「グリニッジ天文台」の版間の差分

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{{Infobox 天文台
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[[ファイル:グリニッジ天文台.ロンドン,イギリス.jpg|サムネイル|グリニッジ天文台.ロンドン,イギリス]]
|caption=グリニッジ天文台。八角形の建物の頂上に[[報時球]]がある
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'''グリニッジ天文台'''(グリニッジてんもんだい、[[英語|英]]: {{lang|en|Royal Observatory, Greenwich}}、旧称: Royal Greenwich Observatory)
|map_type=United Kingdom London Greenwich
 
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[[ファイル:Prime-meridian.jpg|thumb|200px|right|かつて[[グリニッジ子午線]]の基準になっていた、グリニッジ天文台旧本館北面の窓。現在の[[本初子午線]]はこの窓の中心から東に約102.5mの位置を通過している。]]
 
[[File:Royalobs.jpg|thumb|200px|テムズ川河畔側から南方に見えるグリニッジ天文台の全貌]]
 
'''グリニッジ天文台'''(グリニッジてんもんだい、[[英語|英]]: {{lang|en|Royal Observatory, Greenwich}}、旧称: Royal Greenwich Observatory)は、[[ロンドン]]郊外[[グリニッジ]]地区の[[テムズ川]]河畔[[グリニッジ・パーク]]内に存在する[[天文台]]。ロンドン中心部から東におよそ5km、テムズ川河畔からは南におよそ800mの丘に建てられている。
 
  
[[1675年]]に[[イングランド]]国王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が設立した王立天文台で、初代天文台長は[[ジョン・フラムスティード]]。[[1957年]]に[[イースト・サセックス]]のハーストモンソーに移転し、「グリニッジ旧王立天文台」となった。[[1990年]]に[[ケンブリッジ]]に移転した後、[[1998年]]に閉鎖され、再び「グリニッジ王立天文台」と呼ばれるようになった。現在は観測機器はなく、[[史跡]]として維持されている。
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イギリスの王立天文台。 1675年[[グリニッジ]]に創立。 1884年ここを通る子午線が経度0°の[[本初子午線]]とされ,全世界がこれにならった。初代台長は[[フラムスティード]]。 1923年サリー県のアビンジャーに移り,第2次世界大戦後徐々にイーストサセックス県ハーストモンスーに移転,1970年代後半にはより観測に適した地を求め,スペイン領カナリア諸島のラパルマ島にラパルマ天文台を建設し,口径 2.5mの[[反射望遠鏡]] (ニュートン記念望遠鏡) を移設。 90年代に入り,研究部門をケンブリッジ大学の一画へ移した。創立以来,[[位置天文学]]をおもな業務とし,1767~1831年『天体暦』を編集,1940年以降は『天体の位置』を刊行し,天体物理,気象,地磁気などの研究も行なってきたが,98年 10月もう1つの王立天文台であるエディンバラ天文台と統合され閉鎖された。
  
[[1851年]]に台長[[ジョージ・ビドル・エアリー|エアリー]]が本館(当時)に[[子午環]]を設置し、窓の中心を基準として観測を行い、この地点([[グリニッジ子午線]]上)の[[平均太陽時]]である[[グリニッジ平均時]]を定めていた。その後、世界共通の経度の基準(経度0度、[[本初子午線]])と定められ、世界の経度および時刻の基準を担っていた。1833年に設置された[[報時球]]は現在も稼働している。<!--[[経度]]0度と定め、経度および時刻の基準([[グリニッジ標準時]])点として観測等を行なっていた。-->
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{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
なお、現在では、[[エアリー]]の[[子午環]]は、正確には'''[[本初子午線]]ではなくなっている'''。[[本初子午線]]は、エアリーの子午環から東へ、角度 5.301 秒、距離にして102.478 m の位置を通過している(詳細は[[本初子午線]]、[[IERS基準子午線]]を参照のこと)<ref>{{cite journal| url = http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00190-015-0844-y | title = Why the Greenwich meridian moved | first1 = Stephen | last1 = Malys | first2 = John H. | last2 = Seago | first3 = Nikolaos K. | last3 = Palvis | first4 = P. Kenneth | last4 = Seidelmann | first5 = George H. | last5 = Kaplan | journal = Journal of Geodesy | date = 1 August 2015 | doi = 10.1007/s00190-015-0844-y|bibcode = 2015JGeod..89.1263M }}</ref>。
 
 
 
近隣のブラックヒースには、[[ジェームズ1世 (イングランド王)]]が1608年に最初7ホールを造らせたゴルフクラブがある。これは今も超一流コースとして利用されている。
 
 
 
