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'''ソポクレース'''({{lang-grc-gre|'''Σοφοκλῆς'''}}, {{ラテン翻字|el|Sophoklēs}}, {{IPA-el|so.pʰo.klɛ̂ːs|anc}}; 紀元前497/6年ごろ – 406/5年ごろの冬<ref name="S41">Sommerstein (2002), p. 41.</ref>)は、現代まで作品が伝わる[[古代ギリシア]]の[[三大悲劇詩人]]の一人。ソポクレースは生涯で120編の戯曲を制作したが、そのうち完全な形で残っているものは7作品にすぎない。
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'''ソポクレース'''({{lang-grc-gre|'''Σοφοκλῆς'''}}, {{ラテン翻字|el|Sophoklēs}}, {{IPA-el|so.pʰo.klɛ̂ːs|anc}}; 紀元前497/6年ごろ – 406/5年ごろの冬<ref name="S41">Sommerstein (2002), p. 41.</ref>
  
また、ソポクレースは、脇役を加えることにより、プロットを説明するにあたって[[コロス]]が担っていた重要性を低下させたという点で、作劇法の発展に影響を与えた。また、アイスキュロスなどの先行する詩人たちから、登場人物を大きく発展させた<ref name="F247">Freeman, p. 247.</ref>。
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 古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人。アテナイの富裕な武器製造業者の子として生まれる。少年時代から読み書き,算術,体育をはじめ,高名な音楽家ランプロスに竪琴(リユラ)を習うなど,当時の最高の教育を受けた。アテナイが大ペルシャ艦隊を破った記念すべき日,すなわちサラミス海戦(前480)勝利の祝典の折に,美貌(びぼう)と楽才を認められた15歳のソポクレスは,裸身に油を塗り竪琴を奏して,犠牲式の舞踏団を先導したという。28歳で悲劇の競演に初登場し,早くも優勝した。以後90歳で没するまで旺盛(おうせい)な創作活動を続け,生涯に約30回競演参加作家に選ばれた。うち24回は1等すなわち優勝,残りはすべて2等を獲得,3等にとどまったことはなかった。
  
== 概要 ==
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 また,声望ある一市民として,いくどか国政に深く関わった。アテナイは,前477年対ペルシャ防衛機構として結成されたデロス同盟の盟主となり,以後めざましく国力を伸長させるが,ソポクレスは前443〔442〕年同盟の財務官を務めた。前441〔440〕年には10人の将軍の一人に選ばれて,同盟国サモスの反乱を鎮めるために出征した。この前後15年間がペリクレス時代と呼ばれるアテナイの最盛期であったが,前431年に勃発(ぼつぱつ)したペロポネソス戦争を境に盛運は傾き,以後27年にわたるスパルタとの抗争に国力を疲弊させた。その間ソポクレスはさらに2回将軍職に就いたともいわれるが,疑う学者も多い。前413年ごろの先議委員就任は確実といえる。すなわちその前々年,アテナイはスパルタに対する劣勢挽回(ばんかい)を期してシチリア島に遠征を試みたが,完敗を喫したうえ同盟国の多くを失った。加えて民主政体は崩壊に瀕(ひん)するなど,内政外交ともに未曾有(みぞう)の危機に立ち至った。ここに市民の総意を受けて10名の高齢市民による国策審議会が設けられ,ソポクレスもその一員に選ばれたのである。彼の死の翌々年(前404),アテナイがスパルタの軍門にくだり,エーゲ海に君臨した栄光の歴史を閉じることを思い合わせるならば,祖国の隆盛とともに人と成り,壮年の日々を国運の絶頂期に過ごし,晩年にその落日を見たソポクレスは,文字どおりアテナイの黄金の世紀の申し子であった。
三大悲劇詩人の残りの二人は[[アイスキュロス]]と[[エウリーピデース]]であるが、ソポクレースの処女作はアイスキュロスのそれよりも遅くに書かれ、エウリーピデースのものより早く、もしくは同時代に書かれた。完全な形で現存している作品は『[[アイアース (ソポクレス)|アイアース]]』、『[[アンティゴネ (ソポクレス)|アンティゴネー]]』、『[[トラキスの女たち]]』、『[[オイディプス王|オイディプース王]]』、『[[エレクトラ (ソポクレス)|エーレクトラー]]』、『[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテーテース]]』、『[[コロノスのオイディプス|コローノスのオイディプース]]』の7作である<ref>''Suda'' (ed. Finkel ''et al.''): s.v. [http://www.stoa.org/sol-bin/search.pl?searchstr=sigma+815 {{lang|grc|Σοφοκλῆς}}].</ref>。ソポクレースは[[レーナイア祭]]や[[ディオニューシア祭]]の期間中に[[アテーナイ]]で開催される悲劇のコンテストで、50年近くのあいだ最も賞賛された作家であった。コンテスト参加30回のうち、1位の栄冠を手にしたのが18回、残りはすべて次点である。3位以下には一度もならなかった<ref>Encyclopaedia Britannica, Inc.</ref>。
 
  
==生涯==
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 全部で123編と伝えられる作品は,後述の7悲劇を除いて散逸したが,断片などからうかがえるところでは,詩人は好んでトロイア伝説圏に材を求めた様子である。これに属す叙事詩群には,[[ホメロス]]の『[[イリアス]]』『[[オデュッセイア]]』が含まれていたが,ソポクレスは語彙(ごい),事件構成,人物造形など多くをホメロスから学んだ。また思想性や問題意識に偏らず,人間が世に生きる姿をありのままに,深い愛を込めて描いたホメロスの魅力を,豊潤高雅な筆に受け継いだソポクレスは,ホメロスの最も良き弟子といわれた。ギリシャ人の理想の原型であったホメロスの英雄像が,ソポクレスによってアテナイの土壌に移植され,民主主義の時代の空気を存分に吸って新しい花を咲かせたともいえよう。後世の伝記作家は,「ホメロスは叙事詩のソポクレスであり,ソポクレスは悲劇のホメロスである」という評言を伝えている。
[[ファイル:Sophocles CdM Chab3308.jpg|サムネイル|詩人を象る大理石の浮彫り。おそらくソポクレースを表す。]]
 
ソピロスの息子、ソポクレースは、[[アッティカ]]の{{仮リンク|ヒッペイオス・コローノス|en|Hippeios Colonus}}という集落({{仮リンク|デーモス|en|deme|preserve=1}})の富裕な一市民であった。この集落は後にソポクレースの劇作における舞台にもなった。彼自身、この集落の生まれであると考えられている<ref name="S41"/><ref name="Sfrxi">Sommerstein (2007), p. xi.</ref>。ソポクレースが生まれた年は紀元前490年の[[マラトンの戦い]]の少し前、紀元前497年か496年頃と推測されるが正確な年は不明である<ref name="S41"/><ref>Lloyd-Jones 1994, p. 7.</ref>。父のソピロスは防具製作の職人であり、一家は裕福であった。ソポクレースは高い教養を身につけ、紀元前468年の[[ディオニューシア祭]]の悲劇コンテストではじめての優勝を手にした。このときは当時のアテーナイの悲劇詩人のあいだで指導的立場にあったアイスキュロスを下しての栄冠であった<ref name="S41"/><ref>Freeman, p. 246.</ref>。[[プルタルコス]]によると、このときの勝利は異様な雰囲気の中、もたらされたという。『対比列伝』中の「キモン伝」によると、籤で選ばれた市民が選考する慣習によらず、[[アルコン]](執政官)がコンテストの勝者を決めるために集まった[[キモン]]と[[将軍職 (アテナイ)|ストラテゴイ]]に諮った。アイスキュロスはこのコンテストにおける敗北のすぐあとにシチリア島へ旅立ち、そこで客死したという<ref>「キモン伝」8</ref>。しかし、少なくとも客死したというのは誤伝で、彼はその後10年間はアテーナイで悲劇を制作し続けた。また、プルタルコスの伝えるエピソードに係る作品が処女作であったということも現代では疑問が呈されている。ソポクレースの処女作は、おそらく紀元前470年のディオニューシア祭で上演された悲劇(その中の一つは『トリプトレモス』である)のどれかである<ref name="Sfrxi"/>。
 
