デッツォーラ島根

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デッツォーラ島根
原語表記 デッツォーラ島根エスポルチクルービ
呼称 デッツォーラ島根EC
愛称 デッツォーラ
クラブカラー     
    
     ゴールド
創設年 2001年
所属リーグ 中国サッカーリーグ
クラブライセンス (未承認)
ホームタウン 島根県浜田市
ホームスタジアム 250px島根県立サッカー場
サンビレッジ浜田
三隅中央公園陸上競技場
収容人数 6,000(島根県サ)
2,000(SV浜田)
200(三隅中央)
運営法人 一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワーク
代表者 日本の旗 常名秀則
公式サイト 公式サイト
テンプレート
一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワーク
国籍 日本の旗 日本
格付 一般社団法人
専門分野 教育系 (スポーツ)
設立日 2012年
代表者 岡本佳大
活動地域 広島県、島根県
主な事業 サッカークラブの運営
地域スポーツの普及振興
郵便番号 697-0023
事務所 広島県広島市佐伯区利松1丁目10-38メゾン・ド・アマリリオⅡ
外部リンク http://cwsn.jp/
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デッツォーラ島根EC(デッツォーラしまねイーシー、ポルトガル語: Dezzolla Shimane Esporte Clube、デッツォーラ島根エスポルチクルービ)は、島根県浜田市を本拠地とするサッカー中心のスポーツクラブである。サッカーのトップチームは中国サッカーリーグに所属している。旧称、FCセントラル中国

概要

2001年4月にFCセントラル中国を創設。チームは島根県で登録をしているが、元々は広島県にあったため、事務局の所在地、練習場は広島県山県郡北広島町と、ホームタウンと異なっていた。2012年から事務局が島根県浜田市に移転したことが明らかになった(後述)。2008年よりチーム名をデッツォーラ島根へ改称し、浜田市及び周辺地域をホームとする立場から、島根県全県ホームへという立場へとシフトした。

名称の由来は、ポルトガル語で「神様」を意味する「Deus (デウス)」と「やあ、ようこそ」を意味する「Ola (オラ)」とを組み合わせた造語から。これに「スポーツクラブ」を意味する「Esporte Clube (エスポルチクルービ)」をつけている[1]。エンブレムにはヤマタノオロチがあしらわれている[1]

ホームスタジアムは、FCセントラル中国時代では浜田市にある浜田市陸上競技場サンビレッジ浜田[注 1] を主に使用していたが、チーム名をデッツォーラ島根に改称して全県ホームを強調したことに伴い、2008年シーズンからは浜田市陸上競技場に加え、松江市営陸上競技場松江市[注 2]、サンビレッジ浜田・三隅中央公園陸上競技場(浜田市)、浜山公園陸上競技場出雲健康公園スポーツ広場(出雲市)、島根県立サッカー場益田市)・島根県立サッカー場、真田グラウンド(吉賀町)などを使用しているが、後述のように2018年3月にオープンした公式サイトでの表記に従えば、現状でのホームタウンは浜田市のみと思われる。またこれら事情により、2018年については浜田市・益田市という島根県西部地域のみでの開催となっている(同じく県西部にある吉賀町は開催地に含まれない)。

2004年に石見FCを破って天皇杯決勝トーナメントに初出場して以来、同じく浜田市を地盤とする浜田FCコスモスが出場した2009年を除いて2011年までは毎年のように出場していたが、2012年には出場権を逃した(後述)。

2011年シーズンの中国サッカーリーグにて島根県勢として初めて優勝し、2007年以来4年ぶり2度目の全国地域リーグ決勝大会への出場権を獲得したが、1次ラウンドで敗退しJFLへの昇格は出来なかった。

2012年から運営形態が変わり、運営法人として社団法人が設立される予定であると、クラブの公式サイト上で発表され、その後、クラブ事務所が島根県内(浜田市)に移転したことが明らかになった。法人名は一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワークという。また、2012年3月から公式Twitterアカウントの、同8月から公式Facebookページの運営を開始した(外部リンクの項参照)。

2012年シーズンも中国サッカーリーグを連覇した。しかし、前年に続いて出場した全国地域リーグ決勝大会では前年同様に1次ラウンドにて敗退し、また天皇杯島根県代表の座についても松江シティFCの前に惜敗したため、逃している。