== 建設の背景 ==
 
[[15世紀]]後半から[[ヨーロッパ]]各国による海外進出を競う、[[大航海時代]]を迎えていたが、当時はまだ、運に任せた危険な航海が多く、海難事故が相次いでいた。この競争を制するため、[[航海術]]の向上にいち早く取り組み、海洋国家として世界に進出を図っていたイングランドは航海の支援を目的として、天文台を建設した。外洋の航海には正確な[[緯度]]と[[経度]]の計測が不可欠で、見渡す限りの海で緯度の計測基準となったのは星であった。[[北極星]]の位置や見える角度から、船は緯度を割り出すことができた。一方経度の測定には正確な時刻を知る必要から[[クロノメーター]]が開発されるとともに、時刻の基準すなわち「経度の基準」が必要になった。
 
 
 
== 年表 ==
 
* 1675年: グリニッジ天文台 (Royal Observatory, Greenwich) 設立。
 
* 1714年: [[経度法]]により{{仮リンク|経度委員会|en|Board of Longitude}}と{{仮リンク|経度賞|en|Longitude prize}}が設立される。
 
* 1924年: 2月5日に、1時間毎の時間信号(グリニッジ時間信号)が初めて放送される。
 
* 1948年: ハーストモンソーへの移設が始まる。
 
* 1957年: ハーストモンソーへの移設が完了し、王立グリニッジ天文台 (Royal Greenwich Observatory, RGO) と改称される。グリニッジサイトは旧王立天文台 (Old Royal Observatory) となる。
 
* 1990年: RGOはケンブリッジに移設される。
 
* 1998年: RGOが閉鎖される。グリニッジサイトは再びグリニッジ天文台 (Royal Observatory, Greenwich) となり、{{仮リンク|国立海事博物館 (イギリス)|en|National Maritime Museum}}の一部となった。
 
 
 
== 歴代天文台長 ==
 
1972年まで、グリニッジ天文台長は伝統的に[[王室天文官]] (Astronomer Royal) の称号を得る慣習となっていた。カッコ内の西暦は就任した年。
 
# [[ジョン・フラムスティード]](John Flamsteed, 1675年)
 
# [[エドモンド・ハレー]](Edmond Halley, 1720年)
 
# [[ジェームズ・ブラッドリー]](James Bradley, 1742年)
 
# [[ナサニエル・ブリス]](Nathaniel Bliss, 1762年)
 
# [[ネヴィル・マスケリン]](Nevil Maskelyne, 1765年)
 
# [[ジョン・ポンド]](John Pond, 1811年)
 
# [[ジョージ・ビドル・エアリー]](George Biddell Airy, 1835年)
 
# [[ウィリアム・クリスティ (天文学者)|ウィリアム・クリスティー]](William Henry Mohoney Christie, 1881年)
 
# [[フランク・ダイソン]](Frank Watson Dyson, 1910年)
 
# [[ハロルド・スペンサー・ジョーンズ]](Harold Spencer Jones, 1933年)
 
# [[リチャード・ウーリー]](Richard van der Riet Woolley, 1956年)
 
# [[マーガレット・バービッジ]](Margaret Burbidge, 1972年)<br />王室天文官は[[マーティン・ライル]](Martin Ryle, 1972年)
 
# [[アラン・ハンター]](Alan Hunter, 1973年)
 
# [[フランシス・グラハム・スミス]](Francis Graham Smith, 1976年(1982年から王室天文官))
 
# [[アレキサンダー・ボクセンバーグ]](Alexander Boksenberg, 1981年)
 
# [[ジャスパー・ウォール]](Jasper Vivian Wall, 1995年)
 
 
 
参考:王室天文官
 
* [[アーノルド・ウォルフェンデール]](Arnold Wolfendale, 1991年)
 
* [[マーティン・リース]](Martin Rees, 1995年)
 
 
 
== 出典 ==
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons|Category:Royal Observatory, Greenwich}}
 
* [[グリニッジ子午線]]
 
* [[本初子午線]]
 
* [[天文遺産]]
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:くりにつしてんもんたい}}
 
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[[Category:グリニッジ区]]
 
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グリニッジ天文台.ロンドン,イギリス

グリニッジ天文台(グリニッジてんもんだい、: Royal Observatory, Greenwich、旧称: Royal Greenwich Observatory)

イギリスの王立天文台。 1675年グリニッジに創立。 1884年ここを通る子午線が経度0°の本初子午線とされ,全世界がこれにならった。初代台長はフラムスティード。 1923年サリー県のアビンジャーに移り,第2次世界大戦後徐々にイーストサセックス県ハーストモンスーに移転,1970年代後半にはより観測に適した地を求め,スペイン領カナリア諸島のラパルマ島にラパルマ天文台を建設し,口径 2.5mの反射望遠鏡 (ニュートン記念望遠鏡) を移設。 90年代に入り,研究部門をケンブリッジ大学の一画へ移した。創立以来,位置天文学をおもな業務とし,1767~1831年『天体暦』を編集,1940年以降は『天体の位置』を刊行し,天体物理,気象,地磁気などの研究も行なってきたが,98年 10月もう1つの王立天文台であるエディンバラ天文台と統合され閉鎖された。



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