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{{Infobox プロレスラー
 
| 名前 = ダンプ松本<br>Dump Matsumoto
 
| 画像 = Dump Matsumoto.JPG
 
| 画像サイズ =
 
| 画像説明 =
 
| リングネーム = ダンプ松本
 
| 本名 = 松本 香
 
| ニックネーム = 極悪女王
 
| 身長 = 163cm
 
| 体重 = 91kg
 
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1960|11|11}}
 
| 出身地 = [[埼玉県]][[熊谷市]]
 
| 所属 = [[えりオフィス]]
 
| スポーツ歴 =
 
| トレーナー =
 
| デビュー = 1980年
 
}}
 
'''ダンプ松本'''(ダンプまつもと、[[1960年]][[11月11日]] - )は、[[日本]]の女子[[プロレスラー]]。[[タレント]]、[[女優]]。本名・'''松本 香'''(まつもと かおる)。
 
 
 
身長163cm、体重91kg、血液型B型。[[埼玉県]][[熊谷市]]出身。[[えりオフィス]]所属。
 
 
 
「D・松本」と表記されることもある。
 
 
 
== 人物 ==
 
[[大宮開成中学校・高等学校|大宮開成高校]]卒業。
 
 
 
幼いころから父親の金銭問題・[[ドメスティック・バイオレンス|DV]]・女性問題等で苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、[[ビューティーペア]]に憧れて女子プロレスラーになることを志す。
 
 
 
[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]で本名の松本香でプロデビュー。[[1984年]]にリングネームを'''ダンプ松本'''と変更すると、[[クレーン・ユウ]]と共に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団『'''[[極悪同盟]]'''』を結成。のちに加わり一番弟子となる[[ブル中野]]らとヒールの[[タッグチーム]]を組み、人気沸騰中だった正規軍「[[クラッシュギャルズ]]」([[ライオネス飛鳥]]と[[長与千種]]が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切り[[デスマッチ]]を行った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた『[[全日本女子プロレス中継]]』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの[[松永高司]]会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある<ref> 雑誌『[[Sports Graphic Number]]』のミニインタビューにて。</ref>。ダンプは松永会長からは生前には大変に可愛がってもらったとインタビューなどで語っている。
 
 
 
得意技は[[ラリアット]]。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。
 
 
 
悪役レスラー当時、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを受けたことが何度もあり、母親に怖い思いをさせてしまったために一時は悪役レスラーを辞めようかとも考えたが、その当時はまだ給料も少なくとても貧しかったので、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、デビューから5年後には、地元に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。
 
 
 
母親は、リングでの凶行が演技だと知っていても、自分の娘が人様の娘をいたぶる姿に抵抗を感じており、試合会場へ観戦に訪れていた時には、毎回ケガをさせた対戦相手の元に謝罪に訪れていたといい、ダンプは母親に「試合中のケガの事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね」とよく話していたという<ref>[[スポーツニッポン]]のコラム「母」でダンプ自身が著述。他にテレビ番組でのトークや週刊FLASHの取材でも事実と認めている。</ref><ref>[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120430-00000303-jisin-ent ダンプ松本 Wikipedia「怪我をさせた対戦相手に母が謝罪」真相を本人直撃-光文社・週刊FLASH 2012年5月8日・15日合併号]{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。
 
 
 
リング上でダンプがよく手にしていた凶器は当初は金属チェーンや鞭だったが、振り回した時に自分に当たりそれがとても痛かったことや、場外乱闘中にフジテレビ 「全日本女子プロレス中継」 の常連ゲストの一人だった[[松岡きっこ]]に誤って当てて指を負傷させてしまってからは現在まで愛用の凶器となっている竹刀に変更した。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合にゲストで招かれたタレントを威嚇して絡むのが定番だった。しかしゲストの一人だった[[ガッツ石松]]がそれに対して本気で怒り、殴りかからんばかりに向かってきた時には内心怖くて逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったので平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室に引き上げる際、テレビ[[カメラマン]]を竹刀で頻繁に攻撃するのも定番であった(当時極悪同盟側についていたレフェリーの[[阿部四郎]]も、松本に便乗して同じ様にテレビカメラマンを蹴ったり物をぶつける等をして攻撃していた事もあった)。
 
 
 
凶器を多用した試合内容の反面、危険度の高い技の使用を控えている。流血した際は[[麻酔]]なしで縫合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた<ref name="daily20151220">[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/20/0008662170.shtml ダンプ松本 1試合3万5千円だった]デイリースポーツ 2015年12月20日</ref>。プライベイトで仲が良く、飲み仲間でもあった[[プラム麻里子]]の試合中の死亡事故の際には、マスコミに対して「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらにコメントした。
 
