トルコライス

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長崎風トルコライス

トルコライスまたはトルコ風ライスは、長崎県、主に長崎市を中心としたご当地グルメ。一皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風料理

大阪市神戸市にもトルコライスが存在するが内容は各所で異なる(なお、九州では長崎県以外ではほとんど見られない)。

最も一般的なのはピラフドライカレー風も有)、ナポリタンスパゲティドミグラスソースのかかった豚カツという組み合わせである[1]。盛り付けとしてはピラフとスパゲティとサラダを皿に盛り、その上からカツカレーのごとく豚カツをのせる。

近年は長崎を紹介する旅番組でご当地グルメとして紹介されたり、料理・グルメ漫画(「駅前の歩き方」や「クッキングパパ」など)で取り上げられるなどメディアでの紹介も増え、2003年頃からはセブン-イレブンなどのコンビニエンスストアで弁当として販売されるようになっている。

「トルコ」の名を冠してはいるが、トルコに同名、同種、あるいは類似した料理は無い[1]。トルコライスは豚カツピラフスパゲティなどを一皿に盛った料理だが、トルコでは炭水化物が同じ皿に盛られる料理は通常考えられず、イスラム圏では豚を食べることはタブーである。

起源

命名も含めて発祥は不明[2]。長崎で1950年代に出現したと見られるが[2]、初めて考案したと主張する店が複数存在している[3]

トルコ起源料理説

名称に「トルコ」とあるが、トルコにはそのままで類似した料理はない。豚肉を禁忌とするイスラム教信徒が多数を占めるトルコで、豚カツを含む料理が供されることは考えにくい。また、複数の炭水化物が同じ皿に乗ることもない。これらは2013年5月にトルコを親善訪問した全日本司厨士協会長崎県本部の訪問団が、現地の料理人・シェフ連盟から指摘されている[4]。豚カツの代用として他の肉や魚介などでもいいと提案したものの、同様に難色を示されている。ただしピラフはそもそもピラウというトルコ料理であり、ピラフのことをトルコ風ライスと呼び、豚カツとスパゲティは単なる付け合わせであるという説がある。一方でトルコ料理のケバブでは皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。

トルコ架け橋説

サフラン(ピラフ)がインドを、スパゲッティがイタリアを指し、そこに豚カツが加わって架け橋になるという解釈から両地域の中間に位置するトルコの名称を冠したというものである。また、「炒飯が中国、スパゲティがイタリアを表す」という説もある[5]

ただし、発祥の時期とされる1960年頃はサフランライスは一般的でなく、長崎発祥とするならサフランライスは否定される。

トリコロール説

カツ・ピラフ・ナポリタンの3種類を、3色のトリコロールカラーに重ね合わせたという説[6]。トリコロールが転じて「トルコ」になったとする。

「トルコ風呂」由来説

1958年(昭和33年)、長崎市で「レストラン元船」を経営していた松原三代治が、彩り良い着物の女性の後ろ姿を見ていて、新しい料理のアイデアや盛り付け方法を思い付いた。ちょうどその頃、(売春防止法制定で赤線が廃止され)トルコ風呂が人気を呼んでいた。それにあやかり、「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で、彼がトルコライスと命名したという[7]

土耳古めし説

明治時代に、すでに「土耳古飯(とるこめし)」という名の料理が知られていた。福澤諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナー「何にしようね」(明治26年10月21日号)によれば、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである。また、小説「食道楽」(村井弦斎)にも「土耳古飯」への言及がある。これに豚カツとスパゲッティが追加されて現在のトルコライスになった[8]

外国風説

クラシック音楽ではオスマン帝国風の楽曲を「トルコ風」と呼ぶことがあるが、実際にはオスマン帝国に限らず単に外国風というだけで「トルコ風」と称することもある。そこからアイデアを得て、洋食(外国風)だからという理由でトルコライスと命名したという説もある。

メディア

1954年公開の映画「山の音」の一場面で東京近辺でロケをしたと思われる街頭の店先にメニューとしてカレーやチキンライス、ハヤシライスとともにトルコライスを表記した飲食店がチラリと写っている。またこの事から上述されている1958年発祥の「トルコ風呂」由来説は誤りとなる。

