のち文庫
 
*『おまえの不幸には、訳がある!』新潮社・ラッコブックス、2001  のち文庫:副題:たけしの上級賢者学講座
 
*『コマネチ!2 −BROTHER大特集』(2001年、新潮社)
 
*『ビートたけしの黙示録』(2001年、徳間書店)のち文庫
 
*『路に落ちてた月 ビートたけし童話集』祥伝社 2001 のち黄金文庫
 
*『たけしの[[大英博物館]]見聞録』新潮社 とんぼの本 2002
 
*『巨頭会談』新潮社 2003 のち文庫
 
*『たけしの発明王』新潮社 2003
 
*『裸の王様』新潮新書 2003
 
*『悪口の技術』新潮社 2003 のち文庫
 
*『たけしの落書き入門』新潮社 とんぼの本 2004
 
*『達人に訊け!』[[奥本大三郎]],[[毛利衛]],[[桜井章一]],[[戸田奈津子]],[[藤原正彦]],[[北原保雄]],[[藤田紘一郎]],[[中村祥二]],[[岡部幸雄]],[[岡野雅行 (会社社長)|岡野雅行]]共著 新潮社 2006 のち文庫
 
*『恐竜は虹色だったか? たけしの「最新科学教室」』[[橋本周司]],[[田中修]],[[上田恵介]],[[村松照男]],[[海部宣男]],[[中込弥男]],[[船山信次]],[[冨田幸光]],[[吉村仁]],[[有田正光]]共著 新潮社 2008 「たけしの最新科学教室」文庫
 
*『貧格ニッポン新記録』小学館101新書 2008
 
*『「カミさんポックリ教」宣言』小学館101新書 2009
 
*『下世話の作法』祥伝社 2009 のち黄金文庫
 
*『漫才』新潮社 2009 のち文庫
 
*『1084(to-san ya-yo) MANZAI2 1月-3月』two beat [述] ネコ・パブリッシング 2010
 
*『ラジオ北野』新潮社 2010 のち文庫
 
*『間抜けの構造』新潮新書 2012
 
*『ヒンシュクの達人』小学館新書 2013
 
*『ビートたけしの幸せ三面記事新聞 TBS情報7daysニュースキャスター』ロッキング・オン 2013
 
*『たけしのグレートジャーニー』 関野吉晴, 西江雅之, 荻巣樹徳, 山極寿一, 松浦健二, 塚本勝巳, 長沼毅, 佐藤克文, 窪寺恒己, 鎌田浩毅,村山斉共著 新潮社 2014
 
*『日本人改造論 父親は自分のために生きろ』角川oneテーマ21 2014
 
*『アナログ』新潮社 2017
 
*『ビートたけしのオンナ論』サイゾー 2018
 
 
 
===共著===
 
*『日本の差法 無差別級トークバトル』[[ホーキング青山]]との対談(2002年、[[新風舎]])のち文庫
 
*『ツーアート』[[村上隆]]共著 ぴあ 2003 のち光文社知恵の森文庫
 
*『野球小僧 少年たけしと少年マツイ』[[松井秀喜]]共著 ぴあ 2004
 
*『コマ大数学科特別集中講座』[[竹内薫]]共著(2006年、扶桑社)のち新書
 
*『もったいないねこのバチ当たりめ! 北野大VSビートたけしの新環境文化論』あ・うん 2010
 
*『THE PARADOX コマ大数学科公認副読本』竹内薫,[[中村亨]]共監修 扶桑社 2011
 
*『最後の大独演会』[[立川談志]],[[太田光]]共著 新潮社 2012
 
</div></div>
 
 
 
===絵本===
 
*ほしのはなし(2012年12月14日、ポプラ社)
 
 
 
=== 写真集 ===
 
*武風 たとえば風のように(1986年頃、O.P.F.C)
 
*たけし軍団(1987年11月18日、太田出版)
 
 
 
=== 写真作品 ===
 
*「無題」(1994年、[[竹書房]]発行、[[月刊ザ・テンメイ]]1994年秋臨時増刊号「Super Tenmei」掲載)バイク事故直前に撮った(雑誌は事故後発売)、写真家としての処女作品。
 
*「ORA-ATAI」(1998年、[[新潮社]]発行、[[新潮45]]別冊2月号「北野武責任編集『コマネチ!』ビートたけし全記録」掲載)学ラン姿の[[ガダルカナル・タカ]]とセーラー服姿の[[井手らっきょ]](スキンヘッドそのまま)がカップルに扮し東京見物するコンセプト。
 