 
 
試合中の奇抜なメイクは、ダンプの素顔が童顔で笑うとえくぼが出てしまい、ヒールレスラーでありながら可愛く見えてしまうことを避けるために[[ハードロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[キッス|KISS]]」のフェイスメイクを参考にした。コスチューム代は自己負担だった<ref name="daily20151220" />。
 
 
 
ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円で、月収は100万〜200万円であった。ヒールキャラが大衆受けし[[バラエティ番組]]に多く出演するようになると、月収500万円の時もあったという<ref name="daily20151220" />。
 
 
 
リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格で後輩達の悩み事や相談などを親身になって聞いてアドバイスしたり、引率して飲食に連れて行く等と親分肌で面倒見がとてもよかったために極悪メンバー以外に多数のベビーフェイスの後輩から今でも慕われている。またレスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人などとも幅広い交際範囲を持っている。
 
 
 
ダンプの人柄を示すエピソードとして、[[1987年]]春にブル中野や[[小松美加]]、[[コンドル斉藤]]、[[北斗晶]]が年長の[[先輩]]からの理不尽ないじめやシゴキに対する不満を抑えきれず地方興行中に集団脱走して翌日全女の寮へ戻り、先輩たちに見つからないように隠れていたところをダンプに見つかってしまい、叱られると思い言葉を失っていたところ、ダンプは「おかえり。心配しなくても大丈夫だからね」と優しく声をかけ、みんなで思わず抱き合って泣いてしまったという逸話がある。ダンプ自身もデビュー前や新人時代には先輩・同期・フロントの各方面から理不尽なシゴキ・いじめに耐えていたことを明らかにしており、後輩には自分がされてきたような理不尽なシゴキ・いじめなどは絶対にしなかったという。
 
 
 
ただし、同じヒール軍団の一員であった新人時代の[[アジャ・コング]]はダンプに余り可愛がられず(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周囲に知られており、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)、ヒール役に対してやる気がなかったアジャは、ダンプのセコンドに付いていた新人時代に試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたりしたこともあった。2011年のり、インタビューにてアジャは「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」と語った<ref>[[柳澤健]]『1993年の女子プロレス』(2011年 [[双葉社]] ISBN 9784575303261 P68)</ref>。ブル中野もアジャとの対談で、アジャと距離を縮めたいためにダンプからわざとからかわれたり弄られていた事を証言しているが、その際アジャ自身は、自分がベビーフェイス志望で、極悪同盟はイヤイヤやっていたのが普段の態度から完全にバレていた事に理由があるとしており、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している。アジャも大ベテランとなった2016年に受けたインタビューでは「自分はダンプさんも極悪同盟も嫌いだったため露骨に嫌な態度を取り続けていて嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。[[1988年]]にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプをリスペクトする発言を述べた。
 
 
 
ダンプと抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの二人はダンプと同期であり、長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあり、飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったためにデビュー前から現在まで実際には仲が良いが、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールが公の場で話をしたり仲良くすることは厳禁であったため、クラッシュギャルズファンに仲の良い場面を決して見られないようプライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までは自分からクラッシュの2人とはあえて口を利かなかったと語っている。また全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、本心ではファンに応援される事がとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る時も「暇じゃねぇんだよ!」などとあえてきつい言い方をして断っていたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来優しい性格で、ファンから声を掛けられると手を振って反応するなどしてしまうためにダンプは「ヒールなんだからそういうのはダメ」と注意していたという。現在は極悪支部というファングループも全国各地にあり、1980年代当時とは違ってファンサービスも喜んで応じますとインタビューで語っている。
 
 
 
== 所属 ==
 
* [[全日本女子プロレス]](1980年 - 1988年)
 
* フリー(2003年 - )
 
 
 
== 経歴 ==
 
[[File:Beginning2830.jpg|thumb|素顔のダンプ松本]]
 
