スクリーン・ジェムズ

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スクリーン・ジェムズ(Screen Gems)は、アメリカ合衆国の映画製作会社。米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの一部であるコロンビア・トライスター・モーションピクチャー・グループの子会社である。親会社のものとは違う目的の映画を配給してきている。

歴史

1940年 - 1946年

10年の間、チャールズ・B・ミンツは『クレイジー・カット』、『Scrappy』、『Color Rhapsody』といった短編アニメ映画をコロンビア映画を通して配信し続けた。 1939年、ミンツは事業をやめ、スタジオをコロンビアに売った。新たなマネジメントのもと、このスタジオはスクリーン・ジェムズ(Screen Gems)という名前になった。ミンツの制作マネージャー、ジミー・ブロニスがスタジオの代表者になったが、すぐにミンツの義兄弟ジョージ・ウィンクラーに代わった。

しばらくしてコロムビアはウィンクラーを含むスタッフの多くを解雇し、新たにアニメーターのフランク・タシュリンを雇ったが、タシュリンはすぐに辞めてしまう。その後デイヴ・フライシャーが入社し、ワーナー・ブラザースからレイ・カッツとヘンリー・バインダーが入社した。このスタジオに入社したその他のアニメーターやアニメ監督には、アート・デヴィス、シド・マーカス、ボッブ・ウィッカーシャム、ボブ・クランペットなどがいる。

創成期のころのスタジオには、「Flippy」、「Willoughby Wren」、「Tito and his Burrito」といったキャラクターがあった。それらを用いた作品の中でもうまく行ったのが上品なキツネと世慣れたカラスのコンビを描いた『w:The Fox and the Crow』だった。

スクリーン・ジェムズは低予算であり続けたことで知られており、白黒漫画映画をやめたのも他のスタジオより遅かった。最後の白黒短編映画は1946年に制作された。その年にそのスタジオは閉鎖されたが、アニメーションの配信は1949年まで続いた。

スクリーン・ジェムズの作品は ウォルト・ディズニー・カンパニーワーナー・ブラザースMGMの作品よりも成功の度合いは小さかった。スタジオの作品は『w:Gerald McBoing Boing』や『近眼のマグー』といった批評的にも商業的にも成功を収めたアニメを作ってきたユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ(UPA)という外部の制作会社によって引き継がれた。

1948年 – 1974年

1948年、スクリーン・ジェムズは、コロンビアのテレビ部門としてテレビ番組を提供することを再開し、いくつかの人気番組(下記参照)の製作・シンジゲーションを行い、1950年代後半には、三ばか大将(The Three Stooges)の出演作品といったコロンビア映画のテレビ放映も始めた。最初のころは ユニバーサル・スタジオホラー映画のシンジゲーションを行いホラー映画リバイバルに多大な成功を与えた。

スクリーン・ジェムズが最後に制作したテレビシリーズは1974年の ミニシリーズ『QB VII』であった。 1964年から1969年までは元子役のジャッキー・クーパーが番組部門の副部長を務めた。彼は『奥さまは魔女』のようなシリーズなどを放送局に売った。

1958年から1974年までは、プロダクションの副所長であるハリー・アッカーマンの下で、スクリーン・ジェムズは『パパは何でも知っている』、 『わんぱくデニス』、『うちのママは世界一』、『ギジェットは15才』、『奥さまは魔女』、『かわいい魔女ジニー』、『いたずら天使』、『人気家族パートリッジ』といったシットコムを配信した。また、MGMを去ったウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラが立ち上げたハンナ・バーベラ・プロダクションの作品もこのころ配信されだした。

1950年代後半、スクリーン・ジェムズは放送事業にも力を入れるようになる。スクリーン・ジェムズはKTVX(ソルトレイクシティ)、w:WVUEニューオーリンズ)、WAPA (サン・フアン)、 w:WNJU (リンデン、ニュージャージー)といった放送局や、50,000ワットクリアチャンネルであるw:WWVA(Wheeling WV)といったラジオ局を所有した。