2013年シーズンに向けては、2012年までサウルコス福井で監督を務めていた石田学を、新監督として招聘した[注 3][2] が、シーズン終了後に辞任している。

2014年はシーズン途中にアランが加入するなどしたが、最終的にリーグ優勝を逃し、2015年も2試合を残し、松江シティFCに優勝をさらわれている。また、2015年は天皇杯の出場権も、決勝戦で松江シティFCに敗れたことにより逃している。

2014年以降、(旧)公式サイトの更新が徐々に停滞するようになった[注 4] 代わりに、情報発信の拠点をFacebookページに移していたが、2018年3月に新たな公式サイトが開設された。

歴史

  • 2001年FCセントラル中国創設。浜田社会人リーグ2部でデビュー。創設1年目でいきなり優勝を果たす。
  • 2002年、浜田社会人リーグ1部優勝。
  • 2003年島根県社会人サッカーリーグ2部優勝。
  • 2004年、島根県社会人リーグ1部残留。同年に行われた天皇杯島根県予選で7年連続(1997-2003)で島根県代表だった石見FCを決勝で破り、初の天皇杯出場を果たすと3回戦まで進出する[注 5]
  • 2005年、島根県社会人リーグ1部優勝。2年連続の天皇杯出場を果たす。さらに中国地域県リーグ決勝大会で優勝し、2006年の中国サッカーリーグ昇格が決まる。
  • 2007年、4年連続天皇杯出場を決める。中国リーグでは2位となり、初の全国地域リーグ決勝大会の出場権を得るも1次ラウンド敗退。
  • 2008年、チーム名をデッツォーラ島根エスポルチクルービへ改称。
  • 2011年、島根県勢では初となる中国リーグ優勝を果たし、4年ぶりに全国地域リーグ決勝大会出場権を獲得したが、1次ラウンドで敗退。同年の天皇杯ではジェフ千葉と対戦して0-1で惜敗した[3]
  • 2012年、クラブ事務局を島根県浜田市に移転。運営法人として一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワークが設立された。天皇杯の出場権は松江シティFCに敗れたため逃すが、中国リーグでは連覇を達成した。しかし、全国地域リーグ決勝大会では前年同様に1次ラウンド敗退。
  • 2013年、前サウルコス福井監督の石田学が監督に就任したが、同年のリーグ戦終了後に辞任。
  • 2014年、チームの選手が相当数減少するなど、厳しい船出になったが、シーズン途中で加入したアランらの活躍で盛り返し、シーズン2位で終了。このシーズン以降、監督は庄司孝が務めている。
  • 2015年2012年以来、天皇杯の出場権を松江シティFCに敗れたために獲得できず。リーグ戦でも無敗の松江シティFCに追いすがるも、2試合を残して優勝を逃している[注 6]
  • 2016年2009年と並ぶシーズン6位の成績で終える。
  • 2017年、天皇杯への出場権は、松江シティFCに敗れたために逃す。また、全国社会人サッカー選手権大会の出場権も予選2回戦に於いて環太平洋大学FCに敗れたことにより確保できなかった。

クラブ名変遷

  • FCセントラル中国 : 2001年 - 2007年
  • デッツォーラ島根エスポルチクルービ : 2008年 - 現在

チーム成績・歴代監督

リーグ戦

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 得失 監督
2001 浜田2部 優勝
2002 浜田1部 優勝
2003 島根県2部 優勝
2004 島根県1部
2005 優勝 30 10 10 0 0 75 4 71 若三康弘
2006 中国 2位 34 14 11 0 3 50 16 34
2007 2位 30 14 10 0 4 42 26 16
2008 5位 26 16 8 2 6 26 26 0
2009 6位 20 18 6 2 10 23 37 -14
2010 2位 40 18 13 1 4 60 31 29 若三康弘
2011 優勝 48 18 16 0 2 60 19 41 若三康弘[注 3]/庄司孝[注 7]/加藤賢士
2012 優勝 45 18 14 3 1 61 16 45 [注 3]
2013 2位 43 18 14 1 3 64 6 58 石田学
2014 2位 34 18 10 4 4 46 31 15 庄司孝[注 7]
2015 2位 41 18 13 2 3 42 18 24
2016 6位 23 18 7 2 9 28 33 -5
2017 4位 26 18 7 5 6 40 31 9
2018 18

