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'''サミュエル・バーバー'''({{lang-en|'''Samuel Barber'''}}、[[1910年]][[3月9日]] - [[1981年]][[1月23日]]
'''サミュエル・バーバー'''({{lang-en|'''Samuel Barber'''}}、[[1910年]][[3月9日]] - [[1981年]][[1月23日]])は、[[アメリカ合衆国|米国]]の[[作曲家]]。特に[[弦楽のためのアダージョ]]が有名。
 
  
== 生涯・作風 ==
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[[アメリカ合衆国|米国]]の[[作曲家]]
[[ペンシルベニア州]][[ウェストチェスター (ペンシルベニア州)|ウェストチェスター]]出身。外科医の父とアマチュアピアニストの母の間に生まれる。[[19世紀]]のアメリカ東部で名声を博したオペラ歌手、[[ルイーズ・ホーマー]]の[[甥]]に当たる。その夫[[シドニー・ホーマー|シドニー]]は19世紀の[[ニューイングランド]]などで人気の歌曲作曲家であった。
 
  
[[フィラデルフィア]]の[[カーティス音楽学校]]で[[ロザリオ・スカレロ]]に[[作曲]]を学ぶ他、[[ピアノ]]・[[声楽]]を専攻。また、[[フリッツ・ライナー]]に[[指揮 (音楽)|指揮]]も学ぶ。最優等を得て卒業した後、[[1935年]]に、[[ローマ]]のアメリカ学士院より奨学金を得て、翌年より[[イタリア]]留学を果たす。同地で《[[弦楽四重奏曲第1番 (バーバー)|弦楽四重奏曲第1番]][[ロ短調]]》を作曲、この第2楽章が後に弦楽合奏用に編曲され、《[[弦楽のためのアダージョ]]》として広く親しまれるに至った。
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カーティス音楽院に学び,初期作「ドーヴァー・ビーチ」(1931)以来,重厚でロマン的な作風を生涯保持した。「第一交響曲」(36),「バイオリン協奏曲」(39)等はその好例である。「キャプリコーン協奏曲」(44)に多少新古典的な傾向がみられるほか,ホロヴィッツのために書かれた「ピアノ・ソナタ」(48)もいくぶん進取的な語法をもつ作品とみられている。「弦楽のためのアダージョ」(36)は一般にもよく知られている。
 
 
同世代の[[パリ]]に留学したアメリカ人作曲家、たとえば[[アーロン・コープランド|コープランド]]や[[エリオット・カーター|カーター]]などとは違って[[モダニズム]]や実験的姿勢に走らず、和声法や楽式において、かなり伝統に従っている。バーバー作品は豊かで華麗な旋律が特徴的で、[[新ロマン主義音楽]]の作曲家に分類されている。同じくイタリア留学組の[[ハワード・ハンソン]]と並んで、「最後のロマンティスト」と評されるゆえんである。とはいえ、いくつかの作品、たとえば《ヴァイオリン協奏曲》のフィナーレにおける[[無調]]、《ピアノ・ソナタ》の中間楽章における[[十二音技法|12音]]、《ピアノ協奏曲》における[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]ばりの打鍵主義など、現代的な要素が皆無というわけではない。
 
 
 
ピアノ伴奏ないしは管弦楽伴奏の歌曲集は、とりわけ英語圏出身の歌手にとっては不可欠の、20世紀の古典的レパートリーとなっている。初版では[[弦楽四重奏]]と[[バリトン]]のための《ドーヴァー・ビーチ》、[[中世]][[アイルランド]]無名作家による詩に基づいた《隠者の唄》、[[ソプラノ]]と管弦楽伴奏のための《ノックスヴィル、1915年夏》などは特に有名である。《この輝ける夜に''Sure on this Shining Night'' 》作品13-3は、[[エリー・アーメリング]]などのレパートリーにも入った人気の歌曲で、後にオーケストラ伴奏版も作成された。バーバー自身は優れた[[バリトン]]歌手であり、声楽の訓練も受けたことがあった。声楽家兼作曲家としてカーティス四重奏団と共に自作の演奏旅行をしたり、《ドーヴァー・ビーチ》などの自作の録音を残し、レコードが発売されたこともある。ただし、バーバーの声楽家としての録音点数は少ない。大規模な合唱曲として、《[[キルケゴールの祈り]]》([[1954年]])と《恋人たち》([[1971年]])がある。また、《[[弦楽のためのアダージョ]]》にラテン語の典礼文を載せた《アニュス・デイ》といった秘曲もある。
 