 
 
紀元前480年、[[サラミスの海戦]]におけるギリシアのペルシアに対する勝利を祝う際に、ソポクレースは神に祈りの歌を捧げる合唱隊[[ピーオン|パイオン]]の先導者に選ばれた<ref>''McGraw-Hill Encyclopedia of World Drama: An International Reference Work in 5 Volumes, Volume 1'', [https://books.google.com/books?id=2SrVpFGioFUC&pg=PA487 "Sophocles"].</ref>。ソポクレースの創作活動の初期においては、政治家のキモンがパトロンについていた可能性がある。しかし、キモンのライバルだった[[ペリクレス]]がソポクレースに悪意を抱いたことは一度もなかった。キモンが紀元前461年に[[陶片追放]]を受けたときもソポクレースに影響はなかった<ref name="S41"/>。紀元前443年から442年にかけて、ソポクレースは「アテーナイの宝」とも呼ばれる{{仮リンク|ヘッレーノタミアイ|en|Hellenotamiai}}という役職([[デロス同盟]]の財務職)に就き、ペリクレスが政治的に絶頂期にあった時期のポリスの財政運営を手伝った<ref name="S41"/>。『ウィタ・ソポクリス』(''Vita Sophoclis''、ソポクレースの生涯)という書物によると、ソポクレースは紀元前441年にアテーナイの行政をつかさどる十人の将軍の一人に選ばれ、ペリクレスの若き同僚になり、アテーナイ軍の[[サモス島]]への遠征に従軍したという。この地位は、ソポクレースの制作した『[[アンティゴネ (ソポクレス)|アンティゴネー]]』上演の成功がもたらしたものと考えられている<ref>Beer 2004, p. 69.</ref>。
 
 
 
紀元前420年にソポクレースは自分の家に[[アスクレーピオス]]神の祭壇を整え、同神を迎えた。この儀式により、医神アスクレーピオスはアテーナイに導かれたため、アテーナイ市民はソポクレースが亡くなると彼に「デクシオン」(''Dexion'')、「迎え入れる者」という諡号を送った<ref>Clinton, Kevin "The Epidauria and the Arrival of Asclepius in Athens", in Ancient Greek Cult Practice from the Epigraphical Evidence, edited by R. Hägg, Stockholm, 1994.</ref>。ソポクレースはまた、紀元前413年に、[[ペロポンネソス戦争]]期間中に、シチリア島へ向かったアテーナイの遠征軍が壊滅したことに対応する事務官({{仮リンク|プローブロス|en|Proboulos|label=プローブロイ}}の一人に選ばれた<ref>Lloyd-Jones, pp. 12–13.</ref>。
 
 
 
ソポクレースは紀元前406年から405年にかけての冬の時期に、90歳か91歳で亡くなった。対[[ペルシア戦争]]におけるギリシアの勝利と、ペロポンネソス戦争における悲惨な流血とを、その目で見てきた生涯であった<ref name="S41"/>。古典古代の有名人の死の多くがそうであるように、ソポクレースの死には数多くの、真偽不詳の尾ひれ羽ひれがつけられた。ソポクレースは自作『アンティゴネー』中の長いセリフを、息継ぎせずに朗誦しようとして絶命したという説がその最たるものである。その他にも、ソポクレースは、アテーナイで[[アンテステーリア祭]]が行われているさなか、食事中に葡萄をのどに詰まらせて亡くなったとも、[[ディオニューシア祭]]において最優秀の誉れを受けたところ、あまりの幸福ゆえに亡くなったとも言い伝えられている<ref>Schultz 1835, pp. 150–1.</ref>。ソポクレースが亡くなった数ヵ月後、ある喜劇詩人は『詩神たち([[ムーサ|ムーサイ]])』と名づけた自作の中で、次のような口上を述べてソポクレースの死を悼んだ。「ソポクレースに祝福あれ!かの御仁は長生きし、幸せと才能に恵まれ、多くのよき悲劇を書いた。不運に苦しむことなく、首尾よく人生を終えた。」<ref>Lucas 1964, p. 128.</ref>
 
 
 
一方で、ソポクレースは晩年に耄碌したとして、後見人を必要とする宣言をするよう息子たちから迫られたとも伝えられている。老詩人はこれに対して、法廷で当時未発表の自作『コローノスのオイディプース』の一節をそらんじてみせることによって反駁したと言われている。[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]はこのエピソードを『[[大カトー・老年について|老年論]]』の中で詳しく語っている<ref>Cicero, ''De Senectute'' 7.22.</ref>。なお、ソポクレースの息子の一人{{仮リンク|イオポーン|en|Iophon}}や、孫のソポクレース(祖父と同名)もまた、劇詩人になった<ref>Sommerstein (2002), pp. 41–42.</ref>。
 
 
 
==作品と遺産==
 
[[ファイル:Euaion.jpg|サムネイル|[[クラテール|萼型クラテール]]の外側の凹面白地部分に描かれた古代ギリシアの俳優の肖像。右上の文句は「[[アイスキュロス]]の息子エウイアオンは麗しい」と読める。羽のついた兜とブーツを身に着けていることから、ソポクレースの悲劇『[[アンドロメダー]]』において[[ペルセース]]を演じている可能性がある。紀元前430年ごろのもの。シチリア島の{{仮リンク|アグリジェント県立考古美術館|it|Museo archeologico regionale di Agrigento}}蔵。]]
 
 
 
ソポクレースは数々の作劇上の新機軸を演劇にもたらした。彼が最初に試みたことは、三人目の演者の導入であった。この発明はギリシア演劇における[[コロス]]の役割を大幅に減じ、物語の展開と登場人物同士のぶつかり合いの表現の可能性を拓く大きなきっかけとなった<ref name="F247"/>。ソポクレースが脚本を書き始めたころアテーナイの劇作界に大きな影響を及ぼしていたアイスキュロスでさえもソポクレースの後に続き、晩年に向けて自作に三人目の演者を登場させる構成になっていった<ref name="F247"/>。[[アリストテレス]]はスケノグラピア(''skenographia'')と呼ばれる{{仮リンク|背景美術|en|Scenography}}ないし[[舞台美術]]を最初に導入した人物がソポクレースであるとしている。巨匠アイスキュロスが紀元前456年に亡くなってはじめて、ソポクレースはアテーナイで最も卓越した悲劇詩人となった<ref name="S41"/>。
 
 
 