天皇杯

  • 出場9回(2017年現在)
年月日 ラウンド 会場 スコア 対戦相手
84 2004年9月23日 2回戦 松江 (home) ○ 1 - 1
(PK 5-4)
静岡FC(静岡県)
2004年9月26日 3回戦 都田 (away) ● 0 - 8 Honda FC(JFLシード)
85 2005年9月17日 1回戦 松江 (home) ○ 3 - 1 JAPANサッカーカレッジ(新潟県)
2005年9月19日 2回戦 松江 (home) ● 0 - 5 佐川印刷SC(京都府)
86 2006年9月17日 1回戦 松江 (home) ○ 3 - 0 愛媛FCユース(愛媛県)
2006年9月23日 2回戦 福山 (neutral) ● 0 - 2 三菱水島FC(岡山県)
87 2007年9月16日 1回戦 島根サ (home) ● 2 - 5 近大附属和歌山高校(和歌山県)
88 2008年9月14日 1回戦 長崎県 (away) ● 0 - 3 三菱重工長崎(長崎県)
90 2010年9月3日 1回戦 福山 (away) ○ 3 - 2 佐川急便中国(広島県)
2010年9月5日 2回戦 福山 (away) ● 0 - 4 サンフレッチェ広島F.C(J1)
91 2011年9月3日 1回戦 島根サ (home) ○ 5 - 2
(延長)
愛媛FCしまなみ(愛媛県)
2011年10月10日 2回戦 フクアリ (away) ● 0 - 1 ジェフユナイテッド千葉(J2)
93 2013年8月31日 1回戦 沖縄県 (away) ● 1 - 2
(延長)
FC琉球(沖縄県)
94 2014年7月6日 1回戦 松江 (home) ● 0 - 5 ヴェルスパ大分(大分県)

所属選手・スタッフ

2018年

スタッフ

役職 氏名 前職 備考
GM 日本の旗 常名秀則 千葉県トレセンU-12 スタッフ GM兼総監督
総監督
監督 日本の旗 庄司孝 日本の旗 サン宮崎FC 選手 選手兼監督
コーチ 日本の旗 隅田航 日本の旗 V・ファーレン長崎 選手 選手兼コーチ

選手

Pos No. 選手名 前所属 備考
GK 1 日本の旗 三善真司 日本の旗 高知ユナイテッドSC
31 日本の旗 内藤禎之 日本の旗 南葛SC
DF 2 日本の旗 菅谷将史 ポーランドの旗 MKPシュチェチネク
4 日本の旗 丸野健太 日本の旗 FC KAGOSHIMA
8 日本の旗 矢澤忠晃 シンガポールの旗 アルビレックス新潟シンガポール
19 日本の旗 佐藤啓太 日本の旗 サウルコス福井
MF 5 日本の旗 瀬美井俊充 日本の旗 レイジェンド滋賀FC
11 日本の旗 安藤和輝 日本の旗 市川SC
21 日本の旗 宮尾佑介 広島国際大学
40 日本の旗 庄司孝 日本の旗 サン宮崎FC 選手兼監督
FW 6 日本の旗 藤村遼太郎 日本の旗 テゲバジャーロ宮崎 新加入、期限付き移籍
10 日本の旗 隅田航 日本の旗 V・ファーレン長崎 選手兼コーチ
20 日本の旗 山村天侍 東海大付静岡翔洋高校
22 日本の旗 齋藤耕太 聖和学園高校
23 日本の旗 児玉風河 日本の旗 エクサス市原SC
26 日本の旗 河田陵 千葉SC U-18 新加入

歴代所属選手


ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×黒
FP(2nd) 白×グレー 白×グレー
GK(1st) 水色 水色 水色
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー

クラブカラーは     赤、     黒、     ゴールド。

フィールドプレーヤー用の1stユニフォームの配色はこの深い赤地に背番号が縁取り無しの黒文字のため、少々背番号が視認しづらかったが、2012年シーズンは背番号の文字が白くなったため、視認性が格段に向上した。以後の年度においても背番号が見やすいように配慮がなされている。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
有限会社ダブルトライズ・ジャパン W-TRY'S JAPAN 2017年6月 -
背中上部 Eldoradoサッカースクール Eldorado 2017年6月 -
背中下部 なし - -
なし - -
パンツ なし - -

