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'''グラナダ'''({{lang|es|Granada}})は、[[スペイン]]・[[アンダルシア州]][[グラナダ県 (スペイン)|グラナダ県]]の[[ムニシピオ]](基礎自治体)。グラナダ県の県都である。
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'''グラナダ'''({{lang|es|Granada}})
 
 
かつては[[イベリア半島]]最後のイスラム王朝[[ナスル朝]]グラナダ王国の首都だった。[[アルハンブラ宮殿]]が存在する。[[シエラネバダ山脈 (スペイン)|シエラネバダ山脈]]を源流とする[[ヘニル川]]流域の「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野を基盤にして栄えた。
 
 
 
== 歴史 ==
 
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=== 古代 ===
 
紀元前8世紀から[[イベリア人]](もしくは[[ケルティベリア人]])が居住し、「イルトゥリル」という名で呼ばれた。[[タルテッソス|タルテソス]]の文化と関係を持ち、[[フェニキア]]人、[[カルタゴ]]人、[[古代ギリシア|ギリシア人]]と接触していた。紀元前193年に[[古代ローマ|ローマ]]の支配下に入り、「イリベリス」という名前で呼ばれた。紀元5世紀からは[[西ゴート王国]]の支配下に入った。
 
 
 
=== アル=アンダルス ===
 
711年、[[ウマイヤ朝]]の指揮官[[ターリク・イブン・ズィヤード]]の軍が[[イベリア半島]]に上陸し、同年にグラナダも占領された。都市の郊外には「ガルナタ」と呼ばれる[[ユダヤ人]]のコミュニティーがあり、彼らはターリクによる占領を支援した。これ以降グラナダは15世紀まで約780年の間、イベリア半島のイスラム支配地[[アンダルス|アル=アンダルス]]の領域となる。
 
 
 
756年、[[アブド・アッラフマーン1世]]が[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を都として[[後ウマイヤ朝]]を建国した。グラナダはアル=アンダルスの中でも重要な都市の1つとなり、「イルビラ」または「エルビラ」と呼ばれた。後ウマイヤ朝が衰えた11世紀始め、内戦のために都市が破壊されたのち、[[ズィール朝]]の一族がこの地を征服し、1013年に[[タイファ]]諸国の1つであるグラナダ王国([[:es:Taifa de Granada|es]])として独立した。都市は再建され、郊外の「ガルナタ」の位置(現在の[[アルバイシン]]を含む丘陵)に移動した。
 
 
 
グラナダは11世紀末に[[ムラービト朝]]に、12世紀半ばに[[ムワッヒド朝]]に征服されたが、都市は発展を続けた。1212年、[[ナバス・デ・トロサの戦い]]でムワッヒド軍がキリスト教諸国連合軍に大敗してからは、アル=アンダルスは混乱に陥り、諸都市の支配者は互いに抗争を続けた。1236年、コルドバは[[カスティーリャ王国]]の[[フェルナンド3世 (カスティーリャ王)|フェルナンド3世]]によって陥落した。
 
 
 
=== ナスル朝 ===
 
[[ファイル:Spain Andalusia Granada BW 2015-10-25 17-24-14.jpg|thumb|200px|アルハンブラ宮殿のライオンの中庭]]
 
[[ファイル:La Rendición de Granada - Pradilla.jpg|thumb|right|200px|グラナダの開城(1492年)]]
 
1232年、アンダルスの支配者の一人、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル(アル・アフマル)は王を名乗り、1238年にグラナダに王国([[ナスル朝]])を建国した({{仮リンク|ムハンマド1世|en|Mohammed I ibn Nasr}})。1246年、ムハンマドはフェルナンド3世と条約を結び、カスティーリャに臣従して貢納する代わりに、グラナダ、[[マラガ]]、[[アルメリア]]を保有することを許された。
 
 
 