これ以後、ソポクレースは悲劇コンテストで勝利を重ね、[[ディオニューシア祭]]で18回、[[レーナイア祭]]で6回、優勝した<ref name="S41"/>。ソポクレースの作品は構成上の革新に加え、登場人物たちの掘り下げ方に、従来の悲劇詩人たちよりも深いものがあることが知られている<ref name="F247"/>。ソポクレースの名声は遠く異国にまで聞こえ、宮廷への出仕の誘いが一再ならずあったが、シチリアで亡くなったアイスキュロスや[[マケドニア]]で暮らしたエウリーピデースとは異なり、ソポクレースはこの種の誘いをすべて断った<ref name="S41"/>。ソポクレースの作品『[[オイディプス王|オイディプース王]]』は、[[アリストテレス]]が『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』の中で、悲劇における最高傑作の一例として挙げており、ソポクレース作品が後世のギリシア人にも高く評価され続けていたことがわかる<ref>Aristotle. ''Ars Poetica''.</ref>。
 
 
 
現代まで伝わる7作のうち、制作年代がわかっているのは、『[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテーテース]]』(前409年)と『[[コロノスのオイディプス|コローノスのオイディプース]]』(前401年、ソポクレースの孫が亡くなった後に上演された)の2作だけである<ref>The first printed edition of the seven plays is by Aldus Manutius in Venice 1502: Sophoclis tragaediae {{sic}} septem cum commentariis. Despite the addition 'cum commentariis' in the title, the Aldine edition did not include the ancient scholia to Sophocles. These had to wait until 1518 when Janus Lascaris brought out the relevant edition in Rome.</ref>。その他の作品については、『[[エレクトラ (ソポクレス)|エーレクトラー]]』が上記二作と様式上の類似を見せていることから、おそらく同時期、ソポクレース晩年の作であろう。同様に様式上の要素を検討したところによると、『[[アイアース (ソポクレス)|アイアース]]』、『[[アンティゴネ (ソポクレス)|アンティゴネー]]』、『[[トラキスの女たち]]』の三作が初期作品であり、『[[オイディプス王|オイディプース王]]』が中期に位置づけられる作品であると一般的に考えられている。ソポクレースの詩劇のほとんどには、その奥底に[[宿命論]]が一貫して流れると共に、[[ソクラテス]]的な[[ソクラテス式問答法|論理の運び方]]の萌芽も見られる。これらはギリシア悲劇に長く続く伝統として受け継がれていった<ref name="LJ1213">Lloyd-Jones 1994, pp. 8-9.</ref><ref>Scullion, pp. 85–86, rejects attempts to date ''Antigone'' to shortly before 441/0 based on an anecdote that the play led to Sophocles' election as general. On other grounds, he cautiously suggests ''c.'' 450 BC.</ref>。
 
 
 
===テーバイに関する三作===
 
神話上の登場人物、[[オイディプース]]は、父を殺し、母と交わる。しかし彼は、いずれも自分の父母であることを知らずに、その行為を行った。オイディプースの子孫は三代にわたって呪われる運命となる。ソポクレースの悲劇、『[[オイディプス王|オイディプース王]]』、『[[コロノスのオイディプス|コローノスのオイディプース]]』、『[[アンティゴネ (ソポクレス)|アンティゴネー]]』の三作はいずれもオイディプースが治めていたころの[[テーバイ]]王家の運命に関する悲劇であるか、もしくはその後日談である<ref name="Grene pp. 1-2">Sophocles, ed Grene and Lattimore, pp. 1–2.</ref>。
 
 
 
この三作を一冊の本にまとめて出版することがよく行われているが<ref>See for example: "Sophocles: The Theban Plays", Penguin Books, 1947; ''Sophocles I: Oedipus the King, Oedipus at Colonus, Antigone'', University of Chicago, 1991;  ''Sophocles: The Theban Plays: Antigone/King Oidipous/Oidipous at Colonus'', Focus Publishing/R. Pullins Company, 2002; ''Sophocles, The Oedipus Cycle: Oedipus Rex, Oedipus at Colonus, Antigone'', Harvest Books, 2002; Sophocles, ''Works'', Loeb Classical Library, Vol I. London, W. Heinemann; New York,Macmillan, 1912 (often reprinted) - the 1994 Loeb, however, prints Sophocles in chronological order.</ref>、三作はそれぞれ、異なる年のディオニューシア祭のために書かれたものである上、一作目が書かれてから三作目が書かれるまでの間に36年の月日が経っており、制作時期が大きく異なっている。制作の順序は神話上の時系列に沿ったものではなく、『アンティゴネー』、『オイディプース王』、『コローノスのオイディプース』の順で制作された。もとより三部作として制作されたものではなく、むしろ異なる三つの連作悲劇から抜き出された作品の寄せ集めである。そのため、テーバイ三作のストーリーにはいくつかの矛盾がある<ref name="Grene pp. 1-2"/>。ソポクレースはこれらの三悲劇のほかにも、テーバイに関係する悲劇を書いている。そのうちの一つが『{{仮リンク|エピーゴノイ (悲劇)|en|Epigoni (play)|label=エピーゴノイ}}』であるが、断片だけしか現代に残らなかった<ref name="theatermania.com">Murray, Matthew, "[http://www.theatermania.com/content/news.cfm/story/5913 Newly Readable Oxyrhynchus Papyri Reveal Works by Sophocles, Lucian, and Others]", ''Theatermania'', 18 April 2005. Retrieved 9 July 2007.</ref>。
 
 
 
===その他の悲劇作品===
 
テーバイ三作のほかにソポクレースの作品としては、『[[アイアース (ソポクレス)|アイアース]]』、『[[トラキスの女たち]]』、『[[エレクトラ (ソポクレス)|エーレクトラー]]』、『[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテーテース]]』の四作が残っている。『ピロクテーテース』は前409年の悲劇コンテストで一等を取った作品である<ref name="F247248">Freeman, pp. 247–248.</ref>。
 
 
 
『アイアース』は[[トロイア戦争]]の誇り高き英雄、[[テラモーン]]の息子[[大アイアース|アイアース]]に焦点を当てる。アイアースは、[[アキレウス]]の形見の鎧が、自分ではなく[[オデュッセウス]]に送られることを知ると深く動揺する。そして、裏切りへと駆り立てられ最終的には自殺してしまう。[[メネラーオス]]と[[アガメムノーン]]がアイアースへの敵意を募らせる中、オデュッセウスは、アイアースを丁重に葬るよう、両王を説得する。
 
 
 
『トラキスの女たち』は十二の難行を成し遂げた英雄[[ヘーラクレース]]を意図せず殺してしまった[[デーイアネイラ]]の悲劇を基にしたものである。なお、劇の題名は女声のコロスが「[[トラーキース]]の女たち」を演じることにちなむ。ヘーラクレースの妻デーイアネイラは騙されて、[[ヒュドラー|ヒュドラ]]の毒を媚薬と思い込み、夫の衣服の一つにそれを染み込ませる。ヘーラクレースは毒の苦しみにさいなまれながら死ぬ。真実を知ったデーイアネイラは自殺する。
 
 
 
『エーレクトラー』はアイスキュロスの悲劇『[[コエーポロイ]]』の筋書きにおおむね沿った物語であり、[[エーレクトラー]]と[[オレステース]]が母[[クリュタイムネーストラー]]とその情夫[[アイギストス]]を殺し、二人に殺された父[[アガメムノーン]]の仇を討つ神話の詳細を語る。
 
 
 
