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{{競走馬
 
|画 =
 
|説 =
 
|名 = ハルウララ
 
|英 = {{lang|en|Haru Urara}}
 
|性 = [[牝馬|牝]]
 
|色 = [[鹿毛]]
 
|種 = [[サラブレッド]]
 
|生 = [[1996年]][[2月27日]]
 
|死 = (存命)
 
|抹 = [[2006年]][[10月1日]]
 
|父 = [[ニッポーテイオー]]
 
|母 = ヒロイン
 
|母父 = [[ラッキーソブリン]]
 
|産 = 信田牧場
 
|国 = {{JPN}}([[北海道]][[三石町 (北海道)|三石町]])
 
|主 =(有)信田牧場<br />→横山貴男<br />→[[安西美穂子|(株)エムエイオフィス]]
 
|調 = [[宗石大]]([[高知競馬場|高知]])
 
|厩 = 藤原健祐
 
|績 = 113戦0勝
 
|金 = 112万9000円
 
|}}
 
  
'''ハルウララ'''([[1996年]][[2月27日]] - )は[[日本]]の元[[競走馬]]。連戦連敗があまりに続いたため、かえって人気を呼び、ブームを巻き起こした。
 
  
== 経歴 ==
+
'''ハルウララ'''([[1996年]][[2月27日]] -
=== 誕生・デビュー前 ===
 
ハルウララは[[1996年]][[2月27日]]、[[北海道]][[三石町 (北海道)|三石町]]歌笛(現・[[新ひだか町]]三石歌笛)にある信田牧場で誕生した。場長の信田信義によると、幼少期から小柄で臆病な馬であったという<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、20-21頁。</ref>。信田はハルウララを[[セリ市 (競馬)|セリ市]]に上場したが買い手がつかず<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、21頁。</ref><ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、63頁。</ref>、信田牧場がみずから所有する形で競走馬となり、高知競馬でないと勝負にならないという理由から、[[高知競馬場]]の[[調教師]][[宗石大]]に預託した<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、63-64頁。</ref>。宗石は、ハルウララを引き受けたのは信田への義理からであったと述べている<ref>[[#重松2004|重松2004]]、24頁。</ref>。入厩当初のハルウララは鞍を装着しようとすると暴れる、腹帯を締めようとすると地面にひっくり返る、運動をさせようとしても動こうとしないなど非常に手のかかる馬であった<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、85-88頁。</ref>。宗石はみずからハルウララを装鞍に慣れさせることなどに取り組み、ある程度改善がみられたところで[[厩務員]]になったばかりの藤原健祐を担当厩務員に指名した<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、93頁。</ref>。ハルウララは次第に藤原にだけは懐くようになった<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、94頁。</ref>。
 
  
=== 連敗 ===
+
1996年生まれの日本の競走馬。牝馬(ひんば)。高知競馬に所属していたが、デビューから1勝もできず、113連敗を記録。全国ニュースでも取り上げられるなど話題になった。
[[ファイル:Kochi Racecouse 20080720.jpg|thumb|高知競馬場]]
 
[[1998年]][[11月17日]]に高知競馬の第1競走でデビューするも、5頭立ての5着に敗れた。その後も勝利を挙げることができず、2003年5月末の時点で連敗は87を数えた。この間、ハルウララは、蹄の疾患により1度出走を取りやめた以外はコンスタントに出走を続け、そのペースは年間20回ほどであった<ref>[[#重松2004|重松2004]]、35頁。</ref>。当時は1回出走すると6万円<ref group="†">その後、高知競馬の財政状況悪化とともに出走手当は減額されていった([[#吉川2004|吉川2004]]、171-172頁。)。</ref>の手当がついたため、ハルウララは1年に120万円ほどの出走手当を稼いだ。宗石によると、馬主に請求する預託料は年間130万円から140万円ほどで、ハルウララが年間15回しか出走することのできない体質であったならば処分を検討していたという<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、57頁。</ref>。宗石によると、高知競馬場の預託料が日本で最も安かったこともハルウララが現役を長く続けられた要因のひとつであった<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、75頁。</ref>。ハルウララは[[競走馬#脚部の疾病・負傷(故障)|蟻洞]]に罹り蹄が腐ったことがあったが、それでも休むことなくレースに使われた<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、42-43頁。</ref>。なお信田牧場は2003年春にハルウララを引退させて[[乗馬]]{{#tag:ref|信田は、小柄なハルウララが産む仔は小柄になると予測し、小柄な馬は買い手がつきにくく牧場経営を圧迫するという理由から、[[繁殖牝馬]]にすることは考えなかったという<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、64頁。</ref>。|group="†"}}にするプランを宗石に示したが、宗石は臆病なハルウララは乗馬に適さないと判断し、「走れるうちは走らせてやりたい」という意向から横山貴男に馬主を引き継ぐよう要請し、現役を続行させた<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、85頁。</ref>。
 
  
=== ハルウララブーム ===
 
[[2003年]]夏、ハルウララは連敗を続けていたことが話題となり、全国的な人気・知名度を獲得した。ハルウララの連敗に最初に注目したのは、[[高知競馬場]]の実況[[アナウンサー]][[橋口浩二]]である<ref name="manabu">{{Cite web|author =福岡茂樹、谷本昌憲、岩部芳樹|date =2004-03-07|url =http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/245/index.htm|archivedate =2015年9月24日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20150924101344/http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/245/index.htm|title =ハルウララブームに学ぶ|work =シリーズ追跡|publisher =[[四国新聞]]|accessdate =2017-06-29|deadurldate =2017年9月}}</ref><ref>[[#重松2004|重松2004]]、106頁。</ref>。橋口には実況にあたり、勝利を挙げたことのない馬について「今日のレースで勝てば、これがデビューから何戦目での初勝利になる」ということを調べてから臨む習慣があり、60連敗を超えたころからハルウララに注目し始めた。やがて「ハルウララを日本の[[ジッピーチッピー]]<ref group="†">連敗を続けたことで人気を集めたアメリカの競走馬。</ref>として売り出せば、高知競馬も少しは盛り上がるんじゃないか」と思い、周囲にハルウララのことを言い広めるようになった<ref>[[#重松2004|重松2004]]、106-111頁。</ref>。
 
