「ノートルダム大聖堂 (ランス)」の版間の差分

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[[ファイル:Facade de la Cathédrale de Reims - Parvis.jpg|thumb|right|240px|大聖堂正面]]
 
'''ランス・ノートルダム大聖堂''' (Cathédrale Notre-Dame de Reims) は、[[パリ]]から東北東約130kmに位置する街[[ランス (マルヌ県)|ランス]]にある[[カトリック教会|カトリック]]の[[大聖堂]]。
 
 
 
隣接するトー宮殿、市内の聖レミ教会堂とともに[[1991年]]に、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[世界遺産]]に登録された。(一体としての世界遺産については「[[ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿]]」を参照)
 
 
 
== 概要 ==
 
[[フランク王国]]の国王[[クロヴィス1世|クロヴィス]]がランス司教[[レミギウス]]に[[キリスト教]]改宗の洗礼を受けたことから、大聖堂では歴代フランス国王の戴冠式が行われた歴史を持つ。[[シャルトル大聖堂]]や[[ノートルダム大聖堂 (アミアン)|アミアン大聖堂]]と並び、フランス国内における[[ゴシック様式]]の傑作の一つと称される。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[File:Cathedral_of_Reims_Burning.jpg|thumb|right|180px|爆撃を受け、炎上する大聖堂(1915)]]
 
現大聖堂は、[[1210年]]に火災で消失した教会の代わりとして、[[1211年]][[5月6日]]に建造が開始され、内陣のある東側部分から着工された。[[1233年]]から[[1236年]]には、建造資金源として課された重税に苦しんだランス市民によって、大聖堂の工事を率いる高位聖職者に対する反乱が起こされたが、内陣は[[13世紀]]半ばに完成され、13世紀末には西側部分以外の大部分が完成した。その後、[[百年戦争]]中の[[1359年]]から[[1360年]]の間に[[イギリス|英国]]によって包囲されるなどで、一時作業が中断したが、[[14世紀]]には未完成だった西側も完成した。ただし、[[ファサード]]部は建設が遅れ、2つの鐘塔は南側が[[1445年]]、北側が[[1475年]]にようやく完成を見た。また、百年戦争の英雄である[[ジャンヌ・ダルク]]は[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]とともにランス大聖堂を訪れている。
 
 
 
その後ランス・ノートルダム大聖堂は、[[フランス革命]]時の動乱で彫像を中心に破壊されたが、[[1875年]]にフランスの国会で修復のために現在の価格で約8万[[ユーロ]]が投資されることが決議され、彫像の多くが修復された。しかし、[[第一次世界大戦]]中の[[1914年]]から[[1918年]]まで[[ドイツ軍]]の[[空襲]]や砲撃を受けたことで、彫像や約半数の[[ステンドグラス]]が失われ、特に1914年[[9月19日]]に空襲により発生した火災は、北側から燃え広がり、屋根の全てを覆い尽くし、大聖堂は壊滅的な被害を受けた。終戦後にランス出身の建築家であるアンリ・ドゥヌの主導によって再建が開始され、[[1938年]]に竣工した後に一般に開放されたが、現在も一部修復作業が行われている。
 
[[File:VillardButtressReims.jpg|180px|left|thumb|13世紀の画家[[ヴィラール・ド・オヌクール]]によって描かれたフライング・バットレスの構造のスケッチ]]
 
[[File:PlancathedraleReims.svg|180px|left|thumb|ランス大聖堂内部の平面図]]
 
 
 
== 建築 ==
 
;外観
 
:外陣は東西に細長く、垂直方向の上昇感を強調している一方で、内陣は広大な印象を与える。四分[[ヴォールト]]で構成されていて、周囲を[[フライング・バットレス]]が支える一般的なゴシック様式の構造となっているのに対して、[[バラ窓]]が一般的なゴシック様式の聖堂に見られる定位置に一つと、さらにその下の本来タンパンがあるべきところにもバラ窓が一つ配されている。その代わりに本来そこに彫刻として表されるべきテーマはさらに上方の三角形の破風に移されている。
 
