「パスカリス1世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2011年1月}}
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'''パスカリス1世'''(Paschal I、生年不詳 - [[824年]][[2月11日]]
{{Infobox 教皇
 
| 敬称1 =
 
| 日本語名 =パスカリス1世
 
| 敬称2 =
 
| タイトル =第98代ローマ教皇
 
| 画像 = [[Image:Pope_Paschalis_I._in_apsis_mosaic_of_Santa_Prassede_in_Rome.gif|150px]]
 
| 画像説明 =
 
| 就任 = [[817年]][[1月25日]]
 
| 離任 = [[824年]][[2月11日]]
 
| 先代 = [[ステファヌス5世 (ローマ教皇)|ステファヌス5世]]
 
| 次代 = [[エウゲニウス2世 (ローマ教皇)|エウゲニウス2世]]
 
| 司祭 =
 
| 司教 = 
 
| その他 =
 
| 本名 =  <!-- Pascale Massimi, son of Bonosus -->
 
| 生年月日 = ?
 
| 生地 = [[イタリア]]、[[ローマ]]
 
| 没年月日 = [[824年]][[2月11日]]
 
| 没地 = イタリア、ローマ
 
}}'''パスカリス1世'''(Paschal I、生年不詳 - [[824年]][[2月11日]])は、第98代[[ローマ教皇]](在位[[817年]] - [[824年]])。
 
  
[[822年]][[教皇]][[ハドリアヌス1世]]から再建の始まった{{仮リンク|サンタ・プラッセーデ教会|en|Santa Prassede}}を完成させた。
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ローマ出身の第98代[[教皇]](在位 817~824)。聖人。フランク帝国([[神聖ローマ帝国]],[[フランク王国]])との関係に絶えず関心を払い,皇帝[[ルートウィヒ1世]](在位 814~840)から,教皇座の独立と教会の領地における宗主権,ローマ市民が教皇を自由に選出する権利を確保した。823年,ルートウィヒ1世の息子[[ロタール1世]]を共同皇帝として戴冠したが,これは教皇から皇帝へ帝位を手渡すことを開始し,ローマで即位させる慣例をつくった点で重要である。ビザンチン皇帝[[レオ5世]](在位 813~820)の治下で[[イコノクラスム]](偶像破壊運動)が復活した際,ローマに逃亡してきたギリシアの修道士らを保護した。荘厳なモザイク画があるサンタ・プラッセーデ教会とサン・ゼノ礼拝堂を在位中に完成させ,また[[セシリア]][[聖遺物]][[カタコンベ]](地下墓地)からローマへ移転させた。祝日は 5月14日。
[[教会]]内に母テオドラの墓所としてサン・ゼノーネ礼拝堂を建設した。
 
教会の[[アプス]][[モザイク]][[ビザンツ様式]]で製作しており、これは、この時代の[[ローマ]]のモザイクで最も重要なものの1つである。
 
  
また、[[カタコンベ]]の発掘に務め、膨大な数の[[殉教者]]の[[遺骨]]を移転したことで知られる。
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[[サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会]]に[[聖女]][[聖セシリア|チェチリア]]の遺体を運び教会を再建したことも、その一つである。
 
 
 
 
 
{{ローマ教皇|第98代: 817年 - 824年}}
 
  
 
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2019/4/30/ (火) 01:38時点における最新版

パスカリス1世(Paschal I、生年不詳 - 824年2月11日

ローマ出身の第98代教皇(在位 817~824)。聖人。フランク帝国(神聖ローマ帝国フランク王国)との関係に絶えず関心を払い,皇帝ルートウィヒ1世(在位 814~840)から,教皇座の独立と教会の領地における宗主権,ローマ市民が教皇を自由に選出する権利を確保した。823年,ルートウィヒ1世の息子ロタール1世を共同皇帝として戴冠したが,これは教皇から皇帝へ帝位を手渡すことを開始し,ローマで即位させる慣例をつくった点で重要である。ビザンチン皇帝レオ5世(在位 813~820)の治下でイコノクラスム(偶像破壊運動)が復活した際,ローマに逃亡してきたギリシアの修道士らを保護した。荘厳なモザイク画があるサンタ・プラッセーデ教会とサン・ゼノ礼拝堂を在位中に完成させ,またセシリア聖遺物カタコンベ(地下墓地)からローマへ移転させた。祝日は 5月14日。



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