 
[[高知新聞]]の記者石井研は橋口から話を聞き、「記者の本能でネタになると思い」、取材を開始した<ref name="manabu"/>。[[2003年]][[6月13日]]、同新聞夕刊社会面にハルウララに関する記事が「1回ぐらい、勝とうな」という見出しで掲載された<ref>[[#重松2004|重松2004]]、124頁。</ref>。この報道を目にした、[[高知県競馬組合]](高知競馬の主催者)の職員吉田昌史(広報担当)は高知競馬が財政状況の悪化から廃止の危機に瀕していた状況に鑑み、「何でもいい。人目を引くことをしないと」という思いから<ref name="manabu"/>、高知県競馬組合管理者の前田英博の許可を得て<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、48頁。</ref>、ハルウララに関する広報資料をマスコミ各社に送付した<ref name="manabu"/>。その結果、[[7月23日]]付の[[毎日新聞]]全国版に記事が掲載され<ref name="manabu"/>、さらに毎日新聞の記事が同日放送の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のテレビ番組『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』で大きく取り上げられた<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、69頁。</ref>。この日を境にハルウララはさまざまなメディアによって取り上げられるようになり<ref>やがて日本国内のみならずアメリカの[[ニューズウィーク]]([[#岡本2004|岡本2004]]、118頁。)、[[ドイツ公共放送連盟]]({{Cite web|date = 2004-01-12|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040112|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040112|title = 102戦目はビリでした 観衆2300人 独TV局も取材|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}})といった日本国外のメディアもハルウララについて取り上げるようになった</ref><ref name="manabu"/>、7月末に[[東京新聞]]が「リストラ時代の対抗馬」と評したのを皮切りに「負け組の星」として全国的な人気・知名度を獲得<ref name="manabu"/>。ハルウララの[[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]][[投票券 (公営競技)|馬券]]を「リストラ防止になる」「当たらないから交通安全のお守りになる」という理由で買う者が多く現れた<ref>{{Cite web|date = 2003-10-13|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031013|archivedate = 2007年12月29日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031013|title = ただ今95連敗中 「ハルウララ」人気沸騰|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>{{#tag:ref|高知競馬場の券売機には単勝馬券に競走馬名を印字する機能がなく、競走馬名入りの馬券を求めるファンに応えるため、主催者は競走馬名とハートマークを彫ったハンコを用意した<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、36頁。</ref>。|group="†"}}(なお、同じ趣旨でブラッシングの際に抜けたたてがみや尻尾の毛が入ったお守りも発売された<ref name="okamoto148">[[#岡本2004|岡本2004]]、148頁。</ref>が、動物虐待ではないかと批判を浴びて販売中止となり<ref name="netkeiba01">{{Cite web |date= 2004-04-22|url = http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=5703&category=E|title = ハルウララお守り、販売終了へ|work = エンタメニュース|publisher = [[netkeiba.com]] |accessdate = 2010年1月19日}}</ref>、ヒノキ材でつくった[[絵馬]]に切り替えられた<ref name="kochi040430">{{Cite web|date = 2004-04-30|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040430|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040430|title = ハルウララの新お守り 高知競馬場 来月2日から|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>)。
 
 
連敗記録に世間の関心が集まったことについて宗石は、知人の9割が「勝ったらダメ」と言うとしつつ、「取材の方が来るようになって、以前より、より一層勝ちたいと思うようになった」と述べた<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、72-73頁。</ref>。また、「すべてを犠牲にしても、次のレースでとにかく『勝つ』」ための調教が行えないのかという問いに対しては、「やろうと思えば出来る」とした上で「それをやったら、1勝はできるかもしれんけど、故障する。ぼくは勝つために馬を故障させるような調教はしたくないんです」と答えた<ref>[[#重松2004|重松2004]]、36頁。</ref>。厩務員の藤原は、「ハルウララが「勝つ」馬を差し置いて高知競馬の人気者になるのは、やはり複雑な気がする」と述べ、「連敗記録が話題になってるけど、僕は勝ってほしいです、一度でいいから」、「ぼくらはやっぱり、馬に勝ってほしくて世話をしているわけだから」と述べた<ref>[[#重松2004|重松2004]]、56頁。</ref>。一方、信田牧場の信田義久は、「競走馬は勝つことで評価を得る世界。生産牧場としても負け続ける馬を生産したとしか評価は受けない」と述べ、「うれしくもない。高知競馬存続のための話題づくりに過ぎないのでは」と冷めた反応を見せた<ref>{{Cite web|date= 2004-02-05|archivedate= 2016年3月5日|url= http://www.tomamin.co.jp/2004/tp040205.htm|archiveurl= https://web.archive.org/web/20160305013952/http://www.tomamin.co.jp/2004/tp040205.htm#t3|title= 【三石】ハルウララの人気、生産地は複雑な表情|publisher= [[苫小牧民報]]|accessdate= 2017-06-29|deadurldate= 2017年9月}}</ref>。信田は、「ウララが負け続けていることを大きく報道されればされるほど、ヒロインの仔は高値じゃ売れなくなる。『どうせ走らないんだから』と足元を見られる」とも語り<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、67頁。</ref>、ブームに沸く人々に対し、「自分の懐が痛まなきゃ、何でもいえるわな」という言葉を投げかけた<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、68-69頁。</ref>。
 
 
[[12月14日]]、100連敗を達成したレースが行われた当日は4年ぶりに5000人を超える観客(5074人)<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、122頁。</ref>が高知競馬場に入場し、33社、約120人の報道陣が取材に訪れた<ref name="kouchi20031215">{{Cite web|date = 2003-12-15|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031215|archivedate = 2007年12月29日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031215|title = ハルウララ100連敗 9着だけど… 5000人魅了|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。ハルウララの単勝馬券の売上額は、1つのレースにおける単勝馬券売上額としては高知競馬場史上最高額となる301万円にのぼった<ref name="kouchi20031215"/>。レース後にはセレモニーが執り行われ、感謝状とニンジンで作った首飾りがハルウララに贈呈された<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、121-122頁。</ref>。レース後には宗石による記者会見も行われ、その席で宗石はハルウララについて「まっこと、またかった(本当に弱かった)」と評し<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、10頁。</ref>、その魅力について「競走馬としては常に一生懸命走るところだが、単に動物して捉えた場合、正直なところない。プロが見れば10人が10人とも魅力はないと答えると思う」とコメントした<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、53頁。</ref>。
 
 
翌[[2004年]][[3月22日]]、106戦目のレースでは[[中央競馬]]のトップ騎手[[武豊]]が騎乗して出走<ref group="†">同日行われた[[ダートグレード競走|交流重賞]][[黒船賞]]に出走した[[ノボトゥルー]]に騎乗するため高知競馬場へ遠征したため、騎乗が可能となった。</ref>したことに注目が集まり、当日の入場者数(1万3000人)、1つのレース(ハルウララ出走レース)の馬券売上額(5億1163万円){{#tag:ref|ちなみに、メインレースの重賞黒船賞の売上額は2億2325万円であった<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、87頁。</ref>。|group="†"}}、1日の総馬券売上額(8億6904万円)はいずれも高知競馬史上最高記録を更新、ハルウララの単勝馬券だけで1億2175万円の売り上げを記録し<ref name="kouchi2004040323-2">{{Cite web|date = 2004-03-23|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040323-2|archivedate = 2007年12月29日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040323-2|title = 入場最高1万3000人 1日売り上げ8億円|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>、関連グッズの売り上げ額はおよそ1000万円にのぼった<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、84頁。</ref>。
 