 
 
バーバーはまた優れた[[ピアニスト]]でもあり、人前で舞台に立つことこそなかったが、1日の仕事を始める前に、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の《平均律クラヴィーア曲集》などを弾く習慣があり、とりわけ[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]や[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]のピアノ曲に傾倒したと言われる。また、ラフマニノフの使っていたピアノを所有していた。《ピアノ・ソナタ》は[[1949年]]に作曲され、[[ヴラジーミル・ホロヴィッツ|ホロヴィッツ]]によって初演された。それゆえこの作品は、国際的に有名な演奏家によって公式に初演された、最初のアメリカ人作曲家によるピアノ曲と見なされている。またこの作品は、[[リチャード・ロジャース (作曲家)|リチャード・ロジャーズ]]と[[アーヴィング・バーリン]]が創設した楽譜出版社から出版されている。
 
 
 
その他の器楽曲のうち、純粋な管弦楽作品としては、弦楽合奏のための[[セレナーデ]]、2つの[[交響曲]](《第1番ホ短調》([[1936年]])、《第2番》[[1944年]])、[[演奏会用序曲]]《悪口学校》([[1932年]])、《シェリーによる一景のための音楽》、3つの《管弦楽のためのエッセイ》(順に[[1938年]]、[[1942年]]、[[1978年]])がある。
 
 
 
ほかに[[協奏曲]]では、《ヴァイオリン協奏曲 ト長調》、《チェロ協奏曲》、《ピアノ協奏曲》([[1962年]][[9月24日]]に[[ジョン・ブラウニング]]と[[ボストン交響楽団]]により[[ニューヨーク市|ニューヨーク]]で初演)がある。晩年に[[ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団]]からオーボエ協奏曲の作曲を依頼されたが、他界する前に緩徐楽章を遺すにとどまった。この作品は後に第三者([[チャールズ・ターナー]])によってオーボエと弦楽合奏のための《カンツォネッタ》として編曲されている。バーバーの没後の初演では、当初から予定されていたオーボエ奏者[[ハロルド・ゴンバーグ]]が引退した直後であったが、特にその演奏のために独奏者として一回だけ復帰し、[[ズビン・メータ]]指揮で演奏された。また《カプリコーン協奏曲》は、いくつかの独奏楽器と弦楽合奏のための、近代化された一種の[[コンチェルト・グロッソ]]である。
 
 
 
バーバーにはいくつかの[[歌劇]]があり、40年余りの間私生活のパートナーだった[[ジャン・カルロ・メノッティ]]の台本による《ヴァネッサ》は、ニューヨークにおいて[[メトロポリタン歌劇場]]において初演され、評論家筋や聴衆から圧倒的支持を受けて成功を収め、バーバーに[[ピューリッツァー賞 音楽部門|ピューリッツァー賞]]が授与された。しかしながらヨーロッパ初演では冷遇され、その後も国際的な檜舞台に上るまでには至っていない。[[1966年]]の《アントニウスとクレオパトラ》は、[[フランコ・ゼフィレッリ]]の台本によるが、失敗。その後、ジャン=カルロ・メノッティの改訂が加わり、再演された。[[マーサ・グラハム]]のために作曲された[[バレエ]]音楽《[[メデアの瞑想と復讐の踊り]]》は、[[印象主義音楽|印象主義]]的な部分と[[表現主義音楽|表現主義]]的な部分の交錯する晦渋な作風をとり、近年では一種の[[交響詩]](あるいは舞踊詩)として演奏されるようになりつつある。
 