『ピロクテーテース』は[[トロイア戦争]]に参戦した[[ピロクテーテース]]の物語の再話である。ヘーラクレースの強弓を受け継いだピロクテーテースは、[[イリオス|トロイア]]へ向かう途上、ギリシアの軍船に見捨てられ、[[レームノス島]]に置き去りにされる。ところが、ギリシア方は彼の持つ弓なしではいくさに勝てないことを知る。彼らはオデュッセウスと[[ネオプトレモス]]を島に送り、ピロクテーテースを連れてこさせようとする。しかしながら、かつての仕打ちを忘れていない彼は復帰を断る。ピロクテーテースにトロイアへ行くことを説得しえたのは、[[デウス・エクス・マキナ]]として唐突に現れたヘーラクレースだけであった。
 
 
 
===断片が残る作品===
 
ソポクレースに関連付けられている詩劇の数は、下のリストに示すように120作品を越えるが<ref>Sophocles, ''Fragments''. Edited by Hugh Lloyd-Jones, Harvard University Press, 1996.</ref>、いつごろ制作されたものであるかわかっている作品はほとんどない。『ピロクテーテース』は前409年に書かれたことが知られている。また、『コローノスのオイディプース』は前401年に上演されたことがあることだけがわかっている。上演時にソポクレースは既に亡くなっており、その上演はソポクレースの孫の[[通過儀礼|成人の儀式]]における出来事であった。古代ギリシアの祭祀のために詩劇を書く場合、三つの[[ギリシア悲劇|悲劇]]に一つの[[サテュロス劇]]を添えて一組の四部作として奉呈するのが慣わしであった。大多数の作品の制作年代が不明であることに伴い、それらが、どの作品と組み合わされて一組となっていたのかがわからなくなっている。もっとも、テーバイに関する三作品が、ソポクレースの生前まとめて上演されたことはないことは確実である。
 
 
 
『{{仮リンク|イクネウタイ|en|Ichneutae}}』(追いかけるサテュロスたち)の断片は、エジプトで1907年に発見された<ref name="sea">Seaford, p. 1361.</ref>。[[オクシリンコス・パピルス|オクシュリュンコス・パピュロス]]と呼ばれる古文書群から見つかった『イクネウタイ』の断片を集めると全体の半分程度になった<ref name="sea"/>。[[サテュロス劇]]はほとんどすべてが失われ、完全な形で残っているのはエウリーピデースの『[[キュクロプス (エウリピデス)|キュクロープス]]』だけである<ref name="sea"/>。新発見のソポクレースの作品の断片は、『キュクロープス』に次いで、最も多くの詩句が伝わるサテュロス劇である<ref name="sea"/>。オクシュリュンコス・パピュロスからは悲劇『{{仮リンク|エピーゴノイ (悲劇)|en|Epigoni (play)|label=エピーゴノイ}}』の断片も見つかった。肉眼では読めなくなっていたパピュロスに[[赤外線]]を照射し、その反射スペクトラムを得るという[[衛星写真]]など宇宙技術で培われた技術を利用して失われた数行を再現することに成功した<ref>{{cite web| url=http://www.independent.co.uk/voices/editorials/a-second-renaissance-5345162.html |title= A second renaissance? |work= The Independent |date= 2005-04-17| accessdate=2017-02-18}}</ref><ref>{{cite web| author=David Keys and Nicholas Pyke |url=http://www.independent.co.uk/news/science/decoded-at-last-the-classical-holy-grail-that-may-rewrite-the-history-of-the-world-2031.html |title= Decoded At Last: The 'Classical Holy Grail' |work=The Independent |date=2005-04-19 |accessdate=2017-02-18}}</ref>。『エピーゴノイ』の内容は、二度目のテーバイ攻めの物語である(→[[エピゴノイ]]参照)<ref name="theatermania.com"/>。以下は断片だけが伝わるソポクレース作品の一覧である。
 
 
 
{{columns-list|2|
 
* Aias Lokros (Ajax the Locrian)
 
* ''Aias Mastigophoros'' (Ajax the Whip-Bearer)
 
* ''Aigeus'' (Aegeus)
 
* ''Aigisthos'' (Aegisthus)
 
* ''Aikhmalôtides'' (The Captive Women)
 
* ''Aithiopes'' (The Ethiopians), or ''Memnon''
 
* ''Akhaiôn Syllogos'' (The Gathering of the Achaeans)
 
* ''Akhilleôs Erastai'' (Lovers of Achilles)
 
* ''Akrisios''
 
* ''Aleadae'' (The Sons of Aleus)
 
* ''Aletes''
 
* ''Alexandros'' (Alexander)
 
* ''Alcmeôn''
 
* ''[[:en:Amphiaraus (Sophocles)|Amphiaraus]]''
 
* ''Amphitryôn''
 
* ''Amycos''
 
* ''Andromache''
 
* ''Andromeda''
 
* ''[[:en:Antenorides|Antenoridai]]'' (Sons of Antenor)
 
* ''Athamas'' (two versions produced)
 
* ''Atreus'', or ''Mykenaiai''
 
* ''Camicoi''
 
* ''Cassandra''
 
* ''Cedaliôn''
 
* ''Cerberus''
 
* ''Chryseis''
 
* ''Clytemnestra''
 
* ''Colchides''
 
* ''Côphoi'' (Mute Ones)
 
* ''Creusa''
 
* ''Crisis'' (Judgement)
 
* ''Daedalus''
 
* ''Danae''
 
* ''Dionysiacus''
 
* ''Dolopes''
 
* ''[[:en:Epigoni (play)|Epigoni]]'' (The Progeny)
 
* ''Eriphyle''
 
* ''Eris''
 
* ''Eumelus''
 
* ''Euryalus''
 
* ''Eurypylus''
 
* ''Eurysaces''
 
* ''Helenes Apaitesis'' (Helen's Demand)
 
* ''Helenes Gamos'' (Helen's Marriage)
 
* ''Herakles Epi Tainaro'' (Hercules At Taenarum)
 
* ''Hermione''
 
* ''Hipponous''
 
* ''Hybris''
 
* ''Hydrophoroi'' (Water-Bearers)
 
* ''Inachos''
 
* ''Iobates''
 
* ''Iokles''
 
* ''Iôn''
 
* ''Iphigenia''
 
* ''Ixiôn''
 
* ''Lacaenae'' (Lacaenian Women)
 
* ''Laocoôn''
 
* ''Larisaioi''
 
* ''Lemniai'' (Lemnian Women)
 
* ''Manteis'' (The Prophets) or ''Polyidus''
 
* ''Meleagros''
 
* ''Minôs''
 
* ''Momus''
 
* ''Mousai'' (Muses)
 
* ''Mysoi'' (Mysians)
 
* ''Nauplios Katapleon'' (Nauplius' Arrival)
 
* ''Nauplios Pyrkaeus'' (Nauplius' Fires)
 
* ''Nausicaa'', or ''Plyntriai''
 
* ''Niobe''
 
* ''[[:en:Odysseus Acanthoplex|Odysseus Acanthoplex]]'' (Odysseus Scourged with Thorns)
 
* ''Odysseus Mainomenos'' (Odysseus Gone Mad)
 
* ''Oeneus''
 
* ''Oenomaus''
 
* ''Palamedes''
 
* ''Pandora'', or ''Sphyrokopoi'' (Hammer-Strikers)
 
* ''Pelias''
 
* ''Peleus''
 
* ''Phaiakes''
 