 
入場者数の多さに対応するため高知競馬場は史上初となる入場制限を行い、ハルウララの馬券を購入するファンのために専用窓口を設置した(待ち時間は7時間近くに及んだ)<ref name="kouchi2004040323-2"/>。レースの結果は11頭立ての10着に終わり、連敗記録を106に伸ばすこととなったが、レース後武豊は通常勝ち馬が行う「ウイニングラン」(ゴール後、馬場を1周すること)を行った<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、87頁。</ref><ref name="kouchi20040323-1">{{Cite web|date =2004-03-23|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040323-1|archivedate =2007年12月29日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040323-1|title =きゅう務員の藤原さん 「これマジっすか…」|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。ハルウララが出走したレースを生中継した[[毎日放送]]のテレビ番組『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』の瞬間最高視聴率は19.9%、平均視聴率は平日における同番組史上最高となる12.2%を記録した<ref>{{Cite web|date = 2004-03-24|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040324|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040324|title = ウララ視聴率“1着” 中継番組が最高19.9%|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。武はこの日の騎乗について、自身が「チャンスがあれば乗ってみたい」と発言したことがきっかけで「競馬の本質を離れた大騒ぎ」が繰り広げられたことに嫌気が差し怒りすら覚えていたが、1万3000人もの観客を見て怒りが消え、「一度、乗ってみたい」という気持ちに立ち戻れたと振り返っている<ref>[[#武2005|武2005]]、26-27頁。</ref>。レース後武はハルウララについて、「『強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある』と僕は思っています。この気持はこれからも変わることはありません。しかし、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく"名馬"と呼んでもいいと思います」と評した<ref>[[#武2005|武2005]]、27頁。</ref>。なお、武豊はこの日の騎乗について、オフィシャルホームページの日記において「あまりにも異常な騒がれ方で、正直なところ辟易としています」<ref name="武-日記-20040308">{{Cite web|author=[[武豊]]|url=http://take.nifty.com/diary/main_0403.html|title=その日、楽しみにしているのは黒船賞のノボトゥルーの騎乗なのです。|date=2004-03-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040315084322/http://take.nifty.com/diary/main_0403.html|archivedate=2004年3月15日|work=武豊オフィシャルホームページ|publisher=[[ニフティ#@nifty|@nifty]]|accessdate=2017-07-04|deadurldate=2017年9月}}</ref>「生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります」<ref name="武-日記-20040308" />と述べ、過熱するブームに対する違和感を表明した。また騎乗を依頼された際、そのレースがハルウララの引退レースになるという説明を受けていたことも明かした<ref name="武-日記-20040308" />。
 
 
[[5月23日]]、ハルウララは出走したレースで2着に敗れた。これにより連敗は109となり、グレースアンバーが記録した108連敗を抜き[[ハクホークイン]](161連敗)に次ぐ日本歴代2位(当時)の記録となった<ref>{{Cite web |date= 2004-05-23|url = http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=5953&category=B|title = ハルウララ、109連敗で歴代2位に|work = エンタメニュース|publisher = [[netkeiba.com]] |accessdate = 2010年1月19日}}</ref>。[[8月3日]]、高知競馬所属の半妹ミツイシフラワー、[[兵庫県競馬組合|兵庫競馬]]所属の半弟オノゾミドオリとの対決が実現(結果は10頭中5着)。このレースの馬券は全国の[[地方競馬]]場で発売され、ハルウララの出走レースだけで(高知競馬における日曜日の1日売上額の平均を上回る)約7900万円の売上を記録した<ref>{{Cite web|date = 2004-08-04|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040804a|archivedate = 2007年12月29日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040804a|title = ウララ3きょうだい対決 弟1着、姉5着、妹8着|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年1月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。レース後関係者が記者会見を開き、翌[[2005年]]3月をもって競走馬を引退させると発表した<ref>{{Cite web|date =2004-08-04|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040804b|archivedate =2007年12月29日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#040804b|title =ハルウララ来春引退 余生は故郷北海道で|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。
 
 
=== 馬主の手で栃木県へ移送される ===
 
[[2004年]][[9月15日]]、同年3月に横山貴男から無償でハルウララを譲渡され<ref name="kochi041008">{{Cite web|date = 2004-10-08|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041008|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041008|title = 【夕刊話題】ウララ馬主|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>実質的な馬主となっていた[[安西美穂子]]<ref name="nomoto">{{Cite web|author = 野元賢一|date= 2004-09-21|url = http://www.nikkei.co.jp/keiba/column/20040921200409211026.html|title = 祭りは終わった ハルウララの移送を巡って|work = 専門記者の競馬コラム|publisher = サラブnet |accessdate = 2010年1月19日}}</ref><ref group="†">名義上の馬主は安西が代表を務めるエムエイオフィス。同社が新たにハルウララのオーナーとなった経緯について、のちにハルウララ移送に関与する[[競馬評論家]]の[[白井透]]は調教師サイドからの強い要望に同社のオーナーである安西が応えたとするが、高知新聞は安西のほうから調教師に接近したとしている。後者の裏付けとして、同社のオーナー就任に際して、競馬組合が安西に「迷惑はかけない」との念書を書かせたという事実が明らかにされている(季刊高知23号)。</ref>{{#tag:ref|安西は、自身が運営する団体「おうちへ帰ろうCLUB」の会員からハルウララを取材して欲しいと要望されたのをきっかけに、2003年7月に宗石と接触した<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、87-95頁。</ref>。|group="†"}}の手によって、ハルウララは[[栃木県]][[黒磯市]]にある那須トレーニングファームへ移送された<ref>{{Cite web |date= 2004-09-16|url = http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=6966&category=B|title = ハルウララ、突如放牧へ|work = エンタメニュース|publisher = [[netkeiba.com]] |accessdate = 2010年1月19日}}</ref>。
 
 
移送に至る経緯や移送当日のやり取りについては、宗石と安西との間で主張に食い違いがある。宗石は、引退レースを勝たせるための体力づくりをさせたいと主張する安西サイドと「高知競馬の僕らの手の中で出走させ、ファンの皆さんに姿を見せ、その中でチャンスがあれば勝つ」という方針を抱く自身との間で以前から対立があり話し合いの最中であったが<ref name="kouchi040917">{{Cite web|date =2004-09-17|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040917|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040917|title =ウララ移送騒動 宗石調教師の会見要旨|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>、9月15日午前に[[馬運車]]とともに安西が現れ、約2時間の押し問答の末、安西側の人間に「おまえの考えはどうでもいい、馬を出すのはオーナーの勝手だ」<ref name="kouchi040917"/>、「警察を呼ぶぞ」<ref name="kouchi040916">{{Cite web|date =2004-09-17|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040916|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040916|title =ウララ突然栃木へ 調教師ら困惑「真意分からぬ」|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>などと言われ移送に合意せざるを得なかったと主張している<ref name="kouchi040917"/>。一方安西は、当時撮影中の[[#『ハルウララ』(2005年)|映画『ハルウララ』]]への出演と引き換えに9月13日以降に放牧に出すことについて高知県競馬組合管理者の前田英博との間で合意が成立しており、宗石も「投げやりな言い方だったが、『好きにしてください』と言っていた」と述べ、同意は得ており突然の移送ではなかったと主張した<ref name="kouchi040918">{{Cite web|date = 2004-09-18|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040918|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040918|title = ウララのオーナー安西氏会見 「調教師と方針違う」|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。なお、[[日本経済新聞]]記者の[[野元賢一]]は移送に関し合意があったかについて、「競走馬の移動の際に携行すべき『健康手帳』は、移送後も宗石調教師の手元にあり、後日に黒磯へ郵送された。必要な書類の受け渡しもない移送を、安西は『合意の上』と主張している」と指摘している<ref name="nomoto"/>。
 