 
 
[[1981年]]、リンパ腺癌によりニューヨーク市内の自宅にて死去。
 
 
 
==主な作品リスト==
 
{{main|バーバーの楽曲一覧}}
 
=== 舞台作品 ===
 
* 歌劇 バラの一日
 
* 劇付随音楽 春の1日(紛失)(1935)
 
* 歌劇 {{仮リンク|ヴァネッサ(オペラ)|label=ヴァネッサ|en|Vanessa (opera)}} Op.32 (1957)
 
* 歌劇 ブリッジ遊び Op.35 (1959)
 
* 歌劇 {{仮リンク|アントニーとクレオパトラ(オペラ)|label=アントニーとクレオパトラ|en|Antony and Cleopatra (opera)}} Op.40 (1965~66)
 
* バレエ音楽 メデア Op.23 (1945/1946組曲/1947改訂)
 
* バレエ音楽 青いばら (1953)
 
 
 
=== 交響曲 ===
 
* [[交響曲第1番 (バーバー)|交響曲 第1番]] ホ短調 Op.9 (1935~36/1943改訂)
 
* [[交響曲第2番 (バーバー)|交響曲 第2番]] Op.19 (1944/1947改訂)
 
** 1964年に撤回されるが、死後にパート譜が一揃い発見され、再び演奏されるようになっている。
 
 
 
=== 管弦楽曲 ===
 
* 序曲『[[悪口学校 (バーバー)|悪口学校]]』 Op.5 (1932)
 
* [[弦楽のためのアダージョ]] Op.11 (1937)
 
* [[管弦楽のためのエッセイ|オーケストラのためのエッセイ]]第1番 Op.12 (1938)
 
* [[管弦楽のためのエッセイ|オーケストラのためのエッセイ]]第2番 Op.17 (1942)
 
* 夜間飛行 Op.19a (1964)
 
** 撤回した交響曲第2番の第2楽章を改訂し、出版したもの。
 
* オーケストラのためのエッセイ第3番 Op.47 (1942)
 
* クリスマスに Op.37 (1960)
 
 
 
=== 吹奏楽曲 ===
 
* [[コマンド・マーチ]] (1943)
 
 
 
=== 協奏曲 ===
 
* [[ヴァイオリン協奏曲 (バーバー)|ヴァイオリン協奏曲]] Op.14 (1939~40)
 
* [[カプリコーン協奏曲]] Op.21 (1944)
 
* [[チェロ協奏曲 (バーバー)|チェロ協奏曲]] イ短調 Op.22 (1945)
 
* [[ピアノ協奏曲 (バーバー)|ピアノ協奏曲]] Op.38 (1961~1962)
 
* [[オーボエと弦楽のためのカンツォネッタ]] Op.48 (1977~78)([[オーボエ協奏曲]]の緩徐楽章として計画。未完。オーケストレーションは[[チャールズ・ターナー]]が補筆。)
 
 
 
=== 室内楽曲・器楽曲 ===
 
* 弦楽のためのセレナード Op.1 (1929/1944弦楽オーケストラ編)
 
* 弦楽四重奏曲第1番 ロ短調 Op.11(1936/後に第2楽章を編曲(弦楽のためのアダージョOp.11))
 
* 弦楽四重奏曲第2番 (1948)
 
* [[夏の音楽]] Op.31 (1956)
 
* ヴァイオリン・ソナタ (1931)
 
* [[チェロソナタ (バーバー)|チェロ・ソナタ]] Op.6 (1932)
 
* 弦楽四重奏曲(第2楽章のみ)(1949)
 
 
 