1974年、スクリーン・ジェムズはコロムビア・ピクチャーズ・テレビジョン(以下CPT)に名前を変更した。1982年コロンビアの企業所有が変更され、コカ・コーラに買収された際も、CPT名義で商売を続けた。1980年代半ば、コカ・コーラはCPTと Embassy Communicationsを合併させてColumbia/Embassy Televisionをつくりあげ、コカ・コーラ・テレビジョンを作るためにテレビホールディングスを再編成した。いずれの会社もそれぞれのアイデンティティを持ち続けたが、1988年に再びCPTの名のもとに編成されてしまった。1989年、日本の企業であるソニーはコロンビアを買収し、1991年、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントはソニーの映画部門の子会社としてソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントと名を変え、更にCPTとトライスター・テレビジョンは1994年にコロンビア・トライスター・テレビジョンとなった。

なお、テレビ部門はソニー・ピクチャーズ・テレビジョンと名を変えた。

代表的なテレビ番組

これらの番組はスクリーン・ジェムズによって制作もしくはシンジゲート放送された番組である。『Jeannie』をのぞく多くの番組は、ハンナ=バーベラ・プロダクションで制作され、現在はワーナー・ブラザース・テレビジョンが所有しており、ワーナー・ブラザース・テレビジョンが配信を行っている。

1999年から現在まで

1999年、スクリーン・ジェムズはのちにソニー・ピクチャーズ・クラシックス/トライアンフ・フィルムズ/デスティネーション・フィルムズとなる、Sony's Columbia TriStar Motion Picture Groupの第2特殊映画制作部門として再編成された。 スクリーン・ジェムズは主にコロンビアピクチャーズが製作・配給してきた映画と、ソニー・ピクチャーズ・クラシックがリリースしてきた映画の中間にあたる映画を作ってきている。[1]

2002年9月、Columbia TriStar Televisionはソニー・ピクチャーズ・テレビジョンに社名変更した[2]

ディメンション・フィルムズのように、スクリーン・ジェムズは、Columbia TriStarのメイン作品よりもコアなものを好む人々をターゲットに、低予算のSF映画ホラー映画青春映画笑劇民族映画などを配給しているが、もともとこのスタジオは文化的な大人の映画を製作してきたソニー・ピクチャーズ・クラシックスの姉妹スタジオだった。

主な映画作品

EUE/Screen Gemsについて

EUE/Screen Gems LTDEUE/Screen Gems Studiosは、スクリーン・ジェムズ本体とは異なる。 EUE/Screen Gems LTD は、ノースカロライナ州ウィルミントンニューヨーク州ニューヨーク市にある企業。

EUE/Screen Gemsは他国のブランドと結んでコンテンツを制作したり、自主製作のエージェンシーを宣伝したりする。また、劇場版映画・テレビ番組・モバイル用ウェブコンテンツといったあらゆるメディアの配信およびマーケティングも行う。 CWネットワークテレビドラマ『One Tree Hill 』を含む、300以上の番組やコマーシャルや映画はウィルミントンにあるEUE/Screen Gems Studiosで撮影されている。CBSプロダクションに向けて制作されている『Rachel Ray Show 』は、ニューヨークの社屋で撮影され、1965年から何百もの制作会社を受け入れている。

EUE/Screen Gems

1965年、コロンビア映画がニューヨークを拠点に活動する広告会社「EUE」の株式の50%を購入。当時スクリーン・ジェムズはコロムビア映画の傘下のテレビプロダクションだった。 広告会社はそのテレビ部門に入り EUE/Screen Gems となる。

1982年、コロンビア映画のコカ・コーラへの売却を機にコロンビア映画の重役ジョージ・クーニーがEUE/Screen Gemsを買い取りオーナーとなった。

EUE/Screen Gems Studios

1984年、映画プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスがノースカロライナ州ウィルミントンに映画スタジオを設立。以後、このスタジオはDEG (DeLaurentiis Entertainment Group) の傘下で活動を続けていたが、1990年、『ターミネーター』シリーズの製作会社であるカロルコ・ピクチャーズによって買収される。

1996年、カロルコ・ピクチャーズの破産に伴い、EUE/Screen Gemsのオーナー、ジョージ・クーニーがウィルミントン・スタジオを購入し、 EUE/Screen Gems Studios と社名変更した。

脚注

外部リンク



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