 
安西は移送の理由について、「休養させ、いい状態で勝たせてあげたい」ことにあると述べ、宗石が「いろいろなしがらみがあり、仕事を背負い込んでいて、ゆとりがない状態だった」と主張して移送を正当化した<ref name="kouchi040918"/>。安西はみずからが運営するホームページにおいても「ハルウララには慢性的な疲労が蓄積しており、中長期的に休ませることが必要」と主張<ref>{{Cite web|date = 2004-12-07|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041207|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041207|title = こじゃんと語ろうハルウララ 12日に高知市で有志がシンポ|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>、さらに栃木県で行った血液検査の結果、[[白血球]]値が高いことや肝機能の低下が判明したとして、「高知競馬で走らせていれば競走生命が失われていた」、「回復まで中・長期の療養が必要」と述べた<ref name="kouchi041213">{{Cite web|date =2004-12-13|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041213|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041213|title =高知市で「ウララ」シンポ 宗石さんら経過報告|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。ただし、移送後ハルウララに関する[[シンポジウム]]を開催したファンのひとりは、血液検査を行った[[獣医師]]から「2回目の検査が終わった後、『馬は元気なので高知に返すべき』と進言した」という証言を得たと主張している<ref name="kouchi041213"/>。
 
 
高知新聞の記者石井研は安西の一連の行動について、安西が3月にハルウララの商標登録を出願したこと、8月にハルウララのグッズの権利を巡り高知競馬側に内容証明書を送り付けた事実、さらにハルウララのオーナー会員を募り、「引退までは月会費をニンジン代に使うと金を集めておきながら、財務内容は出資者にも明らかにしていない」事実を示した<ref>{{Cite web|date =2004-12-28|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041229|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041229|title =【夕刊話題】使途不明?|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>うえで、以下のように述べている。
 
 
{{Quotation|考えてもみてほしい。貧しい競馬場で弱い馬を走らせ続け、枯れ木に花を咲かせたのは調教師であり、厩務(きゅうむ)員たちだ。「花咲かじいさん」が満開に育てた後で無償でもらい、半年で700万円以上のグッズ権利金を手にし、連れ去った揚げ句に「高知競馬は馬を酷使している」。あんまりじゃない?と思うのは無理からぬこと。馬主側の財務内容こそ明らかにしてもらいたい。 |{{Cite web|date =2004-12-28|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041229|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#041229|title =【夕刊話題】使途不明?|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}}}<!--出典がないためコメントアウト/廃止が決定した[[高崎競馬場|高崎競馬]]の復興に向けて活動中であった[[新高崎競馬応援団]]が、2005年1月4日に主催するイベントに[[安西美穂子]]がハルウララを引き連れて来場すると発表。安西はハルウララは疲労が蓄積しているために休養中であるという見解をとっていたため、行動が矛盾しているとファンの激しい反発を呼んだ。応援団のブログには非難のコメントが多数寄せられ、招聘計画は中止となり、かわりに宗石調教師と安西との会談の場が提供されることとなった。会談の結果、同年3月21日の引退レースに備えて近日中にハルウララを高知競馬場へ戻すことが決定したが、その後引退レースの実施は延期された。-->
 
 
=== 高知へ戻ることなく引退 ===
 
[[2005年]][[1月3日]]、宗石と安西が話し合いを行い、宗石がハルウララの健康状態をチェックし、出走可能かどうか判断した上で同月中に高知へ戻すことで合意した<ref>{{Cite web|date =2005-01-04|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050104|archivedate =2016年3月4日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160304052444/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050104|title =ハルウララ月内高知へ 宗石さんと馬主が合意|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。翌4日、宗石と安西は栃木県内で記者会見を開き、1月中にハルウララを高知へ戻すこと、体調を見ながら予定通り3月に引退レースを行う予定であると発表した<ref>{{Cite web|date =2005-01-05|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050105|archivedate =2016年3月4日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160304052444/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050105|title =ハルウララ 引退レース予定通り 馬主ら会見|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。しかし、2月になって安西は体調の回復が遅れていることを理由に復帰延期を発表<ref>{{Cite web|date =2005-02-11|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050211|archivedate =2016年3月4日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160304052444/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050211|title =ウララ引退レース延期 馬主「体調回復を優先」|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。結局そのままレースに復帰することなく、[[2006年]]10月にハルウララは競走馬登録を抹消された([[地方競馬全国協会|NAR]]が関係者に対して行った現役続行の意思確認に対し返答がなかったため{{#tag:ref|NARでは1年以上出走していない競走馬の関係者に対し、年2回(4月と10月)、出走を継続する意思があるかどうかの確認を行っている<ref>[http://www.sankei.co.jp/enak/2006/oct/kiji/03lifekochi.html ハルウララ引退へ]産経新聞 ENAK (2006-06-29). 2010年1月19日 閲覧。</ref>。|group=†}})<ref>{{Cite web|date =2006-10-04|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara06.htm#061004a|archivedate =2016年3月21日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160321030218/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara06.htm#061004a|title =ハルウララ正式引退 競走馬登録抹消へ|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。
 
 
この間、安西は2005年6月に[[森田健作]]を応援団長とするプロジェクト「ウララ1勝プロジェクト」を立ち上げ、同月中にハルウララを高知へ戻し2005年中に引退することを発表したり、同年10月に森田を発起人とする「ハルウララ基金」(引退後のハルウララが地方競馬を巡業するための寄付金を募るプロジェクト)の設立を発表するなどしたが、いずれも実現しなかった<ref>{{Cite web|date =2005-12-16|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#051216|archivedate =2016年3月4日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160304052444/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#051216|title =【夕刊コラム・話題】疑似イベント|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。なお、ハルウララが移送された「那須トレーニングファーム」場長の広田修司は「高知競馬クラスなら勝たないとおかしいレベルまで仕上げ」たものの馬主サイドは「レースに復帰させず、突然どこかに持って行ってしまった」、「人間の都合で愛玩動物のように扱われ、可哀相」と述べている<ref name="dameuma">[[#ダメ馬『ハルウララ』は『馬肉』にされてしまった!?|ダメ馬『ハルウララ』は『馬肉』にされてしまった!?]]</ref>。<!--出典がないためコメントアウト/なお、馬主側の「ハルウララ一勝プロジェクト」に至るまでの一連の行動は、高知からの移送の現場にも立ち会った[[競馬評論家]]・[[白井透]]の著作「ハルウララ日記」の内容に沿ったものである。-->
 