ナスル朝グラナダ王国は、[[イベリア半島]]における最後のイスラム王朝として約250年間存続し、経済・文化が繁栄した。[[アルハンブラ宮殿]]は、ナスル朝時代に建てられたもので、[[イスラム建築]]の傑作と評価される。しかし、15世紀末にカスティーリャ王国と[[アラゴン王国]]が連合王国となると、ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡した。
 
 
 
=== レコンキスタ後 ===
 
他宗教にも寛大であったナスル朝のグラナダには、当時キリスト教世界で弾圧されていた[[ユダヤ人]]も多く存在していた。しかし、[[レコンキスタ]]完了後は、キリスト教徒によるユダヤ人の[[虐殺]]が行われ([[スペイン異端審問]])、多くのユダヤ人がイベリア半島から去った。そうしたユダヤ人は、[[オスマン帝国]]などで保護され、経済発展を支える一勢力になる。
 
 
 
== 名所 ==
 
[[ファイル:Spain Andalusia Granada BW 2015-10-25 17-47-40 1.jpg|thumb|200px|アルハンブラ宮殿のアラヤネスの中庭]]
 
 
 
グラナダは壮麗なアルハンブラ宮殿で名高い。宮殿と川をはさんで向かい合う丘の上にはアルバイシンの街並みが広がる。「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」は、ユネスコの[[世界遺産]]に登録されている。
 
 
 
*[[アルハンブラ宮殿]] - 古代からの砦の上にナスル朝初代君主のムハンマド1世が建築を始めた宮殿で、ユースフ1世の代(14世紀)に完成された。
 
**[[ヘネラリフェ]] - アルハンブラの東のはずれに建てられた離宮で、美しい庭園がある。
 
**カルロス5世宮殿([[:en:Palace of Charles V|en]]- [[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス5世]]がアルハンブラ内に建てた宮殿。
 
*[[アルバイシン]] - イスラム時代の街並みが残る地区。迷路のように入り組んだ路地に白壁の家が並ぶ。
 
*カテドラル([[:en:Granada Cathedral|en]]) - モスクの跡に建設された大聖堂。
 
**王室礼拝堂 - [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]と[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]の遺骸が眠る。
 
*カルトゥーハ修道院([[:en:Granada Charterhouse|en]]) - 16世紀から建設が始められた修道院。スペイン・バロック建築の代表の1つ。
 
 
 
== 文化 ==
 
毎年6月中旬から7月中旬に「グラナダ国際音楽舞踊祭」が開催される。クラシック音楽やバレエに加えて、[[フラメンコ]]も上演され、一流の指揮者やオーケストラが集まる。
 
 
 
=== スポーツ ===
 
* [[CBグラナダ]] - バスケットボールクラブ。
 
* [[グラナダ74CF]] - サッカークラブ。2007年に本拠地をグラナダに移した。
 
* [[グラナダCF]] - サッカークラブ。
 
 
 
2015年には冬季[[ユニバーシアード]]を開催した。
 
 
 
== 交通 ==
 
市内中心部には路線バスが多数走っている。
 
=== 航空 ===
 
市街から15km西に[[グラナダ空港]]があり、[[マドリード]]や[[バルセロナ]]からの便がある。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
*[[マドリード]]からは[[アリタリア]]で約4時間半。マドリードから高速鉄道[[AVE]]を利用しセビリアで乗り換えるという選択肢もある。
 
*[[バルセロナ]]からは夜行列車トレンオテルで約11時間、運転日の少ない昼の列車で約11時間半。
 
*[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]からも夜行列車トレンオテルで8時間弱、昼行列車で8時間半。
 
*[[セビリア]]からは快速列車R-598で3時間~3時間15分。
 
*[[アルメリア]]からは同じくR-598で2時間25分。
 
*[[マラガ]]からはボバディージャ乗り換えで2時間45分~3時間45分。
 
*[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]からはセビリア乗り換え若しくはボバディージャ乗り換えで4時間30分~5時間30分。
 
*[[アルヘシーラス]]からは普通列車レヒオナルで4時間20分~4時間40分。
 
 
 