[[1980年]] - 前年の[[全日本女子プロレス]]新人オーディションに合格していたが、プロテストに通らず、一時は全女の営業車の[[運転手]]をしていた。トレーニングは過酷で、先輩の指示で道場に飾ってあった[[亀]]の甲羅を背負って這いずり回わったり、地方巡業中に移動バスの座席へ座ることも許されず長時間立ちっぱなしだったり、サービスエリアなどの休憩中にわざと置いて行かれてバスを走って追いかけるなど多くの壮絶なしごきを受けたこともあったという<ref name="daily20151220" />。その後、[[8月8日]][[田園コロシアム]]大会に於いてvs新国純子戦でようやくプロデビュー。デビュー前から元々体格が良かったために、『太っていたからベビーフェイスよりもヒールが自分には似合っているし、ヒールでやるならベビーフェイスのファンからとことん嫌われるようなヒールのトップになりたい。』と本人は当時から思っていたそうで、そういった意向を会社に伝えてすぐにヒール軍団入りする。本人はファン時代、[[ビューティ・ペア]]の[[ジャッキー佐藤]]の追っかけをしていた熱狂的な信者だった。ジャッキーが闘病中には頻繁に見舞いに訪れていたそうで、ジャッキー佐藤逝去後には『ダンプは泣き虫で、すぐに大泣きしてうるさいから私の見舞いに来るな!!とよく冗談ながらにジャッキーさんに言われました』と涙ながらにインタビューで話す姿が[[ワイドショー番組]]などで放映された。
 
 
 
[[1983年]] - [[デビル雅美]]率いるヒール軍『ブラック・デビル』の一員として(他のメンバーはデビル雅美、[[タランチェラ]]、[[クレーン・ユウ|マスクド・ユウ]]、[[山崎五紀]]など)、数年間全く芽の出ない、前座のヒールの地位に甘んじていたが、1月、地元の[[熊谷市]]民体育館で[[ライオネス飛鳥]]の持つ全日本選手権に挑戦。飛鳥の負傷箇所であるヒザを徹底的にいじめ抜き、TKO勝ち。ベルトを強奪する。その後[[立野記代]]、山崎五紀を相手に2度の王座防衛に成功するが、6月、大宮スケートセンター大会でリターン・マッチに臨んだライオネス飛鳥にベルトを奪い返される。暮れのフジテレビ杯争奪タッグトーナメントでは、新人の[[小倉由美]]と組んで出場。1回戦で敗退。
 
 
 
[[1984年]] - タランチェラの引退、デビル雅美・山崎五紀のヒールからの離脱を機にデビル軍団とたもとを分かち、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)と[[極悪同盟]]を結成。その直前に本名の松本香から、ダンプ松本へと改名し、髪を金に染め上げ、顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立。前年から人気・実力が急上昇していた[[クラッシュギャルズ]]の対抗馬として名乗りを上げる。レフェリーの[[阿部四郎]]と結託し、反則攻撃の「黙認」やクラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなどの、ひいきレフェリングのもとに凶器攻撃を多用する徹底的なヒールファイトを展開し、クラッシュファンの少女たちから、憎悪を一身に浴びる存在に。両チームのわかりやすい戦いの図式が熱狂を呼び、[[女子プロレス]]は全国的なブームへと発展していく。極悪同盟のメンバーは、[[ブル中野]]・[[コンドル斉藤]]・[[ドリル仲前]]・[[影かほる]]など。
 
 
 
[[1986年]] - WWF(現[[WWE]])に短期間の参戦。現地でもブル中野とタッグを組み3月8日にボストンの[[ボストン・ガーデン]]で[[ベルベット・マッキンタイヤー]]&[[ドーン・マリー・ジョンストン|ドーン・マリー]]組と、同月16日にはニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でマッキンタイヤー&リンダ・ゴンザレス組と対戦している。[[ビクターエンタテインメント]]からミニアルバム『極悪』を発表して歌手デビューし、芸能人水泳大会に長与千種と出演したり、[[月刊明星]]では読者のお悩み相談コーナーもレギュラー担当するなど本業のプロレスと並行して芸能活動をしていた。
 
 
 
[[1988年]] - 2月22日に[[大田区体育館]]で「ダンプ大森引退特別試合」を開催。最初は親友の[[大森ゆかり]]と組んで、クラッシュギャルズを相手に対戦したが、4人全員が場外で流血した上、ダンプが味方の大森に凶器攻撃を見舞うなど収拾がつかなくなり決着つかず。しかし、ダンプのマイクアピールに他の3人が呼応し、パートナーを交換してダンプ&長与組と大森&飛鳥組による5分間のエキシビションマッチが組まれた。そして、2月28日に地元・熊谷市体育館でダンプの両親、妹に見守られながら一番弟子のブル、コンドルを相手に変則ラストマッチを行ってプロレスを引退した。引退試合の後には、「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までチーちゃん(長与)や智ちゃん(飛鳥)のことをいじめてすいませんでした」と号泣ながら謝罪して、最後のマイクパフォーマンスを行った。引退後はダンプの元気で明るくユニークなキャラクターを生かして本格的にタレント、女優として芸能活動を始めた。大森ゆかりと、[[桃色豚隊]](ピンクトントン)というユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」を発売。後年のインタビューで引退理由は「私はその当時、他の選手のような会社から露骨な肩たたきとかはまだされていなかったけど、私の全盛期に引退すれば興行収入などの売り上げがガクンと落ちると思ったから少し全女を困らせてやりたかったんで引退を決意した」と語っている。彼女の思惑通り、ダンプ引退後は一気に観客動員数が激減したとアジャ・コングなども語っている。
 
