シクラメンのかほり

提供: miniwiki
移動先:案内検索

シクラメンのかほり」(シクラメンのかり)は、1975年4月に発売された布施明シングルである。

概要

布施が『第4回東京音楽祭』に本曲で出場したことがきっかけとなり大ヒットし、1975年の『第17回日本レコード大賞[注 1]と『FNS歌謡祭』グランプリなど、年末の音楽番組・音楽賞の大型タイトルを総なめに獲得した。

またオリコンチャート上においては、布施にとって唯一のミリオンセラー(売上数・105.2万枚)を達成する[1]。さらに作詞・作曲を手がけたシンガーソングライター小椋佳への注目もますます高まり、翌1976年に小椋は初のテレビ出演(『NHKコンサート小椋佳の世界』)を果たした。

この曲は、小椋が第一勧業銀行赤坂支店に勤めていた際、取引先の会社で休憩していた時に見た、自身には馴染みのない花であったシクラメンをヒントに思い浮かんだものである[2]

歌詞の「…ほど…ものはない」は、エルヴィス・プレスリーの「マリー・イン・ザ・モーニングEnglish版」の歌詞から引用し、それに北原白秋の全集から小椋が気にいった言葉を抜き出して当てはめたものである。詩が「借り物」を中心に構成されたことを示すために、3番の歌詞に「薄紫のシクラメン」を挿入し、曲名を「シクラメンのかほり」とした[注 2]。小椋はこうして出来上がった曲を気に入らず、また歌詞の内容が月並みな展開だったので、レコーディングせずにお蔵入りにしていた。そのために、当時はこの曲がヒットしたことが信じられなかったと後に告白している。

年末恒例の『NHK紅白歌合戦』では、1975年・第26回にトリ前で初披露された。その後も1990年第41回2000年第51回と、過去合計3回歌唱された。なお、2005年第56回の出場者選考アンケートとしてNHKが実施した『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』において、白組80位にランクインしている[注 3]

「かほり」の仮名遣い

契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされ、それ以前にスタンダードだった定家仮名遣では「かほり」が正しいとされていた。

この曲は、作者の小椋が自分の妻の「佳穂里」(かほり)に宛てた愛の賛歌であり、美しいシクラメンを妻に見立て、その名を付けたと推測する説[3]がある。しかし一方で、小椋は「それ(妻の名前が込められていること)を聞くと家内は怒りますよ。俗説です」としている[2]

収録曲

  1. シクラメンのかほり
    作詞:小椋佳、作曲:小椋佳、編曲:萩田光雄
  2. 淋しい時
    作詞:小椋佳、作曲:小椋佳

脚注

注釈

  1. 本曲以降、キングレコード所属歌手のレコード大賞受賞は2011年第53回AKB48フライングゲット」まで36年間なかった。
  2. 当時はシクラメンの花に薄紫色はなかった。また、シクラメンには香りがなく、まれにあっても極めて薄い。なお、この歌のヒットをきっかけとして、後に薄紫色のシクラメン、香りのあるシクラメンが開発されている。
  3. ただし、2005年の紅白では、同年の布施のヒット曲「少年よ」が歌唱され、本作は歌唱されなかった。

出典

  1. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「oricon」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2013年5月18日付『中日新聞』夕刊2面「この道 歌創り40年 小椋佳」より。
  3. 2017年2月17日放送、MX『5時に夢中!』に布施明がゲスト出演した際に「一説」として紹介された。


テンプレート:日本歌謡大賞 テンプレート:FNS歌謡祭グランプリ テンプレート:オリコン月間シングルチャート第1位 1970年代後半 テンプレート:オリコン週間シングルチャート第1位 1975年

テンプレート:Single-stub