*「海から来た、おんな」(2002年、小学館発行、2002年2月1日号「週刊ポスト」掲載)
 
 
 
== 連載 ==
 
*ビートたけし「21世紀毒談」([[週刊ポスト]])
 
*「達人対談」([[新潮45]])
 
*「世相斬り」([[東京スポーツ]])
 
*([[SIGHT]])
 
*([[週刊実話]])
 
 
 
== ネットマガジン ==
 
*ビートたけし責任編集ネットマガジン『お笑いKGB』
 
 
 
== 音楽・ゲーム ==
 
=== 歌唱作品 ===
 
''[[ツービート]]、[[ぢ・大黒堂]]名義で発表された作品についてはそれぞれの項目を参照。''
 
;シングル
 
*俺は絶対テクニシャン(1981年2月21日)
 
*いたいけな夏(1981年6月5日)
 
*丸の内ストーリー(1982年4月5日。「[[畑中葉子]]・ビートたけし」名義)
 
*BIGな気分で歌わせろ(1982年5月21日)
 
*OK!マリアンヌ(1982年9月5日) - 売上3万枚<ref name="asg150228">[http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0228/asg_150228_4086826329.html 芸人、映画監督以上にスゴかった!「歌手」ビートたけしの知られざる30年史]、BEGLOBEニュース(アサ芸プラス)、2015年2月28日 09:17。</ref>
 
*TAKESHIの、たかをくくろうか(1983年5月21日)
 
*アミダばばあの唄(1983年10月21日。「アミダばばあ&タケちゃんマン」名義)
 
*びっくり箱のうた(1984年5月21日。「タケちゃんマン&ナンデスカマン」名義)
 
*抱いた腰がチャッチャッチャッ(1984年8月21日)
 
*[[哀しい気分でジョーク#主題歌|哀しい気分でジョーク]](1985年2月21日)
 
*ポツンと1人きり(1986年2月5日)
 
*I'll be back again...いつかは(1986年4月21日。「TAKESHI&[[松方弘樹|HIROKI]]」名義) - [[オリコンチャート|オリコン]]8位
 
*I FEEL LUCKY(1986年5月21日)
 
*ロンリーボーイ・ロンリーガール(1986年8月15日)
 
*BOY〜If I'm 17(1988年7月16日。「ビートたけし with たけし軍 COUNT DOWN」名義) -作詞:[[阿久悠]]・作曲:[[馬場孝幸]]、売上3万4000枚<ref name="asg150228" />
 
*真っ暗な夜に(1991年9月13日。[[所ジョージ]]と組んだT's名義)
 
*嘲笑(1993年6月23日)-  作詞:ビートたけし・作曲:[[玉置浩二]] 玉置のセルフカバーアルバム『[[Offer Music Box]]』(2012年)に玉置版が収録された。
 
*GOD BLESS YOU〜神の御加護を〜(1994年3月12日。「ビートたけし&ザ・常夏's」名義)
 
*修善寺で別れた大宮の女(ひと)(1997年3月21日。「トビ木村と足手まといア〜ンドビートたけし」名義)
 
;オリジナルアルバム
 
*おれに歌わせろ(1982年6月21日)
 
*これでもか!(1983年1月21日)
 
*AM 3:25(1984年10月21日)
 
*野戦病院〜ビートたけし&たけし軍団ライブ(1985年7月5日)
 
*浅草キッド(1986年8月15日)
 
*卒業(1987年7月29日)
 
*豪華絢爛(1988年9月7日)
 
;ベストアルバム
 
*たけちゃん・ナイス!(1988年2月21日)
 
*オーイ!た〜けちゃ〜ん/BEST ONE(1988年11月21日)
 
*CD FILE VOL.1(1989年3月21日)
 
*CD FILE VOL.2(1989年3月21日)
 
*OH!傑作 ビートたけし&たけし軍団COUNT DOWN BEST SONGS(1989年10月21日)
 
*Singin' Loud II(1993年12月1日)
 
*たけちゃん・ガンバレ!(1994年11月23日)
 
*ゴメ〜ンネ!たけちゃん(1995年10月27日)
 
 
 
=== 作詞提供 ===
 
*チポップ([[宮沢りえ]])
 
*心から好き(宮沢りえ)TVドラマ『東京エレベーターガール』主題歌。kikuji名義にて。
 
 
 
=== 参加音楽作品 ===
 
*モンゴル子守唄 所ジョージ(間奏のラジオアナウンス)
 