 
最終的な成績は113戦0勝(2着5回、3着7回)であった。
 
 
=== 引退後 ===
 
[[2006年]]10月、安西は[[千葉県]][[勝浦市]]の保養施設にて「ホースセラピー開校記念パーティー」を開催し、11月に引退競走馬の再利用促進と[[アニマルセラピー|セラピー]]活動を実施するためのNPO法人「おうちへ帰ろうクラブ」(代表安西美穂子)の設立を申請した(2007年10月認証<ref>{{Cite web |url = http://www.tvac.or.jp/eh/111821.html|title = おうちへ帰ろうクラブ の情報 |publisher = ボラ市民ウェブ |accessdate = 2010年1月19日 |archiveurl=https://archive.is/20121219140203/http://www.tvac.or.jp/eh/111821.html |archivedate=2012-12-19}}</ref><ref name="内閣府NPOホームページ">{{Cite web|title=特定非営利活動法人おうちへ帰ろうクラブ |url=https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/013092839 |work=内閣府NPOホームページ |publisher=[[内閣府]] |accessdate=2017-06-29}}</ref>、2013年8月解散<ref name="内閣府NPOホームページ" />)。安西はハルウララをセラピーのために使役していたとされるが、安西からセラピーを教育に活用するよう提案され実際にセラピーに接したという勝浦市の教育長は「ただ、ハルウララを見て触っただけという印象」とコメントしている<ref name="dameuma"/>。
 
 
[[2009年]]夏、ハルウララは安西の意向により[[繁殖牝馬]]となるべく北海道[[新ひだか町]]の牧場に移送された。[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]との交配計画が報道され、安西が週刊新潮の取材に対し、「知り合いの調教師などから話があって計画が動いた。ディープインパクトが繋養されている[[社台スタリオンステーション]]から9月以前に内諾を得た」、種付け料が900万と高額で、私個人にはとても出せない。小額のファンドを募ってみんなの夢に繋がればいいなあとも考えている」と、募金を検討中であるとコメントしたこともあった<ref>[[#113連敗ハルウララにディープインパクト種付け計画|113連敗ハルウララにディープインパクト種付け計画]]</ref>。しかし、その後長期にわたり、生死さえ明らかではなくなった<ref name="引退馬協会">{{Cite web |url = http://rha.or.jp/news/2014/07/post-79.html|title = 新サポートホース・ハルウララ「春うららの会」 |publisher = NPO法人引退馬協会 |accessdate = 2014年7月16日}}</ref>。
 
 
2013年4月頃、安西サイドは千葉県[[御宿町]]にあるマーサファームにハルウララを預託した<ref name="引退馬協会"/>。しかし、同牧場の関係者によると、半年ほどすると預託料が支払われなくなり、安西が牧場に姿を見せることもなくなった<ref name="覚えてます?高知競馬のハルウララ">{{Cite web|date =2014-07-18|archivedate =2014年7月27日|url =http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=323117&nwIW=1&nwVt=knd|archiveurl =https://web.archive.org/web/20140727010239/http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=323117&nwIW=1&nwVt=knd|title =覚えてます?高知競馬のハルウララ 千葉県で健在でした|work =|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017-06-29|deadurldate =2017年9月}}</ref>。そして、最終的にハルウララの所有権は放棄され<ref name="引退馬協会"/>、マーサファーム側(ハルウララの余生を支援する「春うららの会」<ref>{{Cite web |url = http://mf-urara.jimdo.com/%E4%BC%9A%E5%89%87/|title = 「春うららの会」会則 |publisher = 春うららの会 |accessdate = 2014年7月24日}}</ref>)に移った<ref name="引退馬協会"/><ref name="覚えてます?高知競馬のハルウララ"/>。
 
 
== 評価・特徴 ==
 
=== 身体面に関する特徴・評価 ===
 
デビュー戦における馬体重は397キログラム<ref>{{Cite web |url = http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/TodayRaceInfo/RaceMarkTable?k_raceDate=1998%2f11%2f17&amp;k_raceNo=1&amp;k_babaCode=31|title = レース成績表|work = |publisher = KEIBA.GO.JP |accessdate = 2010年7月9日}}</ref>であり、体格的には小柄な馬である。宗石<ref>[[#重松2004|重松2004]]、22頁。</ref>と藤原<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、63頁。</ref>は初めてハルウララを見たとき、体が小さいという印象を抱いた。宗石は加えて[[ウマ#身体の各部の名称|繋ぎ]]が細いのを見て、「年をとってもそれほど大きくならない」と感じたという<ref>[[#重松2004|重松2004]]、22-24頁。</ref>。[[主戦騎手]]の古川はハルウララについて貧弱と評している<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、184-185頁。</ref>。ただし、宗石によると小柄ではあるが丈夫な馬で、蹄の疾患により1度出走を取りやめた以外は休まずに出走し続けた<ref>[[#重松2004|重松2004]]、35頁。</ref>。
 
 
=== 精神面に関する特徴・評価 ===
 
宗石<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、142頁。</ref>と古川<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、184-185頁。</ref>、藤原<ref>[[#櫻井他2004|櫻井他2004]]、15頁。</ref>によるとハルウララは臆病な馬であった。さらに藤原は神経質なところがあるとも評した<ref>[[#重松2004|重松2004]]、49頁。</ref>が、宗石によると神経の図太いところもあり、毎日のようにマスコミが厩舎を訪れても食欲が落ちなかったという<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、61頁。</ref>。さらに宗石によると、普段は臆病だが馬場に出るとなぜかリラックスするという特徴もあった<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、88-89・95頁。</ref>。
 
 
宗石によるとハルウララには飽きっぽいところがあり、厩舎の周りを歩かせると2周するまでは素直だが3周目からは「歩きたくない」という態度をとったり、[[発馬機]]からスタート練習を1日2回以上やりたがらなかった<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、91-92頁。</ref>。
 
 
=== レースぶりに関する特徴・評価 ===
 
宗石によると、ハルウララはレースで手を抜くことなく、一所懸命に走っていた<ref>[[#重松2004|重松2004]]、35頁。</ref>。古川も同様の見解を述べている<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、185-186頁。</ref>。橋口浩二はレース途中で必ず見せ場を作り、実況で名前を呼ぶ機会があることを根拠に「一緒懸命走るんです。勝ちたくて、がんばっているんです」と述べている<ref>[[#重松2004|重松2004]]、129頁。</ref>。古川はハルウララのレースぶりについて、「行けると思ったときに、ピタッと、突然に止まろうとする」「直線に向いたら動かないこともある」とも述べており、その原因について「左の爪に裂蹄を発症し、コーナーで手前を変えると痛いときもある」と述べている<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、185頁。</ref>。
 