=== ピアノ曲 ===
 
* [[ピアノソナタ (バーバー)|ピアノ・ソナタ 変ホ短調 Op.26]] (1949)
 
* 夜想曲 Op.33 (1959)
 
* 組曲 思い出 Op.28 (1951)
 
* メロディ (1917)
 
* ラルゴ (1918)
 
* 子守歌 (1919)
 
* メイン・ストリート (1926頃)
 
* ファンタジー (1924)
 
* カリヨンのための組曲 (1924)
 
* 2声-3声のフーガ (1927)
 
* 遠足 (1942~44)
 
 
 
=== オルガン曲 ===
 
* 前奏曲とフーガ (1927)
 
* 「素晴らしい愛」による変奏曲 Op.34 (1959)
 
* 祝典トッカータ Op.36(1960)
 
 
 
=== 合唱曲 ===
 
* 2つの合唱曲 Op.8 (1935~36)
 
* アニュス・デイ(Op.11)(1967 弦楽のためのアダージョ Op.11の編曲)
 
* ストップウォッチと軍用地図 Op.15 (1940)
 
* 生まれ変わり Op.16 (1937~40)
 
* 恋人たち Op.43 (1971初演)
 
* 神の威厳 (1938)
 
* クリスマス・イヴ (1924)
 
* アヴェ・マリア (1940)
 
 
 
=== 管弦楽と声楽のための作品 ===
 
* ドーヴァー・ビーチ Op.3 (1931)
 
* [[ノックスヴィル、1915年夏]] Op.24 (1947)
 
* [[キルケゴールの祈り]] Op.30 (1954)
 
* アンドロマケの別れ Op.39 (1962)
 
 
 
=== 歌曲 ===
 
* 3つの歌 Op.2 (1927~34)
 
* 3つの歌 Op.10 (1935~36)
 
* 4つの歌 Op.13 (1937~1940)
 
* 2つの歌 Op.18 (1942~43)
 
* ヌヴォレッタ Op.25 (1947)
 
* 過ぎ行きしものの歌 Op.27 (1951)
 
* 隠者の歌 Op.29 (1952~53)
 
* 歌曲集 恨みと沈黙 Op.41 (1968)
 
* 3つの歌 Op.45 (1972)
 
* Sometime
 
* なぜ?
 
* 祈り
 
* 古い歌
 
* 狩の歌
 
* メヌエット
 
* 夜
 
* 男性
 
* 月
 
* 日没
 
* 夜にさまよう者
 
* セレナード
 
* Peace
 
* Farewill
 
* Ask me to rest
 
* 我が祖国
 
* 物乞いの歌
 
* マドンナの子守歌
 
* あなたの愛
 
* 天と地を結ぶ弦
 
 
 
== 作品目録 ==
 
* [http://www.schirmer.com/composers/barber_works.html#orch シャーマー社による公式データ]
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
<references />
 
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[[Category:アメリカ合衆国の作曲家]]
 
[[Category:アメリカ合衆国の作曲家]]

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サミュエル・バーバー
Samuel Barber
基本情報
生誕 (1910-03-09) 1910年3月9日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Pennsylvania.svg.png ペンシルベニア州 ウェストチェスター
死没 (1981-01-23) 1981年1月23日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of New York.svg ニューヨーク州 ニューヨーク
学歴 カーティス音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

サミュエル・バーバー英語: Samuel Barber1910年3月9日 - 1981年1月23日

米国作曲家

カーティス音楽院に学び,初期作「ドーヴァー・ビーチ」(1931)以来,重厚でロマン的な作風を生涯保持した。「第一交響曲」(36),「バイオリン協奏曲」(39)等はその好例である。「キャプリコーン協奏曲」(44)に多少新古典的な傾向がみられるほか,ホロヴィッツのために書かれた「ピアノ・ソナタ」(48)もいくぶん進取的な語法をもつ作品とみられている。「弦楽のためのアダージョ」(36)は一般にもよく知られている。

脚注



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