*ニワトリは飛んでいかない 所ジョージ(曲中のニワトリの鳴き声)
 
**二曲共アルバム「コケコッコゥ~七色の声色~」収録、また上記の二曲だけではなく、ジャケット写真でもギターを持って所と写っている。
 
 
 
=== 参加したコンピュータゲーム ===
 
*[[たけしの挑戦状]]([[タイトー]])
 
*[[たけしの戦国風雲児]](タイトー)
 
*[[ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城]]([[バンダイ]])
 
*[[オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ]]([[任天堂]])
 
 
 
==== たけしの挑戦状 ====
 
{{Main|たけしの挑戦状}}
 
1986年12月に発売され、たけしが監修したファミコン用ソフト『たけしの挑戦状』([[タイトー]])は「今までにない独創的な発想を入れたい」という意図が反映され、言葉通りその斬新さと理不尽きわまりない内容で多くのユーザーに衝撃を与え、'''伝説の[[クソゲー]]'''として名を残すこととなった。たけし自ら、「'''今までのゲームと同じレベルで考えるとクリアー出来ない'''」とコメントしている。世界観は極めて退廃的であり、主人公は薄汚れた町並みの中に住む世帯持ちのしがないサラリーマンである。
 
 
 
多くの書籍などでクソゲーの代表格とされることが多い一方で、過去の名作ランキングでは必ず上位にランクされるほど非常に印象深い作品となり、現在では、「北野映画に通じるところがある」「早すぎた[[グランド・セフト・オートシリーズ|グランド・セフト・オート]]」など、ゲーム内容を再評価する声もある<ref>{{Cite news |url=http://life-cdn.oricon.co.jp/68263/full/ |title=「“北野映画”に通じる先見性があった」伝説のクソゲー“たけ挑”制作秘話 |newspaper=ライフ関連ニュース |publisher=オリコン |date=2009-08-08 |accessdate=2016-08-08}}</ref>。
 
 
 
== その他受賞歴など ==
 
* [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]]客員編集長、東京スポーツ映画大賞審査委員長
 
* [[芸術文化勲章|フランス芸術文化勲章]]<ref name="ORICON20150605" />
 
** シュヴァリエ(騎士)(1999年)<ref name="kotobank1" />
 
** コマンドール(騎士団長)(2010年)
 
* シャンパーニュ騎士団<ref name="ORICON20150605" />
 
** オフィシエ・ドヌール(名誉将校)(2014年)
 
** シャンベラン・ドヌール(名誉侍従)<ref group="注">たけしは[[モナコ公国]][[モナコ統治者の一覧|大公]][[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]、[[フランス]]の政治家[[フランソワ・バロワン]]に続き史上3人目となる。</ref>(2015年)<ref>{{Cite web|url= http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/407675/ |title= 北野武監督が仏「名誉侍従」に!史上3人目の快挙 |publisher= 東スポWeb |date= 2015-06-05 |accessdate= 2015-06-05 }}</ref>
 
* [[レジオンドヌール勲章]]オフィシエ(将校)(2016年)<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/articles/ASJBL5H1KJBLUCLV00T.html |title=北野武さんにレジオン・ドヌール勲章「素直にうれしい」 |accessdate=2016-10-21 |date=2016-10-19 |work=[[朝日新聞デジタル]] |publisher=[[朝日新聞社]]}}</ref><ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/19/kiji/K20161019013562850.html |title= 世界のキタノにまた新たな称号 仏最高勲章、現地25日に叙勲式 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2016-10-19 |accessdate= 2016-10-19 }}</ref>
 
* [[旭日小綬章]](2018年)<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180429-OYT1T50010.html|title=旭日小綬章に北野武さんら…春の叙勲4151人|newspaper=読売新聞|date=2018-4-29|accessdate=2018-4-29}}</ref>
 
* 明治大学特別功労賞授与(2004年)
 
* イタリアの第10回[[ガリレオ2000賞]]・文化特別賞受賞(2006年)
 
* [[日本数学会]]出版賞受賞(2008年)<ref>[http://mathsoc.jp/publicity/pubprize2008.html 日本数学会 広報委員会 2008年度日本数学会賞出版賞]</ref>
 
* 『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌アジア版2001年2月12日号の表紙を飾った。2002年には同誌の「アジアのヒーロー」の一人として選出された<ref>{{Cite web |url=http://www.time.com/time/asia/features/heroes/takeshi.html |title=Asian Heros - Takeshi Kitano |language=英語 |publisher=TIMEasia.com |accessdate=2016-08-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020425005832/http://www.time.com/time/asia/features/heroes/takeshi.html |archivedate=2002年4月25日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
== 評価 ==
 