 
宗石によると、レースで騎乗した際の[[古川文貴]]、遠藤五月による評価は「ハンドルもブレーキも利かない」というものであった<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、96頁。</ref>。
 
 
=== 競走馬名 ===
 
ハルウララという競走馬名は信田牧場に頼まれて調教師の宗石が考案した。宗石によるとはじめは「メリージェーン」にする予定であったが、既に登録されていたことからハルウララに変更した<ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、52頁。</ref>{{Refnest|group=†|[[メリー・ジェーン|同名の楽曲]]があることを理由に申請を却下されたため変更したとの説もある<ref>{{Cite web|author = 鈴木豊|date= 2004-02-15|url = http://www.nikkansports.com/ns/general/ns_column/ns_column-90.html|title = ハルが与える勇気|work = 本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」|publisher = [[日刊スポーツ]] |accessdate = 2010年7月9日}}</ref>が、JBISサーチによると、1976年生まれの同名馬が繁殖登録され、1990年まで産駒が確認されている<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000090895/broodmare/info/ |title=繁殖牝馬情報|メリージエーン|publisher=公益社団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2015-07-21}}</ref>ため1998年時点では競走馬名として登録できなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.jairs.jp/contents/pdf/bameitouroku.pdf#page=5 |title=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル馬名登録基準|publisher=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|format=PDF|pages=5-6|date=2012-11-27|accessdate=2015-07-21}}</ref>のが正しいと思われる。}}。宗石は「手のかかる馬なのでせめて名前くらいはかわいくてのんびりしたものにしよう、そうすれば少しは馬の性格も変わるかもしれない」と思い、[[日本放送協会]] (NHK) が放送した[[連続テレビ小説]]『[[天うらら]]』の主人公、川嶋うららからウララをとり、上にハルをつけた<ref>[[#吉川2004|吉川2004]]、89-90頁。</ref>。
 
 
== 映画 ==
 
本馬について2本の映画が製作されている。一本目は2005年公開の日本映画で、二本目は2016年公開のアメリカ映画である。
 
 
=== 『ハルウララ』(2005年) ===
 
[[森川時久]]監督。主な出演者は[[渡瀬恒彦]]、[[賀来千香子]]、[[高知東生]]、[[忍成修吾]]、[[原紗央莉|七海まい]]。2004年2月末に製作が決定し<ref>{{Cite web|date =2004-03-01|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040301|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040301|title =「ハルウララ」映画に 来春公開目指す|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>、同年8月末から9月にかけて高知県内で[[ロケーション撮影|ロケ]]が行われた<ref>{{Cite web|date =2004-09-25|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040925|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040925|title =「ウララ映画 高知ロケ終了 台風乗り越え無事に|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2010年1月19日|deadurldate =2017年9月}}</ref>。映画は2005年4月から全国公開に先駆けてと謳い高知県内の[[映画館]]で上映された<ref>{{Cite web |date=2005-03-22 |url=http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050322 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304052444/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara05.htm#050322 |archivedate=2016年3月4日 |title=映画「ハルウララ」 完成披露試写会に500人 |work=ハルウララ関連記事 |publisher=[[高知新聞]] |accessdate=2017年5月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>が、<!--出典がないためコメントアウト/同年6月には[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]でも特別公開された-->全国上映は実現せず、インターネット上での公開([[2007年]][[6月]])、DVDの発売([[2008年]][[3月]])に留まっている。2004年[[12月12日]]には映画完成を記念して高知競馬場内に常設ギャラリー「ハルウララ・インザムービーギャラリー」がグランドオープン(プレオープンは同年10月11日)し、撮影で使用した小道具やハルウララの等身大模型、馬房のセットなどが展示された<ref name="kouchi041213"/>。
 
 
=== "The Shining Star of Losers Everywhere"(2016年) ===
 
"The Shining Star of Losers Everywhere"<ref name="IMDb2016">{{IMDb title |5424802|The Shining Star of Losers Everywhere}}</ref>は、2016年に公開されたアメリカの短編ドキュメンタリー映画で、ハルウララを題材としている<ref name="高知新聞161019">{{Cite news|url=https://www.kochinews.co.jp/article/56378/ |title=高知市で10/21,23『負け組の星、ハルウララ』映画上映会 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20161028132556/https://www.kochinews.co.jp/article/56378/|archivedate=2016-10-28|newspaper=高知新聞 |date=2016-10-19 |accessdate=2018-01-07}}</ref><ref name="高知けいば160930">{{Cite web|url=http://www.keiba.or.jp/top/news/diary.cgi?no=6259 |title="The Shining Star of Losers Everywhere"(負け組の星、ハルウララ)映画上映会!! |work=高知けいばニュース |publisher=高知けいばオフィシャルサイト|date=2016-09-30 |accessdate=2017-05-18}}</ref>。監督はミッキー・ドージェイ(Mickey Duzyj)<ref name="高知新聞161019" />で、上映時間は19分<ref name="IMDb2016" />。
 
 
日本では2016年10月に[[高知大学]]と[[高知競馬場]]で上映会が行われた<ref name="高知新聞161019" /><ref name="高知けいば160930" />。上映会のためにつけられた日本語題名は『'''負け組の星、ハルウララ'''』<ref name="高知新聞161019" /><ref name="高知けいば160930" />。
 
 
== 関連商品 ==
 
=== CD ===
 
* ハルウララの詩(うた)―ただ、ひたすらに― ([[堀内佳]]、スターター吉田)※公式応援歌。99戦目のレース実況入り
 
* ガンバッテるんだ! ([[嶋大輔]])
 
* YOSAKOIウララ〜ハルウララのテーマ〜 (リストラーズ)
 
* ハルウララ賛歌 ([[宮川大助]]) ※106戦目のレース実況入り
 
* 春うらら ([[古田三奈]])※発売は[[2000年]]だが、ハルウララ人気に便乗して再発された。
 
* 走れ、ハルウララ / ウララの気持ち (春風えり)
 
 
=== 書籍 ===
 
* 走って、負けて、愛されて。-ハルウララ物語 ([[重松清]]、[[平凡社]]、2004年1月) - ISBN 4582824439
 
* 高知競馬のハルウララ ([[吉川良]]、源草社、2004年1月) - ISBN 4906668356
 
* またも負けたか100連敗-負けるが勝ち!ハルウララ物語 (岡本弘、[[アスク]]、2004年2月) - ISBN 4901681206
 
* 1回ばぁ、勝とうな-ハルウララから学ぶこと (菊池俊、日本エディターズ、2004年3月) - ISBN 4930787351
 
* 土佐の高知はハルウララ (櫻井忍・文、[[岩合光昭]]・写真、[[インデックス・コミュニケーションズ|オーエス出版]]、2004年4月) - ISBN 4757302266
 