サプライヤー

  • - 2011年 Mizuno
  • 2012年 - 2013年途中 PENALTY
  • 2013年途中 - 2017年途中 UPSET
  • 2017年途中 - PENALTY

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2011 マルハマしょうゆ - SHIGEKI ARATANI
TAX CONSULTANT OFFICE
- 大林製材 Mizuno
2012 PENALTY
2013
2014 -/GEEBAASON! 大林製材/- PENALTY/UPSET
2015 GEEBAASON! - UPSET
2016
2017 GEEBAASON!/W-TRY'S JAPAN SHIGEKI ARATANI
TAX CONSULTANT OFFICE/
Eldorado
UPSET/PENALTY

脚注

注釈
  1. サンビレッジ浜田は2012年から人工芝グラウンドが設置され、再度ホームスタジアムとして利用されることになった。
  2. このうち松江市営陸上競技場については、2010年にヴォラドール松江(現・松江シティFC)が中国リーグに昇格してきたこともあり、同年以降このチームのホームスタジアムとしては使用された実績がない。
  3. 3.0 3.1 3.2 2012年7月時点ではチーム公式サイト上に監督名の表記はなかった。以前は代表者でもあった若三康弘が監督も務めていたが、当時の若三は「総監督」という立場であった。また、若三は2011年5月29日に行われた試合(対レノファ山口戦)において行った審判および副審に対する暴言・脅迫行為が原因で、同日から12ヶ月間の公式試合出場停止の裁定を受けているため、2012年途中までベンチ入りできないという事情もあった[4]。若三はその処分完了後も監督としてはベンチ入りしておらず、2011年中からは庄司孝を監督とするような表記が各大会パンフレット等に見られ、2012年8月26日に行われた第17回島根県サッカー選手権(兼第92回天皇杯島根県予選)決勝戦の中継に於いても、庄司が選手兼監督として紹介され、インタビューも受けている。一方で、コーチ兼選手の加藤賢士を監督とする文献もあり、明確な立場の監督は置かれていなかったことが窺える。なおその後、2013年の石田学を経て、2014年からは庄司が選手兼任のまま監督となり、若三の立場は再び「総監督」となっており、ベンチで指揮を執ることもあった。しかし、2015年7月26日三菱自動車水島FC戦で、再び前述のレノファ山口戦と同様の行為を起こしたため、今度は無期限の公式戦出場停止処分となり、その後の試合では再びベンチ入りできなくなっている。なお、若三は2017年を最後に代表の座から退いている。
  4. 2018年3月現在、(旧)公式サイトは諸事情により更新を停止している。
  5. 但し、組み合わせの関係で2回戦から登場している。
  6. 最終的には2位。但し、最終節では松江シティFCにリーグ戦に於いての初黒星を喫した。
  7. 7.0 7.1 7.2 第91回天皇杯パンフレットの同チームを紹介したページによると、監督としても紹介されているが、標記大会の為だけなのかどうかは不明。なお、同大会2回戦で実際に指揮を執ったのは加藤賢士選手兼コーチ。2012年は庄司が正式に選手兼監督となっている模様だが、一部文献では加藤を監督として記載したものもある。なお、2014年以降は庄司が正式に選手兼任で監督となっている。
  8. 本人の項にも詳しいが、籍こそあるものの指導者としての活動が多忙を極めるため、選手としての出場機会は限定され、近年では、2011年に天皇杯2回戦に、翌2012年に天皇杯島根県予選決勝戦、2015年最終節などに出場している。
出典
  1. 1.0 1.1 クラブ紹介”. デッツォーラ島根EC. . 2018閲覧.
  2. 2013年度新監督就任のお知らせ クラブ公式サイト。2012年12月20日(現在はリンク切れにて閲覧不可)
  3. 天皇杯 デッツォーラ島根善戦 島根0-1千葉 山陰中央新報 2011年10月12日
  4. 2011年度第4回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 2011.08.03

外部リンク

テンプレート:デッツォーラ島根のメンバー テンプレート:中国サッカーリーグ