=== 肯定的評価 ===
 
*1981年(昭和56年)、[[文芸評論家]]の[[鶴見俊輔]]は『広告批評』誌上における座談の中で、「'''ツービートは[[がきデカ]]の位置に似ている'''」と評し、文芸評論家・[[高澤秀次]]はこの評を絶賛した。
 
*1983年(昭和58年)、[[吉本隆明]]は[[栗本慎一郎]]との対談集の中で、たけしの話芸を「'''自分を[[異化]]することによって[[自然]]の流れとしてしまう芸風'''」と評した<ref>栗本慎一郎・吉本隆明『相対幻論』冬樹社、1983年(1985年に角川文庫に収録) ISBN 978-4041501054(角川文庫版)</ref>。一方、のちに吉本が「[[海燕]]」誌上で[[埴谷雄高]]と論争(1985年)になった際、たけしは『もっと阿呆になれ、吉本!』という文章を発表し「吉本さんは言い回しが難解」と批判した。
 
*[[加藤茶]]は、インタビューで「…たけし君が映画監督で評価されている。でも、お笑いに帰ってくると、必ずバカなことするじゃないですか。バカをやる、という素晴らしさの原点を知っているんです。だから大好き」と、評価している<ref>朝日新聞夕刊『人生の贈りもの』2008年12月5日より</ref>。
 
*[[色川武大]]は「'''才能は切れるが、それだけにいいところを一人占めしようとしすぎる'''」とし、[[榎本健一]]・[[藤山寛美]]・萩本欽一と並べて「自分の手足を切ってゆく」タイプの芸人に分類し、対極として、[[古川ロッパ]]・[[森繁久彌]]・タモリの名を挙げた<ref>色川武大『なつかしい芸人たち』新潮社、1989年 ISBN 978-4103311041(「銀座百点」掲載、1987年)</ref>。
 
*たけしに影響を受けた芸能人は多く、[[とんねるず]]、[[爆笑問題]]、[[さまぁ〜ず]]などが挙げられる。その理由は「たけしの芸風に直接影響を受けた」「マルチタレントとしての先輩として尊敬している」など、さまざまである。
 
**爆笑問題の[[太田光]]は漫才のネタにたけしが得意とする「ブラックユーモア」を積極的に取り入れたりしているその一方で「自分は憧れているビートたけしとは別物である」といった思いをしばしば述べており、自身がする無軌道なボケ・発言などはそれらの表れであるとしている<ref>[http://bylines.news.yahoo.co.jp/tvnosukima/20160412-00056451/ 爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」] [[Yahoo!ニュース]] </ref>。
 
**とんねるずは、マルチタレントとしてたけしに大いに影響を受け、たけしが高めたお笑い芸人の地位をさらに高めることに成功している。
 
**[[ナインティナイン]]も、たけしからの影響を強く受けている。たけしは、ナイナイの若手時代から共演したことにより、知名度が上がった。その後、ナイナイの冠番組などに、たけしが呼ばれるなどしている。
 
**[[ロンドンブーツ1号2号]]の[[田村亮 (お笑い芸人)|田村亮]]は「芸能人は皆例外なくオーラを持っているが、たけしさんは格が違う。」と語っている。
 
**お笑い芸人以外では、[[TOKIO]]のメンバー全員がたけしのファンであることが、「たけしのニッポンのミカタ(国分太一がレギュラー出演している)」10月31日放送分で紹介された。
 
**俳優の[[西島秀俊]]はたけしのファンであり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』など昔、たけしが出演していたラジオ番組が録音されたカセットテープを知人から借り、MDに録音していた程である。『ビートたけしのオールナイトニッポン』については、四国に住むマニアから当時の録音テープを貰い、その約200本のテープを同じくたけしのファンである水道橋博士に贈っているほどである。
 
**[[美空ひばり]]の息子である[[加藤和也 (ひばりプロダクション)|加藤和也]]はたけしのファンであり、少年時代にひばりがたけしを強引に和也に合わせたことがある(和也はとんねるずのファンでもあり、ひばりがとんねるずに差し入れを行うなど、同様のエピソードがある)。
 
