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ゾルト・バウムガルトナー | |
---|---|
基本情報 | |
フルネーム | Baumgartner Zsolt |
国籍 | ハンガリー |
出身地 | ハイドゥー・ビハール県の旗 ハイドゥー・ビハール県デブレツェン |
生年月日 | 1981年1月1日(43歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2003 - 2004 |
所属チーム |
'03 ジョーダン '04 ミナルディ |
出走回数 | 20 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 2004年ブラジルGP |
ゾルト・バウムガルトナー(Zsolt Baumgartner ハンガリー語 : Baumgartner Zsolt, 1981年1月1日 - )は、ハンガリー・デブレツェン出身のレーシングドライバーで、ハンガリー人初のF1ドライバーである。
Contents
名前について
日本語表記に関しては複数あり、このほかに「ゾイト/ツォルト」,「バウムガートナー/バンガルトナー」などと表記されることもある。なお、ハンガリー人の名前は英語圏などとは異なり姓が名より先に表記されるため、本来は Baumgartner(=姓)Zsolt(=名)という表記となる。
F1参戦前
1994年にカートからレースキャリアを開始。1997年にドイツへ渡りフォーミュラ・ルノーに参戦、1999年に同シリーズのドイツチャンピオンを獲得した。2000年からはドイツF3選手権にステップアップし、翌2001年シーズン途中にプロスト・ジュニアチーム(提携していたアポマトックスがチーム運営)から国際F3000選手権へと進出、第6戦ニュルブルクリンクから最終戦まで参戦。2002年にノルディック・レーシングに移籍し、最終戦モンツァで6位入賞を果たす。同年のF1ハンガリーGPではジョーダンのF1マシンでデモランを行うなどF1とのパイプも構築。翌2003年にコローニに移籍し引き続き3シーズン目となる国際F3000に参戦、第4戦モナコで5位を獲得したのをはじめリタイア無しの安定した結果を残し続けると、F1第12戦ドイツGPからジョーダンのサードドライバーとして金曜フリー走行に出走するなど、F1への距離を徐々に縮めていった。
F1
突然のF1デビュー
そのドイツGPでジョーダンのサードドライバーとしてフリー走行に初参加した翌戦、第13戦の母国ハンガリーGPにてバウムガルトナーのF1デビューが急遽決まる。フリー走行2日目に大クラッシュを演じて負傷したレギュラードライバーのラルフ・ファーマンの代役としてだった。
母国ドライバーのF1デビューに観客も大きな声援を送ったが、予選では誤って燃費を抑えるモードでアタックしてしまい19番手、決勝でも同僚のジャンカルロ・フィジケラよりは保ったものの、エンジントラブルによりリタイアに終わった。しかし翌戦のイタリアGPでは11位に入り、F1初完走を果たした。
第15戦からファーマンが復帰しバウムガルトナーは再びサードドライバーに戻ったが、この2戦での走りが評価され翌年のミナルディのシートを得ることに成功する。
ミナルディ
念願のレギュラーシートを手に入れたバウムガルトナーだったが、マシンの戦闘力の低さ故に同僚のジャンマリア・ブルーニ共々、毎回の苦戦を強いられた。
予選ではブルーニに対し7勝11敗と振るわなかったが、決勝では14位が最高位だったブルーニに対し、バウムガルトナーはモナコGPで9位、カナダGPでも10位に入るなど粘りの走りを見せていた。
第9戦アメリカGPでは、完走9台というサバイバルレースの中で粘りの走りをここでも発揮し8位入賞。自身初、そしてハンガリー人ドライバー初のポイントを獲得した。(ミナルディにとっても2002年オーストラリアGP以来の入賞であり、このシーズンのチーム唯一のポイント獲得でもあった)
その後はマシントラブルや他車との接触、完走しても入賞圏外でのフィニッシュなどで更なるポイント獲得はならなかったが、リタイヤの回数はブルーニの9回に対してバウムガルトナーは7回に抑え、翌シーズンも残留するのではないかと見られていた。
F1後
しかしチームは翌年のドライバーをクリスチャン・アルバースとパトリック・フリーザッハーと発表。ブルーニ共々翌年のシート獲得には至らず、F1から姿を消すことになった。ブルーニはGP2に舞台を移したが、バウムガルトナーはポール・ストッダート率いるミナルディチームUSAにテスト兼リザーブドライバーとして移籍、レースの舞台をチャンプカーに移した。しかしチャンプカー自体がIRLとの統合により2008年4月に行われた1戦を以て全ての運営活動を終了したため、シート喪失状態となっていた。
その後、同年より始まったスーパーリーグ・フォーミュラのトッテナム・ホットスパーFCチームのテストドライバーになることが決まった。 しかし同カテゴリーは2012年の開催を中止、事実上の消滅状態となっている。
2018年現在、F1グランプリウィーク中に行われているセレブリティ向けの2シーターF1マシン同乗イベント「F1 Experiences」のドライバーを、ミナルディ時代のチームメートであるパトリック・フリーザッハーと共に務めている。なお、この2シーターF1マシンはポール・ストッダートが所有している。
レース戦績
フォーミュラー
国際F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | プロスト・ジュニア(アポマトックス) | INT | IMO | CAT | A1R | MON | NUR 19 |
MAG Ret |
SIL 18 |
HOC 16 |
HUN Ret |
SPA 13 |
MNZ 17 |
29位 | 0 |
2002年 | コカコーラ・ノルディック・レーシング | INT Ret |
IMO 9 |
CAT Ret |
A1R 11 |
MON Ret |
NUR 12 |
SIL 14 |
MAG 12 |
HOC 8 |
HUN 7 |
SPA 8 |
MNZ 6 |
15位 | 1 |
2003年 | コローニ・F3000 | IMO 10 |
CAT 7 |
A1R 10 |
MON 5 |
NUR 11 |
MAG 9 |
SIL 11 |
HOC 9 |
HUN DNS |
MNZ | 14位 | 6 |
F1
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | ジョーダン | EJ13 | AUS |
MAL |
BRA |
SMR |
ESP |
AUT |
MON |
CAN |
EUR |
FRA |
GBR |
GER TD |
HUN Ret |
ITA 11 |
USA |
JPN |
24位 | 0 | ||
2004年 | ミナルディ | PS04B | AUS Ret |
MAL 16 |
BHR Ret |
SMR 15 |
ESP Ret |
MON 9 |
EUR 15 |
CAN 10 |
USA 8 |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER 16 |
HUN 15 |
BEL Ret |
ITA 15 |
CHN 16 |
JPN ret |
BRA 16 |
20位 | 1 |