バリャドリッド
バリャドリッド(Valladolid IPA:[baʎaðoˈlið])は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州バリャドリッド県のムニシピオ(基礎自治体)。カスティーリャ・イ・レオン州の州都であり、バリャドリッド県の県都である。一時期、カスティーリャ王国やスペイン王国の王宮がおかれた。バリャドリード、バリャドリー、バリャドリッ、バジャドリード、バジャドリー、バジャドリッなどとも表記される[1]。2016年の人口は301,876人。
地理
地勢・産業
ピスエルガ川沿いに位置する工業都市。スペイン中北部における交通の要所であり、農作物の集散地としての役割も果たしている。近隣の大都市としては、約110キロ南西のサラマンカ、120キロ北西のレオン、160キロ南東のマドリードなどが挙げられる。
人口
歴史
ケルト人が居住していたが、ローマ帝国に征服され支配下におかれた。その後、西ゴート王国の支配を経て、一時は勢力であるウマイヤ朝の侵入を受けた。その後、キリスト教勢力によるレコンキスタ(再征服運動)が進展する中で、11世紀にレオン王国のもと都市が建設され、キリスト教勢力にとっての根拠地の1つとなった。1346年にはバリャドリッド大学も設立され、学芸の振興も図られた。1469年、カスティーリャ王国の王女イサベル(後のイサベル1世)とアラゴン王国の王子フェルナンド(後のフェルナンド2世)がこの都市で婚礼を行った。
1550年から翌年にかけて、この地でラス・カサス(『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』でアメリカ大陸における現地民迫害を告発したドミニコ会士)は「バリャドリッド論争」を行い、セプルベダと論戦を繰り広げた。
フェリペ2世はこの土地で生まれている。フェリペ3世は、1600年から6年間首都をバリャドリッドに移した。
1860年に鉄道が敷設された。この事を契機として工業化が進展し、人口も激増していった。1936年に勃発したスペイン内戦では、早い段階でフランコ将軍の勢力下におかれた。第二次世界大戦後は外国資本の流入などもみられ、引き続き工業都市として発展をみせている。
観光
- スペイン国立彫刻博物館 - 13世紀から19世紀のスペインやスペイン領の彫刻を集める。歴史的な4つの建物からなる。
- サン・パブロ教会 - 15世紀のファサードが有名。
- バリャドリッド・アスンシオン大聖堂 - 16世紀末から建設が始まった。内部に美術館がある。
- セルバンテスの家 - 作家のミゲル・デ・セルバンテスがかつて暮らしていた家。
- コロンブスの家 - バリャドリッドはクリストファー・コロンブスの没地である。サンタ・マリア号の模型や当時の史料などが展示されている。
参考文献:『地球の歩き方 スペイン 2004~2005年度版』ダイヤモンド・ビッグ社
ギャラリー
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国立彫刻博物館(サン・グレゴリオ学校)のファサード
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サン・パブロ教会
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カテドラル
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コロンブスの像
スポーツ
- レアル・バリャドリッド - リーガ・エスパニョーラ所属のサッカークラブ。
- CBバリャドリッド - リーガACB所属のバスケットボールクラブ。2015年に解散した。
バリャドリッド出身の著名人
姉妹都市
脚注
外部リンク
- 公式ウェブサイト (スペイン語)