 
 
[[1998年]] - 全日本女子OG興行(「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」 1998年8月14日 川崎市体育館)におけるエキシビションマッチで、一日限りの限定復帰。一緒に発起人で参加した大森ゆかりや[[ジャンボ堀]]とは全女時代から現在まで仲良しの親友である。
 
 
 
[[2003年]] - 本物のヒールを復活させるためとして、[[新日本プロレス]]の「[[プロレス結社魔界倶楽部|魔界倶楽部]]」に共鳴するかたちで「極悪倶楽部」を結成。[[JDスター女子プロレス|吉本女子プロレスJd']]でマネージャーとして現場復帰。[[横浜アリーナ]]における全日本女子35周年記念興行での限定復帰の直後に、低迷した女子プロレス人気を自分が復帰して少しでも盛り上げられればと思い、古巣である全日本女子の松永高司会長にサーキット参戦を直訴し、[[藤井巳幸|サソリ]]と「極悪同盟」を再結成して全日本女子のサーキットに参戦。一時期プロレスに専念するため、芸能活動を休止した。
 
 
 
[[2004年]] - [[シャーク土屋]]の呼びかけに応えて[[GAEA JAPAN]]に出現し、タッグ戦にてクラッシュ2000(元・クラッシュギャルズ)と対戦。
 
 
 
[[2006年]] - 初の自主興行「極悪血祭り」を[[新宿FACE]]で開催。毎回好評で、現在まで不定期に開催されている。
 
 
 
[[2015年]] - 5月23日大田区総合体育館で[[大仁田厚]]&長与千種を相手に[[TARU]]をパートナーに迎えて史上初の男女混合電流爆破タッグデスマッチ「大江戸超花火」を開催した。
 
 
 
現在も多くのファンに試合会場へ足を運んで楽しく観覧してもらえるように女子プロレス界を再び盛り上げたいという強い思いでレスラーと芸能活動を両立しながら活躍している。レスラーとしては[[マーベラス (プロレス)|マーベラス]]が主戦場としつつ、プライベートでも可愛がっている後輩[[堀田祐美子]]率いる「堀田暴走軍」にも参加。また近年はボディプレスをフィニッシュムーブにもしている。
 
 
 
== 獲得タイトル ==
 
* [[全日本シングル王座]] : 1回
 
* [[WWWA世界タッグ王座]]  : 2回(クレーン・ユウx1、ブル中野x1)
 
* [[全日本女子プロレス#.E5.A5.B3.E5.AD.90.E3.83.97.E3.83.AD.E3.83.AC.E3.82.B9.E6.AE.BF.E5.A0.82|全日本女子プロレス殿堂入り]]
 
* レスリング・オブザーバー殿堂入り(1996年)
 
 
 
== テレビ ==
 
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
 
* [[オレたちひょうきん族]](フジテレビ)
 
* [[オールナイトフジ|オールナイトフジ延長戦]](1988年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
 
* [[オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!]](フジテレビ)
 
* [[夕やけニャンニャン]](フジテレビ)- 初期の頃出演していた。
 
* [[午後は○○おもいッきりテレビ]](日本テレビ)- レギュラーコメンテーター
 
* [[ゆうどきネットワーク]]([[日本放送協会|NHK]])
 
* [[パオパオチャンネル]](テレビ朝日)- 金曜日に短期レギュラー
 
* 松本伊代のキラキラ80's([[MONDO21]])
 
* [[激変!ミラクルチェンジ]]([[TBSテレビ|TBS]]) (2010年11月17日) - ダイエットに挑戦。約3か月で115kg→91kgの減量に成功。
 
* [[それゆけ!マーシー]]([[毎日放送|MBS]])
 
* [[土曜だエブリバディ!]]([[ABCテレビ|朝日放送]])
 
* くりぃむしちゅーの最強アイドル大百科 (2011年10月1日 日本テレビ)
 
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]](日本テレビ)- 初期の頃、準レギュラーで出演
 
 
 
== ラジオ ==
 
* 1985年のクラッシュ・ギャルズ(2013年1月 [[NHK-FM]][[青春アドベンチャー]])- 本人役
 
 
 
== テレビドラマ ==
 
* [[毎度おさわがせします]](1985年1月 - 1985年3月[[TBSテレビ|TBS]])
 