* ハルウララ POSTCARDBOOK (岩合光昭・写真、オーエス出版、2004年4月) - ISBN 4757302274
 
* ハルウララ ([[那須田稔]]・文、小坂茂・絵、[[ひくまの出版]]、2004年5月) - ISBN 4893173227
 
* ありがとうのたま-ハルウララ物語 (芝風太・文、川口正彦・絵、[[リピート山中]]・歌、アスク、2004年8月) - ISBN 4901681249
 
 
=== グッズ ===
 
Tシャツ<ref name="kouchi2004040323-2"/><ref>[[#岡本2004|岡本2004]]、148-149頁。</ref>、帽子<ref name="kouchi2004040323-2"/>、キーホルダー<ref name="kouchi2004040323-2"/>、マグカップ<ref name="okamoto148"/>、タペストリー<ref name="okamoto148"/>、バッジ<ref name="okamoto148"/>、ぬいぐるみ([[ハローキティ]]が乗ったもの<ref name="netkeiba01"/>や数量限定の特大ぬいぐるみ<ref>{{Cite web|date = 2004-08-03|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040803|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040803|title = きょう「ウララ3きょうだい」対決 高知競馬|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>がある)、米([[全国農業協同組合連合会|全農]]高知県本部と[[パールライス]]こうちが発売した「ハルウララ米」)<ref>{{Cite web|date = 2004-04-20|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040420|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040420|title = 今度は“ハルウララ米” 袋に写真 県産品PR|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>、焼酎([[宝ホールディングス|宝酒造]]が発売した「ハルウララ焼酎」。ボトルにハルウララの写真が使用されている)<ref>{{Cite web|date =2004-06-09|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040609|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040609|title =“ハルウララ焼酎”全国へ 県内限定販売スタート|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>、写真付き駅入場券([[四国旅客鉄道|JR四国]]が2004年3月から5月にかけて発売)<ref>{{Cite web|date=2004-03-12|url=http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040312|archivedate=2016年3月9日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040312|title=ハルウララ写真付き駅入場券 JR四国が限定発売|work=ハルウララ関連記事|publisher=[[高知新聞]]|accessdate=2017年5月18日|deadurldate=2017年9月}}</ref>、[[切手シート]]([[日本郵政公社]]とサポートKRA(高知競馬の関連団体)が共同で発売)<ref>{{Cite web|date =2004-02-14|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040214|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040214|title =ハルウララが切手シートに。|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>、お守り(ブラッシングの際に抜けたたてがみや尻尾の毛が入ったものであった<ref name="okamoto148"/>が、前述のように動物虐待ではないかと批判を浴びて販売中止となり<ref name="netkeiba01"/>、ヒノキ材でつくった絵馬に切り替えられた<ref name="kochi040430"/>)がある。
 
 
非売品としては、高知県[[交通安全協会]]が会員向けに製作した交通安全のステッカー<ref>{{Cite web|date = 2004-04-13|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040413|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040413|title = ステッカー新たに3万枚配布 県交安協 26日から会員限定で|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref><ref>{{Cite web|date = 2004-04-27|url = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040427|archivedate = 2016年3月9日|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040427|title = ウララステッカー3万枚増刷 会員特典で配布 県交通安全協会|work = ハルウララ関連記事|publisher = [[高知新聞]]|accessdate = 2017年5月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>、[[トリンプ・インターナショナル|トリンプ]]が発表した、素材の一部にハルウララの毛を使用した[[ブラジャー]]「トリンプ頑張れ!ハルウララブラ」<ref>{{Cite web|date =2004-05-12|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040512|archivedate =2016年3月9日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20160309172814/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urara04.htm#040512|title =ハルウララ ブラに“変身” トリンプが創立記念で製作|work =ハルウララ関連記事|publisher =[[高知新聞]]|accessdate =2017年5月18日|deadurldate =2017年9月}}</ref>がある。
 
 
== 血統 ==
 
=== 血統表 ===
 
{{競走馬血統表
 
|name = ハルウララ
 
|inf = ([[リファール系]]/パーソロン4×4=12.50%、[[ノーザンダンサー|Northern Dancer]]4×4=12.50%、[[ナスルーラ|Nasrullah]]5×5=6.25% (母内) )
 
|f = [[ニッポーテイオー]]<br />1983 [[鹿毛]]
 
|m = ヒロイン<br />1991 鹿毛
 
|ff = *[[リイフォー]]<br />Lypheor<br />1975 [[黒鹿毛]]
 
|fm = チヨダマサコ<br />1977 鹿毛
 
|mf = *[[ラッキーソブリン]]<br />Lucky Sovereign<br />1974 鹿毛
 
|mm = ピアレスレデイ<br />1979 鹿毛
 
|fff = [[リファール|Lyphard]]
 
|ffm = Klaizia
 
|fmf = *ラバージョン<br />Lover John
 
|fmm = ミスオーハヤブサ
 
|mff = [[ニジンスキー (競走馬)|Nijinsky]]
 
|mfm = Sovereign
 
|mmf = *[[テスコボーイ]]<br />Tesco Boy
 
|mmm = イーストサイド
 
|ffff = [[ノーザンダンサー|'''Northern Dancer''']]
 
|fffm = Goofed
 
|ffmf = Sing Sing
 
|ffmm = Klainia
 
|fmff = [[ダマスカス (競走馬)|Damascus]]
 
|fmfm = Evening Primrose
 
|fmmf = *'''[[パーソロン]]'''
 
|fmmm = ワールドハヤブサ
 
|mfff = '''Northern Dancer'''
 
|mffm = [[フレーミングページ|Flaming Page]]
 
|mfmf = Pardao
 
|mfmm = Urshalim
 
|mmff = [[プリンスリーギフト|Princely Gift]]
 
|mmfm = Suncourt
 
|mmmf = *'''パーソロン'''
 
|mmmm = ミスハクリユウ [[ファミリーナンバー|F-No.]][[12号族|12]]
 
|ref1 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000307965/pedigree/ JBISサーチ ハルウララ 5代血統表]2017年8月29日閲覧。
 
|mlin = [[リファール系]]
 
|ref2 = [http://db.netkeiba.com/horse/ped/1996106177/ netkeiba.com ハルウララ 5代血統表]2017年8月29日閲覧。
 
|flin = [[12号族]]
 
|FN = 12
 
|ref3 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000307965/pedigree/ JBISサーチ ハルウララ 5代血統表]2017年8月29日閲覧。
 
|inbr = [[ノーザンダンサー|Northern Dancer]]4×4、[[パーソロン]]4×4、[[ナスルーラ|Nasrullah]]5×5
 
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000307965/pedigree/ JBISサーチ ハルウララ 5代血統表]2017年8月29日閲覧。
 
}}
 
 
両親とも[[ビユーチフルドリーマー]]系。ただし、父は種義〜オーハヤブサの流れ、母は第三ビユーチフルドリーマー〜オールスクエーアの流れであり、血統的にはかなり遠い。
 
 
母は中央競馬で11戦0勝。本馬同様390kg台の馬格に欠ける馬だった。ハルウララは初仔にあたる。弟や妹も小柄なものが多い。
 
 
=== 近親 ===
 
*[[ミヤビランベリ]] ([[アルゼンチン共和国杯]]、[[目黒記念]]、[[七夕賞]]2回) - いとこ (母ヒロインの半妹・アステオンの産駒)
 