:ランス大聖堂は同時代の大聖堂と比較して、門から塔に至るまでのファサード部の彫刻、彫像の膨大さと優美さが特徴的である。特に西正門入口の彫像は有名で、[[聖母マリア]]の物語を描いた彫像があり、「微笑みの天使」が有名である<ref name=Fuse>{{Cite book|和書 |author = [[布施英利]] |year = 2015 |title = パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで  |publisher = [[光文社]] |page = 107 |isbn = 978-4-334-03837-3}}</ref>。正門は聖母マリアを第三層の王のギャラリーはクロヴィスの戴冠を描いている。彫像はそれ以前に建造された[[シャルトル大聖堂]]に比べて、非常に自由なポーズで感情表現がなされている点が特徴的である。第一次世界大戦での爆撃により、損傷が激しい像は隣接する隣接するトー宮殿にオリジナルが保存、展示されている。
 
:ファサードは北側がランス司教や[[最後の審判]]を表していて、南側は予言や[[使徒#十二使徒|12人の弟子]]の物語が壮麗なステンドグラスと彫刻に描かれている。
 
 
 
;内観
 
:聖堂内部は長さ138.75mで幅30m、中心の高さは38mである。身廊は戴冠式の参加者を収容するために広く設計されている。また他の聖堂と比較して非常に明るいという特徴があり、これは当初のステンドグラスは[[18世紀]]に堂内の蝋燭を節約するために、一部のステンドガラスを透明なガラスに変えられたことが理由である。現在のステンドグラスはその壮麗さで有名であり、[[マルク・シャガール|シャガール]]のステンドグラスが後陣の最奥に[[1974年]]に配され、他にも特産品である[[シャンパン]]の製造過程を描いたステンドグラスがシャンパン製造業者によって寄贈されている。
 
:より高い尖塔アーチの採用により、プロポーションは険しくなっているものの、シャルトルにおいて確立された古典期ゴシックの要素が引き継がれている。ピリエ・カントネ(円筒状のコアに四つの添え柱のついたピア)に支えられた大アーケード・四連式トリフォリウム・クリアストーリーからなる三層構成の身廊立面、四分交差リブ・ヴォールトなどである。しかし、ランスではクリアストーリーに新たな形式であるトレーサリー(六弁薔薇飾りのある2つの尖塔アーチ)が採用された。このことによって、支持材のあいだの壁体は完全に排除され、ステンド・グラスの面積は増大している。また、側廊の壁にもトレーサリーが採用され、シャルトルとの差異が際立っている。その後、このトレーサリーがゴシックの窓として定着することとなった。
 
:内陣については、様々な建築的制約により、不規則な平面となったシャルトルに対し、ランスでは十角形の五辺の半円の平面という初期ゴシックの内陣の伝統を引き継いでいる。内陣ではピリエ・カントネは放棄されているが、内側へ向いた一本の添え柱を持った円柱によって、上部との垂直的結合が生まれている。この内陣は主廊全体へとスムーズに移行している。
 
 
 
== 国王戴冠式の場としての役割 ==
 
ランス大聖堂は[[496年]]、フランク王国の初代国王であった[[クロヴィス1世|クロヴィス]]が、ランスの司教だったレミギウス(聖レミ)から洗礼を受けて[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]に改宗して以来、歴代フランス国王の戴冠の秘蹟を授ける聖別式が行われるようになった<ref>{{Cite book|和書 |author = [[中島智章]] |year = 2015 |title = 世界で一番美しい天井装飾 |publisher = [[エクスナレッジ (出版社)|エクスナレッジ]] |page = 114 |isbn = 978-4-7678-2002-6}}</ref>。[[816年]]に[[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルイ1世]]が初めて戴冠式を行ってから、[[1825年]]の[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]に至るまで、25人の王が現大聖堂で聖別を受けた。大聖堂で戴冠式を行った王には、[[15世紀]][[ジャンヌ・ダルク]]に連れられて聖別を受けに来た[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]や、[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]、[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]などがいる。
 