*フランス芸術文化勲章の「シュヴァリエ」を1999年(平成11年)に授与され、2010年(平成22年)に「コマンドゥール」を授与された際に、[[フランス文化省]]から「映画監督としての活動は言うまでもなく、1つの才能を持った人ではない。人々を笑わせること、感動させることができ、怖がらせることもできる。あらゆる面で支持者を持つ。類を見ない自由さをもってモノづくりを進める直感的才能に対し、賞を贈る」と評された。なお、この「コマンドゥール」受賞を[[レジオンドヌール勲章]]の「オフィシエ」を受賞した[[黒澤明]]を超えたとする報道もあったが、レジオンドヌール勲章はフランスでは最高位の勲章であり、芸術文化勲章との勲位の比較は意味がない。2016年にはたけしもレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受章している。
 
 
 
=== 否定的評価 ===
 
*1981年(昭和56年)、[[ルポライター]]・[[鎌田慧]]が「'''ツービートの残酷ギャグは[[ファシズム]]の兆し'''」と批判した<ref>「ファシズムみんなで進めば怖くない」『朝日ジャーナル』朝日新聞社、1981年</ref>。
 
*ルポライター・[[吉岡忍 (作家)|吉岡忍]]は、ツービート(ビートたけし)を[[ジョン・レノン]]射殺事件の犯人[[マーク・チャップマン]]に重ねて論じるほど忌諱していたが、後に吉岡はその認識を変え、北野映画の[[ルポルタージュ]]を執筆するほど関心を寄せるようになった。
 
*[[辛淑玉]]や[[佐高信]]、[[本多光夫|諸井薫]]が、たけしの軍団に対する態度を「[[権威主義]]的で[[いじめ|弱い者いじめ]]をしている」と、{{要出典範囲|それぞれコラムなど|date=2017年4月}}で述べている。これら批判的な論評について、たけしは「冗談と本気の区別が付かない奴らがいる」と評している。
 
*[[田中康夫]]は、たけしを自らと同じく「価値紊乱者」(既存の権威への挑戦者)として評価しつつも、1980年代中盤には『感覚の倫理学』および『ファディッシュ考現学』にて[[落語立川流|立川流]]への入門や軍団創設を「肩書きや権威など精神的ブランドに頼るようになり(当時、たけしがなりたいと語っていた)日本の[[:en:Lenny Bruce|レニー・ブルース]]になりそこねた」と評した。一方で、たけしの過激な言動に隠された内面の繊細さもまた指摘し、フライデー襲撃事件の際にはフライデーの取材姿勢を批判、たけしを擁護する立場を取った<ref>[[朝倉喬司]]/監修・[[筑紫哲也]]『たけし事件 - 怒りと響き』太田出版、1987年 ISBN 978-4900416284</ref>。その後、田中はたけしとテレビ番組で度々共演するなど交流も持ったが、その後も「ドナルドダックのように嫌われることも厭わず本音で周囲に毒を吐く存在であったはずが、嫌われることを恐れ人気者であり続けようとミッキーマウスのように無難な優等生的発言しか行わなくなりつつある」といった意味の論評も行っている<ref>『神なき国のガリバー』、『ニッポンご託宣』</ref>。また、バイク事故直後にあえて顔面麻痺状態で会見に臨んだことは評価したが、その後の本格復帰については「芸能界の一線からは退いた方が良かったのではないか、取り巻きや軍団を養うためだとすれば自活を促すべきだった」と評した。他方、たけしは「理屈ばっかり言っていた田中康夫が気に食わず」<ref>『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』最終回(2014年3月31日)「表彰状」イジリー北野(ビートたけし)</ref>、1983年2月に当時田中がレギュラー出演していた『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』に乱入し、田中の首を締め上げたことがあった。たけしが2014年3月31日放映の『笑っていいとも!』最終回でこのエピソードを披露すると、その夜の総集編である『[[笑っていいとも!特大号|笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号]]』では、たけしの代わりに[[太田光]]が田中の首を締め上げて見せた。
 
 
 
===自己評価===
 
*『[[たけしの誰でもピカソ]]』で[[島田洋七]]がゲスト出演した際に、たけしは「漫才では洋七に勝てない、しゃべりでは[[明石家さんま|さんま]]に勝てない、司会では[[島田紳助|紳助]]に勝てない。でも芸能人としてのトータルでは良い所には行くと思う」と、漫才ブームを共にした芸人達と比較した上で、自己評価をしている。
 
 
 