*ニホンピロラック ([[東京障害特別]](秋)、札幌日刊スポーツ杯、クリスマスステークス) - 叔父 (母ヒロインの全兄)
 
*[[モガミチャンピオン]] ([[カブトヤマ記念]]) - 大叔父 (祖母ピアレスレディの半弟)
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="†"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|colwidth=30em}}
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書
 
|author = 大瀬良海図
 
|year = 2011
 
|title = 競馬が100倍面白くなる! 100万人の競馬ファンが見ているブログが遂に単行本化!!
 
|series = ベストセレクト
 
|publisher = [[ベストブック]]
 
|isbn = 4-8314-0160-9
 
|ref = 大瀬良2011
 
}}
 
* {{Cite book|和書
 
|author = 岡本弘
 
|year = 2004
 
|title = またも負けたか100連敗 負けるが勝ち!ハルウララ物語
 
|publisher = [[アスク]]
 
|isbn = 4-901681-20-6
 
|ref = 岡本2004
 
}}
 
* {{Cite book|和書
 
|author = 櫻井忍(文)
 
|others = [[岩合光昭]](写真)
 
|year = 2004
 
|title = 土佐の高知はハルウララ
 
|publisher = [[インデックス・コミュニケーションズ|オーエス出版]]
 
|isbn = 978-4-7573-0226-6
 
|ref = 櫻井他2004
 
}}
 
* {{Cite book|和書
 
|author = [[重松清]]
 
|year = 2004
 
|title = 走って、負けて、愛されて。ハルウララ物語
 
|publisher = [[平凡社]]
 
|isbn = 4-582-82443-9
 
|ref = 重松2004
 
}}
 
* {{Cite book|和書
 
|author = 武豊
 
|year = 2005
 
|title = この馬に聞いた!大外強襲編
 
|series = 講談社文庫
 
|publisher = [[講談社]]
 
|isbn = 4-06-275051-1
 
|ref = 武2005
 
}}
 
* {{Cite web
 
|author = [[野元賢一]]
 
|date= 2004-09-21
 
|url = http://www.nikkei.co.jp/keiba/column/20040921200409211026.html
 
|title = 祭りは終わった ハルウララの移送を巡って
 
|work = 専門記者の競馬コラム
 
|publisher = サラブnet
 
|accessdate = 2010年1月19日
 
}}
 
* {{Cite web|author =福岡茂樹、谷本昌憲、岩部芳樹|date =2004-03-07|url =http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/245/index.htm|archivedate =2015年9月24日|archiveurl =https://web.archive.org/web/20150924101344/http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/245/index.htm|title =ハルウララブームに学ぶ|work =シリーズ追跡|publisher =[[四国新聞]]|accessdate =2017-06-29|deadurldate =2017年9月}}
 
* {{Cite book|和書
 
|author = [[吉川良]]
 
|year = 2004
 
|title = 高知競馬のハルウララ
 
|publisher = 源草社
 
|isbn = 4-906668-35-6
 
|ref = 吉川2004
 
}}
 
* {{Cite web
 
|archivedate = 2016年4月4日
 
|url        = http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urarafr.htm
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20160404081242/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/urarafr.htm
 
|title      = 懸命走る!ハルウララ
 
|publisher  = [[高知新聞]]
 
|accessdate  = 2017-06-29
 
|deadurldate = 2017年9月
 
}}
 
* {{Cite web|archivedate =2007年12月29日|url =http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm|archiveurl =https://web.archive.org/web/20071229121203/http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm|title =ハルウララ関連記事|work =「高知競馬」という仕事|publisher =高知新聞|accessdate =2017-06-29|deadurldate =2017年9月}}
 
*{{Cite web
 
|date        = 2004-02-05
 
|archivedate = 2016年3月5日
 
|url        = http://www.tomamin.co.jp/2004/tp040205.htm
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20160305013952/http://www.tomamin.co.jp/2004/tp040205.htm#t3
 
|title      = 【三石】ハルウララの人気、生産地は複雑な表情
 
|publisher  = [[苫小牧民報]]
 
|accessdate  = 2017-06-29
 
|deadurldate = 2017年9月
 
}}
 
* {{Cite journal|和書
 
|title = ダメ馬『ハルウララ』は『馬肉』にされてしまった!?
 
|journal = [[週刊新潮]]
 
|issue = 2008年5月1・8日ゴールデンウイーク特大号
 
|pages = 73頁
 
|publisher = [[新潮社]]
 
|ref = ダメ馬『ハルウララ』は『馬肉』にされてしまった!?
 
}}
 
* {{Cite journal|和書
 
|title = 113連敗ハルウララにディープインパクト種付け計画
 
|journal = [[週刊新潮]]
 
|issue = 2009年12月24日号
 
|pages = 49頁
 
|publisher = [[新潮社]]
 
|ref = 113連敗ハルウララにディープインパクト種付け計画
 
}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[負け組]]
 
* [[ジッピーチッピー]] - [[アメリカ合衆国]]の競走馬。ハルウララと同時期に連敗を重ねていた。
 
* [[森麗勇樹]](もりうららゆうき) - ハルウララにちなんだ[[四股名]]を持つ[[大相撲]]力士。初めて[[序ノ口]]に在位してから38場所連続負け越しという記録を持つ。
 
* [[マイネアトリーチェ]] - 日本最長の連敗記録を持つ競走馬。生涯成績は192戦0勝。
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://mf-urara.jimdo.com/ 春うららの会] - ハルウララの余生を支援する会。
 
* [http://rha.or.jp/news/2014/07/post-79.html 新サポートホース・ハルウララ「春うららの会」]
 
* {{wayback |url=http://www.keiba.or.jp/haruurara/index.html|title=ハルウララ(高知競馬オフィシャルサイト内)|date=20080621190958}} <!--{{リンク切れ|date=2010年7月}}-->
 
* {{競走馬成績|netkeiba=1996106177|jbis=0000307965|chihou=30058402034}}
 
* {{wayback |url=http://moura.jp/clickjapan/interviews/040204/ |title=ホットインタビューズ|103連敗の“ジャンヌ・ダルク” 高知競馬 ハルウララ号:初勝利を夢みて、一生懸命走ります!|date=20051119223358}}(インタビュー形式に編集した取材記事、 [[講談社#電子媒体|講談社MouRa]]内)
 
* {{wayback|url=http://www.haruurara.jp/ |title=ハルウララ 公式ホームページ|date=20100819100423}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:はるうらら}}
 
{{DEFAULTSORT:はるうらら}}

2019/5/10/ (金) 09:42時点における最新版


ハルウララ1996年2月27日 - )

1996年生まれの日本の競走馬。牝馬(ひんば)。高知競馬に所属していたが、デビューから1勝もできず、113連敗を記録。全国ニュースでも取り上げられるなど話題になった。