* ''Phaedra''
 
* ''Philoctetes In Troy''
 
* ''Phineus'' (two versions)
 
* ''Phoenix''
 
* ''Phrixus''
 
* ''Phryges'' (Phrygians)
 
* ''Phthiôtides''
 
* ''Poimenes'' (The Shepherds)
 
* ''Polyxene''
 
* ''Priam''
 
* ''Procris''
 
* ''Rhizotomoi'' (The Root-Cutters)
 
* ''Salmoneus''
 
* ''Sinon''
 
* ''Sisyphus''
 
* ''Skyrioi'' (Scyrians)
 
* ''Skythai'' (Scythians)
 
* ''Syndeipnoi'' (The Diners, or, The Banqueters)
 
* ''Tantalus''
 
* ''Telephus''
 
* ''[[:en:Tereus (Sophocles)|Tereus]]''
 
* ''Teukros'' (Teucer)
 
* ''Thamyras''
 
* ''Theseus''
 
* ''Thyestes''
 
* ''Troilus''
 
* ''[[Triptolemos (Sophocles)|Triptolemos]]''
 
* ''Tympanistai'' (Drummers)
 
* ''Tyndareos''
 
* ''Tyro Keiromene'' (Tyro Shorn)
 
* ''Tyro Anagnorizomene'' (Tyro Rediscovered).
 
* ''Xoanephoroi'' (Image-Bearers)
 
|}}
 
 
 
===ソポクレース自身は自作をどのように捉えていたか===
 
[[プルタルコス]]の『倫理論集({{仮リンク|モラリア|en|Moralia}})』の一冊、『人は如何にして自らの内面の成長に気づくか』第7節には、ソポクレースが作家としての自分の成長について話す一節がある。プルタルコスはおそらく、{{仮リンク|キオス島のイオン|en|Ion of Chios}}が著した『エピデミアイ』(''Epidemiae'', {{lang|el|Ἐπιδημίαι}})を参照した。『エピデミアイ』は断片しか現伝しないが、イオンがソポクレースなど同時代の著名人と会い、語り合った話を収録した本であると考えられている<ref>Bowra, p. 386.</ref>。プルタルコスの書いた文章(ラテン語)は「ソポクレースが自分はアイスキュロスを模倣したと言っている」と解釈できるが、文法的にあわない翻訳であり、ソポクレースがアイスキュロス作品をからかっていたとするソポクレースの言葉にも附合しない<ref>Bowra, p. 401.</ref>{{efn|C. M. Bowra argues for the following translation of the line:
 
"After practising to the full the bigness of Aeschylus, then the painful ingenuity of my own invention, now in the third stage I am changing to the kind of diction which is most expressive of character and best."<ref>Bowra, p. 401.</ref>}}。そこでソポクレースが言っているのは、自分がアイスキュロスの作品の水準に完全に到達したということであって、アイスキュロスの様式を模倣する段階は通り越して、むしろその様式についてはやれることをやりつくしたという意味である。アイスキュロスに対するソポクレースの意見は賛否こもごもである。詩劇を制作し始めたころは作品を真似するほどに尊敬していた。しかしその様式については留保し<ref>Bowra, p. 389.</ref>、いつまでも模倣し続けはしなかった。
 
 
 
プルタルコスによると、ソポクレースは自分の成長の段階を三期に分けて次のように語る。第一期においてソポクレースは、「アイスキュロス流の大言壮語」でもって作品を作り始めた<ref>Bowra, p. 392.</ref>。第二期に入るとアイスキュロスの作劇法を完全に自分のものにした。そして、聴衆の感情を掻き立てる手法を新しく導入した。例えば、『アイアース』において、アテーナイがアイアースをあざけると、舞台から役者がみな立ち去る。アイアースひとりを残して。彼が自殺できるようにである<ref>Bowra, p. 396.</ref>。第三期は、前二期と異なり、台詞回しにいっそう気を使うようになったという。登場人物がいかにもその人物が語りそうな、自然な言い回しで話すように心がけ、個人的な感情をより説得力あるものにしたという<ref>Bowra, pp. 385–401.</ref>。
 
 
 
== ソポクレースの演劇 ==
 
=== 形式面 ===
 
アイスキュロスの作品と比較した場合に、ソポクレースのもっとも特筆すべき創意工夫は、「続きもの」の悲劇を作ることをやめたことである<ref>Demont & Lebeau, 111</ref>。われわれが知る限りにおいて、ソポクレースはそのような悲劇を一つも制作していない<ref>Demont & Lebeau, 111</ref>。この変更は、一つの作品の範囲内で、登場人物の思い切った行動と、その心理に焦点を当てることになった<ref name="rom39">Romilly 1970, {{p.|37-39}}</ref>。
 
 
 
また、アリストテレスによると、{{仮リンク|トリタゴニスト|fr|tritagoniste}}(三人目の役者)を舞台に登場させることと、舞台上に背景美術を置くことも、ソポクレースの創意に帰せられるという<ref name="po1449a">{{Harvsp|id=Pellegrin & Somville|Pellegrin|2014|p=2766 (1449b)}}</ref><ref>{{Harvsp|Bellevenue & Auffret|p=15-16|id=Bellevenue & Auffret}}</ref><ref>(trad. Leconte de Lisle)</ref>。三人目の役者の導入は、登場人物同士のやりとりや対立を豊かに表現することを可能にし、それと同時に悲劇の進行におけるコロスの重要性を低下させる結果をもたらした<ref name="rom39"/>。[[オレステース]]に関する作品につけられた題名からも、そのことは如実に分かる。エウリーピデースの作品は『[[コエーポロイ|供養する女たち]]』という題名が示すように、コロスが前面に押し出されている。他方ソポクレースは主人公の名前から『エーレクトラー』と名づけている。ソポクレースの最初の構想はエウリーピデースの提示した物語の枠内に留まるものであったであろう。その構想にオレステースの姉が入り、作品の主役となった。ソポクレースの他の作品においても登場人物が悲劇の題名になっている。唯一の例外が『トラキスの女たち』である。<ref name="rom39"/>
 
 
 
=== 倫理的葛藤 ===
 
オイディプースの頑固さは、倫理的正当性を持たず、価値観への反発とも関係がない<ref>Jean-Pierre Vernant, « Ambiguïté et renversement. Sur la structure énigmatique d'Œdipe-roi », Vernant & Vidal-Naquet, I, {{p.|104}}</ref>。そのようなオイディプースを扱ったソポクレースの二作品を別として、残された作品に共通する第1の点は、倫理的な行動を選び取ることが作中で中心的な位置を占めていることである<ref name="rom82">Romilly 1970, p.82</ref>。『アンティゴネー』はこれに最もよく当てはまり、家族と国家、人情と権力、信仰と遵法といった複数の「義務対」({{仮リンク|ジャクリーヌ・ド・ロミリ|fr|Jacqueline de Romilly}}の表現)が対置される<ref>Romilly 1970, {{p.|84}}</ref>。葛藤は人の掟と神の掟の葛藤に帰結されず、[[ジャン=ピエール・ヴェルナン]]が注釈するところによると、「完全な敬神とまったくの不信心が対置されない。ただし、信仰のあり方には二種類の異なる類型が提示される。一方は家族的でまったく個人的な信仰である。他方は公的な信仰であって、そこではポリスの守護神が最終的に国家の崇高な価値観に一体化する<ref name="jpv" />」という。オイディプースの娘アンティゴネーのあやまちは狂信にあると、「死を司る[[ディケー]]」は「天を司るディケー」に語る<ref name="jpv">[[Jean-Pierre Vernant]], « Tensions et ambiguïtés dans la tragédie grecque », Vernant & Vidal-Naquet, I, {{p.|33}}</ref>。
 
 
 
もう一つの好例が『エーレクトラー』である。『エーレクトラー』において、[[クリュタイムネーストラー]]と[[アイギストス]]殺害のエピソードは悲劇の終わりになって初めて挿入される。悲劇は一貫してヒロインの心理を展開し、実母の殺害へと至る父のあだ討ちの主題を発展させる<ref name="rom82"/>。残りの作品にも同様に、倫理的対立構造が見られる。『アイアース』においては、名誉にこだわって自分を曲げられない主人公に対して、{{仮リンク|テレウタス|el|Τελεύτας}}の娘{{仮リンク|テレウタスの娘テクメッサ|el|Τέκμησσα|label=テクメッサ}}の献身的な嘆き、アイアースの名誉回復の試みとアガメムノーンが、オデュッセウスの謙虚さとアイアースの傲慢さが、対置される。アイアースとテクメッサと同様に、『トラキスの女たち』においてはヘーラクレースとその従順な性格の妻、デーイアネイラが対置される<ref name="rom82"/>。『ピロクテーテース』は、アカイア人みなの利益を代表して、傷つき弱っているピロクテーテースの大切にしている物を盗む策略の適任者として、オデュッセウスに指名されたネオプトレモスの[[ジレンマ]]を描写することに作品全体が費やされている。「正直であることは、はしっこいことよりも価値のあることだよ」と言い、英雄は最終的にすべての妥協を拒む<ref>V. 1246, trad. Paul Mazon</ref>。
 
 
 
=== 神々の役割 ===
 
アイスキュロス劇では神々に重要な役割が与えられている。アイスキュロス劇における神々の重みに比すと、ソポクレース劇は神々に異なる役割を持たせており、神々は劇中の出来事から遠く隔絶した存在である。ボールドリーによるとソポクレース劇にはギリシア悲劇の原点である宗教儀式の雰囲気がない<ref>Baldry, p. 136</ref>。『アイアース』冒頭に現れる[[アテーナー]]だけは例外であるが、現存する作品の中に神々が劇中に姿を現す作品はない。しかし、この神々の遠さが結果として、ステージ上の演技により表現される人間の世界と、コロスの合唱により表現される神々の世界とのコントラストを強調する。神々の世界がコロスにより表現される作品としては『アンティゴネー』や<ref>『アンティゴネー』、v. 609-610</ref>、『オイディプース王』がある<ref>『オイディプース王』、v. 863-971</ref><ref name="rom97">Romilly 1970, p.97-113</ref>。その逆に、ソポクレースは人を儚いものと位置づけており<ref>''Ajax'', 399 ; ''Antigone'', 790</ref>、過ぎ行く時の前には無力な存在であることを強調する<ref>''Les Trachiniennes'', 126-135 ; ''Antigone'', 1155-1160 ; ''Œdipe roi'', 1186-1192</ref>。『アイアース』ではコロスが「全能なる時間が消し去れぬものはない」と船乗りたちの唄を歌う<ref>''Ajax'', v. 713</ref>。
 
 
 
神々との隔絶はしかし、神的な介入を妨げない。ソポクレース劇が神々の介入を受けるのは、ただ神託のみであって、アイスキュロス劇のように「神の正義」が示されることはない。また、その神託は神が決めた通りに動く人間の配役表に過ぎない<ref name="rom97"/>。『トラキスの女たち』では冒頭でデーイアネイラが、「ヘーラクレースは思いがけなく命を落とす。勝利を得るが、それゆえに人生最後の日々を平穏に過ごすことは決してないであろう。」という神託を述べる<ref>V. 166-168</ref>。『アイアース』では[[カルカース]]の予言を、伝令が伝えて次のように言う。「もしも我々が彼を助けんとし、いずれの神の御加護によってか、彼がこの日々に命を永らえたとしたならば、[[アテーナー]]の怒りはこの程度では済まぬ」<ref>V. 747-782</ref>。ヘーラクレースの言葉によれば、ピロクテーテースはトロイアでしか治癒し得ない。しかし彼はトロイアにたどり着けるだろうか<ref>V. 1014-1015</ref>?神託はしばしば不正確で曖昧なものであると考えられるので、神託には「希望を抱いたり過ちを犯したりする余地が残されている」<ref name="rom102"/>。時には、ヘーラクレースが息を引き取る場面のように、託宣を下す神々同士の歩み寄りが解決をもたらすこともある。ヘーラクレースは、父に下された託宣どおり、死ぬほどの苦痛にさいなまれて死ぬ。死という安らぎをヘーラクレースに与えるものは、妻デーイアネイラが夫の下着に塗った[[ネッソス]]の血であった<ref>V. 1159-1163</ref>。神託がその通りにならないという余地が残されていることは、演じられている人物の運命に予期せぬ展開がもたらされるということでもある。Romillyによると、人間は運命の皮肉と呼びうるようなものの玩具に過ぎないという考えの上にソポクレースの[[ドラマツルギー]]は成り立っている<ref name="rom102">Romilly 1970, p.102</ref>。ソポクレースに特徴的なそれは、悲劇の観客の目には意味が明瞭であるが、劇中人物たちにとっては必ずしも意味が明らかではない悲劇的アイロニーである<ref>Romilly 1970, p. 104</ref>。アイスキュロス悲劇とエウリーピデース悲劇における悲劇的アイロニーは、劇中人物が他の人物をだますというかたちになるが<ref>''Agamemnon'', v. 973-974</ref><ref>''Hécube'', v. 1021-1022</ref>、ソポクレース悲劇ではごく稀な例外を除いて、劇中人物同士であざむくことがなく、例えば『トラキスの女たち』で言えば、デーイアネイラがヘーラクレースを殺すための道具にされてしまい、英雄の死の前にコロスが希望の歌を歌うといったかたちになる<ref>''Les Trachiniennes'' V. 633-662</ref>。『アイアース』、『アンティゴネー』における悲劇的アイロニーも同様である<ref>''Ajax'' V. 692-717</ref><ref>''Antigone'' V. 1140-1152</ref><ref>Comme lorsqu'Oreste encourage Égisthe à voir son propre cadavre dans celui de Clytemnestre (''Électre'', v. 1466-1471).</ref>。ソポクレース悲劇においてほしいままに振舞うのは、人間ではなくて神々である。
 
 
 
上述のような神々の遠さと悲劇的アイロニーは、『オイディプース王』において最も成功したかたちで見ることができる。自分が「父親を殺し母親とまぐわう」人物であることを知るためのオイディプースの「悲劇的探求」は、オイディプースが彼に対して宣告された神託から逃れるために行ったものではある。しかし、オイディプースはこの探求により、まったくの故意なく行った行動の結果を知ることになった。『オイディプース王』において顕著な、このアイロニーの完全性は、神々の残酷さ、あるいは無関心ゆえに引き起こされたと解釈されるべきではない。なぜなら、オイディプースは他の作品『コローノスのオイディプース』の中で加護される運命にあるからである<ref name="rom97"/>。敬虔なソポクレースによれば、「人間は理解はせずとも崇拝はする」ものであり、クレオン、オイディプース、[[イオカステー]]は、神々や神託を軽んじた対価を支払う。悲劇は人間の過ちゆえに引き起こされたのである<ref name="rom112">Romilly 1970, p. 112</ref>。
 
 
 
=== ソポクレース劇の英雄像 ===
 
演劇様式の発展におけるソポクレース劇が果たした役割に鑑みると、ソポクレース劇は人間中心であると考えられるかもしれない。しかし、作品のタイトルには、たいていの場合英雄の名前がつけられ、英雄は他の人物とは対照的である。英雄の英雄たるゆえんは、「人間のいかなる援助からも自ら進んで離れていようとする振る舞い」によって確認される<ref name="rom91">Romilly 1970, p. 91-97</ref>。オイディプースの娘[[アンティゴネー]]は当初、妹の{{仮リンク|イスメーネー|fr|Ismène}}に一緒に行動を起こすことを持ちかける。ところが妹に断られたことでむしろ頑なになり、クレオンの怒りを前にしてイスメーネーに協力してもらうべきときでさえも一切の助力を拒否せざるを得なくなる。「あなたはわたくしに従うことを望みませんでしたし、わたくしもあなたを、わたくしの謀議に関わらせませんでした」<ref>V. 539, trad. Paul Mazon</ref>。かくしてアンティゴネーは早くも独り、「友なく、夫もなく」<ref>V. 876, trad. Paul Mazon</ref>、「みなに見棄てられる」<ref>V. 919, trad. Paul Mazon</ref>。彼女がなしたことを歌いなおすコロスは、彼女が狂気にあると歌う<ref>V. 383</ref>。『アイアース』の冒頭で示されるアイアースの狂気は、アンティゴネーの狂気に比肩しうるものである。アイアースは、船乗りたちの合唱やテクメッサと息子らによる慰めの一切を拒絶して、「孤独を自らの心の中に放り込む」<ref>V. 614, trad. Paul Mazon</ref>。そして作品は、孤独そのものといったシーンの周りに、アイアースの独白と自決を有機的に連関させる。アイアースの決別の言葉を聞く者は誰一人おらず、アイアースが自らの思いを訴えかける相手は、太陽、[[サラミス島]]、[[アテーナイ]]、[[トロイア]]の景観である<ref>V. 855-864</ref>。
 
 
 
これらの要素は『エーレクトラー』においても認めることができる。家族に見棄てられたヒロインは、弟[[オレステース]]の死を知り、妹[[クリューソテミス]]に助力を断られる。頂点に達した孤独の中で、エーレクトラーは「もうよい!わたくしが自らたった一人で企てをやり遂げましょう」と叫び、心を決める<ref>V. 1019-1020, trad. Paul mazon</ref>。ジャクリーヌ・ド・ロミリーの解説によると、ヒロインをヒロインたらしめるのは孤独である<ref name="rom91" />。『ピロクテーテース』においても、英雄はネオプトレモスが奪いに来た弓の他に何も持たず、ただ独り、見棄てられていた。
 
 
 
ソポクレースは、「英雄の選択」というモチーフを表現するにあたって、オイディプースという神話上の英雄に最良の適用例を見出す。『コローノスのオイディプース』において英雄は、息子たちに拒まれ、人を遠ざける盲目の放浪者である。孤独は作中でクレオンがオイディプースから娘たちを引き離すことにより、ますます強められ、倫理的問題も加わって、オイディプースが我が行いの報いはもう十分に何度も受けたと断言するに至る<ref>V. 267-273, 538-539, 964, 977, 987</ref>。ソポクレースは、オイディプースを孤独から解放しない。オイディプースは町外れに住み、誰にも見取られることなく死ぬ<ref>Pierre Vidal-Naquet, « Œdipe entre deux cités », Vernant & Vidal Naquet, II, {{p.|204}}</ref>。しかしながら、この孤独こそが英雄の卓越性と神から与えられた特権を証し立てするものになる<ref name="rom91"/>。「ソポクレース悲劇の英雄は、他の悲劇の英雄と同じく、例外的な存在である。しかし、他者との違いはわずかしかなく、英雄は例外的な人間に過ぎない」<ref>Romilly 1970, p. 97</ref>。
 
 
 
== 日本語訳 ==
 
* 『ギリシア悲劇全集』 [[岩波書店]]
 
** 『(3) ソポクレースI 』 1990年、ISBN 4000916033
 
** 『(4) ソポクレースII 』 1990年、ISBN 4000916041
 
** 『(11) ソポクレース断片』 1991年、ISBN 4000916114
 
* 『ギリシア悲劇 II ソポクレス』 [[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉、初版1986年、ISBN 4480020128
 
** 元版 『[[世界古典文学全集]](8) アイスキュロス・ソポクレス』
 
*: 筑摩書房 初版1964年、復刊2005年ほか、ISBN 4480203087
 
* 『希臘悲壯劇 ソポクレース』 [[理想社]]、1941年
 
* 『ギリシア悲劇全集II 』 [[人文書院]]、1960年
 
* 『ギリシャ悲劇全集II 』 [[鼎出版会]]、1978年
 
* 『古典劇大系 第一巻希臘編(1)』 [[近代社]]、1925年
 
* 『世界戯曲全集 第一巻・希臘編』 近代社、1927年
 
* 『世界文學大系(2) ギリシア・ローマ古典劇集』 筑摩書房、1959年
 
* 『ギリシア劇集』 [[新潮社]]、1963年
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
 
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 脚注 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* Beer, Josh (2004). ''Sophocles and the Tragedy of Athenian Democracy''. Greenwood Publishing. ISBN 0-313-28946-8
 
* {{cite journal|last=Bowra|first=C. M.|authorlink=Maurice Bowra|year=1940|title=Sophocles on His Own Development|journal=American Journal of Philology|volume=61|issue=4|pages=385–401|doi=10.2307/291377|jstor=291377|publisher=The Johns Hopkins University Press |subscription=yes}}
 
* {{cite web|url=http://www.stoa.org/sol-bin/search.pl?&login=guest&searchstr=sigma,815&field=adlerhw_gr |title=Adler number: sigma,815 |website=Suda on Line: Byzantine Lexicography|accessdate=2007-03-14|last=Finkel|first=Raphael}}
 
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* {{cite encyclopedia|last=Smith|first=Philip|editor=William Smith|encyclopedia=[[Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology]]|title=Sophocles|url=http://ancientlibrary.com/smith-bio/3198.html|accessdate=2007-02-19|year=1867|publisher=Little, Brown, and Company|volume=3|location=Boston|pages=865–873|editor-link=William Smith (lexicographer)}}
 
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;古い文献
 
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* {{Souda}}, {{s.v.}}« {{grec ancien|Σοφοκλῆς}} » (= sigma 815 Adler).
 
 
 
;ソポクレースに関する研究書
 
* {{ouvrage|auteur=Fernand Allègre|titre=Sophocle, étude sur les ressorts dramatiques de son théâtre et la composition de ses tragédies|éditeur=Fontemoing|lieu=Lyon|année=1905}}.
 
* {{ouvrage|langue=it|auteur=Vincenzo di Benedetto|titre=Sofocle|lieu=Florence|éditeur=La Nuova Italia|année=1983}}.
 
* {{ouvrage|auteur=[[Gabriel Germain]]|titre=Sophocle|lieu=Paris|éditeur=Le Seuil|année=1969}}.
 
* {{ouvrage|auteur=[[Jacques Jouanna]]|titre=Sophocle|lieu=Paris|éditeur=Fayard|année=2007}}.
 
* {{de}} [[Karl Reinhardt]], ''Sophokles'', Berlin, 1933, {{2e}} éd., Francfort, 1941, {{fr}} trad. française, ''Sophocle'', Paris, Minuit, 1971, {{en}} trad. anglaise, ''Sophocles'', Oxford, 1979.
 
* {{ouvrage|auteur=Gilberte Ronnet|titre=Sophocle poète tragique|lieu=Paris|éditeur=De Boccard|année=1969}}.
 
* William Smith (trad. Caroline Carrat), ''Dictionnaire des auteurs grecs et latins'', 1844-1880, {{s.v.}}« Sophocle » {{lire en ligne|lien=http://remacle.org/bloodwolf/erudits/athenee/auteur4.htm#SOPHOCLEA}}.
 
 
 
;概説書
 
* {{ouvrage|langue=en|auteur=Harold Caparne Baldry|titre=The Greek Tragic Theatre|éditeur=Cambridge University Press|année=1951}} — trad. en français : {{ouvrage|titre=Le Théâtre tragique des Grecs|lieu=Paris|éditeur=Presses Pocket|collection=Agora|année=1985|année première édition=1975 chez Maspero/La Découverte}}.
 
* {{ouvrage|auteur1=Paul Demont|auteur2=Anne Lebeau|titre=Introduction au théâtre grec antique|éditeur=Livre de Poche|collection=Références|lieu=Paris|année=1996}}.
 
* {{ouvrage|auteur=[[Jacqueline de Romilly]]|titre=La Tragédie grecque|éditeur=Presses universitaires de France|collection=Quadrige|lieu=Paris|numéro édition=8|année=2006|année première édition=1970}}.
 
* {{ouvrage|auteur=Jacqueline de Romilly|titre=Précis de littérature grecque|éditeur=Presses universitaires de France|collection=Quadrige|lieu=Paris|année=2007|numéro édition=2|année première édition=1980}}.
 
* {{STLB}}.
 
* [[Jean-Pierre Vernant]] et [[Pierre Vidal-Naquet]], ''Mythe et tragédie en Grèce ancienne'' (2 vol.), Maspero, 1972, rééd. La Découverte, coll. « La Découverte/Poche », 1986, 1995, 2001
 
  
 
==関連項目==
 
==関連項目==
 
*[[アイスキュロス]]
 
*[[アイスキュロス]]
 
*[[エウリピデス]]
 
*[[エウリピデス]]
*[[古代ギリシアの演劇]]
 
  
==外部リンク==
 
{{Commons|Σοφοκλης}}
 
{{Wikisourcelang|el|Σοφοκλής|ソポクレス}}
 
*{{gutenberg author|id=Sophocles|name=Sophocles}}
 
*[http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/vor?x=0;y=0;lookup=Sophocles;target=en%2C0;alts=1;extern=1;group=fieldcat;collection=Perseus%3Acollection%3AGreco-Roman;doctype=Text Works of Sophocles at the Perseus Digital Library (Greek and English)]
 
*[https://web.archive.org/web/20070529191108/http://www.nottingham.ac.uk/classics/cadre/fragmentaryprojectframe.htm Fragmentary Tragedies of Sophocles Project]
 
*[http://www.levantebari.com/ran34gl.htm Studies in Sophoclean Fragments]
 
*[http://www.imdb.com/name/nm0814668/ Films based on Sophocles plays]
 
*[http://madeinatlantis.com/athens/sophocles.htm Life of Sophocles]
 
  
 
{{Theatre of ancient Greece}}
 
{{Theatre of ancient Greece}}
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2018/10/26/ (金) 06:42時点における最新版


ソポクレースギリシャ語: Σοφοκλῆς, Sophoklēs, ギリシア語発音: [so.pʰo.klɛ̂ːs]; 紀元前497/6年ごろ – 406/5年ごろの冬[1]

 古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人。アテナイの富裕な武器製造業者の子として生まれる。少年時代から読み書き,算術,体育をはじめ,高名な音楽家ランプロスに竪琴(リユラ)を習うなど,当時の最高の教育を受けた。アテナイが大ペルシャ艦隊を破った記念すべき日,すなわちサラミス海戦(前480)勝利の祝典の折に,美貌(びぼう)と楽才を認められた15歳のソポクレスは,裸身に油を塗り竪琴を奏して,犠牲式の舞踏団を先導したという。28歳で悲劇の競演に初登場し,早くも優勝した。以後90歳で没するまで旺盛(おうせい)な創作活動を続け,生涯に約30回競演参加作家に選ばれた。うち24回は1等すなわち優勝,残りはすべて2等を獲得,3等にとどまったことはなかった。

 また,声望ある一市民として,いくどか国政に深く関わった。アテナイは,前477年対ペルシャ防衛機構として結成されたデロス同盟の盟主となり,以後めざましく国力を伸長させるが,ソポクレスは前443〔442〕年同盟の財務官を務めた。前441〔440〕年には10人の将軍の一人に選ばれて,同盟国サモスの反乱を鎮めるために出征した。この前後15年間がペリクレス時代と呼ばれるアテナイの最盛期であったが,前431年に勃発(ぼつぱつ)したペロポネソス戦争を境に盛運は傾き,以後27年にわたるスパルタとの抗争に国力を疲弊させた。その間ソポクレスはさらに2回将軍職に就いたともいわれるが,疑う学者も多い。前413年ごろの先議委員就任は確実といえる。すなわちその前々年,アテナイはスパルタに対する劣勢挽回(ばんかい)を期してシチリア島に遠征を試みたが,完敗を喫したうえ同盟国の多くを失った。加えて民主政体は崩壊に瀕(ひん)するなど,内政外交ともに未曾有(みぞう)の危機に立ち至った。ここに市民の総意を受けて10名の高齢市民による国策審議会が設けられ,ソポクレスもその一員に選ばれたのである。彼の死の翌々年(前404),アテナイがスパルタの軍門にくだり,エーゲ海に君臨した栄光の歴史を閉じることを思い合わせるならば,祖国の隆盛とともに人と成り,壮年の日々を国運の絶頂期に過ごし,晩年にその落日を見たソポクレスは,文字どおりアテナイの黄金の世紀の申し子であった。

 全部で123編と伝えられる作品は,後述の7悲劇を除いて散逸したが,断片などからうかがえるところでは,詩人は好んでトロイア伝説圏に材を求めた様子である。これに属す叙事詩群には,ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』が含まれていたが,ソポクレスは語彙(ごい),事件構成,人物造形など多くをホメロスから学んだ。また思想性や問題意識に偏らず,人間が世に生きる姿をありのままに,深い愛を込めて描いたホメロスの魅力を,豊潤高雅な筆に受け継いだソポクレスは,ホメロスの最も良き弟子といわれた。ギリシャ人の理想の原型であったホメロスの英雄像が,ソポクレスによってアテナイの土壌に移植され,民主主義の時代の空気を存分に吸って新しい花を咲かせたともいえよう。後世の伝記作家は,「ホメロスは叙事詩のソポクレスであり,ソポクレスは悲劇のホメロスである」という評言を伝えている。

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  1. Sommerstein (2002), p. 41.