長崎風トルコライス

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長崎風トルコライス。カツにデミグラスソースが掛かったもの

豚カツ・チャーハン(もしくはカレーピラフ)・スパゲッティ・サラダを一つの皿に載せた料理のメニュー。長崎の洋食屋で一般的に見られるが本来は(カレー)ピラフとナポリタンスパゲティの上にトンカツを乗せたもの。カレーをかけたものもある。

長崎県以外では県境が隣接する佐賀県の一部地域(とくに県境よりである西部地方)でまれにメニューに加える飲食店も見受けられるがそれ以外の地域ではほとんどないローカルメニューである。

長崎市ではエルトゥールル号遭難事件の起きた9月16日2010年に「トルコライスの日」として制定したが[4]、駐日トルコ大使館の質問を受けて2013年に廃止した[9][10]

大阪風トルコライス

ベースはチキンライスでこの上にオムライス同様の薄い卵焼きを敷き、さらにこの上に豚カツを載せてドミグラスソースをかけた料理である。卵焼きをのぞくと、北海道根室市の地方料理である赤エスカロップに酷似している。ネーミングの起源はこちらも不明。大阪の洋食屋に多いとされる。大阪でのトルコライス発祥の店は、大阪市旭区にあるイスタンブールという店である。

神奈川県川崎市のトルコライスは大阪風に近い。チキンライスに刻んだ豚カツを混ぜてあったり、チキンライスの下にドミグラスソースのかかった豚カツが隠されていたりする。

神戸風トルコライス

ケチャップを使わない味付けの炒め御飯の上にカレーをかけ、生卵をトッピングした料理である。

神戸の学生街の喫茶レストランで「学生達に栄養とボリュームのあるものを」ということで考案されたという説と、昭和30年代に神戸の米軍将校クラブにて出されていたメニューであったという説がある。ネーミングの起源はやはり不明。神戸風とはいうものの、現在は神戸市内でもほとんど目にすることはない。

長崎のトルコライスの発祥に関わる説の一つとして、神戸起源説がある。

長崎の喫茶レストラン「メーソン仔馬」(既に閉店)のオーナー・北原路子が神戸を訪れた際、米軍将校クラブで出されていたトルコライスを知り、長崎に戻ってから神戸風をアレンジしたのが長崎風のトルコライスであるというものである。

脚注

  1. 1.0 1.1 『九州宝御膳物語 おいしい郷土料理大事典』 西日本新聞社、豊田謙二監修、2006年11月。ISBN 4-8167-0706-9。
  2. 2.0 2.1 「トルコライスの日」消え 「事故の9・16」在日大使館が難色” (日本語). 西日本新聞. . 2013年9月16日閲覧.
  3. 起源に関しては、民族学者で食文化に詳しい周達生の『あれも食べた これも食べた 雑食の雑学』中央公論社、2003年、ISBN 978-4120034510、p.31-34を参照のこと。元祖を名乗る各地のレストラン、食堂についてもイニシャルで紹介している。
  4. 4.0 4.1 長崎新聞:母国はトルコライスに難色 (7月8日)
  5. 大好きなあのメニューが一皿に トルコライス
  6. 長崎のソウルフード トルコライスを食べよう! 長崎市ホームページ 2013年3月22日
  7. 「第18章 オムライスvsハヤシライス 洋食のチャンピオン」『にっぽん「食謎」紀行 名物食のルーツを探せ!』 伊丹由宇、ワニブックス、2010-04-25、初版、237-238。ISBN 978-4-8470-6015-1。
  8. @nifty:デイリーポータルZ:福澤諭吉のトルコライス?
  9. トルコライスの名称の改名について - 長崎市へのご提案・ご意見等の紹介、長崎市、2013年9月9日閲覧
  10. “トルコライスの日 見直し”. 長崎新聞. (2013年7月20日). http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093521011036.shtml . 2013閲覧. 

関連項目