* [[夏・体験物語]](1985年8月 - 1985年9月、TBS)
 
* 毎度おさわがせしますII(1985年12月 - 1986年3月、TBS)
 
* 夏・体験物語II(1986年7月 - 1986年10月、TBS)
 
* [[結婚してシマッタ!]](1988年、TBS)
 
* [[木曜ゴールデンドラマ]]「マルタの女」(1)(2)(1988年、1989年、YTV)
 
* [[水曜グランドロマン]]「懲りない女たち(1)」(1988年、NTV)
 
* [[明日はアタシの風が吹く]](1988年、NTV)
 
* [[さすらい刑事旅情編の登場人物#さすらい刑事旅情編II|さすらい刑事旅情編II]] 第12話(1989年、ANB)
 
* [[いけない女子高物語]](1990年、NTV)
 
* [[社長になった若大将]](1992年、TBS)
 
* [[透明人間 (テレビドラマ)|透明人間]] 第7話(1996年、NTV)
 
* [[トリック (テレビドラマ)|TRICK〜Troisième partie〜]] 第8話(2003年、テレビ朝日) - 亀山藤二郎の元恋人(写真出演)
 
* [[ハンチョウ〜神南署安積班〜#シリーズ4|ハンチョウ〜神南署安積班〜シリーズ4 〜正義の代償〜]] 第8話(2011年5月30日、TBS) - 昌子 役
 
 
 
== 舞台出演 ==
 
* [[トウキョウ演劇倶楽部]]プロデュース公演Vol.1 「[[Live in toRAIN No.A-h]]」(2013年2月9日~17日)[[新宿シアターモリエール]]
 
 
 
== CM ==
 
* [[日清食品]] 「タコヤキラーメン」
 
: ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。CM中でのセリフ「みんな最初は分かってくれないんだ」「マジだぜ!」が話題になる。CMは複数のバージョンが作られたが、その1本では冒頭で、ノーメイクの素顔で明るく「たこやきが、ラーメンになったのよ!」と商品をアピールする場面もあった。
 
* [[金鳥]] 「お風呂どんと ホットマン」 [[桂文珍]]と[[西川のりお]]と共演
 
* [[アルペン (企業)|アルペン]] [[松本典子]]と共演
 
* ジュピター宝飾(東海地区ローカル)
 
* [[日本水道センター]]「相談しよう水のトラブル編」/共演者:中村美貴・麻矢
 
 
 
== ゲーム ==
 
{{main|極悪同盟#極悪同盟 ダンプ松本|}}
 
 
 
== 音楽 ==
 
* 極悪(1985年)
 
:[[坂本龍一]]、[[44MAGNUM]]、[[白井良明]]、[[タケカワユキヒデ]]と言った面々が楽曲を提供している。
 
* 赤いウィンナー逃げた
 
:[[大森ゆかり]]とのユニット「PINK TONTON」名義
 
 
 
== 書籍 ==
 
* 「ダンプ松本のマジだぜ!」集英社(1986年1月)
 
* 「なんたって乙女の底力」スコラ(1988年4月)大森友伽里との共著
 
* 「私じゃダメかい!!」ビクター音楽産業(1988年7月)
 
* 「どんとこい芸能界!―極悪ダンプの芸能界毒舌言いたい放題! 」日本文芸社(1989年5月)
 
* 「おかあちゃん!」主婦と生活社(1991年5月)
 
* 「長女はつらいよ―だけど、元気もりもり」同文書院(1994年2月)
 
 
 
== 関連人物 ==
 
* [[ブル中野]]
 
* [[阿部四郎]]
 
* [[黒田アーサー]]
 
 
 
==脚注==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[夕やけニャンニャン#片岡鶴太郎vsダンプ松本|片岡鶴太郎vsダンプ松本(「夕やけニャンニャン」)]] ([[フジテレビジョン|フジテレビ系列]])
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://blog.livedoor.jp/gokuaku2/ 127kgの成長日記](ブログ)
 
* [http://ameblo.jp/dump1111/ 世界制覇極悪同盟ダンプ松本](オフィシャルブログ)
 
 
 
{{WWWA世界タッグ王座}}
 
{{DEFAULTSORT:まつもと たんふ}}
 
[[Category:日本の女子プロレスラー]]
 
[[Category:全日本女子プロレスに所属した女子プロレスラー]]
 
[[Category:WWEに参戦したプロレスラー]]
 
[[Category:ハッスルの人物]]
 
[[Category:REINA]]
 
[[Category:ディアナ]]
 
[[Category:日本のタレント]]
 
[[Category:日本の女優]]
 
[[Category:埼玉県出身の人物]]
 
[[Category:1960年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

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