=== バス ===
 
*[[マラガ]]から1時間45分
 
*[[セビリア]]、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]からは約3時間。
 
*他に[[マドリード]]、[[バルセロナ]]からの長距離バスもあり。
 
 
 
== 出身者 ==
 
*[[ウジェニー・ド・モンティジョ]] (フランス皇后)
 
*[[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]](詩人・劇作家)
 
*[[マニュエル・オランテス]](テニス選手)
 
 
 
== ギャラリー ==
 
{{Gallery
 
|ファイル:Alhambra-petit.jpg|アルハンブラ宮殿
 
|ファイル:Granada Alhambra Palacio Carlos V Interior.jpg|カルロス5世宮殿
 
|ファイル:Spain Andalusia Granada BW 2015-10-25 15-39-55.jpg|ヘネラリフェ
 
|ファイル:Albaicin-granada.JPG|アルバイシン
 
|ファイル:グラナダ、カテドラル.JPG |カテドラルと市街地
 
|ファイル:Spain Andalusia Granada BW 2015-10-25 10-25-34.jpg|トリウンフォ公園
 
|File:Sierra Nevada desde Ernita Tres Juanes - WLE Spain 2015.jpg|グラナダ市街地(中央)とシエラネバダ山脈
 
}}
 
  
== 姉妹都市 ==
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古代名イリベリス Illiberis。スペイン南部,アンダルシア州,グラナダ県の県都。ネバダ山脈の北西斜面,標高 685mに位置する。 1238~1492年ムーア人の[[グラナダ王国]]の首都として繁栄。地名は付近に多く産するザクロの木 (スペイン語でグラナダ) に由来するともいわれる。西に肥沃なグラナダ平原を見おろし,南は急流ヘニル川で限られる。グラナダ平原の農産物の集散地としてにぎわうほか,リキュール,石鹸,紙,繊維などを産する。多くの絵画や彫刻で著名なグラナダ大聖堂
*{{Flagicon|GER}} [[フライブルク・イム・ブライスガウ|フライブルク]][[ドイツ]]
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(16~18世紀) ,統一スペインの祖,[[フェルナンド2世]][[イサベル1世]]の墓所,16世紀に建てられた修道院やグラナダ大学など多くの歴史的建造物が現存。有名な[[アルハンブラ宮殿]]をはじめ 13~14世紀に建てられた[[ヘネラリーフェ離宮]][[アルバイシン]]地区は 1984年世界遺産の文化遺産に登録された。
*{{Flagicon|FRA}} [[エクス=アン=プロヴァンス]][[フランス]]
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
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== 参考文献 ==
 
*D・W・ローマックス『レコンキスタ』刀水書房、1996年
 
*『地球の歩き方 スペイン 2004~2005年度版』ダイヤモンド・ビッグ社、286-297頁
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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{{グラナダ県の自治体}}
 
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2018/9/24/ (月) 23:22時点における版


グラナダGranada

古代名イリベリス Illiberis。スペイン南部,アンダルシア州,グラナダ県の県都。ネバダ山脈の北西斜面,標高 685mに位置する。 1238~1492年ムーア人のグラナダ王国の首都として繁栄。地名は付近に多く産するザクロの木 (スペイン語でグラナダ) に由来するともいわれる。西に肥沃なグラナダ平原を見おろし,南は急流ヘニル川で限られる。グラナダ平原の農産物の集散地としてにぎわうほか,リキュール,石鹸,紙,繊維などを産する。多くの絵画や彫刻で著名なグラナダ大聖堂

(16~18世紀) ,統一スペインの祖,フェルナンド2世イサベル1世の墓所,16世紀に建てられた修道院やグラナダ大学など多くの歴史的建造物が現存。有名なアルハンブラ宮殿をはじめ 13~14世紀に建てられたヘネラリーフェ離宮アルバイシン地区は 1984年世界遺産の文化遺産に登録された。

脚注

外部リンク




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