 
 
== ギャラリー ==
 
<gallery>
 
画像:Domenico Quaglio (1787 - 1837), Die Kathedrale von Reims.jpg|18世紀に活躍したドメニコ・クアグリオによるランス大聖堂
 
画像:Rêve de couleurs 151.JPG|ナイトショー
 
画像:Reims Cathedral Jayanta.jpg|ライトアップされたランス大聖堂
 
画像:Reims Cathedral, interior (1).jpg|内部の様子(身廊)
 
画像:Ange au sourire.jpg|微笑みの天使の彫像
 
File:Cathedrale de Reims 1.jpg|内部のファサード
 
画像:Reims ND5 tango7174.jpg|北側のバラ窓
 
</gallery>
 
 
 
{{commons|Notre-Dame de Reims}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[キプロス]]東部の都市[[ファマグスタ]]にある[[ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク]]の外観は、ランスのノートルダム大聖堂に似ており、「キプロスのランス大聖堂」と言われた。
 
* [[1959年]]に[[エコール・ド・パリ]]の画家[[藤田嗣治]]は、この聖堂でキリスト教改宗の洗礼を受け、レオナール・フジタ (Léonard Foujita) と名乗った<ref>[http://allabout.co.jp/travel/travelfrance/closeup/CU20060713A/ 晩年の藤田嗣治を追い、ランスへ] - [フランス]All About</ref>。
 
* [[2008年]][[4月9日]]に放送されたテレビ番組「[[ザ・ベストハウス123]]」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])では、「世界の美しいステンドグラスベスト3」の1位として、このランスのノートルダム大聖堂のステンドグラスが選ばれている。
 
* [[2009年]][[9月]]刊行の[[深水黎一郎]]のミステリー小説『[[花窗玻璃 シャガールの黙示]]』([[講談社]])は、ランス大聖堂で起きた殺人事件の真相を、芸術探偵の異名を持つ登場人物が追いかける物語。ちなみに花窗玻璃とはステンドグラスのこと。この年の[[本格ミステリ大賞]]の最終候補作に選出されている。
 
* 「無神学大全」を記したフランスの思想家[[ジョルジュ・バタイユ]]は処女作「ランスの大聖堂」でこの大聖堂についての情熱を綴っており、青年期のカトリック、そして聖堂への傾倒の様子を見ることができる。
 
* 著書『大聖堂』でフランスの彫刻家である[[オーギュスト・ロダン]]は13世紀頃に作られた彫像の美しさを絶賛する一方で、[[19世紀]]に修復された彫像に対しては厳しい批判を浴びせている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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=== 参考文献 ===
 
*佐藤達生、木俣元一『大聖堂物語 ゴシックの建築と美術』、河出書房新社、2000年
 
*都築響一、木俣元一『フランス ゴシックを仰ぐ旅』、新潮社、2005年
 
*ジョルジュ・バタイユ著、酒井健訳『ランスの大聖堂』、加藤敬事、1998年
 
*ハンス・ヤンツェン著、前川道郎訳『ゴシックの芸術 大聖堂の形と空間』、中央公論美術出版、1999年
 
*オーギュスト・ロダン著、新庄嘉章訳『 フランスの大聖堂 創元選書 287』、東京創元社、1984年
 
<references />
 
 
 
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[[Category:フランスの世界遺産]]
 
[[Category:ランス]]
 
[[Category:カトリック教会の教会]]
 
[[Category:フランスの大聖堂]]
 
[[Category:ゴシック建築]]
 
[[Category:神の母マリアを記念する教会]]
 
[[Category:戴冠式]]
 
[[Category:キリスト教建築物の世界遺産]]
 

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