「ジョセフ・ジョンストン」の版間の差分
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− | アメリカの軍人,政治家。 1861年[[南部連合]]の連邦脱退に伴い出身地バージニアと運命をともにし,南軍に参加,シェナンドーの南軍指揮官。最初の戦闘,ブルランの戦いに勝利を得て信頼を集めた。南部連合大統領 J.デービスの作戦計画には反対であったが,その作戦に従い,62年5月フェアオークスの戦いで善戦し,重傷を負って | + | アメリカの軍人,政治家。 1861年[[南部連合]]の連邦脱退に伴い出身地バージニアと運命をともにし,南軍に参加,シェナンドーの南軍指揮官。最初の戦闘,ブルランの戦いに勝利を得て信頼を集めた。南部連合大統領 J.デービスの作戦計画には反対であったが,その作戦に従い,62年5月フェアオークスの戦いで善戦し,重傷を負って R.リー将軍に職務を譲った。 65年3月シャーマン軍をノースカロライナで阻止しようとしたが,4月 26日ダラムステーションで降伏。戦後連邦下院議員 (1879~81) ,連邦鉄道委員 (85) をつとめた。 |
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ジョセフ・エグルストン・ジョンストン(英: Joseph Eggleston Johnston[1]、1807年2月3日-1891年3月21日)
アメリカの軍人,政治家。 1861年南部連合の連邦脱退に伴い出身地バージニアと運命をともにし,南軍に参加,シェナンドーの南軍指揮官。最初の戦闘,ブルランの戦いに勝利を得て信頼を集めた。南部連合大統領 J.デービスの作戦計画には反対であったが,その作戦に従い,62年5月フェアオークスの戦いで善戦し,重傷を負って R.リー将軍に職務を譲った。 65年3月シャーマン軍をノースカロライナで阻止しようとしたが,4月 26日ダラムステーションで降伏。戦後連邦下院議員 (1879~81) ,連邦鉄道委員 (85) をつとめた。
- ↑ Josephはジョセフ、ジョゼフ、あるいはジョーゼフという発音がある