=== 他者への評価 ===
 
*若手映画監督たちに「他の嫌なものも認める余裕がないといけない」と述べた上で「僕は[[アニメ]]は嫌い。[[宮崎駿]]も嫌い<!-- 文章を繰り返し書き換えておられる方へ:「〜も嫌い」ではなく「〜は一番嫌い」です。かぎかっこ「」での引用ですから書き換えないでください。 -->。でも、あれだけお金を稼げる、すごいアニメとは認める」と語った<ref>日刊スポーツ 2014年10月25日16時52分配信、ヤフーニュース。</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|2|group="注"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|3}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*コマネチ! - ビートたけし全記録(新潮45 別冊2月号、新潮社、1998年)
 
*ユリイカ - 北野武そして/あるいはビートたけし(2月臨時増刊、青土社、1998年)
 
*阿部嘉昭『北野武 VS ビートたけし』(筑摩書房、1994年)ISBN 4480871772
 
*世良利和『その映画に墓はない 松田優作, 金子正次, 内田裕也, そして北野武』(吉備人出版、2000年)ISBN 4906577547
 
*Gerow, Aaron (2007). ''Kitano Takeshi.'' British Film Institute. ISBN 1844571661(英語)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Takeshi Kitano}}
 
*{{URL|www.office-kitano.co.jp/|OFFICE-KITANO WEB SITE}}
 
:*{{Official|http://office-kitano.co.jp/talentposts/370|オフィス北野 ビートたけし }}
 
*{{URL|www.tvdrama-db.com/name/p/key-%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97|ビートたけし - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇}}
 
*{{jmdb name|0350340|北野武(ビートたけし) }}
 
*{{allcinema name|53342 }}
 
*{{kinejun name|50009 }}
 
*{{URL|movie.walkerplus.com/person/46488/|北野武(キタノタケシ,Takeshi Kitano,ビートたけし)|Movie Walker}}
 
*{{imdb name|id=0001429|name=北野武 }}
 
*{{URL|www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/546_4.html|明大広報546号(明治大学:特別企画 北野武氏座談会 —知られていなかった明大時代を語る—) }}
 
*{{URL|www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/547_7.html|明大広報547号(明治大学:特別企画 北野武氏座談会(続) —「粋」に生きていこう—) }}
 
 
 
{{navboxes
 
|list1=
 
{{ビートたけし}}
 
{{北野武監督作品}}
 
{{ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞) 2000-2019}}
 
{{ブルーリボン賞監督賞}}
 
{{キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞}}
 
{{ブルーリボン賞主演男優賞}}
 
{{ブルーリボン賞助演男優賞}}
 
{{毎日映画コンクール男優主演賞}}
 
{{毎日映画コンクール男優助演賞}}
 
{{報知映画賞監督賞}}
 
{{ヨコハマ映画祭監督賞}}
 
{{日刊スポーツ映画大賞監督賞}}
 
{{日刊スポーツ映画大賞主演男優賞}}
 
{{日刊スポーツ映画大賞新人賞}}
 
{{日本映画批評家大賞監督賞}}
 
{{FNSの日}}
 
{{平成教育委員会シリーズ}}
 
{{日本放送演芸大賞}}
 
{{ビッグ3 (日本のお笑いタレント)}}
 
}}
 
{{Normdaten}}
 
{{リダイレクトの所属カテゴリ
 
|redirect=北野武
 
|1=日本の映画監督
 
|2=ヤクザ映画の監督
 
|3=東京芸術大学の教員
 
|4=芸術文化勲章受章者
 
|5=レジオンドヌール勲章受章者
 
|6=レジオンドヌール勲章オフィシエ受章者
 
|7=旭日小綬章受章者
 
|8=本名のリダイレクト}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:ひいとたけし}}
 
[[Category:ビートたけし|*]]
 
[[Category:日本の男性コメディアン]]
 
[[Category:お笑い芸人]]
 
[[Category:日本のタレント]]
 
[[Category:日本の司会者]]
 
[[Category:日本の男優]]
 
[[Category:日本の演出家]]
 
[[Category:日本の脚本家]]
 
[[Category:日本の随筆家]]
 
[[Category:落語家]]
 
[[Category:ヤクザ映画の俳優]]
 
[[Category:アクション俳優]]
 
[[Category:悪役俳優]]
 
[[Category:たけし軍団|*]]
 
[[Category:東京スポーツの人物]]
 
[[Category:プロレスの関係者]]
 
[[Category:日本のボクシングに関する人物]]
 
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]
 
[[Category:落語立川流]]
 
[[Category:旭日小綬章受章者]]
 
[[Category:明治大学出身の人物]]
 
[[Category:東京都区部出身の人物]]
 
[[Category:1947年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

2019/5/1/ (水) 20:21時点における最新版

転送先: