「ドイツ駐留ソ連軍」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「__NOINDEX__ {{テンプレート:20180815sk}}」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
'''ドイツ駐留ソ連軍'''(ドイツちゅうりゅうソれんぐん、[[ロシア語]]:{{lang|ru|Группа советских войск в Германии}}、[[ドイツ語]]:{{lang|de|Gruppe der Sowjetischen Streitkräfte in Deutschland}})は、[[1949年]]から[[1988年]]にかけて旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に駐留していた[[ソビエト連邦軍]]部隊である。[[1945年]]から1949年は'''ドイツ占領ソ連軍'''、1988年から[[1994年]]は'''西部軍集団'''と呼ばれていた。
+
__NOINDEX__
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
ドイツに恒久的に駐留するソ連軍は1940年代後半から[[1989年]]まで[[北大西洋条約機構]]の脅威となっていた優れた地上基地所属の軍隊であり、[[冷戦]]期の軍事バランスの主要要素であった。
 
 
 
== 歴史 ==
 
駐留軍は[[第二次世界大戦]]の終結後、第1及び第2白ロシア方面軍から編成された。これらの部隊は、[[ポツダム協定]]を保証する諸規定の遵守を任務としていた。さらに、これらはソ連の政治・軍事上の利益を代表していた。1957年にソビエト政府と東ドイツ政府はソ連軍の駐留について、合意を発表し、駐留が東ドイツの障害になっていないことを示した。1979年から1980年にかけては、人員2万名・戦車千両が東ドイツ領内から撤退している。1980年代後半には、[[ペレストロイカ]]の影響もあって、駐留兵力はより防御的な配置に再編成された。1989年からは兵力の大幅な削減が開始されている。
 
 
 
駐留軍の将兵と東ドイツ市民とが接する機会は少なかった。例外は東ドイツに対する労働力支援で、駐留軍将兵が収穫の時期に農村へ派遣されたり、自然災害・産業事故の救援へ出動することがあった。また個別のケースとしては、脱走兵が市街地に逃げ込んで[[ドイツ人民警察|東ドイツ警察]]に取り押さえられたことが挙げられる。
 
 
 
冷戦の終結とともに、ドイツ駐留ソ連軍も解体・撤退することになった。これはソビエト連邦の解体もあって、事業には困難が付きまとったが、1994年8月には撤退が完了している。部隊は陸路の[[ポーランド]]経由のほか、[[ロストック]]や[[リューゲン島]]などの海路経由でも行われた。
 
 
 
ソ連軍は、第6親衛自動車化狙撃兵旅団が1994年6月25日に[[ベルリン]]でパレードを行い、6月11日には[[ヴュンスドルフ]]([[:de:Wünsdorf|Wünsdorf]])で、8月31日にはベルリン南方のトレプトウアー公園にあるソ連軍の戦勝記念碑でセレモニーを行ったのを最後にドイツ領内から撤退した。
 
 
 
なお「東ドイツは国土の約4分の1が在独ソ連軍の基地や演習場で占められていた」、「東ドイツは約26万人([[東欧革命]]よりもかなり以前の時期の陸軍のみの兵力を指すと思われる)の在独ソ連軍に支払う[[思いやり予算]]の重圧で自然崩壊した」等の言説は、現在では西側マスコミによる[[プロパガンダ]]だったというのが通説となっている。
 
 
 
== 組織と設備 ==
 
ソビエト軍は進駐した東ドイツの276ヶ所に777個の基地を設けた。これには47ヶ所の飛行場、116ヶ所の演習場が含まれている。兵力は1991年初頭において、24個師団、兵員338,000名に達しており、その数は東ドイツの国軍である[[国家人民軍]](約15万人)より多かった。この兵力は西部軍集団として、5個軍および1個航空軍に編成されていた。士官の家族や軍関係の民間人も東ドイツに居住しており、民間人の数は9万人の子供を含めて約20万人にもなった。それらは主に[[ブランデンブルク州]]に居住していた。
 
 
 
1991年時の概算:
 
* 戦車 4,200台
 
* 装甲車両 8,200台
 
* 大砲 3,600門
 
* その他車両 106,000台
 
* 航空機 690機
 
* ヘリコプター 680機
 
* ロケット砲 180台
 
 
 
1980年代末におけるソ連軍主力編成は下記を含む:
 
 
 
* 第1親衛戦車赤旗軍、[[ドレスデン]] ({{lang|ru|1 гвардейская танковая Краснознаменная армия}})
 
* 第2親衛戦車赤旗軍、フュルステンベルク ({{lang|ru|2 гвардейская танковая Краснознаменная армия}})
 
** 第94親衛自動車化狙撃兵師団、第21及び第207親衛自動車化狙撃師団を含む
 
* 第3突撃連合赤旗軍、[[マクデブルク]] ({{lang|ru|3 общевойсковая Краснознаменная армия}})
 
** 第10、第12、第47親衛戦車師団
 
* 第8親衛連合レーニン勲章軍、ノーラ ({{lang|ru|8 гвардейская общевойсковая ордена Ленина армия}})
 
* 第20親衛連合赤旗軍、[[エーベルスヴァルデ]] ({{lang|ru|20 гвардейская общевойсковая Краснознаменная армия}})
 
* 第16赤旗航空軍、[[ヴュンスドルフ]] ({{lang|ru|16 воздушная Краснознаменная армия}})
 
* 軍集団隷下の各連隊(工兵、通信兵、砲兵、狙撃兵、他)
 
 
 
こちらの[[:en:List of Soviet Army divisions 1989-91|ソ連軍師団一覧表(英語)]]には、駐留軍の全機動部隊が記されている。
 
 
 
== 歴代総司令官 ==
 
最初の3人の総司令官は、ドイツ占領地区の[[在独ソ連軍政府|ソ連軍政部]]長官を兼ねていた。
 
 
 
{|class=wikitable
 
|+'''ドイツ駐留軍総司令官'''
 
!|||氏名||階級||在任期間||出身校||前職
 
|-
 
|1||[[ゲオルギー・ジューコフ]]||[[ソ連邦元帥]]||[[1945年]][[6月9日]] - [[1946年]][[3月21日]]||ロシア帝国軍の騎兵下士官||第1白ロシア戦線司令官
 
|-
 
|2||[[ワシーリー・ソコロフスキー]]||[[上級大将_(ソ連)|上級大将]]||[[1946年]][[3月22日]] - [[1949年]][[3月31日]]||||ドイツ占領軍総司令官第一代理
 
|-
 
|3||[[ワシーリー・チュイコフ]]||上級大将||[[1949年]][[4月1日]] - [[1953年]][[5月26日]]||軍事教官課程||ドイツ占領軍第一副総司令官
 
|-
 
|4||[[アンドレイ・グレチコ]]||上級大将||[[1953年]][[5月27日]] - [[1957年]][[11月16日]]||騎兵学校||[[キエフ軍管区]]司令官
 
|-
 
|5||[[マトヴェイ・ザハロフ]]||上級大将||[[1957年]][[11月17日]] - [[1960年]][[4月14日]]||ペトログラード砲兵指揮官課程||[[レニングラード軍管区]]司令官
 
|-
 
|6||[[イワン・ヤクボフスキー]]||大将||[[1960年]][[4月15日]] - [[1961年]][[8月9日]]||統合白ロシア軍事学校||駐独ソビエト軍集団副総司令官
 
|-
 
|7||[[イワン・コーネフ]]||ソ連邦元帥||[[1961年]][[8月9日]] - [[1962年]][[4月18日]]||軍事委員||国防省監察総監主任監察官
 
|-
 
|8||イワン・ヤクボフスキー||上級大将||[[1962年]][[4月19日]] - [[1965年]][[1月26日]]||統合白ロシア軍事学校||駐独ソビエト軍集団副総司令官
 
|-
 
|9||[[ピョートル・コシェヴォーイ]]||||[[1965年]][[1月27日]] - [[1969年]][[10月31日]]||騎兵学校||キエフ軍管区司令官
 
|-
 
|10||[[ヴィクトル・クリコフ]]||上級大将||[[1969年]][[11月1日]] - [[1972年]][[9月13日]]||グロズヌイ工兵学校||キエフ軍管区司令官
 
|-
 
|11||[[セミョーン・クルコトキン]]||大将||[[1971年]][[9月14日]] - [[1972年]][[7月19日]]||||[[ザカフカーズ軍管区]]司令官
 
|-
 
|12||[[エフゲニー・イワノフスキー]]||上級大将||[[1972年]][[7月20日]] - [[1980年]][[11月25日]]||サラトフ装甲戦車学校||モスクワ軍管区司令官
 
|-
 
|13||ミハイル・ザイツェフ||上級大将||[[1980年]][[11月26日]] - [[1985年]][[7月6日]]||||
 
|-
 
|14||ピョートル・ルーシェフ||上級大将||[[1985年]][[7月7日]] - [[1986年]][[7月11日]]||||
 
|-
 
|15||ヴァレリー・ベリコフ||上級大将||[[1986年]][[7月12日]] - [[1987年]][[11月12日]]||||
 
|-
 
|16||ボリス・スネトコフ||上級大将||[[1987年]][[11月26日]] - [[1990年]][[12月13日]]||||レニングラード軍管区司令官
 
|-
 
|17||マトヴェイ・ブルラコフ||大将||[[1990年]][[12月13日]] - [[1994年]][[8月31日]]||||
 
|}
 
 
 
== 参考==
 
*Lutz Freundt, ''Sovetskiye voyska v Germanii, 1945-1994'' (''Soviet Troops in Germany 1945-1994''), Molodaya Gvardiya Publishing House, 1994. 
 
*Scott and Scott, The Armed Forces of the USSR, Westview Press, Boulder, Colorado, 1979
 
* ''Roter Stern über Deutschland'', Ilko-Sascha Kowalczuk und Stefan Wolle, Ch. Links Verlag, Berlin, 2001, ISBN 3-86153-246-8.  This German book, ''The Red Star over Germany, Soviet troops in the GDR'', presents 49 years of the Soviet Army stationed in East Germany. The 256 pages of the book cover it all: from 49,000 who perished in prison camps of the Soviet zone, to the 18 Russian soldiers who refused to shoot unarmed Germans.
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*http://www.usmlm.org/home/soviets/GSFGOB.htm (英語)
 
*http://www.genstab.ru/gsvg.htm (ロシア語)
 
 
 
{{DEFAULTSORT:といつちゆうりゆうそれんくん}}
 
[[Category:ソビエト連邦の部隊と編成]]
 
[[Category:ドイツ民主共和国の軍事]]
 
[[Category:独ソ関係]]
 
[[Category:冷戦]]
 

2019/4/28/ (日) 23:47時点における最新版



楽天市場検索: