「セント・ポール大聖堂」の版間の差分

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Saint Paul's Cathedral
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'''セント・ポール大聖堂'''(セント・ポールだいせいどう、もしくは'''聖パウロ大聖堂'''、'''St Paul's Cathedral''')は、[[ロンドン]]の金融街、[[シティ・オブ・ロンドン]]にある[[大聖堂]]である。[[イングランド国教会]]ロンドン[[教区]]の[[主教座聖堂]]で、[[パウロ|聖パウロ]]を記念する。
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ロンドンのラドゲイト・ヒルにある大聖堂。 1666年の大火で旧聖堂は焼失し,C.[[レン]]が再建案を作成。 75年の第3案に基づき着工。 1710年に完成。平面は 141m,31mのラテン十字形の長堂形式で,十字交差部は大ドームを支える広い円形空間となっている。 65mにもなる3重殻の大ドームは,8本の[[ピア]]により支えられ,ドーム内には推力による破壊を防ぐため「レンの鎖」がその基部に埋込まれている。その他の構造的工夫もレンの発明の才を示すとともに,近世の大聖堂建築のうちでもすぐれた構造を有するものとされている。西正面には中央に重層のコリント式オーダーの柱が並び,ペディメントを支え,その左右には大胆な意匠の塔が立てられている。ドームの着想は,D.ブラマンテのテンピエットから得られ,古典主義的であるが,塔にはボロミーニ式の意匠でバロック的な影響を受け,その全体構成からして,イギリス・バロック建築の代表作とされる。この大聖堂は設計から完成までが1人の建築家によりなされた珍しい例でもある。
 
 
==歴史==
 
[[File:St Paul's old. From Francis Bond, Early Christian Architecture. Last book 1913..jpg|thumb|right|200px|旧セント・ポール大聖堂(1561年)([[:en:Old Saint Paul's|Old Saint Paul's]])]]
 
ロンドン最初のセント・ポール大聖堂は607年頃建設された。この木造の建造物はその後焼失、7世紀後半にかけて石造の聖堂が建て変えられたが、[[アングロ・サクソン年代記]]によると、この2代目セント・ポールは10世紀半は[[ヴァイキング]]によって焼き払われた。3代目の聖堂はサクソン人によって建てられたが、1087年、再び焼失した。[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]によってロンドン同教に任ぜられた主教モーリスによる再建は、1240年まで継続され、ここにいわゆる旧セント・ポール大聖堂 ([[:En:Old St Paul's Cathedral|Old St Paul's Cathedral]]) が完成した<ref>https://books.google.co.jp/books?id=cx8HAAAAQAAJ&pg=PA23&dq=old+saint+paul's+cathedral&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwi56vKL4dbPAhUqjVQKHS4vCzcQ6AEINDAF#v=onepage&q=old%20saint%20paul's%20cathedral&f=false</ref>。
 
 
 
旧セント・ポール大聖堂は長さ196メートル、幅96メートルと大規模なもので、建物中央には木組みで鉛の屋根を葺いた地上高158メートルの尖塔が立てられ、その頂点には十字架と鷲が飾られて町のシンボルとなっていた<ref name="Satou">[[佐藤彰]]『崩壊について』 中央公論美術出版 2006年 ISBN 4805505273 pp.153-157.</ref>。[[1447年]]に尖塔は[[落雷]]によって破壊されるが15年後に修築された。しかし、[[1561年]]に再び落雷し、大聖堂の屋根全体に延焼する火災へと発展してしまう。その後、[[エリザベス1世]]も復旧に関心を寄せたが再建資金は完全には集まらず、屋根だけの復旧に留まった。
 
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17世紀に荒廃した旧セント・ポール大聖堂の再建計画の気運が高まり、[[イニゴ・ジョーンズ]]や[[クリストファー・レン]]が[[ゴシック様式]]に[[バロック建築#ローマと北イタリアの初期バロック建築|イタリア・バロック]]を折衷した再建案をまとめていた<ref name="Satou"/>。しかし、再建案が実現する前に[[1666年]]の[[ロンドン大火]]によって、旧セント・ポール大聖堂は完全に焼失してしまった。
 
 
 
その後、クリストファー・レンにより完全な[[バロック建築]]として再建され<ref name="Satou"/>、[[1710年]]に完成した。再建されたセント・ポール大聖堂は大ドーム及び西側正面にある2つの塔の特徴を持ち、高さ約111m、幅約74m、奥行き約157mである。この大聖堂は、[[チャールズ2世 (イングランド王)|国王チャールズ2世]]の命により、1675年から35年の歳月をかけて建築されたバロック様式の傑作である。
 
 
 
セント・ポール大聖堂の内部の、中央ドームの 「[[ささやきの回廊|ささやき回廊]]」と呼ばれるドーム回廊のフレスコ画は[[ジェイムズ・ソーソヒル|ジェイムズ・ソーンヒル]] ([[:en:James Thornhill|James Thornhill]])が描いた。内陣の装飾や木造彫刻は[[グリンリング・ギボンズ]]の作品。
 
 
 
大聖堂の西正門ファサードは入口に2層柱廊を設け、下層は[[コリント式]]、上層はコンポジット式オーダーを採用。柱廊上部の[[ペディメント]]内は聖パウロがダマスクスで伝道する光景のレリーフ、ペディメントの頂には聖パウロの彫像がある。大聖堂西正門前にはセント・ポール大聖堂の再建当時の君主、[[アン (イギリス女王)|アン女王]]の銅像がある。
 
 
 
1941年の[[ザ・ブリッツ|ドイツ軍による空爆]]の際に大聖堂も大きな損壊を受けたが、当時の首相[[ウィンストン・チャーチル]]が「セント・ポールはまだ建っているかね」と尋ねた言葉は有名である。
 
 
 
==教会、観光スポット、式典舞台==
 
[[File:Operation Banner Service Held at St Pauls Cathedral in 2008 MOD 45151837.jpg|thumb|2008年のイギリス軍の式典]]大聖堂には毎日5回の礼拝が行なわれ、特別の聖日にはその回数がさらに多くなる。
 
 
 
礼拝以外、大聖堂見学には入場料が必要となった。大聖堂の床から85メートルの高さにあるドーム上の塔の付け根部分まで階段で上がることができ、そこからロンドン市内を一望することが可能である。
 
 
 
[[ウェストミンスター寺院]]が王家の菩提寺とたとえられるのに対して、セント・ポール大聖堂は市民の大聖堂として古くからロンドン市民に親しまれてきた。セント・ポール大聖堂は英国がかかわった大戦の勝利を祝う式典の場とされてきた。古くは[[エリザベス1世]]による無敵艦隊撃滅記念式典がある。20世紀に入って王室とのつながりはますます強くなり、また、荘厳な伝統行事は次々と加えられ、国家的、国民的象徴としての重みはますます強くなっていった。
 
 
 
* 1965年、ウィンストン・チャーチルの葬儀は[[エリザベス2世|エリザベス女王]]臨席のもと、セント・ポール大聖堂にて行われた。
 
 
 
* [[1981年]]には[[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ王太子]]及び[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ元妃]]の結婚式が行われた場所としても知られる。
 
 
 
* [[2013年]]、[[マーガレット・サッチャー]][[イギリスの首相|首相]]の葬儀。
 
 
 
==クリプト==
 
聖堂地下室の[[納骨堂]]には、セント・ポール大聖堂の再建者であるクリストファー・レンの墓、[[アレクサンダー・フレミング]]、[[ジョン・エヴァレット・ミレー]]、[[ジョン・ダン]]といった著名人が眠る。大聖堂の建築家、クリストファー・レンの墓の壁面には、[[ラテン語]]で「LECTOR SI MONUMENTUM REQUIRIS CIRCUMSPICE」(「読ム人ヨ、モシ記念碑ラ求メルナラバ、回リラ見マワセ」)  と刻まれている。
 
 
 
中央の、ちょうどドームの真下あたりには、ひときわ大きな大理石棺が安置されている。これは、[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]提督の墓である。
 
 
 
=== 埋葬者一覧 ===
 
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*[[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]
 
*[[アーサー・サリヴァン]]
 
*[[アレクサンダー・フレミング]]
 
*[[エドウィン・ランドシーア]]
 
*[[カスバート・コリングウッド]]
 
*[[クリストファー・レン]]
 
*[[ジェレマイア・クラーク]]
 
*[[ジョージ・ウィリアムズ (YMCA)]]
 
*[[ジョージ・クルックシャンク]]
 
*[[ジョシュア・レノルズ]]
 
*[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]]
 
*[[ジョン・エヴァレット・ミレー]]
 
*[[ジョン・オブ・ゴーント]]
 
*[[ヘンリー・ムーア]]
 
*[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]
 
*[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]
 
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== ギャラリー ==
 
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File:St Pauls Cathedral in 1896.JPG|1896年当時のセント・ポール大聖堂
 
File:Cathédrale St-Paul - entrée principale.jpg|西側の大聖堂正面
 
File:St Paul's Cathedral 2003.jpg|大聖堂北側
 
File:St Paul's Cathedral, London, England - Jan 2010 edit.jpg|大聖堂東側
 
File:St Paul's Cathedral, south face, from Peter's Hill, Aug 2010.jpg|大聖堂南側
 
File:Cathédrale St-Paul - coupole.jpg|ドームの外観
 
File:St Paul's Cathedral London02-2.jpg|大聖堂内部の様子
 
File:Dome of st pauls.jpg|大聖堂内部からドームを見上げた様子
 
File:City of London-St. Paul's Cathedral-004.jpg|西側の広場にある[[アン (イギリス女王)|アン女王]]像
 
File:Statue of Saint Paul - London - 20090804.jpg|[[パウロ|聖パウロ]]像
 
File:StPaulsClockTower.jpg|時計塔
 
File:London St Pauls Cathedral with Millennium Bridge.jpg|[[ミレニアム・ブリッジ (ロンドン)|ミレニアム・ブリッジ]]から見た大聖堂 (昼)
 
File:St Pauls and Millennium Bridge at night.jpg|ミレニアム・ブリッジから見た大聖堂 (夜)
 
File:St Pauls Picturesque England Laura Valentine 1891.JPG|大聖堂の設計図
 
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== 脚注 ==
 
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|St Paul's Cathedral|St. Paul's Cathedral}}
+
*[http://www.stpauls.co.uk/ セント・ポール大聖堂公式サイト]  
*[http://www.stpauls.co.uk/ セント・ポール大聖堂公式サイト] {{en icon}}
 
*[http://www.sphericalimages.com/stpauls/virtual_tour.htm セント・ポール大聖堂バーチャルツアー]
 
 
 
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セント・ポール大聖堂.jpg

Saint Paul's Cathedral

ロンドンのラドゲイト・ヒルにある大聖堂。 1666年の大火で旧聖堂は焼失し,C.レンが再建案を作成。 75年の第3案に基づき着工。 1710年に完成。平面は 141m,31mのラテン十字形の長堂形式で,十字交差部は大ドームを支える広い円形空間となっている。 65mにもなる3重殻の大ドームは,8本のピアにより支えられ,ドーム内には推力による破壊を防ぐため「レンの鎖」がその基部に埋込まれている。その他の構造的工夫もレンの発明の才を示すとともに,近世の大聖堂建築のうちでもすぐれた構造を有するものとされている。西正面には中央に重層のコリント式オーダーの柱が並び,ペディメントを支え,その左右には大胆な意匠の塔が立てられている。ドームの着想は,D.ブラマンテのテンピエットから得られ,古典主義的であるが,塔にはボロミーニ式の意匠でバロック的な影響を受け,その全体構成からして,イギリス・バロック建築の代表作とされる。この大聖堂は設計から完成までが1人の建築家によりなされた珍しい例でもある。

外部リンク